橋へと続く道を、俺は木乃香と二人、ゆっくりと歩いていた。季節柄、蒸し暑いはずなのに、日が暮れた今は風が涼しく、それが心地良かった。本来ならば、こんなにゆっくりとしている場合ではないのだろうが、約束の1時間までに残り20分もある。ゲートを使うと一瞬で付く距離を、俺はわざわざ手前でゲートを開き、こうして木乃香と歩くことにした。とは言ったものの、俺は後ろに残して来た仲間たちの事が気がかりで、さっきからちらちらと振り返っていたりする。これじゃ、木乃香にデカいこと言えないなぁ……。かくいう木乃香は、こん、こん、と道端で見つけた小石を蹴飛ばしながら、楽しそうに俺の隣を歩いていた。まるで、この大勝負が、自分たちの勝利だと信じて疑わないように。やっぱり、彼女は俺が思っていた以上に強い、とそう感じずにはいられなかった。―――――こんっ、こんっ、からんっ「あ、落っこちてもうた」ふと、木乃香が足を止めた。しばらくそうして、溝に落ちてしまった小石を、残念そうに眺めていたが、すぐに顔を上げると、ま、しゃあないな、と楽しげに笑った。そんな彼女の様子に、俺も自分が置かれた状況を忘れて苦笑いを浮かべずに居られなかった。「なぁなぁ、コタ君? ちょっと聞いても良え?」「何や?」立ち止まっていた木乃香が、不意に俺を振り返ってそう言った。まだ時間はある。俺たちの役目は、出来るだけの時間を稼ぐことだ。そう考えれば、ここで彼女と2、3会話を交わすことに、何の問題もないだろう。「うーん、ホンマは、聞いてええことやないと思うんやけど……コタ君て、お兄さんと昔から仲が悪かったん?」予想だにしていなかった彼女の問いに、俺は一瞬、どう答えたものかと逡巡した。思い返されるのは、山奥の静かな村の光景。めったに人里との関わりもなく、農業や畜産、ときには狩りまでして、自給自足の生活を送っていた、幼少時代。その中で真っ先に思い出されるのは、仕事で家を空けることが多かった母の代わりに、いつも俺の面倒を見てくれていた、年の離れた兄とのやり取りだった。『兄貴、隣のじっちゃんが猪の肉持って来てくれたで』俺は、今しがた受け取ったばかりの荷物を掲げて、満面の笑みで兄貴にそう言った。そんな俺に、兄貴も符を作っていた手を止めて、嬉しそうに小さく笑った。集落の中でも高位の術者だった母は、対外からの依頼で、村を留守にすることが多かった。そのせいもあって、俺たち兄弟は、近所の大人から良く目を掛けてもらっていた。俺と7つ違いの兄は、とても器用で、人当たりも良く、近所の大人たちの間でも評判が良かった。もっとも、俺との稽古においては、既に性格の悪さが際立っていて、ブービートラップや伏兵なんてものは日常茶飯事。兄弟喧嘩でも俺が勝てた試しはなかった。また、兄貴は符術や狗神使いとしての資質も群を抜いていて、母の跡取りとして、その将来を切望されていた。俺はその前衛として、いつか兄貴とともに戦場を駆けることを、信じて疑わかった。兄貴は筆を置いて立ち上がると、俺のところまできて荷物を受け取り、ぽんぽん、と手の中でその荷物を上下に振った。『……結構あるなぁ。今日は母ちゃんも帰る言うてたし、久しぶりにぼたん鍋でもするか?』『マジでか!!』ガキの頃から食い意地の張っていた俺は、夕食が肉料理だと聞いて目を輝かせていた。そんな俺に苦笑いを浮かべて、兄貴は俺の頭をぽんぽん、と軽く叩いた。『そん代わり、今日の稽古はいつもより厳しくいくで?』『うそん!? もう式神に爆符貼り付けんのは勘弁やで!?』