<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

チラシの裏SS投稿掲示板


[広告]


No.16427の一覧
[0] 【習作】 マブラヴ オルタネイティヴ~我は御剣なり~(現実→オリジナル主人公・チート気味)[あぁ春が一番](2012/08/13 20:03)
[1] 本作歴史年表[あぁ春が一番](2011/07/11 21:36)
[2] 戦術機設定集(簡易)[あぁ春が一番](2011/08/15 13:48)
[3] 兵装・その他の装備設定集(簡易)[あぁ春が一番](2011/08/15 13:47)
[5] プロローグ[あぁ春が一番](2010/03/08 18:31)
[6] 第01話[あぁ春が一番](2010/06/06 12:15)
[7] 第02話[あぁ春が一番](2010/06/06 12:20)
[8] 第03話[あぁ春が一番](2010/07/10 09:03)
[9] 第04話[あぁ春が一番](2010/11/05 00:07)
[10] 第05話[あぁ春が一番](2010/11/05 00:24)
[11] 第06話[あぁ春が一番](2010/11/05 00:35)
[12] 第07話[あぁ春が一番](2010/11/05 00:45)
[13] 第08話[あぁ春が一番](2010/11/06 23:42)
[14] 第09話[あぁ春が一番](2011/01/27 22:47)
[15] 第10話[あぁ春が一番](2011/04/20 00:59)
[16] 第11話[あぁ春が一番](2011/05/03 18:17)
[17] 第12話[あぁ春が一番](2010/11/07 22:29)
[18] 第13話[あぁ春が一番](2010/11/07 23:04)
[19] 第14話[あぁ春が一番](2011/05/03 18:19)
[20] 第15話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:49)
[21] 第16話[あぁ春が一番](2011/05/03 18:22)
[22] 第17話[あぁ春が一番](2011/05/03 18:23)
[23] 第18話[あぁ春が一番](2011/05/03 18:24)
[24] 第19話[あぁ春が一番](2011/05/03 18:29)
[25] 第20話[あぁ春が一番](2010/11/10 00:41)
[26] 第21話[あぁ春が一番](2010/11/11 00:05)
[27] 第22話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:50)
[28] 第23話[あぁ春が一番](2010/11/11 23:29)
[29] 第24話[あぁ春が一番](2010/12/12 15:48)
[30] 第25話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:51)
[31] 第26話[あぁ春が一番](2010/12/12 15:48)
[32] 第27話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:51)
[33] 第28話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:52)
[34] 第29話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:53)
[35] 第30話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:53)
[36] 第31話[あぁ春が一番](2011/05/15 01:42)
[37] 第32話[あぁ春が一番](2011/05/15 23:54)
[38] 第33話[あぁ春が一番](2011/05/25 00:04)
[39] 第34話[あぁ春が一番](2011/05/25 00:05)
[40] 第35話[あぁ春が一番](2011/05/25 00:05)
[41] 第36話[あぁ春が一番](2011/07/11 21:25)
[42] 第37話[あぁ春が一番](2011/08/15 13:46)
[43] 第38話[あぁ春が一番](2011/10/24 00:46)
[44] 外伝 TE編・上[あぁ春が一番](2012/07/23 11:57)
[45] 外伝 TE編・中[あぁ春が一番](2012/08/13 20:03)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[16427] 第30話
Name: あぁ春が一番◆17cd7d65 ID:bc6cc51c 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/05/15 23:53


グレイゴーストと吹雪・強行偵察装備を乗せた87式自走整備支援担架は安全圏に脱出した後、一路大阪に向かい原隊へ復帰する事になった。

そして、部隊に合流した俺を待っていたのは・・・、歓声では無く悲鳴だった。

それは、数時間前まで新品同様の綺麗な外装をしていたグレイゴーストが、スクラップ寸前にも見える無残な姿になっていた事で、
ブラックウィドウⅡの改修に携わっていた者達が上げたものだった。

