「……キレーなハネ……なんや天使みたいやなー」「……お嬢様……」刹那が広げた翼を、木乃香は嬉しそうに見つめてそう呟いていた。恐らく、木乃香の危機を察して、止むを得ず使ったのであろうあの双翼。あの姿を見せるのは、刹那にとって最大の禁忌だったはずだが、それを押しても尚、木乃香を救いたいと願ったのだろう。おかげでこの戦闘の後にまた一悶着起こりそうだが、俺は刹那のそんな一途な想いを垣間見て、思わず口元が綻んだ。倒壊した橋の瓦礫、その1つで、宙に浮かぶ2人を目がけて、再び酒呑童子が跳ぼうと身を屈めた。「……ようやくのラブシーンや、外野は黙っとくんがマナーやで?」俺はそう呟くと、先程使用しなかった分の気力で、酒呑童子へと跳躍した。その勢いのまま、先程よりも幾ばくも濃く、狗神を纏わせた影斬丸を振り抜く。「―――――牙顎ォッ!!!!」―――――ガキィンッ「ちぃっ!?」しかし、その一閃も、酒呑童子の振りかざした棍棒によって、易々と遮られてしまった。やはり、狗音斬響に類する威力のある技でもない限り、俺の太刀では、こいつに傷すら負わせられないと言うことか。そう思い、もう一度距離をとろうとした瞬間、俺の太刀を凌いだ態勢から、酒呑童子は、あろうことかその右腕を俺へと振り抜いていた。「うそぉっ!?」慌てて、飛び退こうとするが間に合わない。衝撃を覚悟して、直撃するであろう腹部に気を集中させる。しかし……。―――――ドカァッ「おぉっ!?」―――――グゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!見覚えのある、黒い人形に体当たりされて、酒呑童子は川へと真っ逆さまに落下して行った。これは、影精の人形?ってことはまさか……。俺は人形の飛来した方角を慌てて振り返った。するとそこには、黒い巨大な人形『黒衣の夜想曲』に跨る、高音の姿があった。高度のせいか、風に金髪を靡かせるその姿は、原作での彼女の姿が嘘のように頼もしく、俺は思わず笑みを浮かべていた。「……どいつもこいつも、ホンマに良えタイミングで来おってから」俺のその呟きが聞こえたは定かじゃないか、俺と目が合うと、高音は誇らしげな笑みを浮かべて声高に言った。「お待たせしました、小太郎さん!! 正義の使途、高音・D・グッドマン、只今推算です!!」そう言えば、原作でもそんなこと言ってたな。見ると、刹那は木乃香を連れて、橋の付け根、陸地へと降りていた。川に沈んだ酒呑童子は、未だに上がって来る様子を見せない。しかしながら、あの程度でやられるとは考え難い。酒呑童子が復活する前に、一端合流しておくべきだろう。俺は高音に目配せをして、刹那たちへと駆け寄った。駆け寄る俺に気が付くと、木乃香は嬉しそうな笑みを、刹那も安堵したように小さく笑みを浮かべていた。「良かったぁ、コタ君怪我しとらん?」「ご無事だったようで何よりです」「おう、二人もな。せやけど、良かったんか、刹那? その姿は……」俺が言いかけると、刹那はすっと、俺の口元に右の人差し指を宛がい、それを制した。「今はそんなことを言っている場合ではないでしょうから……」少し悲しげにそう言うと、すぐに刹那は戦士然とした凛々しい表情へと戻った。その直後、『黒衣の夜想曲』から、相変わらずの優雅さで、高音が降り立つ。俺たち3人の様子を見回して、高音は満足そうに笑みを浮かべた。「みなさん、ご無事だったようで何よりです」「……小太郎さん、こちらの方は?」そんな高音の様子を受けて、刹那が申し訳なさそうに俺に彼女の事を尋ねて来た。「こん人が、前言うてた高音や。俺に操影術教えてくれてる先輩」「こっ、こちらの方が!? ……う、ウチより、はるかにスタイルがええ……」「……せっちゃん、ドンマイ。ウチらには、これからがあるえ?」刹那が何事か呟き肩を落とすと、木乃香が何故かそれを慰めていた。