当時直接攻撃しか使えなかった俺にとって、式神による神風特攻は対処のしようがない最悪の戦法だった。『だあほ。実践じゃあ、敵はそんな甘いこと言うてくれへんで?』『……いや、兄貴ほど性格歪んでんのは、そうそうおらへんと思うで?』原作知識を頼りにしても、そこまで姑息な戦法使ってた敵キャラはいなかったと思う。『……ほう、良え度胸やな?』『ひはははっ!? は、はひふんへんっ!?』兄貴は生意気に口答えした俺の頬を思いっきりつねっていた。ちょっと生意気な口を聞くと、兄貴はいつもこうやって俺の頬をつねり上げた。対していたくはないが、後でちょっと頬が赤くなるので虫歯みたいで恥ずくて、俺はそれが嫌いだった。涙目になる俺を見て、兄貴は楽しそうに笑っていた。いつまでも、こんな風な日常が続くと思っていた。底意地の悪い兄貴と、滅多に帰らないが優しい母親、神のきまぐれが俺にくれた第2の人生は、俺にかけがえのない絆をくれたと、そう思っていた。―――――あの、惨劇の夜までは。兄貴の15の誕生日だった日の夜、それは怒った。焼け落ちていく故郷。響き渡る断末魔の叫び。母に匿われた納屋の中で、俺は村人たちが一方的に虐殺されていくのを、ただ見ていることしか出来なかった。天才と称された兄の実力は、その評価に相応しく、圧倒的だった。ただ、それを加味しても奇妙な点の残る技術に、俺は空恐ろしさを感じていた。最後に兄貴の前に立ちはだかったのは、他でもない、俺たちの母だった。その時、母と兄が交わしていた会話。風と木が焼ける音に遮られながらも、俺はそれに必死で耳をそばだてた。『……ようも10年間、わいをたばかり続けてくれたな?』『……そうやね。これはウチらのエゴが招いた結果かも知れん』普段めったに感情を露わにしない兄貴が、明らかな怒りの感情を込めてそう言った。対して、母もそれが当然のものだというように、諦めたような受け答えをしていた。10年間? 俺が生まれるより以前に、兄貴に何かあったというのだろうか?『……開き直りおって、贖罪のつもりやったとでも言うんかい?』『…………』『だんまりか……まぁええわ。どの道、あんたとあのガキで最後や、母子仲良く往生しぃ』兄貴の右手が高々と上げられる。そこには、信じがたい量の魔力が、禍々しさと圧倒的な破壊力を持って収束していた。『母ちゃんっ!?』思わず、俺は納屋から飛び出していた。しかし既に全ては遅く、兄貴の右手は、母の胸を深々と貫いていく瞬間だった。『…には……んよ……』『……何やて?』最期の瞬間に、母は、兄に何かを伝えたようだったが、それは俺に届くことはなかった。「…………」「……コタ君?」俺が黙り込んでいたせいだろう、木乃香が心配そうな、申し訳なさそうな表情でこちらを見上げていた。「……スマン、ちょっと昔ん事思い出してた。……そうやな、あいつが裏切るまでは、そりゃ仲の良え兄弟やったと思うで? 俺は兄貴の事を尊敬すらしてた」過去の思い出を語りながら、俺は不思議な感情に捉われていた。未練、とでも言うのだろうか。戻れるはずがないのに、あの楽しかった山奥の生活を懐かしいと感じてしまうのは。ともすれば、昔のように優しかった兄に戻ってくれるのではないかと、そう思ってしまう自分が居る。奴は……母を、仲間たちを殺した、憎き仇敵だと言うのに。俺の言葉に、木乃香は切なそうな表情を浮かべていた。「……ほんなら、何でコタ君のお兄さんは、そんなことしたんやろ?」「さぁな。俺が生まれるより前に、お袋と兄貴の間で何かあったんは間違いないやろうけど……」今となっては、それを知るのはあのクソ兄貴だけ。