―――――ゴォォォォォオオオオオ…………燃えていた。家も、人も、大気さえもが、紅蓮の炎に包まれ焼け落ちて逝く。忘れもしない。これは…………6年前、兄貴が一族を裏切った日の光景だ。何故、こんなところに俺は…………?確か俺は楓たちを庇って、あの骸骨どもに取り込まれた筈だ。だとすれば、この光景は奴らが俺の憎しみを揺り起こすためにしかけて来た幻術?否…………俺の深層心理を具現化した幻想空間(ファンタズマゴリア)って考えた方が正解だろう。それを証明するかのように、先程まで瀕死の重傷を負っていた身体は完全に回復していた。…………奴らめ、人の記憶を好き勝手覗きやがって。しかしその意図が読めない。俺の憎しみを増大させるだけなら、幻想空間に閉じ込めるなんて回りくどい真似をする必要はない筈だ。一体何故こんな真似を…………?不思議に思いながらも、脱出の糸口を掴まなくてはと、俺はその胸糞悪い世界を歩き始める。その時だった。『一族郎党を皆殺しにされたか…………なるほど、貴様の怨念が深い訳よ』「っっ!?」不意に響いた骸の声に、俺はぎょっとして振り返る。「なっ…………!?」そして再び、俺は息を飲んだ。振り返った先、声をかけて来たその骸は、今の俺と全く同じ姿をしていたのだから。『何を驚いておる? 我らは怨念そのもの。そしてこの世界を模る怨念は貴様のもの。故にこの世界ではこの姿こそが我らにもっとも相応しいものであろう?』「…………」俺と同じ顔で、骸はニヤリと口を三日月に歪め哂う。この野郎…………どこまでも人をコケにしやがって。すぐさまその首を斬り落そうと、俺は自らの爪を気で強化した。この世界を作り出しているのがこいつなら、その根源を断てば元の世界に戻れるはず。俺はいつまでも、こんな辛気臭い所にいるつもりはない!!しかし…………。『そう逸るでない。これからが面白いのではないか』躊躇なく腕を振るおうとする俺に、不快な笑みを貼りつけたまま骸は言った。「…………どういう意味や?」問い掛けた俺に、骸は応えることなく、ただ右の人差し指で俺の背後を指し示す。訝しみながら、俺はゆっくりと奴が指した背後へ振り返った。「っっ…………!!!?」そんな…………この、光景は…………!!骸が示した先、燃え盛る村の中には、真っ向から睨み合うかつての兄の姿と、その兄を悲しげに兄を見つめる母の姿があった。『―――――あんたとあのガキで最後や、母子仲良く往生しぃ』うろたえる俺の視線の先で、兄貴の右腕が高く掲げられる。光さえ屈折させる大量の魔力がそこに集中していた。俺はこの結末を、この最悪の状況を知っている…………。「―――――やめろぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!!」弾かれるように俺は兄貴へと肉薄し、気で強化した右の爪を容赦なく振り下ろす。しかし実体のない幻に触れることは叶わず、俺の爪は虚しく兄貴をすり抜けるだけだった。「っっ!? あかん…………やめろ。やめてくれぇっ!!!!」されど届かぬ俺の叫び。その身体をすり抜けて、兄の腕は深々と母の身体へと突き刺さった。「母ちゃんっ!!!?」崩れ落ちる母の身体を支えようと手を伸ばす。しかしその瞬間、母と兄の幻は、紅蓮の炎となって消えていった。呆然とその場に膝を折る。…………忘れていた訳ではない。兄を恨まなかった筈がない。それでも、俺は復讐のためではなく、仲間を護るために闘うと誓ったのだ。しかし…………。―――――出来ることなら、全てを捨ててでも兄貴を殺したい。その衝動を、どうして殺すことが出来るだろうか?骸どもは、そんな俺の深層心理を読みとっていたのだ。そこに付けこまれたと分かっていながら、俺は沸き上がる兄への復讐心を抑えることが出来なかった。『――――――抑える必要などない』「っっ!?」いつの間にか俺の背後に立っていた骸の言葉に、はっと顔を上げた。骸は俺の前までゆっくりと歩いてくると、視線を合わせるように片膝を着く。