―――――30分前、麻帆良教職員宿舎前。「……ふぅ、一先ずこれで安心かな?」ただの紙片に戻ったヒトガタと、湿気て使い物にならなくなった爆符を確認して、僕はそう呟いていた。全く、学園長も無茶な注文を付けてくれる。30分足らずで、居場所も特定出来ないヒトガタを見つけ出して、爆符が作動しないよう水をかけろだなんて……しかも攻性魔法の使用は厳禁と来た。とても正気の沙汰とは思えない任務だった。まぁしかし……。「可愛い娘の、その友達の命が懸かってると聞いちゃあ、父親として黙っていられないけどね」さて、残るは4体のヒトガタと、それを操る敵。学園長の話だと、今回、敵と対峙しているのは、またもあの少年とのことだった。少々、彼に負担を掛け過ぎているようにも感じたが、彼なら喜び勇んで、最前線へと飛び出して行きそうだと思い、僕は思わず苦笑いを浮かべてしまった。「……負けるんじゃないぞ、小太郎君」僕は静かに笑みを浮かべて、残りのヒトガタが、無事発見されるのを祈った。―――――27分前、麻帆良学園、高等部女子寮前。「凄い量の爆符……これを仕掛けた人間は、本当に正気だったのでしょうか?」私は紙片に戻ったヒトガタと、それとともに散乱した爆符を見て驚きを隠せませんでした。学園長から、龍種を一撃で屠れるほどの量とは聞いていましたけど……まさかここまでの量なんて。そんな狂気に侵されたような人間を相手に、小太郎さんは一人で対峙している……。以前、西の刺客が差し向けた妖怪と対峙した時も、彼は瀕死の重傷を負ったとのことでした。そんな彼だから、きっと今回も自身の危険を顧みずに無茶をするのではないかと、私は湧き上がる不安を抑えられませんでした。「……学園長の知らせを待っているなんて、とてもじゃないけど出来ません!!」確か、彼が向かったのは、学園外れの橋でしたね……。待っていてください、小太郎さん。前回のように、あなたを一人で戦場に送ることなんて、私が許しません。私は呪文を唱え、影の人形に跨ると、脇目も振らずに、彼が戦っているという橋へと飛び立ちました。―――――21分前、麻帆良男子校エリア、中等部男子寮前。「……全爆符の効力消失を確認しました。ご指示を」「うむ、ご苦労だった。早いとこジジィに報告してやれ」「イエス、マスター」……全く、何故私がこんなことを……。そう思わなくもなかったが、よくよく考えると、あの駄犬には、春休みに借りが一つあったこと思い出した。ここらで、それを清算しておくのも良いかもしれないな……。それに今夜は満月だ。制限は大いにあったが、いつもより幾らかマシに暴れ回ることが出来る。それを思うと、思わず口元に笑みが浮かんだ。「マスター、学園長への報告、終了いたしました」「ご苦労。さて、もう一つ仕事だ、あの駄犬の居場所を検索してくれ」「駄犬……小太郎さんのことと推察し、検索を開始します。よろしいですか?」「それで構わん。くくっ、あの未熟者にどう泡を吹かせてやろうか……」駄犬の居場所を探るパートナーを尻目に、私はこれから起こるであろう戦いに胸を躍らせるのだった。―――――8分前、女子校エリア、ウルスラ女学園校舎。「……やれやれ、私の魔眼から逃げられると思ったのか?」水浸しになった紙片と、爆符の束を見つめて、私は笑みを浮かべて言い捨てた。小癪にも、私の視線に気づいたこのヒトガタは、私を撒くために、この女子校校舎まで逃げてきた。攻性魔術の使用は禁じられていたため、転移符を再び使用することになってしまったが……後でこれも学園長にツケておこう。「しかし、思った以上に時間がかかってしまったな。私が4番手とは……」近衛に大口を叩いてしまった手前、ここでこの戦闘を降りるのは後味が悪い。