ゲルマニア官界でタブーがあるとすれば、その筆頭はペチコートだ。ゲルマニアの官界は完全な実力主義である。他国とは異なり、辺境開拓の必要性から、女性の地位が決して低いというわけでもなく、男女の区別などよりも、むしろ官僚として使えるならば、山積している仕事をどれほど押し付けられるかでしか図らないのはゲルマニアならではだろう。だが、それほどまで、ある意味では開明的かつ実用的なゲルマニア官界においてさえ、禁忌は存在するのだ。ペチコート。実用本位のゲルマニアであるがために、その無用さを嫌ったと嘯いてはいるものの、これに対する忌避感は上層部になればなるほど強烈である。曰く、ペチコートを付けて目の前にのこのこ出てきたのならば、焼いてやろうかと某辺境伯など嘯いたというほどである。ペチコートに対するゲルマニアの忌避感は、根本的にはたった一つのシンプルな原因によるものである。それは、アンリエッタという一個人に対する嫌悪感であり、つまるところ、散々妨害されたという経験則による。ゲルマニアにおいて『ペチコートをはいたハイエナ』『ペチコートの悪魔』と政府関係者が憎しみをこめて口にする際は、その対象がアンリエッタと同義であると解釈して間違いない。彼女は、無能か?帝政ゲルマニアという巨大な暴力装置、それも極めて効率的かつ精緻な機構に挑むということを余人は、理解得ないだろう。乏しい勝ち目。はっきりと言ってしまえば、帝政ゲルマニアは一国で、ハルケギニアの全てと戦いうる列強である。当時は、まだそこまで意識されてはいないものの、実質的に列強としてのゲルマニアは完成していた。現在の感覚からすれば、ゲルマニアに挑むということは、あまりにも無謀であるということに同意するしかないだろう。ロイヤル・ネイビーに勝らずとも劣らぬ練度かつ、ガリアの両用艦隊に匹敵する規模を誇るゲルマニア艦隊。冶金技術故に、相対的に装備の質が高いゲルマニア歩兵。驚異的な兵站線の確立と、圧倒的な戦略機動能力。ガリアが全面戦争でも決意しない限り、ゲルマニアへの挑戦は無謀かつ無意味だろう。だが、それでもゲルマニアは確かに被害を被った。最悪のタイミングで、最悪の方角からの聖戦と称する連中の殴打によって。少なくとも、アンリエッタという少女は、政治的に見た場合、あまりにも無能かつ空想を抱いた少女であったが、アンリエッタと女傑に成長するに至り、ゲルマニアにとって無視し得ない存在となったのは間違いないのだ。トリステイン方面における問題を処理すべく派遣されてきたラムド伯爵の任務は、単純に言えば内政問題にけりをつけることである。いや、つけることであった。誠に彼とゲルマニアにとっては不幸なことに、ラムド卿の仕事は、加速度的に増大し、いまや内政問題どころか、国防問題にまで発展し、西方方面の防衛という実にありがたくない議論を、延々と関係者と行う羽目に陥っていた。無論、外交官にとって楽しいことではない。なにしろ、言葉で戦うのが、外交官だ。軍艦と銃剣で交渉するのもありではある。ありではあるのだが、結局のところ、破壊衝動に身を任せてぶち壊すのが目的でもない限り、やはり言葉というものが大きな役割を占めるのは変わりない。軍事力の行使も究極的には利益の追求か、利益の保護の観点からどこかで落とし所を探さねばならない以上、本来外交官が戦う舞台は戦争回避か、早期の落とし所模索となる。「諸君、知っての通り私は軍務が専門ではない。」だから、ラムド伯という現場の最高位に相当する貴族は、軍務が専門ではないのは、本人の責任ではない。責任ではないのだが、どうにか後任なり、ヴィンドボナからの指示が届くなりしない限り、現場で最終的に決断するのは、ラムド伯の役割とならざるを得ない。「まあ、直接杖を手にしての戦闘までの準備は、ある程度できる。」少なくとも、直接部隊をぶつけ合う戦術的な範疇は全くの専門外だが、場面を読み、手を整えるという場所では外交官としての経験もある程度は存在するし、思考パラダイムも似通っているために、そうそう遅れを取る心配もしていない。「よろしく補佐を願う。」そう述べると、属僚達に頭を下げ、さっそく彼は本題に入ることにする。時間はいくらあっても足りない。なにしろ、こちらは防御側であり、無駄なことをしている時間はないし、なによりゲルマニアの気風に全く合わないのだ。