刹那が霧狐の一撃を受け止めたのを確認して、俺はすぐさまゲートを使って飛び出した。目的は霧狐に奪取されていた影斬丸の奪還。斬魔剣が使えないなら、他の方法で霧狐から九尾を引っ張り出すしかない。そしてその引っ張り出すって発想が光明となった。加えて言うなら、霧狐に取り憑いたのが九尾の狐、即ち狗族の類だったことも僥倖だった。前にも言った通り、影斬丸は狗族専用の魔力バッテリーだが、同時にその機能を正しく使用するための付加機能が備わっている。そしてその片鱗はかつての俺も、そして霧狐も味わっている。―――――影斬丸は狗族の魔力を引き出す。そうすることで使い手の魔力を充実させ、結果的に刀身への魔力供給量を底上げしているのだ。そしてある程度それを理解し使いこなせている者であれば、その供給量を自在に操れる。……ここまで言えば、もう俺が何を考えているのか分かるだろう。―――――影斬丸に九尾の魔力を取り憑かせる。二つの器から魔力を引き出そうとすると、まず初めにより魔力の濃いものから引っ張り出される。言わば水溶液の浸透圧と同じ原理だ。それを経験的に俺は理解していたからこそ、この策を思いついた。霧狐の中には今、あいつ自身の魔力と九尾の狐の魔力が混在している状態。ならばあいつの中から魔力を引っ張り出そうとすれば、自然と九尾の魔力から流れ込んでくるはず。そのためにはまず、影斬丸を取り戻さなくてはならない。刹那に無理を言って霧狐の斬撃を受けさせたのはそのための布石だ。いかな達人だろうと、全力で撃った一撃の後は技後硬直って逃れられない枷が発生する。俺はその隙をついた訳だ。そして、その目論見は上手くいった。霧狐の斬撃を真正面から受け止めた刹那は、気を使い果たしたのか、俺の視界の隅で膝を折っている。……おおきに、刹那。この借りはクソ兄貴をぶっ飛ばした後で必ず返す。「影よ!!」俺は万全を期すために、霧狐の腕を掴んだ状態で更に影の捕縛結界を使用する。ゼロ距離で発動したこいつは、いかにバカデカイ魔力をもっていようと、数分は身動きできまい。左手を俺は影斬丸の柄へとかざした。「待っとれや、霧狐。今助けてやるさかい……」出来る限りの優しい声で霧狐にそう告げる。もちろん、九尾に支配された彼女は結界から逃れようと必死になるばかりで、俺の言葉には答えなかった。ぎりっと、再び俺は歯噛みしながらも、霧狐を救うために影斬丸へと意識を集中させた。正直な話、ここから先がこの策における最大の博打である。影斬丸は確かに魔力バッテリーとしての機能を持っているが、その限界貯蓄量は定かではない。万が一、九尾の魔力容量が影斬丸の許容量を上回っていたら……。そんな考えが一瞬脳裏を過ぎったが、それを俺は気合で振り払う。そうなったらそうなったときだ。また別の方法で霧狐を救い出せば良い。決して諦めないと、必ず霧狐を救い出すと誓った以上、失敗の可能性なんて恐るるに足りない。「さぁ九尾。自分の魔力と影斬丸の食欲、どっちがデカいか勝負と行こうやないか!!」俺は影斬丸に魔力を集中させる。瞬間、刀を握る霧狐の手から、信じられない量の魔力が流れ込んできた。「……っっ!?」能面のようだった霧狐の表情が驚愕に染まる。どうやら俺の考えは正しかったらしい。ならば後はこのまま……。「小太郎さん後ろです!!」更に魔力の供給量を上げようと意識を集中しようとした矢先、悲鳴染みた刹那の呼びかけで俺は思わず振り返る。そこには先程九尾を憑依させたダメージだろう、石灰化しひび割れた右手を俺へと突き出す兄貴の姿があった。咄嗟のことだったため、俺は回避するタイミングが一瞬遅れてしまう。くそっ!? 完全にノーマークだった。あの状態で、兄貴まだ闘うだけの魔力が残ってたなんて……!!そんな後悔が頭を過ぎるが、それも一瞬のこと。刹那が身体を張って作ってくれたこのチャンス、是が非でも逃してなるものか!!俺は影斬丸から手を離し、カウンターの体勢をとった。しかし……。「残念、ハズレや」兄貴は俺がカウンターに突き出した右拳を回避すると、自らが突き出していた右手で俺の腕を掴みそして……。