SIDE Setsna......「全くとんだ見込み違いやったわ……いや、この場合、そっちの神鳴流の嬢ちゃんを見くびってたっちゅんが正解か……」突如現れたその男は、面白く無さそうにそう吐き捨てた。……一体何者だこの男は?それに、この男に声を掛けられただけで感じた、あの悪寒に似た胸のざわつきは……?この男は危険だ。剣士として鍛えて来た私の勘が、そう警鐘を鳴らしていた。私の腕の中で嗚咽を零していた霧狐さんが、右側から歩み寄って来る男を見て息を飲んだ。「は、半蔵!? どうしてここにっ!?」「半蔵? ……では、あなたが小太郎さんの!?」霧狐さんが口にした名は、紛れもなく半年前に麻帆良を襲撃した人物と同じもの。つまり、この男が近衛の呪術師たちを次々に襲撃し、お嬢様のお命を狙い、そして今回九尾の復活目論んでいるという、小太郎さんの宿敵。「……犬上、半蔵……」私がその名を口にした瞬間、まるでつまらなそうだった男の目に、ぎらぎらとした憎悪の炎が宿った。「犬上、な……胸糞悪い。そんな家名はとうの昔、あの村を焼いたあの日に捨てとるわ」半蔵の言葉に、霧狐さんの小さな肩がびくっ、と震えた。「あの村を焼いたって……もしかして、お兄ちゃんのいた村を全滅させたのって……」震える声で、そう言った霧狐さんに、半蔵はにやりと唇を歪めて答えた。「お察しの通り、小太郎の村を焼き、あいつの母親を殺したんは、このわいや」「っっ!!!?」霧狐さんが、驚愕に目を剥く。この反応ということは、やはり霧狐さんは何も知らずに、踊らされていたということだろう。恐怖と驚愕に言葉を失った霧狐さんに変わって、今度は私が、半蔵に尋ねていた。「今回は何が狙いだ? お嬢様と小太郎さんを狙う貴様が、何故霧狐さんを暴走させた?」殺気を込めた視線で睨みつけても、半蔵はそれをそよ風ほどにも感じていないのか、相変わらず嘲笑とも取れる笑みを浮かべていた。「教えたる義理はあれへんけど……まぁ良えやろ。わいが九尾の復活を狙うとるんはもう知っとるな? ……つまりは、そういうことや」「九尾の復活……っ!? まさかっ、霧狐さんを依代にするつもりかっ!!!?」すうっと、半蔵の目が細められる……つまりそれは、私の言葉を肯定しているのと同義だ。なるほど、その為に霧狐さんをそそのかし、魔力を引き出すために暴走させたのか。器となる人間のそもそもの出力が低ければ、注ぎ込まれた魔力に耐えられず、器は壊れてしまう。反吐が出るが、理に適った話だ。しかし……。「……させると思うか?」「いんや。嬢ちゃんの性格は、前回来たときに分かってるさかい、そんなに甘いとは思ってへんよ。けどな……」瞬間、半蔵の姿が揺らいだ。「……詰めは甘かったな」突如、私の懐に姿を現す半蔵。マズイ、とそう感じた瞬間には全てが遅く、私は腹部に強力な蹴りを受けて吹き飛ばされていた。ごろごろと、土の上を10m程転がり、ようやく私の体は止まった。胃がひっくり返ったような吐き気がするが、歯を食いしばってそれを堪える。「か、はっ……!?」「刹那ぁっ!!!?」霧狐さんの悲痛な声が耳に届くが、すぐには立ち上がれそうになかった。顔だけを上げて、どうにか半蔵の姿を視界に捉える。……抜かった!! 前回の戦略から、完全に後衛型の呪術師だとばかり思っていた。その実、蹴りの一発で私を無力化出来るほどの実力を持っていたなんて……。歯を食いしばって四肢を奮い立たせる私に、半蔵は感心したように声を上げた。「へぇ……殺してまおうと思てんけどな。さすが、小太郎と言い半妖いうんは頑丈にできとるな」「ぐっ……貴様っ!!!!」それでも立ち上がれずに、私の膝はがくがくと笑う。