OUT SIDE......…………1ヶ月前。―――――月が哂っていた。それは愚者を慈しむようにも、盛者を嘲笑っているようにも見える。否、その笑みに意味があると思うのは、即ち人間のロマニズムに過ぎない。「…………見てみぃ? お月さんが哂(わろ)とるで?」しかし、その男はその月を、哂っていると評した。深山幽谷と呼べる森の中、男は巨木の幹に背を預け黒天を仰ぐ。それは先述のロマニズム等ではなく…………。「詩人だね。しかし半蔵。哂っているのは月ではなく、君だろう?」己の貌を、月に投影しただけの発言だった。銀髪を肩程に伸ばした少女は、感情の無い瞳で男…………自らが半蔵と呼んだ人物に近付いて行く。光など一切ない夜闇の中で、少女の髪は月光に濡れ、まるでそれ自体が輝いているかのように光を放っていた。一歩、また一歩と彼女が踏み出す度に光が揺れる。「義腕の調整、まだ時間が掛かるのかい? 結界を張っているとは言え、そう長くは…………」「心配には及ばへん」抒情を唄った男の言葉を無視し、自分たちの置かれた状況を確認しようとした銀の少女。しかし彼女の言葉を男は遮り、右の義腕を顔の前へと掲げて見せた。「へぇ…………見事だね? とても義腕とは思えない出来だ。魔法…………呪術の使用も問題ないのかい?」「そりゃわいの謹製やからな。自分の腕を作るくらいどうということもない。それに…………」もともと狐のように切れ長で、刃の冷たささえ感じさせる男の双眸が、すうっと細められる。そして、男が掲げていた右の義腕、その先にある掌を天に向けた途端…………。男の手の中に、拳台の炎が灯った。月に濡れた少女の銀髪以外、一切の明かりを持たなかった山中が、ぼんやりと照らし出される。男は視線だけで銀の少女を一瞥し、告げた。「…………それが使えへんかったら、材料集めんのに半年も掛かった挙句更に半年、こうして調整に時間掛けた意味があれへんやろ?」男の言葉に、銀の少女は表情を変えず、しかし…………。「フッ…………愚問だったようだね」小さく、吐息だけで笑って見せた。それに満足したのか、男は少女から視線を外し、自らの掌に灯る炎を覗く。ゆらゆらと風に揺られる炎を見つめ、男は小さく口端を笑みの形に歪めた。そんな男の様子に、銀の少女は小さく、しかし確かに首を傾げる。「月と炎がそんなに好きなのかい?」「何や、今日はいつになく質問が多いな?」男の質問に、無表情だった少女の眉間が僅かに寄せられる。「質問に質問で返すのは生産的とは言えないね。半蔵、君の悪い癖だ」不快を露わにして言った銀の少女。その様子は、生来の彼女からは珍しいものであり、男はそれに目を丸くして…………。「ははっ。そいつはスマンかったな」悪びれた様子もなく、可笑しそうに笑った。「月と炎が好きか、やったな? どうやろうな…………好きでもあり、嫌いでもある。けどま、思い入れだけは一しおや。何せ…………」―――――全てを喪うたのは月の下、全てを始めたのは炎の中やったからなぁ。感慨を込めてそう答えると同時、男は義腕の五指を握り締め、掌に灯った炎を消す。周囲は再び闇に閉ざされ、銀の少女だけが唯一の光源となった。銀の光を灯す少女は、男の言葉を胸の中で反芻し小さく頷く。「思い出、というものか。長きを生きられない人間が、前へと進み続けるための重要なファクターだね。大切にすると良い」「おうおう、相変わらず上から目線やなぁ?」口調とは裏腹に、男は愉しげに口端を歪めながら少女に言った。「別に思い出いうんは人間だけのもんとちゃうで? 人形とはいうても、自立思考してる自分かて、大切にしとる記憶…………記録の一つや二つあるやろ?」「…………」銀の少女は男の問い掛けに沈黙し、止めていた足を再び踏み出した。そして彼女は何を思ったのか、男が背を預けていた巨木の幹に、彼とは背合わせとなるように背中を預け…………。「あるとも。人に曝すものでもなければ、曝すつもりもないけどね」明確な肯定と拒絶で、彼の問い掛けに答えたのだった。予想通りの答えだったのか、男はさして気にした風もなく、そうけ、と短く返すのみ。「…………さて、話を戻そうか? 結界を張ってはいるけど、移動中に掛かった追手がそれを突破するのも時間の問題だ。ボクとしては早急な移動を進言するね」先と同じ無表情を顔に張り付け、淡々と機械的にそう告げる少女。男はそんな少女の様子に首を傾げながら、ふと疑問を口にした。「それ、わいに確認とる意味あんのん?」「…………」緊張感の欠片も感じられない男の物言いがあまりに酷かったのか。能面の少女も、これにはさすがに絶句していた。「…………有事において平常心を失わないことは評価に値する。ああ、前向きに物事を捉えることは、自己を納得させる上でとても重要だね」「あれ? わい、もしかして遠回しにバカにされとる?」「そんなことはないさ。ただ…………報告書における君の評価に『狡猾な策士』と記載した人間を永久石化したくなっただけで」「おお? みる目があるやるもおったもんやなぁ? 狡猾な策士、わいにぴったりの称号やんけ?」「…………このやり場のない感覚は何かのバグかな? だから、ここでボクが君を石化しても、バグのせいにして片付けられるよね?」「コラコラ。自分の理解の及ばへんことを、何でもかんでもバグのせいにしたらあかんやろ? バグも良い迷惑やで?」「…………ボクにとっては、この意味のないやり取りこそ迷惑に違いないんだけど?」少女がそう言って魔力を右手に集中させ始めた辺りで、男は咳払いとともに話を戻すことにした。「ゴホンッ…………つまりこーいうことやろ? 『自分は自立意志で動いとるけど、行動方針はわいに手を貸すこと』せやから『具体出来な行動方針はわいが決めろ』とそんな感じやないか?」ようやく男がまともに答えたことに満足したのか、銀の少女は右手の魔力を霧散させて小さく頷く。「分かっているなら、最初から妙な問答をしないで欲しい。時間を浪費する行為は、君にもボクにとっても有益ではないからね」無表情で有りながら、少女の語気は僅かばかりの不機嫌さを表したものへと変わる。男はそんな彼女の様子に苦笑いを浮かべると、幹に預けていた身体をゆっくりと起こし天を仰いだ。「さて、どないするか…………自分の言うた通り移動するか? それとも、追手と一戦交えとくか?」どっちが好みや? と、男は黒天を望んでいた視線を、幹越しに立つ少女へと向ける。銀の少女は男の問いに、ハァ、と短く嘆息した。「ボクに選択を委ねるのかい? 先程の問答を繰り返すつもりなら、ナンセンスだとしか言いようがないけど?」「言うてみただけや。とりあえずは移動が優先。わいの右腕は調整が終わたばっかで、どこまで実践に堪え得るかテストが必要やしな。