熱気と狂気に歪む笑顔が、俺たちの前に立ち塞がる。
って言うかあの業火で死なないとか反則すぎるだろ。
「まさか対人で、……ゾナーで倒せないなんてね」
厳密には対人ではないんだが、どうやらリア的にもショックというか、驚きを隠せないらしい。
「……アズレトの二つ名は、……【神の狂気】」
カルラが呟くと、リアは驚いたように振り返った。
「まさか――あのアズレト=バツィン?」
こくりと頷くカルラ。
「ッ――逃げるわ」
言うなり、リアとカルラはアズレトに背を向け、全力で駆け出した。
俺もそれに倣うと全力で走り出すが、ドッペルゲンガーは、それを追っては来なかった。
三者三様に肩で息をしながら、それぞれ膝や壁に手をついて息を整える。
「アズレトなんて名前で思い出すべきだったわね」
はぁ、と溜息混じりに呟きつつ、リアが壁に寄りかかった。
「なぁ、アズレトってそんなに強いのか?」
思わず聞くと、カルラはこくりと頷いた。
リアも、まぁ知らないのも無理はないわね、と呟きつつ溜息をつく。
「アズレト=バツィンのヒットポイントは、9千…いいえ、もしかしたら1万を超えるとも言われているわ」
「それってスゴいことなのか」
思わず口にすると、二人は俺に苦笑を向けた。
どうやらズレているのは俺の方らしい。
「例えばだけれど、私が見せた【フレイム・ゾナー】。MPがマックスの状態から使うなら、ランダム・ダメージを含めて……倒せない敵は竜族と炎系モンスターくらいのものよ」
確かにさっきのリアの魔法は凄かった。
それで生き残るアズレトはマジでヤバいってことなんだろう。
「……なら、アズレトは最強ってことか」
言うと、カルラはこくりと頷いた。
「……私たちの中では、……最強に、……近い」
リアの方をちらりと見ている様子から、それがリアを含めたものであることがわかる。
「そのアズレトを倒したドッペルゲンガーはもっと最強かよ……」
思わず溜息をつく。
『アキラ、いるか』
突然ウィスパーが頭に響く。
イシュメルだ。
「……本物か?」
『何言ってる。偽者でも出たのか?それよりこの状況をまず説明してくれ』
言うイシュメルの声がわずかにブレる。
『ウィスパー部屋にも入れないし、何だ、バグでも起きてるのか』
至って冷静な口調だが、声がブレているところを見ると、走っているか戦っているかなのだろう。
「イベントらしい。詳しいことは合流してから話そう」
『了解だ。……どこにいる?』
言われ、リアに場所を聞くとどうやら北門までが近いらしい。
「北門の付近だそうだ」
『難しいな……今南門が見える位置にいるんだが』
ということは、あの死体が積み上げられているあたりか。
「中央広場も候補のひとつだけれど、難しいわね」
いつの間にかウィスパーに参加していたリアが意見を挟む。
そういえば、イシュメルの落ちたあたりはフィリスのいた武具屋のあたりじゃなかったか?
「イシュメル、フィリスと合流できないか?リリーもそっちに向かったはずだ」
俺が言うと、リアが首を振る。
「待って。……フィリスの所が安全とは限らないわ」
ん、とイシュメルが声を返す。
「……ドッペルゲンガーはね、アキラ。とても特殊なのよ」
リアははぁ、と溜息をつく。
「こんなことを言ってしまうと、何も信じられなくなるかもしれないけれど」
そして、一瞬言葉を選ぶ。
「……ドッペルゲンガーは、ゲームマスターが操っているとも言われているのよ」
一瞬何が言いたいんだと返そうと口を開きかけ、俺は唐突に気付く。
「そうよ、アキラ。ドッペルゲンガーは、」
だとしたら、MMOとしての常識を覆すシステムだ。
「――ウィスパーすらも、可能なのよ」
フィリスとウィスパーをした時、リリーが向かったと言った瞬間、フィリスは怪訝そうな声を上げなかっただろうか。
そして、すぐにドッペルゲンガーの成り代わりを見抜いたのもフィリスだ。
「――フィリスが、アズレトをドッペルだと言ったのなら、……リリーもまたドッペルゲンガーだという可能性も高いと言うことよ」
それはもちろん、リアやカルラ、そして今まさにウィスパーをしているイシュメルすらもその可能性があるということだ。
「……、つまりそれは、フィリスも」
そう、あの時アズレトをドッペルだと見抜いたフィリスもまた、ドッペルである可能性があるということだ。
「確かに――それは何も信じられなくなるな」
思わず苦笑する。
「だけど、俺は今襲われたアズレト以外はとりあえず信じてみようと思う」
『……ふむ、なら俺はフィリスと連絡を取ってみるさ』
