「ぐえっ・・・げえっ・・・」
ビチャビチャと響く水音。
真紅の液体が大神一郎の口から次々へと溢れ出していた。
「ゲホッ・・・ゲホッ・・・ちっ、嫌になるぜ」
ぐいっと口元を拭い、洗面所の置き水で口を漱ぐ。
それから大神はしばらく俯いていたが、ゆっくりと顔を上げる。
対面の鏡が大神の顔色の悪い顔を映し出していた。
「・・・ふぅ、漸く落ち着いたか」
思い出されるのは、つい先ほどのカンナとの模擬戦だ。
「くっくっく・・・なかなかどうして、オレに奥義を使わせるなんざ成長してきたじゃねぇか」
そう、カンナの情緒・霊力が不安定であろうが、その技の鋭さには大神も無意識のうちに奥義を繰り出してしまうほどだった。
本来、大神の霊的戦闘における技は相手に直接刀の霊的斬撃を叩きつける『快刀乱麻』。
それを今回、まだ完全に習得していない飛霊術『天地一矢』を使用。
しかも素手からの発動をしたことで、大神の体に多大な負担をかけていたのだ。
技には、個人個人との相性がある。
例えるならば、飛霊術に長けているのはマリアや紅蘭といった後衛組に限定され、万能系とでも言うならば、霊的斬撃と飛霊術両方をこなし、更には『破邪』の力を持つさくらが挙げられるだろう。
また、光武やその他の霊的戦具の扱いには紅蘭が他の追随を許さないし、『ヒーリング』『バリヤー』『テレポート』と言うとんでもないスキルはアイリスだけのレアなのだ。
そして純粋な霊的攻撃力・防御力を素でトップにあげられるのはカンナ、攻撃範囲の広さならばすみれが挙げられる。
本来、帝撃の女性達がその力を完全に発揮できれば、大神は殆ど歯が立たないだろう。
霊力・剣の扱いに一日の長がある大神が、その限定された場においてその技量を100%に近い形で操れているからこその差なのだ。
(オレの役目が終わる時は近い、か・・・)
静まっていく心臓の鼓動を聞きながら、大神はしばしの間考えにふける。
彼女達がこのまま成長していけば、おそらく近いうちに自分は追い抜かれ、その時は無用の長物となるだろう。そうなれば、帝劇から離れ、純粋な兵役に赴くことになるだろう。
嬉しそうな、それでいて残念そうな複雑な表情が大神の顔を彩る。
「・・・さて!メシだメシ!今日の夕飯は何かね」
足取りを普段どおりに運び、大神は洗面所から出て行った。
(大神さん・・・?)
そして、その後姿を窺う、一人の女性の視線には気づくことはなかった。
【かすみ】
あらあら、誰が運ばれてきたかと思えばカンナさんだったのね。
ふふっ、あの血の気の多さには少し男性っぽいところを感じてしまうわね。
大神さんもご苦労様でした。あのカンナさんの相手を務め、尚あのような至福の表情をさせるような戦いができるのは多分大神さんくらいじゃないかしら?
・・・あら?
大神さんがシャワー室の方に行くわね・・・汗掻いたから一浴びでもしてくるのかしら?
なんとなく、何か違和感が・・・?
気になるわね・・・ちょっと付いていこうかしら。
※※※
おかしいわ、普段の大神君なら私くらいの気配は察することができるはず。
それを気づかないなんて・・・
シャワー室の手前にある洗面所に入っていった・・・「ぐえっ・・・げえっ・・・」!?
そ、そんな・・・?!
いつから?何が原因で?・・・ダメね、いくら大神さんを問いただしてもはぐらかされるか口止めをされるかだわ。
「「くっくっく・・・なかなかどうして、オレに奥義を使わせるなんざ成長してきたじゃねぇか」
・・・えぇ、分かっていたわ。大神さんがどんなにきつく花組の皆さんを扱こうが、それれはあくまで皆さんのことを思ってこそだからってことは。
あくまで他に知らせる、あるいは知られることなくこうやって己を捧げていく・・・
前に、大神さんが怪我で動けなかった時に聞いたことがあった。
あなたは何故、私達の為にここまでしてくれるのか、と。
すると彼は一瞬の迷い無く、こう言った。
『お前ぇ達民間人をあらゆる脅威から守るのが軍人の仕事だ。いかに特殊部隊とは言え、普段は劇場で帝都の笑顔を絶やさない“すたぁ”、言わば民間人と同等だからな。ならオレがやれるのはこうやって体を、命を張ることだけだろ』
実に大神さんらしい。
でも・・・気づいていますか?
