幸せになるためには、何が必要だろうか?トリステインにおいては、矜持を保つための資金である。なにしろ、過剰なメイジ人口と、爵位故に、彼らは見栄を競わねばならず、その内情は豊かな平民よりも苦しい事例などざらにあるのだ。平民には生きづらい国だった。アルビオンにおいては、実に単純である。普通にしていればよい。良くも悪くも浮遊大陸は、平穏なのだ。ゲルマニアは、挑戦という意味では、お勧めしよう。とにかく、平民でも貴族になれるのだ。平民が幸せになろうと思えば、ここに運を試すということも一つだろう。ガリアは、まあ、個人的にはお勧めしない。だが、破滅願望があれば悪くないと思うと言っておこう。策謀に興味があったり、黒幕になりたいという場合も悪くない。ロマリアは、あれだね。光輝が眩しくて、眩しくて、御坊様以外は、存在が許されないようにすら思う。なんにしても、だ。諸君には、申し訳ないと思う。なにしろ、われらクルデンホルフ 大公国が、一番幸せなのだから。『無名人のお国自慢』 年代記より抜粋。空中装甲騎士団(ルフト・パンツァー・リッター)。近年、艦隊派と龍騎士派に二分される空海軍関係者の中で一つの解答として導き出され、ハルケギニア屈指の実力を誇るとされる龍騎士隊である。元々は、クルデンホルフ大公国の大公家親衛隊として編成された竜騎士団である。トリステインへの配慮という政治的な要因から、数こそ従来は抑えられていたものの、現在は急激に拡張されている。おそらく、大公国の国力からして少ない人口で艦隊を運用するよりは少数の人員を投じることで済む龍騎士隊が最適と判断されたのではないか、というのが、一般的な軍関係者の判断である。最大の特徴は、その名の通り重厚な甲冑を着用することだろう。ハルケギニア最強を誇るアルビオン竜騎士団とハルケギニア最強の竜騎士団の地位を争えるのは、その強靭な戦闘継続能力と、費用を惜しまずに配備されている高品質の防具故だろう。甲冑の重量故に、多少航続距離こそ短いものの、品種改良が惜しまずに行われてきたこともあり、大公国の風竜はその重量をものともしない加速性能を誇り、速度・空中旋回能力共に、実に高水準にある。まあ、とどのつまり。ゲルマニア軍部にとって、小癪なことに、使い勝手がよく、かつ戦力としてみれば無視し得ない連中なのである。だから、誰もかれもがしぶしぶと、苦虫をガリア産ワインで飲まされたような顔をしながらも、受け入れに同意せざるを得ない。信用という点では、リッシュモン卿並みに信頼できると、ブラックな会話が兵卒の間からでさえ漂ってくるものの、この方面における艦隊戦力が不足しているゲルマニアにしてみれば、しぶしぶながらも、その有効性に期待せざるを得ない類の連中であるといえよう。『だから、大公国は好かないのだ。』全ての、感情が凝縮されたこの一言が、ゲルマニア軍上層部の素直な心情だろう。だが、大人になれば、自分の好悪で物事を処理することができることは稀だろう。嫌な相手でも、笑顔でにこやかに会話することができるのが、外交官の最低条件だというが、もっと突き詰めて言えば、成人ならば誰にでも求められるといってもよいほどだ。信じられないかもしれないが、アルブレヒト三世ですら、笑顔でおもてなしを政治的にはやってのけていることを思えば、ゲルマニア人はしかめっ面を心の中では浮かべながらも、見事な笑顔を作る技術に長けているとも言われる。まあ、ゲルマニアにしてみれば、周りが胡散臭い国家ばかりだからだと反論したいところなのだが、なかなか世間という物は、ゲルマニアの言葉を素直には信じてくれないものである。残念ながら、世間というやつはそんなものだ。「よくぞ、いらっしゃってくださいました。名高い空中装甲騎士団と杖を並べて戦える事を誇りに思います。」