命からがら、とはまさにこのことだ。
「撒いたか?」
振り返るのも恐ろしい。
「……多分」
横でカルラが、瓦礫の隙間から背後を確認する。
あの馬鹿でかい巨体から、逃げ出せるとは思ってもみなかった。
「さっきの馬鹿デカいシールド魔法のお陰だな。ありがとうカルラ」
魔法で巨大な盾を展開し、カルラは一撃だけ黒い巨体から放たれる業火を防いでくれた。
代わりに、と言っては何だが、
「けど、……MPが、……ない」
これでカルラの魔法は打ち止めだということだ。
一応システム上、少し経てば自然回復するはずなんだが、カルラの今使った魔法は、どんな攻撃でも一度だけ防ぐかわりにMPが30分ほど自然回復しないそうだ。
薬でも持ってれば良かったんだが、バフォメットとの戦いでほとんどを使い切ってしまったらしい。
『アキラ、まだ無事?』
リリーからのウィスパーが響く。
どうやら部屋に入れなくても、ウィスパーだけは可能になっているらしい。
「何とかまだ無事だ。2回ほど死にかけたけど」
ほっとしたような嘆息が返る。
リリーは今どこにいるんだろうか。
『ところで、リアがいるよ』
「え、どこに?」
思わずそう言うと、上から一枚の羽が降ってきた。
ばさり、と音を立て、それを追うようにリリーが降りて来る。
――お、羽だ。
二つ名の通り、まさに白翼を折り畳むように舞い降りたリリーの手を握り、一緒に降りてきたのはリアだ。
「――ごきげんよう、アキラ」
「あぁ、数時間ぶり」
ふふ、とリアは嬉しそうに笑みを浮かべた。
「それにしてもまさかボスのオン・パレードとはね」
嬉しそうだな、とは口にしなかった。
多分言うまでもなく嬉しいんだろう。
「しかし状況的にヤバくないか?コレ」
言うと、リアがくすりと笑う。
「私の小屋に行きたいところだけれど、こんな機会でもなければ拝めないダーク・ブラックまでいるのだもの。……楽しみましょう」
死ぬかと思ったんだが、と呟いてみると、あらあら、と笑って返された。
「あの狼みたいなのは何だ?ホワイトファングじゃないよな?あれ」
「狼?」
リリーが問い返す。
「ああ。南門に戻った直後に襲われたんだ。多分属性は氷か何かだと思う」
「……多分、……ハティ」
カルラが答えると、リアが顔を輝かせる。
「ハティもいたの?何て大盤振舞いなのかしら」
ハティか。後で調べるとして、そんなことよりどうするかだ。
「イシュメルが来たら、魔族でぶちのめしてもらうってのは?」
「タイラスでは歯が立たないわね。……ダークは魔族と同じ闇属性よ。炎と氷が弱点だけれど、」
リアがそこまで言った瞬間、誰かが俺を突き飛ばした。
位置的にはカルラだ。
そしてそこに襲い来る黒い爪。
ズガァンッ!!
轟音を立て、いつの間に忍び寄っていたのかダーク・ブラックの足が今まさに俺たちのいた辺りを踏み潰す。
「――忘れていたわ、私は運がないのだったわね」
言うなりリアは、背に担いでいた自分の身の丈ほどもある杖を振りかざす。
「リリー、この辺りには誰もいないわね?」
リアが声をかけると、リリーが上空へと舞い上がる。
遥か上から、オッケーよ、と声がすると、リアはにこりと笑った。
「受けて立つわ、ダーク・ブラック。今なら私の本領を発揮できそうだもの」
言うなり、リアはダーク・ブラックの前に飛び出した。
「ちょ、あぶな――」
俺が制するより早く、竜の目が彼女を捕らえる。
その爪がリア目がけて振り下ろされる瞬間、思わず俺は目を背けた。
ズガァンッ!
