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No.14989の一覧
[0] [習作]胡蝶の現世(旧題・島の星の物語 オリジナル異世界 現実からの転生もの)[うみねこ](2010/09/25 11:57)
[1] プロローグ[うみねこ](2010/05/24 22:56)
[2] 第一話 [うみねこ](2010/05/24 22:59)
[3] 第二話[うみねこ](2010/05/24 23:02)
[4] 第三話[うみねこ](2010/05/24 23:05)
[5] 第四話[うみねこ](2010/05/24 23:07)
[6] 幕間その1 「古代史」[うみねこ](2010/04/18 21:17)
[7] 第一章 第一話[うみねこ](2010/05/24 23:11)
[8] 第一章 第二話[うみねこ](2010/05/24 23:14)
[9] 第一章 第三話[うみねこ](2010/05/24 23:19)
[10] 第一章 第四話[うみねこ](2010/05/24 23:22)
[11] 第一章 第五話[うみねこ](2010/05/16 02:12)
[12] 第一章 第六話[うみねこ](2010/05/24 23:29)
[13] 第一章 第七話[うみねこ](2010/06/11 22:53)
[14] 第一章 第八話[うみねこ](2010/09/25 11:56)
[15] 第一章 第九話[うみねこ](2010/07/23 23:52)
[16] 第一章 第十話[うみねこ](2010/08/02 13:54)
[17] 第一章 第十一話前編[うみねこ](2010/08/29 00:28)
[18] 第一章 第十一話後編 [うみねこ](2010/09/24 22:30)
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[14989] 第一章 第三話
Name: うみねこ◆4d97b01e ID:053865ad 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/24 23:19
                                           帝国暦同年 皇紀1298年 秋津皇国 金門(旧魚門)諸島沖 一月二十六日 浜松屋所有帆船<ぽりす丸>

 











 浜松屋は、秋津皇国皇都<大安京>に本社を置く鉱石商だった。創業は皇紀1174年、皇国で立憲革命が起こる十年前で、その革命では革命側に付いて多額の資金援助を行ったことでも知られている。

 創業主の浜松九兵衛は、皇都近郊の地主の長男として生まれた。彼は先祖達がみなそうであった様に、地主として家を維持することだけを期待されて育っていくのだが、彼が十歳のとき、これは珍しいと言って滅多に散在しない父親が母親に送ったとある宝石が彼の目を釘付けにした。金剛石である。

 その日から、九兵衛少年の将来は変わった。彼は子供らしい純粋さで、自分も商人に、それも鉱石を扱う商人になればそれらに埋もれて暮らせるのだと考え、すぐさま実行に移ろうとしたが頓挫した。息子の様子に異常を感じた父親に詰問され、大目玉を喰らったのだ。父親にとって、自身の人生とは先祖伝来の土地を守ることであり、であるならば息子も当然であると考えていたのである。

 これを境に、九兵衛は表面的には鉱石商人云々などと言う、父親に言わせれば戯れ言を吐かなくなったし、金剛石を良く見てみたり、或いはそれについて書かれた書物を盗み見たりもしなくなった。父親は息子の道が正しい道へと戻ったことに安堵と満足を覚え――急死した。流行り病で、誰にも予期できぬ死だった。彼が九兵衛を正しい道に戻したと信じた日から五年後、九兵衛十五歳のときだった。

 父親の葬式が終わり、正式に九兵衛が跡取りとなったのはその六日後であり、この日を持って地主としての浜松家は終わりを迎えることとなる。

 跡取りとなってすぐ、九兵衛は誰にも相談せずに自宅を除く全ての土地と父親がちまちまと買い集めていた骨董品類、更には家宝と称して蔵に置かれていた九兵衛の言う「がらくた」をすべて売却した。もちろん母親は大反対したが、人族帝国と違って男性優位の国家だった秋津では、跡取りとなった瞬間母親よりも九兵衛のほうが優位に立つことになる。九兵衛の行動は、何の問題も無かった。

 茫然自失した彼の母親に、九兵衛は歓喜をあらわにした表情で楽しげに言った。大丈夫。俺に任せればこの家をもっとでかく出来る。あんたの息子を少しは信用してくれ。母親の心中が穏やかでないことだけは確かだったが、上記の理由から彼女はただただ頷くしかなかった。

 さて、こうして籠の中の鳥から自由に空を羽ばたく鳥へと昇華した彼だったが、だからと言って安穏とできるわけではなかった。籠が無い代わり、そこら中に天敵や猟師が居るからだ。