何なんだ一体?……っと、今は楽しく談笑してる場合じゃない。「高音、こっちは、桜咲 刹那、神鳴流の剣士。んで、こっちが今回の護衛対象で、学園長の孫の近衛 木乃香や」 「高音・D・グッドマンです。よろしくお願いします」「よっ、よろしくお願いしまず」「よろしゅうお願いします」俺は集まった面々に、簡単な自己紹介をさせた。さて、とりあえずは、いかにしてあの大鬼を斃すかだな。刹那も同じことを考えていたのだろう、すぐに彼女の口からこんな質問が投げかけられた。「あの鬼が小太郎さんのお兄さんなのですか? 聞いていた話と、随分印象が……」「んな訳あるかいっ!!」俺の兄貴は、あんな脳みそまで筋肉で出来てそうな外見はしてません。すると高音が、いつになく真剣な表情で、重々しく口を開いた。「5本角に朱の肌、そしてあの巨大な体躯……小太郎さん、まさかとは思いますが、あの鬼は大江山の……」「ああ、酒呑童子や。つってもオリジナルとは比べ物になれへん劣化コピーやけどな」あの特徴だけでそれに気付くとは、高音が優秀なのか、それだけあの大鬼が有名なのか。どちらにせよ、俺がそれを肯定したことで、刹那と高音、2人の表情に大きな緊張が走ったのは間違いなかった。「酒呑童子……小太郎さんのお兄さんは、そんなものまで呼び出せたのですか……」「え? え? こ、コタ君、さっきのでっかいおっちゃんて、そんな有名人なん?」もっとも、木乃香だけはことの重大さが飲み込めていないらしく、自分だけが仲間外れになったような悲しそうな様子でそんなことを聞いてきた。俺は苦笑いを浮かべて、それに答えてやることにする。現状の再確認の意味も込めて。「有名人も有名人、超大物や。日本三大悪妖怪とか言われてんねんで?」「ほ、ホンマにっ!? ひ、人は見かけによれへんなぁ」いやーどちらかと言えば、俺は見かけ通りだと思うんだが?「酒呑童子ということは、斃すにはあの首を切り落とすくらいしか方法はないでしょうね」現状を把握した高音が、そんなことを言い出す。もちろん、それは俺も承知の上だ。そのため、さっきから2度に渡って、渾身の斬撃を奴の首筋に叩きつけているのだが……。「……そう簡単にはいかないでしょう。見たところ、小太郎さんの獲物が、傷一つすら負わせられない魔力を纏っているようですから」苦々しげに、刹那がそんなことを呟いた。そうなのだ。俺の影斬丸は、2度に渡ってあいつに弾かれている。その首を切り落とすなど、並大抵の術や技では不可能と言って良いだろう。麻帆良の連中でそれが出来るとしたら、それこそ最強状態のエヴァくらいのもんじゃないか?或いは、刹那が斬魔剣・弐ノ太刀を使えれば話は早いのだろうが……。「あの鬼が常に纏っている、強大な魔力の障壁を抜いて、尚あの首を斬り飛ばす方法なんて……」「……1つだけ、方法があるで……」「「「!?」」」俺の一言に、3人が、かっと瞳を見開いた。うわー、すげぇプレッシャーを感じる。しかしながら、今俺が思いついている方法というのも、決して上策という訳ではなく、苦肉の策には違いない。それでも、今はそんな下策に縋ってでも、俺たちはあの大鬼を打倒しなくてはならないのだ。そんな俺の心情を知ってか知らずか、高音は、俺にその方法を促した。「一体、どのような方法ですか?」「あんな、俺の技で一番威力が高いんは獣裂牙顎っちゅう技なんやけど、それは知っとるな? 恐らくそれはあいつの障壁は抜けても、首を切り落とすまではいけへん」「はい、1度拝見したことがありますが、確かに、その評価は無難でしょうね」刹那がそう頷いて俺の言葉に同意をする。問題はいかに奴の障壁を抜き、且つ奴の首を切り飛ばす威力を確保するか、に掛かっている。そして、俺が考え付いている策とは、単純明快に、その部分の威力、言い換えれば出力そのものを補ってやろうという話。