何とか怒り狂う二人を沈めて、俺は先ほどの少女を連れ、学園長室に戻って来ていた。先程の少女は、どういう訳か、俺以外の人間とは全く口を聞こうともしてくれないため、学園長の尋問も、何故か間に俺が入らされている。彼女がそんな様子なので、学園長も気を遣って、現在学園長室には、俺たち3人しかいない状態だった。もっとも、一緒に来た刹那と刀子先生は学園長室の外で待機しているみたいだが。俺は溜息交じりに、とりあえず彼女が何者なのかを確かめることにした。「そんで、自分、名前は?」「キリは霧狐だよ? 霧の狐で霧狐、九条 霧狐(くじょう きりこ)。お兄ちゃんは、犬上 小太郎って言うんだよね? キリ知ってるよ」嬉しそうに少女、霧狐ははにかんだ。嘘をついている風ではないし、恐らくそれが彼女の本名で間違いないだろう。俺たちの様子を静観していた学園長が、不意に咳払いをした。「して、霧狐くん? この麻帆良にはどういった用件で来たのかの?」「っっ!?」学園長がそう尋ねた途端、霧狐は怯えたように身を竦ませて、さっと俺の後ろに隠れてしまった。俺の部屋で、刀子先生や刹那に気が付いた時も、似たような反応だったから。恐らく俺以外の人間に対しては、総じてこのような反応なのだろう。ちら、と学園長に目線を向けると、肩をすくめて、右手を差し出すジェスチャーをされた。……尋問、俺に丸投げかい。再び溜息をついて、俺は背に隠れた霧狐に事情を聞くことにした。「霧狐、何で麻帆良に侵入したんや?」「……ま、麻帆良に、お兄ちゃんがいるって聞いて、居ても立ってもいられなくなったからっ」おずおずとだが、霧狐ははっきりとそう答えた。となると、やっぱり疑問なのは、俺を兄と呼ぶ理由だな。「俺のこと、お兄ちゃんて、呼んでるけど……それはどういう意味や?」「そ、そのまんまだよっ!! 霧狐はお兄ちゃんの妹だもんっ!!」必死な様子で、霧狐はそう訴えた。……そう言われても、俺には兄貴以外に兄弟がいたなんて知らねぇんだが?妙な生まれ方したおかげで0歳からの記憶もはっきりしてるけど、生き別れの妹がいたなんて感じは全くないし……。しかし、1つだけ思い当たる節があった。……俺が生まれてからの親父の所在って、全く不明だったよな?もしや……。「腹違いの、妹っちゅうことか……?」「うんっ、キリのママはイタコの娘で、お兄ちゃんのママと違う人だって、パパが言ってたらしいよ」「うそん」マジでか。ま、まぁ、そんな可能性があってもおかしくはないだろうけどさ……。あいつ、中々にイケメンだったし……。それにしても、母親がイタコの娘ってことは、やっぱり霧狐も半妖なのか?どんだけ俺の親父人間好きだよ……。霧狐に聞かされた、衝撃の事実に打ちひしがれていると、学園長が俺にその真偽について尋ねた。「小太郎君、今の話、どう思うかね?」「どうも何も、否定する要素を見つける方が難しいわ……匂いは間違いなく狗族ん中でも俺に近いし、影斬丸まで反応しとったしな」1年前に奴と対峙したときの経験から、影斬丸は単に狗族ではなく、俺たち一族に反応を示すみたいだし。この子に、俺と同じ血が流れているという点は、最早疑いようがない。外見的特徴が、狗族のそれと一致しないが、恐らくそれは幻術によるものだろう。一応、俺は確認しておくことにする。「耳と尾は幻術で隠してるんか?」「うん、キリ不器用だから、幻術はこれしか出来ないんだけど……」恥ずかしそうに、ぺろっ、と舌を出して言うと、霧狐は目を瞑って、精神を研ぎ澄ませている様子だった。―――――ぽんっ可愛らしい爆発音とともに、霧狐の頭には一対の狐の耳、スカートの裾からは2本の狐の尾が顔を覗かせた。黒かった髪と目も、同時に黄金色へと変貌を遂げている。これが彼女の本当の姿だという訳だ。……おい待て、俺の親父って、どう考えても犬だったよな?な、何でその娘が狐になるんだよ?生命の神秘すぎるだろ!?