闘るんはそん後で良え」少女から、次は視線を自らの右義腕へと落とし、男は視線の先で右手を軽く握り、そして開く。対して少女は、先の彼と同じく、幹に預けていた身体を起こし、とんっ、と地面を蹴った。瞬きの間に、銀の少女は男の眼前へと立つ。「なら、そのテストとやらが終われば、ようやく京都、ということだね?」そして彼女は、男の顔を見上げながら、やはり無感動な瞳でそう尋ねた。男は突如として眼前に現れた少女に、さして驚いた様子もなく小さく笑みを作る。「いんや。京に行く前に、2つばかし手に入れときたい『力』があんねん」しかし告げた言葉は、少女の問いに対する否定のものだった。能面の少女、その目が僅かだが、見開かれる。ともすれば身落としてしまいそうなその変化。しかし、少女との付き合いが一年ほどになる男は、その微細な変化を確実に読み取り、声を殺して笑っていた。「…………理解に苦しむね。君の『鬼喰い』とボクの力、そして彼女だけでも十分に西の本山は落とせるはずだ。なのに何故君は、ここでなお過剰に力を求める?」「過剰? ははっ。上から目線もここまで来るといっそ爽快やな?」少女の言葉から、彼女が自らの力に絶対の自信を持っていることに気が付いたのだろう。男は少女の物言いを『傲慢』だとそう告げ、しかしそのことを愉しげに、一笑に伏す。「思い上がんな小娘、とでも言うとくべきか? まぁ、わいのキャラとちゃうし、時間も惜しいから正直に理由を話しとくか?」「…………そうやって意味もなく勿体ぶるのも、君の悪い癖だよ」「はいはい。まぁ、言うなれば歴史が証明しとることに則っとるだけやで? 過去の戦において、勝利を収めて来たんは頭数…………戦力を備えてきた者やあれへん。寡兵であっても、二重三重…………ときには数十手先まで大局を見据え、策を弄して来た者たちや」男の言葉に納得がいったのか、少女は顎に手を当て、しきりに頷く。「なるほど。それは確かに事実だ。つまり君は『鬼喰い』以外にも、切り札を用意すべきだと、そう言いたい訳だね?」「まぁ、噛み砕いて言やそういうことや」男は口元に薄い笑みを張りつけながら、銀の少女に小さく頷く。銀の少女は、一応の納得はしたものの、しかし、そこで新たな疑問を思い、顎に当てていた手を話すと、胸の前でクロスさせた。「しかし、策を切り札をというのなら、力を得る前に一つ、やっておくべきことがあると思うんだけど?」言葉を告げると同時、少女は銀糸を揺らし、男の右腕、義腕の基部である肘、を指差す。「…………君の弟、犬上 小太郎と言ったかな? 九尾の力を得た彼を、このまま放置しておくのは危険だと判断するよ」少女の言葉に、男は自らの右肘を左手で握り締め、しかし口元の薄い笑みを崩すことはない。「その笑みは余裕、と判断して良いのかな? しかし、それこそ思い上がりだろう。君がその腕を作っている間に、恐らく彼も九尾の力をものにしているはずだ」かつて自らが格下だと断じ、手を下すに値しないと見逃した相手を、しかし少女は過小評価しない。その脅威と将来性を見据えた上で、この男が何らかの処置を講ずると、そう判断しからだ。加えて言うなら、かつてその相手は、少女にとって手を下すことが出来ない対象であったことも、その判断の一因と言える。しかし、彼女の期待を裏切り、男はこの一年、弟である彼の少年に対して、何の処置も行ってこなかった。自らの失策によって敵に取り込まれた烱然九尾。まるでその力を、弟がものにすることを愉しみに待つかのように、彼はただ、己が身体の再生にのみ心血を注いできたのだ。だがしかし、少女はそのことを咎めない。この男は、打算や謀略、それ無しには動かない人物だと、そう確信しているからだ。そしてその評価を肯定するように、薄い笑みを浮かべた男は、黒天に浮かぶ月の形に歪めた唇を動かした。「逆やで? 奴をほっとけんから、わいは自分の言う『過剰な力』を求めとんのや」「…………そうかい。なら、ボクの方からはこれ以上何の要求も無い。君は君の悲願を果たすため、ただ全力を尽くしてくれれば良い」「そいつぁおおきに」やはり傲慢ともとれる少女の物言いに、しかし男は気を悪くした様子はない。ただ薄く歪めた口元はそのまま、刃のような双眸を、僅かばかり細くしただけだ。そして男は、三度黒天を見上げる。哂う三日月は、気が付くと南天に高く、高く坐していた。「まぁ、奴のことはそう気にせんで良いと思うで? ただの勘やけど、2つ目の目的地じゃあ奴とかち会うことになるような気がするさかい」あくまで勘やけど、と念を押して、男は視線を少女へと落とした。男の視線を、真正面から受け止めた少女は、疲れたように嘆息し。「ならば、その2つ目の目的地とやらで、ボクらは君の弟君たちと矛先を交えることになるわけだね」告げ、小さく肩を竦めて見せた。「おいおい? 決めつけんのは良くないで? あくまで勘や言うたやろ?」「決めつけてはいないさ。しかし、エビデンス(根拠)のあるデータは信頼に値する」この一年で君の勘は外れた試しがない、と無表情なままに告げる少女からは、呆れのような諦めのような、そんな感情が感じられる。くつ、と喉を鳴らした男は、何度か頷き。「なるほど、それは確かに信頼できるデータやな」銀の少女の言葉に同意を示した。小馬鹿にしているとも取れる男の反応に、しかし少女は眉を顰めることすらしない。元より喜怒哀楽という感情に乏しい彼女だが、特にこの男が相手となれば、その言動に一々腹を立てるのは無意味だ。この人を喰ったような男は、他人の怒りを煽ることこそが、至上の喜びなのだから。故に少女は男を咎めない。彼女は機械的に、与えられた使命をこなす『人形』に過ぎないのだから。そのため彼女は、不敵な笑みを零す男を無視し、己が使命を果たすため、行動を開始しようとする。「では彼女を呼び戻そう。ボクとは反対側…………西の結界の偵察に向かわせた筈だけど…………」そこまで言いかけて、銀の少女は、不意に口を噤んだ。見ると、笑っていた筈の男も、笑みを顰め自らの頭上、明らかに風以外の何かに揺られる木々を見上げている。かさかさ、と葉と葉が擦れる音が断続的に響いた。そして…………。 ―――――トンッ。まるで木の葉が舞い落ちたような軽やかさを持って、長い金糸が虚空を舞った。「はぁ~~~~…………あきまへんわ~。追手の方々、えらい勢いで結界喰い尽しなはるんやもの~」金糸を舞わせた人影は、その台詞が示す緊迫感をまるで感じさせない間延びした京弁で、自らがここに戻った理由を告げる。そんな彼女の様子に、黒い男と銀の少女はそれぞれ顔を見合わせ、少女は嘆息を、男は笑みを持って反応を示した。「??? ウチ、何や可笑しなこと言いましたかえ~?」2人の反応が、自らの予想と余りに食い違っていたのだろう。