「通常刀に乗せる狗音影装は1体分。今の話も、1体分でやったらっちゅう前提の話や。せやけど……それを2体分乗せれたら、話は変わってくるんとちゃうか?」「!? ……そんなことが、可能なんですか?」俺のそういった技を知らない高音と木乃香は、顔中にクエスチョンマークを浮かべていたが、ただ1人刹那は、真剣な表情で俺にそう聞き返していた。「正直、やってみんと分からん。しかも俺が1回の戦闘中に使える狗音影装は最大3回。今日はもう1回無駄にしとるからな、打てるんは1発限りや」「なるほど、失敗は許されないという訳ですか……」その通り。出たとこ勝負も良い所の大博打。さらにこの技には、もう1つ欠点がある。「1体までならノータイムで使えるようになったけど、2体目を刀に乗せるんには、軽く見積もって20秒は必要になるやろうしな」詠唱魔法並みのタイムロスだ。さっきの高音のように、不意を突くならともかく、その間真正面からあの大鬼とやり合って、気力を集中させてる俺を護るなんて、生半可な覚悟じゃ出来ない。しかし、今はその覚悟を、彼女たちに決めてもらう必要があった。しばらくの逡巡を経て、刹那は嬉しそうに笑みを浮かべると抑揚のはっきりした口調でこう言った。「ようやく、一緒に闘う気になってくれましたね?」「……まぁ、な。……やってくれるか?」「今はそれ以外に、酒呑童子を斃す方法はありませんよ」刹那は力強くそう答えて、夕凪を握る拳に、力を込めていた。そんな刹那の様子に、高音も得心がいったように頷いた。「良くは分かりませんが……ともかく、20秒稼ぐことが出来れば、小太郎さんに、あの鬼を打倒する術があると、そういうことですね?」「ああ、上手くいくかは、大分賭けやけどな……」「ふふっ、大丈夫です。信じていますよ?」彼女が頬笑みとともにそう言った瞬間だった。―――――グゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!「「「「!?」」」」川から、耳を劈くような、奴の咆哮が再び木霊したのは。刹那は、既に態勢を低くし、いつでも飛び出せる準備を整えている。高音も、『黒衣の夜想曲』を、まほら武道大会のとき同様、自身の背後に纏い、いつでも戦闘に入れる態勢を作っていた。自分に命を預けてくれた2人に、俺は今1度心の中で感謝して、影斬丸の柄を強く握り締めた。「……みんな、気ぃ付けてな?」そう言って俺たちを送り出そうとする木乃香の表情には、心配した様子や、不安の色のなどは一切浮かんでいなかった。ただ、俺たちに対する、信頼の笑みだけを湛えて、彼女は俺たちにその言葉を告げた。3人で顔を見合わせて、俺たちはそれぞれに、力強い笑みを浮かべて木乃香に答えた。「おう、自分は危なないよう隠れとくんやで?」「行って参ります、お嬢様」「この私が付いているのです、御心配には及びません」俺たちの言葉を受けて、木乃香が小さく頷いたのを確認すると、俺たちは、一斉に駆け出していた。酒呑童子が待つ、橋の瓦礫に向けて。「おうおう、大分殺気立っとるなぁ……」先程、高音に突き飛ばされたのが余程頭に来たのか、酒呑童子が纏う禍々しい雰囲気が、更にその密度を増していた。俺は酒呑童子とは少し離れた場所、比較的平面の残る瓦礫の上に立ち、その様子を見つめた。その俺の右側を刹那が、左側を高音が、それぞれに駆け抜けていく。それを見送ると同時に、俺は外界へと向けられる全ての五感を、己の内へと向けた。思い描くのは、自身の中で暴れ狂う数千の狗神たちを、全てこの刀に集中させるイメージ。いつも狗音斬響を使う際に、刀に纏う狗神に倍する数の狗神を、全て己の刃と為す。彼女たちが命を賭して与えてくれたこの20秒、何が何でも俺はこの一閃、最強の斬撃を作り上げる覚悟を決めた。―――――残り20秒。最初に酒呑童子へと肉薄したのは刹那だった。