「一応確認やけど、相手は一般人やんな?」待ち合わせ場所に移動すると、不意に犬が……小太郎がそんなことを尋ねて来た。「当然でしょう? でなければ、幻術なんて手段、最初から思いついたりしませんよ」「そらそうやな」もっとも、あの女は下手な魔法使いよりもよっぽど性質が悪い性格をしていたりするのだが。大学時代に出場した、学園祭でのミスコンで、一体どれだけの妨害工作にあったことか……。もちろん、それは代表的なものであって、あの女に被った被害を上げていくと限りがない。……ああ!! 思い出しただけでも忌々しい!!「と、刀子センセ? 何や、物凄い禍々しいオーラが出てるで?」「はっ!? す、すみません、ついあの女のことを思い出して……」「思い出してて……そ、その人自分の友達やんな?「え、ええ……自分でもときどき自信がなくなりますが」何であんなのと未だに友達でいられるのかが不思議でしょうがない。時刻を確認すると、11時50分を過ぎたところだった。時間には正確な子なので、そろそろ来る頃だと思うけど……。「おーい、とーこー!!」「あ、来たみたいですね」時間の10分前にちょうど到着。こういうところは素直に褒めてあげたい。呼びかけられた方を振り返ると、少し跳ねたセミロングで元気そうな女性が、にこやかにこちらへと手を振っていた。彼女こそ、私の大学時代の友人、尾上菊子だった。私が大学で所属していた、剣道サークルでマネージャーをしていたことで知り合いとなったのだが、高校時代は彼女も剣道をしていたのだとか。何かトラウマでもあったのか、当時は男性をやたら毛嫌いしていたのだが……。周囲の女友達が次々と彼氏を作っていくことに焦りを感じて、認識を改めるようになったらしい。先月の飲み会では、その一週間前に合コンがきっかけで付き合い始めた彼氏のことを、やたら惚気て来て鬱陶しいことこの上無かった。学生時代は、私に彼氏が出来そうになると尽くそれを妨害し『刀子は最後まで私の味方でいて!!』なんて訳のわからないことをほざいていた癖に……そういえば以前私の結婚式でも、最後まで私の元旦那のことを狙っていた。……まぁ、結局別れてしまった男のことなんてどーでもいいですけどっ!!菊子は私と目が合うと、嬉しそうに小走りで駆け寄ってきた。しかし、おかしなことに、本日連れて来てもらうことになっていた彼氏の姿は見えない。彼氏と一緒に来る約束をしていた訳じゃないのだろうか?「ひっさしぶり!! 元気してた?」「久しぶり。あなたほどの元気はないわよ……ところで、彼氏は一緒じゃなかったの?」「うぐっ!?」駆け寄って来た菊子に、そう質問すると、菊子はどういう訳か、急所を突かれたかのような声を上げて固まってしまった。……どうしたのだろうか? 彼氏の都合が悪くなって来れない、とか?だとすると、わざわざ小太郎に頼んで来てもらった意味が半減するなぁ……。「……かれたの……」「え? ごめん、聞き取れなかったんだけど……」「だからっ、先週別れちゃったのっ!!!!」「は?」前言撤回、小太郎に頼んだ意味なんて全くなかった。それならそうと早く言って来なさいよ!?この一週間、私が今日の事を考えてどれだけ苦しんだと思ってるの!?しかも、飲み会での話からすると、付き合い始めて一か月も経ってないじゃない……。いったい何をしたのよこの子……。既に菊子は半泣き状態だったため、それ以上突っ込んだことを聞くのははばかられた。が、次の瞬間、菊子は周囲を見回したかと思うと、急に嬉しそうな顔をして、ぎゅっと両手で私の右手を握って来た。「でもやっぱり刀子は私の味方でいてくれたのね!?」「は? 何を言ってるの?」「だって、結局刀子も若い燕捕まえられなくて、一人で来たんでしょ?」「…………」こ、この女……。私を見つけた時の嬉しそうな表情はそれが理由か!?し、しかも隣にいる小太郎は、どうやらイケメン過ぎるため、まるっきり私の彼氏だとは認識していないらしい。