 当時の秋津皇国は商業的に閉鎖されていた。どういうことかといえば、門と呼ばれた同業者集団が鉄よりも硬い結束で都市の商業的利権を握っていのだ。門に加盟している者たちはそれ以外の同業者を集団で阻害し、自分達は価格の安定などを図ることで経営を安定化させていた。

 この門による独占状態の中、九兵衛は賭けに出た。自らを門の加護を受けない立場に置き、海外鉱山と秘密裏に契約を結んだのだ(当時、門による不文律の取り決めによれば、国有鉱山を優先的に取引先とすることで当時の皇国上層部からの保護を受けられるようにしていた)。

 海外、主に人族帝国や龍族評議会連邦の各鉱山会社・鉱山経営を行っている貴族達は零細と言って全く差し支えない浜松屋からの要請に首を傾げたが、彼らの伝えた内容や人族帝国・龍族評議会連邦政府が関係各機関へ極秘に流した情報を受け取って納得した。浜松屋――と言うより皇国の一部商人たちが、あろうことか皇国内で立憲革命を目論んでいたのだ。

 




 後世、特に皇紀1300年代において、秋津皇国を大きく変えた立憲革命についての論文は、秋津皇国かそうでないかの立場から綺麗に二分された。

 前者は、立憲革命が当時の公家・武家による連合政府に対する民衆の反感から起こった、自由と平等を求めた市民革命であると主張した。

 一方、後者の見解は全く異なっていた。彼らは、この市民革命の本質は時の資本家達の動きにあったと断定していた。そして、それには前者とは違い確たる証拠があった。

 確かに、当時の民衆ががちがちに硬直した皇国政府を嫌っていたと言うのは疑いのない事実ではあった。あったのだが、だからと言って政府に叛旗を翻そうと言う思想には至っていなかった。これは、文化として存在していたさまざまな慣習が原因であったから、必ずしも秋津国民が権力に対して従順だったことを表しているわけではないが、であるからこそなおさらその傾向は顕著だった。前者側の主張の根幹となっている、革命直前期の暴動件数の増加も、長期的な政府打倒より短期的に自分達の食い扶持を確保するための、言わば政府に対しての労働争議と言う面の方が大きかった。

 では、後者側の確たる証拠とは一体何か。それは、革命に参加した主要人物の経歴・職種を見れば一目瞭然だ。全員が何かしらの会社を持っていたのだから。

 例えば、当時皇国の造船屋の中で、門に所属せず一人気勢を吐いていた四十物吉之助。例えば、家畜問屋であまりに傍若無人な行いをしたため門を追い出された合川又兵衛。例えば、こちらは門を構えているものの、今までの慣例を無視した運営で他の業種から嫌われていた兵器鍛冶屋の岩代文左衛門。革命の思想に賛同した軍人・地方豪族を除いた民間出身者は、大抵当時の慣習なり制度なりから嫌われ、或いはそれを憎んでいた新進気鋭の資本家ばかりだったのである。

 そう。この立憲革命の本質は、既存の閉塞した環境を開放することによりさらなる経済の拡大を図り、国を富ませ――可能な限り自分達の懐を肥えさせる。そのようなものだったのだ。

 




 浜松屋からの、というより自分達の国の情報機関が掴んだ裏付け情報を手にした鉱山の所有者達は、浜松屋の行動を納得すると同時に喜んで契約することを確約した。当時の秋津皇国は鎖国をしているわけではなかったが、前述の特異な体制によって商人たちの開拓地にはどうしても不足していた。新たな貿易先、それも巨大とまでは行かないがそこそこの国土を持つ国家の誕生とは、上昇志向を持つ彼らにとってはそれほど魅力的だったのだ。 この成功を受けて、革命側は浜松屋を介した武器の密貿易を開始し、秋津政府上層部(当時の名称で言えば、花町府)の監視が及ばぬところで一気に勢力を拡大させ、時期を待った。

 結論から言えば、彼らが待ち望んだ時期とやらは比較的早くやってきた。皇紀1183年、後に東方海嶺と呼ばれる海嶺上に存在したラクート火山の大噴火による気候変動で、世界的な冷害が発生したのである。

 翌84年、冷害による飢饉の発生によって爆発した皇国花町府への不満は、革命側の積極的な活動によって一つの濁流と化し、同年三月六日の獄野大牢襲撃に始まる立憲革命が始まることとなる。

 詳しい革命の様子は割愛し話を戻すが、ともかく一連の革命によってそれまで実権を握っていた花町府は崩壊。新たに海皇を名目元首とし、議会から選出された宰相を実質的な国の代表とする民主政体の新政府が誕生することとなり、それまで幅を利かせていた門も政府の保護が消滅したため事実上消滅し(結局、同業者集団が生き残りを模索する形での吸収合併が多数あったため、「○○門」という名称だけは長く残ることとなる)、ここに皇国史上久しぶりの開かれた商業が始まることになる。そして、これこそが浜松屋の狙っていたことだった。

