「小太郎さん、こちらに来る前に、私は一度問いかけましたね? 何をしに、麻帆良に行くつもりか、と」「……そ、そう言えば、そんな気もするなぁ……」場所はエヴァの別荘。何故か俺はご立腹な様子が全開だと、すぐに見て取れる刹那さんの目の前で正座をしていた。いや、画面越しだと分かんないだろうけど、この圧力は半端じゃないのよっ!?着実に刹那は力を付けていることの表れなんだろうけどさ。あの妖怪と対峙してた時を思い出すレヴェルですよっ!?本当、何であんときの手合わせで俺が勝てたのか謎だ……せっちゃんに限って手を抜いてたなんてことはないと思うけど……。「……おーい? いい加減話はまとまったかー?」「あ、すみませーん! もう少しかかりそうなので、先にお食事されててくださーい!!」「おー」遠くに用意されたテーブルから、そう呼びかけるエヴァに対して刹那がそう答える。……そうか、まだかかるのか。かちゃかちゃと、茶々丸がエヴァの昼食を用意している音が聞こえてきて、俺の感じているもの悲しさはピークを迎えようとしていた。……はぁ、どうしてこんなことになったのか……。俺は今日一日に起こった出来事を、頭の中で振り返ることにした。7月の第1週。祐奈との勝負以来、操影術の稽古はあれだけ足踏みしていたのが嘘のように、軽快にステップアップを積んでいる。『影の鎧』や『黒衣の夜想曲』なんて言われると、さすがにまだ無理だが。『魔法の射手・影の矢』や影の捕縛結界なんてものは、無詠唱で発動できるほどに俺の腕は増してきた。それに合わせて、当初の目論見だった、俺の魔力に関しても大分引き出せるようになってきている。まだその全てを引き出せているとは言い難いが、タカミチの助言は概ね的を射ていたと言って良いだろう。獣化の連続使用時間なんて、驚くほどに伸びたからな。具体的には、1回の戦闘中なら、持続して使い続けられる程度にはなった。……咸卦法? んな簡単に体得出来たら、タカミチはあんなに老けてねぇよ!!そんなこんなで、新しい技術、新しい戦術を獲得した俺。覚えてしまったら、それを実践形式で試したくなってしまうのが、戦闘狂たる俺の性な訳でして……。そんなことを容易に頼めるのは一人しかおらず、俺は迷うことなく刹那に手合わせを申し込んだのだった。返事は二つ返事での了承。麻帆良に来て4ヶ月余りが過ぎようとしているが、彼女との手合わせは4月の1度しか出来ていない。彼女もそろそろ、自分がこちらに来て、更に磨きをかけた腕を試したくてうずうずしていたのだろう。そのチャンスをふいする謂れは全くと言って良いほどなかったに違いない。そうなると、残る問題は闘いの舞台だけで……。俺は迷わず彼女の家を訪れていた。「……半ば私物化されてないか?」「気のせいや」そうぼやくエヴァに、俺は光の速さでフォローを入れておいた。そして、今回何より驚いたのは、エヴァの家に、ついに彼女が現れていたことだった。「……絡繰 茶々丸と申します。以後お見知りおきを……」エヴァの従者にして、麻帆良工科大等々の工学系サークル、及びネギクラスの頭脳、超鈴音&葉加瀬聡美が誇る科学技術+αの結晶。ガイノイド・絡繰 茶々丸はいつの間にやら既にエヴァのもとで元気に給仕を行っていた。もちろん、初期のメカメカしい関節やら表情やらは、如何ともし難いのだろうが、それでも実際に動いている彼女の動作は、人間と遜色ないほどに洗練された動きだった。HO○DAにSO○Yも真っ青だね☆「こっちこそ、よろしゅうな? あ、俺のことは小太郎で構へんで?」「はい、小太郎さん。マスターから、お話は伺っております」「は? エヴァから? そら、殊勝なこともあったもんやなぁ……」「ええ、『身の程を知らない駄犬』だと……」「……んなことやろうと思ったわ」「???」脱力した俺の様子に、茶々丸は不思議そうに首を傾げていた。あーアレかな? 葉加瀬が作ったってことから考えて、おそらく彼女にはアイザックアシモフの提唱した、ロボット三原則が登録されてはいるのだろう。