「いやいや、こちらこそ!わざわざのお出迎え、感謝の極み。友邦のお役にたてることほど、貴族として、軍人として杖の名誉なことはございません。」百年の友と、再開した。そう言わんばかりに、微笑みを浮かべ、感激を露わに、ゲルマニアと大公国の担当者が美麗字句を雨霰とあたりかまわず、交わし、お互いの正義と勇気と、素晴らしい真情を誉めたたえ合う。「おお、まさしく真の貴族の矜持を見た清々しい思いであります。万里を駆けて来援してくださるとは、両国間の絆をしみじみと思わざるを得ません。」「ゲルマニアとの友誼を思えば、我々の労など取るに足らないものでありましょう。」つい先刻、大公国の軍勢がいつ尻尾を巻くのかわかったものではないと盛大に不満をぶちまけていたゲルマニア側担当者であるが、彼は感極まったとばかりに、感嘆の声を連発し、その誠意を示さんとする。「素晴らしい!真に信ずるに足る友人ほど、頼りになるものはありません!」「おお、友と呼んでくださるとは。」「なんの!我ら志を同じくし、正義と名誉を重んじる!これに過ぎたる友情の理由などありますまい!」この援軍が来たからには、もう何も恐れるものは無い。そう言わんばかりに、盛り上がるゲルマニアと、我らに敵などありますまいと返す大公国。まあ、はっきりといっておけば、実に和やかかつ和気藹藹と会話が弾み、両国の不滅の友情と、同じく両国の不滅の正義が確認される。ちなみに、ゲルマニアの定義によれば、ほろんだものを再度滅ぼすことは不可能である。一方の大公国であるが、敬虔なブリミル教の信徒であり、永遠の正義と不滅の信仰を誇っており、経済的に台頭しつつある敬虔な一派であると自負してやまない。「何と、感動的!!一席設けました!ぜひ、歓迎の宴にご参加くだされ!」大量に用意したガリア産のワインで、黒い臓を腐らせればよいのだが、如何せん水が合うかもしれないことだけが懸念材料である、と内心で思いつつ、余ったタルブやアルビオン産のものを艦隊へ賄う手配をそれとなく記憶に留める。とにかく、軍事行動というものには式典がつきものだ。出征式から始まり、とにかくなにかと宴会や其れに伴う行事が多い。当然ではあるが、あまり直接の戦闘には役立たない。そして、この手を司る式部官は大量の儀仗兵をそろえるわけにもいかないために、見栄えの良い部隊を流用するのが常であった。まあ、今回は威圧するためにも、前線帰りの部隊を充てるべきだろう。「おお、身に余る光栄です。喜んで、参加させていただきますぞ。」「いやいや、我らこそ、このような客人を迎えられること、これに過ぎたる事はありません。」ガリアからの客人をもてなすに匹敵する栄光であること、この上ない。まあ、客人の方もそのことは、よくよく理解しているからこその、会話である。感動した!とばかりに涙と友誼の礼賛を行っていた空中装甲騎士団員は、足取り軽やかに彼らが母艦としているフネに戻ると、周囲に監視の目が無いことを確認したうえで、かぶっていた笑顔の仮面をゴミ箱に放り込む。「どうだ?」「お互い様だ。」腹の探り合い。さほども、お互いを信頼はしていないものの、戦力と利害の一致からは共に戦えないこともないなという程度の相互認識。状況はまあ端的に言うとお互いに想定していた事態の範疇に留まっていると言えよう。大公国にしてみれば、ここでゲルマニアに恩を売っておきたいところである。なにしろ、曲がりなりにも軍事的に見た場合、ゲルマニアかガリアかにつかねば将来が危うい。軍事的には援助を受けつつも、独立は維持するとなると、かなり難しい舵取りが元より求めらる。そして、トリステインと大公国の国力差よりも、ゲルマニアと大公国の国力差はさらに甚だしい。加えて、ゲルマニアはトリステイン程には鼻薬が効きにくいのが実態だ。