「けぷ……き、気持ち悪い……」「おい、人の生き血たらふく吸っといてそれはないやろう?」右手で口元、左手で腹を抑えながら、エヴァが顔色も青く、そんなことを呟いた。体格差が災いしたらしく、エヴァは結局、俺が死ぬほども血を吸えず、よろよろと俺の首から手を離していたのだった。……それでも十分ふらつきますけどね。ったく、この癇癪吸血鬼め……もし俺が原作通りの体格とかだったら、ガチで死んでたぞ?まぁ、さすがにそこまで来たら止めてくれるつもりだったのかも……知れない?……ねぇな。この金髪幼女、完全にさっきの目は俺を殺す気だった。くわばらくわばら……やっぱり大は小を兼ねるって、本当のことだと実感したね。さて、この分なら、首元についたエヴァの噛み傷も、このふらふらした感じも、一晩ここで休めば回復するだろう。最期のプレゼントを届けても、十分にクリスマス会に間に合う時間帯だった。「そんじゃ、エヴァ、ベッド借りるで?」「…………」「エヴァ?」「……は、話しかけるな!! い、今動くと吐きそ……けぷっ……!?」「…………」……ま、まぁあれだ、血液って、もともと飲みすぎると吐くようになってるって聞いたことあるしな。いくら吸血鬼が、血から魔力を得ることが出来ると言っても、過ぎたるは及ばざるが如しということだろう。いつもふんぞり返ってるエヴァには良い薬だろう。そう勝手に納得して、俺はチビと一緒に寝所へと向かうのだった。で、一眠りした俺は、吸血鬼主従に分かれを告げて、一路男子校エリアに戻って来ていた。もうお気付きだろう。俺が用意したプレゼント、その最後の渡す相手というのは、我らが担任、神鳴流剣士で、全校男子の憧れの的。葛葉 刀子先生だ。……この1、2学期、呼び出しに次ぐ呼び出しと、100枚以上に上る反省文など、彼女には死ぬほど迷惑を掛けたからな。迷惑を掛けたってことなら、刀子先生は間違いなく、俺からの迷惑を一番被っているだろう。まぁ、こんなもの1つでそれを清算できるとは思わないけど、やっぱり気持ちって大事だしね。てな訳で、俺は男子部校舎は、職員室を訪れていたのだが……。「……おれへん?」「わう?」首を傾げる俺に合わせるように、チビも不思議そうに首を傾げていた。おかしいな……いつもなら、結構遅くまで残っていたりするんだけど、今日は何か魔法関連で仕事でも入ってたかな?最初にタカミチでなく、彼女に渡しておくべきだったなぁ……なんて後悔していた時。「……何やってるんだ、犬上?」「ん? おお、神多羅木センセやんけ」突然の声に驚いて振り返ると、そこにいたのは黒いサングラスにオールバック、口元には渋い髯を蓄えた男性教諭。原作で、ヒゲグラだかグラヒゲだか言われてた魔法先生、神多羅木先生だった。神多羅木先生は俺の姿と、チビを交互に眺めると、諦めたように嘆息した。「学ランまたは体操服、及び各部活動のユニフォーム以外での校舎への立ち入りは禁止だぞ? ペットの同伴も同様だ」「ま、まぁ終業式も終わってんから、堅いこと言わんといてぇな?」もっとも、神多羅木先生からすると、口で注意してる分、譲歩してるんだろうけど。前に先生の授業をボイコットしようとした際は、問答無用で捕縛結界に捕まったからな。さすが年季が入っているだけあって、俺みたいな魔法の使える不良生徒の扱いも心得てるって訳だ。「……まぁ良い。それで? そんな格好で何をやってる?」もう一度、神多羅木先生が俺に尋ねる。そうだな……神多羅木先生なら、もしかして刀子先生の居場所を知ってるかもしれない。俺はありのまま、ここに来た目的を神多羅木先生に話すことにした。「なるほど……それは良い心がけだ。お前ほど手の掛かる生徒は。