「肝心の龍騎士隊は?集結状況を知りたい。」単なる地上戦力であれば、移動に時間を要するだろう。賊程度であれば、警備兵や、その辺のメイジらを使えば、追い払える。艦隊だけであれば、まだ局所的な損害に抑えることも可能であっただろう。よほど纏まった数の艦隊でもない限り、地上に与える損害は限定的なのだ。空賊程度であれば、大きな町ならば追い払えないものでもない。だが、そのどちらも持ち合わせた軍隊に対抗するには軍隊を持ってせざるを得ない。その両者が組み合わさった場合、対処するのは容易ではないのだ。「難渋しております。率直に申し上げれば、アルビオンの龍騎士とやり合うには、あまりにも質、量ともに不足していると言わざるを得ません。」「状況が望ましくないのは、承知の上だ。クルデンホルフ大公国からはなんと?」ゲルマニア、西方防衛司令部。要するに、今回の矢面に立たされる不運な連中は、至極まっとうに戦力不足という問題にたいする解答を選択している。数が足りないならば、増援を。それも、できる限り精鋭を大量に。だから、可能性があれば、どこにでも動員要請を発する。たとえ、其れがあまり期待できない大公国だとしてもだ。「自国防衛の戦力が必要だと。」「では、増援は送れないと?」曲がりなりにも、友好国の危機に援軍を送る意志がないかどうか。ある意味で、究極の踏み絵に近いのが戦争である。味方で無いならば、少なくとも中立であってほしいと交戦中の交戦国は願う。だが、戦争が終わってみれば、大抵の場合どちらからも恨まれるのが中立国だ。曰く、戦勝国からは、奴らが味方すれば、これほどまでに大きな犠牲を払う必要がなかったと。敗戦国からは、見捨てられたせいで敗戦したと。「龍騎士隊母艦一隻の派遣に同意しました。陸兵は送れないものの、少数の空中戦力を急派するには吝かではないと。」だから、賢明な国家運営者はどちらにも保険をかけつつ旗幟を鮮明にしたように装うものだ。大公国が誇る龍騎士隊の派遣となれば、少なくとも額面戦力は十分な水準だろう。龍騎士隊母艦付きということは、当然艦隊行動につき従える。何かと利便性の高い部隊を心づくしで馳走するという形を取り繕いつつ、全体ではさしたる戦力を派遣しないことでどちらにも決定的な要素を持たせない。「・・・メンツを保ちつつも両天秤にかけると?」もちろん、それ故に世間からは、風見鶏と言わるだろうし、関係者から蛇蝎のごとく裏では警戒されるだろう。なにしろ、空中戦力を喉から手が出るどころか、全身一式新しく出てきかねない程にゲルマニアは空中戦力を欲している。例え、どこまで信用できるかわからない代物であっても、天秤に乗ったものに頼らざるを得ない。「いえ、さすがにそれだけではまずいと判断したようです。」「では?」「子女を従軍させると解答しています。」盟友への馳走。友好国との協力。うたい文句は立派極まるが、実態は人質を自発的に納めてくるという形を取ることによって、こちら側に媚びて見せる。だが、子供だ。所詮老臣が一人罪を問われれば、最悪の形は避けられる。なにより、派遣されてくる子女とやらが本物かどうかをまず疑わねばならない。「・・・やはり大公国は好かんな。政治的には満点だろうが、さほども自らの懐を痛めてはいないではないか。」子どもを人質に自発的に差し出すともなれば、形の上ではこの上ない信頼だ。だが、実際にはどれほどの意味があるだろうか。確かに、大公国にとっては、貴重な次代であるのかもしれないが、大公国自身の存続に勝る優先物もないと言えばないのだ。ラムド伯にしてみれば大公国の臓まで見透かせるだけに、クルデンホルフなる大公国に災いあれと叫びたいほどだ。「いざとなれば、その龍騎士隊が、護衛となって逃亡でしょうな。」政治的に味方の振りをするだけましなかもしれないが、正直どこまで信用できたものか。なにより、龍騎士隊とその母艦という編成が気に入らない。快速部隊であるのは間違いないが、伝統的に龍騎士隊は護衛にも適している。コクラン卿のトリスタニア制圧時にトリステインより逃亡した王家も、龍によって逃がされていた。まあ、あの国では魔法衛士隊とう近衛が逃がしたが、運用上はあまり変わらないと見ていいだろう。「理にかなった派兵でしょうな。