Q:人生で一番いやな仕事は?A:トリステイン貴族を相手にする仕事である。ゲルマニア貴族の意識調査第一位の解答彼女は端的に言って、怒っていた。怒って、あたりかまわずに、怒りをぶつけていた。どの程度かといえば、応接役を命じられたゲルマニアの貴族が、その立場にもかかわらず“ふざけるなぁ!”と叫ばんばかりであった。後世、明らかにされた記録によれば、水メイジに対して身体の不調を訴えるものと、処刑の許可を訴えるものが圧倒的に多数に上っている。「恥を知りなさい!」響き渡る罵詈雑言に対して、またか、と。応接係達は、人知れずため息をつきたくなる気持ちを抑えている。命じられた職務は、捕虜の管理であり、同時に情報の引き出しだ。最終的には身代金と交換ということだが、それまで有効活用するべし。それが、仕事だとは分かっているが、こうまでも扱いにくいと少しばかり物申したくもなるのだ。「ようやく、捕虜交換の話が上で交わされているらしいが。」「急いでほしいものだ。もう、あのじゃじゃ馬の相手はご免こうむる。」詰め所で、事務作業を行いつつうわさ話を交わし合う面々はまだ、いくばくか被害が少ない系列に属している。やれ、このような食事は、貴族にふさわしくないだの、従者の頭が高いだの、さんざん文句を言われ続け、反論も許されないとしても、まだましだ。ここは、パーティー会場ではなく、軍の兵站部から食糧が回され、ゲルマニアの一線と同様の食事であるということを、驕り高ぶったトリステイン貴族に説明するのは馬鹿馬鹿しいし、平民といえども、トリステインのそれよりは、地位が高い。相手が、ただ文句を言い続ける無能だと思えばいくばくかは、我慢できる。「我々に侍従を務めろとでも言うのか!」一方で、文字通り応接役の中でも、そばで相手をしなくてはならない面々の憤激は限界に等しい。なにしろ、文字通り、朝から晩まで顔を合わせなくてはならないのだ。杖を取り上げ、こちらの監視を掻い潜って新しく杖と契約してしまわないように、とにかく気が抜けない。うっかりすると、また攻撃魔法をあたりかまわずまき散らされかねないと、上が執拗に警戒を求めている理由も、本人を目にすれば良く理解できるだろう。「誰か、あの小娘を黙らせられないのか!」「小国の陪臣の、その三女の分際で、」その後の言葉は、形容しがたいのか、感情のままに拳を机に叩きつけると、彼らは一様にトリステイン貴族を呪った。はっきりと言って、帝政ゲルマニアの貴族など、彼らは貴族として思っていないと、嫌というほど理解する機会に恵まれているのだ。成り上がりと、カビが生えていることだけが自慢の連中に罵られることは、馬鹿馬鹿しい限りだ。そして、それを、唯々諾々と黙って聞けと命じられた日にはたまらない。『可能な限り優遇せよ。王族に準じる扱いで、絶対に機嫌を損ねるな。臣のごとく近侍せよ。』本国の訓令がなければ、間違いなくあのような小娘一人、土獄にでもぶち込んでいたのだろう。そのような思いに一同は支配されかけているが、さすがにまともな判断力があるだけに、なにがしかの政治的な事情があると、それとなくではあるが察する程度のことはできる。「だから、我慢できずに漏らす愚か者が出ましょうな。」「それでよい。だからこそ、選帝侯らに連なる面々を任じたのだ。」故に、政治的な失点足りえるのだ。物事の道理を議論していく上で、このような些細なことに見えることが、重要な政治的な問題に発展させられるということを、ヴィンドボナの主と、同席者はよく理解している。いや、正確には、理解というよりも、ごく自然な思考に織り込んである。「連中の封土は、卿の望む物産を産出する。余は、反抗的な面々を削げる。実に望ましい結果だろう。」「実のところ、石炭が手に入るのであれば、別段交易でも構わないのですが?」暗に、利益があるのはそちらなのでは?という問いかけが発せられる。恩や義理という関係は両者にとって、少なくとも政治と個人的な関係を別にする程度に過ぎない。だが、政治的な貸し借りは大きいという認識は、共通している。