それを良いことに、半蔵は傍らに座りこんだ霧狐さんの腕を無理やりに掴み上げた。「ひっ、酷いよ半蔵!? どうしてこんなことするのっ!?」必死で半蔵を振りほどこうと、霧狐さんが暴れる半蔵が小さく舌打ちして、一枚の符を取り出すと、それは一瞬で鋼鉄の鎖へと姿を変え、霧狐さんの体を十重二十重に拘束してしまった。「ぎゃーぎゃーやかましい子狐やな。大体この状況は、全部自分の弱さが生み出したもんや。つまり全部自分のせい。その責任を人に押し付けるんとちゃうわ」「っっ!?」半蔵の言葉に、霧狐さんがもう一度息を飲んだ。そしてその黒目がちな瞳に、再び大粒の涙が浮かび上がる。「だ、ダメです霧狐さんっ!! そんな男の言葉に、耳を貸してはいけないっ!!」息をするだけで、ずきずきと痛む腹。しかし、その痛みを忘れて、私は霧狐さんにそう叫んでいた。半蔵の細い双眸がこちらを射抜くように睨んだが、そんなこと知ったことか。私はもう一度、自らの双翼を広げ、痛む身体に鞭打って立ち上がった。腹を抑え、荒い呼吸を無理やりに飲み込み、私は茫然とする霧狐さんに構わず呼びかける。「くっ……この状況を生み出したのは、あなたじゃないっ!! 全ては、その男の姦計です!!」「ほぉ、言うてくれるな神鳴流。弱さは罪やないとでも?」私の言葉に、半蔵は先程犬上姓を呼んだときと同様、憎悪のこもった視線をぶつけて問い掛ける。それに臆せずに、私は正面から、半蔵を睨み返した。「当たり前だ……!! 弱さが罪だと言うのなら、全ての人間は罪人。しかしそれを受け容れ、前へ進もうと足掻くなら、それは弱さでも、罪でもないっ!!」そして、例え自らはそれに気が付かなくても、教え諭してくれる仲間がいるなら、人は前に進める。だから、弱さは罪なんかじゃない。かつて自分がそうだったように、人は自らの過ちに気付き進めるはず。ならば罪とは、その歩みを奪おうとする人間にこそある。「詭弁やな。なら、足掻く機会さえ与えられへんかった人間はどないすれば良え? 自分は何もしてへんって、神にでも訴えるんか?」「例え全てを失ったとしても、その人間が希望を捨てない限り、いつかきっと差し伸べられる光があるはずだっ!!」かつて一族から離反した私を、長が拾ってくれたように。人の温もりを知らぬ私に、お嬢様がその優しさを教えてくれたように。自らの弱さと向き合う強さを、小太郎さんが自らの生き様で示したくれたように。救いは、前へと進み続ける全ての人間に、平等に与えられる筈だ。しかし半蔵は、そんな私の想いを嘲笑うかのように、ふん、と小さく鼻で笑った。「……なるほど、ならわいもその道を貫くことにするわ。もっとも……わいの見つけた『光』いうんは、自分らにとっての悪に違いあれへんけどな」「……何が言いたい?」半蔵は、ズボンのポケットから一枚の黒符を取り出し哂った。「神鳴流……自分は、思てたより幸福に愛されとったらしい」「……そうだな。そしてその幸福を知るからこそ、それを知らぬ霧狐さんを、むざむざ貴様にくれてやる訳にはいかない!!」夕凪を拾っている暇はない。無手で勝てる相手とは思えなかったが、今は躊躇してる時でもない。神鳴流は得物を選ばず。お嬢様を護りたいと、そして大切な仲間たちを護れる強さが欲しいと願った時点で、この身は既に、一振りの刃金。ならば、この身一つであろうとも、たった一人の少女すら救えずにどうすると言うのだ!!ぐっ、と私は姿勢を低くし、その両足に気を集めた。「それは絶望を知らん人間の理屈やな……良えやろう。こっから先の展開は、甘ちゃんな自分らへ、わいからのプレゼントや」半蔵が、黒符を握った右腕を、高々と掲げる。