植民地戦争とは、採算性が取れることを前提に戦われる。当たり前だが、人ひとり住んでおらず、貴金属の埋蔵も期待できないような土地のために戦争するという発想はイギリスにはない。そして、ボーアで散々たる代価を支払って以来、英国では戦争の『採算性』ということを意識せざるを得なかった。その意味において、第一次、第二次大戦と言うのはロバートからしても最悪の大失敗だ。このハルケギニアに流れ着いた時点で、ロバートは植民地の放棄という発想までは知らない。それでも、コスト、という発想が頭の中に居座るのだ。彼は他のゲルマニア高級官吏同様に心底下らない理由により開戦に至ったトリステイン戦役には辟易としている。そして、同時にコストという発想からすれば辟易以上に心底憂慮せざるを得なかった。なにしろ、トリステインの旧支配構造は依然として土地を所有しているのだ。つまるところ、これは、トリステインと言う慢性的な火種を抱え込むだけ抱え込んだあげく、赤字を垂れ流すに等しい。これだけでさえ、頭が痛くなるような政治上の措置だ。当然、皇帝アルブレヒト3世が、これ以上の出費を望まないのは少しでも世事にたけて居れば容易く想像できる。権力基盤の強化が進むとはいえ、国費を垂れ流せば相対的に中央集権が歪むのは自明のことだろう。だからこそ、だからこそ、誰もが気乗りせずに嫌々トリステインで戦争しているのだ。言い換えるならば、トリステインという採算性が疑わしい地方の戦争は誰だってさっさと終わらせたい。本音でいうならば、亜人にトリステイン人が何人教われようとも、本来は公の場で涙すれば済む話にすぎないはず。無論、個人としては心が痛むが、邪悪な組織人としてみれば自分たちの陣営の利益が最優先となるのは当たり前だ。ゲルマニアの南方防衛の確立と対ガリアの観点からタルブのような要衝を確保し、後は関わり合いになりたくない程である。だというのにだ。苛立たしげに、重戦列艦ヴァイセンブルク提督執務室に座り込んだトリステイン方面総督、ロバート・コクラン卿。彼はカップを手に取り一服しつつ呻き声を漏らす。トリスタニアの難民問題。…モンゴル帝国が攻城戦に際して『防衛側の農民』を活用した故事を今更ながらに思いだす羽目になったものだ。戦史の教官が、さらりと触れた程度の話だがそれでもくっきりと覚えている。元来が遊牧民族であるモンゴル軍は、攻城兵器を持たず城塞都市を攻略することが不得手だったという。実際、騎馬民族は野戦では強くとも攻城戦では意外に手間取るというのは珍しくない。もともと、騎兵と攻城戦と言うのは相性が良くない物だ。が、彼らは発想を逆転させた。モンゴル軍は、攻城戦に際してまず城塞都市の周辺の村々から襲い始めたのだ。それも、その際、なるべく村人を『殺さない』ように気を付けながら。そうして村を焼かれた人々が、安全な都市へと逃げ込むのを待って、悠々と包囲したという。そう、周囲の穀倉地帯を抑え、人口が膨らんだ都市が餓えるまで悠々と。兵士の数は防衛の強固さだが、無数の腹を抱えた防衛戦など…指揮官ならばぞっとしない悪夢である。まだ、幸いにしてタルブは防衛線が健在なために包囲されたわけではない。だが、包囲されていないにもかかわらず慢性的な食糧不足と急激な情勢の不穏化と来ていた。挙句、本来ならば解決しなければならない政治的なごたごたも急速に悪化しつつある。大公国の動向もさることながら、トリステイン王家の血を引くヴァリエール家の動向も無視できないのだ。机の中から取り出したウィスキーボトルに手を伸ばし、一口呷らねばやって入れなかった。タルブで特産と言う事もありアルコールだけには不足していないのが幸いだろう。尤も、タルブ近隣はブドウ畑ばかりで大量の人口を養える耕作地がないという事を思い出して頭がさらに痛むのだが。これでまだあのジャガイモ共の様にビールを醸造しているのであれば穀物の目途もつかないこともなくはなかった。だが、ブドウとくればとてもではないが穀物とは言えないうえに主食として補う訳にもいかないだろう。だからこそ、責任者としてのロバートはどこからか、王都一つ分の腹を満たす食糧をひねり出さねばならない。無論、短期的にはタルブ駐屯地の山積みにされている備蓄を切り崩せば情勢を穏やかにさせられる。が、長期的に見た場合は緩やかな自殺。自分は海軍士官であって、始めから減ることは有っても増えることのない人数分の兵站が専門なのだがと叫びたい程だ。