官房学、政治論ヴァルネーグノートより抜粋権力構造と封建的契約に見られるゲルマニア戦役時の諸構造(レコンキスタ運動時代に関する考察)所謂ゲルマニア戦役は、第一次トリステイン・ゲルマニア戦争と第二次トリステイン・ゲルマニア戦争からなる。最も、この呼び方は通称に過ぎない。厳密には、第一次トリステイン膺懲戦役と第二次トリステイン膺懲戦役というのが、正式な名称である。(交戦国間のうち、トリステイン王国が何れも敗戦したため。ただし、外交上の儀礼から、各国は基本的には前述のトリステイン・ゲルマニア戦争と一般には呼称される。)特徴的なのは、第二次戦役の複雑さと、そこに至る過程があまりにも奇妙なことである。状況を整理しよう。第一次トリステイン膺懲戦役において、ゲルマニアは手堅い勝利を収めた。これは、両国間の国力差を繁栄した単純なものであり、特に不思議なことはない。開戦の原因は、両国の偶発的な国境衝突が発展し、なし崩し的に本格的な武力衝突に至ったと考えられている。背景としては元々、当時ゲルマニアで進行していた匪賊討伐作戦により、多くの空賊・山賊らがゲルマニアから脱出し、隣国トリステインに逃げ込んでいたことがあげられる。特に、国境を無視して越境しゲルマニア領を犯す匪賊に対するゲルマニア当局の意思は強固であり、越境し侵入してくる匪賊は断固討伐するという意思を有していたことが事態を悪化させた。根本の原因は、ゲルマニアよりの匪賊流入をゲルマニアの挑発と見なしたトリステイン青年貴族らが、匪賊討伐中に気がつかずに国境線を越えて、警戒中のゲルマニア軍を匪賊の一党と誤って攻撃を加えたことであるが、ゲルマニア軍の反撃もまた躊躇が無かったために戦争に発展。興味深いのは、両国の戦争に対する意識である。ゲルマニア側は、はっきりと言って乗り気とは程遠い状態であった。もちろん、帝政ゲルマニアが平和を愛するとか、侵略を嫌うということはなく、彼らは立派な自己利益の追求者である。だが、それ故に、赤字必須と見なした(事実、この問題で最終的にゲルマニアは極めて高額の軍事費と多大な資金を無意味な整備・復興費用に投じることとなる。その額は、アルブレヒト三世をして、涙させるほどに至った。)。ゲルマニアにしてみれば、純粋に赤字の戦争であるものの、開戦に至った以上全力で交戦すると同時に、この機会にヴィンドボナにとって邪魔となるような貴族らを上手くすりつぶすことを期待した傾向がある。最も、この計画は前提としてトリステイン貴族の一掃を必要としており、後述する有名なリッシュモン事件によって根本から変更を余儀なくされている。一方のトリステインは完全に、初動が遅れている。辛うじて、傭兵を主力とした部隊を曲がりなりにも形成したのは特筆に値し、財務関係者の努力はもはや伝説にふさわしいというのが、事情を知るものの一致した見解である。なにしろ、当時のトリステイン王政府の財政状況から、曲がりなりにも、ゲルマニア攻勢を遅延するだけの部隊を編成する費用と、その維持に必要な戦費を捻出したのだ。もはや、錬金術師の名にふさわしいと評するほかにない。この分野は、官房学を学ぶものにとって不可欠の領域と見なされており、今日でも多くの研究がなされているが、近年、戦費調達ばかりか、貴族の合理的な削減方法として中央官僚らが注目していることはあまり知られていない。ゲルマニアが厄介な貴族をすりつぶそうとしたのと同様の期待から、トリステインもこれ幸いと彼らのいうところの『愛国心溢れる貴族』を大量に磨り潰すことに成功している。結果的に、ゲルマニアの圧力に屈服し、講和にも失敗したがために今日に至るまでこの方面では評価されていないものの、上手くいけば戦後のトリステイン王政府はかなり裁量の余地が広がりえるだけに、一部の中央集権論者からは周りがほんの少しまともであれば、当時のトリステイン王国は信じられない成功を収め得られたのではないか、とすら論じられている。