俺の今までの教師生活でも初めてだからな」「あ、あはは……じゅ、重々承知してます」そう言って皮肉を返す神多羅木先生に、俺はただただ乾いた笑みを浮かべることしか出来なかった。話を聞き終えた神多羅木先生は、顎に手を当てると、何やら思案顔で黙り込んでしまった。何だろう? やはり、魔法関連の仕事中だとか?それなら、やっぱり今日プレゼントを渡すのは諦めた方が……。そう思って諦めかけた瞬間、神多羅木先生は考え込むポーズを解いた。「……まぁ、お前になら構わんだろう」「へ?」「……葛葉なら、今日はさっさと帰ったぞ」御丁寧に、一週間前から仕事が残らないよう調整していたらしいしな、と神多羅木先生は淡々と告げた。ってことは、何か別に予定が入っていたということだろうか?あれかな? 原作で言ってた、年下の彼氏が出来たのかな?けど、あれは学園祭編で最近出来たって言ってたし……。考えを巡らす俺の様子に気が付いたのか、神多羅木先生がいつも通りのクールさで言った。「多分、お前の考えてるようなことはないぞ? 疲れきったような背中で、鬱々と帰って行ったからな」……OHジーザス、そんな事実は知りたくなかったよ。しかし何でだろうなぁ? 刀子先生、格好可愛いくて、それに美人だし、オマケに優しいのに。まぁ、10月に彼氏役したときに見た感じ、エヴァ同様、ちょっと癇癪持ちっぽいとこあったし、それが原因だろうか?未だに、何であの最後にビンタを喰らったかは、分からないままだったりする。ともかく、神多羅木先生の言葉通りだとするなら、刀子先生は自宅にいるということだろう。それなら是非直接届けに行きたいのだが……さすがに教員の自宅住所までは教えてくれないよな?途方に暮れようとする俺だったが、神多羅木先生は余りにも意外なことを口にした。「ちょっと待ってろ。今あいつの部屋番号を渡す」教員宿舎の場所は知ってるな? なんて聞きながら、神多羅木先生は自分手帳を千切って、それに何やら書き込みを始めた。……って、うそん!?「ちょっ、ちょっ!? え? えぇっ!? そ、そんな簡単に教員の住所って教えて良えもんなんか!?」慌ててそう尋ねる俺に、神多羅木先生は、いつも通りの憮然とした態度で答えた。「まぁ普通はダメだな。気にするな……これは俺から奴へのクリスマスプレゼントだと思え」「は? い、いや、言うてる意味が良ぉ分からへんのやけど……」「だから深く考えるな。それに、お前が万が一葛葉に何かしようとして、上手くいくと思うか?」「……微塵も思いません」頭から一刀両断にされる自分を想像して、俺は背筋が凍り付きそうだった。神多羅木先生は、恐らく教員宿舎の棟番号と、刀子先生の部屋の番号が記されたと思われるメモを俺に手渡してくれた。「渡しておいてなんだが、プレゼントを渡したら、速やかに帰宅しろ。間違っても上がり込むなよ?」「ははっ、もちろんや。いくら俺でも、そこまで傍若無人とちゃうで?」「……むしろ俺は、お前の身の危険の話をしてるんだがな……」「?」神多羅木先生が、最後に何か呟いていたが、それは小さすぎて、俺の耳には届かなかった。「ほな、神多羅木センセ、おおきに。チビ、行くで?」「わんわんっ!!」俺は礼を告げると、一目散に昇降口へと駆け出して行った。「……まぁ、さすがに葛葉も今の犬上に手を出したりはせんだろう……多分……きっと……恐らく……」神多羅木先生に渡されたメモを頼りに、俺とチビは刀子先生の部屋がある教員宿舎の一棟を彷徨っていた。「この並びのはずなんやけど……お、あった」「わんわんっ!!」扉の隣には『葛葉』とやたら達筆なネームプレートが掲げられていた。刀子先生も陰陽術使えるし、書道は得意なのかもな。