長期公海に際して艦船に積み込む物資の管理は何時も繊細かつ丁寧に行わせていたが…前提が違いすぎる。「…つまり、養うのは、そもそも、無理だ。」結論としては、とてもではないがトリスタニア住民を喰わせることなどできないというもの。そもそも、本来ならばトリステイン中に蔓延する反ゲルマニア感情とトリステイン王家への幻想を打ち砕く予定だったのだ。トリスタニアで所謂アルビオンからの不愉快な仲間たちと大いに争ってくれる予定だったのだが。…亜人が、何故?いや、これは重要だが専門家に調べさせるしかない。今、自分が考えるべきは兵站の処理と…大公国、従軍諸侯との関係だ。が、その思考は結局のところ難題に対する明瞭な答えを出し得ないうちに煩雑な艦隊業務に遮られてしまう。「コクラン卿、フネの針路について艦長がお伺いしたいと。」「…変更はなしだ。とにかく、前線視察を何事もないかのように執り行え。」政治的に見た場合、予定されている視察を急遽新任の総督が取りやめることは頗る問題がある。既に、胃が痛くなるほど厄介ごとが噴出しているところに食糧問題が沸いて出たとしても、だ。「はっ。」「それと、エムデンの艦長に私からと言ってラムを送ってくれ。クルーにもだ。」「かしこまりました。」嫌な知らせを持ってきたエムデンだが、しかし、貴重な情報をもたらしてくれたことに変わりはない。気乗りしないニュースを知らせてくれるフネほど、海軍では本来珍重すべきものなのだ。ロバートが士官学校から一貫して言われたのは、現実を直視する必要性である。幾ら、理論で取り繕ったところでクイーン・メリーの爆沈が全てだった。…だからこそ、彼らは嫌な知らせを大したことがないかのように平然と受け取る習慣を身に着けることで、現実を直視する訓練を受けている。嫌になるほど碌でもない知らせを受け取ってなおロバートは其れがどうしたという装いを保てるのだ。「あら?…随分と、大勢でいらしたのね。」キュルケの眼が間違っていなければ…そして、彼女は自分の眼を信じているのだが、彼女が目にしているのは重戦列艦を含んだ艦隊だ。間違っても、優美なコルベット程度の視察にやってくるフネとは違うらしい。「視察、というより一戦構える覚悟かしら。…意外と、情熱的。」ちょっと燃えてくるじゃない。そうふわりと風に煽られた火種のような笑みを浮かべつつ、キュルケは面白くなってきた予感を感じ取っていた。杖を手に、足早に臨時の船着き場へと足を運んだ彼女の頭を占めるのは言わずもがな、好奇心だ。マントを翻らせ、足取り早く駆ける彼女が気にかけているのは一声投げただけで本当に前まで出てくる新総督その人。これで、連れてきたフネが全て自分の護衛と言う訳もないだろう。ヴィンドボナの風評までは知らないが…少なくともキュルケの知る限りわざわざあの閣下が送ってよこした人物である。仮にも軍人であるし、父からも悪い風評は聞いていない人間なのだ。尤も、風評と言うなら…と思い返してキュルケは思わずクスリと笑みを漏らしてしまう。一番初めにコクラン卿の名前を聞いたのは、こともあろうにルイズに吹き飛ばされた提督が居る、と聞いた時なのだ。あの時は、我ながら大いに呆れたものである。とまれ、それ以上の推測を控えた。とりあえず実物を見てみよう、というのがキュルケの気持ちだ。船着き場にたどり着いたキュルケは手早くマントを整えて燻る好奇心を隠そうともせずにフネを待ち望む。ツェルプストーの本分は炎。なれども、燃え尽きるのではなく燃え上がる火なのだ。そうして彼女は好奇心の炎を竈で保つ。なにより待たされるのは好きではないのだが、待つのは嫌いではないのだ。やがて甲板の上の喧騒が直接耳に届くほどにフネがゆっくりと高度を下げて船着き場へとゆっくりと向かい始める中。彼女はじっくりとフネを狩猟者のように丹念な眼差しでもって眺めながら、素直に感心していた。空軍の専門家ではないにせよ、キュルケも杖を手にとってオーク鬼を蹴散らしている軍属だ。専門外のことにせよ、動きが機敏であるか、統制が整っているかということ程度は察しえる。ゲルマニアの空軍が著しく質・量ともに増強されていると聞いていたとはしても、この目で見るとやはり壮観だった。なにより驚くのは、かのアルビオンにも勝るとも劣らない兵卒らの機敏さ。そして、船着き場へと接近してきたフネが接舷の準備を始めているさなかに甲板の上で動きがあった。フネを係留するのだろうと考えていた地上の人々の予想。