SIDE Negi......「…………はい、以上で社会の試験範囲は大体終了ですね」パタンと教科書を閉じると、ボクはみんなに向き直りながら笑顔を浮かべた。朝食の片付けを終えたボクは、木乃香さんと交替で皆さんに勉強を教えている真っ最中だ。ちなみに午前の科目は理科と社会。暗記科目だし、直前の詰め込みだけでも十分点数アップに繋がると思ったから。前半は木乃香さんが理科を、そして後半はボクが社会を教えてたんだけど、今までこんな風に人に勉強を教えたことなんてなかったから、少し緊張してしまった。…………ど、どうかな? みんなちゃんと理解できたかな?みんなの学力云々の話じゃなくて、ボクの教え方的な意味でそんなことを心配してしまう。そんなボクだったんだけど…………。「ネギ君すごぉい!? 教えるの上手だねー? 学校の授業より全然分かりやすかったよー!!」「うむ。試験のヤマもしっかり教えて頂けたし、要点が飲み込みやすかったでござる」「ムツかしい漢字に、振り仮名打テくれてたのも助かたアルヨ~」「…………ほっ」上から順に、まき絵さん、楓さん、古菲さんがボクの講義にそんな好意的な評価を述べてくれる。いろいろと手探りでやった講義だったけど、みんなにそう言ってもらえて一安心だ。「えへへっ…………大勢の人にこうして勉強を教えるなんて初めてだったし、実は凄く緊張してたんですが、そう言って頂けて良かったです」「いえいえ、とても初めてとは思えない見事なご講義だったです。まき絵さんのおっしゃるとおり、学校の授業より余程有意義でした」「ホンマになぁ? 午後はウチが国語のヤマ教える予定やったんに、何かハードル上がってもうた気がするえ」はにかみながら言ったボクに、夕映さんと木乃香さんがそんな言葉を掛けてくれる。えへへっ…………こんなに手放しで褒められると、何か照れちゃうな。あれ? そう言えば、アスナさんずっと黙ってるけど…………もしかして、分かり辛かったのかな?恐る恐るアスナさんに視線を移すボク、すると…………。「…………(かりかりかりかりっ)」アスナさんは必死で黒板にボクが書いたことを書き写していた。あ、あはは…………ちょっと板書のスピードが速すぎたのかな?午後の英語ではもう少し気を付けよう。ノートと格闘を続けるアスナさんを見て、ボクはそんなことを決意するのだった。「…………さて、お昼まで時間もありますし、残った時間は自習にしましょうか? まだ黒板を写してない人は、このままにしておくのでゆっくり書いてください。ただ写すんじゃなくて、内容ををきちんと頭に入れながら書き写すとより効果がありますから」「「「「「はーーーーい」」」」」ボクの言葉に、5人は元気良くそんな返事をしてくれた。…………この分だと、本当に魔法の本無しでも、それなりの成績アップは望めるかもしれないな。ここまで勉強を見ていて気が付いたけど、実際のところ、バカレンジャーって言われてる5人は、そんなに頭が悪いという訳ではないみたいだ。まずは古菲さんだけど、彼女は日本語の勉強が追い付いていないだけで、理解力が劣っていると言う訳じゃない。だから、こちらが彼女のペースに合わせて教えてあげると、きちんとそれを吸収してくれる。なので、何度も繰り返して復讐すれば、きちんと成績は伸びそうだ。それから、アスナさん、まき絵さん、楓さん。この3人の問題はとても分かりやすいものだった。何と言うか、彼女たちは基本が出来ていないのだ。そしてその理由は、単純に勉強に時間をかけていないから。まき絵さんは新体操部のエースだって言ってたし、アスナさんはアルバイトが忙しいって言ってた。楓さんは…………詳しいことは分からないけど、図書館に入る前、小太郎君の格闘技仲間みたいなことを言ってたし、その辺の事情だろう。そんな訳で、彼女たちはこれまで殆ど勉強に裂けるような時間が無かったんじゃないかな?だからきちんと時間を掛けさえすれば、少しずつとは言え成績はついて来てくれると思う。残るは夕映さんだけど…………ボクは彼女が一番問題かも知れないって思ってる。夕映さんは何と言うか…………勉強に対する興味が余りにも希薄なのだ。というより、勉強に目的意識がないって言うべきかな?恐らく、単純な学力、教養という点では、彼女は他の4名と比べて、頭一つ抜き出て高いものを持っている。だけど彼女は、それをどう活用して良いのか、あるいはそれに対してどんな目標を持って臨めば良いのかを図り兼ねてるんじゃないかな?だから勉強に対して一生懸命になれない。