「……何やねん、休日の朝っぱらから呼び出しやなんて……」6月も中旬に差し掛かったとある日曜日。暦の上では梅雨だというのに、今日はあまりの暑さにイラっとするような快晴だった。そんな中、急遽学園長とタカミチに呼び出された俺は、身仕度もそこそこに、わざわざ女子部の校舎まで出向かされていた。いつも以上に厚顔不遜な態度で聞く俺に、タカミチは苦笑いを、学園長はいつも通りの愉快そうな笑みを浮かべた。「フォッフォッ、相変わらず元気そうじゃの。しかし、警備員に課されとる月一回の定例報告を忘れてもらってはこまるぞい?」「ん? ……ああ、そういや、そんなんもあったな」あまりにも意味を感じないんで忘れてた。大体、こんなのわざわざ呼び出してやる意味あるのか?学園長に報告せにゃならんような大事があったなら、それが起こった時点ですでに報告が行くだろうに。先月分のときも思ったが、まったく存在意義が分からん。そんなものに時間を割く前に、俺にはやりたいこと、やらなくてはならないことがたくさんある。「そう邪険にするでない。上に立つとはすなわち人を視るということ。現場からの生の声を聞くのもワシの重要な仕事なんじゃよ」「……ちっ、別に変ったことはあれへんよ。一昨日の放課後巡回で、迷い込んだ狐の妖怪を二匹送り返したったくらいや」もちろん、それだって大した仕事とは言えない。第一、それもタカミチに連絡して判断を仰いだのだ、すでに学園長の耳には入っていることだろう。やっぱり、わざわざ報告をする必要が感じられなかった。「話はそんだけやんな? ほんなら、俺はこれで失礼するで?」「うむ。スマンかったの、休日の朝っぱらから」「……」そう思うなら、次回からこの定例報告自体をなかったことにして頂きたい。「じゃあな」「気を付けてかえるんじゃよ」俺は学園長の言葉に、軽く手を振って答えると、踵を返して学園長室を後にした。SIDE Takamichi......「……ふむ。随分とイラついとるようじゃのう?」小太郎君が出て行くのを見送って、学園長がやれやれと言った風にそう呟いた。どうしたものか、と、自慢のひげを撫でるその姿は、言葉とは裏腹に少し楽しそうに映った。「どうやら、先月から始めている、操影術の特訓が上手く進んでないようでして」「なるほどの。しかしそれは……青春じゃのう」「はい、全く」恐らく、小太郎君はこれまでその才能のおかげで、驚くべき速さでの成長を遂げて来たのだろう。しかし、今は皮肉にも、その才能が、彼の成長を阻む障害となっていた。「さしずめ、今回の操影術は、彼にとって人生初の難題とと言う訳じゃな」「そういうことになるのでしょうね」見習いの身でありながら、制限付きとは言え、狗族の中でも最強に類する妖怪を退け、ときに僕とさえ渡り合うほどの実力さえ発揮する。そんな彼だからこそ、今回、思ったように魔法が使えないことを、人一倍恥ずかしく感じているに違いない。そしてそのことに、焦りばかりが募っていっているのだろう。かつての、僕のように……。「魔法の習得に、焦りは禁物なんじゃがのう。焦燥感は、己の集中力を奪い、更なる泥沼へと彼を誘う」深い溜息とともに、学園長が言った。おっしゃる通り、彼が今の焦燥感を抱えている限り、いつまで経っても、魔法の習得にはいたらないだろう。しかし……。「賢しい彼のことじゃ、いずれそのことにも気付くじゃろうて」「ええ、僕もそう信じています」そして、そのことに気が付いた時、彼は今より、一回りも二回りも強い力を手に入れるだろう。大切な仲間を、守るために。これは、僕もうかうかしていられないかな?「……口元が緩んでおるぞ?」「おっ、と……ははっ、どうやら、僕も随分彼に毒されてしまったようですね」慌てて、口元を押さえた。手合わせをする度に、新しい技術を身に付け、そして必ず、前よりも強くなっている。そんな彼と手合わせをすることを、最近では楽しみにしている自分がいた。彼の直向きさや、強さに対する、驚くほどの貪欲さは、僕に久しく忘れていた、強くなる喜びを思い出させてくれる。忙しい仕事の合間を縫って、鍛錬の時間を増やしたのは、他でもない、彼がここに来てからだ。こういうところも、彼の人を惹き付ける魅力なのだろうか。だとしたら……。