「……はぁ」気が付くと、昨日から溜息ばかりついている気がする。……何でかなぁ? 「明日菜、どうかしたん?」心配そうに私の顔を覗きこむルームメイトに、私は苦笑いを浮かべると、軽く手を振って答えた。「だ、大丈夫よ? ちょっと授業に疲れちゃっただけだから」「あー、明日菜勉強でけへんもんなぁ……」……事実だけど、何か釈然としないわね……。「今日は部活やんな? 帰り、何時くらいになるん?」「うーん……そんなに遅くは何ないと思うけど……帰る前にまたメールするわ」「りょーかい。寄り道せんと帰ってくるんやえ?」まるで母親みたいな物言いの木乃香に、私はもう一度苦笑いを浮かべた。「ほんなら、部活がんばってなー」「うん、ありがと」ほにゃっとした笑顔を浮かべて、木乃香は教室を後にして行った。……木乃香だったら、こんなに悩んだりしないんだろうけどなぁ。つくづく、自分のアマノジャク加減に嫌気がさす。そんなに気になるのなら、昨日あいつの話をちゃんと聞けば良かったのに、頭に血が上って、そんなこと気付きもしなかったんだから。……そう言えば、桜咲さんはあいつの幼馴染だって言ってたわね。あるいは、彼女に聞けば、あいつとあの上級生の関係について分かるかもしれない。そう思って、桜咲さんの席を見る。「……」「……?」一瞬目があったけれど、桜咲さんはいつかのように、軽く会釈をすると、何事もなかったかのように教室から出て行ってしまった。……クールだなぁこうしてうだうだしてても、仕方がない。私は気を取り直して、部活、美術室に向かうことにした。「……はぁ」結局、教室にいた時と状況は変わらなかった。下書きを終えたばかりのキャンバスに向かい、絵具と筆を持ってはいたけれど、私は一向に絵を描く気分にはなれなかった。集中しようと思う度、見知らぬ上級生と、楽しそうに笑っているあいつの顔ばかりが頭にちらつく。本当、私はどうしてしまったんだろう……?昼間の授業の内容も、殆ど右から左に抜けて行っていた。……いつものこと? 大きなお世話よ!?「……はぁ」本日何度目になるか分からない溜息。……それもこれも、全部あのバカが悪いのよ!!私を悩ませていたのは、他でもない、男子部のとある生徒の、とある現場に出くわしてしまったという、昨日の出来事だった。その男子の名前は、犬上 小太郎。私が大嫌いな、チャラチャラしてて、気障ったらしい男。昼間っから堂々と女子部の校舎に入って来て、あげく、冗談交じりに、女の子に「可愛い」なんて言う女ったらし。最初は、そう思っていた。けど、木乃香に私の誤解だったことを指摘されて、話してみると、意外といい奴だってことが分かった。厄介なナンパに絡まれていた祐奈たちを、躊躇いもなく助けに入ったり、次に喧嘩をすると、重い罰を受けるって分かっていたのに、亜子が倒されたことに腹を立てて、結局全員を返り討ちにしちゃったり、つくづくお人好し。実は、その後にも、あいつのお人好しっぷりを、私は目の当たりにする出来ごとに出会っていたりする。あれは、入学式が終わって2、3日経った日のことだった。いつものように夕刊配達をしていた時のこと、その途中にあるグランドから、聞き覚えのある声がして来たのだ。『おらショートーっ!! キバって走らんかーいっ!!!!』『???』私は気になって、仕事の途中だと言うことも忘れてグランドに入って行ってしまっていた。するとそこには、いつものようにボタン全開の学ランに、野球帽とバットという珍妙ないでたちの小太郎がいて、何故か小学生たちと野球をしていた。『……アンタ、何やってんのよ?』『よぉ明日菜、見ての通り、野球や』私は後ろから近づいたはずだったのに、何故かあいつは、最初から私がそこにいたのを知ってたみたいに、そう言った。『そんなの見りゃ分かるわよ。何で小学生とやってんのかってこと』『ああ、そういうことかいな。こいつら麻帆小の野球チームらしいんやけど、コーチが腰痛めて入院したらしくてな。