そして、あの兄貴がそんな簡単に口を割ってくれるとは思えなかった。実質、真相は闇の中という訳だ。「……やっぱり、コタ君はお兄さんのこと、殺したいと思てる?」先程と同じ、どこか悲しそうな、切なそうな表情で、木乃香は俺にそう問いかけた。俺は今の自分がどう考えているか、改めて逡巡する。目の前で母を殺されたとき、その時に、明確に俺の中に芽生えた業火のような激情。それは、否定しようの無い、明確な殺意だった。そしてそれは、護るための力が欲しいと願った今もなお、俺の心のどこかで、燻り続けている。「……そりゃあ、な。あいつはお袋達の敵やさかい。ちょっと前まで、見つけたら刺し違えてでも殺したる思てたわ」「じゃあ、今はどうなん?」俺の物言いが引っかかったのか、木乃香は不思議そうに、もう一度訪ねた。その表情は、どこか一抹の希望を見つけたかのような、そんな表情だった。……ああ、そうか。先程から彼女が浮かべていた、切なそうな表情の正体はこれか。心の優しい彼女は、俺が残された最後の肉親、仇敵である兄をこの手に掛けることを、そして、手に掛けることで、文字通り俺が天涯孤独となることを恐れているのだろう。だから、兄との闘いに挑む今この時に、彼女はそんなことを問いかけたのだろう。俺の真意を知るために、俺を修羅道に堕さぬために。溜息をついて、俺は苦笑いを浮かべると、学園長室でそうしたように、そして兄が、いつか俺にそうしてくれたように、木乃香の頭をぽんぽん、と軽く叩いた。「あのクソ兄貴は、きっと俺に情けなんてかけへん。確実に息の根を止めるつもりでかかって来るやろう。こっちも殺る気がなかったら、殺られるだけや」「っ!? せ、せやけど……そんなの悲しすぎるやん……」そう言った木乃香は、今にも泣き出してしまいそうな、そんな表情を浮かべていた。そんな心優しい少女を、俺はこれ以上悲しませたくはなくて、彼女の頭に置いた手で、その頭をくしゃくしゃ、と撫でつけた。「……コタ君?」「……俺が殺してやらんと、あいつはもっと多くの命を奪ってまう。それを止めるんは、他の誰かに押し付けて良えこととちゃう」「っっ……」俺の言葉に、木乃香は唇を噛んで、鳴いてしまいそうなのを堪えていた。それを知った上で、俺は言葉を続ける。己の決意が、彼女に伝わると信じて。「……昔俺の知り合いがな、こんなこと言うてん『一歩を踏み出した者が、無傷でいられると思うなよ?』ってな」正解に言えば、その時はまだ俺たちは知り合いではなかったし、こちらの彼女はまだその言葉を口にはしていない。それでも、この言葉こそが、今の俺と、木乃香に必要なものだと、そう感じてならなかった。うわ言のように、木乃香はこの言葉を繰り返して、不思議そうに俺にその意味を問うた。「……どういう意味なん?」「……『キレイであろうとするな、他者を傷つけ、自らも傷つき、泥にまみれても尚、前へと進む者であれ』……俺も奴も、譲れんモンがあって、互いに一歩を踏み出してもうた。今更後には引けん……例え互いが、互いの血に濡れても、な……」「…………」そうだ、善悪も正も誤もない。道を違えてしまった以上、俺たちはただ、己が信念を貫くために闘わざるを得ない。経て来た道程は違えど、俺たち兄弟は、あの燃え盛る夜に捉われている。そこから踏み出すために、傷つくことを、傷つけることを躊躇うことなど出来ない。だが、それでも俺には、譲ることが出来ない、もう一つの決意がある。「……けど俺は、独りになる訳とはちゃうで?」「……え?」俺の言葉に木乃香は、心底驚いたように、目を白黒させていた。