刀子先生の部屋を後にしてから1時間後。俺は式場の近くにあるデパート、その紳士服売り場を訪れていた。そして、俺は目下紳士服売り場の試着室で、あるものと格闘を繰り広げている。「…………ネクタイって、どないして巻けば良いねん」もっとも、その攻防は俺の圧倒的な戦力不足により、一瞬で幕を閉じたのだが。つーか、ネクタイの結び方なんて俺が知る訳ねーだろ。前世の時だって、制服は学ランだけだったし、こっちに来てからだって学ラン以外の制服なんて着たことねーっての。「小太郎? もう着替えましたか?」試着室のカーテン越しに、そんなことを問い掛けて来る刀子先生。仕方ない、ここは刀子先生に結び方を聞くことにしよう。確か彼女はスーツ姿のときは、ネクタイを巻いていた筈だし。そう思った俺は、おもむろにカーテンを開いた。「他のんは着れたんやけど、どうもネクタイは無理やわ。つか俺、ネクタイなんて付けたことあれへんし」「ああ、そう言えばそうでしたね。それじゃあ、ネクタイを貸して下さい。私が結んであげますから」にこにこと、嬉しそうにそんなことを申し出てくれる先生に、俺は今しがた選んで貰ったばかりのネクタイを素直に手渡す。それを受け取ると、先生は笑顔のまま、鼻歌交じりにネクタイを俺の襟へと通してくれた。「ここをこうして…………ふふっ。な、何だか新婚さんの気分ですね?」「…………」少しだけ頬を上気させて、楽しそうにそんなことを言い出す刀子先生。…………だから不意打ちは勘弁してくれって。今も、一瞬気を抜いていたせいで、思わず先生のことを抱きしめたくなったし…………。本当、こんな調子で式まで保つのかね…………。「…………はいっ、出来ましたよ小太郎?」「おおきに。さすがに上手いもんやな?」「ふふっ。慣れてますから」先生にお礼を言いながら、俺はスーツで完全武装した自分を鏡でしげしげと見つめる。へぇ…………幻術使ってるせいってのもあるけど、何か自分じゃないみたいだな。「さすがに時間をかけて選んだだけあって、とても良く似合ってますよ」「ははっ、おおきに。センセにそう言われると、何や自信が持てるわ」そんな風に談笑しながら、俺たちは支払いを済ませるために、レジへと向かうのだった。SIDE Negi......「…………あのいちゃつき様。これはひょっとしてひょっとするかもね…………」物影から2人を見つめながら、アスナさんは神妙な面持ちでそんなことを呟いた。かく言うボクはというと、未だに2人の後を付けることに、何となく抵抗を感じて尻込みしていた。「や、やめましょうよアスナさん? もし、本当に2人がお付き合いしてたりしたら悪いですし…………」「いやいや、それこそもし本当にそうだとしたら大事じゃない? 仮にも生徒と教師なわけだし」「そ、それは…………そうなんですが…………」アスナさんの言い分はもっともだけど、仮にそれが事実だったとして、ボク達に出来ることなんて何もないと思うんだけど…………。2人が本当に、世間の目を逃れて、ひっそりとお付き合いをしてるんだとしたら、それを咎める権利なんて誰にもないと思う。確かに教師と生徒って立場はあるから、いろいろとマズイことにはなるだろうけど、2人は今のところ、それが公になってしまったり、問題になるようなことはしてないみたいだし。それにボクは、小太郎君が刀子先生とそういう関係じゃないっていう確信があった。『コタくんはな、どうしてもやらなあかんことがあって、それをやり通すまでは、恋愛なんて考えられへんって言うてるんよ』木乃香さんが言っていたあの言葉。小太郎君が本当に彼女にそう言ったのだとすれば、彼は本当に誰とも付き合ったりするつもりはないのだろう。それこそ勘の良い小太郎君のことだ、きっと木乃香さんが自分に想いを寄せていることは知っているはず。その上で、今は恋愛なんて考えられない、そう彼女に伝えたのだとすれば、きっとそれは紛れもなく彼の本心だ。仮に葛葉先生と付き合ってるとして、それなら小太郎君は、きっと木乃香さんに『別に好きな人がいるから』って言うと思うし。「あ、移動するみたい。ネギ、行くわよ!!」「ちょ、ちょっと!? まだ追いかけるんですかっ!?」店から出ていく小太郎君と葛葉先生。その後ろを慌てて追いかけようとしたアスナさんに、小声でボクはそう尋ねる。いくら2人が付き合ってないにしても、流石にこっそりと後を付けるのはいかがなものかと…………。それに、小太郎君は仮にも学園最強の魔法生徒。