『大切な物を奪われて、その報復を行うのは理に反したことではない。何を躊躇う必要がある? 何を抑える必要がある?』すっと右手を差し出す骸。『我らは果たされぬ復讐心のなれの果て。故にそなたの復讐心は痛いほどに解る。我らを受け入れよ。さすればそなたの悲願、我らが共に果たしてやろうぞ…………』それは甘美な誘惑だった。この手を取れば、俺は力を手に入れることが出来る。兄を殺すための、一族の復讐を果たすための、強大な力だ。一瞬の逡巡を経て、俺はゆっくりと自らの右手を骸の右手へと伸ばした。SIDE Kaede......小太郎殿をまたたく間に飲み込む黒い髑髏の群れ。不意を突かれた拙者たちは、ただそれを見ていることしか出来なかった。「くっ!! よもやあの爆発で生き残りが居たとは…………!!」「不愉快ね…………殺しても殺してもすぐに再生なんて。さすがに執念深さは筋金入りってことかしら?」再び立ち上がった紅葉とともに、拙者は己が得物を構える。その目の前で、小太郎殿を飲み込んだ骸たちは、再び巨大な骸骨へと姿を変えた。『『『『『カカカカカカッ!! 他愛もないなぁ、小童共。あの程度で我らを滅するなど片腹痛いわ!!』』』』』―――――ガチガチガチガチガチッ!!!!巨大な顎を鳴らして、骸骨は不快な哂い声を上げる。小太郎殿はすでに瀕死の重傷でござった。紅葉のように、自力で脱出することはほぼ不可能でござろう…………。ここはやはり…………。「拙者たちで何とかするしかないようでござるな…………?」視線だけを紅葉に向けると、彼女も同じように視線を合わせ、口元には力強い笑みを浮かべていた。「さすがに気が合うわね。あの男に借りを作ったままじゃ不愉快だもの。それに…………」苦無の柄を強く握り、紅葉はそびえ立つ骸骨を睨みつける。「これを召喚したのは私よ。後始末くらい、自分で付けて見せる!!」紅葉のその台詞に、拙者は小さく頷く。そして次の瞬間には、骸骨に向けて走り出そうとした。そのときだった。―――――ドクンッ…………『『『『『―――――ぐぅっ!!!?』』』』』「「!?」」突如として、うめき声を上げる巨大な骸。何が起こったか分からない拙者たちは、ただ茫然とその光景を見つめるしかなかった。しかし、これはもしや…………!?『『『『『―――――お、おのれ、小僧!!!!』』』』』降りしきる雨の中、骸骨の咆哮が大気を震わせた。SIDE Kaede OUT......俺は伸ばした右腕で、骸のそれを躊躇い無く斬り飛ばしていた。『ぐぅっ!? こ、小僧!? 貴様、血迷ったかっ!?』斬り落とされた右腕を抑え、数歩後ずさりながら骸が叫ぶ。へぇ、この世界では斬り落とされた奴の身体は再生できないのか…………。それは良いことを知った。恐らく俺の目算通り、奴さえ倒せば俺はこの世界から解放されると言うことだろう。俺はゆっくりと立ち上がると、驚愕に目を向く骸に向けて言い放った。「見くびるなよ? カビの生えた亡霊が。仇討ちに他人の力を借りる程、俺は落ちぶれてへん」『な、何だと…………?』予想だにしていなかった答えなのか、骸はまるで理解できないとばかりに両目を瞬かせる。燃え盛っていた周囲の景色は、いつの間にか見覚えのある立派な道場にその姿を変えていた。『こ、これは…………!?』「確かに俺は兄貴に対する恨みを捨てられへん。それは認めたる。けどな…………」そこは、かつて刹那とともに腕を磨いた、近衛の道場だった。急に姿を変えた景色に狼狽する骸の背後、そこに2つの小さな人影が現れる。それは幼い日の俺と、初めて出会った日の刹那だった。『―――――よろしゅう頼んますえ“小太郎”はん?』見てるこちらまで幸せにするような、極上の笑みを浮かべる刹那。そんな彼女と握手を交わし、力強く笑みを浮かべる幼い日の自身の姿。俺はこのとき確かに思った筈だ。彼女の花のような笑顔が、昏く曇ることのないように、守り抜いてみせると。その誓いは今もなお、この胸に生きている。