なんて思っていたのだが、その疑問は霧狐の台詞であっさり解決した。「パパのお母さん、キリとお兄ちゃんのお祖母ちゃんはね、5尾の狐さんだったんだって。キリもいつかそれくらい優秀な妖怪になりたいな」「な、なるほど……覚醒遺伝かいな……」ということは、俺にも少なからず狐の血が混じってる訳か?ま、まぁ犬や狐の変化を総称して狗族っていうくらいだし、大別すると同じ類の妖怪なんでしょうけど……大雑把過ぎる感が否めない。「ふむ、どうやら霧狐君には、麻帆良への害意はないようじゃの」俺たちの様子を静観していた、今朝からの重々しい雰囲気を消してそう言った。学園長までがそう判断するってことは、やはり霧狐は兄貴や九尾のことと無関係なのだろう。「小太郎君に会いに来た、というのがその子の本心のようじゃし、せっかくじゃ、ゆっくり話してみるとよかろう」もっとも、親御さんに連絡はさせていただくが、と学園長は霧狐を怯えさせないよう、笑顔でそう言った。「あ、う……その、ありがとう、ございます……」そんな学園長の誠意が伝わったのか、あれだけ他者に怯えていた霧狐が、おずおずとだが、礼を言った。さて、これで今回の侵入者騒ぎは一件落着か。もっとも、兄貴の手に殺生石が渡っている以上、警戒は怠ってはならないだろうが。俺自身、余りに急な出来事で、正直気持ちの整理が付いていないし、学園長の申し出は願ってもないことだ。それに、自分に妹がいた、という事実に、少なからず俺は喜びを感じていたりする。俺の血のつながった家族と言えば、お袋に親父、そしてあのクソ兄貴だけで、今この旧世界にいることが判明してるのは、あのクソ兄貴だけだ。そして、奴を殺したとき、俺に残る家族は、どこにいるかも定かでない親父だけ。いつか木乃香が危惧した通り、俺は正真正銘、天涯孤独の身になってしまう。その覚悟を決めていただけに、自分を兄と慕ってくれる、血の繋がった妹がいた、という事実は、本当に喜ばしいことだと、そう感じていた。もちろん、俺は護りたい仲間がたくさんいる。だから兄と決別したところで、それを孤独だと感じることは一度もなかった。しかしそれを差し引いても、俺の背に抱きつく、小さな霧狐の温もりを心地良いと感じている。やはり生き物にとって、血の繋がりって奴はそれだけ大きなものだということだろう。俺はそんなことを考えながら、小さく笑って、霧狐の頭をくしゃくしゃと撫でた。「ほんなら学園長、後のことは頼むわ。それと、最悪今日は麻帆良に一泊させることになるやろうから、宿の手配も頼みたいねんけど……」「うむ、そうじゃな……子ども一人でホテルというのものう……ここは女子寮の誰かに頼むのが良かろうて」「確かにな……そんなら、俺の方で誰かに頼んで見るわ」そう言うと、学園長は静かに頷いてくれた。どの道、霧狐を今の泥だらけの状態で連れ回すのは気が引けるし、刹那辺りに頼んで、女子寮の浴場を遣わせてもらおうと思っていたところだ。そのついでだと思えば、大した労ではない。霧狐が俺以外の人間に対して、やたら懐疑的というか、怯えきっているのが気になるが。先の学園長のように、自分への優しさに対して、答え方が分からない訳ではないようだし、まぁ何とかなるだろう。そう結論付けて、俺は霧狐の手を引き学園長室を後にした。学園長室の外では、やはり刀子先生と刹那の神鳴流コンビが、しっかり待機していてくれた。学園長の采配と、霧狐が本当に俺の妹だったということを話すと、二人は安心したらしく、ほっと胸を撫で下ろしていた。刀子先生はそれを聞いて、まだ仕事が残っているらしく、すぐに男子校エリアへと引き返して行った。大人って大変だよなぁ……。とりあえず、俺は残された刹那に、事情を説明して、霧狐を女子寮の風呂に入れて貰えるようお願いしているところだ。ただ……。「や、やだっ、キリ、お兄ちゃんと一緒じゃないとヤだよっ!?」