何のためになるか分からない勉強をするくらいなら、大好きな読書に時間を割いた方が、よっぽど有意義だって思ってる節も多々見受けられた。もっとも、今回に限っては少し事情が違うみたいだけど。どうやら彼女は、今のクラスというか、そのクラスにいる友達のことをすごく大切に思ってるみたいだ。だから今回、クラス解散になる、或いは初等部からやり直しになるという状況に、他の4名以上に危機感を抱いている。なので今してる勉強は彼女にとって『友達との楽しい学園生活を守る』っていう大きな目標の上に成り立っているのだろう。他4名より学力が上な分、目標が出来た彼女は問題なく知識を吸いこんでくれているのだ。…………救助を待つまでの代替手段として思いついたこの勉強会だったけど、思った以上に成果を上げてくれそうだな。それもこれも、ここに来る前に小太郎君がボクにあんな約束を持ちかけくれたおかげだね。『もし俺と離れても無茶はせず、そん時自分に出来ることを考えること』小太郎君がああ言ってくれてなかったら、ボクは迷わず魔法を使ってみんなを地上へ帰そうとしていただろう。そしてその結果として、ボクの偉大なる魔法使いへの道は閉ざされていた。きっと彼は、そんな事態もお見通しだったのかもしれない。…………全く、彼には敵わないなぁ。そんなことを考えながら、ボクは思わず苦笑いを浮かべていた。「…………あ! そう言えば、コタ君って自分の勉強大丈夫なのかな?」奇しくもボクが小太郎君のことを思い浮かべていたのと同じタイミングで、まき絵さんがそんなことを言い出した。…………というか、今の今までみんな彼のこと忘れてなかった?「言われてみればそうでござるな」「確かに、彼の性格と言動を考えると、マメに勉強をしているようには思えないです…………」「ワ、私たちのせいで、コタローの成績が下がたら、かなり申し訳ないことになるネ…………」そんなまき絵さんの言葉に、楓さん、夕映さん、古菲さんが、青い顔をしながらそれぞれに小太郎君の心配を口にする。けど夕映さん、何気に小太郎君の成績が悪いって決めつけてませんか?…………まぁ気持ちは分からなくもない。正直、ボクもアレを目にするまで、きっと小太郎君は勉強なんてしない人なんだろうなぁ、なんて思ってたし…………。ちなみに『アレ』というのは、ボクが小太郎君とルームシェアを始めた4日後のとある出来事。その頃にはすでにボクは食事当番になってて、その日は少し早めに食事を終えていた。そして、消灯までかなり時間が余ったボクらは、それぞれ思い思い過ごすことにしたんだけど…………。その直後、小太郎君は躊躇い無く机に向かっていた。余りに彼のイメージからかけ離れたその行動に、あまりに驚いたボクは、彼の背中から机を覗き込んで、こう声を掛けたものだ。『こ、小太郎君? 勉強するの?』今考えたら、何て失礼な言葉だったんだろうと反省している。だけど、小太郎君はそんな周囲の反応に慣れていたのか、嫌な顔一つせず、こんな風に答えてくれた。『ああ。マメに課題こなしとかんと、後で溜まってまうとやる気失せてまうからな』『課題? あれ? 今日って、何か宿題とか出てたっけ?」『あーちゃうちゃう。これは学校の課題やのうて、自分ルールで作っとる課題や』少し慌てて尋ねたボクに、小太郎君は苦笑いを浮かべながらそう説明してくれた。『自分ルール…………? それって、自己学習ってこと?』『まぁ噛み砕いて言うとそーゆーことやな。学校の宿題だけやと実際勉強て不十分になりがちやろ?』『た、確かにそうだね』笑顔でそう尋ねて来た小太郎君に、ボクは自分の経験を通してその言葉が正しいことを痛いほど良く分かっていたので、素直にそう頷いた。彼の言う通り、学校で教えてくれることは、事実必要最低限に抑えられていることが多い。もっとも、それは学力に幅のある大勢の学生を一度に教えなくてはならない学校のシステム上仕方のないことなんだけど。ボク以外にも、そんな風に思っている人がいたことが何か新鮮で、目を丸くしぱなっしだったボクは、いつの間にか笑顔を浮かべていた。いたんだけど…………。『ところで、今は何の科目を゛…………!?』小太郎君が広げていた参考書を見て、思わず凍りついた。だって、小太郎君が開いたページには、とても中学生が習うとは思えない複雑な数式やグラフがたくさん並んでいたんだから。恐る恐る、そのページの上端に視線を移すボク。そこにはゴシック体でこう記されていた。『高校数学Ⅲ-C 応用編』…………な、ナニコレ?見間違いかと思って目を擦り、もう一度改めてその部分を見たボクだったけど、結果は変わらなかった。