……どこだここ?気が付くと、俺は何もない真っ暗な空間に居た。一歩先も見えない、というか上下の感覚すら危ういのに、自分の身体だけははっきり見えるって、どこの不思議空間ですか?さすがはネギま!の世界……何て感心してたら、すぐ後ろに人の気配を感じて、俺は咄嗟に振り返っていた。「お兄ちゃん」「霧狐……?」そこに居たのは、ついさっき初めて会ったばかりの妹だった。すぐにどうしてこんなところに、と尋ねようとして、俺は凍りついた。ゆっくりと顔を上げた霧狐、その口元から深紅の滴が一筋滴り落ちたからだ。「っっ!?」良く見ると、霧狐の腹には見覚えのある太刀が刺さっていて、彼女の白い衣服を赤く染め、その足元に深紅の血溜まりを作っていた。俺が動けずにいると、霧狐は小さく笑みを浮かべてただ一言、こう言った。「……ばいばい」刹那、急速に落下を始める霧狐の身体。何とか手を伸ばそうとしても、俺の手は空を掠めるだけで、決して彼女身体に届くことはなかった。それと同時に、崩れ落ち始める俺の足元。最後に響いたのは……。『―――――どんな気分や? 自分の大事にしてたもんを、二度も奪われるいうんは?』憎たらしい、あの男の声だった。「霧狐っっ!?」熱に浮かされたように飛び起きる。そこは漆黒が支配する謎の空間ではなく、白いカーテンに遮られたベッドの上だった。ずきずきと響く腹の痛みが、急速に俺の意識を現実へと呼び起こす。瞬間、自分が今まで何をしていたかを思い出した。すぐにベッドから降りようとして―――――ぐいっ「ぐえっ!!!?」見えない力によってベッドに引き戻された。つか、首!? 首締まってますから!?身に覚えのあるその感覚で、犯人はすぐに察しがついた。シャッ、とカーテンが開く音がして、その犯人は不遜な態度で入って来た。「動くな怪我人。せっかくの治療を無駄にする気か?」「え、エヴァ? 何で自分がこんなとこに? つかここどこや? ……って、そうやない!! この糸を解いてくれ!! 兄貴を追っかけんと……!!」―――――スパァンッ「あいたぁっ!?」尚も糸から逃れようともがいた俺の頭を、エヴァはどこからともなく取り出したハリセンで景気良く叩きやがった。「何してくれてんねんっ!?」「黙れこの駄犬が。ここは女子中等部の保健室で、どの道貴様の愚兄とやらはとっくに逃げた後だ」「なっ……!?」一瞬驚きかけたが、考えてもみればそうだろう。俺が気絶した時点で、既に兄貴はあの少女の手によってどこかに跳ばされてたしな。結局俺は一族の、霧狐の仇を討つことは……って!!「霧狐は!? 霧狐はどないなったんや!?」エヴァが拘束を解いたのを良いことに、俺は彼女の肩を掴んで噛みつくようにそれを尋ねた。―――――スパァンッ「ぶべっ!?」が、次の瞬間、俺は再びエヴァのハリセンの餌食となった。「か、かか顔が近いわこの駄犬がっ!! ……はぁ。貴様の妹とかいう小娘なら、とっくにジジイに引き渡した。刹那が血相を変えて私のところに来たからな、止血だけはしてやったが、今はどうなってるか私にも分からん」なるほど、確かに俺たちが闘っていた位置からなら、学園に戻るよりエヴァのログハウスまで跳んだ方が近かったからな。あとは霧狐の運の強さを信じるしかない訳か。そう考えると、俺はここでじっとしている気になんてなれなかった。ひょいっと、俺はベッドから飛び降り、学園長室へ向かおうとして。―――――スパァンッ「ぷろもっ!!!?」本日三度目となるエヴァ様のありがたい突っ込みを受けることになった。「ホンマ何さらしてくれとんねんっ!?」今の動きのどこに落ち度があったよ!?「だから落ち着け駄犬。貴様その格好で女子部の校舎をうろついてみろ。確実に豚箱行きだぞ」「へ?」そう言われて初めて自分のしている格好を見る。獣化の影響で上着は破れたため、完全なる半裸の状態だった。