しかも見てるこっちが情けなるくらい弱かってん。せやから、ちょっとシゴいたろ思てな』『へぇー……アンタ、野球も出来たんだ?』確か、体術に剣術だったかしら? そんなのも出来て野球もって、スポーツ万能なのかしら?まぁ、私は人のこと言えた義理じゃないけど……。『スポーツも武道も、身体動かすんは何でも好きやで? まぁ謂れのない肉体労働だけは勘弁やけどな』『へぇ……』『小太郎すげぇんだぜ!! 小太郎に教えてもらったら、こないだ試合で初めて勝てたし!!』『だあほっ。俺が教えとるんや、今後一切の負けは許さへんで? 負けたら、グランド100周の刑』『マジでっ!?』顔を真っ青にして驚いた様子の小学生に、小太郎は満足そうに笑っていた。練習を見たのはそれっきりだったけど、小太郎は随分小学生達に懐かれてる様子で、彼の周りには笑い声が絶えなかった。そんな感じだから、彼が誰にでも気さくで、誰とでもすぐに仲良くなれるのなんて、私はとっくに知っていたはずなのに。昨日の光景が、どうしても胸に突っ掛かっていた。『それでは明日から本格的な特訓に移りますので、覚悟しておいてくださいね?』『ははっ、せいぜい叱れんよう頑張るわ』タイの色から、3年生だろう、凄く美人な人だった。そんな人と、親しげに話していた小太郎を見て、何故かは分からないけど、私は釈然としない苛立ちを感じていた。別に、あいつが誰と仲良くしようが、私にはまるで関係ないはずなのに……これじゃまるで……。「……あいつのこと、好きみたいじゃない……」……って!! ない!! ないないないないっ!!!?私が好きなのは、高畑先生!! ずっと前から一途にお慕いしていたじゃないのっ!?しっかりして私!!!!「……はぁ」……だって言うのに、何だろう、この胸のモヤモヤした感じは……。「……はぁ」「何か悩み事かい?」「へ? ひぁあああっ!?」急に声を掛けられて振り返ると、そこにはいつの間にか、高畑先生が立っていて、いつものような穏やかな笑みを浮かべて、私の絵を見つめていた。「た、たたた高畑先生!? い、いつの間に……」「たった今さ。今日は職員会議が長引いてね。……筆が進んでいないようだけど、どうかしたのかい? 随分と重い溜息だったようだけど」「え!? あ、う……」思わず口ごもってしまう私。うーん……せっかく、高畑先生が相談に乗ってくれるって言うんだし、ぜひ聞いて貰いたいんだけど、何て説明すれば良いかしら?あんまり下手なことを言って、バカだとは思われたくないし……もう手遅れな気はするけど……。あ、そう言えば、初めて小太郎に会った時、あいつが気になることを言っていたのを思い出した。『俺が高畑センセの友達に似てるから、っちゅうのが呼び捨てを許可してくれた理由みたいやで?』小太郎に似た高畑先生の友達って、どんな人なんだろう?思い切って、私はそれを聞いてみることにした。悩み事とは、関係ない気がしたけど、その友達が小太郎に似ているっていうなら、何かこのモヤモヤした気分のヒントがあるかも知れないし。そうと決まれば、早速聞いてみよう。「あ、あの!! 前に小たろ……犬上君が言ってたんですけど、高畑先生のお友達って、どんな方だったんですか?」「僕の友達? ああ、小太郎君から聞いたのか。うーん、そうだねぇ……一言で言うなら、優しくて強い人だったかな?」「優しくて、強い?」そ、それのどこが小太郎と似てるっていうんだろうか?確かに、あいつのイメージで強いっていうのは当てはまる気がするけど、優しいっていうのはどうだろう? お人好しだとは思うが、最初は本当にただの不良にしか見えなかったわよ?朝倉の話では、不良の間ではあいつのことを『麻帆中の黒い狂犬』なんて呼んでるらしいし。「ああ、本当に優しくて強い人だった……困っている人がいたら、それが知人だろうと初対面だろうと、関係なく手を差し伸べてしまう人でね」「へ、へぇ……」そ、それは少し小太郎に当てはまる、なんて思ってしまったけど、何となく悔しいので認めたくはなかった。