『高校数学って、何でこんなの勉強してるのさっ!?』余りに予想の範疇を越えた事態に、声を荒げながらそう質問したボク。だけど小太郎君はそんなボクの反応も予想していたのか、事もなげにこう答えた。『言うたやろ? 学校で教えとることやと不十分やって。それに、ネギかてこん程度の問題なら解けるんとちゃうか?』『う゛っ…………ま、まぁ解けないことはないけどさ…………』日本に留学する前、短期間だけど向こうの大学に在籍してたこともあるし、こちらでいう高校程度の科目なら一通り解ける自信はある。…………だけどボク、そのことを小太郎君に言った覚えはないんだけどなぁ?それに、ボクは事情があったけど、小太郎君にはそういう事情はない筈だ。加えて、いくら学校で教えていることが不十分だとしても、いずれ高等部に進学したら習う内容なんだから、今からそれを先取りしておく必要はない。そんな考えが顔に出ていたのか、ボクが尋ねる前に、小太郎君はこう言った。『知識言うんは先取りしとって得することはあっても困ることはあれへんやろ? 実際、こんレベルの数学出来とったら中学の問題はへの突っ張りにもなれへんし』『そ、それはそうだけど…………だ、だからって普通、独力で高校レベルの勉強をしようとは思わないよ』ボクはこのとき、改めて小太郎君の規格外っぷりを垣間見たような気がした。そんな気持ちを乗せて言った言葉だったんだけど、どうやら小太郎君は違ったらしい。自分の行為がさも理に適ったことだと言うように、彼はぴっと右の人差し指を立てると、こう説明してくれた。『これは俺の持論やけどな『知識は十分『武器』になる』。せやから、十把一絡げに色んなことを学ぶんは、俺にとって武術の腕を磨くんと同じくらい大事やねん』『…………』…………言ってることは正しいけど、高校数学はどうやったら武器になるのかな?そう思ったボクだったけど、そう言った小太郎君が余りにも得意顔だったので突っ込むことは出来なかった。彼の言った『知識は『武器』になる』という言葉には、感銘を受けたりもしていたしね。事実、魔法使いにとって『知識』とは即ち『武器』だ。多くの呪文を知り、その対応策を知れば、自然と魔法使いとしてのスキルアップに繋がっていく。だから小太郎君の口にした言葉は、ボクのような魔法使いにとっては紛れもなく真理だったのだ。そんな訳で、ボクはその日、黙々と問題集に挑む小太郎君を尻目に、普通に学校指定の問題集を解くことになった。…………とまぁ、そんなことがあったおかげで、ボクの小太郎君に対するイメージはまた一つ大きく塗り替えられることになった訳だ。後で担任の葛葉先生から聞いた話だと、小太郎君は本校男子中等部に入学して以来、通知表に5以外の数字を付けたことがないらしい。日本には文武両道って言葉があるらしいけど、彼ほどそれを地で行っている人もいないだろうなぁ…………。もっとも、彼とはクラスどころか学校の違う彼女たちはそんなことを知らないんだろうけど。そう思ったボクは、彼女たちを安心させてあげようと、その事実を伝えようとする。だけど、そんなボクよりも前に、彼女たちにこんな言葉を掛けた人がいた。「コタくんのことなら、別に心配せぇへんでも大丈夫やと思うえ?」にこやかにそんなことを口にしたのは、ボクと一緒にみんなに勉強を教えていた木乃香さんだった。…………そう言えば、アスナさんが木乃香さんは小太郎君とかなり仲が良いみたいだって言ってたっけ?そう考えると、彼女が小太郎君の学力を知っていても不思議じゃないのかな?そんなことを考えて、ことの成行きを黙って見守るボク。その目の前で、木乃香さんはみんなにこんな説明を始めた。「コタくん、高校レベルの勉強とかしとるらしいし、試験前やからって特別勉強しとるみたいなことは、これまで殆どなかったんやて」「こ、高校レベルって…………何でそんなことしてるの?」驚きに目を丸くしながら、木乃香さんにそう尋ねるまき絵さん。まぁ、彼の普段の言動しかしらなかったらその疑問はもっともだよね。「何やったかなぁ? コタ君、口癖みたいに良ぉ言うてたんやけど…………」「『知識は『武器』になる』ですか?」首を傾げながら、彼の言葉を思い出そうとしている木乃香さんに、ボクはそんな風に尋ねてみた。「あ、それそれ!! 武器や武器!! えとな、コタ君の話やと、勉強を頑張るんは十分武術の稽古に役立つんやて」すると、どうやらボクの勘は当たっていたらしく、木乃香さんはぱんっと嬉しそうに手を会わせながらみんなにそう言った。…………彼のそんな口癖まで知ってるなんて。本当に木乃香さんは小太郎君と仲が良いんだなぁ。