「ほな、よろしゅうお願いします」「ばうっ」俺が頭を下げると、それに習って大型犬サイズに縮小されたチビも一礼する。「ふふっ、チビちゃんは本当におりこうさんですね。はい、確かに任されました」そんな俺たちの様子に女子中等部寮管理人、九条 霞深は笑顔で頷いた。空が白み始めたばかりのこの時間、俺はチビの散歩も兼ねて、留守中相棒を預かってくれる霞深さんを尋ねている。俺たちが話しているのは女子中等部寮、その門前だ。ちなみに、大仕事の目前と言うことで今日の早朝稽古は大事を取って中止にした。が、恐らく寮の中では、刹那も霧狐も目を覚ましてあれやこれやと準備をしていることだろう。前者は用心深い性格故、後者は初任務による緊張…………いや、あいつは緊張するようなタイプじゃないか。大方わくわくして早く目が覚めてるか、昨日の夜から眠れてないかのどっちかだろう。不意に零れた笑みを慌てて押し殺しながら、俺は再び霞深さんに向き直った。「あー…………何て言うたら分からんけど、とりあえずこれだけは言っとくわ…………霧狐は必ず無事に連れて帰るさかい、安心しといてくれ」そう、絶対に彼女は連れて帰る。彼女は…………否、彼女たちは皆、かつて何も護れなかった俺が、ようやく手に入れた『護るべき人』だ。誰一人欠けることなく、必ずこの麻帆良に連れて帰って見せる。例え道中に、どのような危険が待ち構えていようと、だ。そんな想いを言葉にした俺に、霞深さんは驚いたように目を丸るくする。しかし、次の瞬間には破顔し、くすりと小さな笑い声を零した。「そういう気遣いをされるところは、あんまり牙狼丸さんに似てないんですね?」「…………いや、あんな力で何でも解決できると思てる、アンブレイカブルな連中と一緒にせんといてくれ」俺は『察し』と『思いやり』を慮る日本の地で生まれ育った男ですよ?たとえ目指す位置がそれだとしても、あんな脳筋連中と一緒にされたら泣けてくる。「ふふっ、そうですね。でも小太郎さん、一つだけ間違えちゃってますよ?」「間違い?」首を傾げる俺を余所に、霞深さんはそう言いながら朝焼けに霞み始めた景色をぐるりと見渡した。まずは頭上に広がる青空。そこでは早起きな小鳥たちが、楽しそうに歌を口ずさみ、戯れるように飛翔していく。次に女子寮から駅へと続く一本道。整然とならんだ街路樹達は、その葉一枚一枚に朝露を纏わせ、昇ったばかりの朝日をきらきらと反射させていた。そして最後に彼女の背後に佇む女子寮。さきほどまでは静まり返っていた筈の寮では、一部の生徒たちが目覚め始めているのだろう。賑やかな喧騒と、朝食のものと思しき芳しい香りが漂って来ていた。それら全てを一望して、霞深さんは俺へと視線を戻す。その顔に浮かんでいたのは、先程の楽しげなものではなく、まるで慈しむような、そんな笑顔だった。「キリだけじゃなく、ちゃんとみんなで帰って来てください。もちろん、小太郎さんも必ず無事に。私とキリに、この平穏な毎日をくれた恩人がいなくなるなんて、そんなの私もキリも泣いちゃいますよ?」最後は冗談めかした口調だったが、霞深さんは心の底からの願いとして、その言葉を口にしてくれたのだろう。だから俺は、優しい笑みを浮かべてそれに頷く。その言葉確かに受け取った、とそんな想いをその動作に乗せて。「ああ、必ず。必ずみんなで帰ってくる。そうせんとチビの面倒まで霞深さんに押し付けてまうことになるからな」「ばうばうっ!!」全くだ、とそう言うみたいに、チビが吠えた。俺の言葉をどう受け取ったのか、霞深さんは穏やかな笑みを浮かべたまま、チビの隣に屈み、その頭を優しく撫でる。「本当ですよね~? それに小太郎さんがいなくなっちゃったら、牙狼丸さんに会えない私の寂しさを、誰が埋めてくれるって言うんでしょうね~?」「ば、ばう?」「…………」いや、さすがに俺も、霞深さんが親父に会えない寂しさを埋めるようなことしてた覚えは無い。つーか、やってたら今頃刹那に両断されてるし。撫でられながら言われたチビも、さすがに今の台詞には困ったように首を傾げるばかりだった。チビを一通り満足したのか、霞深さんは、よいしょっ、なんて外見にそぐわない掛け声を零しながら、ゆっくりと立ち上がる。「あ、そだ。小太郎さん、キリのことで一つお願いがあるんですけど、よろしいですか?」「ん、何や? 俺に出来ることやったら、何でも言うてくれ」何と言っても、たった2人きりの家族、ましてや母親だからな。娘の初陣に少なからず思うところがあるだろう。だから俺は、出来得る限り彼女の望む通りに、霧狐を護ってやりたい。居住まいを正した俺に、霞深さんは苦笑いを浮かべ…………。「そ、そんな畏まらないで下さい。大したことじゃありませんからっ。あ、でも、凛々しい表情をされてると、やっぱり牙狼丸さんそっくりで…………じゅるり❤」「…………」しかし次の瞬間には、良く見なれた得物を狙うネコ科動物のような、そんなこちらの寒気を誘う目つきになっていた。…………もうホントに勘弁してしてください。「ご、ごほんっ…………え、えーと、それでキリの話なんですけど」話しが脱線したことに気が付いた霞深さんは、慌てた様子で咳払いを一つ。そんな風に話しを元の道筋へと戻した。そして霞深さんは慈愛に満ちた…………およそ彼女の外見年齢に見合わない、母性に溢れる笑みを浮かべる。彼女はそんな笑みを湛え目を閉じ、両手をまるで祈るように胸の前で握った。その姿はまるで聖母のようで、俺は思わず声も失って見とれてしまう。目を閉じた霞深さんは、俺が息を呑んだことに気付いてはいないのだろう。絶句した俺を余所に、優しい声音でこんな言葉を綴った。「―――――可能な限り、あの子に無茶をさせてあげて下さい」「は…………?」あまりにも突飛な要求に、先程とは違う意味で言葉を失った俺。しかしそんなことはお構いなしに、霞深さんは閉じていた目を開くと、俺へと視線を戻し、にっこりとほほ笑んだ。「実践となると、それを容認出来る場面は少ないかもしれません。