「最初に言うた通り、俺は仇討ちのためだけに強くなった訳とちゃう…………」再び姿を変える景色。次に現れたのは夕焼けに染まる学園都市。その女子寮の前で、当時の俺と談笑する明日菜の姿だった。『―――――そういう理由なら、応援してあげるわよ。せいぜい頑張んなさい』あのとき俺が口にした言葉は、決して嘘なんかじゃない。全てを護る力が欲しいと、俺は確かに願い己を練磨してきた。「俺は1人で強くなってきた訳とちゃう。俺を信じて、俺に力を貸してくれたかけがえのない仲間たちがおる…………」次の景色は、漆黒の宵闇。廃墟となった郊外の橋。その瓦礫の上で、俺の頭を膝に乗せ優しく微笑む木乃香の姿だった。『―――――コタ君……ウチのこと、護ってくれてありがとな』あの充足感を、俺は決して忘れたりしない。いつの間にか、大切なものを護るため闘い、仲間とともに勝利を掴む瞬間は、俺にとって何にも勝る幸福となっていた。「仲間たちがおったから、俺はこれまで闘って来れた。仲間たちが背中を押してくれたから、俺は迷いも、躊躇いもせんかった…………」またも姿を変える世界。そこは何度も世話になったエヴァの別荘。『―――――私はただ、底抜けのバカが、どんな場所に辿り着くのか、興味が湧いただけだ』ベッドで横になった俺に背を向け、照れ臭そうにするエヴァ。彼女の小さな、けれど大きいその背に誓った野望に、俺はこれまで直走り続けて来た。「俺は復讐以上に、仲間たちを護るため。その力を得るためにただ真っ直ぐ走ってきたんや…………」次に現れる世界は、白く統一された病室。そこに居たのは様々な機械に繋がれながらも、小さく笑みを浮かべ、その瞑らな双眸から涙を流す霧狐と、彼女の小さな手を握り、同じように涙する俺。そして俺たち以上に涙を流し、後ろからそっと見守ってくれている木乃香と刹那だった。『―――――うん。キリも、またお兄ちゃんに会えて嬉しい……嬉しいのに、やっぱり涙、止まんないんだ…………』自ら決死の覚悟を持って俺たちを護ろうとした霧狐。彼女が生きてくれていた奇跡に、一生分の涙を流したことを、俺は決して忘れない。「ときには仲間が傷つくこともある。傷付けた奴を死ぬほど恨むこともある。けどな、そんな思いをするんもさせるんも、俺はもうごめんや」だから俺は強くなりたいと願った。ただ復讐を果たすためじゃない。ただ殺すためじゃない。ただ破壊するためじゃない。ただ…………ただ護り抜くための力を、俺は望んだ。「もう一度言うで? 俺は復讐ばっかのために強ぉなった訳やない…………」目を閉じ、大きく息を吸う。そして俺は、いつも通り、闘気に満ちた獣の笑みを浮かべた。「―――――ダチ公護るために強ぉなったんや!!!!」そしてもう一度宣言する。俺の力の源は、決して復讐なんて血生臭いものなんかじゃないと。『…………くくっ…………カカカカカカッ!!!!』その言葉を受け、骸はけたたましく哂い声を上げる。まるで俺の言葉が理解できないと、俺と己が相容れないと、そう示すかのように。『ほざいたな小僧!! 我らが同胞(はらから)として迎えてやろうと思うたが…………もう終いよ!! 復讐果たせぬ無念を抱え、冥府へ堕ちるが良いっっ!!!!』瞬間、俺と同じように左手に魔力を集中させ飛びかかって来る骸。振われるその腕はまさに俺自身の放つ一閃。この間合いでかわすことなど叶わない、確かに具現化された死。されど、俺はそれを甘んじて受けるつもりなどなかった。―――――ガキィンッ…………『バカなっ…………!?』驚愕に目を向く骸。刹那先に、俺の首を切り落とすと思われた奴の爪は、俺が掲げた左手、そこに収束した漆黒の盾に阻まれていた。「…………狗尾(イヌノオ)」ニヤリと唇を釣り上げ、俺は盾の名を口にする。それは魔力が封印されたことで、久しく使うことを許されていなかった技だった。『ば、バカなっ!? 貴様魔力は封じられておった筈…………!?』「自分が人の頭ん中引っ掻き回してくれたおかげでな。