龍騎士部隊ならば、逃げ足も速い。いざとなれば、どうとでもできる。」こちらに恩を売りつけつつも、いざという時は、沈むフネと運命を分かつ。実に大公国とは喰えない狸であるだろう。それがわかっているものの、ゲルマニアの現状はそれでも助力に感謝せねばならないのだ。なにより、負けない限り、大公国はしれっとこちらの味方として振舞うのだ。いや、利害がある限りか。どちらにしても、外交関係者にとってみれば、碌でもない日常に過ぎないが、碌でもない日常ほど解決したい日常もまあ、ない。「で、リッシュモン卿らは?」以前、やや侮ったがあれは本物の狸だ。風見鶏としても、本物だろう。良くも悪くも究極的な貴族思考の持ち主ですらある。要するに、政治的に魑魅魍魎の輩で、油断したり侮ったりすれば大きな代償を支払わされることとなる。連中の軍事力を統制できねば、前の時のように暴発され、後始末をそれとなくこちらに押し付けられかねない。「喜び勇んで、義務を果たすとの回答です。」あの連中が喜び勇んで?そもそも、連中の言う義務とは何か?考えれば考えるほど碌でもない思いが頭をよぎる。「従軍するとはいわなんだ?」「いえ、聞いておりません。」一気に居並ぶ貴族ら官僚らが苦虫を口がふさがるほどに突っ込まれたような表情を浮かべることになる。連中は、前回蜂起した際に、宗教上の義務を大義名分として掲げていた。「・・・連中の言う義務は何処にあるのか、非常に興味深いものだ」思わず、というところだろう。誰かがぼそりと呟いたことにラムド伯としても同意せざるを得ないところである。相手は、歴戦の風見鶏。要するに、信用できないことに関しては、保証付きの相手だ。大公国に勝らずとも劣らぬ嫌な一応の味方と称している相手である。「警戒を怠れぬということになると、どの程度戦力をのこすべきだろうか?」トリステイン王家のように、手元戦力を空白にし、あまつさえリッシュモン派の蜂起にあうという愚を繰り返すわけにはいかない以上、周辺の投降してきた旧トリステイン貴族らを含めて威圧できるだけの戦力はトリスタニアに駐屯させておかねばならない。「・・・ですが、前線にも戦力は必要なのです。」「さすがに、それくらいは承知しておるとも。」しかし、当然のことではあるが、戦争をする以上、戦力は前線に送らねば意味がない。トリスタニアで防衛戦など無意味極まりないだろう。なにしろ、実質的に相手方の舞台で戦うようなものなのだ。武装蜂起されるのも困るが、かといってトリスタニアで兵隊を案山子にしておく余裕もない。「戦力が足りない。どこかに、メイジなり、諸候で動向を定めていない連中は?」「二か所ほどございますが。」「・・・魔法学院と、例の公爵殿かね?」さすがに、二か所と限定されれば、トリステイン問題に関わっている人間であればだれでもわかる問題だろう。ある種の独立性を保っている魔法学院と例のラ・ヴァリエール公爵家は、本来は内政問題として処理すべき案件であり、ラムド伯自身ある程度下調べを行っていたところだ。その知識をこのような形で活用することはさすがに想定外であったが。「左様です。」「魔法学院など、お荷物でしかあるまい。あの拠点を防衛せよと言われれば、軍は拒否しますぞ。」だが、軍の意見としては、魔法学院は全く戦力にならないということである。聞いてみれば、本来いるべきメイジの盾として、また数の力に物を言わせるべき歩兵の比率が著しく乏しいために、少数の例外を除けばメイジとしての力量も中途半端な学生を戦力として期待するのはまあ無駄だと。「いっそ、人質に取った方がよほど速いのでは?」故に、ゲルマニア軍部にしてみれば、裏切られることの予防として、むしろ学生を人質としておく方がまだ有効だろうと判断してさえいた。まあ、軍部にしてみれば、お荷物になるかもしれない危険物を抱え込みたくないという発想に過ぎないのだが。なにしろ、戦闘中に何かあって苦労するのは、軍人なのだ。「すでに、大半の大きな家は退避させている。むしろ、感情的な反発を考えれば避けたい。」だがラムド伯にしてみれば、できるだけそのような事態を避けたい。むしろ、拘留なり捕虜なりにして人質にしてしまうと、一層その後の交渉がこじれることが目に見えているだけに、否定的にならざるを得ない。なにしろ、こじれた時に、苦労するのは、自分たちなのだ。