他にも倫理的なこと、善悪の判断基準など、データ的には多くのことが彼女には知識として存在している。しかしながら、起動して間もない彼女には、会話レベルでの相手に対する気遣いや、ちょっとした感情の機微を図るための経験が不足しているのだろう。まぁ0歳児だしねぇ……あれ? これって何かメチャクチャ調教し甲斐がありませんこと?お、おじさん年甲斐もなく興奮しちゃったよっ!!!?……なんて余談はさて置こう。とりあえず、ここら辺では刹那の逆鱗を逆撫でするようなことはなかったはずだ。エヴァのログハウスに来た時に、「いっ、いつの間にエヴァンジェリンさんとそんな親密な関係になったんですかっ!!!?」とか喚いてたが、それは気にしない方向で。で、その後は予定通り、彼女と手合わせを行った。結果は引き分け。影の矢と捕縛結界には相当面喰らってたんだが、前回の狗音影装のことが余程頭に残っていたらしい。新技術に驚く刹那、その隙を突こう躍起になる俺、そこにカウンターを用意する刹那、それをギリギリで凌ぐ俺、という感じで勝負は平行線。残念ながら、昼時になったため手合わせはそこで幕引きとなってしまった。まぁそのまま続けても良かったんだが、何度か妖怪化を余儀なくされかけた刹那が、エヴァの目を気にしてたみたいだし。その隙を突くのはフェアじゃない気がしたんだよな。んで、手合わせ終了後は、俺たちの中で定着している、お互いの腕についての品評会となった。今回はスーパーバイザーとしてエヴァを迎えた特別編だったが。「しかし、あの結界には驚きました。前回の影槍牢獄とは違って、直接四肢を絡め取るなんて……」「ふんっ、操影術では初歩の初歩だ。あの程度出来たところで自慢にはならんさ」「はっきり言うてくれるな……結構苦労したんやで?」「操影術? では、アレは西洋魔法……も、もしやエヴァンジェリンさん、小太郎さんに魔法の手解きを?」「いや、私じゃないさ。この駄犬は、こともあろうに私に師事することを拒みおったからな。この身の程知らずめ」「そ、その話はちゃんと言うたやないか? 改まって習うんは性にあわへんねんっ」「ふんっ……」「で、では、小太郎さんは、どなたに魔法を?」「あー、何と言ったか? タカミチの紹介で……女子部の3年だったか?」「高音や。高音・D・グッドマン。見習いにしちゃあ、まぁ一流やと思うで? 魔法生徒の中やと群を抜いとるんちゃうか? あとめっさ美人」「……そんなところばかり見てるようじゃ、貴様も底が知れたな」「いや、しゃあないやん? 男としては重要なところやで? ……ん? 刹那、どないしたん? 何か震えてへん?」「……また、ウチの知らんところで、知らん女と……それも、めっさ美人やなんて……」「せ、刹那さん? おーい? もしもーし?」「っ!?」―――――ばっ、じゃきっ「ひぃっ!? な、なななななんやぁっ!? 気でも違たかっ!?」何を血迷ったのか、刹那は急に立ち上がると、俺の首筋に夕凪を突き付けていた。な、何というスピード!? こ、この俺が目で追えないなんて!!!?刹那はいつぞやのように、目の色が反転してしまいそうな迫力で俺を睨みつけると、こう一喝した。「……もう堪忍袋の緒が切れました。今日という今日は、その曲がった根性を叩き直して差し上げます!!!!」何の話やねん……。「……」だ、ダメだ。思い返しても、全くと言って良い程、刹那の怒っている意味が分からん……。何だ? 一体何が彼女の地雷を踏み抜いたというんだ!?「……マスター、お食事中に申し訳ございません。よろしいでしょうか?」「はぁむ、むぐむぐ……ん? どうした?」「何故、桜咲さんは、小太郎さんに腹を立てているのでしょうか? 先程のマスターたちの会話文章を、文節・単語レベルで分解、分析を行いましたが、小太郎さんに桜咲さんの不孝を買うような発言は見られなかったという結論に至りました」「……まぁ、ときに感情とは、そういう物差しで測り切れないものだ。