金糸の少女は、着地で僅かにずれた眼鏡を元の位置に戻しながら、不思議そうに首を傾げる。銀の少女は呆れたように、そして再び嘆息した。「ハァ…………いや、君たちに緊張感を求めることの方が酷か。問題ないよ月詠。ああ、問題ない。ちょうど君を呼び戻そうと思っていたところさ」「へ!? ほなら、いよいよ打って出はるんどすな!?」切り放題や~♪などと小躍りを始めた金糸の少女に、銀糸の少女は目眩でも覚えたのか、右手を額に当て溜息を吐いた。これには流石の男も苦笑いを浮かべ、銀糸の少女を代弁するように、金糸の少女を諌める。「待て待て戦闘狂。さすがにここで追手と闘るつもりはあれへんて。一先ずはこっから移動するんが最優先や」「えぇ~~~~? …………ハァ。ほしたら、まだしばらくはお預けどすなぁ? いえ、お給料貰とる身ぃどすし、雇い主の方針には従いますえ? けど、こないにいつまで経っても逃げの一手どしたら、さしものウチかて、剣も腕も錆びてまいます~…………」そう言って眼鏡の少女は、小躍りを始めた際、両手に握っていた小太刀と長刀ごと、腕をだらんとしなだれさせた。そんな彼女の様子を、気に止めないという方針を固め、銀の少女は額に当てていた手を離し、再び腕を組むと男に向き直った。「それで半蔵? まず最初の目的地はどこなんだい?」そして銀の少女は、彼女たちの頭目である男に、これから向かうべき道筋を問う。男は再び薄く笑うと、黒天の月が南にであると断じそこから四方を類推、目的地があるであろう先、西を指差した。「まずは三重…………伊勢の鈴鹿山や。でもって2つ目の目的地は…………」男は指差した先、さらにその奥を見据えるよう、両のまなこを僅かに細め、告げる。「―――――香川…………讃岐にある白峰陵や」不敵に口元を歪め、空に浮かぶ月と同じく、もう一度男は哂うのだった。OUT SIDE END......ネギと明日菜に覚悟を問い掛けてから一夜が明けた。別れ際に刀子先生が言っていた通り、本日は終業式。そのため授業はなく、H.R.と形ばかりの式で、学校は午前で終了。生徒たちは、正午を待たずして解散となった。…………余談だが、俺に通知表を手渡す際、目があった刀子先生がかなり挙動不審だったことを付け加えておく。まぁそれはさておき、終業式を終えた俺は今、ある人物に呼び出され学園都市内にある総合病院を訪れていた。以前、霧狐が入院した、あの病院だ。例によって、俺と離れるネギには、チビを護衛として付けている。放課後は明日菜と昨日の件について相談したいと言っていたから、まぁ都合が良かったと言えば良かったのだろう。とはいえ、せっかくこうして春休みを迎えれた初日に、いきなりの呼び出しとあっては、さすがの俺も辟易だ。しかも呼び出した人物がヤツとなればなおさら…………。俺は盛大に溜息を吐きながら、エレベーターを降りた。降り立ったのは11階。魔法関係者のみが入院する特別病棟。エレベーターを降りてすぐ右手の通路を真っ直ぐ済んだ先に見える一際大きな扉。この病棟において、もっとも大きな特別個室の扉の先に、俺を呼び出した人物がいる。俺は再び溜息を吐くと、頭をぽりぽりと掻きながらもその扉を目指して廊下を歩いた。やけに長い廊下を歩き、ようやくその扉の前に辿り着く。扉の隣に貼られたネームプレートを、俺はジト目になりながら一瞥し、そして三度溜息を吐いて、ゆっくりと扉を開けた。すると…………。―――――開かれた扉の先、病室のベッド上には、後頭部縦長の明らかに奇形した木乃伊が横たわっていた。「…………世界を揺るがす衝撃の歴史的発見!! 宇宙人の木乃伊発掘か!?」「何故新聞の一面風!? とゆーか、まだ乾燥死体にはなっとらんぞい!?」新聞やニュースの見出し風に、見たままの状況を告げた俺に対して、横たわっていた木乃伊はがばっ、と上半身を起こして抗議の声を上げた。予想以上に元気そうなその様子に、俺は小さく舌打ちする。ちっ…………ぴんぴんしてやがるとは、やっぱヤキが足りなかったか。とはいえ、一応立場的には目上の人間だ。俺は顔に笑みを張り付け、ジョークジョーク、なんて言いながら、彼が横たわるベッドに近付く。そしてその隣に置いてあった丸椅子を一つ引き寄せ、許可を取ることも無くそれに腰掛けた。「いやぁ、しかし大変そうやな? 年齢的に急速回復呪文使うたら、変な淀みが残りかねへんから、自然治癒力強化系(ただしかなり微弱)でしか治療できひんのやて? ホンマ気の毒になぁ? まぁ、回復力野生動物並みの俺には、まるで分からん苦しみやけども」「フォッフォッフォッ。ワシ、久々に殺意が湧いたぞい? 一体誰のせいでこうなったと思っとるんじゃ?」起こしていた状態を再び横たわらせ、包帯越しに青筋を浮き上がらせるという、かなり高度な芸当を披露しつつ木乃伊…………もとい学園長は俺に言った。ああ、ちなみに学園長をぐるぐる包んでいる包帯は、今言った自然治癒強化の術式が施された呪符な。ともかく、俺は右手をひらひらさせながら笑みでそれに答える。「そう目くじら立てんと。あれは不幸な事故やってんで? 俺かて相手が学園長やって分かってたら…………さすがにちっとは加減したやろうし」「あれぇ!? ワシが処刑される結末回避されてなくね!?」疑問の声を上げる学園長だが、俺はその訴えを完全に無視。床頭台の上に置いてあった、見舞いの品と思しき果物の籠詰めからリンゴを一つ拾い上げた。でもってゴミ箱を足元に引き寄せてから、無詠唱で影精を一体召喚し、果物ナイフ台の刃にしてしゅるしゅるとその皮を剥いて行く。いや、魔法の無駄遣いと思うかもしらんけど、コレ結構便利なのよ? 後で洗う必要ないし。「しかしこないな状態で俺を呼び出しとは仕事熱心やなぁ? 最近は問題起こした覚えあれへんから、どうせ何かの依頼やろ?」「…………ハァ。まぁそうじゃが…………というか許可なく人の見舞い品に手をつけるのは控えた方が良いぞ?」ご心配なく。相手は選んでますんで。ともあれ、学園長はもはや言っても無駄と判断したのか、小さく咳払いを一つ。そして居住まいを正し(だけど木乃伊のまんま)、有事に放つ、組織の長独特とも言える雰囲気を纏った。「しかし、君もワシとそう変わるまい? 昨夜ネギ君達にした問い掛け、いささか越権行為に映らんこともないが、あれも護衛の仕事といえばそうじゃろう?」「…………」リンゴを剥いていた手が、ふと止まる。…………こんの化け狸、昨日のあれをどっから覗いてやがった!?とゆーか、全然懲りてねぇだろっ!? やっぱヤキが足んなかったか!?とはいえ、俺は内心の動揺を悟られぬよう、顔には笑みを張り付けたまま、止めていた手を再び動かし始めた。そして視線を学園長に向けることなく、手元のリンゴを中止したまま話しを進める。