「ふむ、いささか不利かな」
呟くエクトルの声に、アズレトが何かを察してその懐に飛び込んだ。
鋭く、杖を突き出すが当然のようにエクトルの素手がそれを阻む。
「『スロウ』」
「――『エアリー』」
アズレトの呪文を受け、即座に対抗呪文代わりか、自らに補助魔法をかけるエクトル。
すかさず剣を叩き込むアズレトだが、アズレトの杖を掴んだままのエクトルの素手が、その杖を使って剣の進路を阻んだ。
成す術がないわけではないが、エクトルの相手がアズレト1人、という状況ではまず厳しい。
「イシュメル、援護頼む!」
アズレトが声をかけるが、アズレト自身それは無理だと思っているはずだ。
こんな近接戦闘では、下手をしたらアズレトに当たる。
さっきの俺のように、当たろうが当たるまいがどのみち一発で味方が沈んでしまうような状況ではない。下手をしたらイシュメルの攻撃が命取りにもなりかねない。
だから多分、エクトルにそれを警戒させるためのフェイクだ。
金属と素手の鬩ぎ合い、あるいは剣戟の音が、まるで金属同士のような音を立てる中、エクトルの右腕が不意に真横に掲げられる。
「――サモン、グリーン・ドラゴニア」
残る片手でアズレトの攻撃を見事としか言いようがないほどほぼ完璧に防ぎつつ、だ。ますますもって絶望的だ。
掲げられた手の先に浮かび上がる、緑の竜人。
手には細い剣と盾。
深緑の王者【グリーン・ドラゴニア】。通称はグリドラ。
ゲームをインストールする前、軽くネットの情報で調べた時に軽く見たことがある。
確か弱点は炎。ボスキャラではないが、レベルはかなり高かったはずだ。
「――ッチ!」
アズレトが思わず舌打ちをすると、イシュメルがグリドラに向けて数発の矢を放った。
「――アズレトはそいつを頼む。俺とアキラで何とか抑えるから!」
イシュメルが叫ぶ。俺も勘定に入ってるのかよ!とツッコミたいのはやまやまだが、確かにここはそれしかない。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
既に消えてしまっていた杖の炎を再び灯し、
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
同じく消えてしまっているレイピアの炎を灯す。
少しだけ、本当にちらっと見たことがある程度だ。
正直炎が弱点だと言うのだけでは戦いようがない。
だが、幸いにもグリドラの動きはそんなに早くないように見えた。
「イシュメル、俺の後ろ行け!」
「――わかった!」
言うなり、イシュメルがグリドラから視線も逸らさずダッシュする。
追うグリドラだったが、俺が杖で目を狙った一撃を見舞うと、それを簡単に避け、ターゲットを俺へと変更した。
どうやら、俺の武器に宿る炎を脅威と判断したらしい。
「――アキラ、……伏せて」
言うなり、カルラが杖を掲げる。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、フレイム!』」
言ってからの行動が早ぇよッ!と内心ツッコミを入れつつ、慌てて地に伏せる。
グリドラは動かない。――いや、俺に攻撃の目が向いているから気付いていないのか。
そう思った直後、グリドラの目がフレイムの炎を目に留めた。
瞬間。
カァァァッ!
グリドラがその炎に向けて威喝するかのような声を上げる。
「――ッ!?」
目の前の光景を疑った。
横薙ぎに薙がれた炎がグリドラの目の前で動きを止め、あろうことか180度向きを変える!
当然炎が向かう先にはカルラ。
しかし一瞬驚いたものの、
「『フロード!』」
即座に判断し、杖を掲げて叫ぶと、濁流が杖から炎に向けて迸る。
迫る炎は音を立てて水を蒸気に変え、それでも勢いを止めずに濁流をも飲み込んだ!
嘘だろ、水の魔法が炎に押し負けてる!?
――ってか炎を反射しやがったぞ……!弱点じゃねぇのかよ!?