今日のあの二人のやり取りを見ておくと良い。良い勉強になるはずだ」「??? ……イエス、マスター」俺の狗族クオリティな耳に、二人のそんなやり取りが聞こえて来る。つかエヴァさん、刹那の怒りの理由が分かるなら、助け舟くらい出してくれ。そろそろ空腹も相まって泣き出しそうだ。「小太郎さん? 人の話を聞いていますか?」―――――ぺちっ、ぺちっ「ひぃぃぃいっ!!!? 聞いてるっ!! むっちゃ聞いてる!!!! せやからっ、その刃ぁで頬ぺちぺちするの止めてぇなっ!!!?」キャラクターがおかしいぞ刹那ぁっ!?俺よりお前の方がしっかりしろぉっ!!……なんて言える筈もなく、俺は彼女の話を一語一句聞きもらさずに聞くべく、居住まいを正すのだった。「まったく……良いですか? あなたは、まず到着初日から、護衛対象であるお嬢様に不必要に近づきすぎなんです」「う゛……それは、まぁ……お節介やったかな、て反省はしとる」どうやら、刹那はここぞとばかりに俺に堪っている不満不平をぶちまけて行くつもりらしい。これは、本当にしばらくかかりそうだ……。ともかく、俺の罪状の一つはそれのようだ。しかし……他に何かあったっけ?「それどころか、お嬢様のルームメイトとまで必要以上に親密になって……」「そ、それは関係あれへんとちゃうん?」―――――ぺちっ「な、何でもありません!!」「ただでさえ、我々は任務の都合上、また魔法の隠匿という観点から、悪目立ちすることを禁忌とされているのに……女子部であのように騒いでは良い訳のしようがないはずですが?」「おっしゃる通りですっ!!!!」下手に頷くと、リアルに夕凪で頬を斬りそうだったので、俺は全力でそう答えていた。とゆーか、そういう言われ方してしまうと、間違いなく俺に非があるしね……。「悪目立ちと言えば、その後にもお嬢様たちと親しげに喫茶店で談笑などして……」「そ、そこもきちんと見てたんかい……」いや本当どこから?俺の嗅覚で察知できないのって本当大事よ?しかも、俺はそこでは騒いでないし。騒いでたのは、むしろ俺たちの後ろの客だったし!!「……ま、まぁ、あんとき聞けた、小太郎はんの本音は、ちょっと……いや、かなり嬉しかってんけど……」「へ? す、スマン、ちょっと聞き取れへんかった」「こ、こほんっ……な、何でもありません!! それより、問題はその後です!! ただでさえ、必要以上に荒事を起こしてたせいで、高畑先生に釘を刺されていたにも関わらず、また喧嘩をしてっ!!」うぐっ!?そ、それを言われると辛い……。亜子に手を出されてカチンと来てしまったが、やりようはいくらでもあった気がするし。必要以上にことを荒立てたことは、間違いなく俺に責任があった。「……しかもそれが、女の子を助けるためっちゅうのが腹立つわ……そ、そりゃあ、不良をこらしめる小太郎はんは、格好良かってんけど……」「え? ほ、ホンマ、何回もスマン。ま、またちょっと聞き取れへんかってんけど……」「こ、こほんっ……何でもありません!!」せ、刹那さんさっきからそれが多い気がするんですが……?「その後のエヴァさんの護衛に関しても!! 一命を取り留めたものの、あと一歩で死んでしまうところだったじゃないですか!?」「ま、まぁ、そりゃあなぁ……」「……女の子と聞いたらすぐそうやって良い恰好しようとするんやから……」「へ?」「っ!? こほんっ!! ……まったく、他人のことを思いやることは良いことですが、それでは小太郎さんの身がもちませんし、何より、麻帆良に来た本来の目的を忘れて、女生徒と親しくなり過ぎです!!」「……」と、とりあえず、話をまとめると……刹那が俺に立腹な理由は、女遊びが過ぎるってことに関してで、おk?けど、俺からすると、まだネギクラスの中には知り合っていない生徒もいるし、必要以上に仲良くなったやつなんていない、ってのが本音なんだが。女遊びというには、随分可愛いレベルだと思う。それに、俺は長から麻帆良の警備員として派遣された訳で、エヴァに一見然り、その任務はきちんと全うしてる気がするんだが?