「別にあれは仕事と思ってへんよ。ダチとして、単純に2人のこと心配してでた言葉や」「ふむ、心配のう…………」何でもない風に答えた筈の俺に、学園長が含みのある口調で、そう繰り返した。「そう言う割には小太郎君。君の中では既に、彼女らがなんと答えるか、おおよその答えは出ているように見受けられるがの?」そして俺はもう一度、学園長の言葉に手を止めた。俺の中で決まっている彼らの答え。恐らくは学園長も、既にその答えを知っている。故に彼は、俺の行為を咎めず看過していたのだ。この化け狸には、ほとほと恐れ入る。「ま、問い掛けは質問と違うて、相手がなんて答えるか、それを考えた上でするもんやろ? つーか、そこまでネギや明日菜の動向に執心してる自分らは、あいつらに一体どうなって欲しいねん?」まさか彼女の父、ナギ・スプリングフィールドと紅き翼の後釜。次代の英雄に、なんて大それたことを企んでいるとは、さすがに思いたくは無い。いずれ周囲に望まれずとも彼らはそうなっていくだろうが、武の英雄なんて、所詮戦が終わればただの広告塔。望むと望まざるとに関わらず、政治の道具と成り果て、骨の髄まで国家や組織にしゃぶりつくされるだけだ。この老人は腹黒いが、少なくとも無情ではないと思っているから。そんな俺の思いを知ってか知らずか、学園長は小さく溜息を吐いた。「多くを望むつもりはない。ただ…………ただ強く、強くあって欲しいと、そう願うとるだけじゃよ」短く呟いた老体。しかしその言葉からは、確かな思いやりが感じられる。故に彼の言葉に、俺も短く、そうけ、とだけ返したおいた。…………別に、彼女たちに利用される未来を望んでるって訳じゃねぇんだな。ただ強く、それには様々な意味が込められているのだろう。自らを護れるよう強く、世界に呑まれぬよう強く、そして自らを見失わず済むように強く、そんな様々な意味が。故に俺は、それ以上紡ぐ言葉を持たなかった。俺が沈黙したことで、学園長はこの会話が終了したと結論したのだろう。再び小さく咳払いすると、さて、本題に入るかの?と話を切り出して来た。止めていた手の動きを再開させ、俺は耳だけを彼の言葉に傾ける。明らかに礼を欠いた行為に見えるが、しかし学園長は何ら咎めることなく、話しを続けた。「実はのう、先日2件ほど西の方で事件があったと婿殿から知らせを受けての」西での事件、その言葉にぴくりと眉が跳ねた。皮を剥き終えたリンゴを、ことんと床頭台の上に戻し、俺は視線を学園長へと移す。そして核心である問いを、彼へと投げかけた。「兄貴か?」この時期に西で起こり得る事件。その犯人への心当たりと、俺が呼び出された経緯を考え口にした。しかし学園長は包帯の向こうで目を伏せ、はっきりと首を横に振った。「直接君の兄上を確認した者はおらん。しかしの、1件目の現場では、銀髪の少女が目撃されとる」「!?」銀髪の少女。1年前、一撃の下に己を下したその少女を思い出し、俺は目を見開いた。「現場に居合わせた者が石化されておったこと、加えて君の報告書にあった石の魔術という類似点から、恐らくは件の襲撃者だと考えられる」「ああ、間違えあれへんやろ。ついでに言うなら、その嬢ちゃんがおった時点で、兄貴が絡んどると見て間違いあれへん」重々しく告げた学園長。その言葉を肯定し、俺は表情を歪める。…………ついに動き出しやがったか。一年前に、奴は右腕を失っている。その事から、再度動き出すまでしばらくの期間が必要になるとは踏んでいた。出来ることならそれまでに、極夜の葬送曲を完成させておきたかったが…………致し方ないだろう。俺は表情を真剣なものへと戻し、学園長に先を促す。「で? 詠春のおっちゃんから報告があった言うことは、もうちょい詳しいことも分かっとるんとちゃうか?」「無論じゃ。1件目の現場は伊勢の鈴鹿山。君の兄上が大物ばかりを狙うことを長に示唆し、警備を強化しておった場所じゃ」伊勢の鈴鹿山、大物。その2つのワードを切り出し、俺は逡巡した。兄貴が使役するのは、その地に所縁のある妖怪や土地神。故に今回もその地に関係した何かが目的だったと考えられるが…………。「…………まさかっ!?」その答えに行き当たり、俺は息を呑みながら顔を上げた。そして告げる。「鈴鹿山の大嶽丸か…………!!」時の英雄に滅ぼされた、その悪鬼の名を。そしてその言葉に、学園長はやはり重々しく、しかしはっきりと頷いた。日本三大悪妖怪と呼ばれる妖には、諸説様々ある。もっとも有力なのは2つの言だが、そのどちらにも共通して登場するのが、かつて兄貴が復活させた酒呑童子と、俺が取り込んだ白面金毛九尾の狐。そしてその所説は、残る一つの座に何を据えるか、その一点にて差異を見せる。一方の説においてその座に坐すのが大嶽丸だ。復活した上で、しかし再び討伐され、二度と黄泉返らぬ様、その首は宇治の平等院に奉ぜられた、確か伝承にそうあったと記憶していたが…………。「盲点じゃった…………とは言えぬの。伝承であるとはいえ、一度は黄泉返った妖怪じゃ。これまで再召喚出来なんだのは、その地が封ぜられておったことと、単純にそれだけの器を持つ術者が現れなんだだけなのじゃろうて…………」「けど、兄貴はその封印を破ったと?」「うむ。警備の者は全員石化されておったようで、現場を見た者はおらんがの。しかしながら、大規模な儀式召喚術の形跡があった様じゃ。恐らく大嶽丸召喚によるものじゃろう」「くっ…………!!」ぎりり、と奥歯を噛み締める。つまりは既に、大嶽丸は兄貴の手に渡ってしまったということ。報告書において、三大悪妖怪に関する遺物への警備強化を促す旨は進言していたが…………。「兄貴相手じゃ、焼け石に水やったいうことかい…………」加えて、敵勢にはあの銀髪の少女がいる。完全に敵の戦力を読み違えた、俺の責任だろう。「そう思いつめるでない。大嶽丸は召喚されてしもうたが、幸いにも人的被害皆無じゃ。全員石化されとっただけで、すでに治療も終えておる」肩を落とした俺に、学園長がそんなフォローの言葉を投げかけた。その言葉に、不謹慎ではあるが一応の安堵を認め、俺は小さく嘆息する。「ふぅ…………。ほな、もうかたっぽの事件言うのは?」そして俺は、学園長へもう1つの件に対しての説明を求める。元よりそれを伝えるつもりで俺を呼び出したその老翁は、小さく頷くと、先程よりも眉根を寄せ、僅かに首を傾げつつ告げた。「先の件は明確に君の兄上が絡んでおったが、こっちはちと不思議でのう。京の白峯神宮、そこで管理されておった『ある物』が、何者かによって盗み出されたのじゃ」「??? その『ある物』いうんも気になるけど、不思議いうんは、一体どういうとこがや?」うむ、と首を捻りながら、学園長は言葉を探すように沈黙し、四半秒と待たずして口を開いた。