さて、どうしたものか……。「……仕方ない、今夜は特別サービスだ。もう少しだけ、この戦いに付き合うことにしよう」私は銃器の入ったキャリーケースを背負い直し、彼らが向かったという橋を目指して移動を開始した。さて……絶好の狙撃ポイントは、どこだろうな?そんなことを、ぼんやりと考えながら……。―――――2分前、世界樹広場。「よもやこのワシが最後の一人とは……やれやれ、歳は取りたくないものじゃのう」ただの灰と化したヒトガタと爆符を眺めながら、ワシは一人ごちた。時間になっても、学園都市郊外から大きな魔力の乱れは感じられとらん。おそらくは、小太郎君が上手くやってくれているのじゃろう。全く、若い世代に任せてばかりでは、長老としての立つ瀬がないわい。……しかし今回のこの件は別じゃ。これは、紛れもなく彼の背負うべき業。彼が前へと進み続けるために、いつか必ず断ち切らなければならない過去の因縁。ならばワシらに出来ることは、その背中を、思い切って押し出してやることだけじゃろうて。「……さて、喧嘩っ早い彼のことじゃ。そろそろ痺れ切らしとるところじゃろう」にやり、と年甲斐もない笑みを浮かべて、ワシは杖を頭上へと翳した。杖先から迸るのは、開戦を告げる緑の光。「……待たせたのう。……存分に闘うがいい、小太郎君!!」若い世代の門出を祝すように、緑光が燦然と瞬いた。―――――現在、麻帆良学園都市郊外、大橋。「爆符が作動せぇへん……? まさか……この1時間で、攻性魔法もなしに、5体のヒトガタ全部を還したっちゅうんか?」驚きも露わに、兄貴がそう呟いた。無理もないだろう、広大な学園都市だ。一度そこに無作為に歩き回るよう放った式が、そう簡単に発見されることなんて、まず有り得ない。しかしその常識を、俺たちは覆さざるを得なかった。そこで木乃香が提案したのは、2つの突拍子もない策だった。1つ目は、俺と木乃香の二人が橋におもむき、1分でも長く時間を稼ぐというものだった。兄貴は、会話の端々で相手をおちょくることを得意としている。こちらから質問を投げ掛ければ、喜んでそれに応じ、こちらの神経を逆撫でしようとするだろう。俺たちは、それを逆手に取ることにした。2つ目は、現在麻帆良にいる、魔法先生・生徒によるローラー作戦。30分ちょっとの時間で、全てのヒトガタと爆符を無力化するという、机上の空論としか思えない無茶な作戦。しかしそれを成功させる以外に、この兄を止める手立てがないこともまた事実だった。全ての魔法先生・生徒を総動員したこの作戦。普段は黙して報告を待つだけの学園長までもが現場で捜索を行った。そしてその結果、この大博打に勝利したのは、間違いなく俺たちだった。時間内に処理できたヒトガタが2体以下だった場合は、赤の閃光が。3もしくは4体だった場合は、黄色の閃光が。5体全てが処理された場合には、緑色の閃光が、それぞれ打ち上がる手筈となっていた。今しがた、打ち上がった閃光は、見紛うことなき、緑光。それは即ち、俺にとっての後塵の憂い、全てが薙ぎ払われたことを示す輝きだった。自身のシナリオが崩されたことでたじろぐ兄を、俺はまっすぐに見据えてこう吠えた。「ヒトガタがスタンドアローンやったのが災いしたな? 自分が異変を察知出来たら、こうは上手くいけへんかったと思うで?」そう、この男は見縊っていたのだ。俺の、俺たちの……麻帆良の底力を。時期に、散り散りになっていた、魔法先生・生徒たちがここに集まってくるだろう。そうなれば、クソ兄貴には、一片の勝ち目すら残されていなかった。「……なるほどな。さっきの会話は、わいをここに釘付けるための芝居やったっちゅう訳か……えらい頭が回るようになったやんけ?」