小太郎に言って彼氏の振りはやっぱり良い、なんて頼もうと思ったが、止めた。少しこの女の悔しがる姿を楽しませてもらおう。私は珍しく底意地の悪い笑みを浮かべて、菊子に言った。「喜んでるところ悪いけど、さっきから隣にいるわよ?」「え……?」私にそう言われて、菊子はゆっくりと小太郎の方へと首を動かした。ばちっと、二人の視線が正面からかち合う。「ども、初めまして」にっ、と小太郎が笑った瞬間、菊子の顔がみるみる赤く染まっていった。……ね? やっぱり今の彼の容姿は反則でしょう?菊子は前置きもなく握っていた私の手を引っ張って、小太郎から少し離れた噴水の裏側へと連れて行った。「ちょちょちょちょっ!? どーゆーことっ!? どーーーゆーーーことーーーっ!!!?」「ちょ、ちょっと、落ち着きなさい、みっともない……」小声ではあったものの、菊子は随分動揺しているようで、真っ赤な顔のままでそんなことを叫んだ。凄い優越感……今初めて小太郎に彼氏役をお願いして正解だったと思えたわ。「ま、ままま前の旦那より断然イケメンじゃない!? しかも若ぇっ!! いくつだあいつ!?」「前の旦那の話はするな!! ……歳は24よ。だから言ったでしょ? 私だって本気を出せば、って」「げ、解せないっ……あんた、何か怪しい術でも使ったんじゃないの!?」「ひ、人聞きが悪いこと言わないでよ……」幻術を使っているため、術を使っているというのはあながち間違っていない。や、やっぱりこの女、油断できないわね……。あまり小太郎を放っておいても悪い気がしたので、私は何とか菊子を宥めすかして、小太郎の元へと戻って行った。「お、内緒話はもう良えんか?」戻って来た私たちを見て、小太郎かもう一度微笑む。何度か目にしていたため、私は大分耐性が付いて来たけど、菊子の方はそうもいかないらしく、彼の笑顔に再び顔を真っ赤にしていた。「ええ、待たせてしまいましたね(というか、どうせ聞こえていたんでしょう?)」確か彼の聴力は犬並だったはず、あの程度離れたくらいの小声なら、きっと聞き取れていたに違いない。そう思って、菊子に分からないよう、小声で呼びかけると、小太郎は苦笑いを浮かべた。「いや全然待ってへんよ?(まぁ、な……ホンマ鋭い姉ちゃんやな? 幻術がバレたか思て焦ったわ)どうやら彼も私と同じことで焦っていたらしい。私はとりあえず気を取り直して、小太郎に彼女のことを紹介することにした。「小太郎、こちら私の大学時代の友人で、尾上菊子です」「よっ、よろしくお願いします!!」「で、菊子、こっちが私のか……か、彼氏の、犬上 小太郎」あ、改めて彼氏なんて言うと、相当に照れるっ!!小太郎は、私のそんな動揺に気付いているのかいないのか、相変わらずの笑みを浮かべていた。「改めて、初めまして、いつも刀子がお世話になってます」「……小太郎? むしろ世話をしてるのは私ですからね?」飲み会の度に酔い潰れるこの女に、私がどれだけ苦労させられてきたことか……。まぁ、小太郎は特に意識せず、社交辞令として言ってるのだろう。その辺の対応の仕方といい、自然体な態度といい……やっぱり、中学生って嘘なんじゃないの?「お、驚いた……まさか刀子にこんなイケメンの彼氏が出来るなんて……」「あははっ、そらおおきに。お世辞でも嬉しいわ」赤い顔のまま、動揺も隠しきれずに呟く菊子に、小太郎が楽しそうにそんなことを言う。いや、多分菊子はお世辞のつもりで何て言ってないと思う……。それはさておき、菊子の方が彼氏を連れて来てないのでは、今日の賭けはそれ自体が破綻だろう。小太郎にいらぬ苦労をさせるのも気が引けるし、何とか今日は解散という運びに持っていきたい。そう思って話を、進めようとした矢先。「ところで小太郎君、年上の女性についてどう思うかな?」あけすけに、菊子が小太郎へそんなことを聞き始めた。な、何を考えているのかしら?「へ? そりゃあ、落ち着きがあって魅力的やと思うけども……」「あ、まぁ刀子と付き合ってるんだしそうだよね。