おうジーザス……命拾いしたわ。ゲートを使って上着とTシャツを取り寄せてから、俺は学園長室に向かった。一応、エヴァに一緒に来るか尋ねてみたのだが『興味がない』とばっさり切り捨てられた。挙句の果てに欠伸を噛み殺しながら保健室を後にする始末。若干冷た過ぎないか、なんて思ったりもしたが、彼女の足が向いていたのは昇降口じゃなくて職員室棟の方角だった。恐らくタカミチ辺りに、それとなく霧狐の状態を聞きに行くつもりだろう。本当、悪ぶってる割には心配症と言うか天の邪鬼というか……。それはさておき、俺は今学園長室にいる。室内に居るのは学園長と俺だけ。エヴァの話では、出撃した先生たちの大半が現在酒呑童子や兄貴たちが暴れた所為で壊れた施設やら通路の修復等の事後処理に当たってるらしい。ってなわけで、一番状況を把握してんのは学園長を置いて他にいない。学園長の方も刹那と分かれた後、いったい兄貴がどうなったかの報告待ちだったらしい。立場上、俺はすぐにそれに関して報告せにゃならんのだろうが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。「単刀直入に聞く。霧狐はどないなったんや?」「うむ。まぁ最初にそれを聞かれるとは思っとったがのう。……正直なところ何とも言えん。出来る限りの処置は施したと連絡はあった。今は刹那君と木乃香がついておる。意識が戻るかどうかは霧狐君自身の生きる意志次第といったところじゃ」「……さよけ」……くっ。学園長に聞いても、結局エヴァから聞いた以上の情報は得られなかった訳か。「して小太郎君。霧狐君のもとに駆け付けたいのはやまやまじゃろうが、ワシは組織の長として、ことの顛末を把握する義務がある。話してくれるかの?」「……最初っからそのつもりや。けど時間が惜しい。手短に話すで? 詳しいことはまた報告書でも何でも書いたるさかい」「うむ、それで構わんじゃろう。君の気持ちは、兄としては当然のものじゃからな」学園長は俺の言葉に笑顔で頷いた。そしてそれを皮切りに、刹那があそこを離れてから、何が起こったかを説明し始めた。「何と? それでは君の兄上に協力者がおったとな?」片方の眉毛をぴくりと上げて、学園長はそう驚きの声を上げた。「協力者かどうかいうんははっきりしてへん。ただ兄貴の性格を考えると、自分から誰かと手を組むとは考え難い。おまけに、下手したら九尾より強いかもしれへん相手やぞ? そんなんと協力してんねやったら、あんなリスキーな方法やのうて、端からもうちっと正攻法できとるはずや」「うむ、一利あるのう。ふぅむ……重ねて聞くが、小太郎君はその少女のことは何も知らんのじゃな?」念を押すように、学園長が俺にそう問いかける。それに押し黙って頷く俺。確かに俺は石の魔法を使う西洋魔法使いに心当たりはあったがそいつは『少年』の姿であってあの『少女』とは別物だ。……もっとも、これが霧狐や兄貴、あの狗族と同様に俺と言う存在によって歪められたイレギュラーであることは、比を見るより明らかだったが。ともかく、学園長の問いに対して、俺は一切嘘は吐いていない。「ただ大方の予想は付いてんねん。恐らくあの嬢ちゃんの狙いは兄貴の力……」「式神殺し、じゃったな。なるほど、詳しいことが分からん分、どのように利用されるかも分からん。仮にその少女が君の兄上に関して何らかの情報を持っているとするなら、今回の戦闘に介入した理由にも納得がいくというわけじゃ」もう一度、俺は静かに首肯した。「問題はあの嬢ちゃんが、何のために兄貴の力を必要としたかってことや。……力はあくまで手段に過ぎひん」「相応の目的があってこその犯行というわけか。いやはや……うむ、おおよそは把握した。その少女に関しては、引き続き調査を行おう」「よろしゅう頼むわ。……ほな、俺はそろそろ行くで?」「うむ。