「バイ」タントラを告げ、あろうことか自らの右手を切り離したのだ。「!?」驚愕に一瞬目を剥く俺。そして兄貴は一足で間合いを取ると、再び印を結んだ。っ!? あの印、それにこの匂いは……!?咄嗟に切り離された兄貴の腕を掴み虚空へと投げる。その腕には三枚の爆符が張り付いていた。俺が腕を投げたのとほぼ同時に……。―――――ズドォォォンッッ……轟音と爆炎を上げて、兄貴の爆符が炸裂した。「ぐぉっ!?」障壁の展開も間に合わなかった俺は、もろに爆風の煽りを受けて数m地面を転がる。クソ兄貴め!!昔から式神に爆符を付けるのが常套手段だったが……。普通使えなくなったからって自分の右手に爆符付けて切り離すか!?俺は痛む身体に鞭打って何とか立ち上がり、霧狐へと視線を向けた。最悪の状況になっていないことを祈りながら。しかし、その願いは当然のように裏切られる。睨みつけた視界の真ん中では、ちょうど兄貴によって俺が霧狐に掛けた戒めが解かれるところだった。「危ない危ない……そういや前んときも自分らに時間をくれてやったせいで痛い目みてもうたんやった。ホンマ、可愛げのない育ちかたしおって」兄貴は残った左手で顎を伝う汗を拭いながら俺をそう一瞥した。……抜かった。これは霧狐に気を取られ過ぎた俺の失態だ。今影斬丸に吸収できた九尾の魔力はおよそ3割程度だろう。刹那にはもう闘えるだけの気力は残されていないだろう。となると、ここは何とかして俺一人で切り抜けなければならない。そのためには、何とかして、もう一度霧狐に肉薄しないと……。そう思い、俺は霧狐に飛びかからんと痛みにくず折れそうになる両足に力を込めた。「おっと、動くなや? もしほんの少しでも動いたら、この嬢ちゃんの首を刎ねてまうで?」「っっ!?」半蔵の声とともに、霧狐は自らの手で影斬丸の切っ先をその白く細い喉へと宛がった。動きを止めた俺を見て、半蔵は愉しげに笑い声を上げた。「ははっ、ホンマどうしようもない甘ちゃんやな自分? ほんなら、これ以上悪巧みされん内に、さくっと消えてもらおか?」兄貴の宣言と同時に、霧狐が首に宛がっていた影斬丸を逆手に握る。マズい!? あれはさっき兄貴が俺に使った……!!「ホンマもんの九尾が放つ炮烙の刑。自分らごときじゃ、防ぎようがあれへんやろ?」兄貴の唇が、三日月のように釣り上がる。「っっ!?」瞬間、霧狐は振り上げた影斬丸を勢いよく突き立てた。―――――ザシュッ……自身の腹部目がけて。「なっ!?」「っっ!? 霧狐っ!?」「霧狐さんっ!?」驚愕の声を上げたのは、俺たちだけではない。兄貴までもが、その霧狐の行動に目を剥いていた。どういう、ことだ?何故、霧狐が自分を傷つけた?兄貴が驚いているということは、これは兄貴の命令じゃないのか?そんなことより、早く止血しないと、あの出血量は……!?なりふり構わず霧狐に駆け寄ろうとする俺。しかしその俺を阻んだのは、九尾が放つ金蘭の炎だった。「ぐっ!? 霧狐っ!!!!」炎に阻まれながら、俺は必死でその向こう側にいる霧狐に呼びかける。返って来たのは、久しく聞いていなかったようにさえ感じる、あどけない少女の声だった。「おにい、ちゃん……?」「っ!? 霧狐っ!? 自分、意識がっ!?」炎の壁の向こうから聞こえて来たのは、紛れもない霧狐自身の声だった。しかし、ならば何故この炎は俺を阻むんだ?いや、今はそんなことはどうだっていい!!「霧狐っ!! 待っとれや!! 今すぐ治療できる人んとこに運んでやるさかい!!」早く手当てを施さないと、あの出血量はやばい!!そう思って俺は何とか炎の壁を消そうと気弾を当てるが、一向に炎が消える気配はなかった。焦燥感ばかりが募って行く俺に、霧狐はもう一度俺に呼びかける。「だい、じょぶ、だから……これ以上、お兄ちゃんや刹那が怪我するの、見たく、ないからっ……」「っっ……まさか霧狐、この炎は自分がっ……!?」揺らめく陽炎の向こう、力なく笑った霧狐の顔が、一瞬だけ見えた気がした。