それじゃあ、好みの女性のタイプは? 刀子以外で」困惑したように答える小太郎に、菊子はにこやかに質問を続ける。……こ、これはまさか……!?「菊子、あんたまさか、小太郎のこと口説こうとか思ってないわよね……?」「っ!?(びくっ) ……そ、そんなことない、わよ?」やっぱりか、この性悪女!!「あんたいい加減にしなさいよ!? 私の結婚式の二次会でも元旦那を口説こうとしてたわよね!?」「さ、さぁ? そ、そうだったかしら? そ、それより、前の旦那の話しは聞きたくないんじゃなかったの!?」「い、いけしゃあしゃあと……!!」や、やっぱり駄目だ!!この女は、いたいけな男子中学生には有毒すぎる!!一刻も早くこの場を離れないと……!!私は小太郎の手を取って、この場から離れることにした。「小太郎、帰りますよ!!」「へ? あ、ちょ、え、良えんか?」「あんな歩く有害図書は放っておきなさい!!」無理やりにでも小太郎をここから連れ出さないと、あの女、彼に何を吹き込むか分かったものじゃない。可愛い教え子を守るためにも、ここは心を鬼にして、ここを立ち去らないと!!そう思って歩き出そうとした私の腰に、菊子は、がしっ、と抱きついてきた。「ちょっ、待って刀子!! 冗談だからっ!! もうしないからっ!!」「う、嘘おっしゃい!? あんた完全に本気の目だったじゃないの!?」「そ、そんなことないって!! お願いだから!! あんたにまで見放されたら、私今日一日寂しくて死んじゃうから!!」涙ながらに、そう私に縋りつく菊子。う……確かに、失恋から一週間では、心に空いた穴は埋められまい。その寂しさは分からないでもないけど、ここで甘い顔をしてしまうと、小太郎にこのバカ女の魔の手が……。だ、ダメよ刀子!! 彼氏の振りでさえ大分ギリギリ(というかアウト)なのに、これ以上小太郎を変なことに巻き込むつもり!?そう思って、何とか彼女を振り切ろうとしていると、小太郎がおもむろにこんなことを言い出した。「ま、まぁまぁ、刀子。もうせえへん言うてるし、少しぐらい付き合ったったら良えがな」「なっ!?」ひ、人が誰のためを思って……!!ま、まぁ確かに、失恋してしまったことは可哀そうだし、寂しいという気持ちは良く分かる。それに、小太郎までこう言っているのに、無理やり押しきるのも大人げない気がする。私はしぶしぶ、足を止めた。「……はぁ、分かりました。菊子、次小太郎に妙なこと言い出したら……分かってるわよね?」「うんっ!! 大丈夫、大丈夫!!」本当に分かってるのかしら……?元気を取り戻した菊子の笑みに、そこはかとない不安を感じながら、私は二人と一緒に昼食を取るため、近くのファミレスへと移動することにした。注文を終えて、私たちはこれからどうするのかを決めることにした。私としては、出来るだけ早く開放して貰いたい。というか、一刻も早くこのバカ女と小太郎を引き離したくてしょうがない。なので、正直昼食を取った後は、解散の方向で話を進めたかったのだが……。「予定通り遊園地に行こう!!」……バカだバカだとは思っていたけど、どうやらこの子、本当に手の施しようがないバカだったらしい。何が悲しくて、カップル+1などという不思議な組み合わせで遊園地に行かなくちゃいけないのだろう。むしろ菊子の物悲しさが増すだけだと思うんだけど?……いや、多分まだ小太郎のことを何とか口説こうと思ってるんだろうけどね……。そんな彼女の提案に、私が異を唱えるよりも早く、小太郎が答えていた。「良えんとちゃう? 刀子も、新しい絶叫マシン乗りたかってんやろ?」「う……ま、まぁそうですが……というか、私そんなこと言ってました?」「いや、絶叫マシンが好きとしか言うてへんけど、あそこの新しいアトラクション、ニュースでも取り上げられてたさかい」ああ、それで絶叫マシンが好き、という情報だけでそれが分かったのか。