昨夜も例によって遊んだり活動したり酒飲んだりで疲れ切った挙げ句、泥の様に眠った。
そのためか最近は寝坊気味で。元々朝強い方でも無いため悪いと朝食を摂る機を失する。
ブランチはおろか覚醒即昼食なんて事も多い。
だから今日も半覚醒のままベッドの中で、朝飯は食べたいけどメイドさんに起こされたくらいでは俺はそう素直に目を覚さんぞ、などと見えないものと戦っていたのだ。
頭から枕を被って太陽の攻撃を巧みに捌いた俺は、目蓋を優しく撫でる二度寝の誘惑に抗おうとして居なかった。
寝ていたい、とにかく寝ていたい、起きたくない。睡魔の毒に冒された思考でメイドさんとか訳わかんない事言っている以上、我が愛しき脳髄は睡眠を求めているのだ。
と言うか、メイドさんって何だ寝惚け過ぎだろ。
「起きて下さい、ご主人様」
だって一体何だこの現実は、こんなものは現実と認められない。
とうとう体を揺すり始めると言う強硬手段に出た謎のメイドは恐らく起きるまでは諦めるつもりなど無いだろう、それどころか延々エスカレートしていく恐れすらある、それくらいの気迫は伝わって来ていた。
このまま放っておけばナニをされるか分からない、少しの期待と僅かな恐怖、そんなものに駆られて起きたくなる。
だがここで同時に不安も覚えるのだ。嫌な予感、虫の報せ、ここで起きてしまえば俺は何か大切なものを失うんじゃ無いか、と。
「はやく起きないと×××するわよ、ジークフリート」
しかしそんな色んな意味で危険な事を言われては飛び起きるしか無い。
それはここではやっちゃ行けません。
「分かった!! 分かったから勘弁してくれブレンナー」
声で誰かはすぐ分かったのだ。
ただ状況が有り得なかった、なにゆえブレンナーがヴィクトリアンメイドで優雅な朝を演出しているのだ。
何かの既知感を覚える、前にもこんな事があったから感じた既知感では無い、こんな事が起こる様な状況を知っていると言う正しく既知感、デジャブとは違う。
違和感と変換しても構わない、がそれが何かを掴む事は出来なかった。
「おはようございます、ご主人様」
「一体全体なんのつもりなんだ」
改めて周囲を見てみると何故か天蓋付きのベッドで寝かされ、部屋の中は絢爛豪華な調度で埋め尽くされている。
まるで富豪や貴族の住まう部屋だ。
手間を掛け過ぎだ、たかが悪戯で普通ここまでするだろうか。信じられないと言う思いを禁じ得ない。
「なにを言ってらっしゃるんでしょうか、ご主人様。しっかりして下さいな」
さっさと着替えて朝食が出来ているから食べに来いと言う事を伝えると颯爽と立ち去るブレンナー。
後に残された俺は未だ現実に脳が追い付いて居ないままだった。
着替えを探しても何故か装飾過多の、と言うか華美に過ぎる衣服しか見付からない。当然と言うか何と言うか断じて俺の趣味では無いそれらは矢張り貴族的なそれだ。
仕方無く泣く泣く着替えて鏡の前に服に着られて居る様な少年を披露すると、大きくため息が出た。
なんだこれは。
取り合えず、あのメイドコスプレ女の誘導に従わないと何も分からず永劫不本意な事になりそうだ。
指示された通りに朝の糧を得るべく廊下に出るとそう歩きもしないうちに小さな影にぶつかった。
「きゃあっ!!」
影の主は、紅く長い髪と頭頂からピンと跳ねたアホ毛がチャーミングな小柄な少女。
「アンナ?」
それはかつて何処かの既知で見覚えのある魔女の姿だった。
彼女らしい紅いドレスを身に纏っているがちんまい体のせいでドレスに着られて居る様な感じが否めない。
貧相な体のまま胸元と背中が大きく開いたドレスを着たってコスプレにしか見えないのだ。
慣れても居ない様な体躯でヒールを履いているために足首を捻ってしまったらしい、顔は意外と、意外と? 平気そうに見えたが。
「初見で気付かれた? しかも良い加減ルサルカって呼びなさいよ。いや、まぁ何も変わらないか」
彼女が何事か呟いている様だが何故か聞き取れ無い、聞き取れ無いなんて異常じゃないか?