なにしろ、戦費調達は容赦なく貴族らからも行われており、反抗的な貴族らの一部財産徴収と、扱いの厄介な貴族に名誉の戦死を与えることができれば、随分とトリステイン王政府は風通しがよくなりえた。アルビオンのように、多くの混乱と反発を招いたモード大公粛清に比較して、極めてスマートであり、ガリアのそれと比較することが可能だろう。だが、結局トリステイン・ゲルマニア両国にとって不幸なことに、(そう、ゲルマニアにとっても、極めて不本意なことに)結局戦争を終結させるための和平努力は失敗。ゲルマニアは、二正面作戦を展開し得る軍事的優位を保持しており、その軍事機構を活用することで、トリスタニアを襲撃。同時に、以後ゲルマニアの西方政策にとって基幹拠点となるタルブに仮設の空軍基地を設けるに至っている。重要なこととして、この時、ゲルマニアはリッシュモン事件に対して関与していないというのが、今日では通説である。トリステインでは広く、リッシュモン卿が造反したと見なされているものの、この事件の本質は、珍しくリッシュモン卿の宗教心と保身性向から、卿が失敗したというのが現実らしい。というのも、リッシュモン卿は、ゲルマニアが歓迎すると見なして、トリステインに混乱をもたらしてしまい、結果的に自らの首を絞めかねなかったからである。特に、王族の拘束に失敗したことは、大きな政治的失点であった。曲がりなりにも、信仰を同じくする者同士が戦うのが見るに忍びないなどと称したリッシュモン卿であるが、結局のところは叛乱であり、正統性を確保するためには、なんとしても現政権を打ち倒す必要があった。ところが、拘束に失敗し、捜索中に急遽反転してきたワルド卿指揮下のトリステイン魔法衛士隊によって王族が救出され、あまつさえアルビオン方面への亡命を許すに至っている。これを阻止線と辛うじてゲルマニア軍が追撃を敢行したものの、戦果は望ましくない。陽動によってマザリーニ枢機卿の身柄を拘束するにとどまるばかりか、艦隊司令長官がなんらかの出来事によって負傷さえしている。この時期のアルビオン王政府の情勢と貴族らの動向については、アルビオン動乱史の大家フルガー卿の『あの時代』を参照されたい。ともかく、アルビオンに亡命したアンリエッタ王女は、のちのち、ゲルマニアにとっては頭痛の種として大きく存在し続けることとなる。最も、当然のことであるが、政治の化け狸、伏魔殿の魑魅魍魎と評されるリッシュモン卿だけのことはあり、見事にこの難局を生き抜いたのは、もはや一つの列伝に至るといってもよい。事実、外交や立身といった観点から官房学はリッシュモン卿の行動を分析する一分野が存在するほどであり、この稀代とも言える政治の魔物は、官僚にとって倣うべき対象ではあるが、真似すれば身の破滅と認識されるほどである。かくして、ゲルマニアにとってみれば、完全に不本意な形でトリスタニアが陥落し、そのままアルビオンに押し付ける形で、問題の収束が両国によってはかられた。この間に、もはや伝説的となっているワルド子爵の北部作戦が展開され、トリステイン魔法衛士隊の意地を見せつけた。ゲルマニア北部において風石貯蔵庫が吹き飛ばされるに至り、ゲルマニア軍は物量にものを言わせた掃討戦に出る物の、結局ワルド子爵は脱出に成功し、長い潜伏に移っている。また、集積した風石を吹き飛ばされた結果として、ゲルマニア艦隊は、常に相当量の風石を分散備蓄するようになり、かなりの金額をこの問題の対処に割かれている。さて、長い交渉と腹の探り合いの末に諸々の条約が結ばれるに至った。ここで、ようやくゲルマニアにしてみれば、損ばかり多く、浪費もよいところの戦争が終結したとヴィンドボナ首脳陣が安堵のため息をついていたところに、ガリアよりの悪い知らせが飛び込むことで、ゲルマニア首脳陣の短い春は容易に吹き飛ぶ。両用艦隊にて叛乱が勃発。このガリア内部の事象は、正統な王権という概念から、トリステイン王政府を打倒したゲルマニアに対する憤怒となり、救トリスタニアという理念のもとにガリア艦隊とゲルマニア艦隊が交戦するに至った。