こんな感じで、霧狐は俺の手を離そうとしてくれなかった。困り果てて、刹那を見ると、俺と同じように、苦笑いを浮かべていた。……それにしても、ここまで他人を拒絶するとなると、何か理由がありそうな気がする。刹那も幼い頃は迫害を受けてた、みたいなことを言っていたし、同じく半妖の霧狐にも、似たような経緯があるのかもしれない。そう思って、俺はそれを尋ねてみた。「俺以外の人間をやたら嫌っとるみたいやけど、何や理由があるんか?」出来るだけ優しい声でそう聞くと、霧狐は目を泳がせた後、俺にしか聞き取れないくらいの小さな声で言った。「……キリ、半妖だから……昔いた村を、それで追い出されちゃって……今まで、ママと二人きり、山奥で暮らしてたからっ……」なるほど、予想通りという訳だ。それで、ここにいる人間も、自分のことを半妖だからと、遠ざけるのではないかと心配して距離を置いていたのか。俺は怯えきった様子の霧狐の頭を撫でて、笑顔で言ってやった。「安心しぃ。ここの連中は、自分のこと半妖やからって傷つけたりせぇへんよ」「ほ、本当に?」「ああ、そんなんで差別されるんやったら、俺かて今頃ここにはおれへんやろ?」信じられないといった様子の霧狐に、俺は念を押すようにそう言ってやる。それでも、霧狐はまだ納得がいかないみたいで、上目遣いに、俺を見上げ、刹那に視線を移しを繰り返していた。そんな様子に気が付いた刹那は、優しい笑みを浮かべて言った。「ご安心ください、霧狐さん。私も、あなたと同じ半妖です」「っ!? そ、そうなの!?」「はい」刹那の言葉で、ようやく霧狐は緊張の糸が解けたらしい、ゆっくりと俺の手を握っていた指を解いていった。これなら、安心かな?……それにしても、彼女の他者、特に人間に対する恐怖感は、尋常じゃないな。母親と二人きりで暮らしていたせいで、それ以外の人間に接する機会がなかったせいもあるのだろうが。どうも俺には、それ以外にも、彼女が他者を遠ざける理由がある気がしてならなかった。何はともあれ、刹那が半妖だと知って、霧狐も少しは彼女に心を開いてくれたらしい。そんな様子に刹那は慈しむような笑みを浮かべて、右手を差し出した。「桜咲 刹那です。あなたのお兄さんとは、幼馴染になります。よろしくお願いします、霧狐さん」「うぅ……えと、よろしく、あの、刹那?」「はい」怖々と刹那の手を握り返して、彼女の名を呼ぶ霧狐。俺はほっと胸を撫で下ろして、女子寮へと向かうことにした。「あ、あの、お兄ちゃん?」校舎を出たところで、霧狐が突然俺に声をかける。刹那とは少し和解した様子だが、未だ怯えた様子が抜け切れていないため、俺はそんな霧狐を怖がらせないよう、出来るだけ優しい声音で聞き返した。「どないした?」「う、うん……あのね、窓ガラス、割っちゃったから……その、ゴメンなさいっ」「ああ、そのことか……」まぁ、それ自体には驚いたし、チビがそれを全く警戒していなかったことも遺憾だが、さすがに一晩中追い回されてたら、なりふり構っていられないだろうからな。別段咎める必要もないと思ってたんだけど、先に謝られてしまうとは。「さ、最初は、お兄ちゃんの部屋にいた、おっきなワンちゃんが開けようとしてくれたんだけど……」「それであいつが無反応やったわけかい……」しかもあいつは俺より匂いに敏感だからな、俺と霧狐が最初から兄妹だって気が付いてたんだろう。番犬失格どころか、かなり優秀だってことが改めて証明されたな。霧狐は俺が怒ってると思ってるらしく、少し涙を滲ませながらもう一度謝罪の言葉を告げた。「本当にごめんなさいっ」「良えよ、というか、そんなに怒ってへんし」学園長が、後で修理してくれる魔法先生を送ってくれるとか言ってたし、戻った頃には元通りだろう。……まぁ、チビも空気読んでくれるよな? いきなり噛みついたりはしないだろう。そんなことを考えながら、俺は隣を歩く霧狐の頭をくしゃくしゃと撫でつけた。