「――ほう」
俺を見ながら、薄く笑うエクトル。
その手が薄く、青く光る。
サモンではないようだ。――とすると、あれは近接魔法か。
思った瞬間、エクトルの姿がブレる。
「――ッ!?」
直感的に判断し、全力でバックステップする。
一瞬の後、目の前を掠めるようにブンッ!と風を切る音が響いた。
――何だ今の音。風を切る音なんて表現じゃ生温すぎる!
「ッチ、外したか」
エクトルが心底残念そうに呟くと、そこへリアが立ち塞がった。
「――随分な真似をするのね、ゲームマスター」
「弱い相手から順に殺すのは鉄則だと思うがね」
言うエクトルの表情が、再びブレる。
――ブレて見えた瞬間、俺は恐怖で再び飛び退いた。
例え俺が目標じゃなかったとしても――
ひゅごッ!!
こんな風切り音を立てるモノを前に逃げずにいられるほど俺は強くない!
目の前をレーシングカーのようなスピードで通過するそれを、俺はかろうじて、どうにか回避する。
――レベル差云々の話じゃない。
これはスキルか何かを近接魔法と同時に使っているんだろうか、などと無難な推理を立てるが、こんなモノの対処法なんか考え付くはずもない。
回避力、確実にあいつの攻撃を回避できればいいが俺の実力じゃ無理だ。
盾か鎧、確実にあいつの攻撃を防ぐことのできなくてもいい。せめて受け流す物があれば話は別だが、俺にそんなものはない。
だとするならば、俺にこの状況を引っくり返すのは無理だ。
エクトルに背を向け、全力でアズレトの方へと駆ける。
唯一の希望は、あいつがあの攻撃を連発できるわけではない、ということか。
大抵のゲームには、強力な技を連発できないように「ディレイ」と呼ばれる準備時間が存在する。
希望的観測だが、あの技に使われているスキルにもディレイが存在するはずだ。
イシュメルもここで俺の考えに気付いたのだろう、俺の後ろ――エクトルに注意しながら後退を始める。
そろそろか、と当たりを付け、後ろを振り向くと、それを待っていたかのようにエクトルの姿がブレた。
思わずバックステップをした瞬間、俺は自分の迂闊を呪った。
馬鹿だ、エクトルが来る方向と真逆に逃げてどうする!
瞬間、ブレた姿がそのまま目の前に迫る!
攻撃の延長線に俺はいた。
思わず、まだ浮いている足で左に回避しようとして、その足が地を滑る。
「――ッッ!」
転倒する俺の顔の数ミリ前を、エクトルの右手が物凄い音を立てて凪ぐ!
その攻撃が俺の髪を捕らえ、凪がれた髪が燃えるように消失する。
そのまま背を地で叩き、悶絶しそうになるのをこらえて横に転がる。
その判断は間違っていなかった。
――ただ少し、遅かったと言うだけで。
脇腹に衝撃を覚え、思わず舌打ちをする。
「リバイブ」
すぐ近くからアズレトの声が響き、脇腹のダメージが即座に消えた。
慌てて起き上がると、エクトルの右手がアズレトの剣と交錯しているところだった。
ぎィンッ!
おいおい、それは生身の肉体の出す音じゃないぞ、と思わずツッコミを入れかける。
エクトル単体でも、俺の手に負える敵じゃないってことだけはよくわかった。
「イシュメル、後ろ!」
フィリスの叫び声に思わず振り返ると、すっかり存在を忘れていたリザードマンがイシュメルの後ろで斬馬刀を振り被っていた。
それを一瞥すると、イシュメルはステップで左に跳びつつその顔目掛けて矢を放つ!
そのまま、背に負った矢筒から数本の矢を引き出し、番えるとほぼ同時に引き、放つ!
俺と同じレベルでここまでの動きができるのか。
――弓を習得してみるのも悪くはない。ただしイシュメルがいない時限定でしか使えないし使いたくないが。
叫んだ当のフィリスはというと、周囲を必死の形相で警戒しながら、マンティコアの攻撃を捌き続ける。
俺も一度周囲を見回す。
動くかどうかはわからないが、天井にガーゴイルが2匹。
フィリスが相手にしているマンティコア。
イシュメルが相手にしているリザードマン。
そしてアズレトが相手にしているエクトル。
『無事か?』
不意に頭に響く声。
「あぁ、無事だ。現在地はルディス城。来れるなら来てくれ大至急だ!」
思わず叩きつける様に叫び、杖を構える。
声に反応したのはガーゴイルだ。
ぱらり、と小石が落ちるようなエフェクトとともに、ガーゴイルが俺に向かって急降下する!