「例ならば、魔法学院など捨て置き、公爵家を抑えたほうがよいのでは?」単純に魔法学院が駄目ならば、もう片方が使えないだろうか。実にすばやく切り替えた軍人に、その割り切りと切り替えにやや感心しながらも、ラムド伯は別の視点からの意見提起を行う。「いや、接収した資料から、魔法学院に関しては興味深い報告がある。」「ほう、拝見しましょう。」「トリステインのアカデミーが、実験部隊を有しているのは聞いたことがあるな?」本来は、内政問題の処理に当たるつもりだっただけに、ラムド伯は外交と同等程度に内政問題の研究もおこなわされていた。繰り返すが、行わされていた。実に、閣下は貴族を情け容赦なく労働させることに関して、真に偉大であるということは、ヴィンドボナ官界のゆるぎなき普遍的公式見解である。「例の中隊だか、小隊だかわからない部隊ですな。聞き及んでおりますが。」「レポートによれば、村一つくらいは殲滅できたそうだ。」積み上げられた資料の中に、気になるレポートもあった。過去にゲルマニアはロマリアとトリステインの外交関係に関連して、新教徒の問題が議論された形跡を掴んでいた。その経緯があり、トリスタニアで資料を徹底的に押収し、検証した際に新教徒を葬り去った記録が山ほど発見されている。なかでも、アカデミーの部隊が、村ごと掃討したのは類を見ない規模だったので、ラムド伯の記憶にも留まっている。「・・・間違いないのですか?どうも、それほどの精鋭がいたとは思えないのですが。」「殲滅任務で、村を焼き払った記録があった。王軍の記録はだめだったが、アカデミーの資料には、部隊長に関する資料も。」王軍の資料は、秘密保持の観点からか、あるいは単純に手続き上の瑕疵かは知らないが、トリスタニア制圧以前に大半の資料が放棄されるか処分されていた。まあ、トリステインの官吏は一般的にさほど勤勉で無いことを考えれば、ぐしゃぐしゃであっても驚くべきでもないのだろうが。一方で、さすがに研究機関の部隊を動かすともなれば、多少の記録も残っているのだろう。こちらは、機密保持の観点から見てあまりにも望ましくいないが、まあ、抜けていたというほかにないのだろう。「その部隊長は、炎蛇だとか。」「随分物騒な名前ですな。」その通り。まったくもって、殲滅任務に従事するような、強面の歴戦を経験してきたメイジが名乗るにふさわしいおどろおどろしい二つ名だ。焼き払うという点から考えるに、よほど炎に好むところでもあるのかと思ったほどである。「いやいや、おもしろいのはここからだ。」「碌でもないの間違いでは?」実際、行ったことを見れば、村ごと燃やしつくし、よくわからないが副長まで焼いている物騒極まりないメイジだ。報告書によれば、副長が杖を向けたということになっているが、村ごと焼くような殲滅任務に嬉々として従軍するメイジなど稀であってほしいものだ。副長が錯乱して、杖を向けたとしても全く当然に思えてならない。「まあ、主観の相違であるのは認めるに吝かでもないが。」だが、それだけの実力者であることは間違いないのだ。平然と殲滅戦をやってのけられるようなメイジには少なくとも、戦争においては期待できると言えよう。無論、平時にお付き合いしたいかと言えば、職責でもない限りは断固謝絶したいくらいであるが。「続けていただけますか。」「魔法学園の教員に炎蛇の二つ名をもつメイジがいる。」こちらは、資料を取り寄せて調べた際に気がついたことだ。まったく、アカデミーで殲滅戦に従事した人間が、王家からも独立した魔法学院で教職?なるほど、軍内部の綱紀粛正を逃れるには最適手だろうと感心したことが記憶にある。「面白いのは間違いないが、所詮個人だ。戦争においては、さしたる働きも期待できないだろうが、戦力になるとは思うがね。」一人でも人手が欲しい以上、こういった経験豊富なベテランという物は、多少のリスクがあっても抱え込むに吝かでもない気がする。まあ最低でも、略奪なり火付けなどをやらかす統制の効かない傭兵よりははるかにましだろ。「ああ、個人としてならばもう一度、敵地浸透強襲作戦をやってもらうのはどうでしょうか?」「つまり、ゲルマニア北部でやられた撹乱のようなこととしてかね?」「はい、少なくとも、連中の兵糧なり集積場なりを吹き飛ばすことを期待したいのですが。」