「……うわ」
南門に到着すると、俺は思わず絶句した。
完膚なきまでに破壊された南門。
そこには、低レベルなのだろうと思われるキャラクター達の死体が山積みにされていた。
避難……というより虐殺場だなこれ。
思わずこっそり様子を伺いながら、俺はため息をついた。
モンスターの姿はないが、あれだけの死体の傍に行くだけの勇気がない。
かと言ってここ以外に避難場所を聞いていたわけでもない。
「……どうすっかな」
思わず呟いて、適当な場所に腰をかける。
誰がログインしているのかさえわかれば、誰かに保護してもらうのが一番なのだろう。
だがその心当たりに声をかけようにも、誰がログインしているのかわからないことにはどうにもならない。
仕方ない、片っ端からやってみるか。
「ウィスパー、リリー=ビーヴァン」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、フィリス」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、アズレト=バツィン」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、リア=ノーサム」
[該当キャラクターはログインしていません]
「ウィスパー、カルラ=クルツ」
瞬間、視界が暗転する。
お、カルラはいるらしい。
「カルラ。今へい」
『内なる力を我が前に示せ、……フレイム!』
平気ではないらしい。ウィスパー部屋からでは情景が見えないから、どういう状況なのか見えないが、少なくとも戦闘中だってことだ。
『……アキラ?』
「うん、平気か?」
平気ではないと知りつつも思わず聞いてしまう。
『……何とか、……かも』
声が微妙に疲弊している。
「戦闘離脱は可能?」
『それは、……無理』
パーティ組んでるから、と理由を言って、再び何かの呪文を唱え始めるカルラ。その呪文が終わると、肩で息をする吐息が聞こえた。
「無理ならいいけど、終わったら」
『大丈夫、……ウィスパー部屋に、……いて』
言われてから、俺は気付いた。
確かにここが一番安全なのではないだろうか。
その代わりここにいたんじゃ経験にはならないんだろうけど。
一息つくと、カルラがパーティーを抜けて部屋に入って来た。
「……お待たせ」
「ご苦労さん。ってか、イベントの告知なんてしてたっけ」
公式サイトひとつ見ずに来たから告知を見落としたか、と思ったのだが、カルラは静かに首を振った。
「……突発、……みたい」
なるほど、文字通り突然発生するイベントか。被害はどんなもんだったんだろうか。まぁ、南門の様子とログイン直後の戦闘音だけでかなりの被害だとわかるが。
「……バフォメットとか、……いた」
「バフォメット!?」
半人半羊のモンスターで、――確かこのゲームではボス扱いのはずだ。
実際に戦ったことはないので、強さのほうはわかりかねるが、昨日リアに聞いたタイラントくらいの強さは軽くあるんじゃないかと予想する。
ぽつりぽつりと話すカルラの言葉をつなぎ合わせると、どうやら突然降って沸いたバフォメットに周囲が凪ぎ倒されたことからイベントが始まり、その場にいたプレイヤーたちにはゲームマスターの声が聞こえたのだという。
『突発イベントを開催する。……対象は城の存在する町だ。尚、このイベントにおける、キャラクターロスト・及びアイテムの剥ぎ取り機能をオフにする』
告知の内容はたったこれだけ。しかもその場にいたプレイヤーにしか告知されなかったらしく、後から来たカルラは人からこれを聞いたのだという。
そして、カルラが来た時にはすでにバフォメットは右足を失っていたにも関わらず、激しい攻防を繰り返し、カルラが来てから1時間以上もの間、バフォメットは暴れまわっていたんだとか。
また、町に降ったモンスターはバフォメットだけではなく、これまでプレイヤーが見たことのないモンスターが数体。
初見モンスターの最大の強みは、その弱点がわからないということだ。
戦いながらその弱点を探り当てるか、力で捻じ伏せる以外に対処法がない。
プレイヤーが取ったコースは後者だった。
弓・魔法に対する反射がなかったことが幸いし、その見たことのないモンスターは何とか沈黙させることができたが、それでも被害は甚大だったという。
バフォメットを討伐した後、蘇生に回っていたプレイヤーはさらに悲惨なことになった。
バフォメット討伐隊の死体のことごとくにカースがかかっていたのだ。
蘇生をかけたプレイヤーを呪いが襲う。
つまりそれは、蘇生班が甚大な被害を受けたということだ。
そこにさらに降って沸く未知のモンスター。
蘇生班の半数を失ったプレイヤー達にとって、必死にならざるを得ない自体。
プレイヤー達は、他の町にいるであろう仲間に連絡を取り始める。
瞬く間に、城下町にプレイヤーが集まった。
フェイルス以外の城下町にも、同じようにプレイヤーが集まっているに違いない。
そこに、ゲームマスターが更なる恐怖として降らせたものが、……何と。