 浜松屋は、同業者中で唯一新政府の側につき、尚且つ武器輸入の際に果たした役割も大きかったため、だからこそ受けられた多額の援助と事前に交わしていた海外鉱山との協定に従い、即座に貿易を開始。海外の良質な鉱石の輸入や、旧政府所有の鉱山を破格の値段で購入できたために行えた鉱石の輸出で利益を出しつつ、社の成長速度を早めて行った。

 国と協力しつつ、遂には宝石関係の鉱石資源にまで手を出した九兵衛は、満足のままこの世を去った。享年56、皇紀1212年の春のことだった。

 九兵衛の死後、会社は更に発展を遂げていた。国外からの鉄輸入や、国内に眠る各種鉱物の輸出。やっていることはほとんど変わっていなかったが、規模だけは創業時の何十倍にも膨れ上がっていた。また、1253年に制定された「遺産分与法」の影響の下断行された社の合資会社化の影響もあり、その速度はますます増していた。

 その膨れ上がった資本力を投じて、浜松屋が皇紀1297年ころ行った事業の中に「金門諸島における金剛石鉱山開発」というものがあった。

 




 かつて、と言っても一年ほど前のことであったが、魚門諸島と呼ばれていた秋津皇国最辺境の地が急に脚光を浴びるようになったのは、名称変更の原因と同一のある事件が発端だった。魚門諸島魚門島(現・金門諸島金門島)で、金剛石が出たのだ。

 既に単なる鉱石屋ではなく、鉱山経営なども行っていた浜松屋はこの話に食いつき、お抱えの調査団を即座に送り込んだのだが、状況は彼らの想像をも超越していた。綺麗に集落を避けた中央の火山一帯に金剛石が埋まっていることを発見したからだ。

 挙句、他の島からも続々と金剛石発見の報が入ったのだから、浜松屋の行動は決まっていた。即刻社を挙げた魚門島鉱山開発が開始されることになる。

 当初はその内地からの距離と、周辺住民の反発という大きな不安から正式に稼動するまでに四五年は掛かるんじゃないかという下馬評が出回っていたこの鉱山開発だったが、蓋を開けてみれば積極的な住民の協力によって、正に辺境と言う二文字が相応しかった当地は大発展を遂げていた。

 例えば、金門島唯一の町だった井伊町は鉱山労働者の寝泊りする町として日々拡大の一途を辿っていたし、井伊町にあった漁港も、元々港に適した地形だったこともあって金剛石輸送船停泊用の大規模な港にその姿を大きく変えていた。

 その港湾設備により船倉一杯に金剛石の原石を詰め込んだ浜松屋船籍<ぽりす丸>は、金門諸島から東に四浬ほど行った地点を航行していた。幸運なことに風は完全な追い風で、積荷の所為で重くどっぷりと沈み込んだ船体をそれなりの速度で内地に向けて運んでいたのだが、波が荒れていた。と言ってもそこまで珍しい話でもない。この海域は年がら年中荒れることで有名であり、だからこそ船乗り達はこの海域を航海するのを嫌がっていた。

 もしこの海域で嵐にでもあえば、それこそひとたまりもない。それが嫌悪される所以であったが、その観点から見ればこの日はまだついていた方だった。少なくとも、空模様だけは雲ひとつない晴天と言ってよかった。

 そんな海域を航海していた浜松屋船籍<ぽりす丸>は、前方から来た波によって持ち上げられ――豪快に水しぶきを上げた。舳先に落ちてきた水がかかる。

 それを見ていた一人の船乗りが、唐突に近くに置いてあった樽を引っつかみ、蒼いを通り越して蒼白な顔面を向けた――そこまで見て、不意に後甲板に居た男は顔を背けた。部下が戻している場面を見るというのは船長の責務の外にあるということを思い出したからだった。

 普通船乗りは船酔いなどしないと思われているが、残念ながら現実は異なっていた。大体、船乗りが人気の職業である理由はとにかく他の職業よりは給料が良いし飯も美味いし……というようなものだったから、後先考えずに就職するものも多かった。その為、流石に航海する度に吐き通しなどと言う者は少なかったが、少し海が荒れただけで顔面を蒼白にする程度の者はどんな船にも少なからず存在してしまう。

 男――<ぽりす丸>船長は、幸運にも船に対してその様な弱点が無い人間だった。彼は目の前で起こっている地獄絵図がとりあえず自分に降りかかってこないことを神に感謝した後、後甲板後部の扉へと手を掛けた。

