急遽帰省から戻ってきた刹那の話を聞いて、俺は心臓を鷲掴みにされた思いをしていた。木乃香が狙われる? そんなの当分先の、それこそ2年後の話だと楽観し過ぎていた。近衛の家、特に元紅き翼のサムライマスターたる長に私怨のある者の犯行か。それとも、単純に木乃香の魔力を狙った者による犯行か。既に近衛の術者数人が襲撃に遭っていることから、前者の可能性が大きいように感じる。ともかく、今は彼女の安全を確保することが最優先だろう。「私は木乃香お嬢様に付いていますので、小太郎さんはこの事を学園長に知らせて頂けますか?」刹那も同じ考えだったらしく、真剣な表情で俺にそう依頼した。「お安いご用や。ええか? 何かあったらすぐに連絡するんやぞ?」「はい……もちろん、そうならないことを願いますが。小太郎さんも十分にお気を付けて」「おう」俺は刹那に一瞥くれて、すぐに学園長室へと向かって駆け出した。まだあれからそんなに時間は経っていない、学園長がいるとしたら、まずあそこで間違いないだろう。俺は更に足に力を入れて、学園を目指した。そんなときだった……。『わおーん!! わおーん!!』「ん? 着信?」ったく、この忙しいときに、一体誰だよ……。そう思いながら携帯を取り出した俺だったが、携帯背面の液晶ディスプレイを見て凍り付いた。何せそこには、『桜咲 刹那』と表示されていたのだから。まさか、もう既に木乃香の身に危険が!?俺は慌てて着信に応答した。「刹那!? 木乃香の身に何かあったんか!?」『え!? な、何を言ってるんですか!? ……まさか、もうお嬢様の身に何か!?」俺の言葉に、刹那は驚いたように返事をした。何だ? 会話が噛み合ってないぞ?大体、木乃香に付いていると言ったのは刹那だったじゃないか。万が一、木乃香の身に何かあったとしたら、最初に気付くのは自分だろうに。一体何を言って……。そこまで考えて、俺はおかしなことに気付く。携帯のスピーカーから聞こえる、かすかな異音。これは……電車の走行音?「……おい、刹那。今自分どこにおるんや?」『な、何ですか藪から棒に? 先程空港を出て、麻帆良行きの特急に乗ったところです』「なん、やて……!?」麻帆良行きの特急!?じゃ、じゃあさっき俺が会った刹那は一体……?彼女に、まるで怪しいところなんてなかった。木乃香を心配して息を切らせている様子や、俺のことまで気遣う優しさ。どう見ても、いつも通り、俺が知る刹那そのものだった。しかし、今電話口で話している刹那からも、違和感なんて感じられない。どちらかが、俺をたばかっているのは間違いないというのに。しかし、俺は先程あった刹那の姿を思い出して、違和感を感じた。何だ、この違和感は……?別に彼女に変わったところなどなかったはずだ。いつも通り、髪を一つ括りにしていたし、相変わらずの切れ長で綺麗な目だった。ユニフォームと化した麻帆良の制服も着ていたし、帰省のために用意した大きなキャリーケースも抱えていた。しかし、何だ……何かが欠けているような気がしてならない。画竜点睛を欠くというか、これがなくては、刹那とは思えない、そう感じさせる何かが……。「……しもた……何で気付けへんかったんや……」そうだ、先程会った刹那は……。――――――――――夕凪を、背負っていなかった。『そんなことよりも、落ち着いて聞いてください。実は、お嬢様の身に危険が……』「……やられた。クソッ!! 今まさにその危険が来たところや!!」『なっ!? どういうことですか!?」「説明してる暇はあれへん!! 俺は木乃香んところに向かう!! 自分は学園長に連絡を!!」『ちょっ!? 小太郎さん!!!?」―――――ぶつっ俺は刹那が名前を呼ぶのを無視して、通話を終了した。乱暴に携帯を閉じ、ポケットに突っ込むと、今来た道を、先程以上の速度を持って、駆け戻り始めた。……頼む、無事ていてくれ、木乃香!!そう、何度も祈りながら……。SIDE Konoka......ホンマ今日はおもろい一日やったわぁ。じっちゃんに、お見合いせぇ言われたときは、ホンマに憂鬱でしゃあなかったけど。