ですが、あの子に出来ることは、可能な限りあの子にさせてあげて欲しいんです」「は、はぁ…………? せ、せやけど、自分の娘やで? 無茶をさせろ、いうんはさすがにどうなんや?」腑に落ちず、小首を傾げながら問い掛けた俺に、しかし霞深さんは笑顔のまま、楽しそうに言った。「あら? 心配するだけが、親子愛じゃありませんよ? 牙狼丸さんだって、小太郎さんを瀕死まで追いこんだって言ってましたし…………」「あれは親子愛やのうて、あの親父が戦闘狂ぶりをこじらせただけや」げんなりした俺に、かすみさんは、そうなんですか? なんて可愛らしく小首を傾げて見せた。「だけど、無闇に心配するより、子どもの内は好きなようにやんちゃをさせてあげた方が、きっと人はのびのび育つと思うんです。それに…………」言葉を区切った霞深さんは、再び表情を変える。先程と同じ、母親らしい優しい笑顔に。「あの子、小太郎さんと戦えること、すごく誇らしく思ってるんです。昨日だって指令所を管理人室まで持って来て、やっとお兄ちゃんと一緒に闘える、って心の底から嬉しそうに言ってたんですから」霧狐の様子を思い出しているのだろう。優しく目を細めた霞深さんの姿は、まさしく母親の姿そのもので…………。『―――――遅かれ早かれ実践には出るんや。多少の無茶は、ガキの頃にやっといて何ぼとちゃうか?』俺は、かつて兄の初陣の際、村人の反対を諌めるため、そんな言葉を告げた母の様子を思い出した。…………戦士家系の親ってのは、どこも似たような考え持ってんのかね?それとも、親父の好みがそういう女なのか。どちらにせよ、霞深さんの姿にお袋の姿が重なって見えたは事実だ。一昨日ネギ達に記憶を見せた影響か、気が付くと俺は懐かしさに小さく笑みを浮かべていた。「小太郎さん? どうかしましたか?」「ん? あ、ああ、スマン。ちょっと昔を思い出しとってん」不意に響いた霞深さんの声に、俺は現実へと引き戻される。急に微笑んだ俺の顔を不思議そうに覗き込んでいた。「昔、ですか…………?」「ああ。昔、俺のお袋も兄貴の初陣ときに似たようなこと言うててん。そんときんこと思い出して、『戦闘型家系の母親は、みんな似たような感性なんかなぁ?』って、そんなこと考えてもうてな?」「こ、小太郎さんのお母さんが!?」俺の言葉に、急に眼を見開く霞深さん。な、何だ?お、俺、何か霞深さんの琴線に触れるようなこと言ったのか?けど、今の会話には親父は登場しなかったし…………って、あ。そ、そう言えば霞深さんからすれば、お袋は親父の『前の女』に相当するのか。そう考えると、霞深さんに対してお袋の話しはNGだった気がする。しまった…………気遣いが足りなかったな。そんな風に反省した俺だったのだが…………。「小太郎さんのお母さんと、私が似てる…………あ、あの小太郎さんっ!!」「は、はいっ!?」「わ、私のこと『お母さん』って呼んでくださっても良いですよ? も、もしくはっ『お袋』でも可!! そっちの方が牙狼丸さんっぽいですし!!」「…………」急にテンションを上げた霞深さんに、先程の心配は一気に霧散した。…………よりによって拾い上げるのがそこかよ。げんなりする俺を余所に、霞深さんのテンションは留まるとこを知らないとばかりにヒートアップしていく。「ああでも、その場合、小太郎さんの恋人ポジションは他人に取られちゃうんですよね? そ、それは何だか牙狼丸さんが取られたみたいで悔しいですし…………」うりんうりんと、頭を抱えて振りまわす霞深さん。そんな彼女を尻目に、俺が盛大な溜息を吐いたのは言うまでも無い。…………いやマジで、ホントにもう勘弁してやってください。SIDE Asuna......「…………んぅ?」…………あれ? 何か良い匂いがする…………。半分以上眠ったままの頭で、私は漂ってきた美味しそうな匂いに鼻を鳴らした。きっと木乃香が料理してるんだと思うんだけど…………あれ? 今、何時?寝ぼけまなこを擦りながら、枕元に置いてあった目覚まし時計に手を伸ばす。半分ほど開かれた私の目には、5の数字を少し過ぎた短針と、6の数字を少し回った長針が映った。…………え゛? な、何か、普段の私並みに早い時間なんだけど?見間違いかと思って目を擦る。で、もう一度時計を覗き込む私。しかし結果はさっきとまるで変わらなかった。…………な、何でこんな朝っぱらから?不思議さと驚きで、気が付くと半分眠ったままだった私の目は、完全に冴え切ってしまっていた。ま、まぁ、たまには休みの日に早起きするのも悪くないわよね?そんな風に自分を納得させて、私はゆっくりと2段ベッドの梯子を降りた。「はれ? 明日菜? ごめん、起こしてもうた?」寝癖頭もそのままに、キッチンへ向かうと、予想通りと言うべきか、既に私服に着替えた木乃香が可愛らしいエプロン姿で料理に勤しんでいた。「いや、別に平気だけど…………ええと、今日って、どこかに出かけるとか言ってたっけ?」首を傾げながら尋ねて、私はミニテーブルの上に並べられている料理に視線を移した。テーブルの上では、色とりどりの料理が大きめのタッパーに詰められている。な、何か凄い量ね?一人分ってことは無いでしょうし、もしかしてどこかにピクニックとか?そんな風に考えていた私に、木乃香は苦笑いを浮かべて、ちゃうちゃう、と手をひらひらさせた。「出掛けるんはウチやのうて、せっちゃんとコタ君なんよ。何や、午前中の内に京都の方まで行かなあかんらしゅうて」「へ? 小太郎と桜咲さんが?」それって、2人きりでってこと…………?あ、あいつ、一昨日あんだけ凄惨な過去を人に見せて『兄貴に復讐するまでは恋愛事なんて考えられない』とか言ってた癖に!!深く考えずに怒りを覚えた私だったけど、その後木乃香が続けた言葉に、そんな気持ちは一気に抜けてしまった。「2人だけやのうて、コタ君の担任しとる葛葉センセと、キリちゃんも一緒なんやて」「は? 先生って、あの若くて美人なあの人、よね?」「うん、そうやえ? けど明日菜、よう知っとったなぁ?」「ま、まぁ、ちょっと、ね…………?」