「武術に役立つ、ですか…………?」「…………楓、私メチャクチャ耳が痛いアルが、血とか出てないアルか?」「…………安心するでござる、古。拙者も正直耳が千切れそうだが出血はしておらんでござる」木乃香さんにそう言われて、不思議そうに首を傾げる夕映さん。そんな彼女の横では、小太郎君と同じく武闘派らしい楓さんと古菲さんがそんなやり取りをしていた。…………確か日本には痛い所を突かれたときに使う、『耳が痛い』っていう慣用句があるんだっけ?多分、今の2人のやりとりは、そんな慣用句に掛けたものなんだろう。…………やっぱり結構頭良いんじゃないかな?「まぁ、そこで高校レベルに手を出すあたり、ぶっ飛んでてあいつらしいわよねー?」ようやく板書が一通り終わったのか、顔を上げたアスナさんが苦笑いを浮かべながら、そんなことを言った。確かに、彼女の言う通り小太郎君の突拍子もない思いつきは実に彼らしい。そう思って、ボクも思わず苦笑いを浮かべていた。と、ちょうどその時…………。―――――きゅるるるる…………まき絵さんのお腹が、そんな風に可愛らしい鳴き声を上げたのは。頬を赤く染めながら、まき絵さんは慌ててお腹を押さえる。「あ、あはは…………こ、コタ君の成績のことで安心しちゃったらつい…………」罰が悪そうに苦笑いを浮かべてそんな言い訳をするまき絵さん。その様子が微笑ましくて、ボクはついつい吹き出してしまいそうになるの堪えながら、自分の腕時計に目をやった。時刻は午後12時を少し回ったところ。確かに普段だったら昼休みになってる頃だ。どの道、もう自習をしてもらうつもりだったし、明日菜さんの板書も終わったんなら昼食にしても問題ないかな?そう結論付けたボクは、みんなにこんな提案をすることにした。「それじゃ、そろそろお昼にしましょうか? 朝は木乃香さんに任せてしまったので、お昼はボクが用意しますよ」昨日の夜食と言い、図書館島に入って以降木乃香さんの料理にお世話になりっぱなしだからね。これも自分に出来ることの一つだと思い、そう提案したボクだったんだけど、みんなからは意外そうな顔をされてしまった。…………そっか。考えてみればボクは男の子っていうことになってる訳だし、料理が出来るのを不思議がられても無理はないのか。けど、一応麻帆良って全寮制なんだし、料理が出来る男子だって少なくはないと思うんだけどな?「ね、ネギ君、料理も出来るんだ?」驚いた感じでそう尋ねて来るまき絵さん。そんな彼女にボクは笑顔で頷いた。「はい。家事は割と得意ですよ? イギリスに居た頃は、良くお姉ちゃんとお菓子なんか作ってましたし」もっとも、料理の腕はお姉ちゃんには未だ及ばないけど。それでも料理をするのは結構好きなんだよね。何と言うか…………普段は性別を偽っている分、こう『女の子らしい事をしてる』っていう事実が妙に心地良いというか。日本に来てから、小太郎君以外に手料理を振る舞ったことなんかないし、せっかくの機会だからみんなにもボクの料理の味を見て欲しかったんだけど…………。そう思ってボクは、改めてみんなの顔色を伺う。みんなまだ一様に驚いたような、感心したかのような表情を浮かべたままだったけど、ただ1人、みんなとは違う表情を浮かべている人が居た。「ほな、お昼はネギ君にお願いしよか? けど人数多いし、1人やと大変やろうからウチも手伝うえ?」そんな風に、はんなりとした笑顔を浮かべて言ってくれる木乃香さん。それでみんな我に返ったのか、ようやく笑顔を浮かべてくれた。「そうでござるな。せっかくだしイギリス料理と言うものも食べてみたいでござる」「美味しい料理なら、何でも大歓迎ネ!!」「ね、ネギ君の手料理なら何だって美味しく食べるよ!!」「そうですね…………料理が出来ると言うのなら、ここはお2人にお任せするです。正直、今朝の私はあまり木乃香の役に立てませんでしたから」「まぁ、どの道私は料理出来ないし、作ってくれるって言うなら何だって歓迎するわ」そして口々にそんなことを言ってくれるみんな。…………よし。みんなの期待に応えるためにも、頑張って美味しいお昼を用意しなきゃ!!右の拳をぎゅっと握りながら、ボクはそんな事を決意するのだった。そんな訳で、木乃香さんとボクはキッチンに移動していた。まずは昼食のメニューに合わせて、冷蔵庫から食材を運んで来る。…………んー? せっかくだし、イギリスの郷土料理とかにした方が良いかな?楓さんも、せっかくならイギリス料理が食べてみたいって言ってたし。