ボクの護衛という件も含めてだけど、学園長からいろいろと特殊な依頼を受けたりもするって言ってた。加えて、小太郎君から聞いた話だと、葛葉先生は何とか流っていう剣術の達人だっていうことだし。そんな実力者2人が揃って出掛けてるとなると…………何らかの任務っていう可能性も考えられる。もしそうだとしたら、今ボクとアスナさんが行ってることは、彼らの仕事を邪魔するのと同義だ。そんな懸念もあって、ボクはアスナさんに思い留まって欲しかったんだけど…………。「当然じゃない!! ここまで来たら、何が何でも決定的瞬間を見るまで追い掛けてやるんだから!!」「えぇーーーー…………」そんな良く分からないやる気に満ち満ちたアスナさんには、最早ボクの声は1つも届きそうにないのだった。SIDE Negi OUT......支払いを済ませて店を後にした俺と刀子先生。まだ式までは1時間以上時間があるので、近くでお茶でもしながら時間を潰そうって流れになり、2人で駅近くの喫茶店を目指してたんだが…………。「…………センセ、気付いてるか?」表面上は笑顔を装いながら、俺は刀子先生に真剣な声色でそう尋ねていた。「…………ええ。酷く稚拙ですが、2人…………いえ、3人、でしょうか? ともかく、私達の後をつけている人間がいますね。そ、それと、その姿の時は呼び捨てでお願いしますっ」「…………」俺の言葉にきちんと受け答えしながらも、きちんと自分の呼び方を指定して来る先生に、俺は思わず表情を作るのを忘れてげんなりした。まぁ、尾行されてんのが分かってるなら良いんだけどね…………。「…………表情に出さんと聞いといてくれ。これ、つけて来てるんは、ネギとそのダチに俺の使い魔や」「っっ!? …………す、すすす、スプリングフィールド君っ…………!? ま、まま、マズいんじゃないですかっ…………!?」俺が顔に出すなと言っていたからだろう、かろうじて笑顔のまま、慌てた声を出す刀子先生。…………どうでも良いけど、器用だなオイ。それはさておき、俺は先生に、一先ずは慌てなくて良いことを教えてあげることにした。「…………多分慌てることはないと思うで? 俺らのここまでの行動やったら、嘘カップルって断定するこた出来ひんやろうし…………頭の回るネギのことやから、大方俺と先生の実力を考えて『ご、極秘任務とかやったらどないしよう!?』とか慌てとるんとちゃうか? 多分、おっかけようって言い出したんは、ネギの連れの方やと思うし」「…………そ、そうなんですか? そ、それなら、一先ずは安心です…………」俺の言葉に、ほっと胸を撫で下ろす刀子先生。さすがに、今の安堵の表情は顔に出てしまっていたが、まぁ問題ないだろう。さて、あとは何とかしてつけて来てる2人を巻けば…………。そんな風に俺が思考を切り替えようとした瞬間だった。「それにしても…………『頭が回る』だなんて、随分スプリングフィールド君のことを高くかってるんですね?」急に、ジトっとした目つきで、拗ねたように俺を睨みつける刀子先生。普段は絶対にお目に掛かれないであろう、刀子先生の拗ねた表情…………。魅了の魔力も手伝って、かなり俺のハートにストライクだ。…………いや、そーじゃねーだろ俺(orz「…………まぁ、高くかってるいうか、一月も寝食をともにしとる訳やからな。ある程度やけど、何となく考えとることは分かるっちゅうだけや」慌てて、そんな風に言い訳してみる。それでもまだ納得がいかないのか、刀子先生はつーんっとそっぽを向いてしまった。…………どないせぇっちゅうんねん。「…………まぁ良いです。一先ずはそういうことにしておいてあげましょう。それはそうと、良く追跡者の目星が付きましたね? 拙いとはいえ、一応姿は見えていないのに…………」後でどれだけ質問攻めに合うか分からないが、一先ず納得してくれた様子の刀子先生。先程までの愛らs…………ゲフンゲフン。心臓に悪い拗ねた表情から一転、不思議そうな表情でそんなことを尋ねて来た。「…………忘れとるみたいやけど、俺には自慢の『鼻』と『耳』があるさかい。あんだけ近くに来てたら、個人の特定なんて朝飯前や」加えて言うなら、ネギとアスナなんて、普段から良く会ってる連中の匂いは覚えちまってるしな。そう言う意味も込めて、俺はその台詞を口にしていたのだが…………。「…………(スッ)」刀子先生は急に神妙な面持ちになったかと思うと、黙りこんだまま俺から1歩離れた。