夜遅くに何かをする、と言うのはこの御時世あまり多くない。暗い中だと歩いてるだけで特高警察宜しくお国の為に熱心なSS隊員に質問責めにされた挙句、場合によっては謂われの無い罪を着せられて鉄格子と石造りの冷たい部屋にプチ引越しさせられたり、運が最高に良ければ天国行きのチケットまでくれるのだ。
これがエーレンブルグやシュライバー少佐ならば、何故か翌日殉職者の名簿に名前が増えるだけだろうが生憎、今の所転居の予定も無い博愛主義者の俺としては矢張り夜中に歩かないに越した事は無い、と言う事になる。
だからその日、俺が月見散歩と洒落込んで居たのは偶然、ルサルカに付き合わされて居たからに過ぎない。
しかもあいつは一人で帰った。
「よお、ジークフリート、お前も晩飯漁りに来てんのか?」
だからこうして出来れば死ぬまで会話したく無いエーレンブルグと鉢合わせに成ったのは俺の不運だろう。不運の筈、ルサルカの嫌がらせとかでは無い。
エーレンブルグは態々確認するまでも無い程に分かり易い娼婦を片手に抱き、もう片手には安酒を持って意外にも上機嫌そうだった。
運が良い事に世渡り上手の頭の良い女だったか、この吸血鬼に買われる事が何よりの不運なのだが。
「あー、エーレンブルグ中尉殿。私はこれより明日の訓練の為に十分な休養を取るべく、帰還の最中で有りまして……」
嫌な予感がしたので慌てて逃げようとするが時既に遅し、
「まぁまぁまぁ待てよ、食って飲んで遊ぶのも休養の内じゃねえか、なぁ?」
捕まってしまった。
話し掛けられた女はそうね、等と言いながら笑っている。お前何時もそうね、って言って笑ってるんじゃねえか?
結局、断り切れず半ば拉致の様に連れ去られてしまった。
酒場、とは言っても時期が時期だ。当然、呑んだからと言ってどんちゃん騒ぎを起こす訳にも行かず、陰鬱に粛々と酒と別れる事の出来ない惨めな連中がクダを巻いているのが殆ど。問題を起こしているものなど一人も居ない、と言うか居た所ですぐ様駆け付けた憂国の志士が連れて行ってしまうだろう。
故にこそ、仄明るい僅かな証明だけが点けられた場末の酒場に華やかさ等は縁遠い、筈だが、そんな中でこのテーブルだけは異彩を放っていた。
肌も白、髪も白、赤い目だけが強い印象を与えるアルビノのエーレンブルグは一方で吸血鬼に喩えられる程の美男子でもある。
何故か道中、彼が引っ掛けて増えたもう一人も含めて、今この席に座っている女達も同様に簡単には見られない程度には美人だ。
良い男の下にこそ良い女は集まるのだろうか、先天的、イケメン的格差をまざまざと見せられた気分だ。
「どうした、ジークフリート。もっと呑めや、奢りだっつってんだからよぉ」
エーレンブルグは何故か益々上機嫌に成って行く。こう言う奴が意味も無く上機嫌なのは良く有りそうなものなので差程気にする事も無いんだろうが、何とも嫌な予感がして堪らない。
「あー、って言うか美味いか? 酒」
はっきり言ってちっとも美味く無い、結構嫌いじゃ無かったので呑んでも美味く感じられないのは少々悲しいのだが、エーレンブルグは美味いのだろうか。もし美味いのなら是非秘訣を知りたい。
「なにつまんねえ事言ってんだ、こう言うのは雰囲気で呑むんだよ、雰囲気ィ。超人化で美味く感じられねえだのなんだの小理屈使ってるから不味いんだよ、分かるか?」
雰囲気ィ。の所で傍らの女性を抱き寄せて大仰な口調で言い放つエーレンブルグの秘訣は何とも脳味噌に筋肉が詰まったようなセリフだった。
むしろ雰囲気で呑むとかそんな繊細な観念で何時も呑んでいたのか、彼は胃袋に入りさえすればそれで良いんじゃないかと思っていた。
「さすがは中尉殿。言ってる事は良く分からないけど兎に角凄い気合で何とかしろと、あー、あー、そぉいっ!!」
掛け声とともに気合いを入れるとビクッと隣の女性が跳ねたのを肩で感じる、と言うか近いよ、ちょっと離れて欲しい。
突然の奇行に流石のエーレンブルグも目を丸くして驚いている様で心中に若干の満足感が溢れるのを感じた。
ここで縮こまって遠慮すると何をしたのか意味が分からなくなって仕舞うので手近にあったワインボトルをラッパ呑みしつつ、うん、美味いと一言漏らした。
美味い、久しぶりと言う程でも無いがこうしてアルコールが全身に行き渡る感覚がまた味わえたとなると感無量だ。体の火照りも気持ち良い。
「くっ、ぎゃはははははっ!! おう、てめえ分かってんじゃねーかジークフリート。やっぱよぉ、酒は盛り上がりながら呑まねえと美味くねえ。その点、てめえは合格だ……と、言いてえ所だが、おい今てめえ何やった」
突然弾ける様に笑い始めたエーレンブルグだがしかし、再び突然真面目な顔をして尋ねて来た。真面目な顔でも片腕を女性の肩に掛けたままでは締まらないだろうに、こいつはそう言う所結構無頓着だ。
「いや、気合いで呑める様に。無酸素で大丈夫とかよく分からん事出来るんなら敢えて無酸素でダメな様にも出来る的な? いや、兎に角気合いで酔える様に気合いで呑んで気合いで酔ったと言うかあれ気合いじゃ無くて雰囲気だっけ?」