往々にして『不味い』と言われてるイギリス料理だけど、中には美味しいものもあるんだって知っていてもらいたいしね。牛肉に、小麦粉、野菜も結構あるな…………。ちょっと作るのに時間は掛かるけど、ここはオーソドックスにローストビーフとヨークシャー・プディングにしようかな?幸いにも大きめなオーブンなんかもあるし、あとは付け合わせでサラダと、プディング用のソースなんかも作ってみよう。そんな風に考えながら、ボクは次々とワゴンに食材を乗せていった。「ふふっ、ネギ君、何や楽しそうやな?」気が付くと、鼻歌交じりで食材を選んでいたボクに、木乃香さんが笑顔でそんなことを言った。…………いけない、いけない。ついいつもの調子でやっちゃったよ。木乃香さんて結構鋭いし、何の拍子に女の子だってバレるか分からない。あんまり気を緩めないようにしないとね。「あ、あはは。料理って食べてもらう時のことを考えてると楽しみになりませんか?」そんな風に、少し照れた風を装って答えるボク。木乃香さんはそんなボクに、しっかりと頷いてくれた。「そうやね。ウチも明日菜に良ぉご飯作るけど、食べてもらった時のこと考えたら、何やわくわくするもんな」「で、ですよねー? …………ほっ」よ、良かった。どうにか話題の転換を図ることが出来たみたいだ。さすがに『女の子らしいことをしてるのが楽しいんです』なんて言えないもんね…………。さて、大体必要な食材は乗せたし、後はキッチンに戻って調理するだけだね。そう思って、ボクはワゴンを引いてキッチンへと向かうのだった。「…………そう言えば」「はい?」キッチンに戻って料理をしていると、不意に木乃香さんが何かを思い出したかのように声を上げた。一端料理を作る手を止めて、木乃香さんへ視線を移すボク。すると木乃香さんはこんなことを尋ねて来た。「ネギ君て、コタくんと同室やんな? 普段はコタくんに料理作ってあげたりしてるん?」「そうですね。食事は大体ボクが作ってますよ。小太郎君、放っておくとすぐコンビニ弁当とか、店屋物で済ませちゃいますから」苦笑いしながら、そんな風に応えるボク。小太郎君の話だと、ボクが留学して来る前は、殆ど夕食はコンビニ弁当だったらしい。…………あれカロリー高いし、あんな毎日食べてたら絶対太ると思うんだけど?まぁ、小太郎君は想像を絶するくらい毎日運動してるんだろうな。ボクと同じようなことを考えていたのか、木乃香さんもいつの間にか苦笑いを浮かべていた。「確かに、コタ君料理は全然言うてたもんなぁ。生理整頓とか、掃除とかは得意みたいなんに何でやろうな?」そして苦笑いのまま、そんな疑問を口にする木乃香さん。確かに言われてみれば、小太郎君、料理以外の家事は人並み以上なんだよね。本棚とか、机の引き出しの中とか、果ては救急箱の中身まで、びっくりするぐらい綺麗に整頓されてるし。その理由を尋ねたところ、『必要な時に必要なものを取り出せるようにしとくのがプロ』だって言われた。…………いったい小太郎君は何のプロなんだろうね?それにしても…………木乃香さんって本当に小太郎君のこと良く知ってるなぁ。さっきの成績の話のときにも思ったけど、アスナさんの言っていた通り、本当に小太郎君と仲が良いのだろう。…………良い機会だし、いろいろと小太郎君のことを聞いてみようかな?小太郎君と生活を初めて1月近くが経ったけど、実際ボクはまだ彼のことで知らないことの方が多いと思うし。タカミチの言っていた、小太郎君とお父さんが似てるって話に関しても、アスナさんとの会話以来、差したる収穫は得られていない。もちろん、お父さんのことを知らない木乃香さんに小太郎君の話を聞いても、2人がどんな風に似てるか何て分からないと思う。それでも、ボクは何となく、もっと小太郎君のことが知りたいと思ってしまっていた。…………な、何かこう言っちゃうと、ボクが小太郎君に恋しちゃってるみたいだね?い、一応断っておくけど、断じてそう言う訳じゃないからね?…………まぁその、図書館島の地下に入ってからは、こう、何度も格好良いなぁ、なんて思っちゃった点は否めないけど…………。それに、小太郎君のことは凄く良い人だと思ってる。けど、今ボクが感じてるこの感情は、まだ恋愛感情って言えるほど確かな好意じゃない。それははっきりと言えることだった。…………って、ボクはいったい誰に向かって長々と言い訳してるんだろうね?自分の思考に苦笑いを浮かべながら、ボクは考えていた通り、木乃香さんに小太郎君のことを尋ねてみることにした。「木乃香さんは、小太郎君と仲が良いんですね。 もしかして、結構付き合いも長いんですか?」