なるほど、確かにコクラン卿も手こずったという手法をやり返すのは、意趣返しという点から見て有効であるということ以上に、実用上の効果も期待できるだけに良い手であるかもしれない。なにしろ、相手は飢えている上に大勢いるのだ。食料を焼かれるのは、本当に大きな打撃となることだろう。「なるほど、悪くない。」だが、それは、地上の話。残念なことに、常と異なりここにおいては全く別種のアプローチが必要とならざるを得ない。すなわち、艦隊戦力への対処。なにしろ、通商破壊はあちらとて可能であり、なによりアルビオンの戦隊は、伝統的に高い質で有名なのだ。暴れまわれたら、どのような損害を被るか考えたくもないほどだ。もちろん、むざむざとフネを獲物として差し出すつもりはないが、停泊地を襲撃でもされたら、其れまでと覚悟せざるを得ない。「左様。悪くないが、それだけでは戦局は動きません。とにかく、艦隊をなんとかせねば。」「アルビオンめ、なにが、艦隊が撃破され拿捕されただと?」「戦隊丸ごと離反とは、暗黙理の取引があったとみなさざるを得ませんな。」そう。艦隊が、アルビオンによれば、乗員まるごと拿捕されたという信じがたい主張がなされている例の艦隊が存在している以上、それに対抗しなくてはちまちまと地上で敵兵力の妨害を行っている間に、決着がついてしまいかねないという問題があるのだ。「貴族不平派のガス抜き件処刑を代行させる気では?」「あり得る話だ。」モード大公の粛清以来燻っている王家への反感。抑え込むのは容易ではないだろう。そこで、一人ばかり知恵者があれば、それをこちらに敢えてぶつけてくることを思いつく策謀が産み出されても不思議ではない。ゲルマニアにぶつければ、ゲルマニアが其れを叩く。そうすれば、直接の恨みはゲルマニアに向かう上に、王家への叛意を持つものは減らされるのだ。連中にしてみれば、悪い手ではないと判断したのだろう。「では、手をこまねいて観察を?」「論外だろう。とにかく叩く。」もちろん、連中の思惑を忘れ去るわけにはいかないが、まずもって何よりも優先するべきは、侵入の排除だ。その意味においては、手段の硬軟こそ問われようものだが、目的に変更はない。「しかし、辺境の戦力を引き抜いても、到底間に合いませんが」だが、その排除という目的のためには、根本的に難しい問題が存在しているのだ。「・・・国土が広すぎるのも考えものだな。」帝政ゲルマニアは、国土の広さ、特に辺境開拓の余地があまりある国家である。それは、貴族の次男三男に、分家独立の道を可能とさせるものであり、平民でさえ一旗上げることを可能に至らしめている。それだけに本来であれば、それはゲルマニアの未来を約束するものであるが、しかし、有事においては守るべき国土の広さと人口分布の薄さという課題を抱えているのだ。さすがに、ガリア方面には幾層にも備えてあるはずであるが、それでも、主要部の防衛が限度。きめ細かな監視網などの構築は未だに完成にはいたっていない。「分割貧乏に陥るよりはましかと思いますが。」「場合によりにけりだ。失う物の無い飢えた集団を相手取るのは厄介だぞ。」ゲルマニアにしてみれば、無意味極まる戦いだけに、まったく気乗りしないこと甚だしい。防衛戦ともなれば、得られる恩賞は本国内部の直轄領。さらなる中央集権化を図りたいヴィンドボナは恩賞を相当惜しむであるだろうし、貴族らへの締め付けを一層強化し、何とか減少した直轄領を回復しようと図るだろうと、誰にだって予想できる。「トリステイン貴族らのために、我らが破産するのは諸君も納得いかないだろう。」しかも、別段現状では自領を失う恐れがあるゲルマニア貴族はさほども多くないのだ。ラムド伯ならずとも、辺境貴族らが従軍に極めて消極的になるのが容易に想像できる。何が悲しくて、開拓すれば無尽蔵に手に入るかに見える猫の額のような面積でしかない土地のために莫大な軍事費を自弁して従軍したがるものか。不幸にも、トリスタニア駐屯を持ち回りでやらされている関係上、引けない面々を例外とすれば、ゲルマニア貴族らとて、従軍を避けるのは間違いない。「軍役免除税の納付が認められれば、即刻我らも退散致すのですがな。」そう誰かが呟くと、それに賛同するような小さな囁きが渦となって会議室に響き渡る。