幕間1 古代史 ( 「よくわかる世界史(フランソワ出版 リニア・ダン・フレーベル著 帝国暦734年初版発行)」より抜粋)
――この世界に誕生した最古の文明は、いずれも次の条件が当てはまる土地に誕生しました。
1、農業に十分な広さの土地
2、大河のほとりにある土地
この二つの条件に当てはまった四つの地域で、それぞれ文明が発生することとなります。
1 古代ンバリア文明
現在知られている古代四文明のうち、最も早く成立したのがンバリア大陸のンバリア文明だと言われています。これは同時に、獣族が建てた初めての文明的国家でもありました。
古代ンバリア文明は、ノモラト山脈から流れ出るゴロニア川の畔に誕生し、他の文明と同じく年に一二回発生する大氾濫を利用した麦の栽培で発展していきます。これは、知的生命体の誕生から数万年続いたと考えられている狩猟生活からのある区切りとしても知られています。大氾濫を利用するようになった彼らは、一定の地域に定住し、集落を作り始めます。これを、ムラと呼びます。
古代ンバリア文明では、ムラは比較的早期に国へと発展を遂げることになりますが、その対立は比較的緩やかなものでした。ゴロニア川は、莫大な食料産出量を住民たちにもたらしていたからです。
かくして、ンバリア文明は最初の黄金期を迎えます。メニギウス朝ンバリア王国の誕生です。
メニギウス朝は、王が絶対神ルークラーを祭祀する、政教一致の王朝でした。
彼らは、帝国紀元前1500年頃に金字塔と呼ばれる建築物を作りますが、これは高さが60ベルツ程もある超巨大建造物で、当時のメニギウス朝が強固な中央集権体制で統べられていた事の証明として良く知られています。
しかしながら、メニギウス朝にも衰退の季節がやってきます。紀元前1300年頃に起こったと言われる世界規模の寒冷化です。
これは、後述する通り他の文明や知的生命体の暮らしに多大な影響を与えましたが、とりわけンバリアには過剰とも言える変化が押し寄せます。
第一に、寒冷化による農作物不足で、それまで神の代理人とされてきた王権が揺らぎ始めます。此処で言う絶対神ルークラーは農業神でしたから、その理由は御分かりいただけるでしょう。王は、神の言葉が聞こえないと言う烙印を押されてしまったのです。
混乱はまだ続きます。王朝への不信と、更なる搾取・弾圧で半ば内乱状態となった状態で、同じく食糧不足で周辺の島々から逃れてきた異種族が大挙襲来したのです。
本来ならンバリア王は毅然とした対策をとらなければならなかったのですが、そもそも威信が消滅し、そのような権力を王は既に失って久しかったのです。
紀元前1250年から200年ころ、現地民によって虐げられていたガイウス族が、もともと持っていた侵略性を発揮して王都へ侵攻。これに対処する筈の軍隊も動けず、かくしてメニギウス朝ンバリア王国は王の処刑を持って滅亡することになります。
さて、ンバリアを制圧したガイウス族は、新たに旧王都でガイウス王国の成立を宣言し、付近一帯を勢力圏におきますが、それも長くは続きませんでした。ガイウス族もまた、周辺の島々から食糧難で逃れてきた少数民族だったからです。彼らは、絶対的な人的資源不足に悩まされていました。
そんな彼らがンバリア王国を制圧出来た理由は、王国が混乱していたことに加え、彼らが戦車と呼ばれる高機動兵器とそれを利用した戦術を持っていたからだったのですが、その戦車が旧王国の人間によって模倣されてしまいます。
旧王朝の復興を目指す一派がたちまち武装蜂起し、王都は再び戦場と化します。
ガイウス王国滅亡は、成立からたった数年から十数年の間に起きたと言われていますが、現在の発掘ではどうしてそれほど早くガイウス王国が滅亡したのかと言う事を示唆してくれる発掘物は未だ見つかっていませんから、滅亡原因はそのくらいであるとしか書けません。