そうだ、何かが足りない。
肌身離さず首に掛けていたお守りが無い様な不安感、いつもより世界が狭く感じる違和感。
「あらぁ、ごめんあそばせ、ウルリヒト卿。昨夜は良く眠れまして?」
そうやって俺を呼ぶアンナに凄まじい違和感を覚えた、何故俺は自分がウルリヒト卿と呼ばれたく無いと感じたのだろう。
変だ、おかしい、この現象、既にどこかで知った覚えがあると感じる。
どうにもぱっとしない俺の顔を見てアンナが堪え切れないと言った風に笑った。
「まさか寝惚けていらっしゃいますの? 貴方の婚約者のアンナ・マリーア・シュヴェーゲリンですわ」
ーーーーあぁ、夢か。
はっきりと思考誘導された、と感じて漸く思い出した。
"ルサルカ"の魔道にそんなものがあった筈だ。
幸か不幸か転生の影響か、術に半分掛かり切っていないらしい。
多分今はジークフリートは完全に掛かっている状態だが、ーーーはあまり掛かっていないと言う事だろうか。
それが分かっていれば十分だ、どうやらこの夢の中の"ウルリヒト卿"が知っている事になっている設定は自力で参照出来るらしい。
近年めきめきと力を付け始め、有力な名家となった我が一族。
しかし大した功績を残す訳でも無く志し半ばで折れた私を、家族は広さと豪奢度合いだけは一流の辺境の屋敷に封じた。
ブレンナーはその時に自ら着いて来た専属のメイド、アンナは実質的な勘当と言う不名誉を誤魔化す為のお飾り。
なんだ、このありがちな設定は。
素晴らしい既知感を催す我が身空に思わず苦笑を漏らした、どっから持って来たんだアンナ。
「いや、何か酷い既知感を覚えて居てな。失礼した、お手を」
紳士的に、を意識しながらアンナの小さな手を取り立ち上がらせる。
素では無いが、教育は厳しかったためそれらしい真似と言った程度であれば差程難しくも無かった。
ただし背中が痒くて堪らなくなったり腹が立ってくると言う問題があるために出来るだけやりたくは無い、大体俺は紳士ってガラじゃないだろう。
「全くですわ、レディにぶつかっておいて謝りもせずにぼんやりとなさるなんて」
手を取り立ち上がったアンナはぷりぷりと怒って抗議する。
アンナも朝食はまだ、と言う事なので二人連れ立って食堂へ向かった。
これ相手が素面だって知ってたら俺なら恥ずかしくてとてもじゃ無いが出来ないな、憐れアンナ。
取り合えず、この茶番劇に乗ってやろう。
何を企んでいるのか良くは知らないが下手打って藪を突いて蛇を出すのも思わしく無い。
「おはようございます、ご主人様。それからシュヴェーゲリン様」
食堂へ付くとどう言う訳か途端に目付きの悪くなったブレンナーに怯えながら席に付く。
シュヴェーゲリン様、にいやにアクセントが置かれているが仲が悪い設定なのだろうか。
アンナはちゃっかり俺の隣に座って笑い掛けて来て、不自然なほど嬉しそうに見える。
「配膳を終えたら下がって良いわよ」
ところがキッとブレンナーを睨むとそんな事を言った、随分キツい言い方。どう言う訳か分からないのだがやはり仲が悪いらしい。
それもかなり。
言い付けられたブレンナーは表面こそ笑顔のままで背中に鬼を背負って去って行く。
黙って行った事がむしろ怖い。
「わたくし、あのひと苦手ですわ」
何と言う修羅場の予兆。
しかも止まらない激しい嫌な予感は、恐らくこんなものでは済まされないと言う事か。
やる事が悪辣過ぎる。
「ああ、何故かな」
とりあえず設定の確認。
まず間違い無く悪夢を見せに来ている以上、回避など不可能だろうが出来るだけ傷は軽くしておきたい。
「目が怪しいんですもの。あのひと、婚約者であるわたくしを差し置いて貴方を……」
と良い所で止めて上目遣いに見つめて来る。
役者にも程がある。
と言うか何でそんな設定なのか。
昼メロとかそんなレベルで既知感特盛じゃ無いか、もうちょっとシナリオ考えろよ作者(魔女殿)。
どうせこの後の展開なんて読むまでも無い。
ブレンナーが『せめて今夜一晩だけでも想いを遂げさせて下さいまし』とか言って来た所にそうは行くかと突入して来たアンナと激しく修羅場る。
鮮血の結末、俺死ぬ。
なんだこの夢。
「その話はここまでにしよう」
などと適当言って朝食もそこそこに逃げ出す。
朝食も不味かった。夢である事を考えるとブレンナーが作ったわけでは無くアンナの想像で補完されたものだろう。