「その所為で、何度も自分の身が危険に曝されることもあったんだけどね……それをものともしない、強さを持った人だった」「……」それは……まるで、私と初めて出会った日の小太郎ではないかと、今度は誤魔化しようがなく、そう思ってしまった。「小太郎君は、本当に彼に似ているよ。格式や世間の常識に捕らわれないところや、少し言動が乱暴なところ、少し悪役染みた表情まで含めてね」そう言って笑う高畑先生は、本当に楽しそうで、聞いてるだけで、その友達をどれだけ信頼しているのか、そして今、小太郎をどれだけ買っているのかが伝わってきた。だからだろう、私は悔しくて、心にもないことを言ってしまった。「そ、そうですかぁ? 私は全然似てると思いませんよ? 昨日だって、女子部の上級生にデレデレしちゃって……」「ああ、それはきっと高音くんのことだね」「え?」高畑先生は、どうやら彼女のことを知っているらしい。ま、まぁ考えてみれば当然か。ウチの生徒なんだから、授業を受け持つことがあってもおかしくはないし。「た、高畑先生の知ってる人ですか?」「知ってるも何も、彼女を彼に紹介したのは僕だからね」「えぇっ!?」せ、先生が男子部の生徒に女子部の生徒を紹介って……それ大丈夫なのっ!?いやいやいやいやっ!! きっと何か理由があったのよ!! 高畑先生がそんなバカなことする訳ないじゃないっ!?どうして、と私が聞く前に、高畑先生は楽しそうに理由を教えてくれた。「彼が剣術や格闘技をやっているのは知ってるよね? それで今、彼は壁に突き当たってしまっていてね。彼女の知識が、彼の成長に役立つんじゃないかって助言をね」「そ、それじゃあ……」昨日、たかね?先輩が言ってた『特訓』って……格闘技のことだったの!?そんな、私てっきり……。そこまで考えて、私は頬が熱くなるのを感じた。あ~~~~もうっ!! は、恥ずかしい!! 穴があったら入りたい!!「彼は、本当に強さに貪欲でね。向上心の塊みたいな生徒だよ」たまに、それが心配でもあるけどね、と高畑先生は笑った。「それに才能もある。僕とは違ってね……」「そ、そんなっ! 高畑先生は十分っ……」「ふふっ、良いんだ明日菜君。ただね、ときどき彼を見ていると羨ましくなる時がある、僕に彼のような才能があれば、もしかすると……」そう言って、高畑先生は遠い目をした。まるで、どこかに忘れて来た、何かを懐かしむような、そんな目を。けど、小太郎の奴……そうならそうと言えば良いじゃないっ!?「あのバカ……あれ以上強くなってどうするつもりよ?」朝倉の話だと『一週間で学内の中等部、高等部の不良12組30人を病院送りにした』ってくらい強いって言うじゃない?中学生だってことを考えれば、十分過ぎるくらいあいつは強いと思う。一体、それだけ強くなって、何を目指しているのだろう? 世界最強の座、なんてものでも欲しいのだろうか?「ははっ……その理由は彼自身に聞いてみることだ。きっと、僕が彼を優しいと言った理由が分かるはずだよ」「そ、そうなんですか? ……うーん……」高畑先生はそう言って笑うと、結局、あいつが強くなりたい理由を教えてはくれなかった。けれど、私は、少しだけ胸のモヤモヤが晴れた気分がして、その後は普通に絵を描くことが出来た。次あいつに会うことがあったら、ちゃんと昨日のことを謝ろう。それから、どうして強くなりたいのか、聞いてみよう。そう思いながら、私は絵を描くことに専念した。「そ、それじゃ高畑先生、ありがとうございましたっ!!」「ああ、気を付けて、寄り道しないように帰るんだよ?」「はいっ!! それじゃ、また明日!!」高畑先生に笑顔で手を振ると、私は他の部員達に混ざって美術室を後にした。寮までの道を急ぎ足で歩きながら、木乃香に今から帰るとメールする。しかし……次、小太郎に会った時とは言ったものの、いつになることやら……。