「……本当に、彼にそっくりですよ」「同感じゃな」味方も他人も、ひっくるめて救おうとした、強い背中を思い出す。小太郎君と出逢ってから、本当に良く彼のことを思い出すようになった。もちろん、今までだって、彼のことを、彼らのことを忘れたことなんてなかった。いつまでも、彼らは僕の憧れであり、大きな目標だったから。しかし、小太郎君が思い出させてくれるのは、そういった彼らの強さばかりではない。ちょっとした日常の、ありふれた光景や、彼らの優しさを痛感した、そんな出来事まで。「やんちゃが過ぎるところまで、昔のナギを見ているようじゃよ」「それは……何となく、分かる気がしますね」気に入らないことは気に入らないと、はっきり口にする人だったからなぁ。今の小太郎君が、僕らに対しても対等にものを言う様は、彼の幼少時代を知る学園長にとってはとても懐かしいものなのだろう。口では愚痴を言いながらも、その表情は、とても楽しげだった。「……彼なら、そう遠くないうちに、ナギに追いついてしまう気さえするのう」「ええ……彼なら、きっと」だからだろう、つい過剰な期待をしてしまうのは。しかしそれは、他でもない、彼自身が望んだ目標に違いなかった。――――――――――負けるんじゃないぞ、小太郎君。僕はそう、心の中で彼の健やかな成長を祈った。SIDE Takamichi END......女子部の校舎を後にして、俺は一人女子高エリアの駅へと向かっていた。予想外のことに時間を取られてしまったからな。早く帰って、鍛錬の続きをしないと。その鍛錬とは、先月から始めた、操影術の鍛錬に他ならなかった。既に高音に稽古を付けてもらうようになってから、3週間余りが経過している。だと言うのに、俺は一向に、まともな魔法を、一つとして成功させることが出来ないでいる。そのそもそもの原因は、俺の中に眠っている、バカみたいにデカイ、桁外れの魔力にあった。今でも忘れない、最初に稽古を付けてもらった日の出来事だ。俺は高音に言われて、「火よ灯れ」の呪文を唱えることになった。もちろん、俺も高音も、その程度の初級魔法、成功して当たり前だと思っていた。そして、結果だけを言えば、魔法は問題なく発動した。予想外だったのは、その威力にある。本来「火よ灯れ」の呪文は、ライターや、マッチ程度の小さな火を灯す魔法だ。しかし、思い出して欲しい。原作において、木乃香がヘルマン伯爵の襲撃時に使用した「火よ灯れ」の呪文を。あの魔法は、使用者の魔力を吸って、その威力を増大させる性質がある。俺の魔力を、存分に吸ったその威力はというと……。……一瞬「燃える天空」が発動したかと見紛うほどの大炎上だった。俺の顔や髪を焼いて暴れ狂ったその炎は、高音の使った水の魔法によってどうにか消火された。そのことで、存在が定かでなかった、俺の中に眠る魔族としての強大な魔力は、確かなものになったのだが……。如何せん、その制御は未だ以って、全くと言って良いほどに出来なかった。その後、火や雷の魔法は、危険があるため練習に向かないと判断し、俺たちは主に「風よ」と「光よ」の呪文を用いて練習することにしたのだが……。「風よ」と唱えれば、ハリケーンのような暴風が吹き荒れ、「光よ」と唱えれば、閃光弾が炸裂したかのような、痛烈な光が網膜を焼いた。……俺は生物兵器か?ま、まぁ、魔法使いはそれだけで生物兵器なんて揶揄されるんだから、目指しているところとしては間違っていないんだろうが……。このままでは、自分の魔力が暴発して死んでしまう。しかしながら、未だそのバカ魔力を制御する術は、その糸口すら見つかっておらず、焦燥感ばかりが募っていた。高音は「最初だから仕方ありませんよ」なんて励ましてくれるが、俺には、こんなところで立ち止まっている暇なんてない。『―――――俺を失望させてくれるなや』―――――あのクソ兄貴に追いつくためにも。時間は奴にも平等になったのだ。燃え盛るあの日よりも、奴は強大な力を手にしているに違いない。だから、俺はより多くの力を得る必要がある。もう何も、喪わないために。とは言ったものの、本当にどうすれば……。「……こーたーろっ!!」―――――べちんっ「あいたぁっ!?」な、ななな何やとぉ!?お、俺に気付かれずに背後をとるとは、何処の刺客だっ!!!?