これがアンナの美食観なのか、得体の知れない薬物みたいな味がする。
こいつこれで将来蓮にバレンタインのチョコを作ったりとか考えるのか、死ぬだろ、ご愁傷様。
いや、今にも死にそうなのは間違い無く俺であるが。
やたらと広い庭に出て太陽、ただし何故か異様に黄色いそれを見上げてたっぷり数秒にも渡る溜息を吐いた。
なんでこんな盛大な嫌がらせを受けているのか。
特に視界の端に見えている様な見えていない様な、見なかった事にしたくて堪らない様なそれを目に留めてしまった辺りからもう憂鬱で堪らない。
一瞬なんでキルヒアイゼンまで居るんだよ、と思えば明らかに様子がおかしい。と言うよりおかしすぎて相手にしたくない。
流れる金髪ポニーを振りながら駆け寄って来るキルヒアイゼン、に見える何か。
「わんっ!! わんっ!!」
飛び掛かって来られた。
「あぁーそうだね、わんわん」
なんだかとてもうんざりしながら戯れ付いて来るに任せる事にする。
「わんわんっ!!」
可愛いんだけどさぁ。
「流石にそりゃ無いだろ、ヴァルトラウテ」
ヴァルトラウテ、兄の一家から譲り受けた畏れ多くも戦乙女の次女の名前を戴く我が家の忠犬、めす。
犬らしい。
どう見ても犬耳カチューシャと何処から生えてるのか分かる様な分からない様な犬尻尾を付けたただの軍服コスプレ女だが、……どうやら犬らしい。
あぁ、可愛いなぁ。確かに可愛い。
全犬派諸兄のあらゆる妄念を満たし得る素晴らしいポテンシャルをこのヴァルトラウテは持っていると断言しよう。いや、飼主馬鹿とかでなくて。
でもダメだろ、色んな意味で、危な過ぎるだろこれ。
「お座り」
「わん」
したっ、と言う擬音が聞こえてくるほど素早く座るヴァルトラウテ。
あああー。
この殺伐とした悪夢の中に一筋の清涼剤が。
「お手」
「わん」
「伏せ」
「わふん」
完璧に躾けられている、見事だ。
さぞ優秀な調教師が付いたに違いない。
ん? 調教師?
脳裏に走った怖気を伴う冷気に既知感にも似た違和感を覚えながらとりあえず
「ちん◯ん」
「わ、わふぅ……」
一丁前にほっぺ赤らめてんじゃ無えよ犬畜生がぁぁああぁぁ……。
とりあえず紅くなった頬を人差し指で突っつきながら先ほど考えていた事を思い出す。
そうだ、調教師だ。随分腕の良さそうな調教師だが誰だろう、このキルヒアイゼンを調教するとしたら誰だろうか。
キルヒアイゼンでは無いか、今はヴァルトラウテだ。
絶望的な悪寒が奔り全脊髄の瞬時凍結を感じた、もし仮に犬キルヒアイゼンを躾ける人物が存在するとしたら、彼女の飼い主たるザミエル卿その人しか居ないのでは無いか?
ちょっとなんて恐ろしい事をするんだアンナ!?
そのまま構っていると恐らく、いや間違い無く襲来したであろう魔王の気配を、しかし既にそこに感じ始めたので恐れ慄いて、弾かれる様に脱兎の如くされど音も無く逃げ出した。
置いて行かれたヴァルトラウテが泣いていた気がするが、騙される訳には行かない。
これはアンナが見せる夢なのだから、あのヴァルトラウテはアンナの生み出した悪辣な虚構に過ぎないのだ、見た目に惹かれてふらふらと付いて行けば狩りの魔王が待っているに違いない。
ぎりぎりセーフであったらしい。
アウトなら多分『ほう、ジークフリート、貴様犬が好みであったか畜生めが。良いだろう、ならば犬は犬らしく良く躾けてくれる』とか言って炎の洗礼を受けている。
酷過ぎる、この悪夢は何が何でもBAD ENDなのでは無いか。
「ご主人様? こんなところにいらしたんですね」
ぐるぐると誰にも会わない事を祈って隠れたり逃げたりを繰り返していると、とうとうよりによってブレンナーが現れ捕まってしまった。
やばいエロい目でこちらを見ながら静かに素早く近付いて来るブレンナー、大体確かに泣き黒子って鉄板だと思うが既知に過ぎる。
あろうことかそのままくっ付いてきて俺を見上げる様な形で上目遣いに視線を送り始めた。豊作な胸部が当ててんのよ状態で悩ましい事この上ない、あからさまな誘惑はここで手を出せば死亡と言う事なのか、なんなのか。
取り合えず肩口を掴んで離そうとするが、既に脇、の部分の布地をロックされていて万力込めても離れない。
あまりに強い力は恐らく本来のブレンナーのそれでは無く恐らく世界の、この夢の世界の支援を受けているからか。