「それが、人的被害が皆無どころか、白峯神宮は襲撃すら受けておらんのじゃ。誰も気づかぬまま、いつのまにかその『ある物』が消え失せた。そういう状況でのう」納得がいかぬと、しきりに首を傾げる学園長。それに習った俺も、顎に手を当て首を傾げて熟考する。その状況から考えられる可能性を思案し、その中で最も有力なものを拾い上げる。そうして行き当たった結論は。「…………誰ぞ、内側から手引きしとった奴がおる、そういうことやんな?」「俄かには信じ難いが、その可能性は捨て切れぬのう」全く婿殿も不甲斐ない、などと吐き捨て、学園長は包帯に巻かれた腕を交叉させた。しかし兄貴を手引きする奴ってどんなだ?兄貴の目的は、恐らく西の長…………サムライマスターこと近衛 詠春の抹殺だ。それを行うお膳立てをして、呪術協会内部の人間にとって有益になることと言えば…………。「過激派による権力の掌握。おっちゃんの政敵いう可能性はないんか?」せいぜい思い当たる可能性を、俺は学園長に示唆した。学園長は俺の回答に、感心したように頷いたがしかし…………。「さすがに頭が良う回るのう。が、その線は既に洗い出したそうじゃ。過激派全員、白であったとな。ついでに言うておくと、白峯神宮は穏健派の管轄とのことじゃよ」故に不思議でならん、と学園長は腕を組んだまま、再び首を傾げた。まぁ、誰が裏切ったかは兄貴を捉えるなりすりゃ、どの道明らかになることだ。今はそれを気にしても仕方がないだろう。故に当面の問題は…………。「その『ある物』いうんは、結局何なんや?」兄貴と思しき人物が盗み出したというもの、それの正体に他ならない。学園長は組んでいた腕を解き、ちらちらと周囲を確認すると、左手でちょいちょいと、俺を手招きした。「???」こんな包帯ぐるぐる巻き奇形木乃伊状態の老体に顔を寄せるとか、どんな罰ゲーム?なんて失礼なことを考えながらも、俺は学園長の意志に従い耳をその口元に寄せる。俺が耳を寄せた瞬間、学園長はしゃがれた声を限界まで絞り、告げた。「―――――血書五部大乗教じゃよ」「っっっっ!!!!?」その言葉に俺は息を呑み、目を見開いた。「ば、バカいうたらあかんてっ!? アレはフィクションやろっ!? つーか仮に実在しても、瀬戸内の底に沈んどったんとちゃうんかいっ!!!?」慌てて叫んだ俺に、学園長は包帯をもごもごさせながら、しかし楽しそうに笑う。「フォッフォッフォッ。若いのう。それと、病院では静かにの?」「言うてる場合かっ!!!?」つーか、俺が部屋に入って来た時、アンタだって叫んでただろっ!!明らかに血圧を上昇させて言った俺に、学園長は笑みを崩さず続ける。「何、若いと言うたのはその反応だけではない。その判断もじゃよ。火の無い所に煙は立たぬ。まぁ、本当に崇徳院の血書かは定かではないがのう」「そ、そうは言うてもな…………つか、瀬戸内に沈めた云々の話はスルーかいな?」「いやいや、もちろん沈んどったよ? それを近年、一般の漁船が底引き網に引っかけて掘り起こしてのう。あわや一般公開、となる寸前で西側が回収したのじゃ」あのときの婿殿の様子は笑えたのう、なんて飄々と告げる学園長に、俺の方はさっきから嫌な汗が止まらなかった。―――――血書五部大乗教。それは先程述べた、日本三大悪妖怪に所縁のある品だ。先述の通り、日本三大悪妖怪には諸説あり、有力な二説の内一方は最後の一座を大嶽丸とするもの。そして残るもう一説は、酒呑童子、九尾の狐、そして最後の一座に実在したとある人物を据えたものだ。崇徳院…………生きながらに夜叉となり、京の都を祟った彼は死して後、京に祀られ皇族の守護神とされる一方こうも呼ばれる。―――――日本三大悪妖怪が最後の一角、讃岐の大天狗、と。血書五部大乗教は、彼が讃岐に流される原因となった勢力争い、即ち保元の乱によって亡くなった者たち、その菩提を弔うために自ら写経した経文である。しかし、単なる経文であれば、何もやれフィクションだ、呪いのアイテムだなどと騒がれることはない。もちろん、五部大乗教そのものが、長大な上に難解であり、その習得が困難なことも、その高名に拍車をかける一因である。しかしながら、それも忌避する理由にはなりはしない。何せ寺社に祭られて然るべきものだからだ。ならば何故、俺がここまで忌避するのか、それはその血書五部大乗教が失われる至った経緯にある。崇徳院が讃岐にて書き上げた五部大乗教は、彼の意向通り一旦は京へと運ばれた。しかし、時の朝廷はこれを呪いの込められた品であると疑い拒絶。送り返された経文を受け取った崇徳院は怒り狂い、その血で記された血書の上に、こう書きなぐったとされる。―――――曰く、願わくは、大和の大魔閻となりて天下を悩乱せん五部大乗経をもって廻向す。―――――曰く、皇を取って民となし、民を皇となさん。―――――曰く、人の福をみては禍とし、世の治まるをみては乱をおこさしむ。この後、院は狂乱の末、憤死された。埋葬の折、天は突如として翳り、風が吹き荒れ、院の遺体を納めた棺からは血が噴き出したという。それから数年に渡り、京は禍に襲われ、疫病が流行し、その死者はおよそ5万に上るとさえ言われている。…………以上が、血書五部大乗教の出自だ。日本三大悪妖怪に諸説あり、その中に彼の名が含まれぬ物が存在するのは、後の世の人間が彼を余りに恐れ、その名を記すことさえ憚ったからかもしれない。つーか、何が恐ろしいって、歴史を見たら一目瞭然だよな?だってこの保元の乱の後、崇徳院の末期の言葉通りに『皇が民』に『民が皇』になったんだぜ?いや、確かに武家政治のことを、そう判断するのは当て擦りが過ぎる気もするけどさ、少なくとも皇族でない人間が数百年跨ぎで政治をしていたのは確かだ。その後大政奉還が行われて、明治の世が始まった際も、時の天皇はまず、彼の神霊を京に迎え入れることから始めたっていうんだから、その名が持つ恐怖にも納得だ。まぁ、とにもかくにも、もしそんなのが今の世に光臨したら大騒ぎだってことに変わりは無い。ゲームバランス考えてねぇどころの騒ぎじゃねぇ。こんなの倒せそうにないから、いっそウル●ラマン呼んでくれってレベルだ。なのにこの化け狸ときたら…………。「何でそないに悠長にしてられんねん…………」けたけたと、当時の長の様子を思い出しているのだろう、独特な笑い声を上げる妖怪ジジイをジト目で睨みつけて、俺は静かにそう呟いた。「フォッフォッフォッ。先も言うたじゃろう? 発見された五部大乗教が、崇徳院が記したものかどうかは定かでない、と。とはいえ、千数百年を経て海底で朽ちず、その形を留めておったことからも、相等な怨念…………おおっと失言じゃったな? まぁ、魔力を有しておったのは確かじゃ」放置しておいて良い代物ではなかろ? と老体は包帯の内側で、己が片目のみを閉ざしこちらを一瞥する。