コタ君が助けてくれて、お姫様抱っこでいろいろ逃げ回ってくれて。じっちゃんとコタ君には悪いけど、ホンマに楽しかった。それに、久しぶりにせっちゃんの話も聞けて嬉しかった。あのせっちゃんが、コタ君の事が好きかも知れへんなんて、相当驚いたわぁ。けど、コタ君やったらあんま不思議やあれへんな。始めて会うたときもそうやったけど、怖そうな外見と違て、ちゃんと人の事を良ぉ見てるし。何より、誰にでも優しいし、オマケに背も高ぉて格好ええしなぁ。『―――――そんときゃあ、今日みたいに自分のこと攫ってったるわ』……それにあの笑顔は反則やで。ウチかて、ほんのちょっとやけど、ドキッてしてもうたもん。いつもムチャクチャ大人っぽいのに、笑うたら子どもみたいに可愛えやなんて。そらせっちゃんも心配になってまうわ。うん、せっちゃんのこと影ながら応援したるためにも、これからはコタ君に悪い虫が付かへんよう、ウチがちゃんと見張ったらんとな!!ウチは拳をぎゅっと握って、そんなことを決意した。しかし、楽しかったけど、やっぱ疲れてもうたなぁ……。今日は早く風呂入って、さっさと寝てまおう。玄関で靴を履き替えて自分の部屋へ行こうとする。そんなときや……。「木乃香お嬢様」「え……?」後ろから、良ぉ知ってる声で呼びとめられたんは。振り返ってから、ウチは余計にびっくりしてもうた。だって、そこにおったんは、麻帆良に来てから、一度も自分から話しかけてくれへんかった、せっちゃんやったんやから。「せっ、ちゃん……?」「ご無沙汰しています、お嬢様」な、なな、ななな何でなん!?今までずっとウチのこと避けてたんに、何で急に話しかけてくれたん!?あ!! も、もしかして、さっきコタ君に送ってもろたん見られてたんかなぁ?せっちゃん、ヤキモチ焼きさんみたいやから、勘違いして怒っとるんとちゃうかなぁ?あっちゃあ……しもたなぁ、ちゃ、ちゃんと誤解を解いとかんと、ウチ、せっちゃんに嫌われとうないえ!?けど、そんなウチの考えとは裏腹に、せっちゃんは優しく頬笑みを浮かべていた。へ? どないしたん?「今までそっけない態度をとってしまい、本当に申し訳ありませんでした」「……え? えぇぇっ!? そ、そんなん、全然気にしてへんよ!? あ、謝らんといて、頭上げてぇなっ!?」せっちゃんはそう言って、深々とお辞儀をしてくれた。ど、どないしたんやろ?というか、ウチはどないしたらええんやろ!?そ、そりゃあ、せっちゃんとは仲良くしたいし、向こうからそう言ってもらえたんは嬉しい。けど、どうして急に?「せっちゃん、急にどないしたん? もしかして、何かあったんとちゃうん?」「はい……そのことも含めて、お嬢様とお話がしたいと思いまして。日も暮れて涼しいですし、よろしければ、ご一緒に少し外を歩きませんか?」相変わらず笑顔を浮かべて、せっちゃんはウチにそう言うた。ど、どないしよぉ……そ、そらウチかてせっちゃんとお話はしたいけど、もうすぐ門限になってまう。今出て行くんは、無理なんとちゃうかな?「え、えとな、せっちゃん、もうすぐ門限になってまうで? 良かったら、談話室とかで話さへん?」ウチは思い切って、せっちゃんにそう提案した。けどせっちゃんは、笑顔を浮かべたままやったけど、静かに首を横に振った。「他の方に聞かれる訳にいかないお話ですので……門限のことなら、今日くらいなら管理人さんも大目にくれますよ」う、うぅ……あかん、せっちゃん手強いわぁ。ウチもちょっと、今日くらいならええかなぁ、なんて思てまうもん。……あれ? 何やろ、変な感じ……。何でやろ?違和感っちゅうか、こう、モヤモヤした感じがする……。ああ、そうやんな!!せっちゃんが、自分から門限破ろ、なんて言うこと言い出したから、驚いてもうただけやんな。……驚いてもうた?ちゃう……この変な感じは、それだけとちゃう……。確かに、せっちゃんは自分から決まりを破ろう、なんて言い出す不真面目な子とちゃう。けど、それよりも、何やろ……今、目の前におるせっちゃんは、いつもより『薄い』気がした。まるで、そこにおるのに、おれへんみたいな……。せやから、ウチは思わず言ってもうた。