……なぁんて、ね。分かってるよ、俺が油断してただけだって言うんだろ? 言って見ただけじゃん。しっかし……ダメだな、一般人にここまで接近されるまで気付かないなんて。戦場なら今ので死んでたぞ?俺は叩かれた背中をさすりながら、肩越しに襲撃者の顔を覗き見た。「よっ☆ 春休みぶりかにゃ? 元気してた?」「……祐奈かいな」悪びれた様子もなく、祐奈は元気よく、俺にそう挨拶をした。「女子校エリア(こんなとこ)で、朝っぱらから何してんのさ?」「例により、学園長から呼び出しや」「何、また何か悪さしたの?」「……人を近所の悪ガキみたいに言うなや」人聞きが悪い。それじゃあ俺が、喧嘩ばっかりしてる不良のようではないか。……あれ? あながち間違ってないじゃない……。「自分こそ、今日はどないしてん? 部活は?」見ると、祐奈は半袖ジャージの上下にスニーカーというラフないでたちで、肩にかけた鞄は不自然に膨らんでいることからバスケットボールが入っていることが予測される。部活に行くとしたら、制服で行くはずなので、今の彼女の恰好だと、彼女が何をしているのか判断はつかなかった。「今日はお休み。けど試合が近いからさ、今から近くの屋外コートで自主練さっ!!」ででん、と、効果音が付きそうな勢いで、胸を張る祐奈。……他意はない、本当に他意はないんだが……この時は、まき絵たちとそんなに変わらなかったんだな……。「……ん? んんー???」突然、妙な声を上げながら祐奈が俺の顔を覗きこんできた。「な、何や何や? 俺の顔に何かついとるんか?」朝食の食べ残しでもついてたか?慌てて口元に手をやったが、何が付いているということもなかった。「にゃるほど……そういうことか……小太郎、今日暇?」……お願いだから、少しは人の話を聞いてください。俺の質問に答えることなく、祐奈はあけすけにそんなことを聞いてきた。「まぁ、特に用事はあれへんのやけど……」よりによって今日、ときたか。祐奈とは中々会うこともないから、遊びの誘いとかだったら、余り無碍には断りたくないんだが。今は、そんなことに時間を割いている余裕が、俺にはなかった。「だったらさ、これから私と勝負しない? 負けた方は、今日の昼飯おごりで!!」びっ、と俺に人差し指を突き出す祐奈。勝負、という言葉に、身体がぴくっ、と反応したが、今日ばかりはそれに応じる訳にはいかない。「せっかくのお誘いやけど、今日は……」「あっれぇ? もしかして、この祐奈様に負けるのが怖いのかにゃ~?」「……何やて?」あからさまな挑発の言葉を告げる祐奈、普段なら容易に聞き流せたはずのそれに、鬱憤の堪っていた俺は、図らずも乗せられてしまっていた。「上等や。麻帆中の黒い狂犬がどんだけ恐ろしいもんか教えたる」「おおっ、ノリが良いねぇ。そういうの嫌いじゃないよ。それじゃ1on1の5本勝負ね? オフェンスを5本ずつやって、最後に点数が多い方の勝ちってことで」「分かりやすくてええな。すぐに吠え面かかしたる」「ふふん、そう簡単にいくかにゃ?」不敵な笑みを浮かべる祐奈に先導されて、俺たちは屋外コートへと向かうのだった。「……よっ!!」「っ!? しもたっ!!」右と見せかけて左に、鮮やかなドリブルで颯爽と俺を抜き去っていく祐奈。しかし、そう簡単に抜かせるものかっ!!スピードなら俺の方が上、俺は彼女に置き去りにされるよりも早く、その前に再び回りこんだ。「おそぉいっ!!!!」「んなっ!?」しかし、俺が回り込むのとほぼ同時、祐奈はこれまた綺麗なジャンプシュートを放っていた。慌てて上に手を伸ばしたが、彼女の放ったシュートは打点が高過ぎて、俺の手は虚しく空を切るばかりだった。―――――がんっ、くるくる、すぽっ「……っしゃあーーーーーっ!!!!」「ちっ……」ボールは、リングに一度跳ねた後、そのリングを二周してから、静かに網の中へと落ちて行った。五回表、祐奈の攻撃が終わって、得点は8対6で俺の負け越し。次のオフェンスで、俺がゴールを外す、或いは祐奈にカットされれば俺の負けが決定する。いくら気も魔力も使えないにしても、ただの一般人、それも女にまっとうなスポーツでここまで追い詰められるなんて……。最低のシナリオを演じてる気分だ。魔法の修行ばかりで、格闘や剣術を怠けていた訳ではないと言うのに……。