妖怪化により強化された、持ち前の速度を持って、上下左右自在に飛び回り酒呑童子を翻弄する。その隙を付いて、高音が『黒衣の夜想曲』から20は下らないだろう数の影槍を放つ。しかしその全てが、奴の身体に傷一つ付けることも敵わないままに弾かれて行った。―――――残り15秒。「神鳴流奥義―――――百烈桜華斬!!」今度は刹那が、自身の技の中でも最も手数の多い技を持って、酒呑童子の動きを封じた。再びその隙に乗じて、詠唱を終えた高音が、200近い魔法の射手を、酒呑童子目がけて放った。「魔法の射手・連弾・影の199矢!!」―――――グゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!さすがに数が多すぎたらしく、直撃を受けた酒呑童子がたたらを踏んだ。―――――残り10秒。高音の放った魔法が、酒呑童子の怒りに火を付けてしまったらしい。童子は手にした金棒を、ぶんぶん、とデタラメに振り回し始めた。その直撃を受けそうになった刹那を、高音が『黒衣の夜想曲』の触手を使い、自らの元へと引き寄せた。奴から強大な一撃を貰うことはないが、これでは手出しも出来ない。―――――残り5秒。「斬鉄閃っ!!」金棒を振り回す酒呑童子に、刹那が裂帛の気合を持って、刀を振った。当たり所が悪かったらしく、酒呑童子は自らの獲物を弾き飛ばされてしまった。その瞬間、高音は両手を童子目がけて勢い良く振り抜いた。「影よ!!」『黒衣の夜想曲』から100近い影の触手が、また、童子の足元からも数十の影の触手が殺到し、その動きを拘束する。恐らく、童子の怪力を鑑みると、拘束出来る時間はおよそ3秒ほどだろう。しかし、すでに俺の手の内には、奴を打倒する切り札が、完成していた。―――――残り0秒。「……時間や。覚悟は良えか、古の大鬼……その首、俺が貰い受ける!!」握っていた影斬丸の刀身は、普段の2尺7寸の一般的な太刀の姿をしておらず、2mはあろうかという長大な漆黒の刀身が、はち切れんばかりの気を孕んで顕現していた。「……今ですっ!!」「小太郎さんっ!!」彼女たちの呼び声に答えるように、俺は両足に、持てる気力の全てを投じた。俺の酒呑童子との距離は、瞬動を持ってしても、僅かに遠い。しかし、その距離を埋める術は、既に俺の内にある。「縮地―――――无疆!!」―――――ドカァッ粉々に砕け散る俺の足場。しかし俺の体は、確実に童子の首筋目がけて飛び立った。高音に四肢を封じられて首を覆うことも出来ない童子。これならば、確実に奴を仕留めることが出来る。自らの勝利を確信し、俺は獣染みた笑みを浮かべた。その瞬間だった。―――――グゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!「なにっ!?」童子が、大口を開けた。そしてそこに収束していく、禍々しいほどに強大な魔力。そうか……こいつは腐っても鬼の卷族。これは、学園祭編で召喚された鬼神たちが使用していた、魔力の大砲。失念していた、何故奴に、これが使えると考えなかったのか。しかし既に遅い。俺の身体は、完全に奴の真正面を突き進んでおり、奴が放つであろう魔力の射程圏内にはっきりと収まっていた。こうなってしまっては、一か八か、奴が放つ魔力ごと、奴の首を斬り伏せるしかない。そう覚悟を決めた。しかし……。―――――パァンッパァンッパァンッパァンッ……「っ!?」立て続けに4発、銃声が響き渡る。それは仁王立ちする酒呑童子の右膝を正確に打ち抜いていた。身体を支える柱を失い、大きく態勢を崩して行く童子。俺に放たれるはずだった魔力は、完全に明後日の方向へと付き抜けていった。ニヤリ、と口元が再び緩む。……なるほど、約束通り給料分以上の働きをしに来てくれたという訳か。俺は心の中で、ニヒルなスナイパーに感謝した。