忘れとったこと思い出してん」封印を解くカギを問い掛けた俺に、エヴァが告げたあの言葉。『―――――九尾の魔力を吸収したときの感覚を思い出せ』俺はあのとき、凄まじい怒りに駆られていて、正直そのときの感覚なんて覚えていなかった。しかし、この幻想空間が俺に見せた追想が、それを思い出させてくれたのだ。霧狐を、大切な仲間を傷付けた兄貴への怒り。大切な仲間を護り切れなかった自分への怒り。その2つがせめぎ合い、俺は自らの感情を処理しきれなくなっていた。混沌とした俺の心の中で、最後に残ったのはただ一つ、純然たる闘争本能。冷たい怒りとでも表現すれば良いだろうか、たった1つの感情に支配された俺の思考はあのとき、自身でも驚くほど冴えわたっていた。久しく忘れていたその感覚、今それと全く同じものが俺の全てを占めている。右の拳を握りしめれば、そこに溢れだす膨大な魔力。この身を焼き尽くさんばかりに流れ出すその魔力は、まさしく伝説の妖狐、玉藻の前が有したもの。皮肉にもこの骸のおかげで、俺は封印を解く最後のカギを手に入れたのだ。…………もっとも、ここが俺の心象風景を体現したものであるなら、この世界でまで封印の枷が俺を苛んだとは考え難いが。しかし、例えこの魔力がこの幻想世界が表した幻だろうと構うものか。今の俺には例え現実世界でも、封印を破れる自信があった。「さぁ腐れ骸骨共。そろそろおねむの時間や」再び獣の笑みを浮かべて、俺は全身に魔力を纏う。びりびりと上着を引き裂き隆起する俺の体躯。完全に人ならざるものとなった俺の姿を恐れるように、骸は呆然とした表情で数歩後ずさった。『あ、有り得ん…………貴様如き矮小な生き物に、我らが気押されるなど有り得ん!!!!」自らを鼓舞するかのようにそう叫び、骸は俺と同じように獣化すると、驚くべき速度を持って肉薄してきた。『認めん!! 怨念たる我らが恐怖するなど、断じて認めん!!』先程に倍する速度で振り下ろされる骸の左腕。しかし…………。「どんだけ姿を真似ようが、所詮紛いもん。ホンモンの俺は…………その100倍は迅いっっ!!!!」『―――――っっ!!!?』骸の顔に驚愕が滲んだのは一瞬にも見たない時間。振われた俺の爪は、紫電の如き速さで奴の身体を引き裂いた。「結局、復讐心なんてそんなもんや。どんだけ頭数揃えようが、護るもんがあるやつには敵えへん」―――――ヒュンッ…………ガラァンッ!!!!俺が腕に付いた血糊を払うと同時、幻想空間は音を立てて崩れ落ちた。SIDE Kaede......『『『『『ぐ、グォォォォオオオオオアアアアアッッ!!!!!?』―――――ピシピシピシッ…………ガキィンッ!!!!「「!?」」巨大骸骨が一際大きな呻き声を上げた瞬間、先程の紅葉同様、その額を叩き割って弾丸のように飛び出す人影。その人影は雨粒を弾きながら弧を描くと、息を飲むほどの華麗さで降り立った。「小太ろ…………!?」小太郎殿、そう呼びかけようとして、拙者は咄嗟に言葉を飲み込んだ。骸骨の額を割って現れた人物。その者の気配と容姿が、余りに小太郎殿とはかけ離れていたからでござる。纏う気配は、小太郎殿の優しくも厳しいものでない。禍々しく重苦しい。しかし温かくもある、混沌とした気圏。獣のように発達した四肢と体躯には、いたるところに深紅の呪印が刻まれていた。髪の長さは小太郎殿より更に長く、また野生の狼の毛並みのように跳ねており、頭頂部には一対の獣のような耳が生えている。背後には漆黒の毛並みを持った九つの尾が生え夜風に揺られている。そして夜闇の中でなお煌々と輝きを放つその双眸は、血のような深紅を湛えていた。一見すれば別人としか思えないその者。しかし次の瞬間、拙者は、その者に笑みを浮かべ呼びかけていた。「―――――小太郎殿っ!!!!」その者が浮かべていた獣染みた力強い笑み。それはまさしく、小太郎殿笑みだったから。拙者の確信を裏打ちするかのように、その者はこちらを振り返ると、笑顔とともに告げた。「―――――よぉ? 