…………つーか、包帯越しでこんだけ表情伝わるって、実は凄い芸風だよね? 今度教員の飲み会で披露することを強く勧める。「まぁそれで、放置しておく訳にもいかんから、こうして君を呼んだ訳じゃよ。その意味が、博識な君なら言わずとも分かろうて」こちらを試すような、そんな物言いの学園長に、俺は苦笑いを浮かべながら頷いた。「はいはい。九尾の力を持っとる俺なら、確かにこの任務には適任やろうな」その俺の回答がお気に召したのか、学園長は包帯の内側で、ニヤリと口元を歪め頷いた。………やっぱ器用だよなぁ。つーか、芸人気質?「とはいえ、さすがに状況が状況じゃ。今回の任務は君の他に、現場指揮として葛葉君、予備戦力として刹那君、霧狐君にも同行してもらおうと思うておる」「はぁっ!?」苦笑いしながら頷いていた俺は、しかし学園長が告げた名に、素っ頓狂な声を上げてしまった。「いやいやいや!! あかんやろ!? センセと刹那は分かる!! けどなして霧狐やねん!? 荷が重過ぎるんも程があるわ!!」先生と刹那、俺はもともと西の出身であり、現在の立ち位置は『麻帆良への出向』という扱いになっている。まさに西での活動には打って付けの面子だ。しかし霧狐は違う。確かに出自は東西のどちらにも属さない上、俺の親類縁者ということも相まって、先述の立ち位置と言う意味では問題はない。しかし問題なのは彼女の実力だ。兄貴だけでも十二分に危険なのに、そこにあの銀髪の少女まで噛んで来てるとすれば、そこは正しく死地に他ならない。兄として、たった一人の妹をそんな死地に連れていく訳にはいかない。そう判断して声を荒げた俺だったが、学園長はそんな俺の様子を、一笑の下に伏した。「過保護じゃのう。死地に送ろうとしとるワシが言うのもなんじゃが、少しは彼女を信頼してはどうじゃ? 護られてばかりでは強くなれんことを、君は良う理解しとるじゃろうに」「それは分かっとる!! 俺はただ、時期尚早過ぎるいうてんねん!!」「ふむ、ならば付け加えて置こう。これは彼女の望みでもある。有事の際は、躊躇い無く自分を使って欲しい、とな」「!?」学園長の言葉に、俺は絶句した。彼女が望んでいる…………?それは霧狐が、闘いたいと、そう望んでいるということ。かつての俺や刹那が抱いた気持ちと同じように、自分は護られてばかりの、そんな立ち位置を良しとしないと、妹はそう願っていると言うこと。…………学園祭の鬼ごっこで、いやにはしゃいでいると思ったらそう言うことか。遊びとは言え、彼女は嬉しかったのだろう。俺と言う、いつかともに闘いたいと思っていた存在に、頼ってもらえたことが。そう思い至った俺は、閉口することしか出来なかった。黙った俺を一瞥し、学園長は咳払いとともに、表情を一変させる。それは組織の長のものでも、魔法使いとしての物ではない。まるで孫の成長を喜ぶ、好々爺のような優しい笑みを浮かべて、彼は言った。「今一度言おう。少しは妹を信頼してはどうかの? ともに闘うため、そして自らの身を護れるようするため、この一年彼女を手元に置いて来たのじゃろう?」「…………」その言葉に、俺は僅かに逡巡した。しかし、ここまで札を切られては、俺の手元には、もう何のカードも残ってはいない。仕方なく諦め、俺に出来たことは盛大に溜息を吐き、僅かばかり彼の言葉を訂正することくらいだった。「ハァ…………みくびんなや学園長。俺はあいつを『自分くらい護れるように』やなく『誰かを護れるよう』鍛えて来たったつもりやで?」「フォッフォッフォッ。そりゃあスマンかったのう」包帯の向こう、老人は楽しそうに笑うと、再び片目だけで俺を見据える。そして彼は、改めてこう告げた。「では小太郎君。改めて命じよう。明朝より、葛葉 刀子、桜咲 刹那、九条 霧狐の3名とともに、讃岐は白峰陵に立ち、到着次第同地の防衛に当たる事。良いな?」その言葉に、俺はしっかりと頷く。「了解や。最優先は大天狗としての崇徳院復活阻止。それで良えな?」うむ、と学園長は頷き、ぴっ、と右の人指し指から3本ほどを立てる。「今君の言うた通り、今回君の最も優先すべき任務は白峰陵に安置された崇徳院のご遺体、その悪用を阻止すること。そして2つ目が奪取された血書五部大乗教の奪還、あるいは破壊。そして最後が君の兄上、犬上 半蔵一味の拿捕じゃ。君としてはまことに遺憾じゃと思うが、ここは堪えて貰うしかない」良いな、と改めて念を押す学園長。俺は灰汁が出て、変色し始めたリンゴをひょいっと持ち上げて人齧りし、言った。「当然。まだ大人とは言えへんけど、その理屈が分からんほどガキでもない」「フォッフォッフォッ。よろしい。では今日のところは帰宅し、明日に備えてくれるかの?」再び了解と答え、俺は座っていた丸椅子から立ち上がる。俺の歯型が付いたリンゴを、ぽんぽんと掌で弄び、ゆっくち出口に向かっていた俺は、ふとあることに気が付いて足を止めた。「なぁ? 俺がおらん間、ネギの護衛ってどないなるんや?」麻帆良在学中、俺が最も優先すべき任務は彼女の護衛であり、その秘密の隠匿にある。さすがに学園長も俺が不在の間、その任に就く者を空席にしておいて良いとは思っていないだろう。「それなら心配には及ばん。君が任務についてくれとる間、ネギ君には英国へ一時帰省して貰う手筈じゃ。偶々魔法世界へ行くことになっておったタカミチ君が、道中の護衛も兼任してくれることになっておるし、後顧の憂いはなかろうて」「そりゃあ何とまぁ…………棚から牡丹餅なんか、自分らの手回しが良えんか…………」タカミチの件は前者だが、ネギの帰省に関しては明らかに後者だろう。大方『異性との生活が続いては息もつまるじゃろう? どうかね? ご家族を安心させるためにも、春休みを利用して帰省しては?』とかなんとか言って彼女を言いくるめたのだろう。まぁ、それで彼女の身の安全が保障されるなら安いもの…………ん? ちょっと待てよ?麻帆良では俺が護衛で、道中はタカミチが護衛なんだよな?確か彼女は、麻帆良に来る際にもタカミチが迎えに行ったっていう話しだ。そんだけVIP待遇で護られていると言うことは、当然今まで暮らしていたウェールズでも、彼女は何らかの存在に護られていた筈。しかし一体誰が?イギリスでネギの周りって、そんな戦闘向きな人員揃ってなかったと思うんだけど。ふと気になって首を傾げていると、不意に学園長が言った。「ネギ君がイギリスにおいてどのように護られていたか、それが気になっておるのかの?」「…………読心術とか使うてんなら、一応釘は刺しとくで? 次やったら病院やのうて墓場に直行や」「フォッフォッフォッ。