何の気なしに言っちゃったけど、こないだの休みに小太郎があの先生と一緒に居たことは、木乃香には言わない方が良いわよね?何か、図書館島で小太郎が女の子とイチャついてる疑惑出たとき、木乃香えらいことになってたし…………。それにしても…………2人きりじゃないにしても、担任の先生に、女子部の同級生、それに腹違いの妹さんで出かけるって、どんな用事よ?それもいきなり京都までなんて…………前に会ったときは、そんなこと一言も言ってなかったと思うんだけど。そんな疑問が顔に出てしまっていたのか、木乃香はおにぎりを握っていた手を一端止めて、私の方へと視線を向けてくれた。「何や、おじいちゃんからお仕事頼まれたんやて。京都で盗まれた何とか言うお経を取り返して来て欲しいて」「何かを、取り返す…………?」そ、それって学生や教師の仕事じゃなくて、警察の仕事なんじゃ…………?一瞬浮かんだ考えを、私はすぐに打ち消した。そういえば小太郎って『魔法関連の出来事に対する警備員』なのよね?じゃあ、今回もその『魔法関連の出来事』が関わってることかもしれない。確か桜咲さんて、小太郎と一緒に剣術やっててかなり強いって言ってたし、担任の先生も桜咲さんと同じ剣術使っててめちゃくちゃ強いって…………ん?『強い』? え、ええと、確か小太郎の妹さんも、結構強いらしいって木乃香言ってたわよね?何か、その辺の不良くらいなら、大体一撃で倒せちゃうとか何とか…………。そんなに強い人たちばかりで京都にお仕事。でもって、盗まれたらしい何とかってお経を取り返す。ちなみに小太郎は『魔法関連の出来事に対する警備員』…………それってつまり…………。「え、ええと…………もしかして『ちょっと危ないお仕事』?」「ううん。多分、『かなり危ないお仕事』とちゃうんかな?」「余計に大事じゃないっ!!!?」いつもと同じ、ほにゃっとした笑顔で言った木乃香に、私は思わず大声で突っ込んでしまった。か、かなり危ないって…………じゃ、じゃあ何で木乃香は、そんなに落ち着いてみんなのお弁当なんて作ってんのよ!?「確かに大事かも知らんけど、ウチがそれをここで騒いでも、コタ君達が危ななくなる訳とちゃうしな」「え…………?」木乃香の言葉に、声を失ってしまった私。そんな私の顔をじいっと見つめた後、木乃香は、えへっ、と小さく笑い、握りかけだったおにぎりを再び握り始めた。「ウチに出来るんは、こうやってお弁当の用意したることと、みんなが無事に帰って来れるよう、お祈りしながら待つことくらいやから」「木乃香…………」笑顔で握ったおにぎりを、手際良くお皿に並べていく木乃香。その姿からは、彼女が普段と何も変わらないように見える。だけど内心は…………。―――――心配で堪らないんでしょうね。でも木乃香は、それを絶対に表に出したりしない。おっとりしてる、なんて良く言われるけど、それなりに付き合いの長い私は、そうじゃないことを知ってる。確かに木乃香はおっとりしてる。だけど、それと木乃香が慌てないのは別の話しだ。木乃香が必要以上に驚いたり慌てたりしない理由、それは…………単純に、木乃香が『凄く強い』から。それは小太郎や桜咲さんみたいな『強い』とは違う。木乃香の強さは、なんて言うか『心の強さ』だ。どんなことが起こっても冷静に、自分が何をすれば良いか、それを考えられる強さを、木乃香は持っている。だから今回、小太郎たちが危険な仕事に行くと聞いても、それは自分にはどうしようもないことだから、せめて自分に出来ることをしようと、笑顔で頑張っている。…………本当、敵わないわね。私なんか、自分に小太郎が体験したみたいな悲劇が降りかかるかもしれないってだけで尻込みしてるのに、このお姫様は…………。…………私が魔法の事を知る、ずっと前からこんな風に、あいつの背中を見守って来てたのね。確か木乃香は、何かの事件に巻き込まれて、魔法のことを知ったって言ってた。だから多分、最初から木乃香は魔法の怖さも知っていたはずだ。それでも、木乃香は魔法と関わる道を選んでいる。そのことに気が付いた私は、無性にその理由を尋ねてみたくなった。他人の意見に乗っかるつもりはないけど、それでも何か自分が決断するための、そのヒントになるかもしれない。そう考えた私は、すぐにその疑問を言葉にしていた。「ねぇ木乃香? 魔法のことを知ったとき、その事を忘れたいって、そんな風には考えなかったの?」「魔法のことを忘れる? あー…………確か最初ん頃、お父様にそんなこと言われてたなぁ…………」手に付いたお米を、ぺろっ、と舐め取りながら、木乃香は私の疑問に、首を傾げながら考え込む。「けど、おじいちゃんが、ウチはもともと魔法使いの家系やさかい、魔法のことを知らん方が、事件に巻き込まれたとき危ないいうてな?」「へ? そ、そうだったんだ…………」じゃあ何で、木乃香は今まで魔法のことを知らなかったのかしら?ま、まぁその辺りは追々聞くことにして、今はどうして木乃香が、魔法のことを忘れない道を選んだのか、その答えの方が大事だ。だから私は、黙ったまま木乃香の話しに耳を傾け続けた。「せやからウチは最初、おじいちゃんの意見通り、記憶は消さん方が良えて、そう思ってたんよ。けどせっちゃんとコタ君がこんな風に言うてくれてな? 『魔法の事を知ってても知らんくても、ウチのことは自分たちが必ず護るさかい、好きな方を選べば良え』て。そんな風に言われたら、余計に魔法のこと忘れたなくなってまうんにな?」眉をハの字に曲げて、木乃香は苦笑いを浮かべる。確かに…………私だって、そんな風に言われたら、何だか自分が蚊帳の外に出されたみたいで、反発しちゃうと思う。けど、木乃香が言っているのは、そんな子どもっぽい対抗意識じゃないわよね?「自分が知らんところで、誰かに護られてる。それって、護ってくれた人たちに、お礼も言えへん言うことやろ? そんなん、嫌に決まっとるやんな?」やっぱり…………。木乃香が言った台詞が、余りにも予想通りなもんだから、私は思わず忍び笑いを零してしまった。そっか…………木乃香は知らなくて得られる安全より、知ったせいで及ぶ危険の方を選んだのね。