純粋に外交上の恩義を売っておかねば、あの国の上がこちらを踏みつぶす決断をしても、不可思議ではない。故に、派遣される部隊とは、そのような政治的機微を弁え、かつ戦力としてみた場合適切な行動が取りうる精鋭という実に貴重な部隊がわざわざ選抜されている。この派遣部隊において、政治的な機微を理解できないのは、せいぜい名目上の部隊長くらいだろう。「やれやれ、われらの御姫様は?」そう、ベアトリス殿下だ。唯一の弱味、或いは想定外の事態は、政治的必要性から大公国の後継者とみなされている人的な貢献、まあ口性もなく言えば一種の人質が必要となったことだろう。まあ、元をたどれば、教育の失敗にさかのぼるのだろうが。「とてもではないが、前に出したくない。」この言葉に象徴されるように、彼女は良くも悪くも、お子様である。まあ、子供なのだから、と言ってしまえば其れまででだが彼女に政治的な裏の裏まで配慮して交渉を求めるのは不可能。故に、下手に彼女に交渉をやられると、碌でもない事態になりかねない。ゲルマニアにしてみれば、それを突かないわけがないだろう。弱点を知っていて放置するほどゲルマニアは善良でもないし、怠慢でもない。本当に、まったく碌でもない国家ばかりで、ほとほと大公国としては嫌にならざるを得ないところだ。やっと、傲慢なトリステインから解放されたかと思えば、陰険なガリアと、悪辣なゲルマニアに囲まれるなど、少しも事態は愉快とは程遠い。「どんな約束をさせられるかわかったものではないからな。」下手に損害を引き受ける役割を、名誉の先陣などとおだてられて引き受ける程度ならましだろう。最悪、今後も両国の友好関係を勘案して、盟友になりましょうぞ、と言われて条約も読まずに調印されたらそれこそ、おおごとだ。きっと、碌でもないことになると言わざるを得ない。そうなれば、派遣部隊の面々は、どこにも顔向けできないようなみじめな外交上の大失敗になるだろう。次期党首候補から外すという選択肢は、現状では難しいのだ。政治的に見た場合、大公国の正統な後継者となりえるのは、ベアトリス殿下が筆頭。しかし、婚姻政策の関係上、仮にではあるものの継承権を主張される対象としてアルビオン・トリステインもあり得るのだ。まだ、ベアトリス殿下が後継者である間はよいだろう。だが、仮にベアトリス殿下が外されれば、土地を失ったトリステインが、大公国の財と力に眼をつけないわけがない。アルビオンも、権利は有している以上、なにがしかの請求をされないという保証はない。だからこそ、なんとしても、ここは乗り切らねばならないのだ。「騎士団長は?」「道化役を演じるのにお疲れだ。いい加減、交代しろとさ。」そう、だからこそ、わざわざ装甲空中騎士団の騎士団長がベアトリスのご機嫌とりに徹しているのだ。必要とあれば、道化を演じ、あるいは無能を装ってでも、彼はベアトリスの護衛兼監視の役目をひたすら外征中は行うことになっている。まあ、傑物と評判の高い人物だけに、さすがに耐えかねるところもあり、交代を欲しているのも事実だ。まあ、誰だってお子様のご機嫌取りに徹するために龍騎士の中でも、精鋭と名高い空中装甲騎士団に志願しているわけではない。当然のことながら、彼らは理由を見つけて、交代をはっきりと断るのが常である。「ああ、そうだ。ゲルマニアとの懇親を深めねばならないのだった。」渉外担当者が、外部との交渉に徹するのは、まあ職務上真っ当な理由だろう。先方から招待された宴を断るなどというのは、失礼極まる上に、外交交渉上ありえない行為だ。当然、招かれた以上は、何はさておき、参加せねばならないに違いない。そうなれば、彼個人の意向に関係なく、職責を全うせざるを得ないのは職務上の道理だ。飲みたくもないワインを痛飲し、食べたくもない新鮮なサラダと重厚なステーキをゲルマニア人と共に会食するのは、甚だ苦痛であろうとも仕事なのだから仕方ない。