なんて考えながら、俺は当初の目的を果たすために、インターホンを鳴らすことにした。―――――カチッ……し~ん……「ありゃ?」音が鳴らない。どうやら、インターホンは故障してるらしい。試しにもう一度鳴らしてみたが、やはり音は鳴らなかった。さて、どうしたものか。とりあえず、俺は目の前にある鉄製のドアをノックしてみることにした。―――――コンコンッ「とーこせんせー? 御在宅ですかー?」―――――……し~ん……しかし、中からの返事はなかった。うーん……もしかして、出掛けちゃったかな?一足遅かったか、と思いつつ、俺は何の気なしにドアノブを握った。すると……。「お? 開いとる」声に気が付かなかっただけで、中にはいるのかな?そう思いながら、俺はゆっくりとドアを開いた。「お邪魔しま~す……」気持ち小声で、そう断りながら。SIDE Touko......……ハァ。私は重々しい足取りで、自室のドアを潜った。靴を無造作に脱ぎ捨てると、そのままよろよろとベッドまで歩き、化粧を落とすこともせずに、うつ伏せに倒れ込んだ。しくじったなぁ……。今日この日のために、残業しなくて良いよう、調整に調整重ねて来たというのに。私は、その目的を達成することが出来なかった。「……こんなことなら、最初から小太郎を抑えておくんだった……」そう、勤務調整を行った理由というのは、他でもない。今日12月24日を、我が愛しの教え子、犬上 小太郎と過ごそうと思っていたからだった。あの10月の一件以来、学校以外でなかなか顔を合わせる機会もなく、最近では生活指導の回数も減り、彼と接する機会はめっきりなくなってしまっていた。そこで私は、菊子との一件のお礼と称して、彼を今日食事にでも誘おうと思っていたのだが……。「終礼が終わった瞬間飛び出しちゃうんだもの……」声を掛ける間もなかった。それに、あの様子だと何か予定が入っていたのだろう。どのみち、私は彼を誘うことは出来なかったということだ。私は、もう一度大きな溜息をついた。……せっかく用意したプレゼントも、無駄になってしまいそうだなぁ。そんなことを考えて途方にくれていたときだ。―――――コンコンッ「?」部屋にノックの音が響いた。そういえば、インターホンが壊れたままになっていた気がする。今は誰とも会いたくはない気分だったけれど、私は仕方なく立ち上がり、玄関へと向かった。「はい、どちらさまで……」「やっほーとーこっ♪ 元気してた?」「……菊子?」ドアの前に立っていたのは、10月以来、久しぶりに会う菊子だった。まさか、クリスマスに一人でいるのが寂しくて会いに来たのかしら?……まぁ、小太郎もいないし、彼女に付き合うのも悪くないか。そう思っていたのだが、彼女の口から出て来たのは、予想外の言葉だった。「いやーダメ元で来てみて良かったよ。はいコレ」「?」彼女が差し出して来たのは、どう見てもプレゼントにしか見えない包みだった。「これ、もしかして、クリスマスプレゼント?」「うん。前の彼氏と別れた時は、いろいろと迷惑かけちゃったしね」そのお礼、と彼女は照れ臭そうにはにかんだ。まさか、彼女からそんなものをもらえるとは思っていなかった私は、目を白黒させながらも、その包みを受け取った。「あ、ありがとう。けど、わざわざこれを渡しに来てくれたの?」「うん。どーせこれから小太郎君とデートなんでしょ?」「う゛……」だったらどれだけ良かったことか……。ま、まぁ彼女がそれを信じているのなら、わざわざ訂正するのもどうかと思うし……。けど変ね……彼女なら、小太郎がいると分かれば、なおのこと食い下がって来そうなものなのに……。しかし、菊子はそんな私の疑問を氷解させる、1つの爆弾発言を炸裂させてくれた。「あ、それとご報告です!! 