それが俺の目の前に着地、いや落下して俺に衝撃波を浴びせる。
「『我願う、静かなる清流よ、傷を浄化し癒せ、ヒール』」
思わず唱えてから、少しもったいなかったかと思い直す。
ガーゴイルか。地属性……いや石、と考えた方がいいだろうか。
彫刻の延長と考えるなら、どこか重要な場所を壊すか削れば倒せるはず。
『すまん、少し時間がかかるかもしれん。耐え切れそうか?』
ウィスパーの声は少しブレている。
恐らく馬で疾駆してくれているのだろうが、それでも時間がかかるということは相当遠くにいるのだろうか。
「期待はしないがなるべく早く頼む!……全滅寸前だと思ってくれていい!」
言うと、何の返答もなく「アウト」とウィスパーが途切れた。
「フィリス!」
見ると、もう一匹のガーゴイルが俺を無視してフィリスの元へ向かっていた。
「わかってる!アンタは自分を守ってろッ!」
言うなり、フィリスは手近な部屋に駆け込んだ。
ズガン、と物凄い音を立てているのが気になるが、フィリスのことだ。大丈夫に違いない。
それにこっちもそんなことを考えている暇もなくなった。ガーゴイルが落下攻撃のディレイだったのだろう、硬直から復活し、ぶるぶる、と頭を振った。
「――!」
頭を振った拍子に見えた。
後頭部に刻まれた、ルーン文字のような印。
同時翻訳補正か、あれが「生命」を意味する文字であることを悟る。
気付くのが遅かった。
ガーゴイルが動かない間にあれを削ることが出来ていたら。
――何てもったいない。
「……アキラ、……伏せて」
いつの間に後ろにいたのか、カルラが杖を構えていた。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ、フレイム!』」
慌てて身を伏せると、カルラの魔法は突進してきたガーゴイルに直撃する!
「――!イシュメル、お前も伏せろ!」
その先を見ると、イシュメルを挟んで向こうにリザードマンが斬馬刀を構えていた。
俺の声に気付き、イシュメルが地面を蹴った。
その瞬間、フレイムの流れ火がリザードマンをも直撃する!
悲鳴を上げ、リザードマンが斬馬刀を取り落とす。
イシュメルの判断は素早かった。
すかさずその足元に飛び込むと、取り落とされた斬馬刀を俺の方へと蹴り飛ばす!
「――ナイス!」
思わず叫ぶと、俺はその斬馬刀を手に取った。
お、やや重いが持てないほどでもない。っつってもリアルだったら絶対持てないんだろうけどな。あと、多分レベルが足りないとかって理由で振り回すこともできそうにない。相手の武器がなくなるってこと以外、全くもって無意味――
[スティールを習得しました]
――ではないようだった。
頭の中に響き渡るアナウンス。
何か習得したらしいが、何を習得したのか全くわからない。後でリアにでも聞こう。
武器のなくなったリザードマンが、俺の方に向けて走る。
とは言っても、武器がなければ攻撃力はダダ下がりだろう。
いや、過信は禁物だ。素手でも一撃で死ねる威力があるとかだったら困る。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
ケツァスタに炎を纏わせ、それで殴る。
素手での攻撃は斬馬刀と比べてとんでもなく早いが、それでも避けきれない程ではない。――いけるか?
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
杖で殴りつつ、レイピアにも炎を纏わせる。
ぶんっ、と音を立ててリザードマンの攻撃が目の前を通過するのを見て、攻撃力が下がってるかも、などという過信は完全に捨てた。
人型である以上、弱点は頭か心臓か。
と見せかけて違うところに弱点設定ってのも有り得るが、とりあえず試して損はないだろう。
リザードマンが再び素手で俺を殴り付けようと拳を繰り出す。
それに合わせ、カウンター気味にレイピアを突き出すと、レイピアは狙いを外して肩へと突き刺さった。
ギャッ、と悲鳴を上げて後ずさるリザードマンに杖での追撃を試みる。
だが流石にそれは避けられた。
――が、背後からイシュメルの矢がリザードマンに突き刺さる!
俺とイシュメルを一瞥し、リザードマンはそれでもイシュメルを無視して俺へと拳を繰り出した。
イシュメルがすかさず数発の矢をリザードマンにヒットさせる。
「うぉうッ!?」
そのうちの1発が狙いを逸れて俺に向かってきた。
慌てて避ける。
一瞬すまなそうな顔をしたイシュメルだったが、
「――今のでさっきのチャラにしてやる。有難く思え」
苦笑と共にこんなことを言いやがった。
数十もの矢を背に受けたリザードマンは、さすがにイシュメルを脅威と認定したのか、方向転換をした。
――チャンスだ。
炎を纏わせたままの杖を振り被り、リザードマンの頭目掛けて振り下ろす!
ジャラッ、と飾りが音を立てるが、ほとんど効いていないのか、リザードマンは構わずイシュメルの方へ向かう。
ならばと慎重に狙いを定め、頭へとレイピアを突き立てる。
が、またしても狙いを外し、リザードマンの肩へとレイピアは突き立った。
――いや、違う。
これは多分、リザードマンの方の回避補正だ。
頭を狙って肩に当たるのは普通に考えてありえない。
「――伏せて」
背後から響くカルラの声。
「『我願う、猛る獰猛なる覇者よ、内なる力を我が前に示せ』」
成り行きを見守っていたのだろうか。
いや違う。
――考えてみれば、俺が先頭に立てと言われたあの時も、誰もカルラを戦力扱いしなかった。
カルラより戦力がある3人を主軸にするのは当然だろう。
だが、カルラだって戦える。
――戦えるカルラを戦力にしない理由は何か。
あの巨大な盾の魔法を、いざと言う時、当てにしていたんじゃないだろうか。
そして、盾の必要がないと判断したカルラは、今ようやくそのMPを攻撃に費やし始めた。
「『フレイム』」
巨大な火柱を上げ、カルラの杖から放たれた横薙ぎの炎は、リザードマンを直撃した。
[アース・リザードを討伐しました]
無機質なアナウンスが、リザードマンの最期を告げた。