確かに、新しいアトラクションには興味があるけど……。ま、まぁ菊子は、私がきちんと見張っておけば大丈夫かな?というわけで、私は結局、菊子の案を呑むことにした。……何だか、今日は流されてばっかりな気がする……私ってこんなキャラだったかしら?そんな風に頭を悩ませていると、菊子は突然、私と小太郎の間の空間をじいっと凝視し始めた。あ、ちなみに今の席は4人掛けのテーブでに片側に小太郎と私、対面に菊子という座席で座っている。私は菊子の視線が気になって、彼女に直接尋ねてみた。「どうしたの?」「んー? いや、ちょっと、さっきから見てて思ったんだけど、何か二人の距離って、カップルって言うには遠い気がして……」「っ!?」余りの驚きに、心臓が口から飛び出しそうになった。こ、この女、やはり侮れない……!!早速、私と小太郎が偽カップルだと疑い始めてるなんて。こ、こは慎重に切り返さないと……。「ああ、人前でべたべたすると、刀子に張り倒されんねん」上手い返しを思案する私を余所に小太郎は、何気ない風にそう返していた。少し苦笑いを浮かべながら、刀子は照れ屋さんやから、なんてダメ押しまでする始末。非の打ちどころの無い、完璧な対応だった。な、何なのよその落ち着きは!?こっちがいつバレるかと、びくびくしているのが恥ずかしくなってしまうほどの落ち着きぶり。本当は小太郎っていくつなんですか!?「あー確かにそういうとこあるよねー」小太郎の返しが自然過ぎて、そんな風に納得している菊子。と、とりあえず、当面の危機は去ったか……。ちら、と横目で小太郎を盗み見ると、含みのある笑みを浮かべて、私にしか見えないよう、右の親指を立てていた。「ところで、二人はどうやって知り合ったの? 哀れな私に、イケメンゲットの秘訣を教えて欲しいんだけど……」……危機、全然去ってないじゃない!?な、何!? もしかして、料理が来るまで延々とこの尋問は続くの!?正直私の胃はさっきからきりきりと痛みを訴えっぱなしですよ!?料理なんて運ばれて来ても喉を通らない気さえする。再び私が何て答えたものかと迷っていると、やはり小太郎が先に答え始めてくれた。「俺が仕事で麻帆良に行ったときに知り合うてん」「へぇ……小太郎君って、どんなお仕事してるの?」「ちょっ!?」こ、小太郎!?その対応は間違いだったんじゃないの!?さっき確認した項目の中に、小太郎の職業というものは含まれていなかった。へ、下手な受け答えをしたら、私の見栄っ張り加減が露呈されて恥ずかしいことに……。こ、このバカ女だけにはそんな醜態曝したくない!!「一応慈善事業……NGOに所属してん」「NGOに? へぇ、大変そうだね? それじゃあ麻帆良には募金のお願いとかで?」「まぁそんなところやな」私の心配をあっさり裏切って、小太郎は初めからその答えを用意していたようにそう答えた。しかし、そんな発想が良く出たものね……。確かにNGOの活動は公になっているものの、範囲が広すぎて、その実態が一般に浸透していない。菊子を煙に撒くには、最良の選択だったと言えるだろう。さて……次はどんな質問を繰り出してくる気?私は、今度こそ菊子の質問に答えようと身構えた。しかし……。「で、実はこれが一番気になってたんだけど……どっちから告白したの?」にんまりと、実に楽しげな笑みを浮かべて言った菊子に、私の思考は完全に停止していた。……そ、そんなの、想像するだけで恥ずかしくて、何も設定なんて考えてないわよぉっ!!!?こ、小太郎に下手なことを言わせる前に、私からと言ってしまうべきだろうか!?し、しかし、その後小太郎ほど上手に切り返せる自信もない……ど、どうすれば!?迷っている私を余所に、結局は同じように小太郎が声を発していた。「―――――俺の一目惚れや」「「へ?」」…………はっ!?い、今私、一瞬気絶してた!?な、ななな、何でよりによってそういう切り返しを選択するのかしら!?