「『プロテクト』」
いつの間にそこにいたのか、リアがカルラに魔法防御の呪文をかけていた。
水に押し勝った分の炎がカルラを襲うが、そのダメージは大したことはなさそうだ。
「――厄介ね、まさか反射スキルを使ってくるとはね」
言って、カルラに魔力剤を一本手渡すのが見えた。
迷わずそれを飲み干し、カルラはぺこりとリアに頭を下げた。
「ってことは弱点がないってことか?」
「――弱点は炎なのだけれど、――ね」
ちらりと俺の両手の武器に視線を落とす。
「弱点を狙うなら腹の白い鱗を狙いなさい」
なるほど、――つまり射撃魔法は今のように反射スキルがあるからやめておけということなのか。
「――リア、補助を頼む」
「ええ、もとよりそのつもりよ」
言うなり呪文を詠唱するリアに構わず、俺は緑の竜人を視界に納めた。
「『大地よ宿れ。オフェンシブ』」
呪文が短いのが気になったが、おそらく熟練度による短縮なんだろう、と推測する。
どちらにでも動けるように注意しながら、グリドラを注意深く見ると、確かに白い鱗が見える。
「――『水よ弾け、プロテクト』
――いや、うん見えるけど。あれを狙えってのはキツくないかリア。
思わず内心でツッコミを入れた瞬間、グリドラがシャア!と一声上げてからこちらに向けてドスドスと歩き出す。
とほぼ同時、イシュメルの矢が風を裂いて数本、咄嗟にグリドラが掲げた盾に突き刺さる。
動きは確かに遅いが、反応速度半端なさすぎるだろ?!
「『主よ導け、ブレッシング』」
リアの声が響くと同時、俺は駆け出した。
相手は高レベル、無謀は承知だ。――だがリアの魔力はもう当てにはできない。アズレトの持つ魔力剤だって、これが終わるまでもつかどうか。
矢の攻撃が途絶えたせいか、グリドラの盾が一瞬開く。
そこにタイミング良く滑り込む俺。
――イシュメルがタイミング良く攻撃をやめたおかげだ。
AIの優秀さを考えれば、こんなの二度とないチャンスだと思うしかない!
目の前に白い鱗を確認し、そこに杖を叩き込む!
耳障りに響くグリドラの叫び声を無視し、そこにレイピアを叩き込もうとした瞬間、横からの叩き付けるような攻撃に弾き飛ばされた。
そのまま俺の体は一直線に壁に叩き付けられる!
どうやらそれで死んだわけではなさそうだった。
HPの脳内警告もないところを考えると、ただの弾き飛ばしスキルなのかもしれない。
だが、立ち上がろうとした俺の視界がぐらりと歪む。
――やばい、これがスタンか!?
スタン、と言うのは気絶と言う意味だ。
一切の行動を不能にされる状態異常。
まずい。非常にまずい!
「『風よ吹き荒れよ、エアリエル』」
リアの声が聞こえた。
横目でちらりとリアを見ると、こちらに向けて魔法をかけているらしい。
そして視線を戻すと、緑色の……おそらくグリドラだろう、動きが押し戻されているように見える。
行動妨害系呪文か。
焦れたようにグギャァ!と声を上げつつ、無理矢理突破するつもりなのかグリドラがぶんぶんと何かを振り回す音が聞こえるが、その攻撃は俺に届いていない。
何とか体を動かそうと必死に意識を叩き起こしていると、唐突に視界が開いた。
ほぼ同時に、グリドラが剣を俺に向けて振り下ろす!
「うぉぅッ!?」
思わず声すら上げ、横は無理と判断して前へと駆ける!
杖の炎は消えていない。レイピアもだ。
今度こそ鱗を貫こうとして、それでも恐怖から盾が来ないか確かめてしまう。
「――ッ!」
思わず身を伏せると、その上を、さっきのエクトルの攻撃並のスピードで盾が通り過ぎた。
こ、怖ェー!
さっきのはこれか。ひやりとしながらも体勢を立て直し、再び鱗を狙う。
だが、さすがにそうは問屋が卸さなかった。
グリドラも簡単に弱点を突かれたくはないんだろう、バックステップで距離を開く。
ズガァンッッ!!
突然、フィリスの突っ込んだ部屋の方から轟音が響く。
うわぁ、何だあの音……
思わずフィリスを心配するが、視線を向けることもできない。
そもそも一応剣戟のような音は聞こえていたんだが、こっちの戦いに集中するあまりにすっかり意識の外だった。
イシュメルの弓がグリドラを牽制しているため、どっちにしても俺が突っ込むこともできないんだが、だからと言って目を離してしまえるほど余裕なわけじゃない。
フィリスは大丈夫なん――
「とったぁぁぁッ!」
――あ。そうだよな。心配することでもねえか……。
心配して損した、と俺は心底自分の愚かしさに溜息をついた。