「それで、この後はどうするんですか? ハインツ君。ベイやクリストフとは随分仲悪いみたいですし、ルサルカと仲良さそうでも辛いものがあると思うんですけど」
ガタガタと時に激しく揺れるトラックの荷台、金髪の戦乙女は生意気にもハインツ君などと呼びながら小首を傾げた。
そもそも、俺は君の上司より十も歳上なんだぞ、分かってるのか?
「……えっ?」
……えっ?
「なんで『……えっ?』だよ、知らなかったのかよ」
「だってほら、私と同い年くらいに見えますし」
「どれだけ童顔だよ俺、ラインハルトと一つしか変わんねえのに、お前はまだ二十一歳じゃねえか」
確かにエイヴィヒカイトを得て全盛期の体を取り戻せる様な賦活によって、まぁざっと二十後半の頃の肉体を取り戻す程度には若返っているがこんなものは気休めだ。と言うか十代で止まっている人間に比べられるものでは到底無い。
日本人は童顔に見えるらしいが関係有るだろうか、この身もどうやら三代遡ってもアーリア人らしいので血は混じって居ない筈なのだが。
「あー、ま、いっか。ハインツ君はハインツ君ですし」
つつと幌の天井に向かって視線を泳がせながら結局ベアトリスは自分一人で納得してしまった、名前の呼び方は保留、と言うよりどうやら確定らしい。年長者に向かって何たる不敬な態度、許せん。
「お前今度ヴィッテンブルグ少佐に会ったらエレオノーレお姉ちゃん略してエッちゃん強制な」
前にこう呼んだ時はいたくお気に召されたのか随分と大袈裟で熱烈な御礼を受け取り切れないほど下さった。
ちょっと熱烈過ぎて全身が黒焦げになる程度のほんの軽いかすり傷を負ってしまったが、人間辞めてたからどうって事は無かったのが幸い。
女医さん(ルサルカ)の機嫌次第では危なかったかも知れないが。
「嫌ですよそんな新手の集団自決、あの人の事だから絶対有無を言わさず十字砲火ですよ!!」
一息に顔を青褪めさせながら大焦りで詰め寄るベアトリス。中々器用な表情だ、多感な時期をユーゲントやら戦場やらで過ごした彼女がどうしてこんなに表情豊かに真っ直ぐ(?)育ったのかは大いに謎だが、人格破綻者溢れる黒円卓では実に稀有な存在であろう。
「大丈夫、まだ一回も殺されてない」
殺す気でヤられたら瞬く間に消し炭だろうから殺す気は無い筈なのだ、だから運が良ければ生き延びる。
生きてたらどうって事無い。
「良かったですね!! ここでそんな報告が出来て!!」
ぷるぷるとチワワ見たいに震えながら『わんわんお、わんわんお』などと言って猛然と吠える小器用なベアトリスを、まるで彼女の兄に成った様な心持ちで暖かく見守っていると、ようやく落ち着いたのかふう、と深呼吸一つして尋ねて来た。
「それで、本題が聞けてません」
「ん? ああ、これからどうするかって話か。実は不殺のつもりだから戦場に立ってもあまり意味無いんだよな、だからしばらくは前の仕事の続きをするつもりだ。休みも半年そこいらならちょっとした長期休暇ってなもんだろう?」
取り合えず嘘偽り無い話をする。
殺しをせずに強くなるのは少々難しいが、強くならないで済まされる訳では無いので、訓練的な意味で己を強く出来るのならば遅かれ早かれ連中と合流すべきだろうかと言う迷いはあるのだが、その一方で当面一人で考え事をしたいと言う気持ちもあっての事。人外らしくしても良い、人間らしくしても良いとなるととりあえず人間らしくしようと思う。
「まぁそれは良いですけど貴方、首領を殺すつもりなんですよね? 良いんですか、そんな調子で」
ああ、そこを勘違いしていたのかこの直情馬鹿娘は。
「首領は首領でもメルクリウスをな、ラインハルトはどうだって良い」