間違いない。彼女はその身を犠牲にしてでも九尾を止めるつもりだ。「っっ!!!? 止めぇ!! こんなところで、自分が死んでどないすんねんっ!?」「だいじょぶ、だよ……霧狐も狗族だもん。普通の人より、頑丈、なんだよ?」途切れ途切れに聞こえて来る霧狐の声。いったいどこが大丈夫だって言うんだ!?一向に、霧狐を覆うように広がった金蘭の炎はその勢いを失くさない。その光景は、まるで蝋燭の火が消える間際にその勢いをますかのようで、俺の背筋を冷たい何かが通り過ぎていった。見ると炎の熱気に当てられて、あの兄貴でさえ霧狐から大きく飛び退いていた。「……キリね、ずっと弱いの自分が嫌いだった。キリが弱いから、皆を傷つけちゃうんだって、そう思ってた……」「霧狐……」ぽつり、ぽつりと、霧狐はまるで独白のように言葉を紡ぐ。まるでこれが、自分の最期の言葉だと言わんばかりに。そんなの嫌だと、そんなことはないと、そう否定したいのに、俺は必死で言葉を紡ぐ霧狐を止めることが出来なかった。「だから、刹那に、一人でその弱さを背負わなくて良いって言われて……キリ、すごく嬉しかったんだぁ……」「っっ……そうや霧狐!! 全部一人で背負うことなんてあれへん!! せやから、この炎を……!!」「ダメだよ……それでも、キリは弱いままじゃ、嫌だから」「っっ!!」弱々しく響いた霧狐の声は、それでも強い意志が篭っていて、俺はそれ以上を言葉を続けられなくなる。「キリね、ずっとね妖怪の血が嫌いだった……キリが半妖じゃなかったらって、ずっと思ってた……けど、今はね妖怪の血に感謝してるよ?」「…………」「キリに妖怪の血が流れてるから、パパの刀が使える……だから、今お兄ちゃんたちを助けられる……だから」霧狐はそこまで言うと、大きく息を吸いこんで、こう告げた。「―――――ありがとう、パパ。それと……ごめんね、お兄ちゃん、ママ……」ばいばい、と、霧狐がそう言ったような気がした。「霧狐っ!?」俺がそう呼びかけると同時に、霧狐が放っていた禍々しい九尾の魔力がその身を顰め、彼女を覆っていた金蘭の業火も嘘のように消え去った。焼け跡の真ん中で、霧狐は自らの腹に突き刺した刀をゆっくりと引き抜き、ふっと、糸が切れた人形のように崩れ落ちた。「っっ霧狐っ!?」慌てて崩れ落ちそうになるその小さな体を、俺は抱き止める。木乃香に貸してもらった白いロングTシャツは、霧狐の血で真っ赤に染まってしまっていた。「霧狐っ!? 霧狐っっ!? しっかりせえっ!!」必死で呼びかける俺。今霧狐が意識を失うと、もう二度と彼女と言葉を交わせないような気がして、俺は何度も何度も、彼女の名を呼び続けた。やがて、うっすらとではあったが、霧狐はその黒目がちな可愛らしい双眸を開いてくれた。「……おにい、ちゃん……キリ、妖怪の血に、負け、なかったよ……」「っっ!? ……ああ……これなら、俺が自分のこと鍛えたる必要なんてあれへんやないか」微かに笑みを浮かべて、誇らしげにそう言った霧狐に涙が溢れそうになる。震えながら俺に差し出して来た霧狐の右手を、しっかりと俺は左手で握ってやった。「え、へへ……キリ、もぉ、弱く、ないよね? もぉ、ママに、心配、かけなくて、良い、よね……?」「っっ……おう。安心せえ。自分はもう一人前や。兄ちゃんが太鼓判を押したる」涙を必死で堪えて、俺は霧狐にそう答えてやった。それで安心したのか、霧狐はゆっくりとその両目を閉じて、浅く寝息を立て始めた。「……そんな……霧狐、さん……」いつの間にか背後に近付いて来ていた刹那が、絶望に打ちひしがれた声で霧狐の名を呼んだ。俺は霧狐の手を離し、左腕で目尻に浮かんだ涙を拭い去り、その身体を抱え立ち上がる。そして、眠った霧狐の身体を刹那にゆっくりと預けた。「小太郎、さん……?」「……腐ってもこいつは狗族や。今すぐ手当てしたら、俺とおんなしでまだ助かるかもしれへん」「っっ!?」絶望に染まっていた刹那の瞳に、ぱっと希望の光が宿った。「俺はクソ兄貴と決着を付けなあかん。