 船内の通路を少し行くと、一つだけ他と違う豪華さ――と言っても、そこまで派手なものでもないが――を持つ扉が見える。船長室の扉だ。船長は、その扉を開けた。
 

 「あ、お疲れ様です」
 

 それまで羽織っていた外套を衣紋掛けに掛けていると、妙に軽い声が彼の耳に入った。振り向いた彼は、苦笑しつつ言った。
 

 「お疲れ様はお前だろう。海図との睨めっこには飽きたのか?」

 「ここを抜けないことには。第一、ここの敵は風と波ですからね。水夫長の面目躍如と言ったところで」
 

 長期航海用の安物の茶を飲みつつ、<ぽりす丸>の航海長は楽しげに応じた。

 確かに、操船を部下の熟練した者に任せてしまえば、船上の仕事は帆を張るくらいしかない。そうなれば、事前に航海の計画を練って、海図に線を引いて……が生業の航海長に出る幕は無かった。

 船長が連合王国製の長椅子に腰を下ろすと、机を挟んで向かい側に航海長も座った。
 

 「……しかし、地獄絵図だったでしょう?」
 

 湯飲みの中に残っていたらしい最後の茶を一気に飲み干した航海長は、相変わらずの口調で訊いた。
 

 「航路がこうなってからは分かりきっていたことだ」
 

 船長はため息をついた。正直、あまり触れたくない話題だった。
 

 「上に文句を言いたくなるよ、全く」

 「給料が減りますよ?」

 「だから、文句は未だ頭の中を出ず、さ。ふん、経費の多少の増加くらいで新航路を無理やり作り出しやがって。無駄なことせず、従来の航路を使えばよかったんだ」

 「全面的に同意しますが、まぁ、無理な話でしょうね。小型船は使えませんが、本船くらいの大きさならこの程度の波で沈没はありえませんし、座礁しそうな危険域からも離れてますし」

 




 船長と航海長の会話は、<ぽりす丸>が何故この嫌われ者の海域を通過しなければならないかを如実に表していた。

 確かに、この海域に好んで足を踏み入れる船は、小は漁船から大は大型商船まで存在しなかったし、漁船程度なら簡単に転覆沈没するほどの波が高頻度で発生することは事実であった。であるからこそ、金門諸島は人族連合王国との交易路から外れていたのである。そして、この為にそれほど深刻ではないが、無視することが出来るほど小さくも無い問題が発生することになる。金門諸島―内地間の航路問題だ。

 この海域は、金門諸島と内地の間に横たわるようにして存在しており、よってこの海域を避けるような交易路が制定されたのは前述の通りだが、そうすると金門諸島―内地間の連絡は付近一帯の中継港で、かつ内地との航路が一番短い津島の港を使わざるを得なかった。津島―金門諸島間は生活物資運搬用の航路が出来ていたからそれをそっくりそのまま代用すればよかったし、津島まで至ってしまえば後は既存の交易路を利用するだけだ。当初は何も問題ないように思われた。

 しかし、実際にその交易路を使用したところ、ある問題が浮上した。航海にかかる日数の増大である。

 そもそも、津島―内地間の移動にかかる日数が約八日。津島―金門諸島間の移動で約四日。ところが、この海域を直接通った場合、金門諸島―内地間の移動は六日ですむのだ。 この不可解な現象は、金門諸島が余りに交易路から離れていたことが一番の原因であった。金門諸島から津島や、その他の主要中継港に向かうとどうしても一旦内地から離れてしまうことになるのだ。

 こうなると、当初無難に津島経由路で……と考えていた浜松屋上層部も考え方が変わる。金門諸島―内地間の移動日数を計測したのが浜松屋が保有している秋津標準船(実質は、帝国標準帆船の不完全な模倣を試行錯誤で改良したもの)だったと言うのも彼らの変心を大いに援護した。

 当然泡を食って反対したのは浜松屋所属の船乗りだったが、実際のところ座礁の恐れがある環礁などからは離れており、大型船なら苦もなくとは行かないまでも事故無く運行するならある程度可能と言う現実が彼らの反論を封じ込めた。出せると確信を持っていえる利益を踏みにじったとなれば、合資会社の性だ。確実に出資者から難癖をつけられ、路頭に迷いかねない。

 かくして、新航路が開拓されたわけだったが、上層部と出資者たちの目論見どおり今のところ難破や座礁と行った重大事故は発生していなかった。もっとも、船乗り達はご覧の有様だったけれども。

 