かつて刹那と、強くなることを誓った時と同じ力強い笑みを浮かべて、俺は宣言した。「……俺にはまだ、仲間がおる。泣きながら説教垂れてくれる幼馴染が、喧嘩っ早くてオジン趣味な女友達が、厚顔不遜でわがまま全開の吸血鬼が……んでもって、人のこと心配して、泣きそうになっとる女の子が、な」「あ……」「俺は自分らと、前に進むために闘いに行く。……心配せんでも、どこかに行ってもうたりせえへんよ?」俺の決意を、今一度聞いて、木乃香はようやく、いつものようなほにゃっとした笑みを浮かべてくれた。「……うんっ!! ウチ、みんなのこと信じてるて言うたもん。コタ君のことも信じたらんとな?」「そういうこと。……何や、分かっとるやないかい?」そう、エヴァが刹那が教えてくれたように、俺は決して独りなんかじゃない。ともに進む仲間が、背を押してくれる友たちがいる。兄を斃すのは、過去を清算するためじゃない。過去を断ち切り、奴の業、それすらを背負って、前へと進むためだ。「……あーあ、あかんわ、やっぱり……ウチ、せっちゃんに後で謝らなあかん」「は? 何か刹那にしたんか?」不意にそんなことを言い始めた木乃香に、俺はそう問いかけた。木乃香は、悪戯っぽく微笑むと、右手の人差し指を口元に当てて、口ずさむように言った。「……今はまだ、ヒミツや♪」「何じゃそら……」女ってのは、本当難しい生き物だと思う。ふと、木乃香が真剣な表情を浮かべ、腕もとの時計を見た。「……時間、やな」釣られて、俺も携帯のディスプレイを確認する。約束の時間まで、気が付くと残り5分を切っていた。「ああ……そろそろ、行くで?」これから、間違いなく自分が一番危険に曝されるというのに、木乃香はそれを微塵も感じていないかのような、力強い笑みを浮かべた。「うん……みんな、頑張ってくれとるんや、ウチも頑張らんとな」見てるこっちが頼もしく感じるほど、力強い笑みを。それに答えるように、俺ももう一度、同じ笑みを浮かべる。「ほな行くで。覚悟は良えか?」「うん。もちろん……ちゃんと帰ってくる覚悟やんな?」木乃香は、当然やろ? とでも言いたげに俺を見上げた。しっかりと頷いて、俺は自身の影に手を付いた。決戦の場へと、彼女を運ぶために。橋の学園側にゲートを開いて、俺たちは月明かりに浮かぶ、巨大な橋を眺めた。普段街灯が煌々と燈っているはずの橋は、今夜に限って、一切の電飾がその灯を消していた。恐らく兄の手によるものだろう。俺は別段、それを不思議だとは思わなかった。「コタ君、あそこっ!?」慌てた声で、木乃香が指さすのは、橋の対岸。そこには、月明かりに照らされた、一つの人影が、悠然とその青白い光を見上げていた。宵闇に溶け込むような、漆黒の髪。狐のように細く、切れ長な双眸。記憶よりも幾ばくか背は高く、しなやかな強さを感じさせる体躯。そして髪と同色の、黒いYシャツとジーンズに身を包んだその男は、紛れもなく今回の黒幕。犬上 半蔵に相違なかった。俺たちが現れたことに気が付くと、奴はゆっくりと視線をこちらに移し、橋に向かって数歩、その足を踏み出した。「よぉ。こうして直接会うんも4年振りか? あんなちっこかった自分がこんなに大きくなるなんてな。ちっとばかし感動したわ」兄貴はまるで、旧知の友人にでも会ったような気軽さで、そう言った。俺も奴同様に、何気ない風を装って、それに答える。「おかげ様でな。自分の鍛え方が良かったおかげで、そっちの腕も大分上がったで?」「そりゃ重畳……約束通り、近衛の小娘を連れて来たみたいやな?」