「おや、貴殿も多忙か。」「おや、卿もか?」「なんとも、不幸なことに、本国からの物資搬入作業を監督しなければならないのだ。」そして、補給兼経理担当者が、物資の調達に万全を期すのはもはや当然だ。戦争を始める際に、素人は戦略を語り、玄人は補給を語るというではないか。まして、友好国への援軍とはいえ、祖国を離れての出征である。補給は万一を想定して、念入りに備えておかねばならないだろう。当然、担当者は、息を抜く間もなく各種作業に忙殺されていて不思議ではない。当然、搬入されてくる物資をそのまま鵜呑みに受け入れるのではなく、厳密な検査を必要とするのは当然だ。腐った食糧で従軍させるわけにはいかないだろう。鮮度や品質を含めて、いろいろと調べるべき事項は多数ある。「やれやれ、騎士団長に申し訳ないですな。」「まったくですな。」心より騎士団長に詫びつつも、丁寧に騎士団長に厄介きわまる仕事は丸投げしたままに、彼らは次代を担うはずの姫殿下について、共に頭を抱えて悩むことになる。情報と金融で突出した大公国だ。指導者が無能なはずがない。鋭敏な指導者で無ければ競争に負けるなり、利権争いに巻き込まれるなりで、没落を辿ったのは確実だろう。だが、現に、大公国は繁栄を謳歌できている以上、為政者の能力に問題はないと言える。「しかし、本当に一体どうして、姫殿下は、ああなったのやら。」「恐れ多いが、甘やかしすぎたのでは?」親ばかだろうか?という彼らの疑問は、不敬ではあるものの、ある種的を得ているのかもしれない。良くも悪くもベアトリスは政治と無縁に育てられ、見るものが見れば政治から遠ざけられているのははっきりとわかる。だから、少しばかりプライドが高く、裕福さを誇るという苦労知らずな性格に育ってしまったのかもしれない。「取り巻きが悪いからでは?」「ああ、其れもあり得るな。」ベアトリス殿下のご学友という名の取り巻きを思い出し、彼らの気分は一様に重くなる。大公国の次代を担うべき指導者層が、ああ言った美しく着飾る程度にしか関心の無いような面々ばかりでは、将来を悲観したくもなるというものだ。まして、祖国は難しい立場にある。そんな時に、傲慢さで敵を祖国のうちばかりか外にまで作りかねない人物が後継者筆頭候補の取り巻きというのは、実によろしくないこと甚だしい。君側の奸がいつでき上るとも、わからないのだ。「いったい、何をお考えなのやら。」「案外、優秀な婿殿に政治は任せるおつもりでは?」「ああ、ありえますな。」まあ、親が甘い以上、考えていることも分からないでもない。要するに、子供をこういった裏の事情に気を悩ませ、胃を疲れさせることは親の望むところではないのだろう。できれば、庇護しておきたいというのが本音に違いない。そして、その庇護を与える親がいなくなるころまでには、信頼できる婿を見つけ出して、祖国と娘を任せたいと考えているのが実態だろう。なまじ娘に政治的な役割を期待していないならば、下手に政治に関わらせない方がよいという判断も、まあ悪くはないのだ。トリステイン王室の様に国王が崩御し、明確な主催者がない王宮が迷走するような事態に比べれば、まだ大公国の状況はまともだ。次代の婿を見つけるまでの期間を乗り切ることも難しくはない。「まあ、婿殿がまともなら、次代も問題ありますまい。」まあ、つまるところ。婿殿として無理難題を任されるベアトリス殿下の夫が四苦八苦して政治を担い、軍事に関しては自分達空中装甲騎士団が協力していくというのがあるべき次の姿なのだろう。「やれやれ、大公国への忠義は何処にあるのやら。」「さてさて、口より行動で示して来たつもりですよ。」口よりも行動で、忠義を示す。