俺はグレイゴーストをハンガーに固定した後、あえてその者たちと視線を合わせないようにして機体を離れようとしたのだが、
そこを佐々木さんに見つかり、足を止められる事になった。


「御剣!
 どうやら、大戦果だったようだな。
 これで日本中が、お前を変態と認識する事間違いなしだ。」


「大戦果ですか・・・・・・、俺にとっては最悪の戦いでしたけどね。
 BETA群の只中で孤立するなんて、愚か者以外の何者でもない・・・。

 それに、生きて帰っても怒られるんじゃ、割に合いませんよ。」


真面目な台詞の後、俺はおどけた様に言葉を続けた。


「武田に絞られたか?
 じゃあ、俺は褒めておこう。
 良く生き残った。

 ついでに、整備主任が呼んでいたから、一声をかけておけよ。」


そう言って、素早く佐々木さんはハンガーから離れて行き、それと入れ替わるように現れた整備主任に、俺は30分もの間小言を言われ続ける事になる。

その小言が終わったのは、グレイゴーストの操作ログを確認した整備士が、異常な機動を連続して取っていた事に気が付いたからであった。

俺は検査入院のために病院に直行する事になり、その後入院と言う名の強制休養によって、
10日間の間三重県鈴鹿市にある病院に留まるよう要求される事になるのだった。








病院に入院してから3日の間、俺は体の隅々まで検査される事になったのだが、
出てきた結果は目が若干充血している意外は身体的な以上は無いというものだった。

普通の衛士なら内蔵機能がやられてもおかしくない加速度が連続してかかっていた事を考えると、
異常が無いという検査結果こそが異常な事だったが、医者達が苦悩する問題に対して、俺自身も不可思議な加護が付いているのか、
本々の肉体のポテンシャルが高いのか、原因を掴みかねており、体の鍛え方が違うとしか言う事が出来ないのだった。

検査結果が出た後、俺は現場に復帰するために直ぐにでも退院することを考えた。

しかし、俺が京都で戦った時の状況が、誇張されて前線を中心に噂話として広がっているという話を聞いて、考えを変える事になった。

俺は、BETA群の中に孤立した愚か者が直ぐに現場復帰したと言う噂が広まり、その行動を真似する者が出ることを恐れ、
それと同時に俺や俺が所属する部隊が無理な運用をされて磨り潰される事を恐れたのだ。

愚か者の末路として長期入院を強いられたという事実を作る事が、自分にとっても他の衛士にとっても今後のためなると考え、
俺は当初の予定通り10日間の間病院内に留まる事を選択した。

また、グレイゴーストが部品の磨耗状態を調べるためにオーバーホールされる事になり、他の隊員の機体も調達が遅れているため、
部隊の編成にまだ時間が掛かるという現実も、この地に留まる事を選択した理由のひとつだった。

病院内で個室を与えられた俺は、軍や軍事関係に関る企業側の人物との面会や、帝国軍技術廠への報告書の作成に時間を割くことになる。

この時の面会では、京都での戦闘経過報告でBETA群に単機で突入した無謀な行いに対する判断を、
戦闘データの収集という目的と機体性能の観点から言えば妥当な判断であったとされ、BETA群の中で孤立した事に関しても、
BETAが今までに無い行動を取った事によって起きた事故であると処理される事が早々に決まったため、戦術機開発に関する事がメインとなった。

この無謀な行いに対して御咎めなしという判断は、一般人にも広く知られている衛士を貶めたくない軍部と今後も戦術機開発に俺を使いたい企業側、
さらに今回の戦闘で改めて個人の力の限界を感じて、軍の力も利用したいと改めて考えた俺の意志が絡み合って出た奇妙な結論だった。