アンナの奴強硬策に出やがった、何が何でも俺に悪夢を見せるつもりか。
「ご主人様……近頃、シュヴェーゲリン様は隠しもせず私を目の敵にして居る様に思います」
そう言う設定だから当然だろう、とは言えないのが辛いところ。
身に覚えの無い修羅場はこんなにも恐ろしいものであったか。
「私はご主人様と一緒に居たい、ただそれだけなのにね」
それで当初の勘当息子におまけの専属メイドと言う構図が生まれたのか、シナリオ安い。
現実逃避を始めた頭の片隅ではやたらふかふかと押し付けられる双球だとか、大腿に擦り付けられる太股とかを意識しているがここまで切羽詰って入れば反応する事も出来ない。
シナリオは安かろうとも俺はそんな安くない。
「ご主人さ……いいえ、ジークフリート。私、もう限界なのよ」
だがどうやら設定的にはもうとっくに修羅場フラグが立っていて、いまさら手遅れだったらしい。
なんて恐ろしい仕組みだ、逃げて回ってももう遅いと言う事か。
もう嫌だ、俺は何も考えないぞ。
以下ダイジェスト。
「だから二人で逃げましょう、何もかも捨てて」
「へえ、……貴方たちやっぱりそう言う関係だったのね。ふふふ、あら可笑しい……あはははは
この私をバカにして、絶対に許さないわ殺してやる。そんなに二人で居たいなら居させてあげる、あの世でねえぇーーっ!!」
「良い子ぶりっこの化けの皮が剥がれたわね、それが貴方の本性ってわけ? 大した女優さんね、シュヴェーゲリン様?
貴方を殺したいのは私だって同じよ、この泥棒猫っ!!」
「わんわんっ!!」
いやお前は参加しなくて良いから。
かくして一人の男が露と消えた。
「ぎゃああぁぁああぁぁっ!?」
夢か。
いや、当然夢でない筈無いのだが。
取り合えずあの後は生きたまま首一つで世界一周させられた、誰ととは言わん、もっとも強かった女だ。
今はとにかくアンナにどう言うつもりでこんな重大な利敵行為を犯したのか問い質さねばなるまい、と冷や汗でべっとりと張り付いた服に身を切る様な寒さを感じながら考えた。
「ど、どうしたのジークフリート?」
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「ブ、ブレンナー?」
何故か起きてもメイドコスプレをしたブレンナーがそこに居て、俺と目を合わせた途端に凄絶としか言い様の無い微笑みを浮かべた。
何も知らぬ者ならば聖母の微笑みと称するであろう穏やかな表情。
しかしその実は狂した復讐者が仇を皆殺しにした後に血に濡れたまま漏らす嗤いであった。
「何か悪い夢でも見たんですか、ご主人様?」
それはまるでまだ夢は終わって居ないぞと語っている様にすら見えて、目に見える形で現れた恐怖が全神経に恐慌をきたしはじめた。
あ、もうダメ。
だからホラー駄目って言ってるじゃ無いですか。
耐えられなくなった俺はぷちりと自ら電源を落とす様に気を失った。
今日もまた昼食からですね。
これは後日アンナに聞いた真相と言うか何と言うかだが、裏ではこう言う会話があったらしい。
「酷いと思うでしょう? いくら私でも女のプライド全否定されたら黙って居られないわ」
先日の『嫌いですな』発言を実は根に持っていたブレンナーはアンナに話を持ち掛けた。
要約すれば最近あいつ調子乗ってるからシメようぜ。
「へえ、そう言えばあいつ、結構怖がりなのよねー、懲らしめるのは案外簡単だわよ」
アンナも何故か乗り気で一にも二にも無く、この話に飛び付いたそうだ。
そして始まる大淫婦と魔女のサバト。
練り上げられて行く女の恐ろしさを効率良く知らしめるためのシナリオ。
安っぽさはハマり切っていれば関係無いと思っていたらしいが、俺が掛かりが悪いのに気付いて急遽強引な展開にしたらしい。
つまり傷は浅く済んだ、と言う訳か。
戦乙女の友情出演に関してもトラップで、あれだけ否定していたのに彼女を優遇するようなら容赦はしないつもりであったらしい。
まさかエッちゃん追加するつもりだったのでは。
いや、やめよう。
瓢箪から駒、嘘から誠。
何が起こるか分からない。
要するに女は怖いって事で
「だからお前は無いってんだブレンナー」
こうして俺は日本人の美徳、思っては居ても当人の前では決して口に出さない、を思い出したのであった。