軍役免除税。それは、従軍を免除される代わりに金納するというシンプルなシステムだ。従軍しない以上、恩賞に預かることはできない。その上に、相当額を徴収される事となるため、普通は従軍を貴族らが望む傾向が強い。とは言え、今回ばかりは従軍という事業はひたすら赤字を吐き出すだけと見なされているため、各貴族らは損切りの発想に至っている。誰だって損をするならば、最小限に抑えたいにきまっている。「いっそ、焼きますか。」だから、だろうか。「何?」「いえ、くれてやるくらいなら、焦土戦術でもとってみますか。」期待できないならば、焼いてしまえという案が、ゲルマニア貴族の頭に浮かんだのは当然の帰結だろう。「正気か?いくらなんでも、そこまで各所から恨まれたくないぞ。」さすがに、というべきか。外交上の配慮というべきか。ラムド伯にしてみれば、名目とはいえ、ゲルマニアが自壊したと酷評されるのは避けたい上に、焼かれた土地の所有貴族とのごたごたはまずいという判断があるために、ややこの提案に惹かれるものがあるのは認めつつも、論外だと言わんばかりに否定する。「ですが、ここは元々連中の土地です。」「問題があるならば、連中の内輪で解決させればいかがでしょうか。」だが、よくよく考えればだ。トリステインの土地のために死ぬというのも、ゲルマニア貴族にしてみれば、馬鹿げた話だ。どの道、焼き尽くしてやると意気軒高な連中が進軍してくるというのであるならば、手間を省いてやるのも一つだと思えてくるのが、不思議なところである。だが、それを考えた時に、ふと、本当にちょっとした思いつきがラムド伯の頭をよぎる。「それも一理あるが、・・・いや、もっと良い方法がある。」「はっ?」トリステインの土地のために死ぬのはばかばかしい。それは、事実だ。そして、ここは連中の土地である。あとは、連中が飢えた狼のように貪婪ということくらいか。だとすれば、極めて単純な方法でも良いだろう。なにより、ゲルマニアが直接手を汚さないところが、素晴らしい。「物資を引き揚げろ。民間からは、いくら費用がかかってもよい。とにかく、全てを買い付けよ。」「はっ?」「名目は、戦に備えるための緊急調達でよいな。初めから金を惜しまずにばら撒けば、かなりの量を市中から引き上げられるはずだ。」そう、どのみちトリスタニアにある財物など、持って逃げることができるものでもないし、焼いたからといってそう簡単に減少するものでもない。金銀財宝ならば、なおさらだ。ならば、これらを有効活用すると共に、戦争に必要な物資をせめてなりとも敵の手に渡さずに、こちらで確保しておく方が面白いことになる。「徴収する事も可能でありますが?」「いや、絶対に避けるべきだ。」あくまでも、金銭と引き換えにしなければならない。旧トリステイン東部には、大量の金を積み上げたうえで、物資をことごとく持ち出していかねばならないのだ。それも、可能な限り悪評を避けたうえで。「それは構いませんが、むざむざと、財を残すのでありますか?」「それこそが、目的だよ。」そう、乏しい食料と山積みにされた財宝。これが、トリスタニアにもたらされた場合における効果はちょっと想像しがたいほどの効果をもたらし得る。なにしろ、トリスタニアは消費地であって生産地で無いのだ。金銭で穀物を買うことに慣れ切っている。だから、供給が耐えるということが、どういう事態をもたらすか、まるで警戒していないし、その時まで理解できないだろう。「飢えた連中だ。わずかな餌をめぐって同族相殺し合うだろうよ。なにより、金は喰えない。」金銭の誘惑に耐えきれずに分配で揉めてくれれば、それだけで内輪もめによる自壊が期待できる。なにより、近隣に食料は無いのだ。住民の持っているパンを奪うか、どこからか食料を調達しない限り軍は飢えるだろう。あるいは、住民が飢えて、パンを欲した時にどうするか。「なるほど、飢えた群衆と飢えた軍隊ですか。楽しいことになるでしょうな。」手際良く進軍すれば、あるいは合理的に判断すれば、金を有効活用し、より強大になることも理論上は可能だ。しかし、ラムド伯は外交官としてトリステイン貴族らと数多くの折衝を行っているだけに、相手のことをよく理解している。とてもではないが、機会を活かせるものではない。