「おや、エッちゃん少佐も一服ですか」
煙草を吸っているとヴィッテンブルグ少佐がやって来て隣に立った。
俺の片手には火の点いた一服の煙草。民間のデスクワーク主体の仕事では誰も止める者も居らず、知らぬ間に煙草を嗜む様になって居た。
と言っても隣の女傑の様な筋金入りのヘビースモーカーでも無く、やめようと思えば何時でも辞められる、と言うかプチ禁煙の繰り返し過ぎで禁煙期間の方が長いとかそんな感じであったが。
しかもエイヴィヒカイトを得たこの身には中毒性すら失って本当にただのヤニになっている。
今俺はたまたまそんな気分だったから吸っていたが、この人の場合は何で吸うんだろう。
まさか人形師よろしく煙草でルーンを刻んでいる訳でもあるまい、と言うか煙草の火種一つで国取りしかねない彼女がそんな小道具に頼るとは思えない。
「ジークフリート、貴様、良い度胸だ。一度焼き尽くされ掛けて置きながら、なお私を侮るのは貴様しか居ない」
肺一杯に吸い込んだ一息に煙を吐き出す、湿気かかった安物の煙は実はあまり意味を成しているとは思わない。深呼吸の繰り返しを強要すると言うだけでも気分を落ち着かせる役には立つ筈だが、誰もその程度の効果を求めて毒の煙は吸わないだろう。
「そんな奴は全員死んだから、ですか。剣呑剣呑、もうちょっとお淑やかにした方が良いと思いますよ。男はみんなそう言う願望持ってますから、なんだかんだで我が家でもそう言う考えが一般的でしたし」
ヴィッテンブルグ少佐も隣で煙を吐き出す、男の俺が吐いた煙はこんなにも臭そうなのに彼女が同じ事をやると何故こんなにも映えるんだろうか、格の違い?
「……下らん」
今日は随分と大人しい日らしい、ああ女の子の……
焼き殺されそうになった気がするので思考中断、確かに不適当だった、色んな意味で。
煙を肺に溜める、行き渡った所で吐き出す。その音が同時に出される。軽やかな微風が舞う青い空、一点の曇りも無い白い雲を背景にして紫煙が漂うが程無くして風に流され消え失せた。
「いやぁ、エッちゃん少佐のそこで下らないと断じる潔さは嫌いじゃ有りませんけどね。たとえばラインハルトなんかもあれでお貴族様の淑女に猛烈にアタック掛けてるんですよね」
なんでそこまでしたのか、その時ラインハルトが何を考えていたのかは未だに分からない。
が、当時のラインハルトは余り軍属バリバリの魔王と呼ばれる様な女性は遠慮したかったと言う事だろうか。
なんだかんだでメルクリウスに会うまでは自分を常識人だと断じていた様だし。
「貴様もか、ジークフリート。……私の忠を侮辱するな、地金に焼き戻してくれようか」
なんだかんだで爆発寸前のヴィッテンブルグ少佐はかなりイライラしていらっしゃるのか、とんでも無いドボンをしている。
ブレンナー辺りに突っつかれ過ぎて知覚過敏なのだろうか、おいたわしや。
「いや、小生はまだ少佐殿のチューがどうのとは申しておりませんが」
「……貴様が何を言いたいか、など皆まで聞くまでも無い。軟弱者めが、愛だの恋だの、そう言ったものに繋げて考えねば他人が理解出来んのだろう」
忠でも理解は出来ますが少佐を理解するなら愛だの恋だのが一番容易ですよ、とはとてもでは無いが言えない。
後ろに不動明王の如き炎を背負っている彼女に言える奴が居たらそいつは人間じゃなくて大淫婦か何かだろう。
と言うか今確実に誤魔化されたと思う。
「まぁ確かに俺は男と女が揃えばやる事は一つしか無いとか思ってる恋愛至上主義者ですがね」
プラトニック?
シュライバー少佐に向かって言って来いよ、帰って来てから評価してやる。
「退廃的で反吐が出るな、貴様の妄想は若造の戯言に過ぎん」
生娘に言われたくねえ。
と言うか
「俺エッちゃんより十も歳上なんですけど」
暫し沈黙。
忘れてたな。
「実年齢がどうのと言った話では無い、貴様は甘えているのだ。その気に食わん顔に魅せられた女は皆そうだったのだろう、だがそんな者共は総じて屑の淫売だ。私と一緒にするな」
忘れてた癖に実年齢どうのと言われても、これ即答なら格好良かったんだが。
どうせ言う事は変わらなかっただろうから構わないのだが。
「なるほど、つまりこう言う事ですか。キュートで安く無い女であるエッちゃんはより良い女に成るべく日々ストイックに生きて女っ振りを上げている、と」
「なぜそうなる」
むしろなんでそうならないのかが分からない。
恋愛回路オーバーロードして焼き切れてるんじゃ無えか?