俺の隣に立つ木乃香に視線を移して、奴は悪戯が成功した子どものように笑った。自分の策略通りにこちらが動いていると、そう確信して。だから俺も、それを演じて、やりとりに答えた。「ああ、これで満足やろ? もう時間があれへん、爆符の作動を解除してくれや」「まぁ、そういう約束やったしな。……ほれ、これで5体の爆符は作動せえへん。つっても妙なことは考えるんとちゃうで? 爆発させるんはいつでも出来るからな」兄はぱちん、と指を鳴らし、愉しげにそう言った。よし、一先ず一つ目の山は越えた。これで時間が来ても、爆符が作動しないことに奴が疑問を抱くことはない。あとは少しでも、1分でも多く、ここに奴を引き止めなければ。俺は、兼ねてからの算段通り、兄にこんなことを尋ねた。「……自分の言うた通りにしたんや。1つくらい質問させてくれても良えやろ?」「……まぁ、良えやろ。今は気分が良えからな、1つくらいなら、何でも答えたるで?」喰いついた。本当は、こいつに聞きたいことは1つや2つじゃ済まないところだが。今は、さっき奴が俺に言った言葉が、一番引っかかっていた。「さっき言うとった、近衛家に対する私怨て何のことや? 俺にも無関係やあれへん言うとったけど……」その質問に、兄は意外そうな表情をした。もっと別の質問を、俺が投げかけると、そう思っていたように。しかしながら、兄はその質問にすぐに答えた。「まぁ安心しぃ。自分には、直接関係はあれへんよ。良ぉある話やで? 近衛の連中はな……わいの家族を殺してん」「はぁっ!? 何ふざけたことほざいてんねんっ!? お袋を殺したんは、間違いなく自分やったやないか!?」はっきりと、抑揚のある声でそう告げた兄貴に、俺は思わず叫んでいた。どういうことだ?俺の記憶が改竄されている?だとしてもどうして?それに、原作からの様子を見ても、長がそんなことをするとは思えない。奴が、俺を惑わせようと嘘をついている?いや、だったら、今まで俺の前に姿を現さなかった意味が全く不明だ。俺は奴の真意を、奴が言ったことの真贋を測りかねていた。相変わらずの様子で、兄貴がくつくつと、喉を鳴らした。「予想通りの反応や。やっぱおもろいなぁ自分。心配せんでも、自分の言うてることは合うとるよ。あの狗神使いの一派を全滅させたんは、わいで間違いあれへん」「……何や、自分お得意の下らん嘘八百かいな?」「いんや……近衛家がわいの家族を殺したんは紛れもない事実や。嘘やあれへん」呆れたように言った俺に、兄は真剣な表情でそう返した。なおさら、俺は意味が分からなくなって、もう一度訪ねていた。「どういう意味や? 全く話が見えへんで?」「……質問は1つだけの約束や。今の話が分からんなら、自分はまだそこまでの男っちゅうことや……さぁ、小娘をこっちによこしぃ」「っ……」思ったよりも時間を稼げなかったか……。学園長からの知らせは、まだ届かない。くっ……何とかして時間を稼がないと……。しかし焦れば焦るほど、良い考えは俺の中に浮かんでこなかった。―――――すっ……苦悶に表情を歪める俺の前にふと木乃香が歩み出た。「大丈夫や、コタ君。ウチに任せといて……」「木乃香……」俺に首だけで振り向いた木乃香は、いつもと同じ、ほにゃっ、とした笑みを浮かべてそう言った。だから俺は、それ以上何も言えず、黙って彼女の背中を見送った。「そうや。そのまま橋のこっち側まで一人で歩いて来ぃ」「…………」楽しそうに木乃香を促す兄貴。それに一瞥くれることもせずに、木乃香は黙って歩み続ける。一歩一歩を、強く踏みしめて。……くそっ!? まだなのかっ!?