 また一つ波を乗り越え、老朽船とは言えないまでも新造船とは口が裂けてもいえない建造年数を持つ<ぽりす丸>は、危なげない動きで左舷側に頭を振った。

 同時に、熟練した水夫達によって帆が動かされ、もっとも風を孕ませる位置へと調節される。

 <ぽりす丸>は名前の通り人族帝国帝都<リージョナ・ポリス>との定期航路を維持するために建造された船だった。この航路に新造船やら何やらが更に加わり、結果として金門諸島との航路に従事するようになったのはついこの間のことだったが、<ポリス>との長期航海になれた彼らにとってこの程度は赤子の手を捻るようだった。

 その様子を、船長は満足げな様子で見つめていた。航海長が提出した予定航海計画と照らし合わせれば、確かに計画に有能と言って何ら問題ない航海長が海の荒れ具合を考慮に入れていたとはいえ順調そのものと言っていい経過だったからだ。

 その予定と見張りの報告双方が、目の前の島は白羽島であることを肯定していた。白羽島は岩と雀の涙程度に生えた木で構成された島と言うより岩の塊で、白い羽をした渡り鳥が渡りの途中に集団で羽を休めている様から名が付いた島だった。また、船乗りの視点に立てば、この海域で唯一警戒すべき障害物であるとも言える。

 もっとも、その警戒すべき障害物は先の取舵一杯――右へ三十度の回頭によって完全によけることに成功している。この時、<ぽりす丸>乗組員の誰もがこの航海に暗雲たる思いで臨んでいなかったことは確かだった。この時までは。

 事態が急変したのは、白羽島北側を<ぽりす丸>右舷側に臨みつつ急速に通過しようとした正にその時だった。
 

 「島影より船影! 数一つ!」

 「船影?」

 
 見張り員の張り上げた声に、船長は思わず聞き返した。白羽島は先述したとおり無人島であり、この近辺で唯一の危険区域であるから付近住民の漁船と言う可能性は低いし、そもそもこんな荒れた海には誰も出てこないはずである。
 

 「大きさ……結構でかいです、漁船じゃありません! 艦舷に大砲を確認!」

 「大砲だと!」

 
 慌てて遠見筒を覗き込んだ船長は、呻いた。おそらく軽快汎用艦(フリゲート)級、それも比較的大型の部類に属するそれが彼の網膜に焼きついた。

 軍旗はどこだ。船長は必死にそれを探した。だが、彼の目に五弁の御紋が映ることは無かった。まず間違いなく、秋津に敵対的な武装船だった。
 

 「船長」
 

 一足早く落ち着きを取り戻した航海長は、船長に進言した。
 

 「このまま突っ切りましょう。風もほぼ追い風ですし、下手に進路を変更しても重いこの船では」

 「……わかった」
 

 この男には珍しく、矢継ぎ早に船長にまくし立てた航海長だったが、それだけ焦っていたのだろう。残念なことに、船長にそれを把握するほどの心の余裕は無かったが。
 

 「帆を目一杯広げろ! とにかく奴から逃げ切る! 操舵、俺に代われ」
 

 ともかく命じられることはそれだけだった。船の細かい取り回しで<ぽりす丸>が軽快汎用艦級に敵うはずが無いし、そもそも速力ですら負けている。唯一の勝機は、敵武装船が小型であるが故に波に揉まれて沈むことくらいのものだった。

 ともかく離れてしまえばこっちのものだ、船長は縋る様に舵輪を握り締めて思った。奴はこの船の拿捕を目指して行動するはずだ。となれば、よほどの場合を除いてこの船を沈めようとすることも無いだろう。一番の脅威は白兵戦に持ち込まれたときだが……、そうならないように急ぐほか無い。

 船が出来るだけ追い風を受けれるよう進路を微調整した船長は、忌まわしい敵船の方向を向いた。
 

 「相手船、撃ってきやがった!」
 

 見張り員が叫び、遅れて水柱が立つ。その腕前はお世辞にも上手いとは言えそうにもないもののようにも思えたが、距離500間超なら普通程度と言ってよかった。

 脅しだな。風の変化に対応して微調整を更に続けつつ船長は断定した。つまり、自分達は狙われていると思わせることで戦意を削ごうってわけか。
 

 「浮き足立つな。あたりゃせん」
 

 むしろ自分に言い聞かせつつ、船長は周囲を確認した。今まで間近にあった島影が急速に離れていくのがはっきりと見て取れた。

 敵船が、先ほど撃った艦首追撃砲ではなく、右舷に並べた大砲を撃ったのは次の瞬間だった。

 先ほどと比べて長射程で放たれることを想定されたその砲は、<ぽりす丸>には一発も当てることは出来なかったが、それでも先ほどとは違い、彼女の周囲に砲弾を撒き散らした。おそらく鎖弾だろうと船長はあたりを付け、それは事実だった。