「それで良いんじゃ無いですか、ラインハルトも昔『婚前交渉する様な女とは』云々とか大した迷言ほざいたらしいし」
「慧眼だ」
即答、でもちょっとくらい嬉しそうにしたら良いと思う。
二人してほぼ同時に一本目を吸い終える。が、間髪入れず二本目を取り出すヴィッテンブルグ少佐。
中々のヘビースモーカーっぷりに驚いた、この人ラインハルトが煙草吸う女嫌いとか言ったら煙草止めるんだろうか。
ぼうっと見ていると睨み付けられた、無言の催促、と言うか督促を感じる。
多分「なんだ、もう吸わんのか」とかじゃ無くて「まだ話は終わっていないぞ」って感じだと思う。
もう帰りたい。
「ところで、どう言った御用件でしょう」
色々と堪らなくなって質問してしまう。
この人が隣で煙草吸ってて、のんびり恋愛談義出来るほどまったり出来る奴が居たらきっとそいつは人間じゃ無くて大淫婦か何かだ。
質問された少佐はと言えば淡々と煙草を消耗し続けている。思い切り良く吐き出されたそれが何故か溜息を吐かれた様にさえ聞こえ、まだ何も言われてないのに恐縮してしまった。
「……貴様、キルヒアイゼンに余計なちょっかいを出して居るそうだな」
なんじゃそりゃ?
「いえ、まだ何もしておりませんが、一体」
質問の意図が全く分からないので何とも答えようが無い、情報の出所自体はキルヒアイゼン本人かあるいはブレンナーだと思われるが、これは後で意図を問い質すべきかも知れない。
「まだ……と言う事はこれから先、そう言った予定がある、そう取って構わんな」
ヴィッテンブルグ少佐は何故かひたすらに言質を取ろうとしていて、流石の俺にもこれはヤバイかなと思わせる。
しかし生半可な嘘を吐いた所で零コンマ何秒の世界で看破され、後にはこんがりバターが残るだけと言った事態は想像に難くない。
結局、本音で話すしか無い。どうせバレたから困ると言った様な事はしないつもりなのだ、言ってしまったって構わない。
「まぁ、確かにありますが、それがなにか?」
本当に何だと言うのだろうか、はっきり言って本当にキルヒアイゼンにはまだ特に何もした覚えが無いのでこんな尋問紛いの事される覚えは無い。
無いったら無いのだ。
「……表へ出ろ」
なのに何故……何故なんだ。
本当に表、と言うより周囲に何も無い所まで連れ出され俺はヴィッテンブルグ少佐と向かい合って立っていた。
「そのー、ヴィッテンブルグ少佐殿、話がちっとも見えないんですがどうしてこんな公開処刑の様相を呈してるんでしょう」
と言うかこの人マジなんだろうか。この人がマジじゃ無い時とか知らないけど、こんな良く分からない理由で切り捨て御免とか、そんな理不尽な人じゃ無いと思っていた。
俺が一体キルヒアイゼンに何をしたと言うのだ。
「どうしたジークフリート、いつもの様に巫山戯た名で私を呼ぶが良い。死に行く部下の最期だ、あるがままの姿を看取ってくれてやる」
そう言ってエッちゃん少佐は三本目の煙草をポイ捨てした。
これこれ、環境への配慮は忘れては行けませんよ。喫煙者のエチケットでしょう。などとは言える訳も無く黙って見なかった事にする。
取り合えず直々に許可貰ったから今からは遠慮無くエッちゃん少佐と呼ばせて頂こう、今すぐ呼べなくなるかも知れないし。
さてこの一触即発、絶体絶命の状況。
ハンサムなジークフリート君は突如として打開のアイディアを思いつくだろうか。
恥も外聞も無く泣いて土下座すれば呆れ果てて許してくれる……かも知れない。無様な姿を私に晒すな屑が、とか言いつつ焼却されそうだが。
ああ、現実は非情だ。なんだかどうにもならない匂いが、
「最期に一つだけ……よろしいでしょうか」
こうなったら誰かが助けてくれる事を祈って時間稼ぎするしかあるまい。
見え透いた時間稼ぎだと最悪、ヒャアもう我慢出来ねえ、ゼロだ。と言った事に成りかね無いので出来るだけ穏便にそれとなく自然に、だ。
「言ってみろ、聞くだけ聞いてやる」
実は聞いても貰えずに殺されるなんてあるかなー、と思っていたが少し安心した。
「……キルヒアイゼンとこの件にどう関係が?」
まぁ質問なんかこれしか無い訳で、何故キルヒアイゼンにちょっかいを掛ける予定がある。はい、死刑。みたいな剣呑な事態になって居るのかを知らずに焼かれるのは御免だ。
案外ギャグ補正とか何とかよく分からないもので生き延びるかも知れないが、そんなものに頼る様な奴は最初からジャンルが違うだろう。と言うかギャグでも死ぬ様な目に会いたくない。