兎も角、俺は新型戦術機の運用データの収集という独立機甲試験部隊の目的を達成するために、今後も邁進して行く事になったのだ。

そして、帝国軍技術廠への報告書は、今回京都で行われたブラックウィドウⅡとそれに付随する新兵装及びEXAMシステムver.2.5に関する事であった。

その内容を簡潔にまとめると以下のようになる。

YF-23『ブラックウィドウⅡ』について
機体性能及び機体特性は、現在帝国軍の運用するどの戦術機よりも優れており、帝国軍のドクトリンにも合致するため、
戦場に投入した場合にその有効性が発揮される事は確実である。
しかし、量産する事が難しいほど高コストである事と、現在進められている新型機開発の事を考えると、
制式採用するほどのメリットが有るとは言えない。
また、機体の部品及び兵装が特殊なため、採用するにしても量産するまでに時間が掛かる事が予想される。
以上の事を考慮すると現状の方針通り、新技術のデータ取り用の機体として利用するのが最善である。

各種専用装備及び試作大剣について
各種専用装備は、その性能及び耐久性に問題は無く、特にXAMWS-24 試作新概念突撃砲は弾数が増加したことを考えると、
優れた兵装である事が確認できた。
ただし、試作新概念突撃砲は現在の兵装とマガジン(弾倉)の形状が異なる為、補給をあわせた軍全体体制を整えるのには時間が掛かる事、
XCIWS-2B 試作近接戦闘長刀はCIWS-2A 74式接近戦闘長刀と比べて、飛びぬけて優れた点が無い事から、
特殊部隊へ供給するなどの少数配備が望ましい。
試作大剣は高周波機能の搭載による切れ味の増加と、懸念されていた取り回しに関して問題は見受けられなかったが、
耐久性が不足している事は大きな問題である。
そして、衛士の腕に性能が大きくされる点はBWS-3 Great Swordと同様であり、一般の衛士が要塞級へ攻撃する場合を考えると、
パンツァーファウストのような射撃兵装の方が有効であると考える。
今後は、使い手を選んだとしても、もう少し大型化させて耐久性を上げるか、
一般の衛士が使いやすいように大型ナイフに高周波機能をつける事を提案する。

EXAMシステムver.2.5について
対電子戦装備の替わりに搭載された新型演算ユニットの動作を確認。
EXAMシステムver.3に搭載予定のコンボ機能に必要不可欠な、その場に応じた判断を行う処理を最適化するための学習機能も予定通りに機能した結果、
戦闘の中盤から限定的であったがコンボの発動に成功した。
経験の浅い衛士への補助機能としての役割のほかに、ベテラン衛士においても操縦の負担軽減が出来る事を考えると、
コンボは今後必要になる機能である事が再確認できた。
新型演算ユニットの量産及びコスト等の問題点もあるが、可能な限り早く前線へ配備される事が望まれる。

追記
EXAMシステムver.2.5を機能させるために搭載された新型演算ユニットは、新型管制ユニットと同様に御剣電子製の量子コンピュータを採用していたが、
学習機能を搭載するに当たり、ソフトにバイオコンピュータの理論を応用した制御手法を採用した点が従来とは異なっていた。
この制御手法による学習機能は、一回の戦闘中に数個のコンボ設定が完了するほどの適応能力を発揮した事を考えると、
数時間かけて最適化を行っていく従来のシステムと比べると、十分評価できるものである。
ただし、単純な演算能力では他にも優れたコンピュータが戦場に存在したにも拘らず、グレイゴーストをBETAが特別扱いした事を考えると、
コンピュータの学習機能にBETAが反応した可能性が高いものと思われる。
その点に関しては今後も調査が必要であるが、もしこの仮説が正しかった場合、後方でコンボ機能を設定した後、学習機能に制限をかける等、
何らかの対策が必要になると思われる。

今回の報告書で一番ページ数を割いたのは、ブラックウィドウⅡや武装についてではなく、
EXAMシステムver.2.5を機能させるために搭載された、新型演算ユニットに反応したと思われるBETAへの考察だった。

表向きは、従来のように高性能コンピュータを優先的に攻撃するBETAが、新型コンピュータに過剰反応を示したとしていたが、
『マブラヴ』の世界を知る俺は、BETAが00ユニットに近い興味を新型演算ユニットに持った結果ではないかと考えていた。