「ふぅーーーー……結構疲れたね。ちょっと休憩!!」「はぁっ!? 休憩て、あと俺の攻撃が一回残ってるだけやんけ!? 何で今更休憩せな……」「もーうっ、男のあんたと違って、私はか弱い乙女なの!! いいから休憩!!」「む……分かった」男女の違い、という部分を傘に着られては言い返しようもなく、俺は静かに彼女の提案を受け入れた。「うむっ。そうそう、気の使えない男はモテないからねー。それじゃ、私は飲み物買って来るから」「おう、気ぃ付けてな」「あははっ、ちょっと自販機に行ってくるだけじゃん?」心配性なんだから、と祐奈は呆れたように苦笑いして、ベンチに置いてあった鞄から財布を取り出すと、小走りで自販機へと駆けて行った。「……あかん、ホンマに調子狂っとるわ」本当、冗談じゃない。本来なら、こんなところでスポーツに興じてる場合ではないはずなのに。挙句、ただの女子中学生に、ハンデ無しの真っ向勝負リードされている始末。どうしてしまったというのだ、俺は……。「……こんなことじゃ、あいつに追いつけへんのに……」こんな状態では、本当に彼女たちを護りきれる訳がないというのに……。快晴の空とは裏腹に、俺の気持ちには暗雲が立ち込め始めていた。そんな風に考えごとに没頭していると、祐奈が戻って来る足音が聞こえた。「おっまたせー。ほい、スポーツドリンクで良かった?」「ん? ああ、おおきに、俺の分も買ってきてくれたんか」慌ててベンチに掛けてあった上着から財布を取り出そうとすると、祐奈は笑いながら、それを制した。「春休みに助けてもらったお礼。そう言えばまだしてなかったしね」「そんなん気にせんかてええのに。第一、あんときはグランドの草抜き手伝うてもろたやんけ?」「まぁ、あれは皆でやったしね。いいから、気にせず受けっとっときなって」「んじゃぁ、まぁ、遠慮無く」俺は彼女の物言いに苦笑いとともに礼を述べて、おもむろにベンチに腰掛けた。水滴が滴るボトルのキャップを捻って、喉を潤す。喉の渇きは癒えたが、一向に気分は晴れそうになかった。そんな俺の隣に、ぴょん、と腰を下ろすと、祐奈は同じようにドリンクを一口あおった。「……ぷはー!! 生き返るねー!!」「晩酌するおっさんかいな……」「む? こんなピッチピチの女子中学生を捕まえておっさんはないっしょ?」自分で言うことじゃないと思う。……はぁ、本当どうしたものかねぇ……。まるで、出口の無い迷宮に迷い込んだかのように、俺の思考は堂々巡りを繰り返していた。「んー……身体動かしたぐらいじゃ、気分転換にならなかったかにゃ?」「は?」今、祐奈は何て言った?「……自分、俺が悩んでんの気付いてたんか?」「ふふん、この祐奈さまを見くびってもらっちゃあ困るぜ?」そう言って、祐奈は悪戯っぽい笑みを浮かべた。いやはや、中学生に見抜かれるほどに、俺はイライラした表情を浮かべていたのだろうか?「そんなに顔に出てたんやろうか……?」「もうただでさえ悪い目つきが、こんなんなってたよ?」祐奈は俺に向かって、両手の人差し指で、目尻をぐいっと引き上げて見せた。いやいや、流石にそりゃあねぇよ。「それにさ、何てゆーのかなぁ……前会った時と、雰囲気が違ったからかな?」「雰囲気?」「うん、前会った時は、何かこう、大人の余裕、みたいのが滲み出てた気がしたんだけど……」ちょ!? ……何気にひやっとすることを言ってくれるな。実際中の人の年齢は、君らより一回り上ですからね……。「今日は、焦ってるっていうか、何か全然余裕がない感じだったから、どうかしたのかなぁ、と思って」「余裕がない……なるほどなぁ……」確かに、今の俺には余裕なんて微塵もない。というか、祐奈がそれを感じ取れることに驚きだが。「で? 何に悩んでんのさ? 相談に乗れることなら、乗ったげるよ?」「んー……そうやなぁ……」祐奈の申し出はありがたかったが、彼女に言ってどうにかなる問題とはとても思えなかった。第一、魔法に関することだ、下手に彼女に教える訳にもいかない。しかしなぁ……祐奈の目の輝きようと来たら「どんと来いやぁ!!!!」と言わんばかりだ。何かしら言わないと、これは納得してくれそうもないし、かと言って、適当な嘘八百を並べたてるのも気が引けるし……。うーむ……どうしたものか。