待たせたな」SIDE Kaede OUT......俺の名を呼んだ楓に笑顔で答える。どうやら、骸骨はまだ2人に何の危害も加えていないらしい。しかし、安堵するにはまだ早い。再び振り返る視線の先。そこには、俺が内側から砕いた額を再び再生する巨大な骸骨の姿があった。「さぁ、そろそろ幕引きといこうやないか。辛気臭い怨霊ども、覚悟せぇ!!!!」右足を振り上げ、強く地面に叩き付ける。だんっ、と地が揺れると同時に、俺の影から現れたのは一振りの太刀だった。持っていた日本刀を投げ捨て、その太刀を左手で掴む。それは封印されたことで抜くことすら敵わなくなっていた父の牙。我が愛刀、影斬丸・真打。多少砕いたところでこの化け物はすぐに再生してしまう。奴を完全に葬るには、やはりこの刀の力が必要だろう。そして、奴を葬るにはもう一手、奴が分裂する隙を与えない必要がある。俺は太刀を握った左と反対、右の腕を高く掲げて始動キーを口にした。「ガル・ガロウ・ガラン・ガロウ・ガルルガ!! 影の精霊1001柱!! 縛鎖となりて、敵を捕えよ!! 魔法の射手、戒めの影矢!!」虚空に現れる無数の黒い矢。巨大骸骨が完全に再生した瞬間を狙い、俺は奴向けて全ての矢を放った。―――――ヒュンヒュンヒュンッ…………放たれた漆黒の矢は、狙い違わずその全てが骸骨へと殺到する。戒めの風矢同様、捕縛の属性持つ俺の影矢。それは骸骨に着弾すると同時、漆黒の縛鎖となって奴の巨体を絡め取った。『『『『『ぐっ…………!? こ、この程度の結界で、我らを抑えられると思うてかっ!!!?』』』』』影の鎖に捉えられてなお、禍々しい咆哮を上げる骸骨の群れ。しかし、俺は笑みを浮かべたままそれに答えた。「別に抑え込もうとは思うてへん。けど…………こんだけ厳重に縛られたら、いくらなんでも分裂できひんやろ?」『『『『『っっ!?』』』』』深紅の狂光を宿す骸骨の眼窩。そこに一瞬覗いたのは、紛れもない驚愕の光。俺は奴を葬るための最後の一手を見事に制したのだ。『『『『『お、のれ…………おのれ、おのれ、おのれ、おのれぇぇぇぇえええええっ!!!!』』』』』怨嗟の声を上げながら、強引に鎖を引き千切ろうともがく骸骨。その巨体が結界を砕くよりも早く、俺は奴の懐へと跳躍した。空を切る身体は、自分でも恐ろしくなるくらいに軽い。獣化した体躯は、これまでの獣化の比ではない身体能力をまざまざと見せつける。これなら…………。「これなら…………どんな化けモンにも負ける気がせぇへんっ!!!!」―――――ガキィンッッ!!獣染みた笑みを浮かべ、俺はもがく骸骨を中空に向けて蹴り上げた。『『『『『ば、バカなぁっ!!!?』』』』』「あ、あの巨体を蹴りの一撃でっ!?」「どーゆーバカ力してんのよっ!?」蹴られた骸骨ばかりか、背後で見守ってくれていた2人までもが驚愕の声を上げる。30mはあった巨体は、俺の蹴りで軽々と宙へと舞って行った。骸骨の身体が最高点に達する前に、俺はぐっと身を屈め、獣の両足に力を込めた。「―――――縮地…………无疆!!!!」―――――ズドォンッ!!!!垂直に飛び出す俺の身体。落下を開始する直前の骸骨の懐に、俺は先程よりも力を込めて蹴りを放った。「もういっちょぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!!」―――――ガキィィィイイインッッ!!!!『『『『『ぐぁあっ!!!?』』』』』呻き声を残し、先程を超える速度で上昇していく骸骨の巨体。虚空瞬動でそれを追いながら、俺は影斬丸を鞘から抜き放った。「こんだけ地面から離れときゃ、まぁ安心やからな…………」この骸骨を1対も残さずに滅するには、最大出力で放つ黒狼絶牙しかない。しかし俺は、九尾の魔力を用いて絶牙を放ったことがなく、それが一体どれだけの威力を持つか分からなかった。故に地上でこいつを葬ることは出来ず、こうして奴を空へと追いやった訳だ。『『『『『ぐぅっ…………お、愚かな。