そ、その顔で照れ臭そうに、それも迷いなくそんなこと言われたら、女は堪ったものじゃないわよ!?どうやら、菊子も同じ考えだったらしく、真っ赤になった顔をぱたぱたと掌で仰いでいた。「いやー……まいった。ちょっとからかうつもりだったんだけど、小太郎君微塵も動じないんだもんなー……ちょっと私、顔洗って出直すことにするよ」そう言って席を立つと、菊子はどこか夢遊病患者のような足取りで、ふらふらとお手洗いに消えていった。……はぁ~~~っ、よ、ようやく謎の緊張感から解放された……。小太郎の方へ振り返ると、彼もやれやれといった体で、深く溜息をついていた。「……た、助かりました。それにしても、よくあんな切り返しが思いつきますね?」「いえ、どういたしまして。最初のんは、ちらちら見られてたん気付いてたしな、答えを用意しててん。職業は、前に知り合いが似たようなとこで使うてたから」な、なるほど、彼自身の咄嗟の思いつきじゃなかったのね……。まぁ、どんない大人びて見えても、彼はいち中学生な訳だし当然か。いや、それでも十分年齢不相応に落ち着いているけど……。……そ、それにしても、最後の返答はどういう思いつきなのかしら?も、もしかして、小太郎、本当に私のことを……?あまりに迷いなく答えていたため、ついそんな考えが頭をよぎってしまう。そう言えば、色んな女の子に言い寄られてはいるけど、特定の子がいる訳ではないと、刹那は言っていた。……それはもしかして、本命がいたから?私は、彼が自分の生徒だと言うことを一瞬忘れて、彼にそのことを問いかけていた。「あ、あの……最後の答えは、どうして?」「ん? ああ、一目惚れってやつかいな? んー、やっぱそれが一番しっくり来る思てな」「しっ、しっくり来る!!!?」そ、そそそ、それじゃあやっぱり、小太郎は私のことをっ!!!?……だ、ダメよ刀子!? か、彼は自分の教え子なのよ!? そ、それも今年中学に入ったばかりの1年生!!い、いくら今の外見が24歳相当だとしても、いくら彼の雰囲気が大人びているからと言っても、教師と生徒の垣根を超えるなんて犯罪じゃない!!!?あ、ああ、でも……彼が高校を卒業するのを待って、それからでも遅くは……。さっきの菊子との会話を聞く限りだと、彼は年齢なんて気にするタイプじゃないようだし……。って、何を考えてるの私はっ!?「馴れ初めやらなんやら、理屈をごねられたら面倒やしな」「へ?」「俺の一目惚れってことにしといたら、それ以上突っ込まれへんやろ?」「……」……な、なんだ、そういうこと……私はてっきり……。そうよね、まだ中学生ですもの、教師にそんな感情を抱いたりなんて、そうそうないわよね。何、一人で舞い上がってたのかしら。思い出したら、急に恥ずかしくなって来てしまった。……それもこれも、小太郎の言い回しが紛らわしいのが悪いのよっ!!「あれ、刀子センセ、顔赤いで? どないしたん?」「な、何でもありません!!」「? な、何を怒っおるんや?」「別にっ!! 何でもないって言ってるでしょう!?」「???」急に怒り出した私に、小太郎は不思議そうな顔をするばかりだった。ほどなくして、料理が運ばれて来て、菊子も戻ってきたため、私たちはすぐに昼食を終え、予定通り遊園地へと向かう運びとなった。「あーーーー、楽しかったーーーーっ!!」「そりゃあれだけ叫べばね……」駅に戻って来て、ぐうっ、と背伸びをする菊子に、私は呆れた声でそう言った。あの後、私たちは遊園地で日暮れまで遊び倒した。当初の懸念要素だった、菊子による小太郎へのアタックはしばしばあったものの、私が目を光らせていたため、そんな思いきったことは出来なかったらしい。私も私で、目当てだったコースターにも乗れ、文句を言っていた割には楽しんでいたと思う。小太郎もそれなりに楽しんでいたようだったが、子どもらしくはしゃいだり、ということはなく、やはり落ち着いた様子で、ときには楽しそうにする菊子を優しく見守っているような節さえあった。