まるで地獄のような光景が広がっていた。
――という表現は、比喩としてはチープだと思っていた。
だがあえて俺は今、この表現を頭に思い浮かべる。
まさに地獄。
ゲームマスターと思われる、長い金髪の男と、その隣にはアズレトによく似た――そう、ドッペルゲンガー。
ドッペルとの見分け対策に肩に巻いたスカーフを除いて、完全にアズレトの外見に一致するそれは、もはや自分がモンスターであることを隠しもしない。
狂ったような笑い声を上げながら、ガーゴイルを破壊するドッペルの横には、赤い鎧姿のリザードマン。
見るからに凶悪そうな、長い斬馬刀を両手に持ち、威嚇する声を立てながらそれを一閃すると、対峙していた男の脇腹から下が弾け飛んだ。
――規制がかかるほどグロいのかモザイクがかかっているが、それがどうなったのかという疑問すら沸かない。
さらにその斬馬刀はその遠心力に任せ、その隣の、盾を構えた男を盾ごと吹き飛ばす。
さらに追い討ちをかけるのは、飛び跳ねるように駆ける、一匹の馬。
――炎に燃える鬣を始めとしたその体が、盾を飛び越え頭上から襲撃する。
慌てて剣を構えるが既に遅い。
上げられた悲鳴を無視し、炎の馬がその頭に蹄を叩き落した。
その横で、ゲームマスターがさっき破壊されたガーゴイルを修復している。
見る見るその手の中で形を取り戻したガーゴイルに、ゲームマスターはぽつりと何かを呟いてそれを放した。
修復されたガーゴイルは、自分の定位置である、天井に貼り付けられた台座にぴたりと座り込み、その動きを止めた。
「サモン、クリムゾン・マンティコア」
ゲームマスターの言葉に応じ、その掲げた手の先の空気が歪む。
まず見えたのは赤い毛皮。次にコウモリのような皮膜の翼がばさりと現れる。誇示するかのように立てられた尾には、サソリのような毒針。その尾も太く節があり、単純に振り回されるだけでも厄介そうだ。そして「人を喰らう生き物」の名に相応しい、何列にも及ぶ並ぶ鋭い牙。鬣はライオンを思わせるが、その顔はどこかその辺にいそうなオッサンの顔だ。
某戦記もののラノベでは高い知能を有する魔物として描かれていたが、果たしてこのゲームでは魔法を使うのか。
――使わなかったとしても強敵であることに違いはない。
それにしても、エクトルのサモンのレベルはいくつなんだろうか。
アズレトが呪文を唱え切るのを確認し、俺は後ろを振り返った。
「――行くぞ!」
言うなり、イシュメルが不意打ちで弓を射る。
風を切る音と共に矢がドッペルに突き刺さる直前、ドッペルがその矢を剣の腹で叩き落とす。
「――ほう」
エクトルが目を細くする。
今まで対峙していたプレイヤー二人が、それを好機と取って剣を振り下ろすが、その剣をマンティコアの太い尾が阻む。
そこへフィリスが飛び込む!
そしてマンティコアの赤い毛皮に向けてタイ剣の巨大な刀身を叩き込むと、結果も確認せずに全力でステップバック。
ガゴン!
ドッペルの杖での一撃が、一瞬前までフィリスがいた所を中心に周囲を弾く。
だがフィリスはすでに範囲から離脱している。
「『ウィンド・ブレイク』、『スロウ』!」
さらにそこにアズレトが、唱えていた攻撃呪文と詠唱破棄の妨害呪文を連続で解き放つ。
インタラプト。
呪文に、もう1つの呪文を割り込ませて発動させるスキルだ。
――この場合は【スロウLv.32】が先に発動し、動きを鈍くして【ウィンド・ブレイクLv.19】を当てるという順番だ。
「――エンチャント、アンチ・ウィンド」
ゲームマスターの口が滑らかに言葉を紡ぐ。
リアと同じだ。
対風属性エンチャント。
動きが鈍くなったドッペルに呪文が炸裂する直前、手を掲げるリア。
まずは賭けの1つ。
「エンチャント、――アンチ・エンチャント」
バキン、と音がしてゲームマスターのエンチャントが破壊される。
そこへ呪文が炸裂。
避けることすらできずに、ドッペルに叩き込まれる風属性。
1つ目の賭けはどうやらリアの勝利だ。
エンチャントをエンチャントで無効化できるのか。そしてそれはゲームマスターのエンチャントに通じるのか。
どうやら、両方の答えはYesのようだ。
そして賭けのその2。
キンキン、と音を立て床を転がる数本の空瓶。
「『フレイム・ゾナー』」
最大MP全快まで回復したリアの解き放つ炎系最強魔法が、ドッペルを完全に捕らえた。
断末魔じみた絶叫が迸る。
――アズレト本人が苦笑をしているところを見ると、さすがのアズレトでもこれは耐え切れない範疇のダメージなんだろう。
ちなみにリアの魔力剤はこれで打ち止めだ。念のためアズレトから数本譲り受けてはいるが、自己防衛に使うため、無駄遣いはできない。
「――『リバイブ』」
炎の中から響く声。
どうやら賭けその2はドッペルの勝利のようだ。
「――ッ!」
フィリスが炎のド真ん中に駆け込み、
――いや、すでに駆け込んでいる。
振り下ろされる剣。杖がそれと交錯し、ぎぃん、と嫌な音を立てる。
あっさりその巨大な剣を左手に持ち替え、フィリスは利き手で素早く短剣を抜き放つ!
しかしそれすらいなしつつ、ドッペルが杖の先と柄とでフィリスの二つの剣を捌く。
チッ、と舌打ちするとフィリスが短剣をエクトルに向け投げ付ける!
しかしあっさりやられるエクトルではない。
驚きもせず一歩左に動くと、短剣はかすりもせずにその横を素通りする。
「『ダンシング・ソード』」
リアの呪文に応じ、短剣が円を描くようにエクトルに迫る。
エクトルはそれを一瞥すると、手に持つ杖でそれを叩き落とす。
「――、やるね!」
フィリスが数歩間を空けると、ドッペルは即座に反撃に転じた。
がぎん、ぎぃん、と耳障りな音を立て、剣と杖が交錯する。
隙があればイシュメルが矢を放つ予定だったのだが、その隙すら見当たらない。
猛攻を掻い潜りながら、フィリスが再びバックステップで間を空け、体勢を整える。
読んでいたかのようにドッペルがその間を詰めた。
――ここしかない!
「――ッ!?」
「――!」
背後から息を呑む気配。
正面には剣を振りかぶりながら驚愕するドッペル。
その剣が振り下ろされると同時に肩に強烈な衝撃を覚え――
――俺は、意識を手放した。