―――――あれから20分後。なおも刀子先生の秘密を暴露しそうになっていた霞深さん。そんな彼女と俺を引き離したかったのだろう、俺の腕を取った刀子先生は、一目散に式場となっているホテルへと駆け込んでいた。「はぁっ…………はぁっ…………さ、さすがにここまでくれば霞深ちゃんも…………」「…………その歩き辛い格好で、ようもこんだけ走れたもんやな…………」肩で息をしながら、駅前の方角を凝視する刀子先生。そんな彼女に俺は冷や汗を流しながら、感嘆の溜息を零すのだった。「まぁ、ちと早いけど来てもうたんやからしゃあないな。とりあえず、受付だけでも済ましとく?」「え? あ、ああ、はい。そうですね。それじゃあ、受付だけでも…………」そんな訳で、俺たちは招待状を片手に、ホテルのロビーへと向かう。しかし…………外から見てた以上に立派な作りだな。外観からも、このホテルが一流であることは想像に難くはなかった。とは言え、表向き一介の学生である俺が、こんな高級ホテルに入れる機会なんてある筈も無い。そのため、こうして実際に中を目にした俺は、ひたすらに目を丸くするしかなかった。…………菊子さんめ。これはかなりの玉の輿と見た。本当、人生というやつは何がどうなるか分からないものだな。これまで、かなり波乱万丈な人生を送って来た俺だったが、改めてそんなことを感じていた。ちょうどその時だ。「あれ? もしかして刀子じゃない?」「あ、ホントだ!!」5、6人の女性たちが、刀子先生を見て、嬉しそうにそんな声を上げている。恐らく、外見から察するに、刀子先生の大学時代の友人だと思われるが…………。「みんな、お久しぶり」…………どうやら間違いないらしい。その一団に向けて、刀子先生は懐かしそうに微笑んでいた。しかし…………さすがは刀子先生と言うべきか。菊子さんを見た時も思ったんだが、こう…………お友達に綺麗どころが揃い過ぎちゃいないか?類は友を呼ぶということなのか、近付いて来た一団の女性たちは、刀子先生に負けず劣らずの美人揃いだった。普段から、何かと女性と接する機会の多い俺。とはいえ、それは殆ど同年代の女の子たちばかり。そんな訳で、大人のお姉さん方に囲まれた俺は何気に、柄にもなく緊張してしまい、女性陣の会話に入るタイミングを逃してしまった。…………な、何だろうね? この気まずい感じは?そんな風に、緊張で堅くなった俺を余所に、わいわいと久々の再会に盛り上がる一同。まぁ、本当に久しぶりの再会みたいだし、俺みたいな外野はしばらくの間空気に徹しておくのが上策だろう。そう結論付けて、俺は小さく苦笑いを浮かべた。しかし…………。「ところでさ? 葛葉さん、そちらの人は…………?」俺が空気に徹することを決意した直後、奇しくもそんな話題を振る刀子先生の友人A。ま、まぁ、空気に徹していようと、この場から姿が消える訳じゃないしな。さすがに自己紹介くらいはしとくべきだろう。そう考えて、俺は刀子先生に、話題振りをしてもらえるよう、静かに目配せをした。「え、ええと…………か、彼は、わ、わわ、私のっ…………そ、その、こ、こここ、恋人でっ…………」…………刀子先生、あんた一体いくつだ?俺が自己紹介しやすくなるよう、話の流れを作ってくれる筈だった刀子先生。そんな彼女は、どういう訳か、耳まで真っ赤にしながら、口をもごもごと動かすばかりだった。…………超可愛いですけどね。仕方なく、俺は溜息を吐きながら、彼女の隣へと一歩踏み出す。「初めまして。刀子の恋人で、犬上 小太郎言います」「~~~~っっ!!!?」ぽむっ、と刀子先生の肩に手を置きながら、笑顔でそう挨拶をした俺。その瞬間、刀子先生は更に顔を赤らめると、声にならない悲鳴を、必死に飲み込もうとしていた。…………くっ!! か、可愛いじゃないかっ!!ここまで来るともうわざとやってるとしか思えないレベルだよね?俺の一挙手一投足に、ことごとく普段からは考えられないくらい可愛いらしい反応を示してくれる刀子先生。そんな彼女に、正直俺の理性はTKO寸前だった。…………が、がんばれ俺!!思わず刀子先生をぎゅっとしたくなる衝動を、必死に抑えつける俺。そんなときだった。「「「「「「えぇ~~~~っ!!!?」」」」」」