のどかとのデートから一夜明けた今日。我らが執事喫茶ソムニウムは連日大盛況で、今日も今日とて俺は息つく暇もなく接客に勤しんでいた。「こたろー!! それ下げたら次のお嬢様方を案内してくれ!!」「あいあい。ホンマ、これが一日中かと思たら気が滅入るわ…………」達也からの呼びかけに答えながら、俺は本日のシフトを思い出してげんなりしていた。諸事情により病院送りとなった慶一の肩代わりのため、本来なら午前上がりだった俺は何故か1日中シフトに組み込まれている。…………まぁ、身から出た錆だと言ってしまうとそれまでだが、何か釈然としない。そんなことを考えながらも、決して表情に出してはいけないのが客商売の辛い所。俺はすぐさま気持ちを切り替え、営業スマイルを貼りつけるとメニューを片手に受付口へと向かった。「おかえりなさいませ、お嬢様が、た…………って、自分らかいな」俺は入店してきた客を見て、思わず営業スマイルを崩してしまった。「こ、コタくん、おはようさん」「お、おはようございます」そこに居たのは、2人して罰の悪そうな顔で挨拶する木乃香と刹那。そう言えば、昨日のファイティングカップル会場で暴れた後から会ってなかったな。もしかして、俺がまだ昨日の事で怒ってるとか思われてんのかな?「あ、あんなコタくん? き、昨日はその、ホンマにごめんなさいっ!!」「わ、私も。その…………武人にあるまじき行為を働き、本当にすみませんでした!!」俺の予想通りと言うべきか、2人は異口同音に謝罪を述べて、深々と俺に頭を下げる。…………やっぱあんな公の場でブチ切れたのは大人げなかったよなぁ。今更ながら反省した俺は、思わず苦笑いを浮かべた。「気にせんといてぇな? つーかあないなことで切れた俺も大人げなかってん。2人は何も悪いことしとらんて」「こ、コタくん…………」「小太郎さん…………」俺の言葉を受けて、ようやく2人は安心したのか、安堵の表情を浮かべて溜息を吐いてくれた。で、何やかんやで午後1時。昼食時になって客入りはまばらになって来た。ウチのメニューはデザートばかりだし、忙しくなるのはもう少ししてからだろう。あ、ちなみに午前中やってきた木乃香と刹那だが、木乃香が迷わず『執事の愛情セット』を注文し、俺は再び公開処刑に処された。…………木乃香さんは本当に反省してたんでしょうかね?それはさておき、客足は少なくなったとは言え、俺の仕事がなくなった訳ではない。客が少ない内に店内の清掃やら何やらで、結局俺には休む暇なんてなかった。俺の人間離れした体力と、部活など他の予定がないことを見越してだろうが、さすがにこの扱いには異議を唱えたい。とは言え、責任は考えなしに慶一を病院送りにした俺自身にあるため、黙って働くしか出来ないのだが。そんな不満を抱えながらも、俺がもくもくと雑務をこなしていたときだ。「すみません、こちらの教室に犬上 小太郎さんがいらっしゃると聞いて伺ったのですが」凛と済んだ女性の声が聞こえて来たのは。何だ? 台詞から察するに客じゃないみたいだが…………。と思わず振り返って、俺は言葉を失った。そこに居たのは、金髪碧眼ですらりとした長身の美少女。まぁ、美女と言っても差し支えのないほどに整った容姿と色気を持ってはいるが。本校女子中等部2-Aが誇る才色兼備のパーフェクトお嬢様、雪広 あやかこといいんちょ。どう言う訳か、彼女は俺を探しているらしい。どういうことだ? この世界だと現時点で彼女が俺に対して何かしらのアクションを起こすような要因はないはずだ。だって今の俺、原作と違ってショタ属性持ちじゃないし。訝しく思いながらも、いつまでも待たせるのは悪い。俺は軽く右手を上げながら返事した。「俺が犬上 小太郎やけど? 自分は?」「あなたが…………お初にお目に掛かります。私、本校女子中等部2年の雪広 あやかと申します。本日は犬上さんに少し御相談があって参りましたの。