俺は、今すぐにでも、木乃香と兄の間に割って入りたくなる衝動を必死で押さえながら、その瞬間を切望していた。ふと、木乃香がその歩みを止めた。兄貴が、訝しげにその表情を伺っているが、彼女の真意は読みとれない様子だった。俺の方からも、彼女の表情は伺えず、彼女が何を考えているのか、図り知ることは出来なかった。「……ええと、コタ君のお兄さん? ウチからも1つ質問しても良えですか?」まるで、緊張感の無い声で、急にそんなことを言い出す木乃香。俺の方は余りの驚きで口から心臓が飛び出るかと思ったが、逆に兄貴は、彼女のそんな様子に声を上げて笑っていた。「はははっ!! ……い、今から死ぬいうんに、肝の据わった娘さんやなぁ……ふぅ、良えで。ただし、小太郎と同しで1つだけやけどな」「おおきに。ええとな、ウチを殺したら、その後はどないするつもりなん?」あっけらかんと、自分を殺そうとしている相手に、そんなことを質問する木乃香。こっちはさっきから冷や汗と妙な悪寒が止まらねぇっての!?……頼むっ!! 急いでくれ学園長!!木乃香の質問に対して、兄貴は顎に手を当てて、どうしたものかと思案している様子だった。しかしすぐにそれも終わり、木乃香に向き直った兄貴は、やはり歌うように楽しげにこう告げた。「しばらくは力を付けるために身を潜める予定やけど……せやな、最終的には、自分のお父んを殺すつもりやで」親子3人、あの世で再会させたるなんて気が利いとるやろ? と兄貴はもう一度、声を上げて笑った。そんな兄貴の答えに、木乃香は大きく息を吸って、やたらはっきりとした声でこう答えた。「……せやったら、やっぱり自分はコタ君にここで斃して貰わなあかん。優しかった自分に、もうこれ以上、誰かを傷つけたりさせとうないもん!!」「……何やと? 随分生意気な口を聞くやないか、小娘?」兄の目が、すっと細められる。……っマズいっ!?俺は最早学園長の知らせを待つことを放棄して、影斬丸の柄に手を掛けた。ちょうどその瞬間だった。―――――ひゅ~~~~~っ……ぱんっ「……何や? 狼煙?」学園都市の方角から、一筋の閃光が打ち上がる。闇夜を切り裂いて上昇するその輝きは、まるで希望の輝きそのものようだというように……。―――――緑の輝きを灯していた。「……グッドタイミングやで、学園長」俺は口元に浮かぶ、獣染みた笑みを隠そうともせず、今度は躊躇なく、木乃香の前へとその身を躍らせていた。突如、自分と木乃香の間に割って入った俺に、兄は訝しげに目を細めていた。「……どういうつもりや? それに今の狼煙、自分ら何ぞ企んどるな?」焦った様子は微塵も見せないものの、そう問いかける兄貴の様子からは、自身のシナリオが崩れ始めたことへの苛立ちが感じられた。それが可笑しくて可笑しくて、俺は更に唇の端を釣り上げて、自らに纏う闘気の密度を増していた。「人聞きが悪いで? はかりごとは自分の専売特許、こっちはそれを正面から叩き潰したっただけやないか?」「……何?」俺の言葉に、兄貴の表情は更に疑問の色を濃ゆくした。今、全ての風は、俺たちへの追い風となっている。ならば今、この時を持って、俺たち兄弟の因縁を断ち切る好機は、在りはしない。俺は迷いなく、影斬丸を鞘から解き放った。―――――ごぉっ……「きゃうっ!?」漆黒の風が暴風となって爆ぜる。突風に木乃香が可愛らしい悲鳴を上げていたが、俺はそれに詫びることもせず、兄から木乃香を隠す様に立ち、影斬丸を高々と掲げた。「―――――――――行くで、クソ兄貴。約束通りその喉笛……俺が喰い千切ったる!!!!」