霧狐君は女子校エリアの総合病院におる。早く行ってやると良い」おおきに、と、俺は学園長に頭を下げてから踵を返した。ばたん、と控えめな音を立てて学園長室の扉を閉める。その瞬間、俺は木製のその扉に、まるで崩れるようにして背中を預けていた。霧狐の居場所は分かった。今は刹那達が付いてくれているというなら、それも一安心だ。学園長への報告も終わったし、俺は兄として一目散に彼女の下へ駆け付けるべきなのだろう。しかしだ。「……どの面下げて会いにいきゃええねん」誰にともなく呟いたのは、ここ数年吐いたこともない弱音だった。あれだけ護ると、必ず救うと豪語しておきながら、俺は彼女が傷つくのをただ黙って見ているだけしか出来なかった。加えて、兄貴を倒すどころか、新手の敵に返り討ちにあい、為す術もなくその場に倒れた。……情けないにもほどがある。正直、慢心していたのだろう。昨年の春休みからこっち、俺はここぞという勝負で、必ず勝利を収めて来た。もちろんそれは、周囲の力や、そのときどきの運が味方してのものだったというのに、それをどこか自身が強くなったように錯覚してしまっていたらしい。その果てに、俺は自分よりもはるかに小柄な少女の拳一発で意識を刈り取られた。何が世界最強を目指すだ。何が千の呪文の男を越えるだ。ちゃんちゃらおかしくて笑いが込み上げて来る。大事な妹一人護れずに、何が仲間も自分も護って見せるだ。「……兄貴の言うてた通り。俺はまだまだ半人前以下の甘ちゃんっちゅうわけや」あーあ、本当これからどうしたもんかね……?そうやって病院に向かうかどうかを躊躇しているときだった。「小太郎? もう意識が戻ったんですか?」声を掛けられて、俺は反射的に顔を上げた。「……刀子センセ?」そこに居たのは、いつものスカートスーツに身を包んだ刀子先生の姿があった。手には大量の紙束を抱えているので、恐らく事後処理にある程度の目処が立って、その報告に来たってところかな?「ここにいるということは、あなたも学園長に報告ですか?」「ああ、まぁそれはもう終わってんけど……」「? では早く妹さんのところに行かなくて良いんですか? 酷い怪我を負ったと聞いていますが……」刀子先生の問い掛けに対して、俺はすぐに答えることが出来なかった。そんなことは俺だって分かってる。出来ることなら、今すぐにでもあいつの傍に行って、その手を握ってやりたい。少しでもその痛みを分けて欲しいくらいだ。けど、俺にその資格があるのか?同じところを回り始めた自問に、俺は明確な回答を出せず押し黙っていた。「……へぇ、あなたでも、そんな表情をすることがあるんですね」「は?」しかし沈黙を守っていた俺に、刀子先生が投げかけた言葉は、俺の予想のはるか斜め上をいく感想だった。おかげで、素っ頓狂な返事をしてしまう俺。今鏡を覗いたら、恐らく今世紀最大の間抜け面を拝むことが出来るだろう。写真に残しておいたらギネスも狙えるくらいの。そんな俺の思考を知ってか知らずか、刀子先生はまるで安心したかのように少し笑みを覗かせて言葉を続けた。「いつものあなたはどこか飄々としていて、年不相応に落ち着いていますから。今みたいな表情が見れて少し安心しました。あなたもまだ中学生なんだ、ってね」「飄々って……俺そんなに老けこんどんのかいな……」それはそれでショックを禁じ得ないぞ。俺がげんなりしてると、刀子先生は何か思いついたのか、漫画なら頭の上に電球が光ってそうな表情を浮かべる。が、すぐに少し頬を赤らめてこんなことを言い始めた。「な、何を悩んでるのか知りませんが、私で良かったら相談に乗りますよ? こ、これでもあなたの担任ですしねっ」何故か少し上ずった声の先生。その気持ちはありがたい。ありがたいのだが……。生前の行き方も相まって、俺は誰かに弱みを見せるのが余り好きではない。