「んー、仲は良えと思うけど、付き合いは長くあれへんよ? コタくんがこっちに越して来てからやし、付き合いの長さ自体はアスナとそう変われへんのやないかな?」「そ、そうなんですか?」いきなり当てが外れちゃったなぁ…………。小太郎君と同じ、関西方面の人特有の口調だったからもしかしてって思ったんだけど。少しがっかりするボクだったけど、木乃香さんが続けた言葉に、再びぴんっと背筋を伸ばしていた。「付き合いの長さだけで言うたら、ウチよりせっちゃんの方が長いんちゃうかな? 確か、コタ君がウチの実家に来たんが8歳んとき言うてたし、そんときからの付き合いみたいやえ?」「せっちゃん、さんですか…………?」「うん。あ、せっちゃんは桜咲 刹那言うて、ウチの幼馴染みでクラスメイトなんよ。ウチは初等部から麻帆良におったさかい、その間はせっちゃんとも疎遠になってもうてたんやけど、コタくんとせっちゃんはその頃に知り合うて、何や一緒に剣術の稽古とかしてたみたいやえ?」「サクラザキ セツナさん…………」木乃香さんに言われたその人物の名前を、小さく繰り返すボク。どこかで聞いたことがあるような気がするんだけど…………って、そうだ!!「ああ!! 確か、小太郎君が毎朝一緒に早朝稽古をしてる方ですよね!?」毎朝ボクが起きると部屋から居なくなっている小太郎君とチビ君。その行き先を尋ねたボクに、小太郎君は早朝稽古について教えてくれた。確かその早朝稽古をやってるメンバーの一人が桜咲 刹那さんだったはず。後は小太郎君の腹違いの妹さんが一緒に稽古をしてるみたいなことを言ってたと思うんだけど…………。ボクの答えに木乃香さんは笑顔を浮かべて頷いてくれた。「そうそう。早朝稽古んときはキリちゃんも一緒って言うてたかな?」多分そのキリちゃんさんが小太郎君の妹さんの事なんだろう。それにしても…………8歳の頃からの付き合いか。となると、この麻帆良ではその桜咲 刹那さんが最も良く小太郎君を知る人物になるのかな?だとすると、是非一度話を聞いてみたいところだけど…………ちょ、ちょっと怖いなぁ。というのも、ボクはその桜咲さんに直接会ったことはなく、彼女へ抱いてるイメージは、全て小太郎君とのやりとりから形成されたものなのだ。例えば…………。『ただいまぁ…………』『ばうっ』『あ、おかえり小太郎君。朝ご飯もうすぐ出来…………ってうわっ!? ど、どどどうしたのその顔の痣っ!?』『あー…………稽古中に事故ってな。こけた拍子に刹那の胸触って、その直後に全力で殴られた。もちろん気力全開で強化した木刀で』『…………』『俺やからこの程度で済んどるけど、普通の魔法使いやったら確実にあの世逝きやで? なぁチビ?』『きゃんきゃんっ』『さ、桜咲さんって、随分パワフルな女性なんだね…………?』…………とまぁ、そんな出来事があったんだよね。もちろん、事故とは言え異性に胸を触られた、なんて状況、女の人としては怒って当然だと思う。ただ、ただね? それで躊躇い無く、人一人殺せそうな勢いで殴り飛ばすって言う一連の行動がさ…………こう、ちょっと危険な香りを醸し出していると言うかね。そんなことを思い出して、ボクは若干顔から血の気を失いつつ、愛想笑いを浮かべることしか出来なかった。「え、ええと、桜咲さんでしたか? 小太郎君の話だと、かなりパワフルな女性のようですね?」「そうやね。見た目は華奢なんにな? コタくんも封印が解けてからせっちゃんの容赦がなくなったー言うてぼやいてたし」「そうなんですか? まぁ、封印が解けたってことはそれだけ小太郎君も強くなったってことですし、当然と言えば当然ですよね」…………まぁ、だからって木刀で顔面強打はさすがにやり過ぎ感が否めないけどね。そんなことを考えながら、再び調理を再開するボク。…………あれ? 今の会話、何かおかしくなかった?ふとそんなことに思い至って、再開したばかりの調理を、はたと止めてしまうボク。その原因に気が付いた瞬間、再びボクの顔からは一斉に血の気が引いていた。…………い、いいいい、今、木乃香さん『封印』って言った!?ど、どうして一般人の筈の彼女が、小太郎君に掛けられていた封印のことを!?と、というかボク、普通に答えちゃったし、こ、これってもしかしてマズいことになっちゃった!!!?恐る恐る、木乃香さんへと視線を戻すボク。ボクと目が合った瞬間、木乃香さんはにぱー、と可愛らしく微笑んで…………。「えへー☆ やっぱネギ君も、魔法のこと知っとる人やったんや?」「~~~~っっ!!!?」ボクにとっては、この上ない爆弾発言を投下してくれた。