「スマン、結局何が悪いんか分からんのやけど?」「何でやねんっ!?」おお! 刹那の素が出るの久しぶりにみた気がする。つか、そんなに驚くことじゃない気がするけどなぁ。「女遊びが過ぎる言うたかて、別に友達以上の関係になったやつがおる訳や無し、麻帆良に来た目的、警備員の任務かてちゃんと全うしとるやんけ?」「ぐっ!? ……た、確かにそうなのでしょうが……そ、その、ともかくっ、女の子のために自分の命を危険にさらしたりせず……もっと自分のことを省みてですね……」「無理や」なおも食い下がる刹那に、俺はそう言い切った。自分の身を大切にしろ、というのは、俺の生き方には余りに反する訓示だ、とてもじゃないが受け入れられない。「なっ、何でそんなに迷いなく言い切るんですかっ!?」「いつか言うたかもしれんけど、俺にとっちゃあ、命は強くなるための道具でしかないねん。それに、俺は一度護りたかったもんを、護らなあかんもんを護りきれへんかった……あんな悔しい想いは二度とごめんや」あの燃え盛る故郷を、響く悲鳴を、憎たらしい男の嘲笑を、忘れたことなど一度たりとてない。俺はもう二度と、喪うのはごめんだ。だからこそ、この命を捨ててでも、護りたいものは護り抜いて見せると、あの夜に誓った。「せやから俺は、自分の命なんて惜しない。大事なダチに危険が迫っとんなら、この命を捨てでも助けに入る。それは絶対に曲げられへん、俺の信念や」「小太郎さん……」はっきりと言い切る俺に、刹那は何故か俯いてしまった。「……やん」「ん? 何やて?」「……そんなん、小太郎はんの自己満足やんっ!!」目尻に涙を浮かべて、刹那はそう訴えた。いつも気丈に振る舞う彼女が、涙を浮かべたところなど、あの夜以外に俺は目にしたことがなかった。いったい、どうして……?「小太郎さんはいつもそうや……一緒に強ぉなろう言うたんに、勝手に自分ばっか強ぉなって、いつもいつも、誰かを護ることばっかりで、一緒に闘おうとはしてくれへんっ!!」「っ!? や、やけどそれは……」喪わないため、彼女たちを傷つけないため。しかし、俺はそれを口に出来なかった。何故なら、それこそ、俺の自己満足ではないのかと、そう思ってしまったから。「ウチは、小太郎はんの隣におりたくて強ぉなった!! このちゃんを護れるように、努力した!! やのに、小太郎はんはいっつも遠いとこばっか見とる……一度も、ウチのことなんて見てくれたことあれへんやんかっ!!」ぽろぽろと、刹那の黒い双眸から、大粒の涙が零れ落ちた。そんなことはない、俺はお前のおかげで、ここまで強くなることが出来た。お前との4年間があったから、俺はこうして、あの一夜を生き残ることが出来た。しかし、俺はその言葉を告げることが出来ないでいた。そう、確かに彼女の言う通りなのだ。俺の目指す先にはいつも……。『―――――自分がつよぉなるのを、首をながぁくしてまっとるさかい』―――――あのクソ兄貴がの姿があった。もちろん、俺は復讐のために強くなると誓った訳ではない。それは違えようの無い、俺の信念。しかし、俺を、俺の強さを作り上げた要素に、あの男の存在は間違いなく大きな影を落としている。だから、刹那の言葉、その全てを否定することは出来なかった。「何でなん? ウチは、小太郎はんに……小太郎はんと一緒に闘いたいっ!! 護られてばっかりの、弱い女の子やないっ!!」「刹那……」そんなこと、俺はとうの昔に知っていた。逆に俺は、今の彼女のように、いつか彼女たちの隣に立てる、そんな男になりたいと願っていたはずだ。だというのに……一体どこで、俺の道は違えてしまったんだろうな。「その辺にしておけ、桜咲 刹那。大体、最初と論点がズレているじゃないか」「へっ!? あ、え、エヴァンジェリンさん……」いつの間にか、食事を終えたのだろう、エヴァが刹那のすぐ近くまで歩み寄っていた。涙で表情をぐしゃぐしゃにしていた刹那に、エヴァは一枚のハンカチを渡すと、そのままずかずかと、未だに正座する俺の目の前へやってきた。