既に酒呑童子との間合いはなく、俺は裂帛の気合を持ってその刀身を振り抜いていた。風を、大気を、空間すら断ち切るつもりで、最後の斬撃を放つ。一瞬、酒呑童子の双眸が、驚愕に剥かれたように感じた。「狗音斬響―――――獣裂牙顎ォォッ!!!!」―――――ガキキキッ、キィンッ、ザシュッ……俺に持てる全ての気力を費やした一撃は、そしてその代償に似つかわしく、日本最強と謳われた鬼の首を、見事に跳ね飛ばしていた。SIDE Hanzo......「ん? ……酒呑童子め、やられおったか……」大気を震わせる魔力の波で、わいは自分の放った式鬼、酒呑童子(未完)がやられたことを悟った。どうやら、わいが思てた以上に、あのクソガキは強ぉなってるらしい。自分でそう仕向けたとは言え、今回のように目的の邪魔をされたとあっちゃあ、腹立たしいことこの上あれへん。しゃあない、近衛の小娘は一端諦めるとするか……「……にしても、やっぱパチモンはあかんなぁ」十分なコストを払たはずなんやけどなぁ、たかだか中坊のガキにやられるようじゃ、全く使い物になれへんやんけ。あーあ……やっぱ、次に狙うんやったら、ちゃんとした、オリジナルの魔物やないと意味があれへんな。そして何より腹立たしいのは、あの女が死に際に放た言葉通り、今回もあのクソガキを殺せへんかったことや。「……まぁええわ。次に会うときは、酒呑童子以上のバケモンを用意したらええねん……となると……さぁて、次はどこへ行こうかね……」京のスクナか、讃岐の大天狗か、近い所なら、栃木の殺生石っちゅう手も有りやな。何にせよ、あの酒呑童子を上回る、強大な魔力がわいには必要や。「わいの復讐は、まだ始まったばかりや……覚悟せぇよ、近衛詠春、小太郎……」いつも通りの薄い笑みを浮かべて、わいは夜の闇に紛れるようにして、学園都市を後にした。SIDE Hanzo OUT......崩れ落ちていく酒呑童子の巨体を見つめながら、俺は影斬丸を杖代わりに何とか立っていられるという状態だった。し、しんど……。狗音影装2つ分も気力を絞り出したもんだから、俺の中に残っている気力は殆ど0。言わば、今の俺の状態は、完全にガス欠の状態という訳だ。あそこで真名の援護射撃が間に合ったから良かったようなものの、あれがなかったら、俺死んでたかもしれないな。そう考えると、まだまだ「他も己も護れる強さ」は程遠いように感じる。しかも、ようやく見つけたクソ兄貴には逃げられるし、まだまだ1枚も2枚も奴が上手だったということか……。さて、くよくよしていても仕方がない。何はともあれ、これでとりあえずの決着はついたのだ。疲弊しきった身体を休めるためにも、今日はさっさと帰って眠ってしまおう。そう思い、俺は木乃香の元へ戻ろうとした矢先。「小太郎さん!! 後ろです!!」悲鳴染みた、刹那の声が響いた。反射的に後ろへと振り返ると、切り落としたはずの酒呑童子の首が、俺の喉笛目がけて飛び込んで来ていた。なっ!?そうか、酒呑童子の首は切り落としてもすぐは!!避けようと、両足に力を入れたが、疲労困憊の身体は言うことを聞いてくれなかった。マズイ、殺られ……!?「来れ氷精 爆ぜよ風精―――――氷爆」―――――キィンッ……「へ?」俺の首へと辿り着く前に、酒呑童子の首は、空中で見事なまでに氷漬けとなっていた。こ、この魔法は……。「ツメが甘過ぎるぞ、駄犬」声を掛けられて振り返ると、そこには黒いボロのようなマントを纏った、小さな吸血鬼と、それに使える人形の従者の姿があった。「え、エヴァ? 自分まで助けに来てくれたんか!?」「ふんっ、誰か貴様のことなど。私はただ、借りを返しに来ただけだ。今夜が満月だったことを幸運に思え」そ、そう言えば……。余りにも切羽つまり過ぎて、空なんて眺める余裕がなかったな。何はともあれ、俺は彼女のおかげで命拾いした。