これは…………前に霧狐を探してた時と同じ現象だな。「…………そんな心配せぇへんでも、別に汗臭いとか思ってへんで?」「…………け、今朝はきちんとシャワーも浴びましたし、一応気は使ってますが…………そ、それでも、つい心配になってしまうじゃないですかっ…………!!」顔を赤くしながら、小声でそんなことを言い出す刀子先生。…………ったく、そんなに心配しなくても、別に変な匂いなんかしないってのに。どう説明すれば分かってもらえるだろうか?頭を掻きながら、俺はそんなことを考えていた。「…………ええと、な? 確かに俺は犬並の嗅覚しとるけど、せやからって別に汗の臭いばっかピンポイントで嗅いでるわけやあれへんからな?」「…………そ、それはもちろん、そうなんでしょうけど…………」頷きながらも、刀子先生は未だに俺から少し離れたところを歩いたまま。というか、むしろ遠ざかってる気すらするんですが?…………まぁ女の人だし、匂いが気になるって気持ちは分からなくもないけどさ。俺は溜息を吐きながら、乱暴に頭を掻きむしった。「…………むしろ、好きな匂いの方が強く感じられんねんって。 センs…………刀子の上品な香り、俺は好きやで?」センセと言いかけて、先程その点を指摘されたことを思い出し、慌てて訂正する。その上で発した言葉だったんだが、これで納得してくれただろうか?そう思って、隣をちらりと覗き見る俺。「…………あり?」しかしそこには、刀子先生の姿はなかった。なして?不思議に思って周囲を見回す俺。すると、どういう訳か先生は、俺の少し後ろで立ち止まっていた。「…………今度は一体なん…………」何やねん? そう言いかけた俺は、刀子先生の表情を見た瞬間凍り付いた。「…………(ぽー…………)」口に片手を添え、頬を赤らめて呆けたような表情で立ち尽くす刀子先生。それを目撃した俺は、今しがた自分の吐いたセリフを心の中でもう一度反芻してみた。『―――――刀子の上品な香り、俺は好きやで?』…………アフォですかぁぁぁぁぁあああああっ!!!?何気障な顔して気障な台詞言ってんだっ!?どー考えても、その台詞は刀子先生の乙女コスモにクリティカルヒットだろぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!?そんな風に焦って見たが、覆水盆に返らずだ。何とかして、この場を誤魔化さないとっ!!脳をフル回転させながら、何かしらこの状況を打破する話題を考える俺。そんな俺に刀子先生が放った一言は、あまりにも予想の斜め上を行くものだった。「…………小太郎、今の台詞もう一度お願いします。携帯に録音したいので」「…………ホンマに勘弁して下さい」SIDE Negi......「…………何でかしら? 物凄く『ゐらっ』とするんだけど?」ボク達の少し前を歩いていた、葛葉先生と小太郎君。その葛葉先生が急に立ち止まり、恋する乙女みたいな表情で呆けているのを見つめながら、アスナさんは忌々しげにそんな言葉を呟いた。…………ま、まぁ、小太郎君が葛葉先生の乙女心をくすぐる台詞を言ったのは明白だしね。小太郎君って、本当に意識せずに、こう…………ぐっときちゃう台詞を言うときがあるからなぁ…………。しかも今の小太郎君って、多分20歳前後くらいを意識した姿なんだと思うけど、大人っぽさが増してて、すごく格好良いし。あのルックスでそんな台詞を言われちゃったら、さすがにどんな女の子でもイチコロだよねぇ…………。―――――…………チクッ…………。「ん? …………何だろ? 今の変な感じ…………?」不意に胸に感じた、まるで針が刺したみたいな、そんな違和感。その正体が分からなくて、ボクは思わず胸に手を当てる。…………さらしの巻き方がキツかったのかな?そんな風に結論付けて、ボクはそれ以上、その違和感について考えるのを放棄した。「…………別にあいつが誰といちゃつこうと構わないけどさ、こないだのパルの件と言い、あいつが女の子に格好付けてるのって、何か気に喰わないのよね…………」「…………」自動販売機の影に隠れて、忌々しげな表情のまま、そんなことを言い出すアスナさん。それってもしかして、ヤキモチなんじゃ…………?前にも言った通り、それなりに恋愛には興味津々なボク。気になってしまったが最後、それを本人に確かめずにはいられなかった。「…………あの、アスナさん。それってもしかして、小太郎君のことが『好き』ってことじゃ…………?」