「さて小太郎、桜咲 刹那の言葉は何とも青臭く、聞き苦しいものではあったが、あれはあれで的を射た斬り返しだったとは思わんか?」「……そんなん、思わへんかったら、とっくに言い返してるわ」悔しさを滲ませて言う俺に、エヴァは満足そうに底意地の悪い笑みを浮かべた。「貴様の信念はいずれ、人を泣かせることになる。命を捨てでも護るだと? そんなもの、護る側の勝手な理屈に過ぎん」「……」「それに貴様は、自己を犠牲にすることで、喪う悲しみから自分自身を護っているだけに過ぎないのではないか?」彼女の言うことは、実に的を射ていた。たしかにその通りだ、俺は自分が喪わないようにと、それだけを恐れていた。だから、闘うのなら己一人で良いと、喪うなら、己の命一つで良いと、いつもそう思っていた。しかしそれは、俺とともに腕を磨いた刹那にとって、酷い侮辱に違いなかった。「己を捨てて、他を護り続けた男の末路など、実に惨めなものだ。後に残るのは、周囲が勝手に作り上げたその者の美談と、遺された者たちの悲しみばかりでな」それが、暗に彼女自身の悲しみを指していることは、わざわざ聞き返さなくても分かった。懐かしそうに目を瞑り、エヴァは雄々しく笑みを浮かべた。先程のような、意地の悪いものではない、年長者としての威厳を放つ、強い笑みを。「それでもなお、他者を護りたいと貴様が願うなら、強くなることだ。他も、己も、全て護りきれるほどに強くな」……無茶を言ってくれる。それは、何という茨の道だろうか。それどころか、以前彼女自身が言ったように、道があるかどうかすら危うい到達点。しかしそれを……どうやら俺は、目指さなくてはならないらしい。「……ホンマに、どないせぇっちゅうねん。それこそ、自分みたいに不死でもならなあかんのちゃうん?」俺は皮肉めいた笑みを浮かべて、彼女にそう言っていた。そして彼女も、最初と同じ、嘲笑とも取れる笑みを浮かべる。「ふん、今でも殆ど不死みたいなものだろう?」「どこがやねんっ!?」お前と一緒にすんなっ!!現に一回死にかけて、まる1日昏睡してたの知ってるだろうが!!「良く言う。……肉も骨も、臓腑すら斬り裂かれて、なおも獲物に喰らいつく狂犬が」「む……まさか、自分にまでその名で言われるなんてな……」しかし……狂犬か、悪くない。どの道、その道程は困難を窮めるのだ。狂いでもしなければ、辿り着けはしない。ならば上等。俺はその名の通り、狂犬となってやろうではないか。「見てろや……千の呪文の男すら為せへんかったその高みに、俺は必ず辿りついたる」「ふん、大口を叩いたな……しかしまぁ、期待せずに待っていてやろうじゃないか」満足そうに鼻を鳴らして、エヴァは、顔をハンカチで拭っている刹那へと向き直った。「だ、そうだ。これで少しは気が晴れたか?」「え? あ、う……はい、その、取り乱してしまい、申し訳ございませんでした」本当にすまなそうに、しゅんと項垂れる刹那。そんな彼女にも、エヴァは容赦なく喝を入れる。「全くだ、この未熟者め。泣いてる暇など、貴様に有りはしないだろうが」「ええ、全くおっしゃる通りですね……」しかし刹那は、そのエヴァの言葉に力強い笑みで頷いていた。そう、まるで俺と同じように。刹那は俺に向き直ると、真摯な眼差しでこちらを見据え、宣言した「小太郎さん……私ももっと強くなります。あなたがともに闘うことを認めざるを得ない程に、強く……」「そんなんとっくに認めとるっちゅうねん……これからも、よろしゅう頼むで?」「はいっ!!」俺がそう返すと、刹那は、本当に嬉しそうに、そう笑った。本当、先の祐奈の件と言い、少し子どもっぽ過ぎやしないか、俺?いつも周りのことが見えていないというか、どこまでも自分一人で突っ走ろうとして空回り。いい加減、大人にならなくてはと、つくづく思わされる。大切な物を護るために、大切な人々を悲しませるなんて本末転倒ではないか。