それこそ強くなるためとかなら話は別だが、今回のことは俺の精神的な弱さというか、クソみたいなプライドの話だ。余り人の耳に入れるようなことじゃない。なんて思ってたのだが……。「うっ……そ、そんなに私は頼りないですか?」俺が黙り込んでるのを何か勘違いしたらしい。刀子先生は若干涙目になりながら、消え入りそうな声でそう言った。何かその様子は雨に濡れた子犬みたいで、普段の刀子先生とはギャップが凄くて可愛いらし……っではなくて!!うう……女の人にこういう顔されると、俺はどうにもダメだな。どうしても逆らう気力が削がれるというか、それ以上何も言えなくなってしまう。俺は諦めて、何故霧狐の下へ行くことを躊躇っていたのか、刀子先生に話すことにした。「……なるほど。少しは年相応の顔もすると思って感心したんですが……小太郎、やっぱりあなたは老成し過ぎです」「ぐはっ!? ……そ、相談に乗ってくれる言うた割には辛辣な……」話を聞いた刀子先生は、ばっさりとそう斬り捨ててくれた。見えない何かに胸を貫かれたような気がして、俺は一層鬱屈とした気分を味わっている。……いっそコロセ。「はぁ……。それで、結局のところあなたは今後どうしたいんですか?」「せやから、それを悩んどるんやないかい。正直、霧狐には合わせる顔があれへん」「……では大まかな選択肢を上げてみましょうか? 1つは、以前にもまして己を練磨するという方針、もう1つ挙げられるのは、いっそのこと武の練磨はほどほどにして、普通の魔法生徒と同じように、それなりの経験を積んで行くという方針ですが……」「後者なんて俺が選ぶ訳あれへんやろ?」殆ど脊髄反射で答えた俺に、刀子先生はにんまりと楽しそうな笑みを浮かべた。……何か、見透かされたようで嫌なんですけど?「なら何も悩む必要はないでしょう?」「いやいや、そりゃ大局的に見たらそうやけども。霧狐を護れへんかった事実はなくなる訳とちゃうやろ?」「そもそもその考え方がおかしいんですよ。あなたの妹さんが、あなたを怨んでいる、とでも言いましたか?」「む……」そう言われると返す言葉もない。確かに、霧狐はそんなこと言ってなかったし、むしろ今回の件に関しては自分に一切の責任があるみたいな物言いだった。そもそも、全ての責任を人に押し付けられるような愉快な性格をしていたら、わざわざ危険を犯してまで俺に会いに来たりはしないだろう。そう考えると、俺がここでうじうじ悩んでるのは筋違いな気もしてきた。……本当、俺って奴はつくづく半人前だな。以前刹那にも言われた通り、相変わらず周りが見えてないらしい。「ふふっ。どうやら少しは気分が晴れたみたいですね?」考えが顔に出ていたらしい、それを見た刀子先生は勝ち誇った笑みを浮かべてそう言った。「ホンマ、センセには敵わんわ……おおきに。おかげで吹っ切れたわ」「気にしないでください。言ったでしょう? 私は、あなたの担任なんですから。……ゆ、ゆくゆくはそれ以上になりたいですど……」「ん? スマン刀子センセ、最後の方聞こえへんかったんやけど?」「き、気にしないでくださいっ!!」俺が聞き返すと、何故か刀子先生は顔を真っ赤にしてそんな風に追求を避けたのだった。なして?その瞬間だった。『わおーんっ!! わおーんっ!!』突然鳴り響く犬の遠吠え。お馴染みとなった俺の携帯の着信音だった。慌ててポケットから取り出した俺は、背面ディスプレイの桜咲 刹那という表示に目を見開いていた。「刹那!? どないした!? 霧狐に何かあったかいな!?」『小太郎さんっ!? 霧狐さんが!! 霧狐さんがっ……!!』今にも泣き出しそうな刹那の雰囲気が、電話越しにも伝わって来る。俺は即座に最悪の状況を覚悟して、思わず生唾を飲み込んだ。そして刹那は、涙に濡れた声で、こう告げた。『―――――霧狐さんが、今っ……意識を取り戻しました!!』病院の廊下を俺は脇目も振らず駆け抜けていた。