ですがその前に…………」そう言うと、いいんちょはつかつかと俺の前まで歩み寄って来て。「失礼致します」にこやかにそう告げると、間髪入れずに結構本気の掌底を振り抜いて来た。「うおわっ!?」あ、危なっ!?仰け反ってギリギリのところで避けたものの、その風圧はもろに俺の顔を通り過ぎていった。何なんだいったい!? 俺、いいんちょに恨まれるようなことした覚えはねぇぞっ!!!?そんな俺の動揺を知ってか知らずか、いいんちょは自分の攻撃を避けた俺を驚きの表情でまじまじと見つめていた。「オイオイオイ!? 何やねん自分っ!? 俺が何かしたか!?」「失礼しますと申したでしょう? にしても驚きました。あの間合い、あのタイミングで私の天地分断掌をいとも容易くかわす方が居るなんて…………どうやら伺っていたお話以上に出来るようですわね」「はぁ? いったい何の話や? 分かるように説明してくれ」今朝からの忙しさも相まって、徒労で今にもへたり込みたい気分になりながら、俺はいいんちょにそう尋ねる。「ええ、もちろん説明はさせて頂きますわ。出来れば場所を変えてお話させて頂きたいのです。少しお時間を頂いても?」「あー、どうやろ? ちょっとクラス委員に聞いてみるさかい待っててんか」いいんちょにそう言って、俺はそそくさと裏方を回している委員長に外出許可を求めることにした。…………何か紛らわしいな、この言い回し。それから5分後。俺といいんちょは2人して男子高等部が出店している屋外カフェを訪れていた。意外にも俺の外出許可はあっさり下りて、昼食休憩を含めて1時間で帰って来いとのありがたいお達しを委員長より賜った。…………やっぱ紛らわしいわ。「で? 一体俺に何の用や? いきなし攻撃してきたんにも、それなりの理由があるんやろうな?」注文したコーヒーを一口啜って、俺は早速いいんちょにことの真相を問い掛けた。いいんちょはいいんちょで、自分が注文した紅茶を優雅に一口、ふぅっなんて艶っぽい溜息をつきながら話を切り出してくれた。「まずは先程の御無礼をお詫びしますわ。あなたの実力を知るには、あの方法が最も有効だと思ったものですから」「俺の実力? 何や自分、荒事にでも巻き込まれとんのかいな?」だったら俺に頼る前に雪広コンツェルンお抱えのSPとかに声が掛かりそうなもんだけど…………。そんな疑問が顔に出ていたのか、いいんちょは苦笑いを浮かべながら話を続けてくれた。「私個人は人様から恨みを買う様な覚えはございませんことよ? あなたにお願いしたいのはそう言った物騒なものではなく、もっとビジネス的なお話ですわ」「ビジネス?」「ええ。本年度学園祭の全体イベントのお知らせはもうお読みになりまして?」「まぁ、それなりに。確か学園全体鬼ごっこやったか? 確か自分とこの家…………雪広コンツェルンが全面協力しとるとかいう触れ込みやんな?」そこは原作通りの話だったので、何か嬉しくて結構詳しく読んだ。確かルールは、開始時間と同時に学園都市内各所に貼られる指名手配書を確認、参加者はその指名手配者を捕まえる鬼役となって学園全体を捜索する…………確かそんな感じのゲームだったはずだ。もっとも、俺が参加すると反則臭い気がしたから全く参加するつもりはなかったのだが。逃走中の指名手配者を1人捕まえるごとに商品として高級学食の食券が貰えるからって、クラスの武道派連中がやる気になってたっけ?「そこまで御存じ頂けているなんて、光栄ですわ。実はその学園全体鬼ごっこのことで、犬上さんにお願いがありますの」「お願い?」「はい。その学園全体鬼ごっこは、10名の逃走者を参加者が捕まえる、というゲームを予定していまして、既に逃走者の方々は我が雪広コンツェルンの方で選出されていたのですが…………」そこまで言って、いいんちょは少し表情を曇らせた。「何やトラブルでも起きたんか?」「ええ。実は予定していました逃走者の内1名が、先日参加した格闘大会で怪我を負い入院してしまいまして…………」「…………」どっかで聞いた話だなオイ?