実は……新しい彼氏が出来ましたっ!!」「……え?」えぇっ!?う、嘘でしょ!? こんなタイミング良く彼氏が出来るって……あ、あんたこそ怪しい術使ってんじゃないのっ!?驚愕に目を剥く私に、菊子は、実は今も下で待ってくれてるんだ、何て頬を染めながら言っていた。……呪うぞ、この歩く有害図書っ!!!?「まぁ小太郎君に比べたら平凡な感じだけど、優しくて良い人だよ」「っ……そ、そう。良かったじゃない?」頬をぴくつかせながらそう言う私に、菊子は幸せそうに微笑んで、礼を述べた。「という訳で、もう小太郎君のこと狙ったりしないから、安心してね」「え、ええ、そうね……」……ひ、人の気も知らないでっ!!あんたが狙わなくても、小太郎を狙ってる女は、私含めてたくさんいるのよっ!!なんて、口が裂けても言えるはずがなく、私は幸せそうな菊子を、ただただ見つめるしか出来なかった。「それじゃ、彼待たせると悪いし、そろそろ帰るね」「……ええ、お幸せに。プレゼント、ありがとうね」「どういたしまして。それを着て、しっかり小太郎君を喜ばせてあげるんだよ?」「? それって、どういう……」「それじゃ、またね? 良いお年をっ♪」私が聞き返すよりも早く、菊子は踵を返して走り去ってしまった。小太郎を喜ばせろ?一体どういう意味だろう、と私は首を傾げながらも自室に引き返した。ベッドに腰掛け、おもむろに私は菊子から貰った包みを開いていく。重量と、さっきの菊子の言葉から、衣類だと思うけれど……。際どい下着とかだったら、次会ったときに、あの無駄に柔らかそうなほっぺを思い切りつねってやろう。なんて思っていたのだが、包みから出て来たのは、思っていたより布面積の多い服だった。しかし……。「これ、サンタ服……?」それにしてはデザインが奇抜すぎない!?上の服はノースリーブだし、下もやたら丈の短いスカートになっていた。……こ、小太郎を喜ばせろって、そういうことっ!?た、確かに、男性が好みそうなデザインだけど……こ、小太郎は中学一年生よ!?何考えてるのかしら、あの有害図書女……って、そうか、菊子は小太郎の事を24歳だと思ってるんだっけ?……い、いや、仮に小太郎がその設定通りの年齢だとしても、こんな恥ずかしい服、彼の前で着れる訳ないけど……。……で、でもまぁ、せっかく貰ったのに、一度も着ないままっていうのは、ねぇ?そんな好奇心が顔を覗かせたため、私はいそいそと、菊子がくれたサンタ服に袖を通して見るのだった。「こ、これはなかなか……私もまだ捨てたものじゃないわね……」洗面所の鏡で衣装を纏った自分をしげしげと覗き込む。腹が立つことに、菊子のくれた衣装のサイズは私にぴったりだった。け、けどこれ、やっぱりスカートの丈、短か過ぎないかしら?ちょっと動くだけで下着が見えてしまいそうで、とてもじゃないけど、ずっと着ているは無理そうだった。というか、こんなの着て人前に出たら、恥ずかしくて死んでしまう。……いや、まぁその……見えるの前提に作られてる気は薄々してるけどね?さ、さて、試着も終わったんだし、いつまでもこんな格好してても仕方ない。そう思って、リビングに服を取りに行こうと玄関前の廊下に出た瞬間だった。―――――ガチャ……「え?」「お邪魔しま~す……」突如として開く玄関のドア、そしてそこからひょこっと顔を覗かせた小太郎と、真正面から視線がかち合った。余りの出来事に、私の思考回路は、限界を超えてストップしてしまっている。数秒間の沈黙を経て、ゆっくりと、小太郎がドアを閉めていく。「お、お邪魔しました~……」「ちょっ!? ちょっと待って!! ち、違うんですこれはっ!!」完全にドアが締め切られる前に小太郎の腕をつかんで引き留める。