ゴーストタウン、とは良く言ったもので、特に戦火の下にあるそう言った無人の廃墟は大抵少なくない数の死者が出ていて、それで住人が減った。
と言うパターンが殆んどだ。
そしてそう言う街であれば、何となく、あのスワスチカに似た異質な空気が漂っているものであり、目には見えないものの、何らかのの無念を残した魂がそこらを浮遊しているものだ、が。
「なにもない、か?」
砂塵に塗れて黄色く染まった瓦礫の街を見れば普通の人間は何も無いと断じるだろう。
何よりも、その街──街、と呼ぶのもおこがましいほどみすぼらしく、そして荒廃し過ぎているが──には、住人の生死を問わず、ほとんど人気が無いのだ。
これだけ閑散として居ると多くの集団での生活に慣れた真っ当な人間は、逆になにも無い事への違和感や畏れを感じるだろう。
他の黒円卓団員に唯一勝ると胸を張って言える人外の超聴覚では、多くは無いがしっかりと人の気配も感じ取れる。
感じ取れるのだが、そう言った人々は要するに真っ当な人間では無いから、ここに居られると言う事に違いない。
ここは盗賊や強盗団、脛に傷を持った連中が身を隠すにはもってこいで、いかにもご都合的で分かり易過ぎる格好の条件だ。
怪し過ぎる、と言うデメリットを除けば、この区画は人間を相手にする犯罪者が寝ぐらにするには現在理想的なロケーションと言えるかも知れない。
要するに、今この辺りには泥棒か人殺しかその両方か、そんなのしか居ない、と言う事で。
人が居ないからこんな連中が集まったんでは無く、たとえば大物の武装集団なんかが現れたので一人また一人と住民が逃げ出した。
と言ったところでは無いだろうか。
「あまり面白くない結論だが、エーレンブルグやルサルカが皆殺しにしたから、と言うオチよりはマシか」
ルサルカならまだしもエーレンブルグだったら、あわやあわやと言う間に今頃には殺し合いにまで発展していたかも知れない。
次があれば生き残る自信も、殺さない自信も流石に無い。
それを思えば幸いだった。
それにしても、もう少し何かある、と思っていたのだが……。
少なくとも大通りの道路を半分ほど歩いた限りでは絶望的に何も無い、半分歩いて無いなら、もう半分を歩いても無い、と言う事だと思われる。
あまり仲良く出来そうも無い現在の住人たちに妙な因縁を付けられても面倒だ、ここはもう諦めて、もう少し見て回ったら引き返すとしよう。
そう思って見通しの良い大通りの交差点、恐らく街の中心部に当たるであろうポイントを渡ろうとした瞬間に、
風切り音が聴こえて来た。
空気が悲鳴を上げる独特の音は幾度と無く我が身で刻んだ事もある、紛れも無い、音の壁を突き破った際に生じる衝撃波のもの。
本来、超音速で物体が飛来した場合、殆んどこの空気の悲鳴を聞き取る事は叶わない。
ただし、それは音の観測者が、常人と比して"可聴域"が飛び抜けている場合を除く。
およそ600メートル。
それは音と聴覚を司る聖遺物を抱くジークフリート・ハインツの"耳"であり、全ての音を掌握し得る"可聴域"。
つまり、その領域内。形成の能力の範囲内で発生した音は発生した瞬間にその正確な位置まで瞬時に把握出来ると言う事。
なのだが、そもそもに油断し切って弛緩していた意識下では何故そんな音が聴こえて来たのかすら、咄嗟には理解出来ず。
──銃弾、銃身の長い、例えばライフルにより放たれたもの。
「狙撃か!?」
音を聴いてここまで理解するのに、数刹那。
その僅かな空白の数刹那が被弾するまでに十二分な時間、約0.5秒を稼ぎ切った。
必死で首を捻るが、躱し切れず、大口径のライフル弾が側頭部を良い具合に掠める。
小さなハンマーで殴打されたような強い痛みを伴う衝撃が瞬く間に頭部に浸透した。
更に悪い事にどうやら当たりどころが大当たりだった様で脳震盪を誘発したらしい。未だ戦闘態勢に入り切らず白紙に近い意識が吹き飛び掛ける。
何が起こっているのか理解も出来ずに落ちるのは不味い、と言う本能的な危機感でも維持し切れないような不意を討つ衝撃から意識を繋ぎ止めたのは、皮肉にもそこに更に浴びせかけられた追撃だった。
ボシュ、と間の抜けた音と共に次から次に発射されるロケット弾の飛来する音が揺らぐ意識の狭間で聞こえる。
対戦車砲だろう、安価で量産が利く代わりに真っ直ぐに進むだけ、と性能は高くは無いがしかしそれでも人間に向かって打ち込む様な威力の兵器では無い。
それが多くは無いとは言え、数発。
大抵の生物は生焼けに焼けた上に、不細工な挽肉になっている筈だ。
少なくともマトモな人間を狙うならば、ここまでする必要は無い。
つまり最初から黒円卓の"魔人"を斃さんとした集中砲火。
これがエーレンブルグなら無傷で立っていただろう。あれはこの程度でダメージを受けるほど生半可な守りをしていない。
しかし俺には──少ない魂、薄い装甲に悩む俺には到底無傷でなど耐え切れる由も無い。
閃光に伴う熱、僅かに遅れて悲惨する衝撃波と重い金属の破片。
その全てがダメージに換算される様な、五体が八つ裂きに引き裂かれるかと思うほどの衝撃を全身に浴びて、その場から数メートル吹き飛ばされた。