出来ることなら、あんまり気まずい空気を長引かせたくはないんだけど……。そんなことを思いながら歩いていたせいだろう、気が付くと、私は既に女子寮の目の前に辿り着いてしまっていた。「……仕方ない、後でメールでもしておこ」確か、木乃香はあいつの連絡先を知っていたはずだ。そう思って、足を進めようとした時だった。門の前に二つの人影があることに気が付いた。あれは……。「小太郎に、たかね?先輩……?」そう言えば、今日から本格的に特訓を始めるんだったか。恐らく、その特訓が終わってから、昨日と同じようにたかね?先輩を小太郎が送ってきたんだろう。律義なんだから……。けれど、私には願ったり叶ったりの状況だった。少し様子を見て、二人の話が終わったら、小太郎に謝りに行こう。そう思って、二人に近づいて様子を伺うことにする。近づいてみると、何故か周囲が焦げ臭いことに気が付いた。え? 火事?いやいや!! だったら寮の火災報知機が既になってるはずだ。じゃあ、寮の誰かが料理を焦がしたりしたのだろうか?そう思っていたのだが、小太郎を見て謎が解けた。この異臭の原因は、間違いなくあいつだ。見ると、小太郎は少し顔に煤のようなものが付いていて、髪の毛も、少し毛先が焦げて縮れていた。「か、髪が燃えるなんて……どんな過酷な特訓を積んでんのよ……!?」そ、そこまでして強くなりたいものなのかしら?接近したおかげで、昨日のように、少しだけ二人の会話が聞こえて来た。「そ、そんなに気を落とさないでください。誰だって、初めは似たようなものですよ?」「……ほうか? そう言って貰えると救われるわ」どうやら、小太郎は今日の特訓が上手くいかなかったらしい。髪や顔が焦げているのはそれが理由なのだろう。しょぼくれる小太郎をたかね?先輩が必死で慰めていた。「そ、それに、素質があると分かっただけでも、大進歩じゃないですか!」「そ、そうやんな? 明日からちゃんと加減を覚えればええことやんな!?」「そうです!! 失敗は成功の母、ですよ?」「おう!!」たかね?先輩に慰められると、小太郎は子どものように元気になって、力強くそう答えていた。「ふふっ、その元気なら大丈夫ですね。それでは、明日も頑張りましょう!! それから、今日も送って頂いてありがとうございました」「いやこっちこそ。明日はもっと上手くやってみせるわ」「はい! それではこれで」たかね?先輩はそう言って軽く手を振ると、寮の中に入っていってしまった。「……とは言ったものの、先は厳しいで……」たかね?先輩の姿が見えなくなった瞬間、再びがっくりと肩を落とす小太郎。まったく、うじうじするなんて柄じゃないでしょうに……。しかし、そんなあいつの背中を見ていると、妙に悪戯心を刺激された。ちゃんと後で謝るんだし、少しくらい良いよね?私は足音を忍ばせて、ゆっくりとあいつの背後に近付いて行く。そして、あいつの真後ろまで来たところで、私は思いっきりあいつのお尻を蹴り飛ばした。「何しけた面してんのよっ!! ……って、アレ?」しかし、私の蹴りは見事な空振りで、そこにいたはずの小太郎もいつの間にかいなくなってしまっていた。「う、嘘!? いつのまに……!?」た、確かにそこにいたはずなのに……。私は急に薄ら寒さを覚えて、顔から血の気が引いていた。―――――がしっ、ぎゅ~~~~っ「っ!? なっ、いたたたたたっ!!!?」な、何っ!?突然、何者かが私のツインテールを鷲掴みにしたかと思うと、それぞれを反対側に強く引っ張っていた。ってか、本当痛いって!?こ、こんなバカげたことする奴は、私の知り合いに一人しかいない!!「そう何度も、俺の後ろを取られると思うなや」「こ、小太郎っ!? あんたいつの間に、って痛い痛いってっ!!!? ぎ、ギブ、ギブギブギブっ!!!?」私が涙目を浮かべて彼の腕をタップすると、ようやく、彼はぱっ、と手を離した。あ痛ぁ~~……もう!! 髪が千切れるかと思ったじゃないっ!?