 敵軽快汎用艦は、<ぽりす丸>艦尾側を通り抜けた直後右方向への回頭に移る。今度は左舷を<ぽりす丸>に向けて再び砲を放つか――あわよくば衝角を突き刺して白兵戦にもちこもうと言うことを隠そうともしない運動だった。

 何よりも腹立たしいのは、船長はこちらも面舵を取りつつ思った。こうやって回避する以外に自分達は何もできないと言うことだ。獲物めがけて手を尽くす狼と、逃げ惑う哀れな子羊。<リージョナ・ポリス>との定期航海のときは対海賊用に、お飾り程度だったが砲も備えていたのだから噛み付くぐらいは出来たが、今はそれすらも出来ない。

 船長の面舵と言う判断は、絶対的劣勢を覆すほどの力はもちろんなかった物の、短期的には成功したといってよかった。

 艦尾を狙う進路についていた敵は、その意図を断念し同航砲戦に移るしか手がなくなったからだ。但し、<ぽりす丸>が危地を脱したわけでもない。

 瞬く間に<ぽりす丸>の右舷に船をぴたりと付けて来た敵は、船長が取舵を目一杯取る前に<ぽりす丸>に戸板のような渡しをかけ、白兵部隊を一気に展開させた。<ぽりす丸>がすべての抵抗を諦めたのは、それから数分と経たぬ時のことだった。


 











 人族連合王国、父なる大地<霊峰大陸>に栄えた七つの王国が連合して構成されているこの国は、元々海事に対してそこまで熱心な国家ではなかった。

 理由は数多あるが、大別して二つに分けられる。一つは、彼らの本拠地<霊峰大陸>が堅牢な山々と急流によって別け隔てられているものの、規模としては世界最大の陸地であり、であるからこそ七つの国家が存在したためである。

 列国間の競争は、この世界において稀な陸上技術の発展を齎したが、それとは反対に海上技術はこの大陸上の国家以外の全てに劣っていたのだ。

 そして、二つ目の理由が、その七カ国のうちもっとも海事に精通していた国家が、二百年前の戦争、「七王国統一戦争」で現在の主流各国に対して最後まで抵抗していたためであった。現在七カ国の長として君臨する慧王国は、その面子の問題からその国家の技術を一切用いない海上技術開発を行わせていたのだ。

 こうした理由で人族連合王国は、本国の規模に比べて遥かに小さい規模の海外進出しか遂げていなかったのだが、四十年前、連合王国最大の港・海園市で一隻の大型帆船が就役したことにより拡張の時代を迎えていた。

 その広がり行く祖国の誇り、連合王国海軍東方艦隊所属の巡防艦<華・六>の甲板上で、<華・六>艦長・楊羽王国騎士大尉は、自分の船に運ばれてくる金剛石と、その間間に紛れている金色の物体を、『任務』の為に仕方なく着込んだ薄汚れた服を気にしながら、冷めた目で見つめていた。

 楊は、元々好き好んで船乗りになった人間ではなかった。「王国騎士」の称号が示すように、彼の家は代々軍人、それも騎兵将校を輩出してきた由緒ある家柄だった。その家系で育った彼も、当然の如く父や祖父と同じ騎兵将校を目指し幼少期を過ごした。もちろん、その頃の彼には軍の騎兵枠が減らされるなどと言う将来を予測する能力などは存在しない。

 そんな彼が、貴族にはお世辞にも似つかわしいとは言えない姿に身を包んで、秋津皇国領海に存在していたのは、ひとえに国家という存在の張り巡らせた罠にかかってしまったからだ。

 連合王国が陸軍偏重から海軍偏重へ軍備整備の方針を変更したのは、四十年前の大型帆船、「王双式航洋型」と呼ばれる帆船の就役からだった。

 前述した通りこれの就役で始まった連合王国の拡張は、その交易路を防衛するための大規模海軍拡張を必要とし、必然的にそのしわ寄せが存在意義が本国や植民地の拠点守備くらいに減少した陸上部隊に押し寄せる結果となった。

 情勢の変化に最後まで抵抗しようとした陸軍だったが、政府首脳部・貴族・王族そして国民世論のすべてがその抵抗の意図をくじいたことにより、結局従わざるを得なくなる。これが、十二年前の話である。

 その陸軍が更に貧乏くじを引く部隊を選別した結果、最終的に大規模な軍縮が断行されるに至ったのは、連合王国唯一の兵科、騎兵であった。

 そもそも連合王国で騎兵が発達したのは街が発達した平野部での戦闘を決定づけるための機動力が必要とされたためで、以前から堅牢な山地を抜ける際にはむしろ邪魔者として扱われる傾向が大きかったし、それに加えて統一戦争からこの方大規模内乱の発生すらなく、本国ですらもう銃兵と砲兵だけでことが足りるのではないかと言う意見が主流を占めていたのだが、これから陸上部隊に求められる作戦行動がそこら辺の小島への上陸などと言う有様では騎兵の使いようがなかったのだ。