全く同時だと思われる程に息の合った砲撃だったが、どうやら微妙にズレていたらしい。そんな詰まらない事を、どこか他人事の様に考える。
それほど余裕がある、と言うよりはどうしようもなく余裕が無いために、命の危険を機敏に察した脳髄が加速状態に入った、と言う事なのだろう。
ろくに受け身も取れず無様に砂と石の上を転げるが、辛うじて未だ五体満足であるらしい事は確認出来た。
──大丈夫、問題無い。ベアトリスの時は片腕が捥ぎ取られる所だったのだ、それに比べて何とこの痛みの軽い事か。
「……嘘だろ、まだ人間の形が残ってやがる」
自己診断と自己暗示の中、容易に復帰は出来ず今にも消し飛ばんとする意識の片隅でサイレン音と共にそんな声が聞こえた。
地面に俯せに叩き伏せられた、一瞬でボロボロになった体を、起こそうとするが予期せぬダメージに思うように動いてくれない。
それでも膝を付いたままではあるが、上体を起こす事には成功した。
見回すと瓦礫の隙間、崩れかけた建物の窓、扉、あちらこちらから、いかにも食い詰め者のまともな職ではまともな食事にありつけない様な荒々しい外見の男たちが姿を現し、そこに立っていた。
「……化物」
と言う声が異口同音に聞こえてくる。
随分と念入りな殺害方法を選択したものだと思っていたが、こちらの耐久力に関して知識が不足していたのだろうか。
敵が殺し合いの場に立っていて、未だ俺が化物であると認識したばかり、である事に違和感を覚える。
どうやら敵は最低でも5〜6人、人気のある音の発生源の数からして十数人は居る、加えて数百メートル以上離れた所に狙撃手が一人。
どうやら近付いて来たらしいが、それだけ離れた位置から狙撃を成功させるとは随分大した腕だ、もしかしたら軍隊上がりなのかも知れない。
狙撃直後にすぐさま潜伏場所を変えるセオリー通りの慎重な行動も、教導官でも居れば花丸を付けられるのだろうが。
隠れ場所を変えるなら、もう少し静かにしているべきだっただろう、軍靴が砂を踏みしめる音、ただそれだけであるが、その現在位置はほぼ確認出来た。
悪く思うなよ。
「……消し飛べ」
生身の人間を狙うならば精度は数メートル以内もあれば十分、狙撃手の位置を確認した瞬間にその場を爆撃した。
ドン、と腹に衝撃が伝わる。
たった一撃とは言え、千ポンド級の爆撃。
決して少なくない数の瓦礫や砂と共に埃に染められて黒ずんだ火柱が上がる。
巻き込まれた人間はひとたまりも無いだろう。
遅れて轟音が一帯に鳴り響くが、距離が離れているために、鼓膜を叩く音は爆発音と言うには弱過ぎて何処か彼岸の出来事の様ですらある。
これで狙撃手は落とした。恐らく他にはもう居ないだろう。
音を聞いてから対応するのが少々困難なライフル弾は、しかし俺の薄い守りでは無視するには危険だ。
有無を言わさず抹殺では、あんまりだとは思うがこれから尋問も含めた戦闘の中で捨て置けるほど俺は強い訳でも無い。
「……お前たち、傭兵だな」
当面のの安全を確保してふらつく足でゆっくりと立ち上がると、有無も言わさず齎された仲間の死に愕然として呆けている男たちに声を掛けた。
こいつらには何が起こったか殆んど理解出来ていないだろう。
だが俺が何かをした、と言う一点だけならば本能的な危機感を持った生き物には必ず理解出来るはず。
先制攻撃を意識して緊張していた時ならばいざ知らず、魔法じみた大火力の攻撃を見てなおそれを意識しないで居られる様な動物などほぼ居ない。
「俺と言う個人を狙い撃ちにした上で、しかも確実に殺すために雇われたはずだ」
狙撃、砲撃。
二段構えの殺意からしてこいつらは盗賊では無いだろう。ここまでやれば貴重品の類いは大方お釈迦になっている。殺してしまっては身代金目当ての人質にも出来ない。
賞金稼ぎだとして、ここまで念入りに攻撃する事は普通無いだろう。
一応、とは言え黒円卓に所属している以上、もしかしたら自分でも知らない間に、生死問わずの一級賞金首にされているのかも知れない。
しかし殆んどの賞金首は本人であるかも判別出来ないほどに死体を損壊しては意味が無いだろう、こう言うのは証拠として首級が必要だと思う。
ならばこいつらは傭兵、なのだろう。
何者かに雇われ、殺し方を指定された。
いや、もしかしたらここまでしないと死なないぞ、とでも言ったのかも知れない。
だが一つ疑問が残る。
何故こいつらは俺の耐久力の詳細を知らないのか。
もちろん、そんな事まで正確に知っているのは団員の中でも恐らくベアトリスとエーレンブルグのみであり、俺自身がどこまで固いのかなど知る由も無いのは当然。
だが、こいつらの雇い主が黒円卓の実態を知っていて、それでいて殺そうとするなら、高々対戦車砲を浴びせかけた程度で死なない事は当然予測しているはずだ。
なにせ、殆んどの団員は戦車や爆撃機と対抗してなお無傷で切り抜けるのだから。
にも関わらず、俺が人外であると知っているらしい、この武装集団が、しかし俺が死ななかったことに驚くのには首を傾げざるを得ない。
むしろ死にかけたことに驚くのが妥当では無いか?