「―――――させるものかっ!!!!」瞬間、私は弾かれるように、双翼をはためかせていた。「やから自分は甘ちゃんなんやっ!!!!」同時に、半蔵の左手から、数十の符が放たれる。それをかわし、或いは気を纏った手掌で打ち落とし、私はついに半蔵を、自らの間合いに捉えた。小太郎さんには申し訳ないが……その首、ここで私が貰い受ける!!「神鳴流奥義―――――斬空掌!!!!」気を集中させた右の手刀を、神速を持って半蔵へと突き出す。貰った、そう私が確信した瞬間、急に私の身体は、後方へと強い力で引っ張られた。「ぐっっ!? な、何がっ!?」慌てて後方を確認すると、そこには、地面に張り付いた一枚の符と、そこから私の足へと伸びた、鋼鉄の鎖があった。まさか……先程放った大量の符はこのために!?私がどの符を避け、どの符を叩き落とすかも計算に入れていたというのか!?ぎりっ、と音が鳴るほどに歯を噛み締めて、私は半蔵に向き直る。奇襲は封じられたが、この程度の拘束、神鳴流の技を持ってすれば、大した脅威ではない。私は敵の首を打ちぬかんとしていた右手を自らの足を縛る鎖へと振り下ろそうとした。しかし……。―――――ジャラジャラジャラッ……「っっ!!!?」更に伸びて来た十数本の鎖によって、その動きを封じられてしまった。バカなっ!? あの一瞬で!?これは……最初の鎖に気が付かなかった時点で、私の負けだったとでも言うのか!?その想像を裏付けるかのように、半蔵は薄く笑った。「自分はその特等席で、この嬢ちゃんが生まれ変わるんを見物してると良えわ……」そして今度こそ、半蔵が右手に持つ黒符を霧狐さんへと振りかざす。拘束された霧狐さんが、抜け出そうと必死でもがくが、ジャラジャラと鎖が音を立てるばかりだった。「くぅっ……!! や、ヤダっ!! キリはもう、誰も傷つけたくなんかないよぉっ!!!!」「安心しぃ。これから暴れるんは自分やない。烱然九尾……妖の姫君、白面金毛九尾の狐や」唇をいやらしく釣り上げて、半蔵はその腕を振り下ろした。「や……止めろぉぉぉぉぉおっっ!!!!」それを止めようと、必死で鎖を引くが、びくともしなかった。もう、ダメなのか……!?そう思った瞬間だった。―――――ザワッ……「狗音斬響―――――影槍牢獄」半蔵の影大きく広がり、そこから数百の黒い槍が、奴を穿たんと突き出された。「なっ!? ちぃっ!!」それを避けるために、半蔵は舌打ちとともに、その場から大きく飛び退く。それでもなお、奴を追った槍を、彼は更に数枚の護符を放ち、全て薙ぎ払った。そう……霧狐さんを、その場に置いて。―――――ザッ……拘束された霧狐さんの傍らに、良く見知った黒い影が降り立つ。怒りに表情を歪ませながら、彼は雄々しく、力強い声で咆哮した。「―――――覚悟は良えかクソ兄貴……今日という今日は、その喉喰い千切ったる!!!!」SIDE Setsuna OUT......霧狐を拘束する鎖を、俺は狗神を纏った拳で全て砕いた。……どうやら、間一髪間に合ったか。先程の黒い符が、恐らく九尾を封じたものなのだろう。霧狐の純粋な気持ちを弄びやがって……さすがに、俺の頭も沸騰寸前だった。「……思てたより来るんが早かったな? 酒呑童子に足止めさせといたはずやけど……」「それなら今頃、タカミチら魔法先生にフルボッコにされとるはずや……言うた筈やで? 麻帆良の底力、舐めるんとちゃうわ」普段飄々としている兄貴が、珍しくその表情を悔しさに歪めた。俺は兄貴から視線を外すことなく、刹那を拘束している鎖にも気を放って破壊した。「お、お兄ちゃんっ……」心配そうに俺に声を掛けた霧狐を背に隠して、俺はいつでも奴に攻撃できるよう体勢を整える。