「……自分、せっちゃんとちゃうやんな?」「え?」しもた、とは思わへんかった。だって、ウチがそう言ったら、せっちゃん一瞬驚いた顔したけど、すぐにお面みたいな無表情になってもうたから。つまりこのせっちゃんは、自分が偽物やってことを、否定せえへんかったんや。「誰やのん? 何でせっちゃんとそっくりな格好しとるん?」「…………」な、何?せっちゃんのそっくりさんは、ウチが何を聞いても答えてくれへんかった。まるで、ロボットみたいに、瞬きもせず、ウチのことをじぃっと見つめるばっかりで。ウチは薄ら寒くなって、思わず後ずさってた。「……な、何? 何やの、自分は……?」「…………」―――――すっ……「っ!?」わ、わわっ!?ウチが一歩下がると、せっちゃんのそっくりさんは、それを追いかけるようにして右手をウチの方に伸ばして来た。な、何やのん? 顔は、せっちゃんそっくりなのに、この人……何や、怖い……。ウチはそこから動けんようになってもうて、けど怖いのから逃げたくて、目をぎゅって瞑った。……だ、誰か助けてぇな!?心の中で、そんな風に叫ぶ。怖くて、実際に口にすることはでけへんかったから、ウチは一生懸命祈った。……明日菜っ、せっちゃんっ!!頼りになる友達の思い浮かべる。そっくりさんの手は、もうすぐにウチに届きそうやった。―――――コタ君っ!!!!その瞬間……。―――――ザシュッッ……「!?」鋭い風がウチの前を通り過ぎて、そっくりさんが息を呑んだ気配が伝わってきた。……ホンマに? ホンマに来てくれたん……?ウチが目を開けると、そこにはいつも通りの学ランをなびかせる、頼りになる広い背中があった。「―――――木乃香には、指一本触れさせへん」SIDE Konoka OUT......影のゲートを木乃香の影に対して発動させた。気が動転していて、自分がこれを使えることを今まで忘れてるなんてな。まだまだ未熟ってことか……。しかし、反省は後にしよう。俺はすぐさまゲートを通り抜け、木乃香の前に姿を躍らせた。「!?」グッドタイミング俺。ゲートの先では、今まさに、刹那のパチモンが木乃香に手を伸ばそうとしている瞬間だった。ありふれた方法で騙された俺自身の怒り。刹那の姿を侮辱された怒り。そして、木乃香を危険に曝したことへの怒り。全てを叩きこんで、俺は問答無用、奴が伸ばした右手を影斬丸で斬り飛ばした。「木乃香には指一本触れさせへん」木乃香を庇うように立ち、敵に剣先を突き付ける。右腕を斬られたと言うのに、そいつの腕部、斬られた断面からは1滴の血すら零れなかった。それどころか、斬られた右腕の方は、すぐにただの小さな紙切れに姿を変えてしまった。……こいつ、やっぱり……。「自分、式神の類やな?」「…………」刹那のパチモンは、俺の問いに答えはしなかったが、まず間違いないだろう。そして、この式神の術師はかなり性格が悪いに違いない。俺を騙せるほどの演技を、この式神に仕込んだのだ、時間もそれなりにかけたのだろう。そこまでして人をおちょくる根性がまず気に入らない。あの憎たらしい男を彷彿とさせるからな。だからこそ、俺はこの式神が、余計に気に入らなかった。「こ、コタ君っ!? そ、その人の手ぇっ……」「説明は後や。安心しぃ、こいつは人間やあれへん」「にん、げんと、ちゃう……?」俺の背中に隠れて、木乃香が不思議そうな声を上げていたが、今はゆっくり話している場合じゃない。この式神、完全に戦闘用ではないようだが、逃がすと必要以上にこちらの情報を敵に渡すことになる。下手な危険を招くより、ここで還してしまっておく方が吉だろう。そう思い、影斬丸を握る右手に力を込めた瞬間だった。「…………っ」「あ、コラ待てっ!!」式神は踵を返すと、脇目も振らずに逃げ出した。慌てて追いかけようとする俺だったが、それよりも早く。―――――ざしゅっっ「なぁっ!?」式神は頭から真っ二つに切り裂かれた。「……よりにもよって、私の姿でお嬢様をかどわかそうとするとは……万死に値しますね……」めっさ黒いオーラを纏った刹那さんの手で……。つか、刹那さん怖っ!?