ゆっくりと、茶々丸とともに降りて来た彼女に、俺は会心の笑みを浮かべて、礼を言った。「助けてくれておおきに、エヴァ。おかげで命拾いしたわ」「だ、だから助けてなどない!! 貴様ごときに借りを作ったままというのが気に入らなかっただけだ!!」そういって喚くお子様吸血鬼。全く、素直じゃないってのも大変だねぇ。俺は今度こそ闘いの終わりを感じて、ほっと胸を撫で下ろすのだった。エヴァたちに続いて、高音が俺の元へと駆け寄って来た。「小太郎さん!! ご無事ですか!?」「おう、エヴァのおかげでな。さすがに今のんは死ぬかと思たで……」そう言われて初めて、高音は傍らに立つエヴァに視線を移した。驚いたように目を丸くして、しかし、次の瞬間には優しい微笑みを浮かべていた。「……何だ貴様? 何が可笑しい?」「いえ、小太郎さんに伺っていた通り、噂のような悪人ではないのだな、と思いまして」「……ふんっ」そう言われて、エヴァはむず痒そうにそっぽを向いた。その直後、刹那が木乃香を抱きかかえて、俺たちの居る橋の瓦礫へと降り立った。「あれ? エヴァちゃんもおる?」降りて来てすぐに、木乃香はエヴァを見つけてそんな風に驚きの声を上げた。すぐに刹那が、エヴァの事を説明し始める。「お嬢様、エヴァンジェリンは高名な魔法使いで……」「悪名高いの間違いやあれへん?」本人だってそう公言してるし、魔法世界じゃナマハゲみたいな扱いだって言ってなかったけ?「……何か言ったか駄犬?」「な、何でもありませーん……」後ろから付きつけられる殺気により、俺はそれ以上の発言は出来ませんでしたが。そう言えば、真名は来ないのかな?まぁ、仕事堅気な彼女のことだ、給料分は働いた、とか言って、早々に引き揚げてしまったのだろう。近いうちに改めて礼を言わないとな。「何はともあれ、これで一見落ちゃ……っとと?」―――――どさっ影斬丸を引き抜こうとして、俺は仰向けに盛大に倒れてしまった。「小太郎さん!?」「コタ君!?「小太郎さん!?」心配そうに刹那、木乃香、高音が俺の顔を覗きこんだ。あー……まさかここまで気力を使い果たすのがつらいとは思わなんだな。指先1つ動かすことさえ億劫だぞ。「……あかん、もう1歩も動けへんわ」「よ、良かった、気を使い過ぎただけですか……」気だるげに言った俺の言葉に、刹那がほっと胸を撫で下ろした。「んー……そや♪ コタ君、ちょっと失礼するえ……」「?」俺の頭元で、木乃香かごそごそと何か動いているが、俺にはもはや、首を動かす体力さえ残されていなかった「よい、しょっ、と……」―――――ひょいっ「うおっ!? 何やっ!?」不意に頭を持ち上げられて、驚きの声を上げる俺。次の瞬間、待っていたのは、ごつっとしたアスファルトの感触ではなく。―――――ふにょんっやたら柔らかい、心地の良い感触だった。しかも何か良い匂いするし、これは……。「木乃香、これ……」「うん、ウチの膝枕。コタ君、頑張ってくれたから、ご褒美や♪」「お、おおおおおおお嬢様っ!? な、ななななんてうらや、じゃなくて大胆なことをっ!?」刹那がメチャクチャ喚いてるけど、うん、今回ばかりは最早何を言い返す気力も残っていなかった。後で何言われるか分かったもんじゃないが、せっかくだし、今はこの感触を堪能させて貰うことにしよう。「ふふっ、微笑ましいですね」「ふんっ、能天気なガキどもめ……」「膝枕……あれにはどう言った意味があるのでしょう……」外野も何か言っていたが、それにももちろん言い返す気力が残っているはずもなく。ついには、俺はゆっくりとその両瞼を閉じてしまった。「ふふっ、お疲れさんやったなぁ、コタ君……ウチのこと、護ってくれてありがとな……」木乃香が、俺に何か言っているが、既に意識は途絶える一歩手前。結局返事も出来ないままに、俺の意識は闇に呑まれていった。最後に、誰かが優しく髪を梳いてくれる感触を、やけに心地良いと感じながら……。