後世より、この言葉を文字通り全身で体現したと賞賛されてやまないジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルドが、この時期に何をしていたかということは歴史家どころかハルケギニアがすべからく注目してやまないことではあるが、ほとんどの記録は沈黙している。なんなれば、彼は記録に残せないような秘密の行動をしてるからだ。警戒厳重なロマリアの情報網を可能な限り身を潜めながら、マザリーニ枢機卿派の支援があって初めてようやくながらも、潜伏に成功していた。まあ、陽動を兼ねて、フーケが暗躍しているおかげで、辛うじて滑り込めた、というのが現実である。ワルドにしてみれば、ロマリアの暗部は相当に深いと聞き及んではいても、まさかこれほどまでとは、と肝を冷やさざるをえないところだ。それだけに、そのようなロマリアで生え抜きのマザリーニ枢機卿に期待するところは、マザリーニ枢機卿が祖国で宰相の位にあった時以上となっている。「・・・では、聖堂騎士団の動きは対エルフの訓練と?」「間違いないだろうな。」あまりにもおかしな聖堂騎士と修道僧の動きを訝しんでいたが、マザリーニは耳にするや否や即断する。それは、聖堂騎士団による対エルフ訓練の一環だ、と。ロマリアの宗教庁は常々対エルフを念頭に置いている。マザリーニにですら把握できないような暗部がロマリアには6000年の時を経て、恐ろしく濃縮され、渦巻いている。極端な表現をするならば、今回の事例は氷山の一角であり、それもまだまともな部類だ。下手をすれば、異端そのものの手段であっても、エルフという異端を討つためならば、と肯定しかねないほど過激な一派の存在も、うすうすではあるが噂される。枢機卿ほどの立場になれば、それが単なる噂に過ぎないとは、断言できないことをよく知っているのだ。「そのようなことが、許されているのですか。」「公的には、一度も許されておらんよ。だが、誰にも止められないのだ。」命令系統は歴代教皇達ですら把握しきれない程絡み合っている。前任者の秘密裏に設立した組織を次代の教皇が把握し後任に引き継ぐことは、必ずしも容易に為せることではない。場合によっては、独自の財源と、独自の修道会を偽装として与えられた部隊が、誰の命令で動いているかもわからずに何代にもわたって活動し、何かの折に存在が発覚する事もあるのだ。教皇の教書で権限が与えられているとすれば、それは止めることなど叶わない。辛うじて、今の教皇ならば止めることも可能だろうが、そもそも存在するかどうかが疑わしい部隊をどうやって止めろというのだ。「ロマリアの暗部は、深い。深すぎるほどだ。もはや、狂気の歴史とさえ言ってしまって構わないだろう。」「・・・6000年の狂気。」「その通りだよ、子爵。私も思うところはあるが、この身ではどうにもできない。」マザリーニ自身、何も調べなかったわけではない。思えば、不思議なことが多い。ロマリアの聖職者の中でも、特に信仰に厚く、聖地奪還を欲する少数の熱烈な聖職者はどこかで、消息を絶つことが多い。それも、自然な形で気がつけばいなくなっている。彼らの大半は、ロマリア外での活動に従事していることになっている。巡回司祭として、各地の村々をめぐり、あるいは修行のために各地の始祖ブリミル由来の地で研鑽を積んでいるということになっている。そして、その成果報告もきちんと納められていた。だから、熱烈な信仰者が権力争いに憂いて外に信仰を求めていると考えれば、納得できなくもない。事実、ロマリア内部でさえそのような考え方が主流だ。だが、マザリーニは一つの不思議な点に気がついている。比較的まとも、と称される聖職者の多くはロマリア内部で飼殺しにされているのだ。なまじ外に出して手をつけられなくなってはよろしくない、というのもあることはあるのだろう。