 かくして連合王国において騎兵と言う特異な兵科が徹底的に減らされる目に遭っていたのだが、これだけならばまだ楊にも騎兵将校となれる機会が残っていた。その一握りの希望が脆くも崩れ去った原因は、皮肉なことに騎兵の見せる威容と言う、少年時代の彼が憧れたそれが原因だった。

 騎兵が連合王国で愛用されたもうひとつの理由。それは、見栄えがいいと言うことだった。他の島に比べ遥かに広大な土地で育つ霊峰馬は、馬格もよく、それに過剰宝飾された王侯貴族が乗れば民に対してこれ以上ない広報となるのだ。自分たちの国の将軍は、国王はこんなに強いのだと。

 そして、長年の騎兵のこう言った運用により、当の王侯貴族たちの間にも軍指揮は騎乗して行うべし、と言う伝統が出来上がってしまったのだ。

 そこに振ってわいたのが、騎兵の大規模縮小である。

 各王国王族や大貴族たちが、我先に見栄えのいい兵科、つまり騎兵に群がった。もちろん適正による審査もされたが、僅差では王族や大貴族と言った身分が尊重され、気づけば騎兵将校は彼らで埋まっていたのだ。

 楊は、悪くない成績で軍士官学校へ入学したのだが、こう言った事情により騎兵将校への道を失ってしまったのだった。

 失意のどん底にあった彼だが、現実は冷酷に彼に対して軍人貴族たる義務の遂行を要求した。

 彼に示されたのは、三つの道だった。銃兵部隊の指揮官となりたいか、砲兵部隊の指揮官となりたいか、それとも――海軍で、艦艇指揮官となるか?

 彼に、泥にまみれて進軍したり、戦場の後方からただ弾を放つという趣味はなかった。

 こうして海軍へと進路を決定した楊だったが、だからと言って船に乗るのも趣味ではなく、ただ他よりましだったから来たまでと言う楊は不真面目とまでは行かずとも、そこまで身を入れず士官学校を王国暦213年に卒業した。席次は六十三人中四十一番。とてもではないが、出世街道に乗れる成績ではなかった。

 そんな彼が若干二十八歳にして大尉と言う階級になり、挙句一つ船を任されているのは、彼が自分の思っている以上に闘争的な性格だったからだった。

 彼が二十一歳の時、獣族蛮域との航路上に存在する海賊の根城を潰す戦闘において彼の乗艦が被弾。運が悪いことに艦長戦死、その他の士官が全員死傷と言う自体に陥ったことがあった。

 その中で、一人士官として生き残った彼は、その状況下で追撃に出てきた海賊側の船を一隻拿捕すると言う大戦果を挙げた。無論、この戦果には艦隊を組んでいた他の艦や、司令の指揮が秀逸だったと言う点ももちろん含まれているものの、だからと言って彼の勇気と能力の証明にならないと主張するものはいなかった。彼は、接舷すると同時に真っ先に敵船に切り込み、これだけはなんとか血筋を受け継いだ鋭剣捌きで数人を斬り殺してすらいた。

 上層部は、これを格好の宣伝材料とした。陸軍の血筋に生まれたが、海軍に転向した不運なものながら、王国のため、国王陛下のため、そしてなにより国民のために尽力した勇者を讃えよ! 国民諸君よ、彼のような勇者たれ!

 彼自身は余りいい思いをしてはいなかったし、宣伝内容も怪しいものだと思っていたが、艦隊司令や彼の指揮した兵たちは彼を何故か絶賛していた。兵たちはあまり艦長と馬が合わず、兵たちにも尊大な態度で接さなかった気の弱そうな新品少尉が示した勇姿をしっかりと記憶していたし、艦隊司令は艦隊司令で海軍軍人たるもの率先突撃すべしが信条のような男だったから尚更だった。

 結局、本人の意向やらなにやらが全く蚊帳の外におかれたまま事態は推移していき、あれよあれよと言う間に彼は大尉の階級章を付けて新造の<華>級巡防艦の艦橋に立っている自分を発見した。何もかもが彼の予想を超えていた。彼にできたのは、ただ階級に合わせて自身を演じることだけだった。

 




 「艦長」
 

 搬入も粗方終わり、艦内に戻ろうとしたとき、横から声がかかった。副長の董苑中尉だった。こちらも、楊と同じく所々が破れた衣服――と言うか、衣服だったものを纏っている。
 