そして彼女を振り返ることなく、俺は出来る限り優しい声で告げた。「自分は下がっときぃ……あいつは、俺の獲物や」「……うん。お兄ちゃん、ゴメンね、キリのせいで……」「謝るんは後にし。刹那と一緒に、こっから出来るだけ離れるんや」俺がそう言うと、霧狐はそれに小さく答えて、おずおずと駆け出して行った。「……刹那、霧狐のこと頼んだで?」「承知しました。……御武運を!!」刹那の返事とともに、二人分の足音がグランドから離れて行く。さて……これで後はこのクソ野郎を倒してしまいさすれば万事解決だ。6年越しの因縁、今日こそ断ち切る!!兄貴を睨む両目を、俺は強く見開いた。「本気でわいと闘り合う気かいな? 刀もあれへん自分が、わいに勝てるとでも?」そう言って、兄貴が掲げたのは、鞘に収まった影斬丸だった。いつの間に……。「手癖まで最悪になっとるみたいやな? 刀があれへんでも、自分を殺さん理由にはなれへん。それに、そいつは自分には抜けへんしな」影斬丸は狗族の血を引く者にしか抜くことはできない。つまり、あれが奴の手に渡ったところで、大した脅威にはなり得ない。そう、思っていた。「……確かに、俺には抜けへん。けどな、九尾の狐なら、話はちゃうで?」「何? ……まさか、自分っ!?」俺が驚愕に目を剥いた瞬間だった。クソ兄貴は、有ろうことか先程の黒符を、自身の右手に張り付けた。金色の業火が広がり、奴の右袖を焼き払う。露わになった兄貴の右手には、深紅のタントラが幾列にも渡って刻まれていた。……恐らく、あれは右手以上を侵食されないための封印式。最初から、この状況も想定してたって訳か!?ゆっくりと兄貴の右手が、影斬丸の鞘に掛けられた。「―――――光栄やろ? 親父の牙に掛かって死ねるやなんてな!!」そう叫び、兄貴は影斬丸を鞘から抜き放った。―――――ゴォォォオオオッ……金蘭の炎が、兄貴の身体を包み込むように燃え盛る。にやり、と兄貴が唇を釣り上げて言った。「依代としての適性があれへんわいやと、引き出せる魔力はせいぜい4割……せやけど、自分を殺すんには十分やろ?」オイオイオイ!? 狗音影装4、5体分の魔力放ってて、それが4割だとっ!?何両目見開いて寝言言ってんだ!?……なんて、それが冗談じゃないことくらい、俺にだって分かる。こんな魔力が霧狐に注がれていたらと思うと、ぞっとするな。もっとも、クソ兄貴はまだ諦めてくれてはいない様子だが……。「そう長くは抑えられへんからな……さっさと自分を殺して、あの嬢ちゃんを追わせて貰うで?」「はっ!! そない簡単に、ここを通すと思てんのか?」俺は無詠唱で影精を喚び、それを束ねて一振りの剣と化すと、兄貴に突き付けて言った。絶対にここから先へは通さない。奴の右腕を斬り飛ばして、影斬丸を取り戻す。そう誓って、俺は影の剣を強く握った。「良え度胸や……こうして自分と闘うんは5年振りやな……わいを落胆させてくれるなや?」「そっちこそ……俺は手加減なんて器用な真似、出来ひんからな?」ふっ、と俺たちは互いに小さく笑った。元よりこれは命を賭した勝負。敵の実力なんて、知るところではなく、加減なんて以ての外。なればそう問いかけたことに、もはや意味などなく、それはただの挨拶に過ぎない。小さく息を吸い、俺たちは互いに吠えた。「―――――行くで小太郎? ……金色の業火に抱かれて、母の下へ逝けっ!!!!」「―――――こっちの台詞や。 ……自分の業に焼かれて、地獄に堕ちろっ!!!!」―――――――――ガキィィンンッッ……引き寄せられるようにして、俺たちは互いの刃を交えていた。5年越しの因縁、それをそれぞれが望む形で清算するために……。