別段悔しさを感じさせることもなく、兄貴が俺を見て唇を釣り上げた。……何だ? この違和感は?間違いなく、追い詰められているの奴だというのに、まるで、一種の余裕すら感じさせる奴の表情は……。しかし、俺はその奴の口上に、雰囲気に、呑まれるわけにはいかない。きっ、と眼光を鋭くし、俺は今一度、兄貴に問い掛けた。「今更、観念しろとは言わへん。自分はここで、俺が斬る。異論あれへんな?」「……くくっ、はっ、ははははははははははっ!!!!」「!?」突然、兄は顔を右手で覆うと、気でも狂ったかのように声を上げて哂った。それすらも、俺を油断させるポーズだという可能性がある。俺は背後にいる木乃香を庇うように立ちながら、全神経を兄貴の一挙手一投足に集中させた。一しきり哂うと、兄はだらん、と両手を下へ投げ出した。「……デカい口叩くようになったやんけ? 自分らを少し見縊っとたわ……けどな、わいのことも見縊ってもらっちゃあ困るで?」「……何やて?」奴は薄い笑みで唇を歪ませると、すっと、ズボンのポケットから一枚の符を取り出した。思わず、身構えてしまう俺。それも当然だろう。奴が取り出した符は、漆黒の紙片に、血でしたためたとしか思えない、深紅の文字が綴られていた。そして、外見だけでも禍々しいその符は、それに見合うだけの圧倒的な魔力を放っていたのだから。「教えたはずやで? 自分の勝利を確信する瞬間が、一番危険な瞬間やて……わいがまさか、何の保険もなしに、敵に姿を曝す思たんかいな?」「……いんや。けどな、それも全部含めて、俺は自分を切り伏せるつもりで、ここに来たんや。今更蛇が飛び出そうが驚けへん」そう、全てを正面から叩き斬る強さを、俺はあの妖怪に、そして木乃香に学んだのだ。兄貴がどんな策を弄そうが、そんなことは関係ない。俺はこの太刀で、それごと兄貴を叩き斬るだけだ。まるで衰えない俺の気勢と闘志に、兄は面白くなさそうに目を細めた。「……腹立つなぁ、自分もあの男と同じ目ぇをしよる……自分はここで殺さんといたろ思たけど、止めや。……小娘と仲良ぉ、あの世へ逝って来い」兄はその言葉とともに、頭上高く、手にした符を投げ放った。「来たれ……鬼の頭領、災禍の申し子よ」濃密な魔力が、黒い渦となって時空を歪める。そこに書き出される深紅の魔法陣。それが式を召喚するためものだと気付いた時には、漆黒の渦は明確な指向性をもって一つの巨影を作り上げつつあった。「京を焼き、暴虐と殺戮の限りを尽くした最悪の権化、千の時を経て、ここに再び顕現せよ」兄貴が最期の一節とばかりに言葉を紡ぐと、魔法陣からはその巨影は、地響きとともに橋に降り立ち、片膝を付いた。俺は春休み以来、腹の底から震えるような魔力の奔流に、ちょっとした戦慄すらを覚えていた。何しろ、その巨影が持つ特徴こそが有り得ないものだったのだから。薄い朱の肌に、赤茶けた短い乱れ髪。頭頂部には5本の角が生え、地に付いた手は熊のように巨大だった。そして優に6mを越えるであろう巨躯の大鬼とくれば、この世界で、その名を知らぬものなど居ないだろう。「……オイオイオイ!? 自分、なんつー洒落にならんもんを呼び出しとんねんっ!?」俺は思わずそう叫んでいた。冗談じゃない、そんなもの、人の身でどうこうできる存在じゃないはずだぞ!?どうやってそんなものを召喚したってんだ!?驚きを隠せない俺に、兄貴は相変わらずの薄い笑みを浮かべて、悠然と語った。「首塚明神の土をちょこっと拝借してな……本物にはまるで及ばへん劣化コピーやけど、自分らを殺すくらいなら訳あれへんやろ?」……なるほど、な。俺は兄の言葉に、安堵の溜息をついた。さすがに本物とあっちゃあ、今の俺だけじゃどうしようもない。