金襴の劫火と漆黒の千影が際限なく交叉する。打ち合うたびに、互いの剣速はその鋭さを増し、敵を切り裂かんと振るわれた。―――――ガキィンッ俺の振るう影の刃が、乾いた音を立てて砕け散った。やはり、九尾なんて規格外の魔力を纏った影斬丸相手だと、数合で限界か。俺の操影術がカゲタロウ程の域に達しているとは思っていなかったが、それでも九尾との間にここまでの差があるなんて。それに、兄貴の体術との間にも、大きな隔たりがあると見て間違いない。……忘れてたな。俺に体術の基礎を叩きこんだのは、このクソ兄貴だったってことを。一端距離を取り、俺はもう一度、しかし先程より多くの影精を収束させようとする。しかし、そんな隙を、兄貴が見逃すはずもない。すぐに振り抜いた影斬丸を引き戻し、俺へ向かって瞬動術を持って駆け出してきた。「……けどな、それくらいは予想済みやっ!!!!」俺は待機させていた影の矢を、全て解放し、向かってくる兄貴に向けて放った。「魔法の射手、影の199矢!!!!」「っっ!? 西洋魔法っ!? ちぃっ……!!!!」兄貴は舌打ちして、動きを止めると、金の焔を纏った影斬丸を、大きく逆袈裟に一薙ぎした。その一閃で、俺が放った漆黒の矢は全て叩き落されてしまう。本当に洒落になってない。ただの魔力を込めた一閃がこれだ、数合とは言え、打ち合えたことをむしろ褒めて欲しいくらいだ。再び手の内に顕現した黒い刃を握りしめて、今度は俺から、兄貴に向かって駆け出していた。―――――ガキィンッ影の刃を、兄貴は真っ向から影斬丸をして受け止めていた。どうやら、バカみたいな魔力に、さすがのクソ兄貴も振り回されてるらしいな。大きな魔力を使う技は、そう連発して出せないと見える。ならば……俺の勝機は十分にある!!「ここらが年貢の納め時やで、兄貴!!」「はっ!! クソガキが、調子に乗るんとちゃうわ!!」―――――キィンッ……「くっ!?」鍔迫り合いの状態から、兄貴は強大な魔力によるブーストを利用して、力任せに俺を押し切った。瞬間、自由になった左手で、印を結ぶ。兄貴のポケットから、十数枚の符が姿を現した。これは……まさかっ!?「鉄鎖鋼縛陣!!」兄貴の呼び声に応えるように、放たれた符が鋼鉄の鎖へと姿を変える。やはり、先ほど刹那たちを拘束してた術かっ!!これを喰らう訳にはいかない。俺は、とっさに影の刃を自らの影に突き立て、叫んだ。「影槍牢獄!!」刹那に現れる千の影槍。その全てが、俺を捕えんと迫る鎖を悉く打ち砕く。しかし、兄貴の性格上、本気で俺を捕えるために、この術を使ったとは考えにくい。これはあくまで布石……ならば、その狙いはただ一つ!!「……上かっ!!」とっさに上空を仰ぐと、そこには、金襴の炎を纏いながら、俺へと刀を振り下ろそうと迫る兄貴の姿があった。回避は間に合わない……仕方がない。影斬丸なしでいけるかは微妙だが、迷ってる暇すらないのも事実。俺は右手を点に突き上げて、声高に叫んでいた。「狗尾(イヌノオ)!!」瞬間、俺の目の前に現れる、黒い狗神の障壁。その完成と同時に、大気すら焼き斬る程の熱を持って、兄貴の斬撃が叩きつけられた。―――――ズドォォンンッ……「ぐぅっっ……!!」「ちぃっ!!」酒呑童子のそれと、遜色のない威力が俺を襲う。きれいに均されていたグラウンドの土が、圧力に押し上げられて、放射状に盛り上がっていた。障壁に阻まれた兄貴が、空中で身を翻し、俺の正面5m程の距離に着地した。「……しばらく見らんうちに、随分と器用になったやんけ?」燃え盛る黄金の炎を挟んで、兄貴が俺に賛辞の言葉を投げ掛ける。それに違和感を覚えて、俺は思わず押し黙った。……何故、攻撃の手を止めた?魔力も体術も、俺を上回っているのなら、こんなところで、手を緩める必要はないはずだ。それとも、何か別の狙いがあるのか?わざわざ必要のない会話を交わす理由……以前の俺たちのように時間稼ぎ?