…………ハメられたっ!!!?な、何か言い訳をっ…………!?そう思ってわたわたとするボクだったんだけど、そんなボクに木乃香さんは手をひらひらとさせながら、こんな言葉を掛けてくれた。「ネギ君ネギ君。心配せんでも、ウチ最初から魔法のことは知っとるえ?」「へ…………?」…………最初から、知ってた?木乃香さんの言葉に、思わず凍りつくボク。けれど、考えてみればそれは当然のことだった。だって彼女は、自分から小太郎君に掛けられていた『封印』について口にした。それはつまり最初から、彼女は魔法の存在を知っていたということに他ならない。そ、そんなことにも気が付かないなんて、いくらなんでも動揺し過ぎだよ…………。一気に緊張が解けて、ボクは思わずその場にへたり込んでしまった。「はぁ~~~~っ…………寿命が一気に縮んだ気分ですよぅ…………」「あはは。堪忍な? ウチかて、正直半信半疑やったんよ。せやから、ちょっとずるいかなー思たけど、鎌掛けてみたん」悪戯っぽく笑いながら、ボクに手を差しのべながらそう言う木乃香さん。…………というか、一体彼女はどの時点でボクを疑ってたんだろうね?というか、彼女が魔法使いなら、わざわざこんな誘導尋問をしなくても、地底図書室に落ちて来たとき、ボクが魔法を使ったことでボクの正体には気付いたはずだ。そこで気付かなかったということは、彼女は魔法使いじゃない?木乃香さんの手を握り返しながら、ボクはふとそんなことを考えていた。「あの、木乃香さんは、魔法使いなんですか?」「ううん。ウチはただ魔法のことを知っとるだけで、魔法使いやあれへんよ。ただの一般人やえ?」のほほんと、笑顔でこともなげにそう答える木乃香さん。…………どういうことだろう?魔法使いじゃないけど、魔法のことを知ってる一般人?それってかなり矛盾してるような気が…………って、そういえば木乃香さんって学園長のお孫さんだってアスナさんが言ってた。アスナさんも学園長が後見人をしてるってことで、記憶が消されずに済んだって言ってたし、その辺はあの人の威光のおかげでなんとかなってるのかもしれない。ふと鎌首を擡げた疑問に、ボクはそんな風に結論を付けた。「けど、どうして魔法のことを? 一般人と言うことは、魔法のことは知らずに生活していたんですよね?」立ち上がったボクは、木乃香さんにそう尋ねる。記憶が消されていないにしても、彼女が最初から魔法について知っていたということはないだろう。その経緯が気になって出た疑問だ。「えとな? 1年の夏休みに、ウチが事件に巻き込まれて、そんときにコタくんから助けてもろたんがきっかけなんやけど…………コタ君から聞いてへん?」「…………全然聞いてないです」…………道理で木乃香さんが場馴れしてる筈だよ。というか、小太郎君もどうして木乃香さんが魔法について知ってるって教えてくれなかったんだろ?最初から知ってれば、ボクはこんなに心労を募らせずに済んだのに…………。そんな風に思っていたのが、顔に出ていたのか、木乃香さんは苦笑いを浮かべながら、ボクにこんなことを言った。「コタくんのこと悪く思わんといてな? 多分、ウチにネギ君が魔法使いやって隠してたんは、何か理由があったからやと思うし」「木乃香さん…………」そう言った彼女の言葉からは、小太郎君への信頼がありありと感じられる。…………まぁ確かに、小太郎君が何の考えも無しに、こんな回りくどいことをしてるとは思えない。木乃香さんに言われたからと言う訳じゃないけど、ボクは何となくそう思えた。無事に再会出来たら、その辺の理由もちゃんと聞かなきゃね。…………そう考えると、結構小太郎君に聞かなきゃいけないことが盛りだくさんだなぁ。思わずボクは、小さく笑みを浮かべていた。それにしても…………もう1つ気になっていることがある。図書館島に入る前や、ボクが女の子かも知れないって疑われたときの木乃香さんのあの反応…………。正直、別人なんじゃ? と疑わしくなるほどのあの迫力。その正体に関すること。…………あれって、もしかしなくても、ヤキモチ、だよね…………?それはつまり、木乃香さんは小太郎君のことを…………。つい今しがた、木乃香さんが言っていた『小太郎君に助けられた』という事実と、先程の彼女が見せた彼に対する信頼の表情が、そんな懸念に拍車を掛けていた。それに、ボクだって、一応は年頃の『女の子』だ。恋愛に関する話題に、興味がない訳がない。顔を覗かせた好奇心を抑えることが出来ず、ボクは木乃香さんにこんなことを聞いてしまっていた。「あの、木乃香さんはもしかして…………小太郎君のことが好きなんですか?」