途中看護師さんに何度か注意されたが、俺の耳には殆ど届かなかった。ほどなくして、受付で聞いたの同じ部屋番号のプレートが目に入る。よし、ここで間違いない。走ってきたことで息は完全に上がっていたが、俺はそれを整えることもせず、躊躇なくそのドアを開け放った。「霧狐っ!!」驚いた顔で、木乃香と刹那がこちらを振り返る。叫んでから、しまったと思ったが、そんなの今さらだ。俺はゆっくりと霧狐の寝かされているベッドへと歩み寄り……。「……霧狐?」今度は、出来るだけ穏やかな声で、彼女の名を呼んだ。ベッドに寝ていた彼女は、ゆっくりと目線だけでこちらを見て、僅かに微笑みを浮かべた。輸血のパックは繋がったまま、酸素マスクもしたままだったが、それでも彼女ははっきりと、その可愛らしい唇を動かしてこう答える。「……なぁに、お兄ちゃん?」「―――――っっ!?」瞬間、俺の中で張り詰めていた何かが、ふっと緩んだのを感じた。がくっ、とその場に俺は膝を付く。あのときだって我慢していたはずなのに、お袋や村の皆が死んだときだって決して泣かなかったのに……。今この瞬間、俺の涙腺はこれまでの役目を全て全うするかのように、涙を溢れさせていた。「……良かった……ホンマに、良かった……!!」涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、俺の口元にはこれ以上ないくらいの笑みを浮かべていた。俺に釣られたかのように、霧狐の目からつうっと、一筋の涙が零れ落ちる。「……うん。キリも、またお兄ちゃんに会えて嬉しい……嬉しいのに、やっぱり涙、止まんないんだ……」そう言って目を閉じ、静かに涙を流し続ける霧狐。俺はその小さな左手を両手でそっと包み、それ以上の言葉を紡ぐこともできず、ただただ彼女が生きている喜びを噛み締めたのだった。あれから数分後。一生分は泣いた俺。落ち着いてから、ずっと霧狐に付いていてくれた木乃香と刹那に礼を言おうとして振り返ったら、二人とも俺以上に凄いことになっていた。刹那は直立のまま滝のように涙流してるし、木乃香はその刹那の胸に顔をうずめて泣きじゃくってたし……。俺よりも二人が落ち着くのに時間がかかったのは言うまでもない。二人をどうにか落ち着かせた俺は、霧狐の容体について担当の医師(治癒術師)から説明を受けていた。傷に関してはもう完全に塞がっているとのこと。この分だと跡も残らないそうだ。どちらかと言うとデカい血管をブチ切ってたせいで出血の方がヤバかったらしい。輸血が間に合ったため、そちらももう心配ないとのことだ。ちなみに傷の治りが良いのは、皮肉にも九尾が取り憑いていたおかげらしい。九尾の魔力を吸って極限まで高められた影斬丸の切れ味だったからこそ、こうもあっさり損傷した臓器や血管の修復が上手くいったんだと。……素直に喜び辛い状況ですがね。まぁ女の子なんだし、傷が残らないってのは、本当に良かった。俺はともかく、そういうのに偏見を持ってる男なんてごまんといるしな。まぁ、今から霧狐の貰い手の心配しても仕方ないのは分かってるけどね。ん? もしとんでもない男を連れてきたら? HAHAHA!! ……サクッと殺って世界中の肥やしにでもしてくれるわ。なんて、早速シスコン気味になってきた俺の与太話は置いておこう。一度は目を覚ました霧狐だったが、やはり結構なダメージを負っていたらしく、俺がドクターに説明を受けてる最中にまた眠ってしまった。そういう訳で、俺は今霧狐の病室で、刹那と木乃香に今回の事の顛末を説明している真っ最中だ。「新たな敵、ですか……」一通り俺の話を聞いた刹那は、神妙な面持ちでそう言った。「九尾の魔力使うてた俺ですら手も足も出ぇへんかった……正直、悪夢みたいな話や」それが兄貴と手を組んだとなると、本当に厄介だ。