そんな私と、小太郎は努めて視線を合わせようとしてくれなかった。「……い、いや、趣味は人それぞれやと思うし、別に構へんと思うで?」「だ、だから違うと言ってるでしょう!? 少し話を聞いてくださいっ!!!!」「話を聞くも何も……この場合状況証拠が全てやと思うねんけど……?」「うぐっ!? そ、それはそうかもしれませんが……ともかく、き、着替えて来るので、少しそこで待っていてくださいっ!!!!」私はそう言い残すと、脱兎の勢いでそこから逃げ出して、すばやく先程まで来ていたスーツに袖を通すのだった。……やっぱり、次あったら絶対あの女を泣かすことにしよう。「な、何や、菊子さんのプレゼントやったんかいな。俺はてっきり、クリスマスに一人っちゅう鬱な気分を吹き飛ばそうと自棄になってもうたかと思たで」着替えを終えた私は、放心状態の小太郎を、何とか説き伏せてリビングに通し一通り事情を説明した。すると苦笑いを浮かべながら、小太郎はそんなことを言った。……う、鬱な気分だったのは間違ってないけども……。そ、それにしても、不覚だった……。普段だったら、ノックにくらい気が付くはずなのに。衣装の試着に気を取られて注意が散漫になってたなんて……。し、しかも、あんな恥ずかしい格好を小太郎に見られて……。……あ、穴があったら入りたいっ!!!!「まぁ、そんなに落ち込まんといてぇな? 似合ってたで? ミニスカサンタコス」「あっ、改めて口にしないでくださいっ!!!!」邪気のない顔でそう言った小太郎に、私は脊髄反射のように言い返した。うぅ……何でよりによってあのタイミングで……。ん? 待てよ……そう言えば、どうして小太郎は私を訪ねて来たのだろうか?恥ずかしさが勝っていて、今の今までそのことに気が向かなかった。それに良く良く見ると、小太郎はこれでもかというほどにサンタクロースの格好をしていたし、ついて来ていた使い魔もトナカイの衣装だった。これは……ひょっとして、ひょっとすると……。私は、そんな淡い期待を抱きながら、小太郎に尋ねてみた。「あ、あの小太郎。今日私を訪ねて来た理由は、もしかして……?」「お? さすが刀子センセは話が早くて助かるわ、ちょお待っててや」小太郎はそう言うと、ごそごそと持って来ていた白い袋の中に手を突っ込み、何かを探し始めていた。やがて、目当ての物が見つかったらしく、にっ、と白い歯を覗かせて笑うと、掌サイズの綺麗に包装された箱を私に差し出して来た。「メリークリスマス、刀子センセ」「わ、私にですか?」「おう、いろいろとセンセには迷惑かけっぱなしやったからな。せめてもの礼や」そう言って無邪気に笑う小太郎に、胸が思わずきゅんとする。こ、こここ、この子はっ、そうやって無意識に女心をくすぐるんだからっ!!で、でも正直に、一人寂しいクリスマスを覚悟していたからこそ、この小太郎の気遣いは、涙が出そうなほど嬉しかった。「あ、ありがとうございます。あ、あの、開けても良いですか?」「ああ、気に入って貰えると良えんやけど」小太郎に確認を取って、私は丁寧に包装を開いていった。中から現れたのは、装飾品を入れる小物入れ。サイズ的には、ちょうど指輪が入っているものと同程度だった。も、ももも、もしかしてっ、そーゆーことっ!?爆発しそうなほどに胸を高鳴らせながら、私はゆっくりとケースを開いた。「……こ、これは……」残念ながら、入っていたのは指輪ではなかった。……そ、それはそうよね……な、何を期待していたのかしら、私……。がっかりしている空気を、小太郎に悟らせないよう、私はケースに入っていたそれを、片側だけ手に取った。入っていたのは、銀色のスタッドピアスだった。