俺に殺気が向けられている訳でもないのに、何だこの寒気!?ま、また腕を上げたな……。俺達に気付くと、刹那はさっきのパチモンと同じように、脇目も振らずに駆け寄って来た。「お嬢様っ!? お怪我はありませんかっ!?」「へっ!? う、うん、ウチは大丈夫。コタ君に助けてもろたから」こんな状況だと言うのに、木乃香は刹那の問いにほにゃっ、とした笑みでそう答えていた。しかし……。「自分、どうやってここに来たんや? ついさっき電車や、って言うてたんに」俺みたいにゲートが使える訳じゃないから、そんな簡単に駆けつけれるような距離じゃないと思うんだが。さっきの迫力と、夕凪をきちんと所持していることから、この刹那は間違いなく本物だろうが、そのことが余計俺の疑問に拍車を掛けていた。「小太郎さんの様子が尋常じゃありませんでしたからね。友人に頼んで、迎えに来てもらいました」「友人……?」ゲートが使えるような友人なんて、刹那に居ただろうか?それこそ、全開状態のエヴァなら、その程度お安いご用だろうが……。そう思っていると、俺の後ろにすっと現れる気配を感じた。「長距離用転移符3枚、計600万。これは学園長にでもツケておくとしようか?」そう言って、ニヒルな笑みを浮かべる長身に褐色の肌を持った女性。あー……そういや学園祭編でそんなもん使ってたな……。そこに立つのは、凄腕スナイパーこと、龍宮 真名だった。なるほど、確かに彼女ほど頼れる助っ人もいないか。おかげで式神を逃がさずに済んだのは行幸だった。刹那が斬り捨てた紙片から、相手の情報が引き出せるかも知れないしな。「な、なぁせっちゃん。これ、一体何が起こっとるん? さっきのせっちゃんのそっくりさんは何やったん?」「え!? そ、それはその……話せば長くなるのですが……」「話は後にした方が良いだろう。今は、彼女の安全を確保することが最優先だ」3人がそんな会話を繰り広げているのも余所に、俺は刹那が斬り捨てた紙片へと歩み寄り、それを拾い上げた。「っ!? この筆跡は……」そして表情を凍りつかせる。斬り捨てられ、真っ二つになっていはいたが、俺はその癖のある文体に、確かな見覚えがあった。一瞬、ミミズがのたうち回ったようにしか見えない、稚拙な文字。その下手くそな文字を、俺はこの4年半、片時も忘れたことなどなかったのだから。『わおーん!! わおーん!!』再び、俺の携帯が鳴った。液晶表示を覗くと、そこには麻帆良学園と記されている。恐らく学園長だろう。俺はすぐに通話ボタンを押した。『もしもし、小太郎君かの?』「おう、そっちは学園長で間違いあれへんな?」『うむ、刹那君に連絡を受けての。今そちらに動ける魔法先生を何人か向かわせ取るところじゃ』春休みのように、真剣な重みのある雰囲気が、電話越しにでも伝わって来る。本当、昼間のボケた老人と同一人物とは思えないな。「あー……それはとりあえずもう必要あれへんわ」『何じゃと?』「木乃香に近づいた式神は、刹那が還した。木乃香もちゃんと保護しとる。今から回収した紙片と木乃香を連れてそっちに向かうわ」『うむ、了解した。くれぐれも気を付けるんじゃぞ?』「分ぁっとる。……それと爺さん、巡回中の魔法先生、生徒に連絡して欲しいことがあんねんけど』もし、相手が俺の考えている通りの相手だとしたら、相当厄介なことになる。『何かの?』「ホシに遭遇したら、召還系の魔法は一切使わんこと。式神なんて持っての外や、ってな」『……犯人に心当たりがあるようじゃの?』さすが学園長。俺とのやりとりで、すぐそれに思い当ったか。しかし、心当たり、というのはいささか違うな。何故なら、俺はこの一連の騒動の犯人に確信を持っていたから。道理で式神の使い方がムカつくはずだ。これは昔から、俺をからかっていたあのクソ野郎の手口ではないか。電話越しの学園長に対して、俺は重々しく、その名を告げた。「――――――――――ホシの名は、犬上 半蔵。……俺の、父親違いの兄貴や」そう、俺の家族を全て奪い、俺に影斬丸を託した最悪の敵。必ずその喉笛を食い千切ってやると誓った、俺の仇敵。この一連の騒動は、全て奴が起こしたものに相違なかった。