……霧狐のこと、よろしゅう頼むわ」俺がそう言うと、刹那はしっかりと頷き、白い両翼を広げて飛び立って行った。もちろん、刹那に告げた言葉は方便に過ぎない。いくら狗族の血を引いていようと、あれだけの血を失って助かる保証なんて、どこにもない。加えて言うなら、狗族の回復力は魔力によるブーストに裏打ちされたものだ。九尾を封印するために、限界まで魔力を使った霧狐にそれだけの回復力が残っているとは思えなかった。だが……だからこそ、俺はただ一人ここに残ったのだ。漆黒の鞘に覆われた影斬丸を拾い上げ、俺はゆっくりと兄貴に振り返る。「待たせたな……決着、付けようやないか?」落ち着いた声で告げる俺が意外だったのか、兄貴はふん、と面白く無さそうに息をついた。「全く、自分にこだわるとホンマ碌なことになれへん。せっかく見つけた九尾の依代が、まさか自分で九尾を封印してまうやなんてな」人一人が死にかけたというのに、兄貴の口調はまるで友人に口でも零すかのように軽快だった。だというのに、俺はそれに別段感情が高ぶることはない。……いや、違うな。これはもう、怒りが度を超えているため、その程度では何も感じなくなっているのだろう。その証拠に……。「これで、九尾の計画は全部おじゃん……んなっ!?」―――――バキィッ俺は尚も言葉を紡ごうとした兄貴の面を、真正面から有無を言わさずに殴り飛ばしていた。ごろごろと、数mを為すすべなく転がって行く兄貴。……妙な気分だ。先程のように身体から魔力が湧きがって来る感覚は微塵もない。頭が妙に済み切っていて、まるで自分が自分でなくなってしまったかのようだ。「げほっごほっ……ぺっ。はっ、不意打ちとは、随分らしくない真似やないか?」俺の拳撃で口の中を切ったのか、血を吐き捨てながら、兄貴がこともなげにそう言った。しかし、それに応えてやる気は毛頭ない。俺は躊躇いなく、九尾の魔力が封印された影斬丸を、その鞘から抜き放った。―――――ゴォッッ……金蘭の炎が舞い上がり、俺の身体を喰いつくさんばかりの魔力が、影斬丸を通して流れ込んで来る。しかしそれはほんの一瞬。次の瞬間には、金蘭の炎は漆黒の風へと姿を変え、流れ込んでくるで来る魔力はまるで旧知の友のように俺の身体へと馴染んだ。「っっ!? 九尾の魔力を……喰ったやと……!?」驚愕に兄貴が目を剥く。それもその筈。本来、兄貴が復活させた九尾の魔力は俺が従えられるような、チャチな代物じゃない。ならば何故、俺は俺の身体を乗っ取ろうとした九尾を抑えつけることが出来たのか?そんなの理由はたった1つだ。原作におけるヘルマン戦で、ネギが見せたのと全く同じ現象。―――――怒りによる、魔力のオーバードライブ。それを裏付けるように、俺の体は望んだわけでもないのに、獣化していた。使い物にならなくなっていた左手は完全に再生し、先の戦闘で負った全てのダメージがほぼなかったことになっている。想像を絶する魔力が、半妖である俺を、より妖怪へと近付けようとしているのを感じる。そして同時に、かつて感じたことがない魔力が、自分の身体から溢れてくる。なるほど『闇の魔法』が強力な訳だ。魔の卷族が持つ力ってのは、どうやら俺が思っていた以上に馬鹿げていて、それを今使役している俺ですら、戦慄を禁じ得ない。「……ちっ……」九尾の魔力を吸収した俺との戦力差を、分が悪いと判断したのだろう。兄貴はどこからか一枚の符を取り出した。恐らくは転移符。それもいつか真名が使ったのと同じ長距離用のもの。学園結界の外に逃げ出すつもりだろうが、俺はそれを許すわけにはいかない。こいつは…………―――――俺の家族を。―――――ようやく出会えた妹を。――――――――――傷つけたのだから!!「ふっ!!」「っっ!?」瞬動を使い、兄貴が取り出した符を一刀のもと両断する。恐らく兄貴には俺が瞬間移動でも使ったように見えただろう。自身でも驚くほどの速度で俺はそれをやってのけた。しかし、それに対する感慨はない。振り抜いた刃を大上段に構え、見据えるはその喉笛を食い千切ると宣言した憎き仇敵俺は今度こそ、5年来の悲願を……「―――――果たすっ!!」