今となっては『マブラヴ』の世界の香月博士が開発していた00ユニットがどの様なモノだったかを知る事はできないが、
この世界の彼女が行っている研究を調べる限り、00ユニットの脳にあたる部分のハードは、
高温超電導物質を使った量子コンピュータである事が推測されている。

00ユニットと比べると圧倒的に性能が劣っているとは言え、同様のハードを使用する新型管制ユニットの実践投入時に、
BETAが何らかのアクションを見せるのではないかと期待していた俺は、特別な反応を見せることが無いBETAの動きを見て、
量子コンピュータ自体にはBETAが興味を持つのに必要な何かが足りない事に気付かされていた。

そして、今回の戦闘でのBETAの動きを見た俺は、新型演算ユニット搭載した機能によって必要な何かが補完され、
それにBETAが反応したのではと考えたのだ。

それが、バイオコンピュータの理論を応用し、生物の脳を構成する神経細胞回線網モデルを制御手法を導入した事で、
生命が行う反応に近い処理を擬似的に行う学習機能を獲得した最新の量子コンピュータ、『学習型コンピュータ』の存在だった。

BETAがどうやってコンピュータを見付け、その性能を判断しているのかは未だに不明であるが、
ある意味でハイヴとつながっていた00ユニットとは異なり、完全にBETAとは隔離されていた学習型コンピュータに、
BETAが強い興味を持ち接触しようと行動を起こしたという俺の仮説は、厳密に言えば間違っているだろうが、
それほど大きく外れてはいないように感じられた。

ただし、この学習型コンピュータや一つの部屋を完全に占拠するような大型の最新型量子コンピュータでさえ、
人間の脳の代わりを果たすにはまだ演算能力が不足しているのが実情である。

この事から、『マブラヴ』の世界で00ユニットに搭載するコンピュータが香月博士の考える域まで達していなかったのは、
とあるヒントによりそれが一気に解決した事を考えると、ハード的な問題では無くソフト側に何らかのブレイクスルーがあったと、
俺は結論付ける事になった。

おそらくは、因果律量子論に関連する事が切掛けになっているとは思うが、因果律量子論の意味を理解できない俺には手を出すことが出来ない領域である。

結果的に対BETA戦で大きな成果を挙げることになるであろう、オルタネイティヴ4に対して、香月博士に十分な研究時間を与えて開発を待つか、
『マブラヴ』の世界の設定に頼ってクソゲー集を渡すか、『白銀武』の登場を待つ意外に計画を進展させる手段が無い事を悟った俺は、
改めてオルタネイティヴ4以外にBETAに対抗する手段が無いかと思考を巡らすのだった。








8月26日

薬と消毒液の匂いが鼻に付く病院での入院期間を終えた俺は、外の空気の清々しさにもかかわらず、朝から頭を痛めていた。

その原因は、京都放棄から一週間がたった日に、日本海側を東進し新潟県上越市を突破する事になったBETA群の一部が、
突如海中に消えたという報告が有ったのだが、その足取りが先日のBETAによる佐渡島侵攻という形で判明した事に有った。

佐渡島侵攻という形で、始めてBETAの足取りをつかんだ帝国軍は、当然のごとく佐渡島の防衛に失敗した。

BETAによる佐渡島占領後、それにひきつけられる様に北陸地域に進出していたBETA群は、佐渡島への移動を開始、
その結果北陸でのBETAとの戦闘は散発的なものへと変わっていくことになる。

そのBETAの行動を聞いた人々は、ある種の不安を抱えると同時にBETAとの戦闘が収まるのではという期待を持っていたのだが、
俺はBETAにとって基地であるハイヴの建設が始まったのだと、確信を持ってその話を聞いていたのだった。