言って、イシュメルとの通信が途絶える。
「……リリーがドッペル、か。だけどその場合、ウィスパー部屋で襲うこともできたんじゃないのか?」
思いつきを口にするが、リアからは意外にも否定が入った。
「ウィスパー部屋は攻撃不可の空間だから、無理だと思うわ」
そう考えると、リリーの行動は途端に怪しく思えた。
様子を見てくる、と最初にウィスパー部屋を出たのはリリーだった。
今まで見せる事のなかった羽を簡単に晒したこともそうだ。
南門で待つ俺を、リリーより遠かったはずのカルラが先に到着し、助けてくれたことも考えてみればおかしい。
「……スキャンなら見破れるか?」
わからないわ、とリアが答える。
カルラも同様に首を振り、持っていないと答えた。
「一人だけ、心当たりがないわけじゃないんだが」
今日ログインして最初に出会ったあの男だ。
「長い刀で、馬に跨った騎士に心当たりはないか?」
ダメ元で聞いてみるが、……どうやら心当たりはないらしい。
「……この町にいるのは確かだと思う。探すしかないか」
探すなら散った方がいいだろうという提案の元、リアと別れた俺とカルラは、慎重に歩を進めていた。
別れ際にもらった、プレミアアイテムである「ワールドツリー・リーフ」を手にしたまま、滑稽なほど慎重に辺りを見回す。
俺なんかは、敵と出会ったらまず戦力にならないから、逃げるしかない。
現時点でわかっている敵の残存兵力は、ダークとアズレトと、そしてハティだ。
もちろん、ゲームマスターが新たな敵を投入してくるのならば、もうお手上げだ。
しかしこのイベント、クリア条件は何だ。時間経過か?
何も説明しないというところがこのゲームらしいと言えばらしいのだが。
「ふむ」
背後の壁越しに声を聞き、ギクゥッ!と心臓が跳ね上がる。
見ればカルラも同じようで、顔を見合わせた俺たちは思わず壁に背中を付けた。
「……なるほど、だが壊滅させても構わんのだろう?」
この声はゲームマスターだ。
つまりこの壁の向こうには、ゲームマスターがいるということだ。
「あぁ、理解しているよヒフミ。壊滅したら全員を強制蘇生でイベント終了。そういうことでいいんだろう?」
一つ目の終了条件は、やっぱり壊滅か。
しかもそれを前提に話を進めてやがるなこのゲームマスター。
「万一私が負けることがあれば、……あぁわかってるって」
くく、と黒い笑いを残しつつ、ゆっくりと声が遠ざかる。
どうやら、終了条件はあいつを『負かす』ことにあるらしい。
「……負けることがないよう全力を尽くすさ」
完全に声が聞こえなくなる直前、俺の耳に微かにその言葉が届く。
どうやらこの町の『敵』であるゲームマスターは、負ける気は微塵もないらしい。
ずる、と壁に背を滑らせてカルラが腰を下ろす。
「……、……無理」
ふぅ、と完全に諦め顔だ。
「あいつの能力は何だろうな。召還だけか?」
カルラの言葉を聞き流しつつ聞いてみる。
カルラも知らないんだろうと思ったが、
「ゲームマスター、……エクトル。……サモンと近接魔法のエキスパート」
うげ、と俺は手を上げた。
召還だけなら主を叩けば何とかなると思ったが、近接魔法までエキスパートとは。あのエクトルというゲームマスターは、どうやらとんでもない実力者らしい。
「……さて、人数を集めるか。誰がドッペルかもわからないけどな」
言って、俺はリアにウィスパーを送った。
『そうね、クリア条件がモンスターの討伐でないのなら、モンスターは無視すべきだわ』
リアはあっさりと賛成し、人数集めに入ると言うとウィスパーを切った。
「……うん、……そう、イシュメルも無事?……そう、……良かった」
カルラはフィリスとウィスパーをしているらしい。
「ウィスパー、イシュメル=リーヴェント。……無事合流できたみたいだな」
声をかけると、イシュメルがおう、と返事を返す。
『途中ハティに襲われるわ、散々だったけどな』
「安心しろ、俺もそれに襲われた。カルラがいなかったら死んでたぜ」
お前もかよ、と笑い、イシュメルは現状を説明し始めた。
案の定というべきか、リリーはドッペルゲンガーだったらしい。
フィリスがそれを何とか撃退し、ドッペルから正体不明の未鑑定アイテムをゲット。
どうやらスキルブックらしいのだが、未鑑定のアイテム入手はフィリスにとって初めての経験らしい。とは言っても鑑定できないのでどうにもならないんだが。
『ハティからも牙を取ってた。炎なしでハティ倒すヤツは流石に初めて見たけどな』
どうやら、アズレトのみならず、リリーやフィリス、カルラを含め、4人は優秀揃いらしい。