幸い、助けも間に合った様だしまだ生存率が低いままだが子持ちでも美人と一緒に死ねるなら納得が行く様な気が。
「知らんとは言わせん、貴様--」
「知らないわよ」
事の次第に気付いてか泡を食って大慌てで走って来たらしいブレンナーが肩で息をしながらそこに立っていた。
彼女がここに来ると言う事はやっぱりブレンナー何か吹き込む、エッちゃん少佐大激怒、俺殺され掛ける。と言う流れに違いない、さすが悪女、伊達や酔狂で経験豊富な訳では無い。
やっぱりブレンナーと心中は無いか。
「彼は知らないわよ、と言うか自覚してないんじゃないかしら。察しの悪い人じゃ無いみたいだから解ってたらもう少し違う対応をしている筈よ」
「そんな訳があるか、惚けているのだろう。こいつは全部解っていて知らん振りをする、そう言う類いの人間だ」
「それは確かにそうかも知れないわね、でもそう言う人の方が自分の事に疎いって事もあるんじゃ無いかしら」
あーだこーだ、あーでもない、こーでもない。
結局ブレンナーの必死なんだかどうなのかよく分からない説得で、エッちゃん少佐は
「この件は保留にしておいてやる、だが貴様すこしでも下らん真似をしてみろ。その捻じ曲がった根性を私なりの教育(愛)で骨肉の髄から鋳直してくれる」
と『今日の所はこんなもんで勘弁してやる』と言う趣旨の、一山幾らのチンピラが言えばただの遠吠えで済む、彼女が言えば死の宣告にも似たそれだけ残して颯爽と帰って行った。
幸い俺は一命を取り留めた。
怪我一つ無くても九は死ぬ、あの方はそう言うお方だ。マジ怖い。
「で、何吹き込んだんだブレンナー」
取り合えず落ち着いた俺たちは紅茶を淹れて落ち着きを取り戻しながら相対して居た、煙草は辞めておいた。当分吸う気にならない。
取り合えず確認と一緒にしっかり釘を刺して置かねばならない、次は無いと思うし、と言うか死ぬ。
「失礼ね、あなたも悪いのよ? どうとでも取れる様な態度ばかり取って」
馬鹿な、俺は何時でもきっぱりしている。ノーと言えるアーリア人、聞かれた事には正直に答えるし嘘は吐かないのだ。
「そうかしら? だったら、私の事は好き?」
おい、フラグ立てて無えよ。
撫でポにすらも未だ届かぬ活動位階だと言うのにオリ主的魅力が何時の間にか創造される見るポを体得した恋愛特異点なのかよ。
しかも相手は子持ち、さすがはイケメン、罪な男。
「うん、嫌いですな」
「そんな所をきっぱりしている必要は無いんだけれど……」
俺のきっぱりした態度にブレンナーは変わらず微笑みながらも額に青筋を浮かべて居る様に見える。
本当の事を言ったのに怒られても困る。
例えばここでブレンナーがヴィクトリアンメイドに扮して巧みに煽情的に胸部の豊かな収穫を堪能したくなる様な緊縛を受けた状態で「今夜もいけないリザを躾て下さい、ご主人様」等と上げ膳据え膳状態でも絶対に俺は手を出さんぞ。
「……あなたの特異極まる変態性癖に関して私がどうこう言う気は無いけれど、……だったらベアトリスの事は好きかしら?」
派手に脱線していたと思っていたらここで帰って来た。またキルヒアイゼンだ、なんだかみんなキルヒアイゼン好きだな。
ところで青筋立てるのは辞めて欲しい、怖いから。
「……さぁ?」
「きっぱりしなさいな」
怒られた。
前世ではベアたん萌え、屑はブッコロス等と口走っていたが前世は前世、今世は今世。あまり関係無いだろう。
ライヒハートに会った後辺りから確認して回った黎明メンバー達の中でもローティーンのキルヒアイゼンはとても可愛らしかったが、良い歳したオッさんが中学生年代の少女にベアたん萌え等とほざいていたら、周囲が比較的そう言った事に寛大で居てくれる立場、時代であったとは言え流石に警察呼ばれる。
ロリコン容疑でラインハルトの世話になるなんて事態になったら恥ずかしくてエイヴィヒカイト使えない。
となるとそれも関係無いとして、では今はどうだろう。
エッちゃん少佐にわんわんお、わんわんおと尻尾を振りながら追随するキルヒアイゼン。話掛けると何でこいつがこんな所に居るんだ、とばかりに冷たい目で見て来るキルヒアイゼン。キルヒアイゼンキルヒアイゼンキルヒアイゼン。
「さぁ?」
「……ある意味エレオノーレより酷いわね」
何を、あんな万年処女と一緒にしないで欲しい。
「じゃあ嫌いなの?」
うん?