自分が知らないところで誰かに護られるより、護ってくれた人たちに笑顔でお礼を言える、そんな道を…………。…………私はどうなんだろ?さっき言ったみたいに、自分が蚊帳の外に出される、そんなのは確かに嫌だ。だけど私は、木乃香みたいに笑顔で、ただ護られていることを、良しとできるだろうか?だからと言って、護ってくれている人たちと一緒に闘う、なんてことはさすがに出来ない。だって私は、ちょっと運動神経が良いだけの一般人で、小太郎たちみたいな妖怪もどきでも、ましてや魔法使いでもない。下手して危険に首を突っ込むより、小太郎の言う通り大人しく記憶を消した方が…………。そんならしくもない、消極的な考えが頭に浮かぶ。けど、そんなときだった。「でも…………でも、な?」苦笑いを浮かべていた木乃香が、不意に視線を落とし、真剣な声で呟いた。自問自答に埋没していた意識を呼び戻して、私は木乃香の声に、再び耳を傾ける。すると木乃香は、すっと視線を上げると、私を真っ直ぐに見つめて、こんなことを言い始めた。「いつまでも護られてばっかなんて、そんなんはさすがに嫌や。せやからウチ、コタ君達が帰って来たら、コタ君にちょっとお願い事をしよ思てん」声色は真面目なものだったけど、木乃香の表情はいつもと同じ、柔らかい笑顔に変わる。そして彼女が告げた言葉は…………。「―――――ウチも、魔法使いになりたい、ってな?」…………護られる側から護る側。何かの助けとなれる道を、一歩踏み出すと言う、そんな決意だった。なるほど…………確かに木乃香らしい答えかもね。知ってるけど、何も出来ない。そんな中途半端でいるくらいなら、何も知らない方が良い。だけど、そんな安易な選択はしたくない。だから木乃香は、自分で一歩踏み出すことにした。これから先、ずっとあいつらと一緒に、笑って過ごして行けるように。…………やっぱ、木乃香は強いなぁ。2日前、小太郎に尋ねられた時もそうだったけど、私にはまだ、そんな風に決断できる『覚悟』がない。だからどうしても、1歩踏み出す踏ん切りもつかなければ、全てを忘れる決意もできない。…………こんなんじゃ、ネギに偉そうなこと言えないわねぇ。もうじき故郷に帰省する、小さな魔法使いの女の子。私と同じように選択を迫られている少女を思い浮かべて、私は小さく溜息を吐いた。…………ちゃんと私も、これからどうするのか、決断しなくちゃいけないのよね?小太郎にされた問い掛けを思い出しながら、私はもう一度、自問自答を繰り返す。これからどうするのか、その答えはまだ出ていない。だけど、答えるべき相手は今も、私が踏み込むべきか迷ってる、その境界線の向こうで闘おうとしてる。だから私はせめて、考えることをやめちゃいけない。どんな未来を選んでも、あいつに胸を張って、これが私の選択よ、って、そう答えるために…………。だから…………だから小太郎。…………必ず、無事に帰って来なさいよ?SIDE Asuna OUT......SIDE Kiriko......いつもの朝稽古よりも、少し遅い時間帯。キリは準備万端、学園長から頼まれた『お仕事』の準備をしてた。…………ゴメンなさい。嘘吐きました。本当は用意をしてたんじゃなくて…………。「ハンカチはここね? それと、新幹線は結構揺れるから、酔い止めも。あ、こっちのポケットだよ?」…………必要なものは、ほとんど愛衣に用意してもらってます。キリは用意してくれた愛衣から、何を何処に入れたのか、その説明を受けてるだけ。…………あうぅ。同い年の筈なのに、何でかみんなキリよりしっかりしてるんだもんなぁ。うん、すっごく助かってるし、別に文句なんてないよ?けど、けどさ? やっぱりキリも、その…………『おとしごろ』?だから、ちょっとはしっかりしなきゃって、思ったりもするんだよ?そんなことを考えて、ぐるぐるしてたら、愛衣が心配そうにキリの顔を覗き込んできた。「キリちゃん? 大丈夫? もしかして体調悪い?」「へっ!? う、ううんっ!! だいじょぶだいじょぶっ!! 全然元気だよっ?」…………ゴメンなさい。これも嘘です。ホントのことを言うと、昨日は嬉しくってほとんど眠ってません。正直ちょっと今も眠たいです。だけど、それを言っちゃうと、愛衣はもっと心配すると思うから。だから今は…………これくらいの嘘なら、神様も許してくれるよね?そんな風に考えながら、キリは精一杯の笑顔で愛衣に答えた。答えたんだけど…………何でだろ? 愛衣の表情は、心配そうな顔のままだ。え、ええと…………ど、どうしたのかな?も、もしかして、目の下にくまとか出来ちゃってる!?あ、あうぅ…………こ、こんなことなら、ママのところに行って良く眠れる魔法をかけて貰うんだったよぅ。そんな風に後悔してたんだけど、愛衣の心配はそう言うことじゃなかったみたい。慌てるキリのことを、愛衣は突然、だけど優しくぎゅってしてくれたから。「め、愛衣? どうしたの?」「…………ごめんね。小太郎さん達も一緒だし、きっと心配ないって分かってるんだけど、やっぱり不安で…………キリちゃんのこと、信じてない訳じゃないんだよ?」「愛衣…………」「私がもっと強ければ、キリちゃんや小太郎さんと一緒に、この任務にも就けたのに…………」…………やっぱり、麻帆良の人たちって、みんな優しいな。キリ見たいな余所者に、みんなこんな風に優しくしてくれる。お兄ちゃんや刹那に木乃香、愛衣やクラスのみんな…………みんなみんな、キリのこと凄く大事にしてくれる。だけど…………そんな風に大事にしてくれるみんなだから、キリはそんな人たちのために、何か出来ることをしたい。ただ自分を護るために力を使って、だけど結局、お母さんに護られてたあの頃とは違う。誰かを護るために、自分の力を使ってみたい。お兄ちゃんに会って…………麻帆良に来て初めて、そんな風に思うことが出来た。だから…………だからキリは、ぎゅってしてくれた愛衣の身体を、おんなじように、ぎゅってしてあげた。「き、キリちゃん…………?」