いや、援軍の用意があるのなら、初めから単独で霧狐を狙いに来りはしないだろう。兄貴はそんな分の悪い勝負をする男じゃない。なら、何だ?他に考えられる可能性なんて……。まさか!?「……九尾の浸食が、思ったよりも早かったみたいやな?」「…………」俺の問い掛けに、今度は兄貴が押し黙った。つまりはそういうこと。考えなしに大技を使い過ぎたツケが回ってきたのだろう。恐らく、九尾の魔力が奴の右腕を食い潰しつつある。兄貴はもう、先ほどのような高威力の技は放てない。だからこそ、兄貴は不要な会話を持ちかけて、俺の不意を突こうとした。相変わらず、良く頭の回る男だ。しかし……。「残念やったな? ……あんたの下らん復讐劇も、ここで幕引きや」俺の言葉に、兄貴の眉がピクリと跳ねた。まるで、俺の放った言葉が、心外だとでも言うように。「下らんやと? ……やったら、同じ理由でわいと闘う自分は何やねん?」あくまでいつも通りの口調で、兄貴は俺に再度そう問い掛けた。もっとも、その口調には、推し量ることの出来ないような、憎悪が感じられる。感情を露わにすることなど、殆どない兄貴が今、明確な怒りを俺にぶつけていた。「……確かに、俺はあんたを憎んどる。けどな、俺が自分と闘うんは復讐ばっかのためやない。自分の蛮行から、大事な仲間を護るためや」力を掴もうとしたきっかけは、確かに奴の言う通り、復讐心によるものだった。母を奪ったこの男を、俺を裏切った兄貴を、心の底から許せない、必ずこの手で殺してやると、俺は確かにそう誓った。しかし俺は、長に拾われ、刹那と出会い、麻帆良に来て多くの人間の心にふれあった。そして一年前に、あの狗族の男と対峙した時、俺は思い出したのだ。自分が何を望み、何のために闘おうと、どうやって二度目の生を歩もうと誓ったのかを。「……自分みたいに他人を傷つけてまで目的を果たそうとする奴を、俺は放っておくわけにいかへん。それにな……」思い出すのは、あの森の中でともに過ごした日々。何不自由なくとは言わなかったものの、それでも温かく、とても穏やかだった幼い日の思い出。その中で、兄貴が言ったあの言葉。『―――――弟を守るんは、兄貴の役目や』「―――――兄貴の業を背負うんは、弟である俺の役目や」俺は真っ直ぐに兄貴の目を見据え、そう宣言した。兄貴の目が、驚いたように見開かれる。やがて兄貴は、静かに目を伏せて、唇だけで笑った。「……好き勝手言うてくれるわ。自分と道を違えた人間を、悪だと断罪出来るほど、人間は高尚な生き物とちゃうで?」「百も承知や。それでもな、自分のやってきたことは、誰かが清算せなあかん」会話はここまでとばかりに、俺は再び影の太刀を握る。今度は影精ではなく、狗音影装をして、その刃を作り上げた。「その役を自分が買って出る、と? ……自惚れるなや小太郎、この業は、そんな浅いもんとちゃう」兄貴はその言葉とともに、伏せていた顔を上げた。その相貌に宿っていたのは、先ほどの憎悪の光ではなく、明確な決意の輝きだった。まるで、この状況を打破する秘策があると、そう言わんばかりの。だから俺は、それをなおも打ち崩さんと覚悟を決めた。刻み付けるように、雄々しく笑みを浮かべる。「……今度こそ、決着(けり)つけようやないか」俺のその言葉に、兄貴はいつものような嘲笑ではなく、俺のそれに似たような、雄々しい笑みを浮かべて言った。「……悪いけどな、自分の覚悟に付き合うてやる暇はない。良ぉ目見開いて見とけ、これが……」兄貴は右手に握っていた影斬丸を逆手に持ち替えると、そのまま地面へと突き刺し叫んだ。「―――――自分が下らん言うた、復讐心の為せる業(わざ)やっ!!!!」刹那、強大な魔力が、土の中を爆走し始める。バカなっ!? そんなことをしたら自分の右腕がっ!?……否、覚悟を決めた漢にとって、そんなことは些末なことか。ならばこの一撃、防いで見せず、どうするという!!刃の形に収めた狗音影装を、俺は今一度、円状の障壁へと変えた。