ラーセリア史上最も残忍な悪竜、黒の恐怖【ダーク・ブラック】だ。
姿を見るなり、プレイヤーたちは正攻法を捨てた。
物陰からの奇襲に徹し、その後速やかに撤退。これを繰り返した。
「ダークは、……治癒魔法がない、……から」
カルラもそれに参戦した。
ダーク・ブラックの弱点は、氷と炎。
炎の魔法を得意とするカルラは、あまりにもそこに適役だった。
覚えたばかりのフレイムLv.10を唱えた瞬間、俺からのウィスパーが入る。
「うわ、じゃあ俺スゲー邪魔だったか?」
「……問題、……なかったと思う」
そしてダーク・ブラックに一撃を与えると、全力疾走でその場を離れ、そしてウィスパー部屋に逃げ込んだ。そして今に至る。
「……って、ことは」
「まだダークは、……健在」
参った。
こりゃソロ狩りとかそういうレベルじゃないな。
お手上げもいいところじゃねぇか。
「あ、アキラ。おはよう。カルラも」
何この騒ぎ、と言って突然割り込んで来たのはリリーだった。
「突発イベントだそうだ。……俺も来たばかりでな」
それにしてもおはようって何だ。今カナダは真夜中のはずだろ。
「バフォメットとか出たらしいぞ」
「ちょっ、何それ!」
ことの重大さを知り、青ざめるリリー。
「ちなみに今、外ではダーク・ブラックが進撃中らしい」
「うっそでしょ……」
それにしても、気がかりが1つある。
「あのさ、イシュメルがそろそろ来る頃なんだけど」
え、と二人が固まった。
「ど、……どこ」
恐る恐る聞いてくるカルラに、落ちたのが西門の辺りだと告げると、カルラはあっさりと指を立て、「アウト」と呟く。
自分だけがウィスパー部屋を出る時の動作とワードらしい。
「待てよカルラ、大丈夫なのか!?」
「……イシュメルは、……もっとあぶない、……から」
俺のウィスパーにそう返すカルラは、慎重に進んでいるようだ。
「ウィスパー、カルラ=クルツ。――カルラ、西門前に来たらすぐこっちに。無茶はしないで!」
「うん、……わかった」
リリーに答えると、カルラは息を整えるように深呼吸をし、……聞こえる吐息から察するに走り出したようだった。
「西門の辺りって、結構被害甚大じゃなかったか?」
万一俺より早く来てたりしたら、冗談じゃないことになってるな、きっと。
カルラが再びウィスパー部屋に戻ると、カルラの息はかなり切れていた。
「だ、大丈夫か……?」
思わず背中をさすると、カルラはかろうじてこくり、と頷くと、何とか深呼吸で息を整えた。
「……今、……彼がログインしたら、……かなり」
まずいってことか。
「西門前の状況は?」
「ダークが、……居座ってる」
最悪で絶望的だ。
何とかして動いてもらわないと、イシュメルが入った瞬間に即死しかねない。
「せめて、誰か知ってるヤツがいればな」
注意を逸らしてもらうくらいはできるかもしれない。
いや無理か。……自分が死ぬかもしれない危険を冒すヤツはそうそういないだろう。
「アキラ、どこでウィスパー部屋に入ったの?」
「ん?俺は南門の近くだけど」
リリーの問いに答えると、うーん、とリリーが唸る。
せめてアズレトがいればなぁ、とか言っているところを見ると、どうやら策はあるらしい。
「いればどうするんだ?」
一応聞いてみると、
「いないからどうにもならないよ」
ごもっとも。思わず肩をすくめる。
「ちょっと様子見て来る」
リリーが、言ってウィスパー部屋を出た。
様子を聞こうとウィスパーを送ると、リリーは呪文を唱えていた。
『――我が足と羽に祝福を……スピード』
あ。翼を隠してるからすっかり忘れてたが、そういえばティタニアなんだっけ。
「リリー、無茶はするなよ」
『大丈夫よ、様子見で帰るから』
言って、余裕にも鼻歌を歌い始めるリリー。
本気で様子見だけらしい。
『いたいた。……おー、大きいねぇ』
竜が見える位置まで到着したのだろう。嬉しそう……というより観光気分のようだ。
「……リリー、大丈夫そうか?」
『あーうん、今のところ動く気配はなさそうだよ』
ってことは、戦ってた連中は全滅したんだろうか。それとも俺達と同じでウィスパー部屋へ避難しているんだろうか。
と、思った瞬間。
『プレイヤー諸君』
頭に響く、ゲームマスターの声。
今回はどうやら、緋文ではないらしい。
『ゲームシステムを活用するのは良いことだとは思うが、それではいささかつまらない、と我々は考える』
うわ、嫌な予感。
的中しないことを願うばかりだが、その言葉から察するに、俺の予感は的中するんだろうな……。
『今から10秒後、全てのウィスパー部屋を開放する。折角のイベントだ、是非全員参加でお願いしたいと思う』
「やっぱりか……」
10、9、とカウントダウンを始めるゲームマスターに、俺とカルラは顔を見合わせた。
「……仕方ない、リリー、南門付近で落ち合おう!」
『うん、了解』
そして、カルラの方を見る。
「……悪い」
「大丈夫、……多分」
言って、カルラは微笑んで見せた。
その瞬間、無情にもゲームマスターのカウントダウンが0を告げた。
『さぁ、楽しい破滅の始まりだ』
ゲームオーバーさせる気満々かよ!