今後の方針に頭を悩ませながらも、俺は退院直後病院と同じく鈴鹿市内にある御剣重工の工場を訪れる事になった。

オーバーホールされていたグレイゴーストは、全ての部品調査を終えるためには3ヶ月以上の時間が掛かる上に、
本格的に実戦投入するほどの補修部品を抱えていなかった事から、今後も実戦に投入する目処は立っていなかった。

そこで、鈴鹿工場で新型の不知火弐型を受領する事になったのだ。

この新型不知火弐型は、ロンド・ベルや他の独立試験部隊で運用されていた、弐型タイプAもしくは弐型甲と呼ばれていた機体の運用データと、
各種テストから得られたデータを反映させる事で、制式採用に向けての改修が施された機体である。

不知火弐型タイプBは、整備性を上げるために改良され部分や細かな装甲形状、センサーのレイアウト変更以外に、以下のような改修が施されていた。

・大型の可動兵装担架システムの配置を、従来の戦術機の仕様に両肩部サブハードポイント2基を追加した仕様から、
 ブラックウィドウⅡの仕様を部分的に採用し、両肩部メインハードポイント2基・背部サブハードポイント2基という仕様に変更。

・背部可動兵装担架システムを小型の物にした事で余裕の出来た、二基ある可動兵装担架システムの間にマガジンラックを増設。
 様々な機動を行った場合でも、比較的動揺が少ない胴体部にマガジンラックを設置した事で、弾倉の交換が素早く安定的に行えるようになった。
 またこれにより、腰部装甲ブロックへの小型推力偏向スラスター追加によって、除かれた予備弾倉分を補う事に成功した。

・サイドのスカートの増設。
 今までに無かった腰部の左右に装甲を増設する事で、そこに予備弾倉修める事になった。
 予備弾倉を搭載できる数が増加した事で、弐型になって増加した兵装に応えられる弾薬を保持できるようになった。

この不知火弐型タイプBを最終的な量産対応機種であるとして、現在企業側は先行量産機によるの運用データの収集を急ぎ、
帝国軍と制式採用に向けての調整を行っている最中である。

また、ローラーブレード及び、フロントドロップタンクというオプション装備も制式採用される運びとなり、
総合的に見ても以前の不知火よりも稼働時間が延びることになった不知火弐型は、ベテラン衛士達が求める要求をほぼ満たす機体となっていた。

ただし俺個人の意見としては、可動兵装担架システム4基分の武装と弾薬による重量増加を補う程度しか、
機体の推力を上げる事が出来なかった点を考えると、可動兵装担架システム6基を有するブラックウィドウⅡより、
機体性能で劣っていると感じずにはいられず、辛口の評価となってしまっていた。

この事は、試作機とは言え8年前に基本設計を行った機体を、最新の量産機が超えられないという現実に、
改めて米国の技術力の高さを実感させられた瞬間でもあった。

不知火弐型タイプBを受領した後、鈴鹿工場近くの演習場で機体の慣らし運転を終えた俺は、大阪にいた部隊に合流し、
新たに機体を与えられた隊員と共に琵琶湖運河での防衛戦に従事する事になる。

しかし、琵琶湖運河での防衛戦は、防衛線開始直後のものと比べると散発的で小規模のものとなっていた。

BETAの佐渡島占領後、他の防衛線でもBETAの活動が次第に緩やかになってきていたのだ。

そして、9月に入り束の間の平穏が訪れていた日本帝国に激震が走る。

9月9日、人類は漸く21個目のハイヴ、佐渡島ハイヴ(H21:甲21号目標)の存在を確認する事になったのだ。

この報告を受けて、帝国軍は一度BETAに突破され壊滅していた琵琶湖の北に位置する敦賀湾-琵琶湖をつなぐ第二琵琶湖運河を奪還し、
これ以上西からBETAが佐渡島ハイヴへ合流しないように防衛線の再構築を急いだ。

更に帝国軍は、三本ある琵琶湖運河防衛線の再編を行うと、そこから抽出した戦力を使って佐渡島奪還への準備を始める。

しかし、佐渡島ハイヴ攻略作戦は計画の段階で大きなつまずきを見せる事になる。

高密度のBETA群を有する建設開始間もないハイヴ攻略の難しさを指摘すると同時に、独自の作戦を立案しているとした米国が、
日本が主導する作戦への不参加を表明したのだ。