結果は、ゲルマニアの勝利に終わったものの、この事件を契機に表面上両国関係は急速に接近する事となった。ただ、あくまでも政治的な理由によるガリアからの接近であり、ゲルマニア首脳陣にとっては碌でもない思いで苦々しいことこの上なかったというのが、近年公開された資料から明らかになっている。同時に、この戦闘以来、フネと龍騎士の価値が再認識され、各国が艦隊と龍騎士の育成に本腰を入れて臨むようになったことが軍事的には特筆に値する。元来、国土防衛の観点から極めて優秀な艦隊を有していたアルビオンに匹敵する艦隊整備をガリア・ゲルマニアが敢行し、大公国に代表される資金に余力のある中小国は龍騎士隊の整備に全力を注いだことは、各国軍事戦略の方向性を物語ると言えよう。さて、ゲルマニアにとって、この会戦は実に不幸な結果をもたらしている。艦隊を重視するべきであるとの発想は正しい。そして、ガリアが主要な仮想敵国であるというのも概ね正解であるだろう。なにしろ、両用艦隊はガリアから来たのだから。故に、高度な迎撃警戒網の整備と防衛拠点構築のために多額の費用を対ガリア方面にゲルマニアは投じることとなり、一定の防衛力向上は実現したが、結果的に差し迫った軍事的脅威の乏しいと見なされたトリステイン方面の防衛整備は遅延し、辛うじてタルブに空軍の軍廠を整備し、空海軍の拠点を整備し得たのみであった。ただ、この事実は後にゲルマニア艦隊にとって少なからぬ利益をもたらしている。また、ゲルマニアが艦隊戦力の運用改善と、質的向上を図ったことも長期的にみれば間違いではない。事実、ゲルマニア艦隊の質的向上は目覚ましく、アルビオン艦隊にすら比肩しうると見なされたほどである。ただ、完全に時期が悪すぎた。艦隊行動に際して、全艦隊共通規範を導入しようとするコクラン卿ら、艦隊関係者の意図は実に明瞭かつ妥当であると今日でも評価されている。しかし、時期が悪かった。当時、ゲルマニアは中央集権の過程で、選帝侯らとヴィンドボナは対立関係にあったことに留意する必要がある。ゲルマニア中央にとってみれば、対外的示威行動どころか、内部の選帝侯らに対する圧力の意味すら含め艦隊演習を大々的に行いたいと考え、最も中央の意向が及ぶコクラン卿の管轄する北部にて演習を企画した。もちろん、差し迫った戦略的脅威が乏しいと判断してのことである。だが、結果的にゲルマニアの情勢判断は大幅に狂うことになる。まず、今日では、レコンキスタ運動として知られるトリステイン王国とブリミル教の熱心さゆえに道を誤った(政治的配慮の表現である。ゲルマニア当局など、狂信者と評する時はよほど抑制した表現ですらある。)信徒らが中心となりゲルマニアに対して挑むこととなる。並行して、当時不穏な情勢であった北部アルビオン人らが蜂起。無論、ゲルマニア全艦隊の前に、あっけなく粉砕された。ただ、粉砕される事となったものの、ゲルマニア艦隊は盛大に対地砲撃を行った影響で弾薬が決定的に不足する。もともと、大規模演習に伴い、備蓄をかなり使用していたところに、実戦による射耗も加わり、艦隊の損害はともかく、物資の欠乏は深刻極まる水準にまで低迷する事となった。原因の一つには、今日では考えられないことに、大砲の規格がばらばらのために、砲弾が微妙に各艦によって異なっていた事と、大砲の取り扱いが難しくすぐに破損したことにある。この時を契機に、艦隊整備計画に際して、砲弾と大砲の規格化が本格的に図られるのは、ゲルマニアがこの教訓から学んだことを示している。しかし、当時のゲルマニア艦隊は本格的な砲弾不足に直面し、フリゲートの砲弾を辛うじて一隻分かき集めることができる程度であり、其れすら十分でなかったと今日では明らかになっている。こういった情勢下において、これまでは、アルビオン亡命中のトリステイン王族の動向があまり注目されておらず、研究されていなかった。