リング状になった装飾部分には、恐らくルーンだろう、彫刻が為されていた。素材は恐らくミスリル、ということは、マジックアイテムの可能性が高いけど、一体……?不思議そうに眺めていると、小太郎は悪戯っぽく笑って、説明をしてくれた。「そいつはな、法に触れん程度のチャームの呪いが掛かってんねん」「ちゃ、チャーム? ……つ、つまり、魅了の魔法ということですか?」「そゆこと」小太郎が断っていた通り、そう言った人の心に干渉する類の魔法は、その使用が法律や条約で禁止されている。しかし彼の言っていた通り、軽度の、それこそ『何となく好ましく感じる』程度のものは、黙認されていた。このピアスは、そう言った類の魔法具ということか……。け、けれど、何でこれを私に?そ、そんなに女性としての魅力に欠けてるのだろうか?「護符と迷ってんけど、やっぱ大人の女性に贈るんは、そういうのの方が喜ばれるかと思て……気に入らんかったか?」「い、いえっ、とんでもない!! そ、その……た、大切に使わせて頂きますね?」「そうしてもらえると嬉しいわ」……な、なんだ。これを選んだのは、彼なりに悩んだ末だったらしい。べ、別に女性のしての魅力が足りてない、なんて思われてはいない……わよね?そんなことを心配していると、小太郎がこんなことを言った。「まぁそんなん使わんくても、刀子センセは十分魅力的やと思うけどな」気持ちの問題だと思って、と小太郎はあっけらかんと笑った。一気に顔が熱くなった。だ、だからっ!! どうしてこの子は、特に考えずそーゆーことを口にするのっ!?こ、これが計算だとしたら、何て末恐ろしい……そ、そうでないことを祈っておこう。と、ともかく、せっかく小太郎がこうしてプレゼントを持って来てくれたのだ。これは絶好の機会だろう。「少し待っていてください。実は私も、小太郎にプレゼントを用意してるので」「へ? 俺に? ……通知表ならもう貰てんけど?」「そっ、そういうものじゃありませんっ!!」し、しかも、どうせあなたオール5だったじゃないのっ!?何て、真面目な顔をして言い返す小太郎に一喝して、私は机に置いたままになっていた、彼へのプレゼントを手に取り、そのまま彼へと渡した。いろいろと迷ったのだが、どう考えても彼が一番喜びそうな物は、これしか思いつかなかった。よ、喜んでもらえると良いんだけど……。小太郎はさっきのように嬉しそうに微笑むと、開けても良いか、と許可を求めて来た。もちろん、二つ返事で了承する私。ドキドキしながら、彼が包みを開ける瞬間を待つ。そして袋からそれを取り出した瞬間、彼の目が驚愕に剥かれた。「こ、これはっ!? ……一見するとただの学ランやけど、ちゃうな……この質感、そして重量……ま、まさかっ!?」そう呟くと、彼は徐に、その学ランの裏地を開いた。「な、なんとぉっ!?」そこには、金と銀の刺繍糸で、見事なまでの装飾が施されていたのだから。左手側には金の糸に銀の縁取りで『狗』の行書が。右手側には、銀の刺繍で一匹の狼が描かれている。以前、豪徳寺君と、学ランの裏地に刺繍を入れたいと話していたのを思い出して業者に注文してみたのだ。一般的には、龍や虎、鳳凰などを刺繍するらしいが、彼を連想させるなら、これが最も適切だろうと、少し無理を言ってみた。しかし……その選択は間違っていなかったらしい。見る見る彼の目には、新しい玩具を見つけた子どものような、爛々とした輝きが宿っていた。「す、すげぇっ!? ムチャクチャかっけーっ!!!! こ、こんな良えもん、ホンマに貰て良えんかっ!?」頬を紅潮させて、いつになく子どもっぽい表情でそう言う小太郎に、私は苦笑いを浮かべながら答える。