「察するに、貴方も私と同じではありませんか? ジークフリート君。自分が気にいらない、自分を変えたい、自分では無い誰かになりたい」
水銀の王をして邪な聖者と言わせしめる自己欺瞞の塊が毒を吐いた。
穢らわしい、こいつと話していると自分までが毒に塗れて邪に堕ちて行く様な気分になる。
「おや、失礼。ですがね、私は感動すら覚えているのですよ、他ならぬ貴方が私と同じ望みを持っておられる。はじめて私は互いを理解し合える友を得た、そう思ってさえ居るのです」
何度も言うようだが、俺はお前と友人なんざごめんだ。傷の舐め合いがしたいんなら余所当たってくれ。
お前なんかと同じ望みだとか言われたく無い、お前なんかと理解し合いたく無い。
「辛辣ですね、そんなにも私は貴方に取って受け入れ難い存在でしょうか。私は逆に、貴方を受け入れたいとそう思っているのに」
気色悪い、そんなセリフはブレンナーかキルヒアイゼン辺りから聞きたいね。お前が言ってもトイレの心配が一つ増えるだけだ。
ヴァレリアン・トリファとの会話は何時だって終始してそんな具合いに俺が一方的に罵り続けると言った物であった。もっとも暖簾に腕押し、糠に釘、口汚く罵る俺に対して神父は何がおかしいのか微笑んでいるつもりなのか薄ら笑いを続けて、堪える様子も無い。
傍から見れば俺が一方的に苛々として当り散らしているだけの、顔の似ても似つかぬ仲の悪い兄弟の様な光景なのだろうか。
気持ち悪い。
まだ黄金聖餐杯では無い、ヴァレリアン・トリファは俺と言う幕下が黒円卓の面々に知れ渡って後、メルクリウスを除外すればアンナ・マリーアさえ差し置いて最初に話し掛けて来た人間だ。
「初めましてウルリヒト卿。ヴァレリアン・トリファと申します、よろしく」
冴えない男の顔に既製品の微笑を貼りつけて、そんな教科書にもそのまま載せられそうな簡潔な自己紹介は、俺が一人になったタイミングを見計らって成されたらしい。
右手が差し出されており、握手を要求されているのだ、とは分かった。
「卿、じゃ無い、列席されてないんだから。俺の事はジークフリートとでも呼べば良い、トリファ神父殿」
そもそも、ウルリヒト卿と言う呼び方そのものが俺に取って痛烈な皮肉なのだ。正統な黒円卓として序列されたかったと言う訳では無いが、そもそもに序列など叶わなかったであろう俺に向かって騎士に序列されたものの様にウルリヒト卿と呼ぶ。これが皮肉で無くて何なのだと言うのだ。
そのためか、どうしてもその手を取る気は湧かなかった。
それ以降、トリファは何時だって俺に対して表面上好意的に、しかもどちらかと言えばむしろ積極的に接して来る。これがどこにも取り繕った様な気配を感じられないのが異常であった。
やはり此奴は信用出来ない、俺は認識を新たにして何時かの既知の様に、毎日別人として話す様な心算で居る事にしていた。
そんなある日の事だ。
例によって活動の訓練と、それに伴う猛烈な食欲、それらに苦しんでいると突然奴がやって来た。
「弱っている所を狙って来たか、相変わらず、ご苦労な事だ」
すぐさまある程度の余裕は取り繕ったが、部屋の家具、扉、窓、一切の例外無くカタカタカタカタと聞こえない音で音を立てずに震えている。異様な光景は否応も無く暴走寸前である事を予期させ、いま、神父が妙な真似をした途端に全ての音が彼を八つ裂きにすべく飛び交う事だろう。
「心外ですねぇ、私は貴方を心より案じて馳せ参じたと言うのに。大体、今の貴方であれば弱っている方が危険でしょう」
その言には一理ある。聖遺物を扱い切れず持て余している状態である今の俺は弱っている状態の方が暴走の危険が高い。大抵は発狂して終わりだろうが悪ければ後先考えない自爆の様な力の散布が始まるだろう。そう言う意味では弱っている方が危険だ、危険だが弱っている方が組し易い話し易いと考えているであろう人間が、聞かれてもいないのに身の安全の心配の話を始める事そのものが胡散臭いのだ。
「いや、参りましたね。貴方はどうやらよほど私の事がお嫌いらしい」
他人の心を読める人間の事が好きになれる人間なんて稀だろうに、それを分かっていてわざとらしくもそう言う神父を俺は軽く睨み付ける。
「お前、いきなり往来で男に丸裸にされて嬉しいか?」