特に、トリステイン王党派の研究こそ、一部の官房学では其れなりに行われていたものの、全体としては低調であり、研究の本格化は、近年機密資料の一部が流出したことによってであるのを思えば、あまり進んでいないのが現状だ。ただ、この分野はフルガー卿による一部の先行研究があり、これの信頼性は、かなり確度が高いと思われる。其れによれば、アルビオン亡命中のトリステイン王党派と王族は、当初アルビオン王太子と王女の結婚による安定を指向していたものの、アンリエッタ王女個人の意志によってトリステイン奪還の方向性が決定されたというものである。フルガー卿はその未発表原稿において、アンリエッタ王女の資質を極めて高く評価する一方で、政治的教育を受け、その資質が開花するのがあまりにも遅すぎたと評している。当時は、政治的にあまりにも差しさわりがあると見なされたために、発表が控えられた其れによれば、トリステイン王政府は、そもそもアンリエッタ王女を誕生時には後継者と見なしていなかった。そのため、王族としては礼儀作法を最低限教育されたばかりで、本格的な政治教育は施されていないとフルガー卿は分析している。公式の通説では、アンリエッタ王女こそが後継者であるとトリステイン王政府が主張している。ただ、学会では、それは基本的にはアルビオン亡命中に王政府の正統な後継者の権威づけのために必要に迫られたものというのが通説だ。それはせいぜい建前であって、彼女は血を残すことを主に期待されたが、政治的役割を期待されるのは諸論あるにしてもリッシュモン事件以降であるというのが、非公式の通説となっている。さて、このアンリエッタ王女であるが、才幹は有った。事実、同時代のゲルマニア政府の記録によれば、ペチコートの悪魔と呼称され、本格的に忌み嫌われていたことからも、少なくともゲルマニアにとって忌み嫌うだけの才能があったことを物語る。彼女がその才幹を初めて示したのは、レコンキスタ蜂起に際して、である。動乱前の不穏な情勢を察知したウェールズ王太子は、婚約者としてアンリエッタ王女を政治から守ろうとした。(歴史家の評価は、一致して彼は善良であったと見なす。)ただ、彼女はこれを謝絶し、本格的に介入することを決意する。とはいえ、彼女は後にレコンキスタ運動と称する面々の活動に期待したのではない。彼女の内心は、祖国の危機に知らぬふりを決め込んだ挙句、厚顔無恥にも自己利益のため行動する(少なくとも、彼女はそうであると信じていた。そして、それは少なからぬ真実を含んでいた。)連中を憎悪し抜いていた。故に、彼女は、実に巧妙な手段を講じる。それは、アルビオンとトリステインの両王政府が名目上とはいえ対等にあったことに端を発した問題の解決策に偽装した恐るべき政治的手腕であった。アンリエッタ王女は、トリステイン王女として、アルビオンより相談されていたある案件に対して、解答を行った。それは、トリステイン(実質的には当時の西トリステイン=実質的アルビオン勢力下を対象とするものの、トリステイン全貴族が適用対象)の貴族らに対してアルビオンとトリステインの両王国に対する封建的契約を認めるという解答である。これにより、トリステイン・アルビオンの融合を一体化させる、と。むろん、これは表向きであり、より重要なのは、その条約の一文に、両国に対する契約を望まないもの、つまり現トリステイン封臣の中で封建契約更新に対して同意しないものは、仕官自由となし、自由貴族足る事を許すとした規定である。一見すると、強制的にアルビオン王国に編入しないことで、貴族らの去就を自由に任せたように見えるが、重要なことはこれまで国家に帰属させられてきた貴族らに対して、拘束を解いたことだと、フルガー卿は主張する。卿によれば、これによって自己利益の最大化を図る貴族らが、大義名分を持って独自の行動を行う背景を形成したということが最も重要だ。つまり、国家という枷にて、枢機卿や、数多くの愛国者らによって、トリステインはその封建貴族らを抑え込んできた。