自分のトリステイン赴任は、ほとんど例外的な事態だ。「猊下のお力でも無理なのですか?」「無駄だよ子爵。」例外的、それを可能としたのは次期教皇の地位という非常に権力に絡みついた問題が存在したからこそである。そうそう考えられる状況ではない。だが、それを例外とすれば、まともと一般に形容されるような聖職者の多くはロマリア内部で飼殺しにされ、完全に無力化されるかごく例外的にゲルマニアに引き抜かれた事例を別とすれば、いまだにロマリア内部に留めおかれている。実際、権力を失った自分も同様に処理されていることを考えれば、既存の秩序にとって望ましくない影響を及ぼしかねない聖職者はロマリアに集中しておかれているのだ。ロマリア外に赴任するのは、俗物か、平凡な聖職者が一般的。ごくごく例外的に熱心なものが派遣される場合もあるが、この熱心な連中は何れもやがて中央に帰還している。そう、そこも疑問だ。うとまれて、或いは権力争いに愛想を尽かしたはずの連中が、ロマリア中央に帰還し、場合によっては教理の重要な解釈を担っている。何かがおかしい、と思えばそれは暗部に携わる人間だろうということは容易に想像がつく。そして、それはロマリア内部で暗躍する何者かが組織的に活動しているということの証拠なのだ。枢機卿の一角にすら悟られないように、人員を動かし得る一派がいるということは暗部が持つ深さを物語ってやまない。「それよりも、子爵。君の方こそ大丈夫なのかね?」「はっ?」「異端査問され処刑された子供を埋葬したのだろう?」さすがに、事態に批判的な人間が、調査してきてくれたからこそ、大まかな事態は把握できている。同情した現地の人間が、名目上は犠牲になった司祭らを埋葬するという名目で現地入りし、犠牲になった少女を埋葬しようとしたところ、すでに埋葬されていたという。異端認定された挙句に、聖堂騎士によって殺された人間のことなど、狂信者は気にしないだろうが、一応そのことは報告しないように手はずを整えてある。「・・・そこまで、ご存知でしたか。」「揉み消しておいたが、どこまでやれたかわからん。過信しないことだ。」善き行いである。だがあまりにも、無謀だ。もしも、誰かが他にこのことを感知し、だれが埋葬したかを探れば、子爵は身の破滅を避けられないやもしれなかったのだ。善意からの行為で、彼の様な人物を失うのはあまりにも惜しい。何より、ロマリア内部の暗闘が、彼に害を為さないという保証はこれからもないのだ。その時に、このような過去が掘り返されないとは断言できない。狂信者ならば、墓を掘り返し、証拠を見つけて騒ぎ立てることも辞さないだろう。「ともかく、この件に関しては子爵、君はこれ以上関わるべきではないだろう。」彼には、個人的にも公的にもマザリーニとして、かなり世話になっている。個人的には、彼の婚約者がアンリエッタ王女らを逃がす囮としてゲルマニア艦隊の眼を引きつけるという役割を担ったばかりだ。公的には、彼の部隊が王女らを救出し、アルビオンまで送り届けた挙句、ゲルマニア北部で武威を示し、トリステインの名誉を保つ努力をしてくれている。一人の信頼できる近衛という認識以上に、彼はトリステイン王家にとってなくてはならない忠義の士であるとマザリーニは信じている。今でこそ、ゲルマニアの追手から逃れる途上の出来事でロマリアにまで足を運んでいるものの、彼をトリステインは必要としているのだ。「それよりも、君の婚約者の方が厄介な問題に巻き込まれているが、大丈夫なのかね?」「どういうことでしょうか。」まさか、ゲルマニアがまた無理難題を言いだしたのではないかと思い、やや緊張した面持ちで訊ねるワルドに、マザリーニは落ち着くように促しながら、追加で説明を行う。「知らないのかね。なんでも、アルビオン・トリステイン王室の婚姻手続きで巫女をやるらしい。」