 「搬入した物資の中に、上が所望のものありましたよ」
 

 どうやら報告に来たらしかった彼は、今まで楊が見下ろしていた箇所を自身も見つめながら続けた。そこでは、この『任務』のためだけに集められた多種多様な人種が、本職の軍人たちに見守られながら金剛石で満杯の箱を運ぶと言う作業を繰り返している。その誰も彼もがとても軍隊や、国家の一機関に属しているものとは到底思えないような服装をしている点を除けば、まさに満足すべき作業状況だった。
 

 「とりあえず金剛石とは選別して保管させました。それと、拿捕した船の乗組員は手筈通りに」
 

 この場合の手筈とは、当面生きられる分の水と食料を渡した後、橈艇に乗せて流すと言う事を指す。「穴の開いた海」でなら船ごと返すのだが、今回は周囲に島が多い。漕げば有人島には容易く辿りつけるはずだった。
 

 「しかし、良く溜め込んでましたね、あんな量」


 董は嘆息を漏らした。「あれはまぁ少量でしたけど、金剛石は原石がゴロゴロと。少しくらい懐に収めても」

 「止めておけ。私は有能な部下を国家反逆罪で捕まえたくはない」

 「お褒めいただき光栄至極」
 

 今時大貴族でもするものが少ないくらいの優雅な動作で礼をした彼は、口元に若干の笑みを浮かべて言った。
 

 「……気に入りませんか?」

 「……士官学校入学時の国家への宣誓の中で、海賊の真似事について誓った覚えはない事だけは確かだな」
 

 王国騎士、つまりは貴族階級の中でも最も低い部類に入る家柄の楊だったが、そうであるからこそ貴族将校としての矜持は過分に持っている。その矜持は、海賊じみた行動をしている自分を必ずしも肯定してはいなかった。

 しかしながら、彼は軍人なのであって、であるからには命令には絶対服従でなければならなかった。そして、彼がこのようなところでこうしているのは、彼の上官から伝えられた命令によってだった。つまりは、『任務』――金門諸島から出港する輸送船を襲撃し、積荷を奪い取れと言う行為を行え、と。
 

 「まぁ、宣誓の内容は「汝国家の望むべきことをせよ」ですから」

 「あの時は気が楽で良かったよ。少なくとも、海賊行為が国家に報いるべき道だとは思っても見なかった」
 

 とは言え、楊にも海賊の真似事――私掠行為・通商破壊が齎す利益はわかっていた。

 自らの懐を痛めず、敵の懐から奪う行為がどれほど利の良いものかはもはや説明すら不要だ。あえて説明しようと例えれば、精一杯働いて少なくない給金をもらう会社勤めと、その給金袋を横から掠め取るスリを想像すればいい。倫理とか道徳とかを加味しなければ、どちらが楽かは言うまでもない。

 自分のしていた会話がへたをすると国家を貶める行為にほかならないと気づいた楊は、ひらひらと手を振りながらこの話はもう止めと示した。夢敗れた後、ただ国家に忠誠を誓う自分と言う幻想の許軍人稼業を続けている楊にとってそれは自身の存在意義の消失と等量だった。

 <華・六>に配置されてから既に一年超、この何処か屈折した上官と過ごしてきた董は、報告は以上ですと言って立ち去ろうとした。
 

 「ああ、待て。最後に一つ確認させてくれ」

 「は? なんでしょうか」

 「例のものの保管、誰に任せた?」
 

 上官の顔に真なる心配以外の何者も見いだすことができなかった董は、ああ、と漏らしてから答えた。
 

 「陳主計官に。あいつはまぁ、生真面目な男ですから」

 「うん。ならいい。持ち場に戻ってくれ」

 「はっ」
 

 あいつ、俺よりよっぽど士官らしいじゃないか。楊は一人思案した。そういえば、実戦経験があると言っていたっけ。確かに若者を自立した人間に押し上げるには重過ぎる経験だな。

 そこまで思考して苦笑した。おいおい、俺はいつの間に年寄りぶった事を言えるくらい偉くなったんだ?全く、成功ってやつは、この程度のことでも人を舞い上がらせてくれる。それとも、この程度で舞い上がってしまう俺がおかしいのか?

 まぁ、いいさ。と、楊は苦笑を自嘲の笑みに変えつつ思った。ともかく、後は慈しみ、こき使うべき部下どもを纏めて、本港へ戻るだけ、だ。まず、それだけに集中することとしよう。

 それにしても、陳主計官なら確かに大丈夫だろうが、果たして他の船員は我慢できるか?「例のあれ」。金剛石の原石とは価値が違う。なにせ純粋な金なのだから。


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