{リッシュモン卿}最悪だ。状況は最悪だ。金はなし。兵はなし。ゲルマニアの侵攻は防ぎようがない。軍の無能どももあれほど日ごろ大言壮語していたが、蓋を開ければ無能そのものだ。鳥の骨など講和を模索しているようだが、実際に講和するとなれば相応の厄介事になるのが目に見えている。なにより、現在の首脳陣は有形にせよ無形にせよ責任を取らされることが目に見えている。高等法院の長だからこそ私がこれまで富を築き上げることが出来てきたのに、その地位すら危うい。いや、危ういだけならば良い。だが、現状ではすりつぶされかねないのだ。ゲルマニアの講和案に、高等法院の名において両国間の関係を悪化させた貴族たちの断絶を求めるとの一節があったと密偵から報告が来ている。粛清した後で、地位を追われれば待っているのは一族の断絶だ。仮に、公式な処分がそれですまされたとしても、復讐の手におびえなくてはならない。「やはり、行うしかないのか。いや、だが。やはり。」ためらう気持ちと、不安が天秤にかけられる。どちらも、これまでになく重いものだ。政治を専横するのはまだ良い。だが、反逆となると、成算がなければこれも身の破滅だ。「やるしかない。だがしかし、成算が微妙だ。」武力蜂起自体は成功が間違いない。私兵は、王都防衛のためと称して前線に送らずにトリスタニアに駐留させてある。その上、厄介な魔法衛士隊は大半が前線に赴くか、奇襲で築かれた別の戦線に送られている。傭兵を雇おうにも、王国には最早財源がないのだ。まして、城下を実質的に制圧可能な私兵団に逆らってまで王国に忠義を尽くす人間はいない。だが、外交はどうか。ゲルマニアの外交官に話が通じるだろうか?なにより、名分が重要だ。いかようにも国内向けは取りつくろえるものの、相手方がどう応じるかは全くの未知数なのだ。相手が望むものを提供できれば一番だが、そうでなければ買いたたかれる。もちろん、買いたたかれることは覚悟の上ではあるが、大きな危険を冒す以上、高く売りつけなくてはならない。成功すれば、今まで以上の栄華が期待できる。成功すればだが。はっきりとしていることは、ゲルマニアの成り上がりどもに頭を下げなくてはならないということと、ゲルマニアに縋らなければ蜂起が成功したところでなぶり殺しにされるだけであるということだ。ゲルマニアにしてみれば、私が蜂起したところで痛くも痒くもないのだ。反乱を鎮定するために、前線から戦力抽出が行われればそれでも最小限の利益を得ることができる。あるいは、傭兵など多少の援助だけ送ってよこし、内戦に近い形でこちらを疲弊させることで講和交渉に際してこちらの足元を見てくるだろう。交渉がまとまれば、私は用済みになる。どちらにしても、愉快とは言い難い結末につながっているのが目に見えるではないか。「ええい、小娘め、軍の暴走も止められないとは。」事実上、軍の暴走を野放しにした責任はあの小娘にあるのではないか。自分の世界に耽溺するのは自由だが、こちらに被害を及ぼすならばそれ相応の償いをしても習いたいものだ。せいぜい、交渉材料として高く売りつけてやる。だが、問題は蜂起に際してゲルマニアが否応なしにこちらに味方するような方策を探すことだ。交渉相手としてこちらに味方せざるを得ないような良策があればの話だが。と、そこで彼はふと我に返る。誰も近寄らせていないはずの自室の扉、そこからこちらを覗き込んでいる者がいる?「そこにおるのは誰だ!」使用人か?聞かれていたとしたら口を封じなければならない。いや、聞かれている可能性があるのだ。どちらにせよ口を封じてしまうべきだろう。そう判断し、杖を引き寄せたリッシュモンだが、彼の予想に反して不審者は堂々と彼の前に姿を現す。「お初御意を得ます。リッシュモン卿。私共の主から以前新教徒どもの件でお世話になったと言付かっております。」新教徒の件。こやつはロマリアの手のものか?しかし、容易に信用するわけにもいかない。まず、その真偽を確かめなくてはならない。仮に、このものが本当にロマリアの手先だとしても、以前の件は利害が一致したからこそ手を結んだのだ。いまさら、ロマリアが私に何を求めるというのだ?「端的に申し上げましょう。ロマリアは、このブリミル教徒同士の争いを非常に憂慮しております。」「おお、それは恐れ入る。私どもとしても、信仰を同じくする兄弟と争うのは本意ではなく、ロマリアの皆様にご心労を強いてしまい大変申し訳なく思っておりますとお伝えあれ。」お題目でよければいくらでも応じてやるが、時間がない上に奴に蜂起の情報をつかまれるくらいならばここで亡き者にしてしまうべきではないのか?死人に口はない。そのような密使がこなかったことにしてしまえば問題はないはずだ。仮にも戦時下なのだ。最悪の場合には誤って補殺してしまったことにすればよい。要は、用件次第だ。「それです、リッシュモン卿。