ここがホテルのロビーだということも忘れて、一斉にそんな悲鳴を上げる刀子先生の友人たち。初めて会った時の菊子さんを連想させるお姉さま方の反応に、俺は思わず苦笑いを浮かべた。「と、刀子の彼氏って…………わ、若過ぎる!!」「あ、あのっ!! 失礼ですが、おいくつなんですかっ!?」「ああっと…………今年で25になります」「刀子とはどうやって知り合ったんですかっ!?」「えーと、俺がNGOに所属してて、その仕事の関係で麻帆良に来たんが切っ掛けで…………」「ど、どっちから告白したんですかっ!?」「あー…………俺からです。一目惚れで…………」そしてやはり、出会ったときの菊子さん同様、矢継ぎ早に質問を浴びせて来る刀子先生の友人方。冷や汗をかきながらも、俺は何とかその質問を捌いて行く。そんな状況の中、ちらりと刀子先生の方を覗き見ると、さっきまでのおどおどした様子はどこえやら。何だか自慢げに胸まで張っている様子だった。…………まぁ、自分の彼氏(偽)が褒められたんだから、誇らしくなる気持ちは分からないでもない。そんな風に、何やらご満悦な刀子先生だったのだが。「いやぁ~、ウチの旦那とは偉い違いねぇ」「っっ!?」お姉様sの1人がそんな言葉を口にした瞬間、一瞬だが刀子先生の肩が震えたような気がした。…………ま、まさか?嫌な予感がして、俺はそ~ぉっとお姉様sの左薬指へと順々に視線を移していく。…………ジーザス。俺の悪寒を裏付けるかのように、彼女たちの薬指には、尽く燦然と輝くリングが嵌められている。つまりは、この場に居るお姉様方は、全員『既婚者』ということだ。そして先程の刀子先生の反応…………。俺は先程感じた悪寒、その正体を確かめるべく、恐る恐る隣にいる刀子先生の表情を伺う。すると…………。「~~~~っ!!」刀子先生は、きゅっと下唇を噛み締め、今にも泣き出しそうなのを必死に堪えていた。眼鏡をしていないため、露わになっているその黒目がちで綺麗な双眸には、今にも溢れだしそうな程涙が滲んでいる。…………スパーキング寸前じゃねぇかっ!!!?ま、まままま、マズイ!!は、早くこの場を離脱しないとっ!!!!「も、盛り上がっとるとこ申し訳ないけど、お、俺らまだ受付が済んでへんさかいっ。ほ、ほな刀子? 行こか?」「…………っ」声を出すと泣いてしまいそうなのだろう。俺が促すと、刀子先生は言葉を発することは無く、しかしながらしっかりと頷いてくれた。「…………うぅっ…………ぐすっ…………」何とか窮地を脱したものの、それで緊張の糸が切れたのか、刀子先生は友人たちと離れるや否や、ぽろぽろと泣きだしてしまっていた。…………うん。別に特殊な性癖というか、加虐嗜好持ちってわけじゃないけど、今の刀子先生の泣き顔はかなりそそるものが…………だからしっかりしろ俺!!と、ともかく俺は、受付だけでも済ませておこうと考え、嗚咽を零し続ける刀子先生をなだめつつ、近くにあったソファーへ座らせることにした。「す、すみません…………ぐすっ…………が、我慢しようと思ったんですが…………旦那の話をしてる彼女の様子を見てると、堪えられなくてつい…………ぐすっ」…………まぁ、気持ちは分からなくもない。さっきのお姉様の様子は、旦那と俺の違いを嘆いている、という体ではあった。しかし実のところ、彼女が漏らした言葉は『旦那への愛情』故のもの、と確かにそう受け取れる旨の発言だったからな。一度はその幸せを掴みかけておきながら、さまざまな事情の上でそれを失い、未だに独り身となっている先生には、彼女があまりにも眩しかったのだろう。そりゃ、泣きたくもなるわな…………。「…………ぐすっ…………わ、私だって、あんな男に引っかかって無ければ今頃っ…………うぅっ…………」「あー泣きな泣きな。せっかくの化粧が台無しになってまうで?」ぽろぽろと涙を零し続ける刀子先生に、俺は苦笑いを浮かべながら、スーツと一緒に購入したばかりのハンカチを取り出す。そして俺は先生の前にしゃがみこむと、それをそっと彼女の目元へと近付け、際限なく零れ続ける彼女の涙を優しく拭ってあげた。