「嬉しそうですね、小太郎さん?」そんな俺たちの様子を見ていた刹那が、含みのある笑顔で、俺にそう言ってくる。普段からかわれてる仕返しか?まぁ、それに乗っかってやるほど、俺は甘くはない。逆に刹那をからかってやろうと、俺は上手い返しを模索した。「血の繋ごうてる家族に会えた訳やしな……それに、もともと手のかかる妹みたいな幼馴染みもおったし」「て、手のかかるって、そ、そんなにお転婆ではありませんでしたよ!?」顔を真っ赤にして言い返す刹那に、俺は意地悪く笑ってやった。不思議そうに、俺たちのやり取りを見ていた霧狐が、不意にこんなことを聞いてきた。「お兄ちゃんと刹那は、どれくらい一緒にいたの?」「ん? まぁ、麻帆良に来る前は結構一緒におることが多かったな。最初に会うてから、大体5年くらいや」「5年かぁ……キリは刹那が、羨ましいよ」少し寂しそうに、霧狐がそう呟いた。「キリは6年前に村を追い出されて、ずっとママと二人だけで暮らしてたから……それに、お兄ちゃんと一緒にいたら、キリの力も……」「はれ? コタ君とせっちゃんや」「っっ!?」急に第3者に声を掛けられて、霧狐は言いかけていた言葉を引っ込めて、俺の背に隠れてしまった。俺と刹那は、もうお馴染みの声だったので、それに別段慌てることもなく、声がした方角に向き直った。もちろんそこにいたのは木乃香で、いつも通りの制服姿に、刹那同様、後ろ髪を俺の贈った薄桃色のバレッタで留めていた「よぉ木乃香、春休みなのに登校やなんて珍しいな」俺がそう挨拶すると、木乃香は嬉しそうに、ほにゃっ、と笑った。「明日菜が部活やったのにお弁当忘れてもうてたから届けに来たんよ」慌てんぼさんやから、と木乃香は困ったように、もう一度笑った。「ところでコタ君、その女の子、誰なん?」言葉だけ聞いたら、いつもの説教モードかと思うが、刹那もいるおかげで、いたっていつも通りの口調で木乃香は言った。木乃香は一応魔法のことも知ってるし、前に兄貴と対峙した時も、俺が天涯孤独になることを悼んでる節も有った。ここはありのままを伝えて、少しでも安心して貰うべきかな?そう結論付けて、俺は木乃香に、霧狐を紹介することにした。「こいつは俺の妹や。霧狐、この子は俺の友達の近衛 木乃香や」自分で自己紹介できるか、と尋ねると、霧狐は少し迷ってる様子だったが、やがてゆっくりと頷いた。びくびくしながら木乃香の前に出ると、霧狐は恭しく一礼した。「お、お兄ちゃんの妹の、く、九条 霧狐です。よ、よろしくお願いしますっ!!」ぎこちなくはあったが、霧狐はそう、はっきりと自分の名を告げた。刹那と話したおかげで、少しずつ麻帆良の人間を信用できるようになってきたのかな?それに対して、木乃香は目を丸くしてしまっていた。「こ、コタ君、家族はもうお兄さんしかおれへんのとちゃうかったん?」「俺もそう思てたんやけど……どうも間違えあれへんみたいやで?」母親はちゃうけど、と付け加えると、木乃香はじっと霧狐の顔を見つめ始めた。一瞬、霧狐はそれにたじろいだが、何とか後ずさることなく踏み止まった。すると、次の瞬間、木乃香の目尻に大粒の涙が浮かんだ。「……そっかぁ……コタ君、ちゃんと家族がおったんやぁ……」今にも泣き出しそうな声で、木乃香はそう呟くと、嬉しそうな笑みを浮かべて、霧狐に抱きついた。「@*$#&%=~~~~~!!!?」いきなりの事態に、霧狐が声にならない悲鳴を上げていた。普段なら霧狐を助けてやるところだが、俺は木乃香の優しさが嬉しくて、それを止めさせる気がまるで起こらなかった。隣を見ると、同じように刹那も温かい笑みで二人を見守っていた。「……霧狐ちゃん、やったよね? ……自分は、ずっとコタ君の味方でおったってな?」「えぇ? あ、う、うんっ……」目を白黒させながらも、霧狐は自分の抱き締める木乃香に、しっかりと頷いていた。