「もしかしてその逃走者、山下 慶一とか言う名前とちゃうか?」「おや? お知り合いですか?」「お知り合いも何も、クラスメイトや。ついでに言うと、その格闘大会であいつを病院送りにしたんも俺や」「!? そ、それは、何と申し上げれば良いやら…………」俺の言葉を聞いて、いいんちょは何とも言い難い表情を浮かべて言葉を失っていた。うん、大会とは言え確かにクラスメイトを病院送りにしたのはやり過ぎたと思う。「それはさておきや。大体話は分かったわ。入院した慶一に代わって、俺に逃走者役をやれ。多分そんな感じやろ?」俺がそう言うと、いいんちょは小さく笑みを浮かべた。「お話が早くて助かりますわ。大まかに言えばそんなところです。もちろん、これはイベントですので犬上さんが逃げ切った場合には商品はあなたのものになります」なるほど、逃走者も参加者には違いないからな。それに、ゲームは見返りがあった方が燃えるもんだ…………これは結構面白いかも知れねぇな。捕まえる側が俺ってのは反則臭いが、逃げる側で俺が参加するなら人数比の面で結構ハンデがあるし帳尻も合いそうだ。そう結論付けると、俺は笑みを浮かべていいんちょに言った。「オーケー。その話乗ったで。それと、俺のことは小太郎って読んでんか」「分かりました。詳しいルールについてはこちらの資料に目を通しておいてくださいませ。ご健闘をお祈りいたしますわ、小太郎さん」資料を俺に手渡しながら、いいんちょはにこやかにそう言った。それからすぐに俺たちはカフェを後にした。今はそれぞれ自分たちのクラスの出し物に戻るところなのだが、途中までは道が一緒なので自然連れだって歩いている。「そういや自分。何で俺に代役頼もうなんて思たんや? 単純に足が速いだけやったら、陸上部の連中とかわんさかおるやろうに」「資料を読んで頂ければ分かると思いますが、ただ足が速いだけではダメですの。総合的な身体能力に優れた方で無ければ、簡単に捕まってしまいますわ」「???」え? 何? 学園全体鬼ごっこって、そんなサバイバルな企画なんですか?「ですから、なかなか逃走者を選出するのは難しくて…………苦し紛れにクラスメイト達に相談してみましたところ、あなたのお名前が挙がりましたの。もちろん、逃走者云々のことは伏せて置きましたのでご安心くださいませ」確かに、俺が逃走者役だって分かったら、イベント開始前に俺のことを包囲してしまえばそれでケリが付くからな。いいんちょが言ってるのは、その辺に関する配慮の話だろう。それはさておきだ…………。「自分に俺の事を紹介したいうんは、いったい誰や?」ぶっちゃけると心当たりが多過ぎて特定できない。結構俺のことは噂になってるみたいだし、例のパパラッチ娘って線が濃厚かな?「誰、と言うと難しいですわね。まず最初にあなたのお名前出したのは神楽坂 明日菜さんです。お知り合いなのでしょう?」「まぁ、それなりにな。明日菜は俺の何て言うてたんや?」「とてもお強い方だと。単純な格闘技ならあなたに勝てる相手なんて殆どいないだろうとまで申してましたわ。あの明日菜さんがそこまで人を褒めるなんて、私少々面食らってしまいましたもの」「…………」いや、俺も面喰らってますよ。明日菜の俺に対する評価ってそんなに高かったのか?何かからかうと面白いからついついからかって度々怒らしてるイメージしかなかったんだけど…………。人生万事塞翁が馬とは良く言ったものだな。「もちろん明日菜さんのお話だけでは決めかねてしましたわ。けれどあの古菲さんが手も足も出なかったほどだと伺って、これはあなたに依頼する外ないと思いましたの」「中武研の菲部長な。そん話しは本人から?」「ええ。あんなに強い相手はお師匠様以来だと、こちらも手放しで褒めてらっしゃいましたわ」まぁ、古菲は手合わせんときの印象が強いだろうから、その評価は妥当かもしれないな。