この程度は、時候の挨拶程度だが、政治的な生き物として進化してきた両者は、ある意味でダーウィニズムの忠実な体現者でもあった。「それで?鉄の量産だったか。職人を路頭に迷わすのは感心せぬがな。」皇帝は、あくまでも一諸侯の利益を叶えるために、こうした政策を採用することの弊害を理解できる程度には、優しさがある。少なくとも、痛まない腹ならば、同情でも憐れみでも、それこそ隣人愛でさえ、彼らは持ちえるだろう。「選帝侯らの弱体化が叶うならば、という事情は了解済み。」だが、自分の腹が痛むとなれば、事情は一切別の次元の議論とならざるを得ない。具体的には、選帝侯らの弱体化による中央集権の推進と相対的な優位の確保だ。都市国家の連合体からなり、その発展形である帝政ゲルマニアは、選帝侯らの基盤となる封土の都市が大きな経済的な核となっている。故に、それの弱体化は、皇帝の権力強化につながる上に、それらに対抗できる経済力が確保できるのであれば、ゲルマニアの総合力も落ちずに良いことづくめである。「受入の手はずも完了したとか。」ロバートは、前線での戦闘・交渉に携わる関係から後方に関してはどうしても手薄にならざるを得ない。だが、それでも、出入りの商会から耳にする情報だけでも、選帝侯らの統治する地域から流出することであろう技術者の受け入れ先を、ヴィンドボナが用意しているのは察することができる。「その視点、驚くばかりだ。」政治の化け物をして、そうしたことを思いつかせるにはいくばくかの知恵を必要とさせていた。しかし、ロバートはすぐに察する。それが、本人達の智の差というよりは、浸かっている文明の智的経験則の差であるということは、皇帝にも理解できる。できるからこそ、この男を高く評価しているのだ。「しかし、頭が痛いことだ。ゲルマニアは積極的な辺境開発を行い、人手が不足しているかと思えば、周期的に人口が過剰になる。」「開拓によって養える人口が増えれば、餓死せずに済んだ人口が、ネズミのように増える。そういうことでしょう。」一般に、古代ローマ崩壊後の中世でも、開発や収穫の増加が無かったわけではない。だが、それらはマルサスの罠と呼称される、貧困の罠に落ちている。彼らは、明確な理論として把握しているわけではなかったが、技術的な制約があり、限界生産力逓減法則が厳しいことはハルケギニア大陸もまた同様であり、各国は概ね人口問題に関して周期的に人手不足と人手過剰に悩まされていた。「しかし、トリステインよりはましでしょう。」だが、ゲルマニアは幸いにしてフロンティアを持ち合わせていた。亜人が生息する森であり、危険極まりないとはいえ、土地がまだ拡張する余裕があるのだ。おまけに、亜人を除けば先住者もおらずに、開拓すれども他国との紛争も心配しなくてよい。増大した人口を受け止めることが可能であり、どころか、周期的に労働力不足にすらなりえる。だから、わざわざロマリアやトリステインからの移民を受け入れているのだ。だが、トリステインは辺境を持たず、しかも、限界寸前までの戦時体制で、農村は荒廃しきっている。収穫量は平時をはるかに下回る。つまり、行きつく先は明るい未来とは程遠くなることだろう。「ああ、荒廃は限界だ。アルビオンも余剰穀物はそう多くはあるまい。」アルビオンは援助せざるを得ない。だが、彼らの引き出しは無限ではない。唯一、この規模での必要量を支援できるゲルマニア以外の国家はガリアだが、国家予算の半額を艦隊整備につぎ込んでいる国家だ。そう簡単に用意できるかといえば、少々時間がかかるだろう。その時間が致命的になりえる。「飢餓ですかな?」「で、あろうな。」都市部は飢えざるを得ないだろう。農村は、荒廃しきっており、ゲルマニア占領下の地域では多少の食糧援助が、不可欠と見られており、ゲルマニアの財務担当者らの機嫌を悪化させている。拿捕賞金は非課税であり、特別俸給もつく軍人は戦争を、命をかけた稼ぎどころとみているが、財務担当者らにしてみれば、吝嗇にならざるを得ないところだ。「それは、人道的に捨て置けませんな。」「では、援助するのか。」だが、財務担当者の嘆きよりも優先すべき事象が、存在することも多い。