ただ、憶測で物事を述べることができるならば、ガイウス族が王として君臨できる理由が無かった、と考えることが出来ます。メニギウス朝が君臨出来たのは、治水の管理によって民衆の食料が確保出来たからなのですから。
その旧王朝派が、一旦はメニギウス朝を再興したものの、すぐに住民反乱により形骸化してしまいますから、おそらくはこのような原因だろうと言うのが考古学者たちの憶測であり、推察です。
紀元前1100年頃、各地のムラでの争いをようやく静めたのはダホカ・イル・トラニデウスと呼ばれる一人の男で、この男の一族が中心となって、獣族二度目の安定王朝にして長期王朝となったトラニデウス朝ンバリア王国が起こります。これをもって、ンバリアでは古代文明の時代が終了したと言っていいでしょう。
2 ベリニアクス山麓文明
龍族の居住域で、現在も龍族評議会連邦の首都地域となっているベリニアクス山。最古にして今なお一部が継承されている龍族文明、ベリニアクス山麓文明はその麓で誕生しました。
これは、一見前述した古代文明発祥の土地とは違うように見受けられるかもしれませんが、龍族の主食であるパムロン草と言う穀物は清らかな水と寒冷地と言う、二つの条件が無いと生息出来ない為、龍族基準での大河、農作適地と言う条件は全て満たしています。
その龍族は、自らが文字通り「浮かべる」と言う、他の知的生命体にはない極めて特殊な能力を持っています。
どうして龍族が浮けるかは、物理学や生物学の本を読んでもらうとして、その浮遊出来ると言う条件上、龍族は極めて個が独立した文明を築きあげます。
それは、龍族が龍族評議会連邦を築くまで国家を作らなかったと言う点からも御分かりいただけると思います。それに、評議会連邦でさえ、人族の植民による聖地汚染が成立における一番の原因なのですから、もしこの世界の知的生命体が龍族だけならば今この世界に国家などと言う概念は存在していなかったでしょう。
さて、その成立した文明圏ですが、ベリニアクス山を有するべリニア島を中心とした比較的狭い範囲内にしか広まりませんでした。
その気になれば、世界一周すら可能な龍族の浮遊・飛行能力があるのになぜ文明圏、即ち龍族の居住域が広がらなかったのかといえば、それは龍族の信仰する宗教に大きく起因するといえます。
龍族は、霊峰ベリニアクス山の山体を信仰する、言わば一神教的偶像・自然信仰の者たちです。ベリニアクス山はこの世の理で、自分たちに幸福や不幸と言ったありとあらゆる事象をもたらす存在だと言う考えです。これは、一神教と言うよりは人族帝国のマキ信仰に似たものですが、自然の万物にマキが宿ると言うリージョナ族とは違い、龍族にとってのマキはベリニアクス山にしか宿りません。
ベリニアクス山信仰についての詳しい解説は、後の「人族植民と龍族の反応」の欄で述べますが、簡単にまとめますと、龍族はベリニアクス山の懐で生活することこそ、霊峰が自分たちにより幸福なる生活をさせてくれると言う考えで生活していました。つまり、秋津皇国などに出て行った龍族は極めて少数派、悪い言い方をすれば異端者だったのです。
結局、この信仰により、龍族はべリニア島や、ベリニアクス山の見える周辺諸島から外の地域には出ようとしなくなりました。このため、これ以降人族の大挙流入に至るまで龍族の文明的膨張は起こらないことになります。
3 古代秋津文明
一昔前は古代内地島文明と呼ばれていた秋津文明ですが、近年の研究によって、周辺諸島地域においても同時期の文明発祥の後が見受けられたので、この名で呼ばれるようになりました。
秋津文明は、古代霊峰文明と同様に稲作を行う文明でした。その為、秋津文明も古代霊峰文明と同じく強固な集団を作り上げていくこととなります。
ただ、内地島を中心とする秋津諸島は霊峰大陸ほど土地が広くなく、大規模な都市国家の出現には至りませんでした。よって、この集団のことも古代ンバリア文明と同様ムラと呼称します。
ただし、このムラは成立当初から絶え間のない抗争の只中におかれることになります。この抗争の時代の中で、秋津文明は古代霊峰文明に継ぐ先進性を持つに至ります。