もし仮に心が読まれても平気な者が居るとすれば、それは公に開帳しても構わない程度には美しい無垢な子どものそれだけだろう、大人の心はそこいらの肥溜めより余程汚い。だからこそ恐らく多くの人間は、心が読み取られるのを忌避する、他人に自分の汚物ブチまけられて、感激です、お友達になって下さい、なんて気色悪い変態が居たら吹き飛ばしてやりたくなる。
「ああ、そこを勘違いして居られたのか。ご心配無く、私に貴方は読めない、貴方は特別だ。草木がラジオの様に、人間が本の様に感じられると良く私の例えに用いられるが、その例えに貴方を当て嵌めれば貴方は殆どの文字が重なって見える。時間を掛ければ或いは読めるかも知れないが、すぐには無理だ」
重なる、ね。要するにダブってるんだろう、「あ」の上から「ん」を重ねて仕舞えば相当に読み難い。一語、二語ならまだしも本の内容の殆どがその調子であれば何が書かれているのか良く分からなくなるだろう。
しかし、ならば
「同じ文字が重なっていれば楽に読める訳か、俺の場合は例えば、渇望か」
そう言うと見るからに驚いた、と言った顔を巧妙に作り上げ微笑んだ。こいつに掛かると全てが嘘臭く見える、と言うのはもはや芸術の域にあるかも知れない。
嘘臭い、こいつの事はよく分からない、どこまで行っても他人、毎日別人、そう言った認識を回答として持っているにも関わらず、事実初対面である俺だからこそ問題無く対応出来る。
が、他の人間、特に自分が狂っている事にも気付いていない様な筋金入りの狂人ならば成す術も無く致命的な所まで踏み込まれるだろう。
「そう、何故か貴方の渇望だけは良く見える。もう一つ見えるものもあるが……」
「メルクリウスを殺したい、か? 大した事じゃ無いだろう、黒円卓の人間には良くある」
ここは機先を制す、何を言うかは予測出来ていたのだからどうと言う事は無い。読めない、と言う言葉を丸呑みにする事は出来ないが、それが本当だと仮定するならば此奴に対応するのは随分楽になるだろう。
「ところでトリファ神父、あんたとは--前にもこうして話した事が無かったかな」
意図的に心を手放す、汝の欲する所をなせ、とは誰の言葉だったか。
「はぁ? ははは、まるで双首領閣下の様な事を仰る。お二方には既に申し上げましたが、私に貴方方の既知は理解出来ませんねぇ」
少々見え透いたカマを掛けて確かめたがその返答は惚けている訳では無さそうで、メルクリウスが重要な情報に鍵を掛けたので無ければ恐らくは本当に読めていないのだろう。
他の所ならいざ知らず、事の真相を読み取られた場合は最悪、ここで始末すべきだったかも知れない。ひとまず安心する。
「ああ、いや、大した事じゃ無い。極論、あんたは知っていても知らなくても構わないからな」
ただ、少々目障りになるかも知れないだけ。
「はぁ、まぁ良いでしょう。ところでそろそろ、お聞かせ願っても宜しいでしょうか」
ここからが本題だとばかりに狂信の神父が目を細めた。そんな真面目な表情一つ取ってもなお嘘臭い。だが、続く言葉はそんな既知と懐疑の噓臭さを不思議と感じさせなかった。
「貴方が私を嫌うのは、同属嫌悪でしょうか、同じ願いを抱くからこそ相容れ無い。違いますか?」
真面目な表情のまま、汚れた神父は人様の夢を同属嫌悪だの同じ願いだのと自らの穢れで汚した。
「……お得意のマインドリーディングで読み取れば良いじゃないか。懺悔要らずの便利な神父様?」
別に怒っちゃ居ない。そんなに綺麗な夢でも無い、此奴の気持ちも分からないじゃない、だから怒る程の説得力を俺は持ち合わせて居ないだろう。しかし、それで喜べるかと言えば当然話は別、皮肉の一つ二つも許されてしかるべきでは無いだろうか。
「前にも申し上げたと思いますが、読めませんよ、貴方の心は読めません。いや、恐ろしくて読みたくも無い、見開き一頁目から神を殺すと著者の狂的な怨念で埋め尽くされて居る様な本など読めますか? 自分が毒されてはかなわない。読むのが骨であればそんな本、読む気も湧きませんよ」
そう言って心無しか体を震わせた、終始漂っていた噓臭さは消え失せて以来帰って来て居ない。
「故に私の憶測はちらと見れば解る貴方の歪み果てた渇望と、首領閣下に向けられたコンプレックスのみに基づいております。しかし、その僅かな情報から、そして私自身の願望混じりの主観からですが、察するに……
……察するに、貴方も私と同じではありませんか? ジークフリート君。自分が気にいらない、自分を変えたい、自分では無い誰かになりたい」
要するに此奴と友人などこっちから願い下げだ、と言う事だ。