何度も言うが、あいつの恐ろしさはその体術や規格外の呪術センスではなく、その頭のキレ。力の使いどころを間違えないところにあるのだから。霧狐が回復したことで残された、最悪にして最大の課題に、俺と刹那は揃って閉口するしかなかった。「大丈夫やえ」しかし、そんな雰囲気を吹き飛ばすかのように、木乃香がそんなことを言った。春の陽気みたいに、柔らかく温かな笑みを浮かべて木乃香はなおも続ける。「だって、コタ君負けっぱなしは嫌いやろ? せっちゃんかて、昔から結構まけず嫌いで意地っ張りやん? ……このままで終わろなんて、思ってへんのとちゃうん?」何が大丈夫なのかは甚だ疑問の残る物言いだったが、なるほど、言われてみれば確かにそうだ。自信満々といった風ににこにこする木乃香が余りにも頼もしくて、俺も刹那も予期せず吹き出していた。そんな俺たちの様子に、木乃香は一人慌てた風に疑問符を浮かべている。「う、うち、何や変なこと言うてもうたかな?」「くくっ……いや、何も変なことはあれへん。ああ、俺の辞書には負けっぱなしっちゅう言葉はあれへん」「ふふっ……はい、私とて剣を握る者です。力が足りてないというのなら、一層腕に磨きをかけるだけですから」そう、今更歩みを止める訳には行かないのだ。ついでに言っておくなら、俺は最初からその高みを目指していた。今回の出来事は、その到達点がいかに遠いか、それを再確認させられただけに過ぎない。なるほど、やはり俺の目指す道は相応に険しいらしい。思い浮かべたのは、憎たらしいあのクソ兄貴と、俺を一撃の下、地に伏した銀髪の少女。恐らく彼女こそが、この世界における俺たちの最大の強敵にして、ネギ・スプリングフィールドのライバル。かつて彼の父、ナギ・スプリングフィールドと彼率いる紅き翼によって壊滅寸前に追い込まれた秘密結社。完全なる世界を動かす、中枢人物の一人にして造物主が忠実なる人形の一人。―――――その名を…………SIDE Hanzo......「……っ、どこや、ここ?」わいが目を覚ましたんは、恐らくどこかのビジネスホテルやろう。それなりに整った内装のこじんまりとした部屋やった。自ら切り離した右腕がずきずきと痛む。いや、正確に言うと痛む右腕はもう存在すらせぇへんのやけど……まぁこれがファントムペインってやつやろ。そう結論付けると、早速わいは今の状況を把握することに努めることにした。わいはあんとき、九尾の魔力を喰った小太郎に殺されかけた。丹精込めて作った九尾復活の術式が、あろうことかあのクソガキに逆手に取られるなんてな……ホンマ胸糞悪い話しや。そんで、もう避け切れへんと思うた矢先、突然生えて来た石の塊が小太郎の刀を受け止めた。かと思うたら、小太郎が何者かにぶっ飛ばされた。んで、今度はわいが水のゲートで跳ばされて……あかん、その後どうなったかが思い出せへん。まぁ生きとるし、拘束もされてへん。それどころか、傷の手当てまでされとるいうことは、とりあえず当面の危機は去ったと見て構わへんやろ。そこまで考えたときや。不意にドアが開く音がした。一応、警戒だけはしとく。とは言え魔力もすっからかん、オマケに片腕になってもうたわいに闘う気力なんてもう残されてへんから、ホンマに警戒するだけになってもうたけどな。「目が覚めたのかい? もうしばらくは寝たままかと思っていたんだけど、案外頑丈みたいだ」んで、思わず面食ろうてもうた。何せ入って来たんは、あのクソガキとそう歳の変わらへん銀髪の嬢ちゃんやったんやから。まさか、この嬢ちゃんが小太郎をぶっ飛ばしたいうんか?そんなバカなと思うたけど、すぐにそうおかしなこともあれへんと思うた。嬢ちゃんから感じる魔力に変な淀みと妙な規則性を感じる。これは……。「自分、ホムンクルスとかオートマタみたな人形の類やな? つーことは、俺をここに連れてきたんは自分の主の命令っちゅうことか?」