懇切丁寧に今やった事を説明するとエーレンブルグは何とも複雑な表情をしていた。何と言うか呆れ返った様な見たく無い物を見てしまった、と言うか。
がっかりだ、御高説痛み入って自己犠牲精神の下に新たな試練に挑戦し打ち勝ったと言うのに当の彼自身がこの調子では感動し損では無いか。
だから脳味噌筋肉だと言うのだ、血肉を入れ換える前に脳味噌入れ換えるべきだ。
ぐるぐるぐるぐる、と愉快に痛快に回る廻る世界を見て気持ち良くなりながら笑っていると
「こりゃダメだわ、完全に酔ってやがる」
と言う言葉が聞こえて来た。
「酔ってない、失礼な。こんなにも素面なのに酔ってる訳が無いじゃ無いか、ところでエーレンブルグ、なんで増えてるの? あれか? 株分け? 暗黒樹だけに、無節操にバラ撒いてるし増えてもおかしくないか」
増殖しているエーレンブルグとえへえへあはあはと笑っていると、隣で妙に近い女の息遣いとエーレンブルグの溜息が同時に鳴るのが分かった。
酔っていても音は判別出来るのか。
帰り道、と言ってもこいつが何処に帰るのか知らないが帰り道。既に空は白んで、エーレンブルグが引っ掛けた女性は何時の間にか何処かに消えて居た中、何故か二人で帰り道の短い間に酔い覚ましの散歩と洒落込んでいた。
「で、てめえ何やったんだよ。気合いとかつまらねえのは無しだ、気合いで酔えりゃ苦労は無え」
今更になって聞き直して来たエーレンブルグはいつもの躾の行き届いていないガラの悪い笑みの中に少しの真面目さを含んでいた。雰囲気で呑むとか地味に格好良い事言って置いてやっぱりアルコールのあの味わいが恋しいんだろうか。気持ちは分からないでも無い、と言うかあの味恋しさに大自爆してしまった以上何も言えない。
「いや、要するに超人だって言うからには内分泌とかも実は掌握出来るんじゃ無いかと言う発想だけなんだがな。無酸素活動も要するにそう言う所スピリチュアルな何かで誤魔化すだろ? じゃあ酒に酔わないってのも何か誤魔化せるんじゃねえかな、とか」
要するに気合いだった。雰囲気で理解すれば何とか成る。
あまりにも気合いを入れ過ぎてアルコール分を全て素通りさせてしまったのが唯一の敗因だ。ジークフリートと成ってからは凄まじいザルだったので全く無頓着であった。
「てめえ、そんな小理屈捏ね回した位でそれを押し通す奴がどんだけいると思ってんだ」
だからエーレンブルグにそんな事を聞かれても「頭の固そうなキルヒアイゼンなんかならまだしもあんたなら出来るだろ、多分」と言ってやるしか出来ない。と言うか本当に小理屈だから誰が出来るとか誰なら出来ないとかも分からない。
「上等だ、覚えてろガキが。今度呑み比べに付き合ってやるからよォ、負けたらお前が奢れよ、おい!!」
付き合うのは俺の方なんじゃないか、とか両者絶対に潰れない呑み比べに何の意味が有るんだ、とかは聞かない約束なんだろうか。取り敢えず負けても良い様に店を一つ潰す位のつもりで居よう。
「よお、ところで」
これまでに無く真面目な顔をして俺を見た。
空はいよいよ白み黎明もそろそろ終わり、間も無く東の空に暁が輝くだろう。
陽に背を向ける吸血鬼であると自認するこいつはもうすぐ何処かへ消えるんだろう。だから多分これが今日最後の会話となる。
「てめえ、メルクリウスと話す時あの人の椅子に座ったってのは本当かよ?」
ああ、それが聞きたかったのか。ようやく今日誘われた理由が分かった、あまりにも都合良く俺が酔った為に今聞くしか無くなった、と言った所か。
確かに、こいつに取って自らの主君に何の恐怖も感じていない俺は容認し難いかも知れない。俺にとっては恐怖を感じる理由こそが無いのだが、こいつや他の者に取っては違うだろう。
だからこそ俺を黒円卓として、仲間として認められないと言う人間は多いだろう。
そもそも剣(エイヴィヒカイト)を受けていても叙勲(番号付)はされていない半端者なので受け容れられ無いのは一向に構わ無いんだが。
「まぁ、一番近かったからね」
と、ここまで分かっていても俺の返答としてはこんなものが関の山だろう。大体、正直に答えても怒りを誘いそうだし、だからと言って嘘を付く理由も無い。
「なんでそんな事知ってるんだ? もしかしてメルクリウスが顔真っ赤にしてルーン書き直してたか?」
これは後に聞いた話だが、あのルーンはメルクリウスが直々に書いた物なのかも知れないと言う噂を聞いた、特に根拠は無いのだが。
確かにオリジナルの、と言うか史実上の聖槍十三騎士団が椅子の背に各々のルーンを書く覚えは無いかも知れない。
メルクリウス小物説は常にまことしやかに語り継がれる都市伝説の様なものだと思っているのだが、その真偽や如何に。
「ああ、それは良いんだがよォ。……いや、良いわ。月の無い夜も月の有る夜にも気を付けるんだなジークフリート」
何か言いた気に、しかし妙な警告だけ残してエーレンブルグは朝露に消えた。
少し後、酒を買っていると酒を呑む前に「そぉい」と気合いを入れる妙な客の噂を聞いた。
世の中には変な人もいるもんですね、とだけ言っておいた。