「ぶっ…………!?」その瞬間、盛大に吹き出したアスナさんは、慌てて口元を押さえると、勢い良くボクの方へと振り返る。「な、なななな、何言ってんのよ!? ね、ネギも知ってるでしょ!? 私が好きなのは『あの人』だけよっ!!」顔を真っ赤にしながら、そんなことを叫ぶアスナさん。あの人って言うのは、間違いなくタカミチのことだろう。図書館島での一件、どうやらアスナさんがタカミチに想いを寄せているらしいことは知ってた。知ってたんだけど…………今の様子を見てたら、ねぇ?「それは知ってましたけど、今のアスナさんの台詞ってどう考えても『小太郎君が他の人と仲良くしてることに対する嫉妬』じゃないですか?」「なっ…………!? そ、そんな訳ないってばっ!!!!」ボクにそう指摘されたアスナさんは、更に顔を赤くして、必死にそんな弁解をする。けれども彼女の台詞には、最早説得力はなかった。…………恋愛って複雑だなぁ。アスナさん、タカミチのことを好きだっていうのは本当なんだろうけど…………その一方で小太郎君のことも気になってるなんて…………。もしかして、こーいうのが不倫とか浮気に繋がっちゃうのかな?まぁ、アスナさんはそんな不誠実な人だとは思わないけど。顔を赤くしながら、必死に言い訳をしているアスナさんを見つめながら、ボクはぼんやりとそんなことを考えていた。「そ、そう言うネギだって!! さっき、あの先生が赤くなってたときっ、複雑そうな顔してたじゃないっ!? あんたこそ、小太郎のこと好きなんじゃないのっ!?」「え…………?」思考の海に埋没してた所為か、アスナさんが言った言葉の意味が分からなくて、一瞬きょとんとしてしまったボク。「ボクが、小太郎君のことを…………好き?」彼女の言葉を理解するため、改めて彼女の台詞を言い直す。そしてその瞬間、ボクの脳裏に過ぎったのは、図書館島で小太郎君が見せた、あの優しげな笑顔だった。『―――――約束したやろ? 俺のこと、信じてくれるって』「―――――っっ~~~~!!!?」彼の台詞が頭の中で再生された瞬間、ボクの顔は今にも火を吹き出しそうなくらいに熱を帯びていた。うわっ!? うわっ!!!? な、何なのコレっ!?こ、こんなに顔が熱くなったこと、今までなかったよぉっ!!!?と、というか、これじゃホントに、小太郎君のこと…………。そこまで考えた瞬間、ボクは慌ててその考えを打ち消そうと、ぶんぶんと首を横に振る。「ち、ちち、ちがっ!? た、確かに、小太郎君のことは格好良いと思いますけどっ!! あ、あくまで友人としてでっ、そのっ、別に恋愛感情とかじゃっ!!!!」「えぇ~~~~? ホントにぃ~~~~?」ボクが慌ててそう言い訳すると、アスナさんはこれまでのお返しとばかりに、意地が悪い笑みを浮かべてそんなことを言い出す。う、うぅ~…………あ、アスナさんがいじめっ子だよぉ…………。「だって、ネギってば図書館島で迷った時、わんわん泣いちゃうくらい小太郎のこと心配してたし…………ただの友達を心配してたにしては、ちょっと、ねぇ?」ニヤニヤと感じが悪い笑みを浮かべて、これ見よがしに図書館島でのボクの醜態を指摘するアスナさん。ぼ、ボクが何も言い返さないからって調子に乗ってぇっ!!!!きっ、とアスナさんを睨みつけると、ボクはすぐさま反撃に出た。「と、友達のこと心配するのは当たり前じゃないですかっ!!!? そ、それに、そういうアスナさんだって!! 小太郎君が無事だって分かった瞬間、腰が抜けるくらい安心してたじゃないですかっ!? あれって、それくらい小太郎君のこと心配してたってことでしょうっ!!!?」「なっ…………!? そ、それは、私のせいであいつが怪我したら寝覚めが悪いからだって言ったじゃないっ!!!? そ、それを言ったらネギなんか、小太郎と再会出来た時、泣きながらあいつに抱き付いてた癖に!! さりげなく絶好のチャンスとか思ってたんじゃないのっ!!!?」「そ、そそそ、そんなこと有りませんよっ!!!? そ、そういうアスナさんだって…………!!」「い、いや、ネギの方こそ…………!!」そんな風に、次から次へとお互いの疑わしい場面を暴露し合うボクら。気が付くと、ボクらは状況も忘れて、しばらくの間そんな言い合いを続けていた。「くぅん?」そんなボク達を、鞄から顔を覗かせたチビ君と、周囲の通行人達が不思議そうに見つめているのだった。SIDE Negi OUT......