「大丈夫だよ、愛衣。キリは絶対帰って来るよ。だってまだ、みんなにちゃんとお礼、出来てないしね?」こんな…………半妖のキリに、優しくしてくれてありがとう。半妖で、ずっと嫌われてたキリに、人の温かさを教えてくれてありがとう。他にもたくさん、たくさんのありがとうを、言葉では返せても、キリは何かで、みんなに返すことが出来てない。だから…………。「だからキリは、絶対に帰って来る。お兄ちゃんや刹那も、とーこ先生も一緒に、みんなで麻帆良に帰って来るから」だから心配しないで、って、キリは愛衣の耳元に、小さな声でそう言った。「キリちゃん…………!!」そしたら愛衣は、ちょっと苦しいくらい、ぎゅっ、じゃなくて、ぎゅ~~~~ってしてくれた。「絶対、絶対だよ? 絶対に無事に帰って来てね? 私、キリちゃんの大好きなお菓子、たくさん用意してまってるから!!」「えぇっ!? ホントに!? …………えへへっ。だったら、なおさらちゃんと帰って来なきゃだよね?」言いながら、キリも愛衣の事をぎゅ~~~~っ、ってしてあげる。心臓のバクバクも、キリの温もりも、全部全部、愛衣に伝わるくら、ぎゅ~~~~っ、って。少しでも、それで愛衣が安心してくれますように、って、そんな風に願いながら。「…………うん。そろそろ行かなきゃ。お兄ちゃんたち待たせちゃうと悪いし」「…………そう、だね。キリちゃん、約束、破っちゃだめだよ?」ぎゅ~~~~っ、ってしてた身体を、少しだけ離して、愛衣はキリのことを真っ直ぐに見つめて言った。真剣な顔で、キリへの優しさが、いっぱいいっぱい伝わって来る、そんな目で。だからキリは、やっぱり精一杯の笑顔で頷いた。「うんっ!! 絶対に守るよ!! だって愛衣は、キリの『大切なお友達』だからっ!!」「お、お友達…………」キリがそう言った瞬間、がくっ、ていきなり愛衣の身体から力が抜ける。あれ? あれ!? な、何だろう? キリ、何か変なこと言っちゃった!? あーうー…………え、ええと、『親友』とか『心の友』って言った方が良かったのかな?ど、どうしよ? 何か愛衣、さっきより落ち込んじゃってるし、何とかしないとっ!!けど、キリは頭悪いし、良い考えなんて全然浮かばないよぅ…………。困り過ぎて、ちょっと涙目になりだしたときだ。急に愛衣が、下げていた顔をキリに向かって、ばっ、て上げた。「キリちゃん!!」「ひゃ、ひゃいっ!?」突然大きな声で名前を呼ばれて、キリはびくってした。あ、あれ? 何か愛衣、全然元気?え、ええと落ち込んでたんじゃなかったの、かな?不思議に思って目をぱちくりさせてると、愛衣が顔を真っ赤にしながら、もごもごって何か言い出した。普通の人だとちょっと聞こえづらいかもだけど、キリには気にならない、それくらいの声で。「あ、あの、ね? 1年間一緒に居て、今さらって思うかもだけど、そのっ、で、出来れば、で良いんだけど、ね?」「う、うん? えと、キリに出来ることなら、何だってするよ? え、ええと、愛衣はキリの『親友』だからっ」「はぁうっ!!!?」えぇっ!?し、『親友』もダメだったの!?えっ!? えぇっ!?も、もうどうすれば良いか分かんないよぅ!?またまた涙目になりかけてると、愛衣はゆっくりと身体を起こしながら、ぶつぶつと、何かを呟いてた。さすがに今度の声は小さ過ぎて、キリの耳でも良く聞こえなかったけど。「…………こ、これくらいで挫けないもんっ。大丈夫、分かってたことだもん。キリちゃんは私の事、友達としてしか見てくれてないなんて今さらだもんっ」「え、ええと…………め、愛衣? だ、大丈夫?」「へ? あ、うんっ!! だいじょぶっ!! 全然平気だよっ!?」「???」顔を上げた愛衣は、何でもない何でもない、なんて手をひらひらさせながら笑ってた。…………え、ええと? 落ち込んでない、ってことで、良いのかな?そ、それなら一安心なんだけど…………。「そ、それで愛衣。キリに何か、お話があったんじゃなかったの?」「え、ええと…………そ、その、ね? う、うん、ちょっと待ってて、深呼吸するからっ」「???」そう言って愛衣は、本当に、すぅはぁすぅはぁ、って大きく深呼吸を始めた。な、何だろ? 何か大事な話があって緊張してるのかな?そんな風に考えると、何だかキリまで緊張しちゃってカチコチになっちゃう。うぅっ…………真面目なお話って苦手だよぅ…………。何回か深呼吸をした後、愛衣は、よしっ、って呟いて、もう一度キリの方へ向き直った。「あ、あのねっ。キリちゃんが、無事に帰ってきたら、その…………」そこで愛衣は一旦台詞を止めて、もう一度だけ深呼吸をすると…………。「―――――わ、私のっ、ぱ、パートナーになってくれないかなっ?」少しだけ上ずった声で、そんなことを言った。…………ぱーとなー…………って、なんだっけ?ええと…………確か、ずっと一緒に居る人、みたいな意味だったと思うんだけど…………ってそっか!!親友でも友達でもなくて、愛衣はキリに『ぱーとなー』って言って欲しかったんだ!!そっかそっかぁ…………えへへっ、愛衣ってば、キリとずっと一緒にいたいって、そんな風に思ってくれてたんだ。嬉しくて、思わず顔が緩んじゃう。だってキリも、愛衣とはずっと一緒にいたいって思ってたから。だから、キリの答えはもう決まり切ってるよね?キリは目一杯の笑顔で、愛衣に頷いた。「うんっ。きりで良かったら、いつでも愛衣の『ぱーとなー』になるよっ!!!!」「っっ!!!? ほ、ホントにっ!!!?」キリが答えた瞬間、愛衣は一瞬泣きそうな顔になって、そんな風に声を上げた。えへへっ…………そんなに心配しなくても、キリは愛衣のこと大好きなのにね?だからキリは愛衣を安心させてあげたくて、今度は自分から愛衣のことをぎゅ~~~~ってしてあげた。「愛衣っ、ずっと一緒だよっ♪」「~~~~っっ!!!?」その瞬間、何でかは分からないけど、愛衣は気を失っちゃった。…………つ、強くし過ぎちゃったのかな?SIDE Kiriko OUT......SIDE Touko......「…………ふふふっ♪ 完っ璧よ!!」