それは、言いかえれば、暴力装置を統制下におくことで国家の安定を図ったとも言える。そして、曲がりなりにも抑え込まれてきたが、全く使えなかったそれらを解放すべく彼女は、統制のための安全装置をぶち壊し、統制されない暴力をゲルマニアにぶつけると共に、彼女の憎悪した貴族とゲルマニアの共倒れを狙ったというものだ。なにしろ、ゲルマニアなど成り上がりと見なしているトリステイン貴族だ。自己の利益になる軍事行動が取れると見なせば、嬉々として軍を挙げかねない。事実、トリステイン貴族らは、かなりの頻度でゲルマニアとの国境紛争をトリステイン王政府時代から惹き起こしており、暴発は容易に予見できた。ここで、トリステイン・アルビオン両政府によって統制をうけず、かつ爵位はトリステイン時代のそれを正式に保証された独立貴族らの行動はアンリエッタ王女の予想通りであった。まず、ゲルマニアによって経済的に困窮していた貴族らと流民との利害が一致し、彼らは火種と化す。そこに。ゲルマニアへ自由に殴りかかってよろしいと実質的に促され、アルビオン王室もそれを追認する言動を見せたために、事態は加速度的に進展する事となった。単に、封建的契約の見直しに言及しただけだと一般には見られる彼女の行動は、その実、嫌い抜いていた両者をぶつけるための手法であり、まんまと踊らされたレコンキスタ運動によって、ゲルマニアは泥沼の戦いに引きずり込まれる事となっている。軍事的に見た場合、なぜレコンキスタがトリステイン王政府時代に比較して、遥かに奮戦できたかは、別の専門家らがより詳細な研究を行っているため、要件だけを述べるとしよう。まず、トリステイン王政府は、その構造上複雑な派閥対立と、貴族らの叛乱に警戒するため、全力で持って外征を行える状態になかった。これに対して、レコンキスタ運動は、文字通り、先の戦争では従軍しなかった諸候らが参加したために、規模が膨れ上がったことで大きく変質した。もともと、メイジの比率が他国に比較して高いトリステインの場合、それはゲルマニアにとっても其れなり以上の脅威となりえた。二点目が、後先を考えずに、無謀な攻勢を行えるだけの兵隊、つまり流民母体の兵士を大量に抱え込んでいたことがある。この時代に行われた経済政策は、ゲルマニアにとってトリステイン領土が負担であり、この土地を発展させることに対して、無関心であったことを示している。わずかに、タルブが、整備された程度であり、ゲルマニアはよく言ってこの方面の復興に予算を割く余裕が乏しかった。率直に言ってしまえば、無関心だった。言い回しは慎重だが、トリステインなど、どうなろうとさほどゲルマニアにとってみれば、問題でもないようだったというのが、本質である。そのため、本来ならば、耕作し、働いていたであろう多くのトリステイン平民まで、レコンキスタ運動に参加するに至っている。まあこれは、アンリエッタ王女にとっても誤算であり、彼女の憎む貴族どころか、国家の民まで荒廃にまきこむこととなったことは、彼女にとって痛恨の事態となったようだ。三点目が、亜人の活用である。今だ、多くが謎に包まれているものの、この戦闘において、オーク鬼をレコンキスタ運動側が運用したとの記述がゲルマニア側に見られる。多くの疑問が提唱されているものの、ともかく亜人によって、ゲルマニア軍は甚大な損耗を被ることになったと従軍者が口をそろえていることは、記録に値するだろう。いずれにせよ、この戦争は、以後の歴史に甚大な影響を与えた。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき最近、若干説明不足だったり、誤解される表記があるために、情勢を整理してみました。後世の官房学メモという形式で描写したので、それとなく後世の評価を交えたのですが、まあ、ものの見方としては面白いのではないでしょうか?アンアン・テレジア化のための布石とご一笑ください。勢いで書き上げたので、まあ、あれですが(-_-;)