それこそ学園結界を落として、最強状態のエヴァにでも登場願わないと、今の麻帆良にはあれのオリジナルを潰すだけの戦力はないだろう。もっとも、例えオリジナルであったところで、俺はこの闘いを降りる気などさらさらなかったがね。しかし劣化コピーだって言うならなおさら、ここで引き下がる理由は微塵もない。この鬼を斬り捨てて、それからあのクソ兄貴を斬る。多少遠回りになってはしまうが、当初の予定と何ら変わりない。俺は気を取り直して、再び兄を真っ向から睨みつけた。「……念のためや。一応、その大鬼の名前を聞いといたるわ」俺がそう言うと、兄は先程までの薄い笑みとは違う、心底愉快そうな笑みを形作ってそれを告げた。「大江山の鬼頭―――――酒呑童子」日本三大妖怪と恐れられた、その悪鬼の名を。かつて、京都と丹波国の国境、大江山に住んでいたとされる鬼の頭領の話をご存じだろうか?その者は、人間の母より生まれ出でながら、その母の胎内で33月を過ごし、生まれながらにして人語を解し、大人すら打ち倒す怪力を持っていたという。そのような幼子を、周囲は恐怖と不気味さから『鬼っ子』という蔑称をして呼んだ。やがて、親に捨てられた鬼っ子は、京を目指し、そこで多くの手下を従え暴虐の限りを尽くしたという。夜な夜な都より、貴族の娘をかどわかし、その血肉を生きたまま喰らった。毎夜酒を呑み明かし、夜ごと50升もの酒を飲み干した大鬼は、人々にこう呼ばれた。―――――大江山の酒呑童子、と。白面金毛九尾の狐、讃岐の大天狗と並び、日本の三大悪妖怪と謳われた彼の大鬼は、悪行の果て、ついにときの帝の勅命を受け、源頼光率いる軍勢によって討ち滅ぼされた。しかしなが、その執念は深く、ついには跳ねられた首のまま、大将だった頼光の兜に喰らい付いたという。その首は老ノ坂峠に埋葬され、今日では霊験新たかな神仏、首塚大明神と呼ばれ奉られている。しかし、かつての悪名全てが忘れ去られた訳ではない。語り継がれる彼の鬼の凶悪さを、邪悪さを人々が語り継ぐ限り、鬼とはその存在を世に知らしめ続ける。クソ兄貴は、それを逆手に、この大鬼が没したと言われる首塚明神の土で、これを複製したという訳だ。……さすがは天才、やることのスケールが違うねぇ……。正直に、俺は舌を巻いていた。普通複製とは言えども、伝説上最強の鬼を復活させますか?これオリジナルだったらスクナとかの騒ぎじゃない化け物ですよ?あ、でも酒呑童子には英雄や土地神としての側面はないから、霊格的にはスクナの方が上なのか?……そういう問題じゃねぇよ!!どんな錬金術師だ貴様は!?つか、人体練成じゃねぇのかこれ!?腕と脚はオートメ○ルってオチか!?じゃないとフェアじゃないでしょコレ!!!?もっとも魔力で式を召喚するのと同じ要領で、あの巨体を維持しているのだろうが。しかし、だとすればあのクソ兄貴の魔力は、ざっと見積もっても全開時のネギ並にあるということではないか。つくづく、厄介な奴を敵に回したものだと思う。「うわぁ……でっかいおっちゃんやなぁ……」「……木乃香さん? そんな感心したみたいに言うてる場合とちゃうで?」俺の後ろで緊張感のない声を上げる木乃香に、俺はそんなツッコミを入れておいた。そんな俺たちには目もくれず、兄貴は酒呑童子の傍らに立ち、その背中に何やら呪を書き込んでいた。恐らくは、俺たちを殺せだのの物騒な命令を刻んでいるんだろう。それを終えて、兄はこちらをゆっくりと振り返った。「急造過ぎて知性もあれへん化け物やけど、代わりに理性もあれへん……その小憎たらしい頭から、ばりばり喰われてまえ」「……恐ろしいこと言うてくれるやないか」自分の事は棚に上げて、俺は兄貴を睨みつけた。