だが、キュルケを含めたその人々の予想とは裏腹に突如として竜騎士の一群がフネから降下を開始。唖然とする出迎えを前に、降り立った竜騎士らは幾人かの指揮官らを地面におろし儀仗兵の様に杖を捧げていた。否。儀仗兵の様に、ではなく、本当に彼らは儀仗兵役を務めているのだ。咄嗟に杖を捧げる姿勢でフネから降り立ってきた面々を迎えたとき、キュルケは内心で自分の好奇心が燃え上がることを嫌でも意識してしまう。つかつかと進み出てくる男性。被っている帽子と、ぶら下げている勲章を見るまでもなく、あれがロバート・コクラン総督だとキュルケは確信していた。「ようこそ、最前線へ。ご招待に応じて頂き、言葉もありませんわ。キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーですわ。」なればこそ、意表を突かれたままで黙り込んでいるのは彼女の性ではなかった。一歩足を前に踏み出し、典雅でありながら同時にどこか型に嵌りかねるのびのびとした一礼。良くも悪くも、奔放なツェルプストーの女とは、型に嵌らないものだ。さらに言うならば、行動をもって良しとする。「始めまして、ミス・ツェルプストー。ロバート・コクラン、トリステイン総督を拝命しております。熱烈なご招待に感謝を」「応じて頂けるとは思ってもいませんでしたの」だからこそ、礼儀知らずだと。伝統を云々という古びた輩とは今一つキュルケは肌が合わない。父が嫌がらせなのかそれとも政略の一環なのかで自分を萎びた老公爵に嫁がせようとした時杖を取ったのもだからだ。活力こそが、炎を燃え上がらせるもの。「炎を不得手と為されていないと宜しいのですが。」此処まで、誘いの一声で足を運んでくれた総督に対してキュルケは意外と若いわねと見直す思いだった。老練な政治家が任じられてくるものとばかり思い込んでいたが、どうも、軍人肌の匂いがする。「船乗りにとって火は厄介なものではある。ですが、私は一度吹き飛ばされてもこの通りだ。存外、大したこともありませんよ。」「あら、それはトリステインの微風でしてよ?あの子ならば、事故のようなものでしょうし。」オマケに、フネ乗りとしても意外と有能そうだと彼女の嗅覚は嗅ぎ付けてしまう。お貴族というのは、縁起にこだわるあまりフネに火のメイジ乗せることを嫌がるとも聞くが。吹き飛ばされたことを笑い飛ばせるのであれば、それがやせ我慢であろうとも…悪くはない。が、キュルケの一言は想わぬところでコクラン卿の関心を引いたらしい。「…ミス・ツェルプストー。貴女は、ヴァリエール家の末娘のことをご存知であられるのか。」僅かに黙考し、キュルケの方へ質問の声を投げかけてくる姿は其れまでの社交儀礼をかなぐり捨てた実務の姿。呆れ果てたことに、こんな良いツェルプストーの女を前にして、彼はどうやら、ヴァリエール家にご執心らしい。「ええ、存じておりましてよ。私、一時期トリステインの魔法学校で学んでおりましたもの。」「失礼。後程お伺いしたい。」貴族同士のつながり、というのは国境を超えるものだ。ある意味では、ノブレス同士の方が国を越えて普遍化しえるという事だろう。平民でも他国のフネの乗組員の方が、自分の国の陸軍軍人よりも話が合うというのは珍しい話ではない。よく悪くも、人間というのは近くの同種の方が話は合うのだ。その意味において、近くにいた人間の知見と言うのは何物にも代えがたい生きた情報である。「率直にお伺いしたいのだがその気性はどうか。」だからだろうか。提督執務室にわざわざ呼び出され、キュルケは艦隊の首脳陣から質問を山ほど浴びせられていた。コクラン卿や旗艦艦長、副官などに囲まれ問われるのは全て『ヴァリエール家』がらみ。「ルイズの気性?」「その通り。できれば、極力事細かにお伺いしたい。」ルイズの性格?そういわれたところで、キュルケの頭に浮かぶのは『お子様』というものだ。「そうですわね…その、難しいのですけど少し、子供なのですけど。」「子供?…失礼、ミス・ツェルプストー。彼女がまだ成人していないことは知っているが。」「あら、おかしなお方ですわね。…心のありようですわ。」頑張り屋で、貴族としては珍しく真面目な一面があるものの、本質はかなり脆い一面があった。あれほど努力していながらも、彼女は…魔法が使えない。その一事が、ルイズのコンプレックス以上の何かを作ってしまっていたともいえる。「心、ということについて聞きたいが。」