「こ、小太郎ぉ…………ぐすっ…………あ、ありがとうございますっ…………ぐすっ…………」しかしながら、拭いても拭いても、刀子先生の涙は留まることはない。…………何か先生を元気づける良い方法ってないもんかねぇ…………。そんな風に考えを巡らしてみるものの、そこは恋愛経験知ゼロの俺。全く持って、妙案が生まれそうな気配は皆無だった。「そんなに心配せぇへんでも良えと思うで? センセ、こんだけ可愛いんやし、嫁の貰い手なんざ、掃いて捨てるほどおるて」仕方なしに、俺はありきたりな台詞を口にする。これで先生が元気になってくれる…………とは、さすがに思っていなかったのだが。どういうわけか、俺がそう言った瞬間、刀子先生は俯いていた顔を上げた。「ほ、本当ですか…………?」「っっ…………!?」何度も言っているが、普段の凛とした雰囲気とはかけ離れた、今にも折れてしまいそうな、そんな生け花のような弱々しさをもって、そう尋ねて来る刀子先生。涙で潤んだ彼女の瞳を、真正面から見つめてしまった俺は思わず、はっと息を飲んでしまった。…………ぎゃ、ギャップ萌え恐るべし。こ、このまま無言で見つめ合っていると、本気で俺の理性が崩壊しかねない!!そう考えた俺は、ついに刀子先生を抱き締めようと伸ばしかけてしまった腕を、必死の思いで引き戻しながら、何とかこの状況を打破しようと口を動かした。「あ、ああ。そ、それに、結婚は徒競争とちゃうねんから、別に遅かろうが恥ずかしがる必要はあれへんて」「…………小太郎ぉ…………」「っっ…………!!!?」俺がそう言った瞬間、刀子先生は両目一杯に涙を湛えたまま、しかし、本当に嬉しそうに小さく笑みを浮かべる。その表情を見た俺が、再び息を飲んでしまったのは言うまでも無い。…………俺のばかぁぁぁぁぁあああああっ!!!! 状況悪化させてどうするんだよ、オィィィィィイイイイイっっ!!!?い、いかん…………こ、この場に居る限り、俺はこの危機状況から逃れうることは出来なさそうだ。「お、俺、受付け済ませてくるさかい、センセはここで待っててんか!? あ、あと、センセの分の受付けも済ませてくるさかい、センセの招待状も貸してくれっ!!」「へっ? あ、は、はい。お、お願いします…………」若干声を上ずらせつつそう言った俺に、刀子先生は一瞬きょとんとしたものの、すぐに自分の分の招待状を手渡してくれた。「ほ、ほな言って来るわっ!!」そして招待状を受け取った俺は、そそくさとインフォメーションへ向かってその場を立ち去って行った。…………あ、危ないところだった。もう少し判断が遅ければ、俺は間違いなく刀子先生の魅力にコールド負けを記していただろう。だ、だから大人の女の人の相手は怖いんだって…………。…………まぁ木乃香相手にもときどきこんな思いしてますけどね。そんな感じで、どうにか危機を乗り切った俺。あの後、宣言通り受付を済ませた俺はすぐに刀子先生の下へ戻った。でもって、その頃には刀子先生は落ち着きを取り戻していて、俺に向かって『み、見苦しいところを見せてすみませんでした』と、恥ずかしげに何度も謝ってた。その恥じらう姿が可愛くて、俺は再びアッパーなテンションでビートを刻むことになったのだが、まぁその話は置いておこう。それでその後だが、協議の結果、せっかく早めに着いたんだし、控室に居るであろう菊子さんのところに挨拶に向かおうって流れになった。そういう訳で、俺と刀子先生は今、『祝・○○(旦那さんの姓はご想像にお任せします)夫妻』花嫁控室という立て札が置かれた部屋の前に来ているのだが…………。「どないした刀子? 入らへんのんか?」俺の隣で、部屋の扉を凝視したまま微動だにしなくなった刀子先生に向かって、俺はそんなことを問い掛ける。「…………は、入りますよ? 入りますとも…………け、けど、少し心の準備をさせて下さい…………すぅ…………はぁ…………」「…………」そんな俺の問いに対して、刀子先生はそう答えた後、何やら深呼吸を始める。いや、友人の花嫁姿を見るのに、そんな深呼吸してまで気持ちを落ち着かせる必要がどこに…………。「…………だ、大丈夫、さっきあんなに泣いたんだもの…………もう涙なんてでないはずよ…………大丈夫、大丈夫…………」「…………」…………うん、ごめん。