衝撃と音が響く。
目を背けたことを後悔しつつリアの方を見ると、リアは何事もなかったかのようにぱんぱん、とマントを掃っていた。
「リア!」
無事だったことに安堵しつつ名前を呼ぶと、リアはにっこりと笑って見せた。
その後ろ姿に、容赦なく振りかざされる巨大な爪。
「危ない!」
思わず叫ぶと、リアはマントを盾のように持ち上げた。
「――エンチャント、アンチドラゴン。エンチャント、アンチインパクト」
マントにダーク・ブラックの爪がかかる寸前、リアの口から呪文が漏れるのが聞こえる。
轟音とともにリアの体が数メートル弾き飛ばされるが、リア自身はほとんど無傷だ。
「うっわ……何だ今の」
解説されるまでもない。
リアはその場でマントをエンチャントしたのだ。
恐らくは、対ドラゴンと、対衝撃の防御を。
一歩間違えば、マント自体が消滅すると言うのに、そんな危険を思わせることもないほどリアの表情は余裕綽々だ。
先ほどと同じようにマントを手で掃うと、
「衝撃全部を弾くことはできないってことかしら。私もまだまだね」
それでも不服なのか、はぁ、とため息をつく。
「リア、人が来る!」
リリーが上空から叫ぶ。
「あら。……ではそちらに任せましょうか」
言うと、追撃するダークの爪をひょいひょいと避けながら、リアは数歩後ろへバックステップした。
――と。その時。
ダークの口が業火に燃える。
やばい、と思った時には遅かった。
どん、と言う衝撃とともに、業火が放たれた。
ぜーはーと肩で息をしながら、俺達はようやく東門の辺りまで退避していた。
「マジビビった……今度こそ死んだと思ったぜ」
一人平気そうなのは、空を飛んでいてダーク・ブラックの視界から逃れていたリリーだけだ。
「大丈夫?」
「……多分、……平気」
カルラが、平気とは思えないほど疲れた声を上げる。
「……まさか、『黒の暴虐』とはね」
リアが呟くように言いながらも、ふうと溜息をついた。
リア曰く、あの業火はそういう名前のスキルらしい。
使えるプレイヤーはドラゴニアンの専用スキルらしいが、ダーク・ブラックにもそれは可能らしい。
「もっともそれはプレイヤーが勝手に付けたネーミングなのだけれどね」
実際のスキル名は不明。最初にダーク・ブラックが使ったことからこのネーミングが付いたのだそうだ。
さて、と呟いて、リアはふふ、と笑った。
「どうなるかしら、見物ね。魔族でもいれば話は別なのだけれど」
あ。
「そういやそろそろ8時だけど、イシュメルのやつは寝坊か?」
時計を見ながら言うと、あ、とリリーが声を上げた。
「まさかとは思うが、やられてたりはしないよな」
「ありえないことではないわね」
あっさりとリアが言う。
「死んだらウィスパーは、ログインしていない扱いになるもの」
あ。
そう言えばイシュメルに対してのウィスパーは試していない。
「ウィスパー、イシュメル=リーヴェント」
[該当キャラクターはログインしていません]
無機質なアナウンスだけが帰って来る。
「ダメだ、繋がらない」
「電話じゃないんだから」
くすりとリリーが笑うと、カルラもつられたのか、くすくすと笑う。
「ま、死んでないことを祈るか」
呟くと、俺もつられて笑う。
「あいつだけじゃなく、俺のことも心配して欲しいな」
振り返ると、アズレトがそこにいた。
「あら。……こんばんは」
リアが声をかけると、手近な岩……というか瓦礫に手をかけ、息を整えながら、アズレトはにこやかに笑って見せた。
「初めまして。リアです」
言うと、リアの名前が浮かび上がる。
それを見たアズレトの顔が興味に変わる。
「お。あの本の作者か」
どうやらリリーは、知り合い全員にあの本を勧めたようだ。