さっきも言うた通り、今のわいにはこの嬢ちゃんと闘う術なんてあれへん。そもそも、九尾を一撃で殴り飛ばすようなバケモン相手にどないせぇっちゅう話や。せやからわいは、もう警戒のポーズすら解いて、不遜な態度でそう聞いたった。嬢ちゃんはこちらを、感情の読みとれへん無表情で見つめた後、意外にもあっさりわいの問い掛けに答えてくれた。「お察しの通り、ボクはある人に作られた人形だよ。けれど、主は今不在でね。君を連れて来たのはボク個人の意思だ」「ほぉ……そいで? 中房に出し抜かれるような間抜けを拉致って何をさせよういうんや?」皮肉を込めてそういうわい。それにも嬢ちゃんは顔色一つ変えへん。……あかんわ。この嬢ちゃん、わいのいっちゃん苦手なタイプや。感情が表情に出ん上に、割と素直に何でも答えてくれる……。人をおちょくるんが大好きなわいにとっては、天敵みたいな性格しとる。「鬼喰い、だったかな? 君の父上が考案したあの術式は」「っっ!?」鬼喰い、という言葉に、わいの身体は否が応にも反応してまう。この嬢ちゃん……どこでそれを知った?いや、そもそもそれを知る者はおっても、わいがそれを使えるいうんを知ってる奴なんて、もうこの世にはおれへん。唯一知っとったあの女も、5年前にこの手で確実に息の根を止めたった。せやのに……この嬢ちゃん、とんだ食わせもんやで。「ボクがその事実を知っているのは大したことじゃない。今重要なのは、君とボクは共闘できるかもしれないという事実だ」「言うてくれるな? 自分で言うんもなんやけど、完全に記録は残ってへんはずなんやで? ……ほんで、共闘できるかもしれへんいうのは、どういう意味や?」こういう手合いには、いっそ話を合わせてそうそうに会話を打ち切った方がストレスを感じんで良え。せやからわいは、一先ずこの嬢ちゃんの話に乗った振りをすることにしたった。けど、すぐにそんな考えは吹っ飛んでもうた。嬢ちゃんが言うた内容は、わいにとってあまりに破格のものやったからや。「京のスクナと、サムライマスターの命……君なら、喉から手が出るほど欲しいものだと思うんだけど?」「!? ……ホンマに、食えへん嬢ちゃんやな。……その見返りに、わいに何をさせるつもりや?」「犬上 半蔵、君は少し勘違いをしているようだ。ボクは君に力を貸して欲しいとは言っていない。寧ろボクが君に手を貸そうと、そう言っているんだ。何せ、僕が欲しいのは君と同じサムライマスターの命だからね」俺が寝ているベッドの正面に、嬢ちゃんは椅子を置いてすっと腰掛ける。それこそまるで機械のような、整然とした動きで。その様子から、この嬢ちゃんは嘘が吐けへんタイプやと直感したわいは、思わず口元を三日月に歪めた。「……なるほど。かなり上手い話やないか。良えで、その話乗ったるわ」実際、酒呑童子、九尾の狐と立て続けに失敗に終わってもうた以上、わいの目的を達成する手段として残されとるんは、最早京のリョウメンスクナくらいしかおれへん。わいがそう言うと、嬢ちゃんは初めて、彫刻みたいに動けへんかった表情を、ほんの少しだけ笑みの形に歪めて言うた。「交渉成立、ということで良いかな?」「……その前に、一つだけ聞いても構へんか?」「何かな?」「自分、何ちゅう名前や?」今思えば、非常にらしくあれへん質問やったと思うけども、こんときばかりは状況が違うた。同じ魔法生物を作るモンとして、ここまで完成度の高い作品の銘くらいは気になってまうやろ?嬢ちゃんは突拍子もあれへんわいの質問に、ちっとばかしやけど面食ろうたんか、少し目を丸くした。けど、それはほんの一瞬で、次の瞬間には彫刻のような表情はそのまま、その小さな唇だけをわずかに動かしこう名乗った。「―――――ボクの名は……」――――――――――フェイト・アーウェルンクス。 「――――――――――フェイト・アーウェルンクス」