「んー……格闘技、っちゅうか、まぁ集中力ーみたいな話なんやけども……」「あ、やっぱそーゆーのやってんだ? ムチャクチャ強かったもんね」「まぁ、な……それで、新しい技術……闘い方に手ぇ出してんけど、どうも上手く行けへんねん」散々迷った結果、俺は話の核には触れず、自分が今余裕がない理由を話せる範囲で彼女に伝えた。それを聞いて、祐奈はうーん、と首を傾げた後、眉を顰めたまま、こんなことを聞いてきた。「それってさ、いつくらいからやってんの?」「先月やな。大体三週間くらい経ったところや」「……それってさ、そんな簡単に身に付くようなものなの?」「え?」……それは、どうだろうか?確か、ネギの魔法学校は7年課程で、ネギみたいな天才と称される程の才能ある者でも5年と言う歳月を要していたはずだ。一朝一夕で身に付くということは、ないように感じる。「……本来なら、基本から7年くらいかかるらしいな」「はぁ!? な、7年? 小太郎は、それをどれくらいで覚えようとしてるわけ?」どれくらい、かぁ……。そうだな……あの兄貴と闘うのが、いつになるかは分からない。しかし、少なくとも2年後には、彼女たちに危険が及ぶことは間違いないのだ、ならば最低でもあと2年以内に、それ以外にも修行を積みたいと考えれば、最短で半年くらいには操影術を納めたいと言うのが俺の本音だった。「2年から半年やな。もちろん、早ければ早いほどええ」「……あんた、それ無茶言い過ぎ」呆れたように、祐奈は深く溜息をついた。「その新技?がどういうのか分からないけど、普通の人の3倍から10倍以上のスピードでそれを覚えたいなんて、メチャクチャだよ」祐奈の言ったことは、紛れもない正論だった。しかし俺には、それを無理に押し通さねばならない理由がある。無理を押して道理を砕くだけの力を、俺は渇望している。「だったらさ、余計に焦っちゃダメだと思うな」「……何でそう思うんや?」どこか達観した態度の彼女に、俺は思わずそう問い掛けていた。「良く分かんないけど、そーゆーのって焦れば焦るほど、上手くいかなかったりしない? 私も昔さ、似たような経験あるんだ」「それは……どんな話や?」何かヒントになる、とは思わなかったが、俺は彼女が体験した経験とやら気になっていた。「えと、私がバスケを始めたばっかりの頃なんだけど、初めのうちって、どうしてもドリブルとかの基礎練から始まるでしょ?」「まぁ、基本は大事やからな」「それでさ、私もドリブルからスタートだった訳だけど、それが出来たら、次はパスの練習だったんだ」「へぇ……」「ドリブルのテストがあって、それをクリアしたらパスの練習にいけるんだけど、私はなかなかそのテストに合格できなくてさ」そう語る祐奈は、少し恥ずかしそうに舌をちろっ、と出した。見落としがちだが、どんな熟練者でも、必ず駆け出しの時期というものはあったはずなのだ。その時代に、どれだけの下積みを積んだかで、その後、その上達速度は変わってくる。しかし、その渦中にある者は、そのことに得てして気が付かない。祐奈の話を聞きながら、俺はそんなことをぼんやりと考えていた。「周りの友達が、皆合格していく中で、私一人だけが、ずっとドリブルの練習やってるとさ、どうしても焦っちゃってね」「……」「もう寝ても覚めてもドリブルのことばっか考えててさぁ。ご飯も食べずに、遅くまで練習してたり」それは……まるで今の俺のようだと、そう思った。恐らく今の俺を見て、彼女はかつての自分のようだと、同じように感じたに違いない。だからこそ、今回無理やりにでも気分転換をさせようとしてくれたのだろう。俺は押し黙って、彼女の話に耳を傾けた。「それで一回門限過ぎるまで近くの公園で練習しててさ、日も暮れちゃってて、心配したお母さんが迎えに来てくれたの」「……」「私てっきり怒られると思ってさ、けど、お母さんは私のこと怒らなかった。怒らないでこんなことを言ってくれたんだ」「……」「『出来ないことを出来るようになるのは難しくて当然、祐奈は自分のペースで、ゆっくりやってけばいいのよ』ってね」「……難しくて、当然……」反芻する俺に、祐奈は楽しそうににっ、と笑った。「そ。それを言われた時は、本当に救われた気がしたなぁ~。