巫女、というのは要するに結婚に際して祝辞を読み上げるような存在だ。格式において少なくとも対等であるということを演出したいトリステインにとってみれば、名門にして筆頭のヴァリエール公爵家にして姫殿下の遊び相手を務めたルイズに代表として行わせるということを望んでもおかしくない。まあ、姫様がお友達を選んだだけではないか、という気がマザリーニにはしてならないのだが、それでも周りの意見をよく聞いた上での決断だろうと思う。そう悪い選択ではないのだ。公爵家も、曖昧な立場に安住できない以上、ある程度はこちらに配慮してくれることが期待できるし、最悪の場合公爵家がルイズを放逐し、ゲルマニアに付く決断をしたとしても、トリステイン王室の血は薄まったりとはいえども保たれる。まあ、公爵殿には苦労してもらうことになるのは変わりないが、どちら付かずを保とうとする蝙蝠ともなれば、その覚悟もあおりだろう。むしろ、問題なのは政治のことなどもよくわからないでいるに違いない少女が政争に巻き込まれてしまっていることの方だ。マザリーニにしれみれば、曲がりなりにも聖職者としていろいろと考えざるを得ない。だから、それとなくワルドに事態を漏らしているのだろう、と自分の行動振り返りマザリーニとしては、苦笑したくなる。「ルイズが?」「アルビオンとトリステインを担う次代の御二方の結婚に際して是が非でも、とな。」結婚式で巫女を務めたとなれば、間違いなく彼女の旗幟は鮮明とならざるを得ないだろう。当然、公爵家も決断を迫られるのは言うまでもないことだ。「・・・別段、反論はしませんが、他の方法でもよいのでは?」だが、ワルドの言うように、それはやや迂遠な方法だ。何もそのようなことをせずとも、一片の文章で義務について勧告するなり、敵を増やさない方法ならばいくらでもある。それこそ、結婚式に招待されれば、公爵家としても応じざるを得ないだろうし、そこで忠誠心を確認したと称する事もできるだろう。要するに、やりようはいくらでもある中で、わざわざそのような方法を取る必要が何処にあるのだろうか、という疑問がある。「ふむ、どうやら、現在の情勢を君は把握できていないようだ。」だが、逆にマザリーニにしてみれば、ここしばらく情報を収集し検討していただけにこういった経緯に至る原因をよくよく理解できている。姫殿下は、おそらくこれを機に東トリステインにおける色分けをはっきりとなさりたいのだろう。レコンキスタなる連中の本音は正直に言っても、よくわからない。誰かが援助しているのは間違いないだろうし、アルビオンの行動にも不審な点は多い。だが、ゲルマニアに打撃を与えるのも紛れもない事実だ。姫殿下が復讐を欲するならば、これに乗じない筈もない。そうなれば、東トリステイン情勢は、一刻の猶予もないのだ。「ええ、お恥ずかしながら、世事に疎くなっておりまして。」「なに、ただ知って何もできないよりはましであろう。」そして、誠に不本意なことにマザリーニは籠の中の鳥だ。鳥の骨と称される自分が、誠に皮肉なことに籠の中で朽ちていく。本当に笑い話にもならないような喩が、自分の運命を暗喩しているように思えてならないのだ。まだ自分を慕ってくれる者もいないわけではないが、権力を失い、ロマリアに庇護されるという名で軟禁されている自分にできることは、ただ事態の推移を外部から見届けるだけになってしまっている。「猊下は、それほどまでに?」「我がことながら、全く身動きが取れん。」外出しようものなら、善意からという名目で聖堂騎士が護衛に同伴してくるだろう。あからさまな監視の目がそこらじゅうに存在する中で、マザリーニができることと言えば、公式の行事に枢機卿として出席することくらいだ。