手に持ったお弁当の包みを見つめながら、私はかなり絞った音量で、そんな言葉を一人ごちた。時刻は6時を少し回ったところ。とはいえ、私は引率者として、今回の任務に同行するのだ。教員として、見本を示すためにも、待ち合わせ少し早めに着いておくのは当然だろう。…………まぁ、待ち合わせ時間は7時半だから、このままだと1時間近く前に到着しちゃうけどね?そう言う訳で、私はまだ薄暗い道を駅前に向かって歩いていた。普段は気にしない小鳥のさえずりが、今日は何だか自分を祝福してくれてるみたいに聞こえて、とても気分が良い。…………やっぱり、男性を落とすには胃袋から掴まないと!!今回の指令が下ってから、私がまず行ったことは、道中で食すであろう食事、その献立を徹底的に練ることだった。移動の都合上、昼食は新幹線内で摂ることになる。車内販売を利用するというのも考えたが、よくよく考えてみれば、小太郎相手に料理の腕を披露するなんて機会めったにない。ならば、降って湧いたこの機会を、有効に活用しない手はない。恐らく刹那も、木乃香お嬢様特性の弁当を持参してくるだろう。ついでに言うと、スプリングフィールド君も、小太郎に弁当を持たせるかも知れない。しかし!!私と彼女たちではキャリアが違う!!何を隠そう、こちらは主婦経験あり+学生時代から独り暮らしで自炊して来たという実績がある。10代そこそこの小娘たちに、よもや家事で劣るなどと言うことはありはしないのだ!!逆を言えば、彼女たちがお弁当を持参してくれた方が、私にとっては都合が良いとも言える。何せ、実際に料理の腕を、小太郎自身にジャッジして貰えるのだから。ふふっ…………見てなさい、小太郎に群がる小娘たち!!世の中若さだけじゃどうにもならない場合があることを、その身を持ってとくと味あわせてあげるわっ!!!!「くふっ…………くふふふっ…………」思わず右の拳をぎゅっと握りしめ、ガッツポーズまで決めてしまった。いけないいけない…………良い大人なんだから自重くらい出来ないと。そんな風に考えつつも込み上げて来る笑いは抑えられない。ふふっ…………ああ、小太郎が私のお弁当を食べた時、どんなリアクションをしてくれるか、今からとても楽しみだわ。「…………何だ、いつになく絶好調だな?」「ひにゃぁぁあああっ!!!?」び、びびびびび、びっくりしたぁ…………。不意に呼びかけられて、思わず瞬動で飛び退いた私。慌てて声が聞こえた先に視線を移すと、そこには良く見知った同僚の姿があった。「か、神多羅木先生っ!? ど、どど、どーしてこんな場所、というか時間にっ!?」ダークカラーのスーツにサングラス、口元に豊かな髭を蓄えたその紳士は、自分の顎髭を一撫でし。「ただの散歩だ」と、事もなげにそう答えた。…………って、さすがにそれで納得は出来ないわよっ!?一体、どこをどうすれば、こんな時間にこんな場所を散歩してるのよっ!?だ、大体!! 今日から春休みで、別にこんな早朝から出ていく用事は無いでしょうにっ!?…………ま、まぁ、さすがに今のを全部、口に出して言うつもりはないけど。思わず上がってしまった呼吸を整えながら、私は必死で自分を落ち着かせたいた。…………か、かなりハードな動きしちゃったけど、お弁当、寄っちゃったりはしてないわよね?一応気を遣ってはいたつもりだが、恐る恐る、私はお弁当のふたを開き、中身を確認する。…………ほっ。良かった。崩れてないみたい。安堵の吐息を零しつつ、私は普段通りの表情を作り、神多羅木先生に向き直った。「それで? 急に声を掛けて来たんです、何か御用があったんじゃありませんか?」「…………さっきやたら可愛らしい悲鳴を上げてた奴と同一人物とは思えない代わり身だな」「そ、それは忘れて下さいっ!!」い、いいじゃないですかっ!? 私が可愛らしい悲鳴を上げたって!!女は、いつまで経っても乙女でいたいものなんですっ!!胸の中でそんな抗議をしつつ、私はきっと神多羅木先生に射抜くような視線を向ける。しかしそんな私の威嚇めいた行動にも、彼は臆した様子一つない。ただポケットから煙草のケースを取り出し、そこから出した一本を加えて火を付けただけだ。そして紫煙を吐きながら、彼はぽつりと、こんなことを言い出した。「まぁ、同僚のよしみで一つ忠告しとこうと思ってな」「忠告? 何か今回の任務に、注意事項でもありましたか?」「いや、任務とは直接的に関係はないんだが…………」そこまで言うと、彼はらしくもない様子で、後ろ手に頭を掻き、再び煙を吐き出しながら告げる。「まぁ…………余り羽目を外して、自分の立場を忘れるな。以上だ」その言葉に、私は自分の顔から、さぁっと、血の気が失せていくのを感じた。がくがくと震える手で、神多羅木先生を指差す。ま、まさか神多羅木先生…………。「も、もしかして…………え、ええと、バレて、ますか?」「ゴホンッ…………あー、何だ。別に言いふらしたりしないから安心しろ。恋愛事は人それぞれだ。モラルを守ってれば咎める理由はない」「~~~~っっ!!!?」か、完全にバレてるっ!!!?ど、どどどど、どーしてっ!?わ、私誰にも言ってないのにっ!?「ど、どどど、ど、どっ!?」「どうして、か? まぁ、あいつの前だとお前さん、らしからぬ言動が多いからな。後は何だ、経験的に類推した」「っっ!!!?」う、嘘でしょっ!?神多羅木先生は、そういうことには疎いと思ってたのにっ!?慌てふためく私に、神多羅木先生は更にこんな追い打ちをした。「―――――まぁ、少なくとも在学中に手を出すのだけは止めておけよ?」その瞬間、私が悲鳴を上げながら、その場を走り去ったのは言うまでもない。SIDE Touko OUT......SIDE Setsuna......「はいせっちゃん。これお弁当。みんなで分けてな? コタ君とキリちゃん良ぉ食べるさかい、ちょっと多めに用意しとるえ?」女子寮の玄関で、私はお嬢様から渡された包みを、丁重に受け取った。お嬢様の言葉通り、その包みはやや重く、それが彼に対しての想いを込められて作ったものだと言うのが、ありありと伝わってきた。