「本のことは忘れて頂戴」
やや赤くなりながら、リアが即座に切り返す。
どうやらあの本はリアにとって黒歴史らしい。
「そうはいかないな。あの本が書かれた時期、俺はまだ初心者だったから大いに助かった。例を言わせてもらうよ」
下手をすると嫌味に聞こえるが、リアはそうは受け取らなかったようだ。
もう、と苦笑してみせるリア。
と言うかアズレト、考えてみればお前、俺が来るまではハーレム状態だったんだな、考えてみれば。
仄かに沸いた殺意を抑えつつ、簡単に現状を説明する。
「バフォは倒したんだな?……それにしても、ダークにハティか。同時に来られたら厄介だな」
他にも同時に召還されている可能性はあるが、当面わかっている情報はその二つか、とぶつぶつ呟きながら、アズレトが杖を肩に担ぐ。
「壊滅させるつもりのイベントなら、こんなもんじゃ済まさないだろうし、どうする?」
リアの小屋に逃げ込むという手も実はあるのだが、それは根本的な解決にはならないだろう。
そもそもこのイベントの後始末はするんだろうか。
イベント終わっても町はこのまま、と言う可能性も捨てがたいが。
実際、情報サイトによれば、イベントによる町の破壊はNPCとプレイヤーの手で修復されたそうだから、今回も例に漏れずそういうことになるのだろう。
『おいおい、アタシがいない間に何コレ』
頭にフィリスの声が響く。
「お、フィリスか」
言うと、全員が俺に注目した。
『町の壊れっぷりが笑えるんです、けど!』
あはは、と笑うフィリスの言葉が不意に乱れる。
「――ひょっとして戦闘中か?」
「どこにいるか聞いて」
リリーの言葉に従い、どこにいるか聞いてみる。
どうやら、朝俺と別れたところからほとんど動いていないらしい。
「ってことはあのドワーフの武具屋前か」
言うなり、リリーがそっちに飛んで行った。
「リリーが行った。俺たちも向かうよ」
『リリーが?』
怪訝そうな声色が帰る。
『……ひょっとして、そこ他にも誰かいる?』
おっと、と声が一瞬慌てたような声色に変わる。
「あぁ、アズレトとリアがいる。あとカルラ」
言うと、一瞬フィリスが息を飲む。
『逃げろ、そいつはアズレトじゃない』
その言葉とほぼ同時に、背後から聞こえる鋭い金属音。
振り返ると、アズレトとリアの杖が交錯していた。
「……ドッペルゲンガーとは、また古風な罠を敷いてくれるわね」
苦笑するリアが、アズレト……いや、ドッペルゲンガーの、俺への攻撃を防いでくれたらしかった。
マジかよ、完璧に騙されたぞ。カルラも信じられないと言う顔をしている。
鋭い剣戟が2度、3度と交錯する。
火花さえ散らし、鬩ぎ合うリアとドッペルゲンガー。
『よりにもよってアズレトとはね……気をつけろアキラ』
今行くから、とフィリスが言うが、何をどう気をつければいいのかわからない。
「……生憎ね。私はアズレト本人のことは知らないから手加減はしないわ」
言うなり、リアが距離を取る。
「『我願う、全てを焼き尽くす炎よ、全てを等しく塵と化せ』」
その呪文を聞いたカルラが、俺の頭を引っ掴み、地面へと押し付ける。
「『フレイム・ゾナー!』」
ごぅんッ!!
まさに灼熱の業火。
一瞬遅れたカルラの髪を巻き込みつつ、業火はアズレトに似たそれを焼き尽くす。
うへぇこぇぇ。
以後リアだけは怒らせないようにしようと心に誓う。
「……ッ!?」
しかしそれで終わりではなかった。
炎の中から立ち上がる影。
リアも信じられないものを見ているように一歩後ずさる。
「――『リジェネレイト』」
炎の中からその声が響く。
「無茶苦茶ね。……そのアズレトって男」
ドッペルゲンガーは殺した者に成り代わるって話だけれど、と呟いて、リアが溜息をついた。