―――――しかし、三度その願いは阻まれる。―――――ヒュンッ……ガキィンッ「「っっ!!!?」」俺も兄貴も、共にただ息を飲んだ。正確に兄貴の首元を捉えた斬撃は、突如発生した石柱によって阻まれた。否、それがただの石柱であったなら、九尾の魔力を纏った俺には紙を立つように切り裂くことが出来た筈。しかしその刀を阻んだとなれば、それは石柱に非ず。何者かが使った魔法に違いない。石の魔法……それを使う者に、俺はたった一つだけ心当たりがある。しかし早過ぎる。あいつが、あの白髪の少年が出て来るのは少なくとも2年後だったはず。ならばこれも、俺と言う存在が引き起こしたイレギュラーか?怒りで沸騰していた思考が、冷や水をかけられたかのように急に冷静さを取り戻す。そして次の瞬間。―――――ドゴォンッパイルバンカーでもこうはならないってくらいの拳撃が俺を襲った。咄嗟にガードはしたものの、ノーダメージとはいかない。10数mから吹き飛ばされて、俺はどうにか体勢を崩さずにその衝撃を殺すのが精一杯だった。冗談じゃない……こっちは九尾の魔力まで使ってんだぞ?先程まで俺の中にあった全能感が、嘘のように砕かれていく。しかし退く訳にはいかない。俺は今度こそ、兄貴を仕留めなければならない。散って行った里の連中のため、母のため、そして霧狐のために!!俺はゆっくりと顔をあげ、新たに現れた敵の姿を確認し……。「っっ……!?」そして言葉を失った。俺が想像していた相手とはまるで、敵の姿が異なるものだったからだ。すらりとした細い体躯に、病的なまでに白い肌。背中ほどに伸びた綺麗な銀髪に、感情のない瞳でこちらを見据えるその姿。年の頃は俺の同じくらいと見える。そう、兄貴を庇い俺を吹き飛ばした敵は紛うことなく……少女だった。着ている服も、俺の記憶にある灰色の学ランのようなものではなく、灰色のセーラー服に同色のプリーツスカートだった。1つの仮定が思い浮かぶが、断定は出来ない。俺はいつでも攻撃出来るよう、影斬丸を握りしめ問い掛けた。「……何者や自分?」少女はそれに答える素振りを見せず、こちらを一瞥すると兄貴に対して何かの魔法を使って見せた。瞬間、そこには水なんてなかったのに、兄貴を覆い始める夥しい量の水流。「……っっ!? しまった!!」水を使ったゲートだと気付いた時には既に、兄貴の姿はそこにはなかった。しかし……こんなのまで使えるってことは、やっぱりこいつは……。「……まだ闘る? ボクと君との力の差は歴然だと思うけど?」「っっ!?」俺の問いには答えなかった少女が、俺にはまるで興味がないと言わんばかりの声音でそう問いかけて来た。野郎……言ってくれるじゃねぇか。兄貴を逃げられたことで、俺は頭に血が上っていた。いや、あるいは九尾の魔力に当てられていたのかもしれない。ほんの少しでも、今の俺ならこのバケモンに勝てるかもしれないと、そう思ってしまったのだから。「狗音斬響……獣裂牙顎!!!!」ノータイムの上に、俺はその場から動くことなく狗音影装2体分の魔力を持って牙顎を放った。その速度はまさに神速。妖怪化状態の刹那でもそうは避けることが出来ないであろう一撃。しかし、その少女は俺の想像を絶する存在だったらしい。「……ふっ」その一撃をまるで子ども騙しだと言わんばかりに失笑。次の瞬間には、俺の視界をまるで2㌧トラックにでも跳ねられたかのような揺れが襲っていた。それが、あの少女に腹を殴られたことによるものだと気が付いたのは、10数mを転がり身体が完全に停止してからだった。「安心して。殺しはしないよ。いや殺せないという方が正しいかな? まぁとにかく、目的は達したから」霞む視界の向こう側、その少女が先程と同じ水のゲートを開く様子が伺えた。「もう会うことはないだろうけど……それじゃあね。ウェアウルフの少年」少女の姿が水に飲まれていく様子を見送ってから、俺の視界は完全にブラックアウトした。クソ……俺は、また……仇を、討てな、か……。