「彼女は、その、何と言えばよいのか。そう、良くも悪くも、貴族たらんと。」「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、貴族では?」貴族とは何か、という定義の議論をしたいわけでもないだろうに。存外、枠組みで物事を見られてしまう方なのだろうか。口さがない宮中雀の言うところの『平民』上りと聞いたことがあるが…しかし、それにしては変に貴族的な発言だった。貴族であることを自明であると考えるところ。ある意味では、下手な貴族よりもよほど貴族的な思考に近い。「コクラン卿、ゲルマニアと違いトリステインで貴族であるという事は、何よりもメイジであるという事ですわ。」「彼女はメイジだろう。私は、実際枢機卿とご一緒に彼女に焼かれているが。」笑い飛ばすように言ってのけるコクラン卿だが、彼はどうも勘違いしている。ルイズは、魔法を成功させたことがないのだ。だから、可哀想にもいつも彼女は嗤われていた。「ああ、魔法が失敗したのですね。」「失敗?いや、続けてくれ。」「ですから、彼女は魔法がマトモにつかえませんの。貴族なのに、と言われ続ければ嫌でも意識しますわ。」だからだろうか、人一倍、メイジとは、貴族とはどうあるべき、という紋切り型の考えに陥りがちだった。悪い性格ではなかったが、誇りが高く…悪く言えば誇りの高さに自ら傷ついていたのだ。「なるほど、言わんとするところは理解できた。…うん、興味深いな。」「質問を宜しくて?」そんなことを、聞くためにわざわざ自分が呼ばれたわけではないのだろう。あまり淑女としての礼儀にかなった問いかけではないとしても。自分ばかり、問われ続けていたのだ。少しばかり、一体、彼らが何を知りたいのかと彼女は訪ねていた。「構わないが。」「ご質問の意図を。」「結構。我々は、ヴァリエール家の動向に頭を悩ませている。即ち、彼らが亡命した王家に殉じるか、どうか、と言う点にだ。」結局は、そこか、とキュルケとしても薄々は想像していたところだ。最前線でオーク鬼を蹴り返す合間でさえ囁かれているのは、アルビオンとヴァリエール家の動向だった。トリステイン王家とその関係する勢力というのは余りにも動向が不明瞭だから無理もない。だが、少なくとも国境で長年対峙してきたヴァリエール家についてならばキュルケは確信が持てていた。ヴァリエール家が王家に殉じるだろうか?という質問に対するキュルケの答えは単純だ。最初から、そうと聞いてくれればルイズのことをあまり触れ回る必要もなかったほどである。「ありえませんわ。」「何故断言を?」疑問を浮かべて訊ね返してくるコクラン卿の真顔が、少しだけキュルケには可笑しい。…変わった人物だ、とキュルケの中でコクラン卿は今や認知されている。平民出身と思しき人物ながら、貴族としての振る舞いを平然となしている。というか、知らなければメイジでないとは夢にも思わないだろう。でありながら、貴族としてみれば当たり前の家と国家の関係を失念している。貴族の大半は、自分の利害に次いで国家の利害を追い求める存在なのだ。「ツェルプストーの一門が、何年対峙してきたと思われますか?あの家は、良くも悪くもお家大事。身内が一番で、王家とはそれほども。」「…血縁関係まであるようだが」「こんなことを口にするのは憚られますが、ゲルマニア諸侯がこの状況で殉じると?」本当に不思議な会話だった。キュルケにしてみれば、どうして、そこまで忠誠心とやらをコクラン卿が評価するのか理解しがたい。否、それは理解できるはずもないのだ。『神よ、国王を護り賜え。』王家と祖国に対する忠実な藩屏としてのノブレス・オブリージュを叩き込まれた英国の海軍軍人の思考など、この世界ではロバートただ一人の思考だ。だが、だからこそ。キュルケは、その無邪気なまでの忠誠心への盲信と、政治的なゲルマニア貴族への懐疑心を両立させているコクラン卿の人格に興味を覚える。「尤もだ。なるほど、結局はそこに行きつくわけだな。だとすれば…妥協は成り立ちうると考えられるわけだ。」「妥協?」「そう、妥協だ。いや、私はどうやら恵まれているらしい。ミス・ツェルプストー、賢明な示唆に感謝を。」あとがきちょっと久しぶりに更新。勘が今一つなので、後でぼちぼち弄るかもしれません。いじらないかもしれませんが。とまれ、お待たせしました。マジ、すみませんでした。追伸呟き始めました。@sonzaix