その結果、奪還に十分な戦力が集まらなかった事で計画は頓挫、戦力の不足する日本帝国には新潟県沿岸部で防備を固める以外に、
取れる手段は残されていなかった。

そして、この出来事を一つの切掛けとして日本帝国と米国及び帝国軍と在日米軍の関係は、目に見えて悪化して行くことになる。

表向きは、核兵器の使用の是非や帝国軍と米軍の指揮系統・作戦立案の主導権争いとされていたが、
とあるルートから入手した情報によると、対BETA戦略の根幹を成すオルタネイティヴ計画の主導権争いも、
関係悪化の一因となっているという事だった。

日本防衛には、米国軍の戦力が欠かせないと以前から考えていた俺は、大きな反発を招かないように地道な活動で、
二国の緊張緩和を図る工作を行っていたのだが、その活動もこの急激な関係悪化を止めるほどの力を持ち合わせてはいなかった。

10月に入り、ついに米国は日米安保条約を破棄し、在日米軍の撤退を開始する事になる。

俺が主導して行っていた工作の成果らしきものは、米国の反主流派に属する野党議員数名から、
議会内において一方的な日米安保条約破棄を遺憾に思うというコメントを引き出せたぐらいだった。








11月に入り帝国軍は、在日米軍の撤退によって低下した国内の士気と、外国から日本帝国に向けられる信用度低下に歯止めをかける事を目的に、
なんらかの軍事的な成果を上げる必要があるという政府の考えに応える為に、BETAの活動が低下している事を利用し、西日本奪還の準備を行っていた。

無論この西日本奪還計画は、西日本を完全に復興させるというものではなく、防衛拠点として使える地域を再占領し、
前線基地を構築するというもので、帝国軍単独でも可能な範囲の限定的攻勢作戦であった。

そして、その作戦計画に従い琵琶湖防衛線に戦力が集められ、いよいよ反抗作戦の第一歩が始まるものと誰しもが考えていた11月の第二週目、
重慶ハイヴ(中国領)からのものと思われるBETA群が九州に上陸を開始した事が確認される。

二ヶ月前の唐突な侵攻停滞と同じように、侵攻の再開も何の前触れも無く突然始まったのだ。

無人の野を駆けるように西日本を移動したBETA郡は、上陸開始から36時間後、琵琶湖防衛線にまで到達する事になる。

琵琶湖運河防衛線に自信を持っていた帝国軍だったが、防衛線の長さに対して集められた戦力は少なかった。

やはり、在日米軍が抜けた穴は大きかったのだ。

2週間あまりの間、第一琵琶湖運河(大阪湾-琵琶湖ライン)及び第二琵琶湖運河(敦賀湾-琵琶湖ライン)にて防衛を行っていた帝国軍だったが、
BETA群の攻勢に抗し切れず第一琵琶湖運河及び徳島の放棄を決定する事になる。

帝国軍は、第一琵琶湖運河と四国の徳島で防衛を行っていた部隊を第三琵琶湖運河(伊勢湾-琵琶湖ライン)まで下げ防衛戦を再開する。

第三琵琶湖運河は、三重県津市の南に位置する湾にもつながっている河川から伊賀の地を通って琵琶湖につながる運河で、
大阪湾-琵琶湖ラインが一級河川を利用し、敦賀湾-琵琶湖ラインが最短距離で結ばれた事を考えると、距離・地形的にも一番難しい工事ではあったが、
工事着工から11年の年月をかけて何とかBETA侵攻前に完成させる事が出来た運河だった。