良くも悪くも政治はその種の要求を、突き付けることも仕事になっているのだ。なにしろ、事は、無辜の人々に関わる事象なのだ。少々の、政治的な効果などが付随するとはいえ、道徳的にも請求することにため依頼を感じる必要は、あまりない。無論、個人的には財務担当者に対して、慙愧の涙を流しても良いくらいだが、とロバートは思い定められる程度に自身の感情を分析している。「無論。さっそくラ・ヴァリエール公爵領に送り届ける支度をしなくては。」「少々、露骨に過ぎぬか?」先に、身代金を請求せずに、三女の身柄を解放するという手がうたれている。ここで、飢餓に苦しむ他の領地を別に、特定の地域だけを支援するのは、露骨な策謀に見えないだろうか?結束を斬り裂くという以上、それとない疑惑の方が効果的なのだ。あまりにも、激しすぎると、誰かが違和感を突きとめて、はかりごとを台無しにしかねない。「どう転んでも良い以上、こだわる必要もありますまい。」援助を受け入れれば、トリステイン貴族からも、アルビオンからも不信の目で見られるだろう。当然、併合されれば冷遇は避けがたく、求心力も低迷し、反ゲルマニア的な団結よりも、党派抗争に明け暮れることだろう。対ガリアにおいて一致団結した隣国が、確保できないことはマイナス要素と見なすほかないが、損害の最小化という点からは推奨できなくもない。「卿はどのような返答を期待している?」「断わってくれないことを期待しますよ。」ゲルマニアからの支援を公爵が拒否したら?実に単純だ。包み隠さずに、その事実を告知すればよい。飢えた民衆が、援助を拒絶されたと知れば、暴動だろう。何食わぬ顔で、公式に遺憾の意を表明しつつ、暴動を見て恐れている近隣貴族達に援助を申し込む。それで、すべからく上手くいく。まあ、飢えた民衆をみるに忍びない上に、分裂を促すという意味では、素直に、支援を受け入れてもらう方が効果的だろう。「条約の締結は?」「数日以内に、ヴィンドボナに正使が派遣されるとのこと。時間の問題かと。」ほぼ時を同じくして、『時間の問題だ』と、居並ぶ男達が呟いた。枢機卿団に、高位聖職者らからなる彼らが一様に居並ぶのは実に荘厳ですらある。だが、彼らは、ここにいるはずの無い人間達であった。ロマリアの壮麗な宗教施設の一角に、壮麗さとは裏腹に秘密で集まった彼らは、正確に事態を把握していた。トリステインはゲルマニアに蚕食され、アルビオンが残飯処理を行うだろう。「ゲルマニアには、優秀な顧問団がいるようだな。」手元の資料には、ゲルマニアがアルビオンに突き付けたとされる条約の抜粋が記載されている。アルビオンにとって、ぎりぎり利益が確保できなくもない水準であり、同時にゲルマニアの利益を最大化している要求だ。さらに、いくつかの付随する策は、阻止するのが容易でない悪意の塊としか形容しようがない。「死んでもらえないものか・・。」「率直に過ぎる表現だな、司教。私としては、君の軽率さが不安にすらなる。」若い参加者が漏らした呪詛の言葉を、上位の者がそれとなく嗜める。高位聖職者とは、生まれながらの貴族と異なり、実力で持って勝ち取る地位という傾向が強い。確かに、名門は存在するものの、策謀と計略、或いは真摯なまでの信仰や学識が問われるという点において貴族よりも、頭の回転が劣ってはならないのだ。「ですが、現実として、ゲルマニアの方策は我々にとっても望ましくないのは事実です。いかがされますか?」しかし、呪詛の言葉を咎めるよりも、その方策をいかに実現すべきか、という点に、参加者達は関心を示さざるを得ない。6000年の秩序が崩壊しようとしているのだ。小国の勃興や衰退は、彼らの関心事項足りえないが、始祖が作りたもうた秩序の崩壊ともなれば、それは容認されることではない。「何としてでも、阻止するほかにないでありましょう。」事態は、何としてでも、阻止して見せる。これ以上、秩序への挑戦は許さない。そうした、決意を込めた一言。だが、それに水を差すような意見がそれまで、ひたすらに沈黙を守っていた面々から発せられることとなる。「反対ですな。むしろ、火に油を注ぐべきかと。」