と突っ込みを入れる間もなく、パキンと音を立て、ウィスパー部屋が破られた。
問答無用のデスゲームか。
……俺、南門で助かっ……
どん、と地面を揺すぶる衝撃。
思わず見渡すと、俺を含めた十数人が、モンスターに囲まれていた。
「うわ、マジかよ!」
思わず絶句し、そして気付く。
そういや、ここって低レベルの避難所じゃなかったっけ。
と思う間もなく襲い来る獣の牙。
思わず避けると、牙は俺の右耳をかすり、そのまま肩にぶち当たり、俺は床を転がった。
ぐるるる、と獣が姿勢を低くする。
姿はホワイトファングに似ていた。
しかし違う。
牙がかすった瞬間感じた冷気。属性は間違いなく氷だろう。
なら、火が効くか?……どうせこのままじゃやられる。ダメ元だ。
「『我願う、赤き気高き紅蓮よ、その姿をここへ示せ、ファイアー!』」
レイピアに宿る炎で周囲を威嚇し、時間を稼ぐ。
せめてリリーが来てさえくれれば、何とかなるかもしれない。
……もつかなぁ。無理だろうなぁと弱気な所が本音だ。
しきりにがう、がうと吼えていた一匹が、さらに姿勢を低くした。
――来る!
瞬間、俺は咄嗟に右に避けた。
その判断が間違ってはいなかったことを悟ったのは数瞬後。
まさに俺の頭があったあたりを、獣の牙がガキン、と音を立てる。
一気に血の気が引いた。
レイピアを持つ手を突き出すことすらできず、俺はそのまま後ろに飛びのいた。
その瞬間、一斉に逃げ出すプレイヤーたち。
数匹がその後を追うが、俺の周りは依然として囲まれている。
「何でこっちに残るんだよ、くっそ」
悪態をつきながら、震える手でレイピアを構える。
左手には杖があるはずだ。魔法でスピードを上げたいが、呪文書なんて読ませるヒマは与えてくれないだろう。
しかしこれがゲームか?と思えるくらいリアルな恐怖だ。
ゲームマスターが悪魔にしか思えなくなってきた。
と、獣が一瞬身を低くする。
慌てて少し左へ身を屈めると、ガキン、と牙がぶつかり合う音が右上で聞こえた。
その瞬間、俺は慌てて後ろへ転がった。
他の牙が一斉に飛び掛ってくるのが見えたからだ。
「うぉぅおっかねぇ!」
思わず声を出しつつも何とかかわすと、時間差で一匹が飛びかかって来た。
慌ててレイピアを突き出すと、なんと獣はそれを足がかりに上へと跳躍する。
うへぇ卑怯だろこんなのありかよ!
「『我願う猛る獰猛なる覇者よ内なる力を我が前に示せフレイム!』」
瞬間、横薙ぎの炎が獣を襲う。
ぎゃん、と悲鳴を上げ、一匹が俺から距離を取った。
炎の放たれた方を見ると、そこには杖を振りかざすカルラの姿。
「……伏せて。『我願う猛る獰猛なる覇者よ内なる力を我が前に示せフレイム!』」
言われるまでもなく思わず伏せる俺の真上を、炎が薙ぎ払う。
「……大丈夫?」
カルラの声に恐る恐る顔を上げると、獣たちは倒れ伏していた。
「な、何とか……」
ほっと胸を撫で下ろす。
どうやら最優先で助けに来てくれたようだ。
「助かったよカルラ」
「……そうでもない」
え、と声を上げる直前、カルラの腕が俺のローブを引っ掴む。
ずがァんッ!!
そこに黒い塊が落ちて来た。
「――ッ!?」
いや違う。
これは塊じゃない。
再びローブがカルラに引っ張られる、と言うより引きずられる。
その瞬間、俺の今いた辺りの空気をを黒い爪が切り裂いた。
「……ごめん、……振り切れなかった」
黒の恐怖、【ダーク・ブラック】。
その姿に俺は、冗談抜きで死を覚悟した。