「うーん、嫌いでは無いかな」
と言うか嫌いに成る要素が無い。
「じゃあ好きなんでしょう」
確かに嫌いじゃ無いんだから好きなんだとかそんな理屈で行けば好きなんだろう。
うん。
「好きなのね?」
うん?
「待て、誘導尋問だ!!」
再審理を請求する!!
「はぁ、なんて面倒臭い人……」
ブレンナーは頭痛を覚えているかの様に頭を抑え溜息を一つ。憐れむ様な馬鹿にする様な目で俺を見ている。何が面倒臭いと言うんだろう、そう言うのはエッちゃん少佐に言ってやって欲しい。
「ここははっきり言わせて貰うわ、あなた、あの子に良い格好しようとしてるでしょう」
「はぁ?」
良い格好などと言うならばそもそも万人が見ても格好良く有りたい、これ男児の本懐では無かろうか。別にキルヒアイゼンに限った事では無い、割と嫌いなブレンナーにだって格好良いと言われて悪い気はしない。あまり意識した事は無いが余程の屑でも無い限りは、自分に取っても万人に取っても格好悪い自分は善しとしないだろう。
「と言うかそもそもにそんな事しなくても俺格好良いし」
何度も言うがイケメンに生まれて来たのだ。
エーレンブルグだとかライヒハートだとかと並べば見劣りするだろうが、それでも血は争えない、金髪碧眼長身の良い男。
客観的に見て問題無く格好良い。
「……はぁ~~」
と非常に大袈裟な溜息を吐いたブレンナーは最早全人類の半分の敵を見る様な目で俺を睨んでいる。
ごめんなさい、子持ち女にも無自覚にフラグ立てちゃう恋愛創造位階でごめんなさい。
「私が悪かったわ、言い直す。あなた、あの子に色目使ってるでしょう」
「はぁ?」
色目、流し目だとか秋波だとか、要するに自分が特定の異性に気がある事を示すアピールの事で、俺が? キルヒアイゼンに? 色目。
つまり俺がこれを使ってると言う仮定が事実ならば俺は傍目にも分かる程にキルヒアイゼンに対して好き好きーっとやって居ると、そう言う事か?
「ばっ!! な、な訳がっ、使って無え!! 知らねえ!!」
「はぁ、使ってるんじゃ無い、好きなんでしょ。可愛い子だしね、ダメだとは言わないわ」
ブレンナーは聞いちゃいない。と言うか聞いては居るんだろうが内容はどうでも良いらしい。あからさまに溜息を吐きながらまるで説教を始めんばかりの雰囲気、妙に堂に入った様は伊達に尼僧志望では無いと言う事なのだろうか。何かがズレている気がするが。
「ただねえ、エレオノーレがあれで大事にしてるから、嫉妬するのよ」
そりゃああの人はお気に入りの部下に要らん虫が付いたら即時燻蒸消毒だろう、ザミエルの名に相応しく狩り尽くされ根元から断たれるに違いない、男の根元的な意味で。
「だから使ってねえ!! 俺はキルヒアイゼンの事は何とも思っちゃいねえ!!」
「ふーん、そうですかそうですか。……私もあなたの事、面倒臭い人だなと思ってたんで構いませんけど」
え? なんでここに。
「少佐に表に出ろなんて言われて連れて行かれるあなたを見て、私はどうでも良かったんですけど助けて上げないと可哀想かなーって思ったからリザさんに話に行ったんです。その様子を見ると無事だったみたいですね、残念です」
心配して様子を見に来てみると例のセリフが聞こえて来たと言う事か、しかも悪い事にそこだけ聞いたんじゃ無いだろうか。
なんと言うラブコメ、冗談みたいだ。
カツカツと足音を立てて去るキルヒアイゼン、来たばかりじゃ無いか茶でも飲んで行けよ。
「あ、あ、あー……」
「ま、まぁ後でフォローしといて上げるから、あまり気にし過ぎるのも良く無いわよ?」
何をどうフォローすると言うのだろう。
よく分からない、よく分からないが巫山戯ずには要られない気分。
「むしろ俺をフォローし(慰め)てくれないか?」
「上げ膳据え膳状態でも絶対に手を出さないんでしょ?」
言いましたねそんな事、拗ねるなよ。