「何してくれんのよっ!?」「人のケツ思っくそ蹴り上げようとしてた奴の台詞か?」「うぐっ!?」こ、こいつ……前もそうだったけど、後ろに目でもついてんのかしら?さ、さすが格闘少年。「んで? 今日は何の用や? 昨日も言ったけど、高音とは……」「格闘技みたいなの教えてもらってるんでしょ? 高畑先生に聞いた」「? そうなんか?」私がそう言うと、小太郎は不思議そうな顔をした?本気で、私が何で声を掛けたか分からない、とそういうことだろう。だから私は、その場ですぐにぺこっと、上半身ごと頭を下げた。「ごめん!! 変な勘違いした上に、訳分かんない怒り方して!!」これくらいで許してもらえるなんて考えは、虫が良すぎる気がしたけど、私には他にどうして良いか分からなかった。だから、出来る限りの気持ちを込めて、深く頭を下げる。それくらいしか、私の頭じゃ思いつかなかったから。「……別にそんなに気にしてへんよ。ほら、早ぉ顔を上げりぃや」「ほ、本当に!?」私は勢い良く頭を上げた。その瞬間……。―――――がしっ、ぎゅ~~~~っ「いたたたたたっ!?」今度は左手で頭をがっちりホールドされて、右手の親指の腹で眉間をぐりぐりと押されてしまう。もうっ!? 何だってのよっ!?「痛いって、言ってるでしょうがっ!!!?」―――――ぶんっ「おっ、と」さすがに頭に来て、私は前に立っている小太郎の顔面目がけて、思いっきり蹴りをお見舞いしようとした。もちろん、それはあっさり避けられてしまったけれど、私はようやく解放された。「はぁ……はぁ……人がせっかく謝ってるのに、何なのよっ!?」「いや、自分俺に会うたとき、いっつも眉間にごっつい皺寄せてるやん? それをこう、ぐい~っとほぐしたろ思て」「だ、誰のせいで皺寄せてると思ってんのよっ!?」「さぁ?」「こっ、このバカ…………」ひ、人の気も知らずに、いけしゃあしゃあと……。「それと明日菜、刹那みたいにスパッツ履いてるわけとちゃうんやから、そうポンポン足技使うもんとちゃうで?」「へ? ……あっ!? ……も、もしかして、見た?」「……まぁ何や。くまさんは子どもっぽ過ぎやないかと思うで?」「コロスっ!!」―――――ぶんっ、ひょいっ「避けるなぁっ!?」「無茶言うなやっ!?」私のパンチをあっさり交わした小太郎を睨みつけ、私はそう叫ぶ。純な乙女の下着の覗き見て、ただで済むと思うな!!!!「このっ、乙女のっ、純情を、踏み躙ったっ、罰をっ、受けろぉっ!!」―――――ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ、ぶんっ、ぶんっっ「勝手にっ、見せたっ、だけやんけっ、二回もっ、大蹴りっ、するからやっ!!」―――――ひょいっ、ひょいっ、ひょいっ、ひょいっ、ひょいっ、ひょいっ何発殴っても、小太郎には一発も届かなかった。こっちは肩で息をしていると言うのに、全てを涼しい顔で交わしながら、私の言葉にきちんと返事までする余裕っぷり。普通に考えれば、ただでさえ男女で力の差があるのに、子どものころから格闘技とかを習っているような小太郎に、私の攻撃なんて当たるはずもなかった。アホらし……本当、何やってんだろ、私……。「はぁっ、はぁっ……本当、あんた、いったい何なのよ? それ以上強くなってどうするつもり?」もう、こいつを殴るのは諦めよう……当たる気がしない。だから私は、高畑先生が言っていたことを、素直に聞くことにした。高畑先生が、小太郎を優しいという理由が分かると言うその質問を。「今だってメチャクチャ強いじゃない? それ以上強くなるって……世界最強でも目指してんの?」「世界最強か……ええな、それ。やったらそれを目指す方向で行こか?」「はぁっ!?」何言ってんのよこいつは!?そんな今思いついたみたいに答えちゃって……。高畑先生、やっぱりこいつが優しいなんて、何かの間違いだと思います。こいつの脳みそ、きっと小学生並ですよ!?