ここで我らを滅そうとも、恨みを持つ人間が居る限り、我らが決して滅びることなどない!!!!』』』』』「…………」身動き一つ取れない状況でありながら、なおも禍々しく咆哮する巨大な怨念の塊。しかしその言葉は紛れもなく真理。人が恨みを捨てない限り、何度でも奴ら怨霊は蘇り、何度でも人間に牙を剥く。俺がここで奴らを倒すのは時間稼ぎでしかなく、それは単なる偽善なのかも知れない。だが…………。「…………何度自分らが現れようと、何度でも俺が自分らを噛み砕く!!!!」抜き身となった影斬丸の刀身に、ありったけの魔力を集めながら、俺は力強くそう叫んだ。「偽善やなんやと言われようと、俺は俺の刀が届く範囲で、もう誰も傷つけさせたりせぇへんっ!!!!」収束する魔力は、黒い竜巻となって影斬丸の刀身を覆い尽くす。渦巻く魔力は狗音影装20体分に相当しようかというもの。いかな障壁をもってしても、防ぎきることはできない破壊の具現が、今俺の手の内にあった。「じゃあな怨霊。礼は言っとくで? 自分らのおかげで、封印が解けたんやからな」そして、これからも真っ直ぐ突き進んでいく決意が出来たのだから。『『『『『おのれこぞぉぉぉぉぉぉおおおおおっ!!!!』』』』』一際大きく、大気中の雨粒を弾くほどの咆哮を上げる骸骨。奴の身体が最も高く上がった瞬間、俺は手にした影斬丸を振り抜いた。「―――――行くで影斬丸…………噛み砕け!! 狗音斬響、黒狼絶牙ぁぁあああっっ!!!!!!」―――――ヒュゥンッ…………ゴォォォォォオオオオオ!!!!放たれた黒い竜巻は、今までにないほど強大で、またたく間に骸骨の群れを飲み込む。天へと突き進む暴風は、飲み込んだ骸を砕き、切り裂き、なおもその進攻を緩める気配を見せなかった。『『『『『ぐ、お、お、お、お、お、ぉ、ぉ、ぉ、お、お…………!!!!』』』』』奴を捉えていた影の鎖が全て砕けてもなお、骸骨は身動き一つ許されない。やがて、奴の全身に無数の亀裂が走っていった。『『『わ、わす、れぬ、ぞ…………けっ、して、わすれは、せぬ…………!!!!』』』弱々しくなっていく奴らの呻き声。されど禍々しさはそのままに、奴は怨嗟の言葉を口にした。『―――――この恨み、決して忘れはせぬぞっっ…………!!!!!』―――――パキィンッ…………その言葉を最後に、跡形もなく砕け散る巨大な骸骨。なおも暴れ狂う魔力の奔流は、奴を砕くだけでは飽き足らず、天を覆っていた分厚い雨雲をさえ貫いて行った。「…………生憎と、都合の悪いことはすぐ忘れてまう性質でな」獣化を解き、影斬丸を鞘に納めると、俺はシニカルな笑みを浮かべて奴らが消えた虚空にそう吐き捨てる。絶牙が貫いた雲の先には、青白い光を湛えた半月が、優しげに輝いていた。―――――あれから5日後。あの骸骨を葬るためとは言え、学園内で報告もなしにバカデカい魔力を使った俺はもうこっぴどく叱られた。オマケに、愛衣を足手纏い呼ばわりしたことが本人にバレて、俺の財布は予想以上の痛手を被ったりもした。…………小食な愛衣だけならともかく、俺並みに食う霧狐まで連れて来るのは反則だろ。またそのことが原因で、楓と弥刀は素性と今回の顛末一切を学園長に説明させられる羽目に。とは言え、弥刀は麻帆良に編入してきた時点で忍者云々の事情は説明していたらしく、今回の件に罪悪感を感じた学園長は全ての事を自分の胸にしまうと約束してくれた。問題はそれからだ。今回の件を通して、和解した楓と弥刀。これで弥刀が里を離れる以前のように、中睦まじく2人は学園生活を送ってくれるものと、俺はそう信じて疑わなかった。恐らく、楓も俺と同じように考えていただろう。しかしそんな俺たちに弥刀が告げた決意は、余りにとっぴなものだった。何と弥刀は、甲賀の里に戻って修行をやり直すと言い出したのだ。抜け忍が里に戻ってただで済む筈がない。とても正気の沙汰とは思えず、俺と楓は何とか説得を試みたのだが、弥刀から返ってきたのは芳しくない回答だった。『今回の件は私の弱さが招いたことよ。