その大きな過ちを犯す前に、刹那は、俺にそのことを気が付かせてくれた。……また一つ、大きな借りが出来てしまったな。しかしながら、やることはこれまでと変わらない。俺は今まで通り、己の強さに磨きをかけていくだけだ。ただ一つ違うのは、己の命を捨てる覚悟ではなく、己も大切な人も、必ず護りきる覚悟で臨むということ。何だか、どんどん目標が大きくなっている気がしなくもないが、俺に迷いはなかった。……ただ、一つだけ腑に落ちないことがある。「なぁ、エヴァも論点がずれた言うてたけど、結局刹那は、何に怒ってたんや?」最後まで、その謎は分からず仕舞いだった。「え゛!? ……あー、ま、まぁ、その……す、過ぎたことは良いじゃありませんか?」「良い訳あるかい。こっちは刀で延々頬をぺちぺちされてちびりそうやったんやぞ?」こんな灰色決着、認められるものか。しかし刹那は、愛想笑いを浮かべるばかりで、答えようとはしてくれなかった。「……その件でしたら、私に一つ推論があります」「茶々丸、もう食事の片づけは終わったのか?」いつの間にか近づいて来ていた茶々丸に、エヴァがそう問いかける。「はい。お二人の分の昼食もテーブルにご用意させて頂きましたので、後ほどお召し上がりください」「マジでか? そりゃおおきに。……んで、推論言うのは?」俺は身を乗り出して、茶々丸の答えを待った。いい加減正座を解け? ……うん、タイミング逃した気はしてた。「はい、先程のお二人のやり取りを分析した結果、桜咲さんが小太郎さんに抱いていた感情は『怒り』の中でも『嫉妬』に該当するものだと予測しました」「嫉妬? ……はぁ、どこをどうすればそないな結論に達すんねん」全く的外れな茶々丸の解答に、俺はがくっと、肩を落とした。さっきの俺と刹那のやり取りのどこに、嫉妬なんて言葉が出て来る要素があったと言うのだ。やはり、彼女はコミュニケーションに対する経験が足りていないと見える。「具体的に解説を致しますと、桜咲さんの『あんとき聞けた、小太郎はんの本音は、ちょっと……』」「わーーーーーっ!? わーーーーーっ!!」「うわっ!? な、何やねん刹那!? 急にそんな大声出してからに!?」茶々丸が具体的に説明を開始した途端、急に刹那が両手をばたばたとさせながら大声を上げ、俺と茶々丸の間に割って入った。「ちゃちゃちゃちゃ茶々丸さん!? ど、どどどどどうして小太郎さんも聞き取れなかった台詞をぉっ!?」「私には超鈴音謹製、広域集音マイクが内蔵されていますので、この別荘内でしたら、どこにいても蚊の羽音程の微細な音声まで録音することが可能です」超鈴音謹製て……いや、もはや何も言うまい。しかし、俺も聞き取れなかったということは、刹那が小声でごにょごにょ言ってたときの台詞か?どうやら、そこに刹那の怒りの訳を知る重要なファクターが隠されているらしい。「何やねん、やっぱ重要なこと言うてたんやんか。で? 何て?」「はい。『あんとき聞けた、小太郎はんの本音は、ちょっと……』」「わーーーーーっ!? わーーーーーっ!!」茶々丸が再び話し始めると、刹那も再び大声を上げ始めた。「小太郎さん!! それ以上追及を続けると、小太郎さんを斬って舌を噛みますっ!!」「しっ、心中覚悟っ!? な、何やねん、そげな恥ずかしいこと言うたんか?」「茶々丸さんもっ!! どうかその台詞は忘れてください!! なかったことにしてくださいっ!!」「? 了解しました。記録メディアから音声ファイル、文章ファイル双方を削除します」こうして、刹那の怒りの真相は闇に葬られてしまったのだった。いや、死を覚悟して止められなんてしたら、それ以上追及なんて出来ないでしょうよ?……本当、何で怒ってたんだろうな?「くくっ……青いな。どうせいつかバレることだろうが?」「そ、それはそうですがっ……い、今はとにかくダメなんですっ!!」からかうように笑うエヴァに、刹那が顔を真っ赤にして叫ぶ。ついぞ刹那が怒った理由を知らされることはなく、俺の休日は幕を降ろしていくのだった。