「爆ぜろ豪炎―――――炮烙の刑」瞬間、俺のすぐ正面の地面から、金襴の火柱が舞い上がった。―――――ズドォォンンッッ……「ぐおっ!?」今までにない衝撃が、狗尾を貫こうと襲い掛かる。防ぎきれなかった炎が、俺の衣服や肌を焼くが、それに構う暇などない。押し切られれば、俺は跡形もなく蒸発する。しかし俺は、こんなところで死ぬわけにはいかない。約束したからな、霧狐を鍛えてやると。だから俺は……この一撃、必ず防ぎ切り、兄貴を斬り伏せて見せる!!「――――――う、おぉぉぉおおおおおおおお!!!!」突き出した右腕と、反対の左腕に、俺はもう一体分の狗音影装を集中させた。こっちも、影斬丸なしにやるのは初めてだったが、狗尾が上手くいったのだ、しくじる道理はなく、しくじる訳にもいかない。ともすれば押し潰されそうな衝撃に、俺はぎりっ、と歯噛みして、力強く咆哮した。「―――――狗音斬響っ、黒狼絶牙ぁっっ!!!!」漆黒の暴風が、俺を焼き尽くさんと迫っていた黄金の炎を貫いて行く。わずかの間をおいて、大量の砂埃が舞った。……どうにか凌いだか?しかし気を抜くのは早い。この土煙でも、兄貴なら十分に奇襲を仕掛けてくる可能性がある。だがそれは、同時に俺が奴を迎え撃つ最大のチャンスとも言える。黒狼絶牙の反動で、左腕はしばらく使い物になりそうになかったが、残った右腕でやるしかない。俺は再び影精の刃を握って、兄が仕掛けてくるのを待ち構えた。しかし……。「……何や? 何で仕掛けて来ぃひん……?」一向に、兄貴が仕掛けて来る気配はない。そしてその攻撃のないままに、ゆっくりと土煙が晴れていった。そこに待っていた光景に、俺は思わず息を飲むこととなる。「……やられた!!」そこには既に兄貴の姿はなく、残っていたのは、地面に穿たれた大穴と、立ち上る硝煙だけだった。野郎、最初からこのつもりで!?このままじゃ、霧狐が危ない!!俺は弾かれたように、霧狐たちが駆けていった方角へと走り出した。……頼む、どうか間に合ってくれ!!SIDE Setsuna......「……ええ、女子校エリアの共有グラウンドで……はい、小太郎さんが」私は霧狐さんの手を引いて、学園長室へと向かう傍ら、学園長と連絡を取っていた。目的は、小太郎さんへの援軍の要請と、霧狐さんの保護。あの男、半蔵は、今まで任務で対峙してきた妖怪や、魔物とは、あまりに格の違う敵だ。いかに1年前、小太郎さんが狗族の妖怪を退けたといっても、あの時敵は魔力に制限を受けていた状態だったのだ。小太郎さんでも、勝てるという保証はない。そして、万が一彼が敗れたとき、私が霧狐さんを護り切れるという保証も……。……ダメだな、負けた時の言い訳を今からしているようでは。きっと小太郎さんなら、こんなときにも力強い笑みで、霧狐さんを必ず護ると言い切って見せるだろう。その彼から、霧狐さんを任されたのだ、ならば私は、全力でその信頼に応えなければならない。「霧狐さん、まだ走れますか?」開いていた携帯をパチン、と閉じて私は右手を握る霧狐さんに尋ねた。それに対して、霧狐さんは笑顔で頷いてくれる。「うんっ、刹那こそ、お腹の怪我は大丈夫?」「ええ、これくらいなら、何とか」心配そうに尋ねた霧狐さんに、私も笑顔でそう答えた。霧狐さんがもう一度頷いてくれたのを確認して、私たちはさらに走る速度を速めた。この笑顔が曇るなんて、決してあってはならないことだと、そう思う。自分に差し伸べられた幸福を知らぬまま、耳を塞ぎ怯えたままに、彼女の未来を奪うなんて、許されない。お嬢様と小太郎さんが私に示してくれたように、霧狐さんにも、与えられるべき幸せな未来があるはずなのだ。だから、私は彼女を守り抜かなければならない。闘うための道具なんかに、決してさせはしない、そう改めて誓った、その時だった。背後に突如として現れる、濃密な殺気。反射的に、私は霧狐さんの手を話し、夕凪を振り向き様に振るっていた。