既定路線では、緩やかな分離独立の芽を育てるという計画であった。それは、ここにいる全員が理解している。だが、容赦のないゲルマニアの出方は、最終的にアルビオンによる併合を確実にしかねない。なにしろ、大きな代償を払ってアルビオンが入手するともなれば、容易には手放さないだろう。で、あるならば、大きな反発を招くように、更に事態を扇動すべきだとする意見も、一理はある。「どちらも一長一短がある。何もしなければ、手を汚さずに介入できる時を待てるのでは?」一方で、何もしなければ、事態の変化に対して、綺麗な手で介入できる。なにしろ、ここにいる誰も彼もが、事態がこれで完結するとは信じていないのだ。下手に干渉し、以後の柔軟性を欠くよりは、機会を伺うべきではないか?との提案も、決して道理から外れたものではない。「指をくわえて、黙って見ていることなど、できますまい。」しかし、実際のところとして、なにがしかの手を打たねばという危機感があるのもまた、事実。参加者にとってみれば、始祖の作りたもうた秩序が崩壊する、という一事がすでに恐怖に値する。それを、手をこまねいてただ傍観しているというのは、耐えがたい。それだけに、焦燥感もひとしきりとなっている。「ガリアを使うのはいかがでしょうか?」「却下だ。全面戦争になりかねん。エルフどもにぶつけるべき戦力なのだぞ!」ゲルマニアをして、ガリアを牽制する。これが、基本方針であり、最終的には、ガリアを含めた全ての国家で、聖地を奪還するべくクルセイドを行う。これ以外に、彼らの念頭にある目的はない。聖地、ああ、聖地。彼らが、ひたすらに追い求めるのは、約束された土地なのだ。・・・そして、聖地を求めるのは、彼らだけではない。「講和がなれば、聖地へ赴く?あんた、正気かい?」ゲルマニア、その辺境部に位置するダンドナルド・シティよりさらに森の奥深くに立ち入ったところに、ひっそりとたてられた家屋で、彼女は理解しがたいと言わんばかりに問いかける。「行けるところまで、行くにすぎぬ。エルフ相手といえども、逃げ回るだけならば、そう不可能でもないだろう。」ワルド子爵、そのトリステイン史上、遅すぎた騎士とまで後世では語り継がれた男は、自身の力量に確かな自信を抱いている。同時に、エルフ相手で何ができて、何ができないかを理解し、謙虚に受け止めた上で、最善を導き出そうとする戦術的な選択肢も持ち得ていた。「それで?あんたはそれで何を得るんだ?」「何もないさ。ただ、一度行ってみたくてね。」講和がなれば、当分は自分のような人間は、仕事もないだろうしね。いっそ、追及をかわすためにも、遠くまで足を延ばしてみるのもいいかもしれない。本国が消失するさまに、居合わせなくて済むことも一つの喜びだろう。とにかく、一度自分を見つめなおしてみたいという欲求もある。「放浪癖かい。止めておきな。砂漠でくたばるのが落ちだよ。」やめときな、と手を振りつつ思う。聖地を追い求めるのは結構であるが、くたばるのまで、勝手だと放置できないところが、この男にはある。子供じみたというべきか、少しばかり冷静な子供というべきか。言葉にするのは、難しいのだが。「それよりも、ゲルマニアが嫌いで、アルビオンも好いていないのだろう?」「まあ、そうだが。」なら、と彼女は言葉を続ける。一つ、仕事をやってみないかと。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき○○視点をちょっと、廃止しようかなと。うまく場面の切り替えができないかと試行錯誤しております。なにか、ご感想、ご指摘あればありがたく存じます。今回は、子爵の義賊フラグがファーストフェイズ突入です。フーケと組ませよう!というプランがどこまで行くかは分かりませんが。あとは、こまごまとした周辺事項が収斂していく途中です。花火で言えば、もうちょいで打ち上げというところになります。次回は、ガリアに一肌脱いでもらう予定。衝撃!無能王の失態!・恐怖!新たな敵!のベクトルでお送りする予定です。(事前の予告なく、変更になる可能性があります。予めご了承ください。)