第三琵琶湖運河を越えた先は、戦術機生産の拠点ともなっている中京工業地帯となっており、同地域は帝国がなんとしても防衛したい場所であった。

帝国軍はこの事態に対して、後方とされている地域から予備兵力を抽出し、増援として派遣する事を決定する。

この増援と部隊が配置されている場所が減り補給が楽に行えるようになったことで、第三琵琶湖運河での防衛は辛うじて成功を収めることになる。

第一琵琶湖運河から第三琵琶湖運河に続く防衛戦参加し、その戦況が安定し出した事を実感した俺が、
これで多くの戦力を残したまま未来に望みをつなげる事が出来ると思った矢先・・・、事態は更に急展開をむかえる。

BETA群の再侵攻開始から丁度一月、新潟沿岸にBETA群が上陸、南下を開始し長野県へ侵攻を開始したのだ。

鉄原ハイヴのハイヴ建設確認後、8ヶ月程度という期間での侵攻開始でも不意打ちだった事を考えると、
佐渡島ハイヴ建設確認から僅か3ヶ月後というこの大規模侵攻は、誰もが予想していない事態だった。

少ない戦力にも関らず善戦した帝国軍は、長野県と山梨県の県境付近でBETAの侵攻を一時的に留める事に成功するが、
やがて予備兵力の不足により防衛線が崩壊、BETA群は山梨県を突破し神奈川県内になだれ込む事になる。

既に、一部またはほぼ全ての避難が開始されていた長野県や山梨県に対して、避難体制が確立しておらず事態の急変に対応し切れなかった神奈川県では、
沿岸部の人口密集地域にまで達したBETAによって、阿鼻叫喚の地獄絵図が展開される結果となった。

その後BETA群は北への侵攻を多摩川、西へは相模川、南へは三浦半島を境に停止、帝国軍とBETAは両河川を挟んで膠着状態となり、
帝国軍はこれ以上のBETAによる都市部への侵攻を防ぐ為に、24時間体制の間引き作戦が続く事になる。

これによって、事実上横浜を中心とした神奈川県東部は、BETAによって占領される事となった。

この時点でベータの占領地域は、三重県北部を除いた西日本、石川、富山、長野、新潟、山梨、神奈川東部、東京の一部にまで達しており、
7月から開始されたBETAの侵攻によって出た犠牲者はおよそ2500万人、この数字は日本人口の20%が犠牲となった事を意味していたのだった。








佐渡島ハイヴから侵攻したBETA群が神奈川県東部を占領したという情報を俺が入手したのは、
防衛戦に参加することが出来ない長時間の機体整備が行われている最中に、御剣財閥経由で得た情報を極秘裏に受け取った時の事だった。

この時点で、その出来事が発生してから丁度24時間が経過しており、俺が手を出そうにも既にすべてが終わった後となっていた。

これは、琵琶湖防衛線に動揺が走る事を恐れた帝国軍が、前線への情報封鎖を行っていたために起こった情報伝達の遅れであった。

BETAの日本侵攻を琵琶湖運河と新潟県沿岸部で抑え込み、人類初のハイヴ攻略とオルタネイティヴ4の拠点を佐渡島ハイヴとする事を考えていた俺は、
突然の佐渡島ハイヴからの侵攻と横浜占領という現実に、強い衝撃を受ける事になる。

『マブラヴ』の世界と変わらず、国内に2つのハイヴが建設されてしまった。
やはり、運命は変える事が出来ないのかと・・・。

また、多くの犠牲が出たにもかかわらず、横浜に住んでいた家族が無事に帝都へ逃れる事が出来たという情報に、
思わず安堵してしまった事も俺を悩ます原因となった。

確かに俺が前線に立つことで救われた命も有るだろうが、後方で働いていたほうがもっと犠牲を少なく出来る可能性が合ったのではないかと、
己の限界を知りつつも考えずにはいられなかったのだ。


「所詮俺は、物語の主人公にはなれないということか・・・。」


俺の呟きは、12月の寒空に飲み込まれるように消えていった。

BETAの神奈川県東部占領後、再び各戦線でのBETAの攻勢は停滞して行く事になる。

そして12月24日、偵察衛星の情報により横浜ハイヴ(H22:甲22号目標)の建設開始が確認され、
その報を受けた日本帝国は仙台第二帝都への首都機能移設準備を始める事になるのだった。