焦ることなんてないんだ、って本気で思えた」身体をぐっと伸ばしながら、懐かしそうに祐奈は目を細める。焦ることはない、か……。「でね、その次の日のテストでは、今まで何回も落ちたのが嘘みたいに、すんなり合格出来たんだ」「そら、良かったやないか?」「うんっ。早く出来るようにならないとって、焦ってただけなんだろうね。だからさ、小太郎も焦ってると、かえって良い結果は出ないんじゃなかな?」「……そうかも知らんな」……らしくもない、意地になり過ぎていたか。楽しそうに微笑む祐奈を見ていると、今まで自分が焦っていたのが、急にバカみたいに思えて来た。言われれば当然だったのだ。人よりも早いペースで物事を進めようと躍起になり過ぎていた。いつも悠々と構えて、自分の好きなように、やりたいようにやるのが、俺のスタンスだったはずだ。何故、そんな簡単なことも忘れていたのだろうか。俺はボトルのキャップを閉めると、すっとベンチから立ち上がり言った。「……もう休憩は充分やろ? 俺のオフェンスが、後一回残っとるで?」「……良い顔になったじゃん」不敵に笑みを浮かべる祐奈。きっと、今は俺も同じ笑みを浮かべていることだろう。彼女からボールを受け取って、俺は静かにハーフラインに立った。「……自分の言う通り、ちっとばかし焦ってたみたいや」―――――だむっ、だむっ、だむっ……ボールを地面と手の間でキャッチボールさせながら、俺は祐奈に言った。「どんなときでも、自分の好きなように、やりたいようにするんが、俺のポリシーやったはずやったんにな」「……そうみたいだね。すがすがしい顔してる」そりゃあ、お前のおかげだよ……。俺は、大きく息を吸い、満面の笑みを浮かべて言った。「せやから、俺はやりたいように、自分らしい方法で勝ちに行くことにするわ!!」―――――だむっ、ぱしっ「え!? 嘘っ!?」「……」俺はハーフラインから一歩も進むことなく、これまでで一番高い打点のシュートを放った。―――――ぱすっ「……うしっ!!」「うっそぉーーーーーっ!!!? す、すすすスリーポイントォっ!!!?」バスケ部員でもない俺が、スリーポイントシュートを放ったことに驚きが隠せない様子の祐奈。俺はもう一度笑みを浮かべて、自分の勝利を高らかに宣言した。「5回裏、8対9で俺の勝ちや。ふふん、言うたやろ? 麻帆中の黒い狂犬を舐めんな、ってな」「く、くっそぅ……こんな奴の心配なんてしてやるんじゃなかったーーーー!!!!」地団駄を踏んで本気で悔しがる祐奈。そんな彼女を見ている俺の気持ちは、さっきまで鬱屈していたのが嘘のように晴れやかだった。そう、何も焦ることなどない。道はまだ長いのだ、少しくらいの寄り道も悪くない。もしこの力を得る前に、彼女たちに危険が及ぶというのなら、今持てる力の全てを賭して、その危険を退ければ良い。エヴァのときだって、そうではなかったか。何を俺は意固地になっていたんだろうな。そのことに気付けた今、先程までのイライラが鎌首を擡げることはもうないだろう。それもこれも、全部祐奈のおかげだろう。幼い日の自分と重ねて、俺の焦りを拭ってくれた、彼女の優しさの。「祐奈」「んー、何よぅ?」未だに涙目で悔しがる彼女に、俺は優しい笑みを浮かべて言った。「おおきに。自分のおかげで、少しは前に進めそうやわ」それは、自分が目指す高みからすれば、ほんの小さな一歩かもしれない。それでも、歩を進めたことには変わりはないのだ。それだけでも、俺にとっては大きな前進に違いなかった。俺の気持ちが伝わったかどうかは定かではない。しかし、祐奈は俺の言葉に満面の笑みを浮かべてくれた。「へへっ……どういたしまして。それじゃ、相談料として、今日の昼飯は小太郎のおごりってことで☆」「はぁっ!? 勝負で負けた方のおごりやなかったんか!?」どんだけ調子が良いこと言い出すんだよ、あんたは……。これは、性質の悪い集りに引っかかってしまったものだ、と俺は内心溜息をついた。「堅いこと言わない!! それじゃ、私着替えて来るから、ちょっと待ってて」「別にそのまんまでええやんけ?」半袖ジャージ、結構可愛いよ?こう、ボーイッシュな感じで。「ヤだよ。汗臭いしダサいじゃん? 大人っぽい顔に戻っても、乙女心が分かってないなぁ」モテないよ、と祐奈は俺に釘を刺すようなことを言って、寮への道を駆け出そうとする。