「ぶっ!!!?」あ、吹き出した。…………木乃香さんって、凄く落ち着いてるイメージだったけど、やっぱり自分の恋愛に関することとなると、さすがに冷静ではいられないのかな?木乃香さんは慌てて口元を拭うと、深呼吸をしながらボクへと向き直った。「あーうー…………ま、まぁ隠しても仕方あれへんし、言うてまうけど、確かにウチはコタくんのことが好きやえ?」頬を赤く染めながら、恥ずかしそうにそんな告白をしてくれる木乃香さん。やっぱり…………小太郎君め、はぐらかしてたけど、やっぱりモテるんじゃないか。何か、叩いたらもっと埃が出そうだし、そこも再会出来たら是非追及して見よう。それはさておき…………。「へぇ…………告白とかはしないんですか?」今は木乃香さんの話題の方がボクにとっては重要だ。イギリスに居た時は、同年代の女の子なんていなかったし、こういう恋愛の話題は中々出会えなかったからね。そんな訳で、ボクは目を爛々と輝かせながら、木乃香さんにそんな質問を投げかけた。だけど…………。「うー…………それが出来たら苦労はせぇへんよぉ」どういう訳か、木乃香さんは力の無い声で、今にも泣きそうな表情になりながらそんなことを言った。え? え!?ど、どうしたのかな!?告白できないって…………も、もしかして、小太郎君には他に好きな人がいるとか!?うわぁ…………もし、そうだったとしたら、ボクは何て軽率、というか残酷なことを聞いちゃったんだろう。慌てて木乃香さんに謝ろうとしたボク。だけど、そんなボクよりも前に、木乃香さんがぽつり、とこんなことを呟いた。「…………今告白しても、コタくんに迷惑かけるだけやもん」「え…………?」消え入りそうな声で、そう囁かれた言葉。だけどその言葉は、しっかりとボクの耳に入ってきた。どういうことだろう…………?今告白しても迷惑になるだけって…………もしかして、小太郎君が最近失恋しちゃったとか?…………いや、それはそれで想像できない。あの小太郎君がフラれるところなんて、考えるのも難しいもん。じゃあ、どういうこと…………?そんな疑問が顔に出てしまっていたのか、木乃香さんは背筋をぴっと伸ばすと、無く一歩手前みたいな表情を一変させ、真剣な表情でボクに向き直った。「あんな、ネギ君。コタくんはな、どうしてもやらなあかんことがあって、それをやり通すまでは、恋愛なんて考えられへんって言うてるんよ」「どうしてもやらなきゃいけないこと、ですか…………?」「…………(コクッ)」ボクの言葉に、黙って頷く木乃香さん。それが、木乃香さんが小太郎君に告白できない理由…………。だけど、それって一体何のことだろう?あの器用な彼が恋愛なんて考えられないと言うほどのことだ。余程困難な何かだとは思うけど…………。「あの、そのやらなきゃいけないことって、いったい何なんですか?」まるで見当もつかない、小太郎君のやらなきゃいけないこと。その正体に心当たりなんて全くないのに、どうしてかボクは、それが小太郎君を知る上でとても核心に近いものであるような気がしてならなかった。もしその答えを知れたら、ボクは彼の深淵をのぞけるような、そんな気が…………。しかし、ボクのそんな期待を余所に、木乃香さんは小さく首を横に振った。「ゴメンなネギ君。これはウチの口からは言えへん。もしネギ君がコタくんのことホンマに友達やと思てるなら、ちゃんとコタくんの口から聞いたが良えと思うえ?」「…………そう、ですか」少しだけ肩を落として俯いたボク。だけど、不思議と残念とは思っていなかった。いや、もちろん木乃香さんの答えは残念なものだったけど、彼女がそう答えるであろうことは、何となく予想が出来ていたから。それに、蟲の好い話だとも思ってしまったから。―――――自分の深淵を隠したまま、他人の深淵を覗き込む、そんな行為が。…………はぁ。小太郎君について、色んな話が聞けるかも知れないって思ったんだけど…………。木乃香さんと話して分かったことは、結局ボクが小太郎君について思っていた以上に何も知らないってことだった。だから、ボクは改めて、こんなことを誓った。小太郎君と無事に再会出来たら、彼にもっと色んなことを聞いてみよう。そしてそれと同じくらい、ボクのことも彼に知ってもらおう。もともと、彼の事を知るために、誰かの話を聞こうっていうのがお門違いだったんだ。彼以上に、彼の事を知ってる人間なんていないのに。だから小太郎君…………早く、返って来てよね?そんなことを想いながら、ボクはようやく調理を再開するのだった。SIDE Negi OUT......