「ふふっ、喜んでもらえたみたいですね? はい、というか、貰ってもらわないと、学ランの使い道なんて、私にはありませんよ?」「そ、それもそうやんな……ふぉぉおおおお……すんばらしい……何という美しさや……刀子センセ、ホンマおおきにな?」「いえ……こちらこそ、素敵なプレゼントありがとうございます」未だ興奮状態の小太郎に、笑顔でそう言い返して、私は早速小太郎から貰ったピアスを付けてみることにした。いつも付けている、質素なピアスを外してそれを付けると、気のせいだとは分かっているものの、小太郎の温もりが感じられる気がした。「え、ええと、どうでしょう? 似合っていますか?」「…………」「?」私が問い掛けたにも関わらず、小太郎は口をぽかんと開いて、全く反応を示してくれなかった。一体どうしたのだろう?「あの、小太郎?」「ほぁっ!? あ、ああ、スマン。良ぉ似合うとるで? ただ……」「ただ?」「いや、魅了の威力を舐めてたな、思て。さっきはあんなん言うたけど、それつけただけで、何や……」「―――――刀子センセが、いつもより可愛いらしゅう見えてもうたわ」「@*$#&%=~~~~~!!!?」な、ななな、ななっ!!!?照れ臭そうにはにかむ、小太郎に、私の心臓は、今度こそオーバーヒート寸前だった。ちょっ!? 嘘でしょっ!?こ、この前は24歳の姿だったから、余計に格好良く思えてたものだと考えてたけど……。い、今でも十分彼の笑顔は反則じゃないっ!?何で今までこの笑顔を直視して平気だったの私っ!?「じょ、冗談でも教師にか、かかか、か、可愛いだなんて言わないっ!!!!」「ははっ、まぁ良えやん? 刀子センセが可愛いのんは事実なんやし」「@*$#&%=~~~~~!!!? ……も、もう知りませんっ!!」恥ずかしさの余り、そっぽを向く私に、小太郎は楽しそうな笑い声を上げた。うぅ……そ、そりゃあ、小太郎に可愛いと言って貰えるのは嬉しいけどもっ……。じゅ、13歳の子どもに主導権を握られるなんて……な、何か複雑……。けれど、今日は今までで一番素敵なクリスマスになったと思う。恋愛という意味では、一歩も前進はなかったが、小太郎が運んで来てくれた、素敵な贈り物だけで、私の胸は幸せで一杯だった。私はそんなささやかな幸せを噛み締めて、心からの微笑みを浮かべるのだった。SIDE Touko OUt......刀子先生からの夕食の誘いを丁重に断って、俺は男子寮への帰路を、チビと二人とぼとぼと歩いていた。何とか、時間内に全て配り終えることが出来たか……。何か異常に時間がかかった気がするけど……具体的に言うと5日くらい。まぁ、何はともあれ、これで少しは俺の感謝の気持ちが皆に伝わってくれていると良いな。改めて、今年起こった出来事を、頭の中で思い返す。本当、この13年間で、一番密度の濃い1年だったな……。俺はこれからも、望むと望まざるとに関わらず、いろんな人の助けを借りながら、途方もない目標に向かって突き進んでいくことになるだろう。その絆を、俺はこれからも大切にしていきたい。そんな誓いを胸に、俺は空を仰いだ。ふと、白いものがゆっくりと視界をよぎっていった。「……道理で、寒い訳やなぁ」「わんわんっ!!」空から舞い降りるのは、無数の白い雪だった。嬉しそうに、チビがそれを見て、くるくるとその場を駆け回る。まだ、大晦日まで日付はあったが、俺はなかなかに充実した、年の締めくくりを行えたと、そう感じた。さぁて、来年からも、頑張って鍛えるとしますかね?今日の出来事で、俺はまだまるで目標に達していないことが再確認されたしな。俺はそんな決意を胸に、何故か全て配り終えたはずなのに、まるで軽くなっていない白い袋を抱え直すと、寒さをものともせずに、寮への道を急ぐのだった。