「どうせなら、出来るだけ可愛い恰好して来ぃや」「へ? 何で?」首だけでこちらを振り返り、不思議そうな顔をする祐奈に俺は意地の悪い笑みを浮かべた。「……せっかくの初デートやねんから」「っ!? んな、ななななっ!!!?」ぼんっ、と音がしそうなくらい、祐奈の顔は一瞬で真っ赤になった。「も、もうっ……小太郎のバカタレェっ!!!!」そう、捨て台詞を残して、祐奈は走り去ってしまった。ようやく、いつのも軽口が叩けるくらいの余裕が戻ってきたらしい。顔を真っ赤にした祐奈は、思っていた以上に可愛くて、思い出しただけで口元が綻んだ。「お、そや……『光よ』」近くに誰もいないことを確認して、俺は静かに、その呪文を唱えた。次の瞬間には、いつものように痛烈な閃光が網膜を焼く……なんてことはなかった。「何や……やっぱ祐奈の言うとった通りやんけ……」俺の人差し指の先、蛍の光のような淡く小さな光が、微かな明滅を静かに繰り返していた。【以下、オマケ】予想以上に時間を掛けて戻って来た祐奈は、故意かどうかはともかく、本当にそれなりに可愛い恰好で戻ってきた。多分、19巻辺りで親父さんとデートするときに来てた服じゃないかと思うんだが……。確かアレってかなり気合入れて選んでたよな?も、もしかして……ゆ、祐奈ってば俺に気がある!?「よっしゃー!! 吉牛行こうぜっ、吉牛!!」……こりゃねーな。その可愛い恰好で牛丼はねーよ。こりゃ、たまたまこの服だっただけだな。特に考えての行動じゃなかろう。まぁ、俺もその手のジャンクフード大好きだから良いんだけどさ……。何となく残念な気分になりながら、俺は祐奈に手を引かれて、駅前へと連行されていくのだった。駅前に出て、人通りが多くなった道を、祐奈は相変わらず俺の腕をがしっ、と抱き込んだまま引きずる。そんなことしなくても逃げたりなどしないというのに。「特盛り頼んでも良いよね?」「おま……ちったぁ遠慮ってもんをやなぁ……はぁ。もうええわ、好きにしぃ……」まぁ、エヴァの護衛んときの危険手当のおかげで、金銭的には余裕があるし構わないんだけどね。たださ……運動部とは言え、女の子があけすけに特盛りとか頼むのはどうかと思う訳よ……。「やたっ!! 小太郎、さすが太っ腹だにゃ~!!」嬉しそうに、祐奈はばんばんっ、と俺の背中を叩いた。む、むせるっ!!「こほっ……ホンマ、自分はまだ色気より食い気やなぁ……」「ん? 何か言った???」「何でもあれへん……」きょとん、とこっちを見上げる祐奈は、さっきの達観したような雰囲気が嘘のように、年齢相応で可愛らしかった。いや、まぁ普段からかなり可愛いけどね。武道家気質な刹那、女の子らしい木乃香、元気が有り余ってる明日菜、厚顔不遜なエヴァ、物腰丁寧な高音、なんてバラティに富んだ女性陣と接している俺だが、祐奈みたいなスポーティというか、さばさばしてる女の子との付き合いはなかったからな。これはこれで……こう、新鮮でぐっと来るものがあるよね!!ビバ女の子!!やっぱ麻帆良に来て一番良かったと思えるのは、こういう可愛い子たちと仲良く出来ることだよね!!高音との特訓が始まったおかげで、女の子分が不足してるってことはなかったけど、それでも、たまに他の女の子と話すと嫌でも癒されるもの。「あれ? ゆーな?」「ふぇ?」「ん?」急にそう呼びかけられて、祐奈が立ち止まる。そうなると、彼女に腕をホールドされている俺も立ち止まらざるをえないので、大人しく歩みを止める。声のした方に視線を向けると、そこには見覚えのある顔が、驚いたような、かつ青い顔でこちらを呆然と見つめていた。……OH、こんなこともあるのですね。「おとーさんっ!!」嬉しそうにそう言って、祐奈は抱き込んでいた俺の腕をぽいっ、その男性の腕の中へ飛び込んで行った。いや、別に良いんだけど、この扱いには泣きそうだよ?祐奈におとーさんと呼ばれたその人物には、原作を読んでいたときに見た覚えがある。確か、彼女の父親で、うちの大学部で教授をやってる魔法先生、明石教授だったか?下の名前は知らん。だって原作ですら触れられてないもの!!……なぁんて、メタ発言もそこそこに。しかし、驚いた顔は分かるけど、何で顔から血の気が引いてんだ?