むしろそれどころか、自分達の内輪もめに汲々として、お互いの足を引っ張り合うような連中だ。「良い機会だ。旧主を懐かしむ連中には、自己決定させてやろうではありませんか。」だから、というべきか。同じ外交の属僚が、よいことを思いついたとばかりに口を挟んでくる。残された大量の財宝。そして、ゲルマニア軍事力の空白。降ったばかりのトリステイン貴族らがどう動くか見モノだといわんばかりの意見だ。「いや、それは駄目だ。それでは、戦後の統治があまりにも難渋するうえに、外交上も避けたい。」だが、それは、ラムド伯にしてみれば少々困った意見とならざるを得ない。まだ、戦後のことを見据えて対処せざるを得ない以上、あまり過激すぎる手法は取れないし、ヴィンドボナの意向を把握しないうちに政治的自殺を行うつもりもない。「ご意見は理解します。しかし、戦後のことなど、戦後に処理するほかにありますまい。」「いや、一応形式だけでも、抵抗するように促しておく。我々が旧東部を放棄すれば、連中も言い訳が効くだろう。」そうすることで、ある程度の道筋が立てばよい。最低限の処置を為せば、良いのだから、その程度でも戦後のことを考えておくべきである。だが、最低限の水準ということに関して、外交の観点からはそれだけで事足りるとしても、軍からはまた別の要望が上がらざるを得ない。「失礼、確かにそうかもしれませんが、せめてタルブ近隣だけは固守していただきたい。」「平原ですぞ?明らかに防衛には適さない。」官吏の一人が疑問の声を上げるが、発言した軍人は如何にもという風に同意しながらも、交通の要衝故に放棄することは断じて避けたいと主張して譲らない。なにより、空軍にとって、数少ない整備された拠点なのだ。敵の手に渡ることは望ましくないということ以上に、艦隊の整備計画どころか運用計画がまるごと狂ってしまいかねない。「つまり、あそこを取られた場合、艦隊にとってあまりにも大きな制約となりかねません。」「撤退するとすれば、さほど問題もないのでは?」「ご冗談を。当該方面唯一の我が空軍によって整備された仕様に耐えうる軍港ですぞ。」簡易仕様とはいえ、タルブには停泊地が整備されている。簡易仕様の設備設置は設営工事の中では比較的簡便に行えるとしても、そうそう戦時に行えるものではないし、なによりタルブほどの広大な土地と空域が空いている適地はそう容易には存在しない。しかも、それが直轄地としてゲルマニア空軍にとって使用しやすい土地ともなれば、本当に稀だ。「仮に、この拠点が使えない場合、我が空軍は、散発的な支援しか行えないと思っていただいても結構。」今でこそ、ゲルマニア空軍は当該方面に戦力をさほども展開していないために重要性が忘れられがちであるが、空軍は停泊地が絶対に必要である。そうでなければ、長距離の移動によって徐々に消耗し、戦力発揮に著しい支障をきたすこととなるのだ。北方から来援した部隊を整備できねば、空軍にとってみれば、少しも望ましくない戦いにしかならないだろう。「だとすれば、主戦場は旧トリステイン領に留めるという方針で行かざるを得ないか。」だが、それはゲルマニア本国を戦火に晒す必要がないということでもある。それだけに、ラムド伯としては安堵する事ができる。軍事的な必要性からゲルマニア本国での戦争を避ける筋道があれば、少なくとも、彼としてはそうなるように努力することが国益にかなうのだから、気分は多少なりとも楽になる。「ふむ、だとすれば、辺境伯の指揮権で処理すべき範疇の問題になりますな。」「幸か不幸か、諸候軍の来援も間に合わないとなれば、現場の最高位は辺境伯ですね。」そして、方面の関係から、当該方面の防衛はツェルプストー辺境伯の管轄下に置かれることになるだろう。少なからずの戦争に従軍し、炎で名高い軍事系貴族だ。辺境防衛の任から侵入者撃退とやや仕事は変わったものの、彼らならば、為すべきことを為すだろう。「ならば、大公国の軍も辺境伯の指揮下に組み込めば良いことだ。」「さすがに、大公国の子ともならば、少々面倒では?」 だが、さすがに、というべきか。指揮権の問題を考えた場合、大公国軍の存在は実に微妙な問題となる。戦力はどの道足りないのだ。だから、いるに越したことはない。だが、政治的に相手方の爵位が高かろうと、こちらの指揮統制に服さないのであれば、面倒事がおきる。