日暮れが近づいたことで、菊子の仕事の都合により、引き上げの時間となってしまったため、私たちはこうして、駅へと彼女を見送りに来ていた。「お、電車結構すぐ来るみたい」「そうなの? それじゃあ、気を付けて帰りなさい」電光掲示板を確認して言う菊子。私がそう言うと、にっ、と子どものように笑って手を振った。「今日はありがとうね。おかげで別れた寂しさも吹っ飛んだよ」「そう……まぁ寂しくなったらメールの相手くらいならしてあげるわよ?」「うん、そんときはよろしく」珍しく素直に頷いて、菊子は改札へと駆けて行った。が、突然こちらへ向き直ると、大きな声でこう叫んだ。「こたろーくーん!! とーこに飽きたらー、すぐに連絡してねー!?」「ちょっ!? 何ふざけたこと言ってんのよっ!!!?」私に怒鳴られると、菊子はそそくさと改札を抜けて行った。全く、あの女は……いくつになっても子どもっぽさが抜けないんだから。そこが少し羨ましくもあるが、面倒を見させられる方は堪ったものじゃない。あの破天荒さを思い出すと、思わず苦笑いがこぼれた。「……まぁ、ああ言う冗談は、ホンマに仲が良くないと言えへんよな?」その様子を伺っていた小太郎が、含みのある笑みを浮かべてそう言う。私は同じような笑みを浮かべて、それに答えた。「ええ、そうかも知れませんね……」菊子を見送った私と小太郎は、連れだって学園都市への帰り道を歩いていた。良く良く考えてみると、もう菊子はいないのだから、彼のことを名前で呼ぶ必要はないのだが。何となく、それが惜しい気がして、私は未だに、彼のことを名前で呼んでいた。「今日は本当にありがとうございました。おかげで、あのバカの鼻を明かすことも出来ましたし」改めてお礼を言うと、小太郎は珍しく子どもっぽい、悪戯が成功したときのような笑みを浮かべた。「いやいや、こちらこそ。全校男子の憧れ、刀子センセとデートが出来たんや、これでお礼なんて言われたら罰が当たりそうやわ」「っ!?」そんな小太郎の言葉に、私は気恥しくなって、思わず視線を反対側に逸らしてしまった。……や、やっぱり、今日の私はどこか変だ。と、言うよりも、昼のファミレスの一件以来、どうしても小太郎のことを、異性として意識してしまっている自分がいる。『―――――俺の一目惚れや』お、思い出しただけで顔が熱いっ!!もっとも、彼はその場を乗り切るために、最善を尽くしてくれただけで、特に意味のあった発言ではなかったのだろうが。実際、それを意識しているのは私だけだろうし、こんなことでは、週明けからどんな顔をして彼に会えば良いのやら……。……って、これじゃあまるで、私が小太郎のことを好きみたいじゃないっ!?な、なな、何を考えているのよ刀子!?か、彼は教え子でしょう!?……けれど、今日改めて感じた、彼の不思議な雰囲気。紛れもなく中学生の筈なのに、時折、私よりも年上なのじゃないかと感じさせる、優しげな表情。1つ仮説を立てるなら、それは彼の経験してきた出来ごとによるものが大きいのかもしれない。夏期休校中に、学園の魔法関係者を震撼させた、襲撃事件。あくまで噂話だったが、その襲撃犯は、小太郎の実の兄だということだった。学園長からの話だと、彼は幼くして家族を全て喪い、関西呪術協会の長に拾われて、今まで武芸の研鑽ばかりを積んできたのだという。それは、どれだけの茨の道だっただろう。頼るものの無い彼は、たった一人で大人たちと対等に渡り合うために、ああいう話術や、年齢不相応の落ち着きを、獲得せざるを得なかったのかも知れない。いつもあっけらかんとしているが、その実、彼は心身にたくさんの傷を負っているのだろう。……そう思うと、何だか、無性に彼に何かをしてあげたいと感じてしまう。それこそ、恋人のように寄り添い、彼の痛みを半分背負うくらいなら、私にも……。……って、だからそれはダメだってばっ!!!?―――――がつっ……「きゃっ!?」