馬鹿娘に反応して少し膨れっ面、メルクリウスに反応して納得顏、どうだって良いに反応して呆れ顏になった。
「貴方ほんとうに、何と言うか、捻くれてますね。素直じゃないと言うか天邪鬼と言うか面倒臭いと言うか」
大きめの溜息を吐きながら首を横に振るベアトリスはまるで本当は言いたい事はこんなもんじゃ無いけど今日はこの辺にしといてやる、とばかりにじっと睨み付けて来た。何故か彼女には睨まれてばかり居る気がする、不思議だ。
「ツツツ、ツンデレとちゃうわ」
棒読み。
「ツンデレ? 聞き慣れない言葉ですけど、なんだかこう、内より噴き上がって来るものがありますね。これが--殺意?」
小さな諧謔がとんでも無いものを目覚めさせてしまったらしい。やはりこいつはツンデレだったんだろうか、怖い、表情が全く変わってないのが更に怖い。最近こんな女にしか会ってない、女運悪いのだろうか。
「始めツンツン後デレデレだとか、派生系として人前ではツンとして二人だけならデレるとか心中はデレデレなんだが気恥ずかしくて本人の前ではツンとしてしまうとか、専門家じゃ無いから分からんがそう言った複雑な女性心理を言語化したものらしい」
怖いので適当に教えておく。何気に第二の革命を起こしてしまった気がするが良いんだろうか、良いよな。大した事じゃ無いし。
「それでハインツ君はツンデレなんですか? 確かにそう言った所もありますね、面倒臭いですし」
ようやく表情が切り替わったベアトリスが何か半目のイヤラしい視線で見て来る、コロコロと変わる表情はもしかしたら第二の人生以降最も豊かな人物の一人かも知れない、ルサルカはなんか違うと思うし。
とかく、この嫌味ったらしいと言うよりイヤラしい目付きとしばしば繰り返される面倒臭いと言う謗りが良い加減気になって来た。
どう言うつもりだ、とか以前にどう言う意味なのかが分からない。
「そろそろ気になって来たんだが、俺の何が面倒臭いんだよ」
「ふふふ、だってハインツ君、私に色目使ってません?」
だからベアトリスのこのセリフには心底驚いた。目はイヤラしいまま、新たに浮かべた微笑みもイヤラしい。
唯一の救いは顔が僅かに紅潮している事か、今のこの女に可愛気と言うものがあったと言う事を証明出来る唯一の物だろう。
「な!? ば!! い、色目なんか使ってねえ。と言うか処女に言われたかねえ!!」
おかしい、狼狽えるな俺。
使ってないもんは使ってないんだから仕方無いだろう、無意識の内にとか言われたら否定できないが、否定出来ないが昔の事なんだし今更どうこうなんて無い筈、無い、うん無い。
「昔? 会った覚え無いんですけど昔からわたしの事を? ちょっと感激だなあ、ハインツ君にもそう言う甘酸っぱい所あったんですね」
甘酸っぱい所って何だ。
なんでこの娘に二回りは年の違う男を言葉で嬲れる様なメンタリティが備わっているんだろう。
お貴族様の娘がユーゲントからAHS首席と来ると華々しい道程だがその調子だと愛だの恋だのなんざ無かった筈、それなのにこの擦れ方はやっぱり黎明から今までに何やらあったのだろうか。
「なんだか少女に幻想持ってるオジサンになってきましたね、本当に面倒臭い。そんなに気になるんなら自分で確かめてやろうとかそんな風には考えないんですか?」
少女に幻想とかオジサンとか面倒臭いとか、辛辣な事を言われて結構ショックだったんだろうか。意外に繊細だったらしい心が悲鳴を上げている為か、幻聴にも似た勘違いを誘うようなセリフが聞こえて来た。
と言うか国外逃亡中のオンボロトラックの荷台で誘われてもその、なんだ?