……さて、雲行きが怪しくなってしまったな。木乃香を護りつつ、この大鬼と兄貴を斬るのは至難の業だ。それに鬼に気を取られていて、兄貴に木乃香を狙われたんじゃ堪ったものじゃない。実質二対一のこの状況に、俺は苦虫を噛み潰さずにはいられなかった。「……安心しぃ。俺は自分と闘う気はあれへん。俺がここを離れる間に、酒呑童子に膾にされてまえや」そう言って、兄は俺たちに踵を返した。「待てっ!? クソ兄貴っ!!!!」それを追おうと両足に気を集中させた瞬間。―――――グゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!「っ!?」「きゃっ!?」大気全てを震わせるような雄叫びを上げて、酒呑童子がこちらへと突っ込んで来た。しかも手にはいつの間にやら、奴の身の丈程はありそうな長大な金棒が握られている。……くっ、この距離じゃ、狗尾の発動は間に合わない!!かといって、避ければ木乃香に当たってしまう……ならばっ!!「……身体張って止めるまでや!!!!」俺は奴が振り下ろす金棒の真下に潜り込み、全身の気を昂らせた。―――――ガキィンッ、ボコォッ「ぐぅっ!?」「うわわっ!?}ぐっ、何てバカ力だ!?上着がビリビリと裂けていくの構わずに、獣化状態で受け止めたというのにこの破壊力。しかも衝撃を殺しきることは出来ず、俺の両足はアスファルトにめり込み、周囲の地面がぼこぼこと隆起していた。「ぐっ……このっ……調子に、乗るなやっ!!!!」―――――ガキィンッやっと思いで奴の金棒を弾く。酒呑童子は、それをどう捉えたのか、再び俺たちと数mの間合いを空けて動きを止めた。その更に奥、橋の対岸には既に兄の姿はなく、宵闇の漆黒だけがそこに残っていた。……クソ、逃がしたか。しかも厄介な置き土産を残しやがって。気も纏わずにあんなバカ見たいな一撃を放つ化け物なんて、聞いたこともない。しかし気も魔力も使えないというなら、勝機はいくらでもある。さっさとこいつを斃して、兄貴を追わせてもらうとしよう。俺は乱暴に、地面から足を引き抜いた。「……コタ、君なん?」後ろから、木乃香の不思議そうな声が聞こえた。そう言えば、獣化状態を彼女に見せるのは、これが初めてだったか。余りの俺の姿の変わり様に、驚きが隠せない様子だった。「おう。みんな大好き小太郎さんやで? ……ちょっと大荒れになりそうや。木乃香絶対それ以上前に出てきたらあかんで?」敵から視線を逸らすことは出来なかったため、俺は振り返ることはせずに、出来るだけ優しい声を努めて、木乃香にそう言った。俺の背後には、敵の殺気、その一片すらも通さない覚悟を持って。「……うん。コタ君、あんなおっちゃん、やっつけてまえ!!」「はっ!! 当然っ!!!!」まるでここが戦場だということを、忘れさせてくれるような明るい声で言う木乃香に、俺も会心の笑みを浮かべて答えた。同時に、弾かれたように、俺は動きを止めた酒呑童子に向かって、瞬動を持って肉薄していた。こいつが伝説の大鬼と同じ存在だと言うのならば、それを殺す方法は、一つしかない。俺は躊躇いなく、その首へと影斬丸を奔らせた。しかし……。―――――ガキィンッ「なっ!?」影斬丸は、まるで鋼鉄でも斬りつけたかのような甲高い音を立てて弾かれてしまった。いや、仮に奴の皮膚が鋼鉄並の硬さだったとしても、気で強化された影斬丸の刃を弾くなんて有り得ない。一体どうして……。しかしその答えは、奴に視線を戻すと一目瞭然だった。―――――ぞくっ心臓を鷲掴みにされたような悪寒とともに、この橋一体に立ち込める空気が、紅く歪んだ。これは……酒呑童子の、魔力?さっきの一合は、召喚されたばかりで、魔力が上手く使えていなかっただけだと言うのか?