そんなもの使わんでも、君の顔にはっきりと書いておるよ」俺の脅迫に臆した様子も無く笑い、学園長はふむ、なんて最もらしく呟くと、包帯に巻かれた顎、恐らくは彼の豊かな髭が生えているであろう部分を撫でる。「君の懸念している通り、ネギ君はウェールズにおいても庇護されておった。紅き翼所縁の者たちが持ち回りでの。が、最近は1人の魔法使いが専任となっておる」包帯の下で、学園長がにやりと口元を歪ませた。「―――――爆炎の魔女。それが彼女…………ネギ君を護る魔法使いの通り名じゃ」SIDE Negi......「帰省するって…………またいきなりな話ね」目を丸くしながら、アスナさんは呟いた。放課後になってすぐ、タカミチに呼び出されたボクは、彼から学園長の言伝を聞かされた。その言伝の内容は大体こんな感じ。『周囲が異性ばかりで心身ともに疲れてるだろうから、家族を安心させる意味でも、春休みを利用して帰省してはどうか?』正直な話、ボクとしてもお姉ちゃんたちに一端顔を見せて置きたかったし、事実疲労が蓄積していたこともあって、その提案をありがたく承諾させて貰った。それでその後、ボクは約束していた通り、最早お決まりになりつつある駅前のオープンカフェでアスナさんと落ち合っている。アスナさんは注文したコーヒーにミルクを注ぎ、それをスプーンでクルクルとかき混ぜながら、さらにこんなことを呟いた。「それも明日には日本を立つだなんて、本当にいきなりな話よねぇ」苦笑いしつつ、アスナさんは程良くミルクと混ざったコーヒーを一口啜る。そんな彼女に釣られて苦笑すると、ボクはテーブルに置いてあった、自分のミルクティーを手に取り言った。「必要な手続きは学園側でしてくれるという話だったので、せっかくなのでご厚意に甘えようと思って。それに…………いろいろ考えるにしても、一度故郷に戻るのが最善だとも思ったんです」「いろいろね…………確かに、それが良いのかも」ボクの言葉に、アスナさんは昨夜のことを思い出しているのだろう。不意に遠く、轟音を響かせ白い軌跡を描く飛行機を見つめながら、感慨深げに声を零した。彼女に習って、ボクも空、軌跡を描く4枚翼に視線を当てる。…………昨日、小太郎君から見せて貰った光景に、アスナさんはどんなことを思ったのかな?そう考えると、あのときのアスナさんの様子を思い出す。そしてその中に、違和感を覚えたボクは、その疑問を正直に彼女に尋ねてみようと思った。これから春休みの間、色んなことを決断して、良くも悪くも、ボクは一歩を踏み出すことになる。それに…………もしかすると、アスナさんとこうして言葉を交わすことも、もう数えるほどしかないかも知れない。そう考えると、ちょっとした疑問でも尋ねておくべきだと、そう感じてしまったから。だから躊躇いつつも、ボクは彼女にその質問を投げかける。「あの、アスナさん…………もし、答えたくなかったら答えて頂かなくて結構なんですが、もしかして、小太郎君が体験したような惨劇を、前にも見たことがあるんですか?」「ぶはっ!?」「うわっ!? ちょっ!? あ、アスナさんっ!? だ、大丈夫ですかっ!?」ボクが問い掛けた瞬間、啜っていたコーヒーを盛大に吹き出してしまうアスナさん。ボクは慌てて彼女にお絞りを手渡し、自分の分のお絞りを広げて、テーブルに飛び散った飛沫を拭った。「い、いきなりなんて事聞くのよっ!? あのね? 私はあんたたちと違って、あくまで一般的な中学生よ? あんな…………あんな恐ろしいこと、そうそう体験してるわけないじゃない?」そりゃ映画とかドラマは別だけど、と一人ごちながら、アスナさんはボクの渡したお絞りで、口の周りを拭く。ま、まぁそれはそうだよね…………。そうでなければ、ボクは彼女の前で魔法を使う時、あそこまで躊躇ったことは、ただの取り越し苦労だったってことだし。「す、すみません。その、昨日のアスナさんの様子が余りに落ち着いて見えたから、ひょっとして、なんて思っちゃって…………」「ああ、そのことね。確かに、昨日の態度は自分でも、あれはなかったかなぁ?とか思ってるけどさ…………」思い当たる節があったのか、アスナさんは改めてコーヒーに口を付けると、今度は遠くではなく手元、コーヒーが注がれたカップへと視線を落とす。ミルクで濁った水面を覗き込む彼女の様子は、まるで自らの深淵を臨もうとしているかのようだった。「何か、驚きとか、怖いとか以前にさ、凄く納得しちゃったのよ」そして彼女は、力なく笑みを浮かべながら、そう口にしたのだった。「納得、ですか?」「そ。納得」視線をボクに写した彼女は、先程よりも僅かばかり生来の明るさを取り戻して、にっ、と小さくはにかむ。それからアスナさんは、ボクが促すよりも先に、その納得が一体どういうものなのか、ぽつり、ぽつりと言葉を紡いでくれた。「何かさ、これまで小太郎を見てて、『あいつって、何か私達と違うなぁ』ってそう思ってたの。多分私だけじゃなくてさ、他のみんなもそう思ってると思う」「それは…………」確かに、そうだと思う。彼と出会って日の浅いボクでさえ、これまで何度も、彼と自分との差異…………言い換えれば、彼と似ていると言う父と、自分との間にあるものの正体に首を捻った。しかしその正体は、未だに見つけることが出来ないでいる。その答えに、彼女は思い至ったというのか。その先が気になって、ボクは無意識の内に口を噤み、紅茶のカップを握る手に力を込めた。「1年のときにあいつに強くなりたい理由を聞いたとき、あいつなんて答えたと思う? 『俺は欲張りで、大事なものがたくさんあるから、それを全部護るため、世界最強の座を目指す』ですって。小学生か!?って思わず突っ込みそうになったわよ」くすくすと忍び笑いをもらしながら、だけどアスナさんは真剣な様子で、そのときのことを振り返っていく。「でも、そんときのあいつがあんまりにも真剣で、そのとき気付いたのよね。『ああ、こいつはきっと、何に対しても一生懸命なんだって』。笑うのも怒るのも、身体鍛えるのもサボるのも、でもって、ムカつくことに人を驚かしたりからかったりするときもね?」だけどさ、とアスナさんはそこで言葉を区切り、笑っていた表情を曇らせた。「自分とあいつの違いには気付けたけど『じゃあ何でそんなに一生懸命なの?』って別の疑問が出て来ちゃってさ。その正体は、今の今まで分からないままだったのよ。それが昨日、あいつの記憶を見て全部分かった…………」―――――あいつの命は、あの村の人たちみんなが、自分たちの命と引き換えに護ってくれたものだったんだって。アスナさんが呟いた、命、と言う言葉。それは教科書やテレビで見るものより、ずっと重たくて、気が付くとボクは喉がなるほどの勢いで、生唾を飲み込んでいた。