例えば、他のムラを圧倒するための戦術・効率的な稲作・農作・牧畜の方法。どれも、古代霊峰文明と同時期に確立されていきます。
ところが、ここから秋津文明と古代霊峰文明との間には大きな違いが生まれていきます。古代霊峰文明で騎乗技術や戦車技術が次々に発展するのとは対照的に、秋津文明では周辺諸島との交易・戦争の為船が活躍することになります。
秋津では比較的早期に櫂船が実用化され、陸兵が高機動で島々を行き来することが可能となりました。更に、沿岸航海のみならば交易用に初期型の帆船まで実用が始まっていたと言う文献も存在しています。
そんな秋津文明でしたが、文明の中心が内地島であったにも関わらず、初めて内地に国家を打ち立てたのは現在<支配島>と呼ばれる島の一族でした。
支配島と言うのは、秋津皇国成立後に嘗ての支配者たちに畏怖を込めて呼ぶようになった名前で、彼ら自身は「安藤島」と読んでいました。つまり、安藤家の島と言うことです。
安藤一族の暮らしていた安藤島は、内地島より若干北へ行ったところにあり、秋津諸島の中心部にある火山島でした。深く入り組んだ港は簡単に重要な軍事港と化し、紀元前1300年頃には秋津諸島周辺の制海権は安藤一族の国が握っていたとも言われています。
かくして秋津文明で極めて重要な海を制した安藤一族は、本格的な内地島進出に成功し、稲作に裏打ちされた豊富な人口を手に入れます。これは、前述のンバリアを襲った寒冷化によって内地島の諸種族が農業的に打撃を受けたのに対して、安藤一族の国が当時は漁業中心の食料生産を行っていた事も成功の要因の一つと数え上げてもいいでしょう。
以後、彼らの国は積極的な海外進出を強める一方、内地島の社会基盤整備にも尽力し、少なくとも内地島においては独自かつ高度な文化が発展したと言われています。
結局、秋津史上初めてにして最後の征服王朝となった安藤一族の国は、以後紀元前680年まで続きますが、この文明が成し遂げた最大の偉業は、古代にして後の世界の基準となる複数諸島による帝国の姿が見え隠れしていたと言うことでしょう。
後々の秋津文明の膨張と、秋津皇国の世界帝国化は何れも安藤一族の国の膨張傾向のお陰でしょう。
ちなみに、安藤一族の国の正式名称は、秋津皇国成立の段階でそれらを収めた歴史資料館が炎上したため、後世には伝わっていません。
4、古代霊峰大陸文明
古代霊峰文明も、先述した通り半ばまで古代秋津文明と似通った歴史を歩んでいました。
が、この文明が発生した霊峰大陸は、世界最大級の陸地であり、その集落は類を見ないほどの大きさを持つようになります。この巨大な集落のことを都市と呼びますが、霊峰文明の都市は規模が巨大だったため、それ一つで単一国家となる場合が多数ありました。これを都市国家と呼びます。
さて、ここでこの都市国家の定義を少し掘り下げてみたいと思います。まず、都市国家の再前提となる都市に関してですが、こと霊峰文明の場合、
1、数千人ないし一万人以上の人口
2、四方に城壁を持つこと
が、都市の定義と言えます。また、1の人口に関しては、数百人規模の集落でも城壁で囲まれていたために都市であると結論づけられたものもある為そこまで厳密に考えなくてもいい場合もあります。そもそも人口の概念は、一万人を大きく超える人口を有しながらも最後まで城壁を持たなかった都市の存在から発生したものですので、結局のところそこそこの人口があり、城壁を持つものなら何でも都市と定義付けられているのが現状です。
さて、では都市国家の定義に移りますが、都市国家の場合、都市と比べて若干定義が複雑になる場合があります。というのも、規模的な面でどこからが都市国家で、どこからが領域国家なのかと言う判別がしづらいからです。一例を挙げますと、例えば古代に大発展したガダロム王国は、中心となったガダロム市(人口二万人ほどと推定)の他に、その周辺に存在した小集落や、果ては周辺の都市をも勢力下に置いていました。