******************************************************************************************************

コメント

皆様こんばんは、あぁ春が一番です。
年明け前に投稿の予定が、様々なイベントに時間を取られたうえ、文章の構成に悩んだ結果、
この時期の投稿となってしまいました。
申し訳ありません。

こんなダイジェスト風味の文章に、ここまで時間が掛かるとは考えていなかったのですが、
プロット上の学習型コンピュータの設定がおかしい事に気が付いたり、
京都放棄時点でかなり戦況が改善している予定だったのが、原作と殆ど変わらない事に気が付いたりするなど、
いくつかの問題を見つけてしまった事で、設定を改めて練り直すのに四苦八苦してしまいました。

今回は駆け足で話を進め、そこに今まで暖めていた様々な設定を織り込んでみました。
ブラックウィドウⅡの今後・学習型コンピュータの設定・不知火弐型の改良・琵琶湖運河の設定・横浜侵攻の経緯 等
皆様に納得していただけるという確信はございませんが、
最低限自分を納得させる事ができる設定にはできたと思っています。

ここから、いよいよ日本の反抗作戦が本格化するわけですが・・・、
1000万人の犠牲者の減少と維持された中京工業地帯の工業力のメリット・デメリットを表現しつつ、
どうやって原作開始時期に突入するかで頭を悩ましております。
何処まで上手くやれるかは未知数ですが、正月休みで溜めたエネルギーを使って、頑張ってみたいと思います。



返信

皆様、いつも様々なご意見を下さり、ありがとうございます。
今回もいくつかを選択しての控えめな返信にさせていただきます。
選択から漏れてしまった皆様には、大変申し訳ない事をしていると思いますが、
全てのご意見・ご感想に目を通していますので、その点はご理解いただけたら幸いです。


>アンビルセル製法(常温加圧)で加工されたダイヤモンドはハイパーダイヤモンドといって
 モース高度が30以上あるらしいから同じ炭素系装甲の戦術機に応用できないか・・・

もしかして、スーパーカーボン製と原作で設定されている74式近接戦闘長刀で、
突撃級の正面装甲を切り裂けるとされているのは、このハイパーダイヤモンドのおかげでしょうか?
もしそうなら、ブレードエッジ装甲とかの原作設定の補則にしか使えないのですが・・・。

それと、硬度と防御力は必ずしも直結しないものです。
そのほかに靭性や疲労強度、耐熱性、対化学反応性など様々な要素が絡んできます。
ハイパーダイヤモンドは天然ダイヤモンドよりもこれらの点でも優れているようですが、
装甲材としては、使い難いように思えます。
関連項目で出てきた、超硬度ナノチューブをつかった複合装甲の方が良いもかもしれません。

それと、戦術機の装甲に炭素系装甲が使われているというのは何処からの出展でしょうか(汗
一応、現在の戦闘機では、チタン系,アルミ系とならんで、炭素繊維が入った複合装甲も使われている事は確認しています。
ご存知の方が居れば、ヒントを頂ければ幸いです。


>オリ展開ばかりで分かりにくい為、年表等を作って頂けないでしょうか?
上記のようなご提案を頂きましたが、『設定ばかりを書き連ねて何が楽しいの』とご指摘を頂いたばかりですので、
対応方法について悩んでおります。
私の取るべき手段としては、
①主人公が関連した項目だけの年表を作成(必要最低限)
②本作品における年表を作成
③本作品と原作を比較した年表を作成
の三つがあると考えています。
設定大好き人間の私としては、時間が掛かっても③が嬉しいのですが、
皆様が求めているのは6:3:1の割合で、少し②に寄った①ではないかと想像しております。
今後の方針を決める目安にもしたいので、どの対応が好みか数字だけの書き込みでも結構です。
書き込みをいただけたら幸いです。



前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.02770209312439