大神さんが洗面所から出てくるのを姿を隠し、その後姿を見送る。
花組の娘達・・・いえ、私を含め帝国華撃団全員が・・・あなたを必要としているのですよ?
決して・・・己を軽視しないでください。いつも強気な大神さんでいてください。不敵な笑顔を浮かべ、私達を引っ張ってください。
そして・・・万が一、疲れたり絶望に駆られた時は・・・私達を頼ってください。
Side out
時は既に皆が寝静まっている夜11時。
大神はランプを照らしながら劇場内の見回りを行っていた。
これは劇場に着任してからずっと大神が続けていることであり、その手際はかなり良くなった。が、かといって周囲の注意を怠ることなく、隅々まで点検していく。
「ん?」
廊下の先。サロンの方だ。
そこに人の気配を感じ、大神は歩を進めていった。
そこには。
「あ、大神さん。見回りお疲れ様です」
藤井かすみの存在があった。
「お?珍しいじゃねぇか。明日は炊事当番じゃないんか?」
「えぇ、明日は椿が当番です」
「ほう、そうなんか。梅もなかなかああ見えてメシ作るの上手だからな、楽しみだ」
「もう、いつまで梅、って呼ぶつもりですか?あの子、梅って呼ばれる度に寂しそうにするんですよ?」
「けっ、アイリスならまだ知らず、年頃の娘を名前で呼べるかっ。名字にしても、オレの将校時代を思い出すからな、なかなか」
「まあ」
二人、サロンのソファーに座っての会話。
大神からしたら何てことないが、かすみの方は己が上気してるのを自覚していた。
伝票整理の時は由里がいて、そして戦闘の際は畑違い、演劇公演の時はお互い忙しくて二人で話す機会もそう多くはない。
この二人きりの状況に、かすみは嬉しく思い、かつ恥ずかしくも思った。
「・・・ん?どうした?何か具合でも・・・?」
「ッ、な、何でもないです、はい!」
「・・・?」
訝しげに大神はかすみを見るがそれも一瞬、再び机の上に置いていたランプを手に取り、元の見回りに戻ろうとする。
が。
「・・・っと・・・」
大神が立ち上がった拍子に足元がふらつき、後ろに倒れようとする。
「お、大神さん!!」
それをかすみが素早い対応で立ち上がり後ろから支えようとする。
「きゃあっ」
ドスン
かすみが大神の体重に耐え切れず二人そろって絨毯の上に倒れた。
そして。
「あ・・・」
「つつ・・・ん?」
二人の視線が絡む。
二人はかすみが正座した状態、大神がその膝に頭を乗せるような状態で静止していた。
かすみはこの状況に最初は驚いていたが、見開いていた眼を細め、微笑を作り大神の髪を梳き始める。
「ちょ・・・な、何を」
「しっ・・・」
慌てた大神がかすみに何かを言いかけるが、かすみがその口に人差し指を当ててそれを止める。
「・・・」
「・・・」
しばらくの間、二人は視線を合わせたままかすみが髪を梳き、大神がじっとしているのが続いた。
「ねぇ、大神さん?」
「ん?」
ふいに、かすみが口を開く。
「私・・・それに由里や椿・・・大神さんのお力になれることは少ないと思います。事実、そうでしょうし」
「・・・」
「でも・・・これくらいのことはできますから・・・いつでも・・・甘えてきてくださいね?」
かすみの、母性溢れる言葉。穏やかな視線。柔らかな微笑。
全てが大神の体から力を抜いていく。
「ははっ・・・んじゃあ気が向いたら・・・な」
その大神の物言いに、かすみは僅かに眼を見開くがすぐに微笑み、またその髪を梳きはじめる。
少しずつ壊れていく青年に、癒しの空間ができた瞬間だった。
あとがき:お疲れ様です。ようやく鬱状態から抜け出しつつあるく~がです・・・
少ない分量ですが、生存報告を兼ねて更新しました。
この前の大震災、本当にびっくりしました。私に直接の被害は無いですが、亡くなられた方々、今も避難所で生活を続けていらっしゃる方々をテレビで見て、今何をやるべきか、と真剣に考えさせられました。
私に出来ることは非常に微力ですが、引き続き何かしらやっていきたいと思います。
この更新もその一つです。
稚拙な文章ですので、皆様を楽しませることができるかどうか分かりませんが、頑張っていきます。