しかし……―――――ザシュッ……ガシッ「っっ!? バカなっ!!!?」振り抜いた夕凪を、件の男はその皮一枚を切り裂かせて、私の腕ごと捉えていた。まさか、私に攻撃させたのは最初から、動きを止めるために!?……正気の沙汰じゃない、一歩間違えば、胴とから真っ二つになると言うのに、この男は……!?驚愕に、一瞬動きを止めた私に向かって、その男、半蔵はニヤリ、と唇を釣り上げ哂った。「―――――やっと捕まえたで、神鳴流っ!!!!」―――――バキィッ……ドサッ……「ぐっ、あっ……!?」視界が明滅する。半蔵は、私の動きを止めた左手を握り締め、私の顎を振り払うように打ち抜いていた。先ほどの蹴りのような威力はなかったが、それでもまともに受けてはどうしようもない。明滅する視界の向こう、半蔵の右手が、怯え竦む霧狐さんの額を鷲掴みにした。「い、けないっ……霧狐さんっ、逃げてっ!!!?」必死でそう叫ぶ私。霧狐さん自身も、必死でその手から逃れようとしているが、抜け出すことが出来ないようだった。小太郎さんとの戦闘と、私の今の攻撃によるダメージか、半蔵はおよそらしくない、疲弊しきった様子も露わに、霧狐さんに言った。「手こずらせてくれたな……狐狩りなんてしたんは、5年振りやったで?」「はっ、離してっ!!!?」霧狐さんが、魔力まで込めて、自分を拘束する半蔵の腕を叩いたが、奴はそれをまるで意に介していない様子で、口上を続けた。「もう逃がさへん……わいにも闘う力は残らへんけど、九尾さえ手に入りゃあこっちのもんやからな」ぎりっ、と、霧狐さんの頭を握る奴の指に、強く力がかかった。「くぅっ!? っぁぁぁあああああっ!!!?」霧狐さんが悲痛な叫びをあげるが、それすらも、奴は心地良さそうに笑みを浮かべる。……くそっ!?動いてくれ、私の身体!!ここで闘わないと、闘えないとっ!!彼女を、霧狐さんを護れない!!霧狐さんに、幸せを!! 小太郎さんに、家族を!!教えてあげることが出来なくなってしまう!!だから、お願いだ……私に、今一瞬だけで良い、闘う力を!!!!……しかし、そんな私の願いは、届くことはなかった。四肢すら動かぬ私の目の前で、およそ人間が放つとは思えない強大な魔力が解き放たれた。「―――――喜べ嬢ちゃん……これが、自分が望んでた『強さ』や」半蔵のその言葉とともに、解き放たれた魔力が全て、霧狐さんへと流れ込んでいく。その奔流に飲まれ、霧狐さんが悲鳴を上げたが、やがて半蔵の腕をつかんでいた両腕がだらんと降ろされ、その悲鳴さえ止んだ。「そん、な……」護り、切れなかった……。絶望に眩む私の視界の中、半蔵の右腕に記された無数のタントラが霧狐さんの額へと飲み込まれて、荒れ狂う魔力の奔流もようやく身を潜めた。ゆっくりと、半蔵が霧狐さんの額からその右腕を離す。露わになった霧狐さんの額には、先ほどはなかった、深紅の梵字が一文字、刻まれていた。その双眸は、まるで眠っているかのように閉ざされ、先ほどまでの、無垢な少女の面影はない。茫然自失となった私に振り返り、半蔵は心底愉しげに、唇を釣り上げた。「おめでとう神鳴流……自分は歴史的瞬間に立ち会うた。……数千年を生きた邪悪の権化、死してなお命を奪い続けた殺戮者……妖の姫、玉藻御前の復活や!!!!」―――――ゴォォォオオオオオオッッ……「っっ!?」半蔵の言葉が合図だったかのように、霧狐さんの閉ざされていた両目が見開かれる。その瞳には、先ほどの金色ではなく、深紅の煌きが燈っていた。そして、半蔵の言葉を裏付けるかのようにもう一つ。二尾だった、霧狐さんの尾。それを金色の炎が包み込んでいく。目も眩むほどの金襴の業火。それは彼女の身の丈以上に膨れ上がったかと思うと、まるで花吹雪を散らしたかのように掻き消えた。そして、そこに姿を現したのは……。―――――烱然九尾。九尾の狐を象徴する、金色の九本尾だった。SIDE Setsuna OUT......