それとて、招待される頻度が徐々に減少していることを思えば、先行きはよくないとしか言えないだろう。「・・・やはり、トリステインでの事態が尾を引いておりますか。」「いや、むしろロマリア内部の問題である。」「はっ?」確かに、トリステインから脱出する囮を務め、挙句ゲルマニアに捕虜にされてしまったことは致命的であった。ロマリア内部の問題をよく理解しているのだろう。ゲルマニアは至極当然という態で、この身をロマリアに丁重に送り届けた。おかげで権力も味方もほとんど乏しい状態でロマリアという餓狼の巣に放り込まれた結果、進退すらままならない状況に落ち込んでいる。なるほど、確かにトリステインでの事態が尾を引いていると言えば、間違いはない。だが、より根本的にはロマリア内部の問題なのだ。「単純な話だよ。厄介者には、外で力をつけられるよりも、飼殺しにした方が良いと考えているのだろう。」マザリーニがトリステインという外に出たことは、都合の悪いと考える連中が少なくないのだろう。無事を喜び、安堵したという態で、帰国と同時に修道院に押し込まれたことを考えれば、ここから出るのは至難の技だ。もちろん、時勢の変化が望めないわけではないし、待つことの重要さも政治家としてはよくよく理解している。「庇護ではないと感じておりましたが・・・。」「態の良い軟禁というところ。まあ、坊主が修道院にいるのは当然ではあるがね。」一介の聖職者として、聖務に身を奉げるのも、一つの在り方だろう。少なくとも、時期が来るまでは、ここで耐えるしかないのだ。「・・・なんなりと、お役にたてることはございませんか。」「君に頼むまでのことでもない。どうとでもなろう。」好意を謝しつつも、ワルドの申し出をマザリーニは明確に断る。仮にも、トリステインで宰相とまで呼ばれた政治力は鈍ってはいない。自分の身くらいは、自身でなんとかなると、信じているのだ。なにより、子爵を巻き込むわけにはいかない。自分は、トリステイン王室にもう長くは仕えられないだろう。まだまだ、気力で劣るつもりはないが、すでに年齢で見れば十分以上に棺桶に足を突っ込んでいてもおかしくない年齢だ。健康に不安があるわけではないが、何があってもおかしくないとされる年齢である以上、先が見えつつあるのは間違いない。だが、彼は、ワルド子爵はまだ若い。これからの王室を守護し、支えるという点において彼こそが次代の杖たりえるのだ。トリステイン王室を守護する次代の杖をここで朽ちさせるわけには断じていかない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき本作は、必ずしも、原作の流れに忠実ではありません。忠実ではありませんが、ありえた可能性は排除していないのです。例えば、アンリエッタ王女が結婚する時に『トリステイン王族の結婚式に立ち会う巫女』としてルイズさんが選ばれるのはもはや確定的といってよいでしょう。あとは、もう言わずともよいでしょう。或いは、ベアトリスさんが派遣される時にお飾りにされておつきが苦労するのはデフォルトのはず。ワルドへの優遇は、仕様です。始祖の使い魔とも互角に渡り合える上に、ある意味物語の核心に近いかれがヒーローになって何がいけないのでしょうか、いや、いけない筈がありません。タバサの暗躍は、つまるところガリアが暗躍しているということになります。案外、番外編でやるかもしれませんが、あの無能王が反逆の可能性がある手ゴマをお遊びの場で本当に重要なところに派遣するのが今一つ想像できません。いや、それすら楽しむ可能性があるのですけどね?では、次回予告を。『燃え上がれトリスタニア!恐怖!不死軍団の突撃!コクラン卿、趣味に走る!』の三本立てをあんまり期待せずにお待ちください。※次回内容は、事前の通告なく変更される場合があります。