世界最強? じゃ、それで行こう、って何よそれっ!?「……そんだけ強かったら、きっと護れんもんなんかあれへんやろうしな」「え?」こいつ、今何て言った?「あんた……ただ喧嘩に強くなりたかっただけじゃないの?」「……好き好んではせぇへんって前にも言うたやろ? あれか? 明日菜はアホの子ですか?」「誰がアホよっ!?」ひ、人が真剣に聞いてるのに、このバカ男わ……。けれど、小太郎は呆れたように笑うと、ええか? と話を続けてくれた。「誰それより強い、なんてのはただの物差しで言葉遊び。重要なんは、その強さを何に使うか、何のために強ぉなるかや」呆れたようにそういう小太郎は、どこか大人びていて、とても同い年だとは思えなかった。「それじゃ、あんたは何のために強くなりたいのよ?」それが重要だと言うなら、きっとこいつには、その理由があるはずだ。だから、私はそれがどうしても知りたかった……。「何や、最近良ぉその質問されるな……護りたいもんが多すぎるから、やな」「護りたい、もの?」「せや。まぁ人って言い変えても構へんで。刹那や木乃香、高音に亜子やアキラ、まき絵に祐奈……俺は自分の大事なダチ、皆を護れる力が欲しいねん」「あ……」『きっと、僕が彼を優しいと言った理由が分かるはずだよ』照れ臭そうに言う小太郎の台詞に、私はそう言ってた高畑先生の笑顔を思い出していた。なるほど……だからこいつは、こんなにも強くて、こんなにも、強くなろうとしてるんだ。自分以外の誰かのために、自分以外の誰かを護るために、もっと強い力が欲しいと願っている。普通なら、胡散臭いと思ってしまいそうなその台詞が、どういう訳か、こいつが言うと妙に素直に受け入れることが出来た。……本当に、底抜けのお人好しなんだから。「それで世界最強? ちょっと話が飛躍し過ぎじゃない?」「うっせ!! つか世界最強うんぬんは明日菜が言い出したんやんけ」「あ、そう言えばそうだった……けど、護るって言っても、いったい何から?」「そうやなぁ……世界の危機、とかどうや?」「何よそれ?」そう言って、私たちはどちらからともなく吹き出した。よりにもよって、世界の危機、って、少年漫画の読みすぎだと思う。「あははっ……ふぅ、まぁ世界最強は大げさにしても、そういう理由なら、応援してあげるわよ。せいぜい頑張んなさい」「大げさか? ははっ、けどまぁ応援してくれるっちゅうなら、ありがたく受けっとたるわ」小太郎は、そう言って満足そうに笑った。「明日菜も、頑張りぃや? 俺も一応、応援しといたるさかい」「は? 何をよ?」「もうちっと女らしゅうせんと、タカミチに愛想尽かされてまうで?」「え゛!?」こ、こいつ!? 何でそれをっ!?「あ、あああああんたっ!? それを誰に聞いたのよっ!?」「んなん、自分を見てたらアホでも分かるわ」あ、う……そう言えば、前に木乃香にも似たようなことを言われた気がする。そ、そんなに分かり易いのかしら、私?「そうやな、一先ずの目標は……」「目標は……」「くまさんパンツを卒業することやな」「……死ねっ!!」―――――ぶんっ、ひょいっ「だから避けるなぁっ!!」「あかん、りょうのもんげんになってまうでー? いそいでかえらんと、しかられてまうー」「めちゃくちゃ棒読みじゃないのよっ!?」「それじゃ、今日はこの辺で……アディオス☆」「あっ!? こらぁっ!!!! 待ちなさいよーーーーっ!!!!」私の叫びを完全に無視して、小太郎は足早に女子寮から去っていった。……逃げ足の速いやつめ。まぁ逃げられてしまったけど、昨日から私を悩ませていたモヤモヤした感覚は、嘘のように晴れやかだった。――――――――――頑張んなさいよ? 底抜けのお人好しさん?「さぁてっ!! 私も人のことばっかり言ってらんないなぁー……」高畑先生に振り向いてもらうためにも、頑張って女の子を磨かないとね!!そうね……とりあえずは……。……今度の休みに、木乃香と下着を買いに行こうかしら?