まあ、組み込んでも問題があるのだが。「名目上独立国なのです。政治的に問題が多すぎ、かつ危険かと。」「同盟軍扱いせよと?」暗に、こちらにいつ砲と杖を向けるかわからない奴らを信頼できないでしょうと顔が雄弁に物語っている軍部に頷きつつ、ラムド伯も面倒なことだと歎きつつも、筋違いを指摘しておく。「だとすれば、外交の管轄分野だ。はっきり言って、辺境伯に外交を行わせるわけにはいかない。」同盟軍の扱いともなれば、それはヴィンドボナの判断するべき問題となる。友好国からの善意の従軍と、対等格での出陣とは全く意味合いが異なる。「頭が痛い問題だ。ならば、いっそのこと人質を兼ねてヴィンドボナ駐留にいたしますか?」「却下だ。首都に他国の軍をいれるなど、ありえん。」子ども一人で送れるならば人質の価値もあるだろうが、一個龍騎士隊が同伴するともなれば、それは人質という名の進駐になりかねない。そんな報告をヴィンドボナに送れば、即刻召喚状が叩きつけられて、しょっ引かれることになるだろう。その後は、少しも明るい未来が見えないのは間違いない。「では、タルブ防衛でも割り当ててはいかがですか?」「いやいっそ、通商破壊作戦にでも従事させてみては?」「残念だが、却下だ。轡を並べて戦うことが政治的に求められている。」どちらの提案も魅力的ではあるが、しかし、政治的に見た場合トリステイン系であった大公国がゲルマニアと轡を並べて戦うということの意味はやはり大きい。できれば、公的にゲルマニアの側に立つという政治的な声明でもあれば、最高なのだが、それでも轡を並べるという行為もそれに勝らずとも劣らない程に重要なのだ。「いっそ、援軍無用といってやっては?」「卓見だな。だが、ここで援軍の申し出を断れば、連中はこれ幸いと離脱しかねん。」援軍を一時的に断るというのも、方便ではある。共に友好国同士でお互いを気遣ったという姿勢を見せることもできるのは悪くないし、ゲルマニアの自信のほどを見せることができるのも大きい。だが、今回ばかりは兵力が不足している上に、相手はこれ幸いと見切りをつけかねない以上、なんとしても組み込まねばならないのだ。「ならば、無理やりにでも戦力に組み込むしかありませんな。」「しかし、辺境伯指揮下に編入するのは、あまりにも難しくありませんか。」「ヴィンドボナから書付で、すます。」だから、やむを得ないとは思うが、辺境伯指揮下に組み込むしかない。そのために、ヴィンドボナから要請を発してもらい、先方がそれに同意するという手順を踏むとしても、なんとかやっておかねばならない。逆に言えば、これが政治的、外交的なゲルマニアにとって取れる最後の許容線ということだ。「指揮下に入ることを要請する書付に先方が同意しない場合いかがされますか?」「沈めるしかないのだろうな。」それが、受け入れられない場合。其れすなわちゲルマニアにとって、望ましくない事態である。「はっ?」「母艦ごと沈めるしかないだろう。そこで拒絶するようならば、連中この戦争は向こうに味方するとみなさざるを得ない。」「よろしいのですか?」「よろしいも何も、そうしなければ、終わりだ。」それだけの決断を迫る他にない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがきというか補足説明?トリスタニア駐留組:旧トリステイン東部↔タルブ←ゲルマニア西部ソ連軍:DDR駐屯↔ワルシャワ条約機構拠点←ソ連本国要するに、あんまり信用できない拠点にいる時に、敵がわーっと攻めよせてきたらどうするかという状況ですね。まだ、ソ連軍のように、経路にあたるポーランドの動向を警戒しなくてはならない程で無い分ましですが。ゲルマニアって地理的に広いのでソ連戦術を採用できる気がします。さすがに冬将軍はいませんが。あと、アンアン・テレジア化計画は、アンアンの知力をビフォーアフターで別物といたしますので、単なるおバカアンアンから進化する方向でご期待ください。まあ、テレジアさんも、もともとは頭がお花畑でしたから。フリードリヒ大王と対峙するうちに進化したことを思い起こしていただければと思います。追伸経歴だけ見たら、炎蛇まじ危険人物。殲滅任務従事→部下を焼く→脱走→独立性の高いところに潜り込む