貴方が正義と信仰を持たれる貴族と見込んでロマリアは貴方にお願いがあるのです。」「ほう、なんでしょうか。私で皆々様のお役にたてるかどうか。」「誠に、遺憾ながらこの戦争はトリステイン側が始めたものであるとロマリアは認識しております。」本題に入ってきおった。しかし、ここでうかつに言質を取られるわけにもいかない。なにより、これがロマリアの密使でないとすれば政治的に窮地に追い込まれかねない。まあ、相手が本当にロマリアからの例の人物が派遣してきた使者ならば最後の符号次第だろう。「いや、しかし、それは。」「立場上、口にされにくいかもしれませぬが、これはアンリエッタ王女のゲルマニアへの不当な干渉ではないのでしょうか?」「失礼ながら、仰っていることの意味がわからぬ。」まさか、ロマリアはトリステインの現王家を見限った?しかし、何のために?連中がゲルマニアの肩を持つ理由はなんだ。いや、むしろ、ゲルマニアは何故ロマリアを味方につけることに成功したのだ?ここで、言わんとされていることは、トリステイン王家にこそ侵略の原因があり、ロマリアは信仰を同じくする兄弟の争いを招いたという大義名分でアンリエッタの排除に大義名分を与えようとしているということだとすれば、当然ゲルマニアもその意図を了解しているとみるべきなのか?「リッシュモン卿、貴方は高等法院を司る身であらせられます。当然のこととして、一切の私情を除かれ、正義と信仰の名において行動していただきたいのです」「このリッシュモン、失礼ながら常にそうあるように努めてまいった身。ことさらに強調されるまでもないこと。」筋書きは読めた。高等法院の名において戦犯としてアンリエッタを断罪することをロマリアはそのブリミル教の名において許可するということか。つまり、これはゲルマニア側にとっても有利なように筋書きを運べということだ。ゲルマニアの望むもの?・・・始祖開闢のトリステイン王家の血か。なるほど。だが、戦犯として裁き、許しを与えるという形でゲルマニア皇帝に嫁がせればよいのか?敗者の捕虜として遇すればまあ、良いだろう。あるいは、トリステイン王家に連なる人間を適当に差し出せばよいということか。いや、穏便な形を取るならばアンリエッタ王女をゲルマニアが保護するという形でも良いだろう。しかし、これらが私にとって利益を具体的にもたらさなければ意味がない。はっきりと言って、それなりの処遇程度ではこれの対価に見合ったものが得られるとは考えられないからだ。「おお、なんと心強いお言葉。」こちらの、考えが読めないほど無能でなければ対価を示すだろう。さて、どの程度の報酬をこちらに提示する?「私共、ロマリアとしては、これからもリッシュモン卿には信徒を保護していただきたいと願っております。」「言うまでもない。ブリミルを共に信仰するものとして当然の義務を果たしたまでのこと。」「ですが、このように不幸なことが往々にして起きてしまうのが現状です。」不幸な出来事と言うが、実際にどう感じているものやら。確かに、こいつの主が例の件で協力した坊主ならば狂信的な聖地奪還主義者と手を結んでいても不思議ではないが。とは言え、建前としては確かに悲劇なのだ。せいぜいが、悲しげな表情を作っておくことにしよう。痛みをさして伴うわけでもないが、面倒ではある。が、その程度の労力にすぎない。このような努力を惜しんでいては政治で遊ぶなど夢物語だろう。「そこで、リッシュモン卿、私どもは貴方にひとかどの指導者として信徒を導いていただきたいのです。」ひとかどの指導者?また、どうとでも解釈しようのある言葉だ。「むろん、信徒として責務を果たしていくのには異存がないが。」「ですが、大変失礼ながら高等法院では王家の暴走を止められなかったのです。もちろん、是正できるでしょうがそれでは、信徒が苦しむこととなります。」「ふむ、一つのご意見ですな。」「どうでしょう、ひとつ、独立した公国としてこの地域を導いていただけないでしょうか?」面白い提案ではある。だが、形式として、政治には必要な手順と手続きがどのような形にせよ存在しているのだ。ここで、与えられた目の前の利益に貪りつくのは愚策極まりない上にこちらを侮らせる隙となる。「いや、ご提案はごもっともだが、私は杖の忠誠を誓った身でして、」「ああ、お悩みになるお気持ちはよくわかります。ですが、どうか私人としての情ではなく大義のために情を克服してくださいまし。」悪くない。独立した公国と言うことはこの場合、ゲルマニアの宗主権を認めるなら自治を認められるということだ。実質的にトリステインと大公国の関係に近いと思えばよいだろう。見返りとしては十分満足いく水準だ。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき何故か知らないけれども今日のアルカディアは重いです・・・。