祐奈が楽しそうにじゃれついてるのに、心ここに有らずって感じだけど……って、そうか!!……そりゃあ、年頃の娘が男と腕組んで(実際は逃げ出さないようホールドされてただけだが)楽しそうに歩いてたら、そんな勘違いもするわな。恐らく、今の彼の心境としては「ドキッ☆娘のデート現場に遭遇しちゃった☆」ってなところだろう。早めに誤解を解いておいた方が良いかな?「祐奈、その人は?」「ん? ああ、ごめんごめん。ウチのおとーさんだよっ」俺の言葉に祐奈は嬉しそうにそう言った。そう言えば、彼女には極度のファザコンっ気があったな。友達からも「危ないレベル」なんて言われるほどの。言ってみれば、彼女にとっては、世界一大好きなおとーさんなわけで、その紹介を求められたなら、そんな嬉しそうな顔にもなるか。「おとーさん、この人が春休みに言ってた男子部の犬上 小太郎。不良に絡まれてたの助けてくれたって言ったじゃん?」「え? あ、ああ、君が小太郎君かぁ……てっきり娘の彼氏かと思って驚いちゃったよ」祐奈の言葉に、ようやく安心した様子でそう苦笑いを浮かべる明石教授。ん、これで誤解は解けたかな?「初めまして、よろしゅう」「こちらこそ、その節は娘がお世話になったみたいで……」「結局その後俺が助けられてもうたからな、お合いこや」「……いやいや、謙遜することはないよ。春休みの件は、学園長から僕らも聞いているしね。改めて、本当にありがとう、と言わせてもらいたい」そう言って、恭しく一礼する明石教授。祐奈は俺の彼の顔を交互に見比べて、不思議そうな顔をしていた。「何、なに? 小太郎ってば、私たちの他にも誰か助けたの?」「ああ、そりゃあもう命懸けでがんばってくれたんだよ?」「い、命懸け!? こ、小太郎、やっぱすげぇ奴だったんだ……」尊敬の眼差しを俺に向ける祐奈。「ちょ!? ええんか!? 祐奈はあんたの娘やけど一応……」「ははっ……」焦る俺に対して、明石教授はそれ以上は秘密だ、と言わんばかりに、祐奈に見えないよう右の人差し指を口元に当てた。……つか、やっぱ学園長、俺の知らない俺の武勇伝を吹聴して回ってたんかい……。「これからも、ウチの娘と仲良くしてあげてくれると嬉しいな」相変わらずの穏やかな笑みで、明石教授は俺に右手をすっ、と差し出してくれた。「そんなん、お願いされるまでもあれへんよ」俺も笑みを浮かべて、その手をすっと握り返した。その瞬間……。―――――がしっ、ぎりぎりぎりぎりっ「っっ!?」な、何ぃっ!?な、何だこの万力で締め付けられたような圧力は!?あ、明石教授? お、俺いったい何か粗相をいたしましたでしょうか!?更に力が篭りつつある彼の右手に、押しつぶされないよう右手に力を入れながら、俺は彼の顔を恐る恐る覗いた。「……もちろん、友達として、ね……」……うっわぁ☆そこには先程と同じ穏やかな笑みが浮かんでいたが、どういう訳か、彼の背後には鬼神の貌が見えた。あれか、娘も娘でファザコンなら、父親も父親で、大概な親バカというわけか……。つか、明石教授、見かけによらず武闘派だったんですね……。祐奈には分からないだろうが、彼が右手に纏っている魔力はかなりのもので、俺が気付かない程の一瞬でこれを練り上げたのだとしたら、彼は相当の熟練者だ。そう言えば、原作でも武闘派っぽい台詞はあったんだよなぁ。タカミチとネギの試合見て、自分もネギと戦りたくなる、とかなんとか……。って、そんなこと考えている間に、手の締め付けが増してきたんですけどっ!!!?―――――ぎりぎりぎりぎりぎりぎりっっ「……ぐっ、ほ、ほう……噂にっ、違わぬっ、剛腕だねっ?」「……あ、あんたこそ……人はっ、見かけにっ、よらんなっ?」「え? え? な、何か、二人とも、人間の手からはとてもしないような音がしてない?」不敵な笑みを浮かべ、互いの手を握りしめたまま見つめ合う俺たちを、やはり祐奈は不思議そうに見まわしていた。「ふ、ふふっ、ふふっ…………」「は、ははっ、ははっ…………」――――――――――ぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりぎりっっっ結局、俺たちの力比べは、祐奈が空腹の限界を訴え始めるまで、互いに一歩も譲らずに続けられるのだった。