考えごとをしながら歩いていたせいだろう、普段なら絶対躓かないような、アスファルトの窪みに、私は見事に足を取られた。既に姿勢は完全に落下態勢だったため、私は諦めて受け身を取ろうと身構えた。……教え子の前で、こんな醜態を曝すなんて……。そんな物悲しさに打ちひしがれる私だったが、その衝突は、意外なことで回避されてしまった。―――――ぎゅっ……「えっ……」え? 何? 何が起きたの?地面との接触は避けられない、そう思った私の体は、後ろから、力強い何かによって抱き締められていた。本当に何が起こったのか分からなくて……いや、本当は分かっていたけど、余りに想定外のことだったから、脳がそれを無意識に否定してしまっていたのかもしれない。状況を確認するために、後ろを振り返ると、そこには……。「あっぶな、ホンマ、今日はどないしてん?」心配そうに、私の顔を覗き込む、小太郎の顔があった。それも、小さな息遣いまで伝わるほど近くに。え? え?それでもまだ現状が理解できなくて、私は自分の身体を支えてくれている、何かに目を落とした。そこには、小太郎のものと思しき二本の腕が、しっかりと私の腰辺りを抱きこんでいて……つまり……。―――――私は、小太郎に抱き締められていたのだった。状況を理解した瞬間、私の思考は焼き切れそうになった。「@*$#&%=~~~~~!!!?」声を発したいけど、言葉にならない。何で!? どうして!?そんな言葉ばかりが、頭の中をぐるぐると回る。今までだって、任務中に怪我を負って、同僚の男性に肩を貸してもらったり、抱き抱えられたりすることは何度かあった。それでも、その時にこれほどまで胸の高鳴りを感じたことなんてなかったのに……。あの時は任務だと割り切っていたから?……違う。同じ状況でも、きっとそれが小太郎なら、私は同じように冷静でいられなかっただろう。無垢な少女のように顔を赤らめ、話すことすら、きっとままならなくなる。つまり私は、小太郎のことを……。―――――すっ……不意に、腰にまわされていた、小太郎の腕が離れる。その瞬間、私は胸がきゅっ、と締め付けられるような、そんな切なさを感じた。これは……もう、否定しようがない。どうやら私は、教え子に、この犬上小太郎に……。―――――恋を、してしまっている。それを認めてしまった瞬間、私は急激に顔が熱くなって行くのを感じた。私から手を離した小太郎は、私の正面へと来て、やはり心配そうに、私の顔を見つめる。「大丈夫か? 何や今日は調子悪いみたいやな。早いとこ帰って休み」「え、あ、う……は、はい、そ、そうします、ね」絞り出すように、私がそう答えると、小太郎は満足げに笑って頷いた。その笑顔に、また胸がきゅうんと締め付けられる。一度自覚してしまった想いは、もはや止めることは出来なかった。「……あの、小太郎」「ん? 何や? やっぱり具合悪いんか? 何なら宿舎まで負ぶってたろか?」そ、その申し出は非常に魅力的だけど……どうせならお姫様抱っこの方が……ではなくてっ!!私はそんなことを口走りそうになるのを、必死で押し留めて、小太郎にその疑問をぶつけていた。「昼間、菊子にされた質問……年上の女性を、どう思うか、という質問への答え……あれは、本心ですか?」彼は年上の女性を、魅力的だと、そう返していた。もし、それが本当なら、心から、そう思っているのなら……。……私にも、彼を振り向かせるチャンスがあるかもしれない。そんな淡い期待を抱いてしまった。小太郎は私の、そんな突拍子もない質問に、しかし笑顔を浮かべて、こう答えた。「ああ、もちろんやで?」頭が真っ白になった。それはつまり、やはり私にも、チャンスがあるということだろうか?年甲斐もなく、異性にこんな想いを抱くことが、許されると言うことだろうか?嬉しくて、思わず頬が緩む。私は、こんな単純な性格だっただろうか?……いや、きっとこれは小太郎のせいなのだろう。彼の不思議な魅力が、周囲の女性たちをそうさせてしまうから、彼の周りには、いつも色んな女性が後を絶たない。