困る。
「これこれベアトリス君、そう言う事は時と場所を選んで言うんだよ」
確かに少女に、と言うよりベアトリス・キルヒアイゼンに幻想を抱いていたかも知れない。前世の事もあるし、ライヒハートに出会ってよりそれと無く団員メンバーは黎明以前に確認していた。
確かめるとかそう言う目的もある、仕事と実益を兼ねた活動だったが、まだ幼い少女の面影を残した彼女はもっとこうビリビリと輝ける乙女だったから、そう言ったファーストインプレッションも有ってベアトリス・キルヒアイゼンはこう言う娘だ、と言う固定観念に囚われて居たかも知れない。
ん、今何か可笑しな表現があったか。
それはそれとして確かになんらかの幻想を抱いていた様だが、こんな小娘になんでこんなこっ酷いからかわれ方せねばならんのだ、と言う魂の叫びは誰にも邪魔させない。
なんでこいつにこんなからかわれているのだ、畜生。
無意味なモノローグを垂れ流している俺を尻目にベアトリスは頬の紅潮も失わないまま、俺を見ている。
流れる様な、しかしちょっと癖の付いた金の髪、透き通る様な碧い瞳は霹靂を齎す青天のつもりか。ああ、かつてはこんな美少女とペアルックだったんだぜ俺、と誰に話すでも無く無意味な自慢と我が下から離れた青い、今は赤茶けた瞳を嘆く。
「いえいえ、お気になさらず。私も思う所が有りますし、ハインツ君みたいなマトモっぽくて格好良い男の方なら良いかな、なんて」
そう言って艶っぽい笑みを浮かべた少女に俺は……。
「お前とは絶対行かねー、五十年経ったら忘れてやる。それまでは行かねーかんな!!」
拗ねる。
「そんな子どもみたいに、ちょっとからかっただけじゃ無いですか」
ベアトリスはそう言いながらまるで呆れたみたいな、なんとも言えない苦笑を浮かべている。馬鹿にしてるんだろうか。
「知らねーし、行かねーし、覚えてろよ」
国境をようやく越えて、ベアトリスもここで足を変えるためか、ここまで運んでくれたトラックは何処かへ走り去って行った。
よく知らないがベアトリスの知り合いらしい、退役軍人とかオデッサとかその辺だろうか。既に時間は正午を越えて、太陽はきらきらと輝いている。
そんな中で喧嘩別れにもなっていない様な下らない有りがちな風景。
でもこれが今生の別れには成らないと誓ってみせるから、
「では、また会いましょうね、ハインツ君」
青天の中で再会を約束するだけ、湿っぼくもならない。このからっと乾いた空気の様にドライに。
ああ、雷でも落ちれば笑ってやるのに、と。
「必ず、また会うさ。お前はヴァルキュリアで、俺はジークフリートなんだから」
別れ際の彼女の笑顔は陽に映えてとても場に相応しい良い笑顔だった。
「ところで、いつからなんですか?」
去り際ににこにこと直前までの、こう、美しい別れの風景を演出した美しい笑顔を崩さぬまま尋ねて来た。怖い。
「……ああん?」
「いつから私の事好きだったんですか?」
半身のまま、首だけで振り向いて彼女を見ると例のにやにや笑いが浮かんでいる様に見える。その頬はまた紅が差して居るのだろうか、少しだけそうだったら良いと思う。
「……前世からだよボケ」
だからか思わず本当の事を言ってしまった。
本当の事がクサイってかなりイタく無いだろうか、堪らなく気恥ずかしい。彼女の赤に染まりつつある顔が眩しくて見れない。
「な、な、なっ、なんてクサイセリフ真顔で言ってるんですかっ!! あ、ちょっと聞いてるんですか? それ言ったもん勝ちで逃げるセリフじゃ無いですよ、待てーっ!!」
しばらく弄られっぱなしだったので、ちょっとした意趣返しのつもりだったが随分胸がスカっとした。
ざまぁみろ。
でもこれ真顔で返されたら自殺モノだったな。