一般に、多数の都市で構成されれば都市国家ではなく領域国家と見なされても良いように思えるかもしれませんが、このガダロム王国の場合、ガダロム市が他の市を従属的状態に置くことで勢力を拡大していた為、広義な意味で都市国家と定義されています。
そうして、多数の都市国家で分断されて行った霊峰大陸ですが、その文明圏で他の文明では見られない特殊な文化が発達して行くことになります。馬の飼育・及びその移動手段への利用です。
ンバリア・ベリニアクス山麓・秋津各文明では、種族的原因・地政的原因によって結局大規模な陸上移動技術の開発がありませんでした。ところが、霊峰大陸は堅牢な山脈や急流によって細かく分断されているとは言え、それでも世界最大級の平野や盆地を多数有しています。必然的に、この平地地域を有効利用するため、陸上の高機動部隊や移動手段を手に入れる必要が生じました。
古代霊峰の人々が目をつけたのは馬でした。馬の機動性は他の動物に比べて極めて有効でしたし、飼育技術も確立してしまえばそこまで難しい生き物でもありません。
かくして始まった霊峰でも馬利用は、形が違いますがンバリアでその後多用されるようになった戦車と構想・利用法がほぼ同じものが出来上がります。
また、同時期に始まった騎乗技術は、少なくとも平地において他に類を見ない戦術の形成へとつながっていきました。
そんな霊峰文明でしたが、紀元前1300年頃、他の文明と同じく世界規模の寒冷化によって情勢が一変します。
それまでの都市国家間同盟の時代が終わり、領域国家の形成が始まったのです。
それぞれムータファ王国・高王国・弁王国と呼ばれる三大王国によって霊峰文明は分割され、同時に都市国家の時代が終焉へと向かいました。これ以降、長きにわたり続く三大王国による戦乱の時代を、「原初三王国時代」と呼び習わすことになります。
以上の四文明を駆け足で見てきましたが、紀元前800年から700年頃にかけては上記の四文明以外にも多数の文明が出現するに至るようになります。有名なところでは、イノリア王国領ハーベント島で発生したハーベント文明や、コモラド島で発生したコモラド文明などです。最も、これらの文明は、イノリア王国領の物を除き大抵が後に膨張を始める秋津文明やンバリア文明によって吸収されてしまうことになります。
ちなみに、この時期のリージョナ族ですが、極めて原始的な狩猟民族から一歩飛躍することはまだ出来ていない時期でした。あまつさえ、リージョナ族以外の文明が近隣で発生さえしています。では、次にこれらの文明の特色を――(後略)。
あとがき
どうも、作者です。なんか、むしゃくしゃして幕間を書いてみました。以上、この異世界のでっちあげ古代史です。細かいところは多めに見てね。
まぁ、でっちあげどころか書き上げにかかった時間が二日くらいって言うのがもうね。構想と言うか、だいたいの流れはもともと考えてあったとは言え突貫工事と言われても否定できないからなぁ。そんなわけでレス返しです。
>>なーな氏・たけのこの里氏
読んでいただいてありがとうございます。そしてすいませんでした。
実のところ、四話の文字数の少なさはわかってはいたのですが、ついつい自分に負けて妥協してしまったところがありました。
一応、この後投稿する予定の話は四話よりは長くなっている筈です。と言うか、作者の精神衛生上実は四話くらい先まで書き上がっていたりしまして、確実に長くなっていることは確かなのですが……。如何せん、それでもまだ少ない。
とにかく、長い時間がかかりそうですがそこら辺はこれから矯正していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします。
と言うわけで、みなさんご指摘ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。