……どうやら、これはなかなか分の悪い勝負に、私は乗り出してしまったのかもしれない。けれど、後悔はない。年上の女性に魅力を感じているというのなら、私にも勝機がある、いつか、絶対に彼を振り向かせて見せる。そんなことを思っている私に、彼は空気をまるで読まない、爆弾発言を投下してくれた。「つか、須らく女性は好きやけどな」「……は?」思わず、目が点になる。彼は今、何と言った?「いや、女性の魅力って、一人一人ちゃうやろ? そういう個人の差異を含めて、俺は須らく女性は好きやねん」「そ、それじゃあ、特別年上が好みということは?」「んー……特にこういう女が好き、っちゅうんはないなぁ」な、ななっ!?ひ、人にあれだけ期待させておいて、この朴念仁は……!!「あ、あれ? どないしたん? 刀子センセ、何か震えてへん?」「……このっ……女っ誑しっ!!!!」―――――ばっちぃんっっ……「ひでぶっ!!!?」闇を劈く快音が鳴り響き、小太郎はまるで蹴られた空き缶のように宙を舞った。し、しまったっ!? 思わず気を込めて引っ叩いてしまった!!ど、どうしよう……え、えと、こんなときは……そう!!―――――三十六計逃げるに如かず。私は、わき目も振らず、女性職員宿舎に向かって駆け出していた。「こっ、これくらいじゃ、諦めないんだからねーーーーっっ!!!!」半泣きになりつつ、そんなことを叫びながら。……見てなさいよ、小太郎!!いつか絶対、私以外の女なんて、目に映らないくらい夢中にさせてみせるんだからっ!!!!【オマケ:はぁとふるこのせつ+1劇場】「おつつ……何やねん、何で俺引っ叩かれなあかんかってん……それも気まで使うて……」「あれ、コタ君?」「ん? ああ、木乃香に刹那やないか」「あ、やっぱり小太郎さんだったんですね、いつもの学ランじゃないから、一瞬違う方かと」「ああ、まぁ知り合いの頼みでちょっとな……」「そうなん? けど、そういう格好も似合うとるえ?」「まぁ、自分では良ぉ分からん」「……小太郎さん、つかぬことをお伺いしますが、知り合いの方とは、女性の方じゃありませんよね?」「え゛? な、何でや? そ、そんなことあれへんよ?」「……女の人とおったん?」「な、なんやねん、木乃香まで!? 俺にそんな甲斐性があれへんことくらい知ってるやろ!?」「む、そこまで言うのなら、そうなのでしょうが……」「はれ? コタ君、肩になんかついとるえ?」「ん? 何やろ?」「……これ、女の人の髪とちゃうん?」「っ!? しもたっ!? さっき抱き締めた時にっ……!?」「……聞き違いでしょうか? 今『抱き締めた』と聞こえましたが……」「……コタ君、ちょっとお話聞かせてもろてもええかな?(にこっ)」「きょ、今日は厄日かーーーーっ!!!?」―――――――――――小太郎の安息の瞬間は遠い。【オマケ2:とーこてんてー奮闘記】「あれ? 葛葉先生、コンタクトに変えられたんですか?」月一回行われている全学部合同職員会議で、久しぶりにあった源先生が、そんなことを尋ねて来た。「はい。最近、少し気になる男性に、こっちの方が可愛いと言われまして」「まぁ! ふふっ、葛葉先生も隅におけませんね?」嬉しそうに笑う源先生だったが、私の胸中はそれほど穏やかではなかった。「いえ、少し倍率の高そうな相手なので、これくらいでは多分振り向いてくれない気もしています……」「あら、そうなんですか? ……葛葉先生みたいな美人の方でもそう思うなんて、相手の男性は、よっぽど格好良い方なんでしょうね?」にこにこと、穏やかにそう言う源先生。その言葉には否定する要素など何一つない。私は、満面の笑みを持って返した。「それはもう。少し鈍感なところが玉に傷ですが……落ち着きがあって、優しい子です」「あらあら……(葛葉先生、まるで学生みたい……罪な人もいたものねぇ……ん? 優しい子? 子、って……まさか学生? そ、そんなはずないわよね?)」