今奴が、無作為に放出している魔力が、奴の本気だと言うのなら、それこそ洒落になっていない。制限状態だった、あの狗族の男同等、いやそれ以上に強大で、禍々しい魔力。指向性もなく、ただ周囲にまき散らされているだけで、影斬丸の刃を退けるほどの圧倒的な魔力量。やはりあの男同様、この大鬼に刃を届かせるには、牙顎しかない。俺は一端距離を取り、影斬丸に狗音影装を纏わせようと気を高めた。その瞬間。―――――周囲の魔力が、奴の金棒に向かい収束した。まずい、とそう思った瞬間には既に遅く、奴は巨体に似合わぬ速度で、俺の頭上高く飛び上がっていた。―――――グゥォォォオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!!!!先程同様、耳を突き破るような雄叫びを上げながら、急速に落下してくる、巨大な影。これは先程のように、受け止めることなど、とても出来ない。そう思った俺は、牙顎を放つために用意した狗音影装を、全て狗尾へと回し巨大な防壁を作り上げた。―――――ドゴォンッッッ「づっ……!!!?」」―――――バキバキバキ、ミシッ、メキッ再び、地面に呑みこまれる俺の両足。しかし、今回の衝撃は、先程の比ではなく、周囲のアスファルトを隆起させるだけには留まらず、巨大な橋という構造物に、連鎖的に大きなダメージを与えた。しまった……このままでは……。―――――この橋が、墜ちるっ!?もちろん、浮遊術が使える俺や、この大鬼にとって、そんなことは些末な問題だろう。しかし、俺の後ろ、橋の4分の1程の場所にいる木乃香は、そうも行かない。橋が倒壊したなら、彼女は為す術もなく下の川へと落ちていくだろう。そうなったら、最悪、怪我では済まないかもしれない。俺はこれ以上橋にダメージを与えないよう、巨躯の大鬼を押し返そうとした。しかし……。―――――バキンッ……無情にも、その瞬間はやって来てしまった。「くっ!?」重力に引かれ、倒壊を開始する。金属とコンクリートが砕ける音とともに、俺たちの足場はがらがらと崩れ落ちていった。「きゃあああああっ!?」「ぐっ、ちっくしょおぉっ!!」―――――ガキィンッ、ドゴォンッようやくの思いで、俺は酒呑童子の金棒をいなすと、敵に背を向けることも厭わず、落下していく木乃香へと走っていた。しかし、余りにも前に出過ぎていたのか、このままでは、彼女が水面に衝突するまでに、僅かに一歩間に合わない。―――――くそっ……くそっ、くそぉっ!!何が、絶対に護るだ!? 何が皆と前へと進むためだ!?大切な友1人護れずに、何が世界最強を目指すだっ!?俺は、それでもありったけの気力を両足に込めて、崩れ落ちていく足場を疾駆する。―――――あと少し、あと少しなんだ!!そう思い、必死で木乃香へと右手を伸ばす。しかし……。―――――それが、彼女に届くことはなかった。「木乃香ぁっ!!!!」もう一度、彼女に向けて、跳ぼうと虚空瞬動の構えを取る。―――――ヒュンッ「っ!?」しかしそれは、俺の前を雷光の如く駆け抜けていく、白い影によって遮られた。影は木乃香への距離を、まさに疾風迅雷と詰めていき、彼女が水面へと叩きつけられる直前、その身体を抱き止めて、再び宙へと舞った。俺は安堵の溜息とともに、上昇して来た、その影の主に笑みを浮かべた。「……美味しいところ持って行きおってからに」そう、彼女は自らの大切な者を護るため、自らが忌み嫌う、その純白の双翼を持って、風より疾く、この場所へと舞い降りたのだ。「―――――お怪我はありませんか、お嬢様?」「せっ、ちゃん……?」満月に照らされた宵闇に、一対の白き翼を広げ、刹那はこの戦場に風と共に降り立った。