「確かに。ありがとうございます、お嬢様。すみません、お手数をおかけしてしまって…………」そう告げた私に対して、お嬢様は苦笑いを浮かべながら、そんなに気にせんで良えよ、とフォローの言葉を掛けてくれた。…………こんなことではダメだな。彼女の厚意を嬉しく思う反面、自らの立場を考え、心苦しくなっている自分がいる。自分は本来、このようなことをして頂ける立場ではないというのに…………。そんな考えが表情に出ていたのか、気が付くとお嬢様は心配そうに、こちらの顔を見つめていた。…………いけないいけない。こんな風に、この人の表情を曇らせるようなことは、二度としないと誓ったはずなのに。だから私は、せめてこの出立の瞬間、彼女に笑顔で居てもらいたくて、自ら精一杯の笑みを浮かべて向き直った。「ご心配なさらずとも大丈夫です。私も小太郎さんも霧狐さんも、以前よりずっと強くなっていますから。それに今回は刀子さんもいらっしゃいますし、必ず皆無事に帰って来ることをお約束します」「へ? あ、ああ、ちゃうんよっ。ウチが心配しとるんはそういうことやのうて…………いや、もちろんそれも心配なんやけど、それは前に『みんなのこと信じる』いうて約束したから、今さらどうこういうつもりはのうて…………」「??? では、一体何を?」妙に歯切れの悪いお嬢様の態度に、私は思わず首を傾げた。他に心配するようなことなんて、何かあっただろうか?そう思っていると、お嬢様は、うー、なんて可愛らしい呻き声を上げながら、私のことをジト目で睨み始めた。え、ええっ!? わ、私、何かお嬢様のご不孝を買う様なことをいたしましたかっ!?も、もしそうだとするならば…………ここはこれしかない!!「…………切腹いたします。お嬢様、お手数ですが解釈の方をお願いいたします」私は床に正座し、自らの愛刀をお嬢様に奉げた。…………この身はお嬢様に尽くすためのもの。もしそれが、お嬢様を不快に為させているというのならば、最早この命に意味などないっ!!なればせめて、最後はお嬢様の手に掛かって…………。「わーっわーっわーっ!!!? せ、せっちゃんちょおタンマっ!? な、なしていきなり切腹になるんっ!?」「お嬢様がこの身を御不快だと感じられるのならば、もはや現世に留まる意味など…………」「ちゃうちゃう!! ちゃうえっ!? 別にウチ、せっちゃんのこと不快やとか思ってへんよぉっ!?」「へ?」で、では何故、私のことを睨んでおいでだったのでしょう?そんな疑問に、私は目を丸くしながら、お嬢様を見上げる。お嬢様は私の視線に身じろぎすると、先程と同じばつが悪そうな、どこか恥ずかしげな表情で、両手の人差し指を、ちょんちょんっ、と付き合わせる。…………お嬢様、そんな姿もたいへん愛らしい。って、そうではなくっ!!私の疑問に対して、お嬢様はどこか答えにくそうに、口をもごもごとさせる。しかし、しばらく正座のまままっていると、ぽつり、とこんな言葉をお零しになられた。「その…………抜け駆けとか、せえへんよなぁ、って、思てんて」「はい?」抜け駆け? 私が? 誰に対して?…………って、そんなの一人しかいないではないかっ!!!?その結論に至った瞬間、私の顔は今にも火を噴き出しそうな程に熱くなった。「お、おお、お戯れをっ!! わ、わわわ、私にそのような度胸はありませんっ!!」そんなこと、お嬢様も御承知でしょうにっ!?しかしそんな私の訴えも余所に、お嬢様は相変わらず、可愛らしく半目になりながら、私のことを睨み続けている。「せやかて、分からんえ? 旅先の空気は、人を開放的にするいうし…………」「ざ、残念ながら、今回の旅路はそのような色気とは無縁のものだと思いますが…………」 何せ、日本でも屈指の妖怪、その復活を阻止できるか否かの是非が、私達に掛かっているのだ。とてもじゃないが、そんな浮かれた雰囲気にはならないと思う。…………とはいえ、帰りの道行でもし小太郎さんが疲れて眠ってしまったりしたら…………。「…………ひ、膝枕くらいやったら、その、良えかも知らんなぁ…………」前にお嬢様が小太郎さんにされていたとき、心なしか小太郎さんの表情も和らいでいたような気がするし。そんなことを考えていたせいか、ふと思ったことが素の口調で零れてしまっていた。しまった、と、そう思ったときにはもう遅い。見るとお嬢様は、先程よりも目尻を釣り上げておられたのだから。「むーーーーっ!! やっぱ抜け駆けするきやったんやー!! せっちゃんのばかぁっ!! ウチ、せっちゃんのこと信じとったんにーーーーっ!!」うわーん、なんて鳴き声でドップラーを聞かせながら、自室へと走り去って行かれるお嬢様。ああ、泣き顔もなんて可愛らしい…………ではなくっ!!「お、お待ちください、お嬢様ーーーーっっ!!!?」…………この後、私はお嬢様の誤解を解くのに、出発ギリギリまで掛かってしまうのだった。SIDE Setsuna OUT......用事を済ませた俺は、ゲートで自室まで戻って来ていた。出発する前に、一応ネギには一言声を掛けてお居た方が良いと思ったからだ。…………まぁ、これってただの自己満足な気がしなくもないんだけどね?ぶっちゃけちまうと、一昨日俺が彼女にした問い掛けって、別にこのタイミングで俺がしなくても、きっといつか、誰かがしてたと思うんだよ。原作的に言えば、まだ本格的な戦闘を彼女が経験していないこの時期、わざわざ計画前倒しにして、あまつ明日菜とセットで説教するとか…………ねーよな?そんな訳で、俺は自己嫌悪入りつつ、こんな自問自答を2日前から繰り返している。それ故、ここでネギに声を掛ける行為は、ただの自己満足であり、彼女にとって何ら益のないものだ。こんなんで仕事の方は大丈夫なのか、とか思われそうだがそこはそれ。きちんと切り替えることが出来て何ぼのプロだ。公私の区別くらいは、な?そう言う訳で、意を決しつつゲートを抜ける俺。その瞬間、俺の鼻腔を芳ばしい香りがくすぐった。あれ? 