だから私はもっと強くなりたい。父が愛した里を護れるくらい。そして、大切な親友のと約束を守れるくらいに』鉄のように堅い彼女の意志を知った俺たちは、それ以上何も言えなくなってしまった。もっとも、さすがに彼女の身を案じた楓が、里の親父さんにそれとなく事情を説明したらしい。親父さんも自ら手に掛けた親友の娘とあって、弥刀のことは責任を持って護ると約束してくれたそうだ。そんなこんなで、今日はついに弥刀が麻帆良を出発する日。俺と楓は彼女を見送るため、駅までやって来ていた。弥刀は学園であまり積極的に友人を作るタイプではなかったらしく、見送りに来たのは俺たちだけだった。引き摺っていたキャリーケースを置き、弥刀は改札口の前で足を止めた。「それじゃあここで。世話になったわね。楓、犬上」あの夜からは考えられないほど晴れがましい笑顔で、弥刀は俺たち2人にそう言った。きっと彼女の父親も、こんな晴れがましい笑顔で旅立っていったのだろう。そう思うと、俺は何だか胸が温かくなった。「気ぃ付けてな。まぁ、何かあったらいつでも麻帆良に逃げてくりゃ良えし」冗談めかして言った俺だったが、その実、その言葉は半分以上本気である。一度抜け忍となった弥刀。里で彼女を待っているのは、想像を絶する困難な境遇だろう。それを気遣って言ったのだが、どうやら弥刀はお気に召さなかったらしい。不愉快そうに眉根を寄せて、じとっとした目で俺を睨んできた。「不愉快ね。私はもう、何からも逃げたりなんかしないわ」「…………そら悪かったわ」不機嫌さを隠そうともしない彼女の台詞。しかしその中に、彼女の決意の強さを感じて、俺は小さく肩をすくめて見せるのだった。『間もなく2番ホームに13:03発、特急―――行きが…………』駅構内に流れた放送に、俺たちは揃って電光掲示板を見上げた。「そろそろ時間ね…………」ぽつりと零した弥刀。しかしそこにか心細さなど微塵もなく、むしろこれから始まる激動の日々に胸を弾ませているようでさえあった。「犬上。私がいない間、楓はあんたに預けとくから」「は? いやいや、そんな人を物みたいに…………。つかそもそも、そんな大層な役を俺に任して良えんか?」目を白黒させて問い掛けた俺に、弥刀は苦笑いを浮かべる。「あんたは不愉快な奴だけど、実力と芯の強さだけは認めてるからね。頼んだわよ?」そう言って右手を差し出す弥刀。俺はそれをしっかりと握り返して、笑みを浮かべた。「せいぜい期待を裏切らんよう頑張るわ」満足そうに笑って、弥刀は俺の手を話すと、今度は楓へと向き直った。「…………そういうことだから。楓、私はもっと強くなる。そして今度こそ、あんたとの約束は絶対に忘れないから」「うむ。拙者も負けぬよう腕を磨くでござるよ。拙者はいつまでも、紅葉を信じて待っているでござる」俺とそうしたように、2人はしっかりと互いの右手を握りしめた。どれだけそうしていただろう、やがて弥刀は、すっと楓の手を離すと、置いていたキャリーケースの取っ手を握る。「それじゃ、私行くわ。次に会う時には、見違えるくらい強くなっててみせるんだから。今度こそ、自分自身の力で…………」その決意と向日葵のように明るい笑顔を残して、弥刀は振り返ることなく改札を抜けて行った。弥刀の背中を見送りながら、俺は微動だにしない楓の背中に向けてぽつりと零す。「寂しくなってまうな」感傷染みたその一言。しかし、楓から返って来たのは、予想だにしなかった明るい声だった。「寂しくなどないでござるよ。どうやら小太郎殿は重要なことを忘れているようでござるな…………」「重要な、こと…………?」首を傾げる俺。そんな俺の方へ勢い良く振り返り、楓は右手を掲げて見せる。そこに握られていたのは、柄に深紅の紅葉が彫刻され、柄尻に黒い髪が結われた一本の苦無だった。「――――――――――例えこの身が傍に無くとも、この志は常に共に…………で、ござるよ」そう言った楓の表情は、照りつける8月の日差しに負けないくらい眩しいものだった。