「あいつのいた村って、見た感じ小さな村だったじゃない? だから、あそこに住んでた人たちって、きっとみんな家族みたいな感じだったと思うのよ」それは何となく分かる。かつてボクが暮らしていた、ウェールズの村も同じような雰囲気だったから。だからこそ、小太郎君の喪失が、ボクには痛いほど良く分かる。…………ううん。それはきっと思い上がりだろう。ボクは確かに失ったけど、それは二度と戻らぬと決まった喪失じゃない。しかし小太郎君は違う。彼が体験したのは文字通り永久の別れ。二度と会うことの出来ない、そんな喪失だ。「あいつは、そんな大勢の家族の命…………そういうものすごく重たいものを預けられて、だけどそこから逃げずに、全部受け止めて真っ直ぐつっ走ってる。お母さんとの約束を護りたくて、バカみたいに強くて、何でも笑い飛ばして…………それでそのついでに、誰かを救えるような、そんな男になりたくて。だから一生懸命、みんなに預けられたその命を、精一杯生きようって、そう思ってるんだって、私は考えちゃったわけよ」そこまで話すと、アスナさんは持っていたカップをテーブルに戻し、ぐうっ、と大きく身体を伸ばした。「ん~~~~っ…………柄にもないこと話すとやっぱ疲れるわねぇ? けどまぁ、そういうこと。ついでに言っとくなら、あいつは同情なんか求めてないと思ったの。あいつはただ、お母さんとの約束通り強くなって、助けられた命を精一杯生きて、それで誰かにありがとう、って言って貰えたら、それが何より嬉しいんじゃない? 私の知ってる犬上 小太郎って、確かにそう言う奴だし」にぱっ、と今度はいつもの彼女らしく、楽しげな笑みでアスナさんは言った。…………この女性(ひと)は凄いなぁ。ボクは小太郎君の記憶を見せて貰って、やはり一番強く抱いたのは『どうして彼ばかり、こんな辛い想いをしなきゃいけないの?』っていう憐憫だった。しかし彼女は最初から、彼がそんなもの望んでないと、そう気が付いていたのだ。彼はそんなものより、自分の行動の結果、たまたまでも誰かが救われればそれで良い。それでもし、その人が自分にお礼なんて言ってくれれば、それでだけで心底満足してしまう。彼は…………犬上 小太郎は確かにそういう人だ。それはきっと付き合いの長い短いで気付けた差異じゃない。きっとこの人だから…………神楽坂 明日菜だからこそ、気が付けたこと。…………何だか、敵わないね?図書館島の一件でもそうだったけど、改めて彼女の器が、とても大きい物だと感じたボクは、肩を竦めて嘆息することしか出来なかった。「…………飲み物、冷めちゃったわね?」「へ? あ、ああ、ホントですね」残念そうに零したアスナさん。彼女の言葉を受けて、自分のティーカップに触れると、熱いと感じる程だったカップは温くなってしまっていた。アスナさんは温くなってしまったコーヒーを一気に煽ると、テーブルに置いてあったトレーごとそれを持ち、立ち上がる。「さて、そろそろ私帰んなきゃ。さっき電話来て、号外配るからって言われちゃったし」「それじゃ、ボクも帰って出発の準備をすることにします」笑顔で彼女に答えて、ボクは同じように紅茶を飲み干し席を立った。そして2人連れだって返却台に食器を戻し、やはり2人でお店を出る。示し合わせた訳でもないけど、気が付くとお店をでるまで、ボクらの間に言葉はなかった。口にはしなかったけど、内心、アスナさんも思っていたのかもしれない。―――――こうして話すのは、今日が最後かも知れない。ボクが危惧したそんな結末に、彼女また薄々感付いているのだろう。だから、ボクはお店の出入口、2人にとっての分かれ道になる場所で、彼女の袖を小さく引いた。「ん? どうかしたの?」そんなボクの行動を不思議思ったのか、アスナさんは首を傾げながらボクに視線を落とす。特徴的なオッドアイを真っ直ぐに見つめて、ボクは精一杯の想いを込めて彼女に言った。「…………アスナさんの決意を邪魔するつもりはありません。だけど…………だけどもし、ボクが麻帆良に戻った時、アスナさんが何も言わずに、ボクのことを忘れてしまっていたら…………もし、そんなことがあったら…………」堪えながら、ボクは零れそうになるものを必死で抑え、言葉を紡いだ。「…………きっとボク、また泣いちゃうと思います」その言葉が、今ボクに紡げる精一杯の想いだった。見上げた視界は薄く揺らぎ、アスナさんの目には、ボクの両目一杯に溜まった涙が映っているだろう。だけど、それを零すことは、溢れさせることは出来ない。きっとそれは、彼女の決意を邪魔することになるから。だけどせめて…………せめて、願うくらいは欲しい。―――――どうか、彼女が何も言わずにいなくなることだけは、それだけはありませんように、と。「…………全く。私の周りには、どうして頭良いのにバカなやつが多いのかしら?」アスナさんは溜息交じりにそう呟くと、優しく笑みを浮かべて、ぽん、とかつて小太郎君がそうしてくれたみたいに、ボクの頭に手を置いた。そして赤子をあやすみたいに、優しくボクの髪を撫でつける。「安心しなさい。どんな選択するにしたって、あんたに何も言わず、記憶を消したりしないわよ。だって…………」言葉を区切ったアスナさんは、にっ、と実に彼女らしい笑みを浮かべた。「―――――私達『友達』でしょ?」「あ…………」その言葉を受けて、ボクの脳裏に昨日、小太郎君に対して言ったことばが思い出される。『―――――友達のことは、そりゃ知りたいわよ。特にあんたみたいに、普段から何考えてるか分かんないような奴のはなおさら。ましてやそれが、命に関わるようなことならね。』…………そうだった。この女性(ひと)は、そういう存在を何より大切にしてくれる人だった。なのにボクは、そんな彼女を信じ切れず、また子どもみたいに泣きそうになって…………。気恥しくて、頬が熱くなる。だけど視界は、すでに涙に滲んだものではなくなっていた。だからボクは彼女にならい、ボクにできる精一杯の笑みを浮かべる。「―――――はいっ!! ボクたちは『友達』です!!」そして告げる。彼女と自分の絆を確認するように。二度と見失わないように。…………大丈夫。アスナさんがもし、全てを忘れる道を選んだとして、何も怯える必要なんかない。魔法のことは、今度こそバレないよう、気を付けなくちゃいけないだろうけど、そんなの些細な問題だ。きっとボク達は、また友達に戻れる。仮にそれが難しくても、きっと小太郎君がボクのことを助けてくれる。もちろん、助けてもらってばかりじゃダメだろうけど、今はそれで良い。いつかきっと、彼にもアスナさんにも、何かを返そうと、そういう覚悟はあるのだから。だからボクは春先の空の下、ただ一つを願う。―――――どうか彼女が選ぶ未来が、明るいものでありますように、と。SIDE Negi OUT......