結構まだ早い時間なのに、もしかしてネギのやつ、もう起きてんのか?そう思ってキッチンの方へ視線を移すと、案の定と言うべきか、大きめのパジャマの上からエプロンを纏ったネギの姿があった。「あ、おかえり小太郎君」「お、おう。ただいま」あまりにもいつも通りな雰囲気で、気さくに笑顔さえ浮かべて声を掛けてくれた彼女に、思わず虚を突かれる。な、何か、いつもと変わらない?そんな彼女の様子に、俺は少々を意表を突かれて固まってしまっていた。凍りついた俺を余所に、ネギはそこそこの大きさがある包みを一つ、両手で抱えてこちらへと持って来てくれる。「ちょうど今出来たんだ。はいコレ、お弁当。手軽に食べられるように、サンドウィッチにしたんだ」得意料理なんだよ?なんて胸を張って言うネギ。寝起きのためか、さらしを巻いていないその胸は圧巻のボリュームで、何と言うか…………実にけしからん仕様ですな?…………って、そうじゃねーだろ俺(orzつーか、ネギのやつ…………これ、明らかに気を遣ってんだろ?見え見えだっつーの…………。恐らくは昨夜、俺が今日から任務で麻帆良を立つと聞いて、せめて心配させまいと気を回したのだろう。俺が彼女にした問い掛けで、彼女が気落ちしていると、俺が安心して任務に望めない、とそんな風に考えて。…………自分だって、そんな余裕なんてない筈なのにな。恐らく、父の背を追うことが全てだった彼女にとって、俺がした問い掛けは、あまりにも突拍子もない選択肢の提示だった。父の後を追わず、月並みな魔法使いを目指す。それは酷く安易な選択肢であるにも関わらず、恐らく彼女の中には、今まで存在しなかった者。頭の良く回る彼女の事だ、恐らくその道を選んだその先、父の背を負わなかった後、自分がどうなるのか?きっとそんなことも、それこそ知恵熱が出そうなくらい考えている筈なのに。…………不器用というか、お人好しと言うか。別にそういう辛いときくらいは、遠慮なく人を頼れば良いのにな?…………あれ? 今の言葉って、若干ブーメランっぽくね?まぁ、それはさておきだ。俺は小さく溜息を吐くと、右手を彼女の頭に、ぽん、とおき…………。「すま…………」スマン、と言いかけて、すぐに止めた。以前自分が彼女に対して、謝り過ぎ、もっとフランクに行こう、そんな旨の発言をしたことを思い出したのだ。…………せっかく彼女が気を遣ってくれてるんだ。そこに水を差す方が、野暮ってもんだよな?そんなことを考えて、俺は小さく浮かんだ苦笑いを噛み殺した。「? 小太郎君?」自分の頭に手を置いたまま、急に黙り込んだ俺を、ネギが不思議そうに見上げる。うむ、上目遣いがキュートだ。満点をくれてやろう。なんてバカなことを考えながら、俺は残った左手で弁当の包みを受け取り、彼女の頭をわしわしと、少し強めに撫でつけた。「ひぁっ!? な、何!? こ、小太郎君っ!?」「ははっ、ちょうど撫でやすい高さなもんやからついな」俺が右手を引っ込めると、ネギはむぅ、なんて可愛らしい唸り声とともに、分かりやすく頬を膨らませた。…………こういう仕草の一つ一つ、マジで天然だとしたら、こいつ本当に今まで良く、男として生きて来られたな。まぁ、それはどうでも良いことだ。少なくとも、こっちにいる内は、俺が目を光らせてるんだから。だから今は、ただこいつ、これだけ伝えておけば良い。俺は受け取ったばかりの弁当を掲げて、笑みを浮かべたままネギに言った。「わざわざおおきに。それと…………ちょっくら日本の危機を救いに行って来るわ」そう、今俺が彼女に告げるべきは、気遣いの言葉でも、謝罪の言葉でもない。ただ一言の礼と、いつも通りの、軽い出立の挨拶。恐らくそれが、彼女の望んでいる、俺の答えだろうから。そう思って口にした俺の台詞に、ネギは小さく、ぷっ、なんて吹き出した。「そ、それって、そんな軽い調子で言う様なことじゃないよね? し、しかも結構的を射てる辺りが…………ふふっ」「まぁ気負ってもしゃあないやろ? 自分の実力以上のもんなんて、そうそう出えへんのやさかい。やったら俺は、いつもん通り軽口叩いて…………」『―――――強くなりぃ。どんな苦境も悲劇も、笑い飛ばしてまえるような強い男に。あんたのお父んは、そういう人やで?』「―――――苦境も悲劇も笑い飛ばして、そんついでに何かを救うだけや」彼女に見せた、母との最後の記憶。その中で母が望んだ通りの己を貫くと、ただ彼女に誓う。それが今、彼女に出来る精一杯の気遣いだと、そう思いながら。「…………そうだね。変に真面目な顔してるより、その方がずっと小太郎君らしいよ」そんな俺の想いに答えるように、ネギは柔らかな笑みを浮かべて、俺の言葉に頷く。そして彼女は、一度だけ大きく深呼吸をすると、目一杯の笑顔でこう言った。「―――――行ってらっしゃい、小太郎君。日本の危機なんて軽く救って、また一緒にご飯食べようね?」それは俺の帰還を信じて疑わない、そんな子ども染みた期待を乗せた言葉。しかしその言葉が、どうしようもなく心地良いと感じている辺り、俺もそうとう子どもっぽいよな。だから俺は彼女に、いつもとは違う、ただ力強い戦士としての、獣の笑みを浮かべて答えた。「―――――行って来るわ。帰って来たら、こん前の肉じゃが、たらふく食わせてくれ」彼女がしっかりと頷くのを見届けて、俺は踵を返した。受け取った包みを、旅行用のスポーツバッグに詰め、竹刀袋に収まっていた影斬丸を、スポーツバッグとは反対側の肩に背負う。そして俺は、それ以上の言葉を告げぬまま、自らの居室を後にした。彼女との間に、それ以上の言葉は無粋だと、不要だと、そう感じていたからだ。何、気負うことは無い。先刻自分で言った通りだろう。どんな苦境も悲劇も笑い飛ばして、ついでに日本を救って来る。そうして俺は、笑い飛ばした勢いのまま、笑顔でここに帰ってくれば良い。気遣いも謝罪も、その時になればいくらでも出来る。だから今は…………。そんな風に考えながら、俺は駅前と踏み出した。この旅路が、この6年間の終結に。そんな展望を抱き、彼方への一歩を踏みしめながら…………。