俺が悪かった。そうだよね。必要だよね。深呼吸。真剣な表情で、大丈夫、と何度も自分に言い聞かせている刀子先生を見て、俺は先程の自分の考えを改めることにした。「…………大丈夫、大丈夫…………ふぅ。い、行きますっ」「お、おう」緊張した面持ちで、入室を宣言する刀子先生。そんな彼女の緊張が伝染ったのか、俺まで声を上ずらせながら、そう返事をする。それを確認してから、刀子先生はゆっくりと、控室の扉を控えめにノックした。―――――コンコンッ。『―――――どうぞーっ』ノックのすぐ後に、聞き覚えのある明るい声で、そう返事が返って来る。刀子先生はここでもまた、かなり神妙な面持ちになりながらゆっくりとドアノブに手を掛けていた。…………ホント、俺までドキドキしてくるんで勘弁して下さい…………。そしてゆっくりと開かれる控室の扉。その瞬間、俺の目に飛び込んで来たのは…………。「刀子!! それに、小太郎君まで来てくれたんだっ!? 2人とも、ありがとーねっ!!」幸せいっぱいな満面の笑みを湛え、真っ白なウェディングドレスに身を包んだ菊子さんの姿だった。…………ふ、ふつくしい…………。もともとかなり美人の部類で、素朴な魅力を持っていた菊子さんだっただけに、純白の衣装がとても良く似合っている。先程から何度も刀子先生の魅力(+魅了の魔法)にやられかけていた俺だが、今度は目の前の花嫁さんにころっとやられそうな勢いだぜ。「えへへっ、招待状出したは良いけど、小太郎君はきっと、仕事が忙しくて来れないって思ってたからさ。本当に嬉しいよ」「他ならぬ菊子さんからの招待やからな。親の死に目を無視してでも駆け付けるで?」「あははっ、小太郎君ってば、相変わらずお上手だね~?」俺の軽口に声を上げて笑う菊子さん。その表情からは彼女が今、心の底から幸せを感じているのが、ありありと伝わって来た。…………菊子さん、良い人を見つけたんだな。結婚か…………。恋愛感情すら良く分かっていない俺には、かなり縁遠いものだと思ってだけど…………。こうして幸せそうな菊子さんを見ていると、いつか自分も好きになった女性に、こんな笑顔をさせてあげたいって思えて来るから不思議だよな。…………ん?そう言えば刀子先生、部屋に入ってから一言も発していないような…………。ま、まさか…………?そのことに気が付いた俺は、嫌な予感をひしひしと感じつつ、隣へと視線を移す。するとそこには…………。「う~~~~っ(だ~~~~っ)」…………先程とは比較にならない、それこそ滝のようにさめざめと涙を流す刀子先生の姿があった。やっぱり、この幸せオーラ前回の菊子さんを前にしては、深呼吸程度じゃ屁の突っ張りにもならなかったか…………。「うぅっ…………ほ、本当におめでとう、菊子っ…………ま、まさか、あなたに先を越されるなんてっ(ぼそぼそ)…………」嗚咽を堪えながら、何とか菊子さんへ祝いの言葉を述べる刀子先生。しかしながら、その直後にかなり小声で怨嗟の言葉が混じっていた。…………どんだけ悔しいんですか。「ちょ、ちょっと刀子!? そ、そんなに泣かないでよっ!? と、というか、そんなに私のこと心配して…………」泣き出した刀子先生を見て、慌ててそんな言葉を掛ける菊子さん。しかし次の瞬間、彼女の両目からも、ぽろりぽろりと大粒の雫が溢れだしていた。「あ、あれ? も、もぉっ…………と、刀子が泣いたりするからっ…………せ、せっかくのメイクが、ダメになっちゃうじゃんっ…………」刀子先生に釣られてしまったのだろう。一生懸命に笑顔のままでいようと努める菊子さんだったけど、一旦溢れだした涙は最早止めることは出来なかった。「あ、ありがとぉ、刀子ぉ。ぐすっ…………わ、私っ、刀子みたいな親友が居てくれて、ホントに良かったっ…………ぐすっ…………」「うぅっ、き、菊子ぉ…………ぐすっ、ど、どうして、あなたまでっ…………ぐすっ…………」結婚式の控室で、互いに涙に声を濡らす親友たち。しかしながら、2人の涙は余りにも盛大にすれ違っていた。…………教えてくれ。このシュールな状況下で俺は何をどうすれば良い?嗚咽を零し続ける2人の女性に挟まれながら、俺はひたすら途方に暮れるばかりなのだった。