「正直に言えば、血祭りに上げられる仲間が少なくなると思え、……一体、誰に雇われた? 一体誰がそこまで拘泥して俺を狙う?」
そしてそいつは一体なにを考えて、正確で無い情報をこいつらに与え、にも関わらず俺を襲わせたのか。
まるで俺に死なれては困るかの様な。
「あ、ああ、……俺らの太っ腹なスポンサーなら」
怯えているのか、そこに何か良く理解出来ない感情が混じるものの、紛れもない恐怖で震える男がゆっくりと俺を指差す。
恐怖に歪んでいる筈がそれが弱々しい笑みに摩り替えられ始めたのを見て、何故笑うのか、何故俺を指差すのか、と疑問に思う間も無く、
────あんたの後ろに居るぜ。
全身の血液が氾濫するような恐慌と焦燥に駆られて振り返らんとした、その瞬間に、背の中心から一息に刺し貫かれた。
焼け火箸を突き込まれる様な、否、氷の柱を差し込まれた様な、
「あ、がっ……」
鳩尾から飛び出している刃はサーベルだとかそう言った細い刃物の類いであり、されどフェンシングで使われる様なものよりは幅広の堅固な構造の剣。
恐らく決してそこいらで一山幾ら、と言った代物ではあるまい。美術的な観念から見ても名剣と謳われるに相応しいものでは無かろうか、言うまでも無い事だが、実戦的にも然り、である。
「ふむ、岩や鋼よりは硬いな。だがこの程度であれば切れる。しかしもっとも切りやすかろうこの男でこれでは、あの女は切れぬ、か」
ご丁寧に体幹に突き立ったままの剣を捻って傷を抉った上で、抜き去られた。
失血と激痛で気が狂いそうになる、並の人間であれば即死級のダメージである筈だが、どうやらこの程度では痛みを感じる程度のダメージでしか無いらしい。
しかし、良し悪しで言えば悪いと断言出来る、エーレンブルグの杭が刺さった時と比べたくなる程度には痛いかも知れない。
毒も塗られていたのだろう、温感、冷感も含め殆んどの感覚が薄れつつある指先に痺れを感じる。
その何れもが辛うじて致命的では無い程度に致命的だ。もう二、三急所を刺し貫かれると流石に死ぬかも知れない。
「お、まえ……」
失血によって霞む視界の中、よりによって背中の中心──最も忌々しい古傷を抉ってくれた怨敵を見ると、そこには予想もして居なかった顔があった。
いや、どこかで予想はしていたはずだ。だが、どうせこいつには何も出来ないと、舐めていたと思う。
胃にでも穴が開いたか、口を開くと途端に喉から血液が溢れ出して足下を更に赤く染めた。
やってくれるじゃないか、クソったれ。
「ん? ああ、お初にお目に掛かる。ハイドリヒ卿、私の名前は」
こいつがベアトリスを追い続けているならば、当然こいつの標的には俺も加えられていただろうに。
「フォーゲル、ヴァイデ……」
まだ俺が人間であった頃、ベアトリスの顔を確認するならばもののついでだ、と写真ではこいつの顔を見ているのだ。
写真のそれとも、既知のそれとも今のこいつとは容貌が異なるが、目立つほどの差異は年齢によるもののみ。
三つの顔のいずれも、直観的にではあるが同一人物であると判断出来る。
いや、俺に因縁のある様な人間の中で、この砂と暑さの地に居てなお、燕尾服を着ているようなサーベルの男など一人しか思い付かないから、と言われればそれまでだが。
「いかにも、アルフレート・デア・フォーゲルヴァイデと申す。何処かでお会いしたことがあったかな」
ああ、前世で何度かな。