そうなると、やっぱり明日菜からの評価は解せない気もするけど…………ま、褒められて悪い気はしないけどね。しかし…………いいんちょって、ショタが絡まないとこんなにまともなキャラだったんだね。話してる感じ、良く出来るキャリアウーマンみたいで思わず見惚れそうになったもんな。原作の暴走ぶりは、全てネギくんが放っていた魅了の魔力(主人公補正)によるものだったと言う訳か…………。「それでは小太郎さん。私はこちらですので」「おう。ほんなら気を付けてな」分かれ道でそう挨拶をかわす俺たち。去って行くいいんちょの後姿を見送りながら、俺はちょっとした興味が湧いて、思わずこんなことを口にしていた。「あー!! あんなところで10歳前後の美少年が迷子になって寂しそうにしとるでー!!(棒読み)」「!? どこっ!? 何処ですのっ!? 迷子の美少年は何処(いずこ)にっ!?」「…………」…………良かった。いいんちょはやっぱり俺の知ってるいいんちょだったよ。顔を紅潮させ、きょろきょろと辺りを見回すいいんちょに生温かい視線を送りながら、俺はそそくさとその場を去ろうとした。が…………。「―――――中々面白い話を聞かせてもらったよ」聞き覚えのある少女の声に、俺は思わず心臓を鷲掴みにされたような戦慄を感じた。恐る恐る振り返る俺。そこには一昨日とは対照的な、漆黒のゴスロリファッションに身を包んだ悪魔が、まるで獲物を見つけた猛禽類のような笑みを浮かべて仁王立ちしていた。「え、エヴァンジェリンさん? え、ええと…………いつからいらっしゃいましたか?」お、俺の嗅覚聴覚で捉えられないって、一体アンタ何してくれてたのさっ!?「フンッ。私を誰だと思っている? 貴様の感覚を誤魔化す程度、魔力が使えずとも朝飯前だ。そんなことより…………学園全体イベントの件、話は聞かせて貰ったぞ?」―――――ニヤリエヴァの笑みを見た瞬間、俺の背筋を冷たいものがよぎった。な、何なんだ一体っ!?え、エヴァの奴、何を企んでやがるっ!?まさか、俺が逃走者役だってことを、他の参加者にリークしてフルボッコとか?いやいやいや!! エヴァの性格上、そんなアンフェアなことするくらいなら、自ら俺をフルボッコにするだろう。じゃあ一体何を…………?「ガキ共のお遊びになんぞ興味はなかったが、貴様が逃げる側だというなら話は別だ。私もその鬼ごっことやら、参加するとしよう」「は? な、何でいきなりそんな話になるんや? つか、俺が逃走者やって分かってる時点でゲームがアンフェア過ぎるやろ!?][安心しろ。ゲーム開始前に貴様をどうこうするつもりはない。それでもアンフェアだと言うなら、そうだな…………ゲーム時間が半分経過するまで、私は貴様に手を出さんと確約してやろう。何ならギアスペーパーを使っても構わん」「へ? へ???」エヴァの台詞を聞いて、なおさら俺は彼女の考えが分からなくなって困惑していた。開始前に俺をどうこうするつもりがないどころか、俺に対してハンデとも取れる提案をしてくるなんて…………。これじゃまるで、彼女自身がゲームを楽しみたがってるみたいなもんじゃないか?「恐らく貴様の考えている通り、私は純粋にゲームを愉しみたいだけさ。…………もっとも、私が参加してしまうと、それはもう鬼『ごっこ』ではなくなってしまうがな?」再びエヴァの口元が三日月に歪められる。そして俺はようやく理解した。…………この幼女、俺をとことん追い詰めて愉しむ気でいやがるっ!!「貴様も勝ちが決まっている出来レースでは面白みに欠けるだろう? だからこの私が参加して、貴様に緊張感と追われる者の恐怖…………真実の絶望という奴を教えてやろうと思ってな。ありがたく思えよ駄犬?」―――――アーッハッハッハッハッ!!!!高らかに響き渡るエヴァの笑い声に、俺は逃走役を買って出たことを、心の底から後悔し始めていた。…………俺、無事に後夜祭を迎えられるんだろうか?