帝国暦616年 皇紀1296年 三月三日 秋津皇国沖西に1000浬 魚門諸島
魚門諸島は、畏れ多くも海皇(かいのう)陛下の御威光を受ける国家に属している割にはあまり発展していなかった。
まぁ、流石に本土――彼らの言う内地から1000浬も離れれば無理も無いことかもしれなかった。大体、この諸島はここを含めた周辺一帯でやっと一つの選挙区を構築できる程度の人間しかいないのだから、臣民院や皇議院で利権を獲得してくれるような政治屋もいなかった。
主要産業は漁業であり、巨大な港は無い。この付近に多い火山島であるから、適地は探せばいくらでもあるのだが、誰もその必要性を感じ得なかったのだ。交易ルートからは外れていたし、仮に中継港としての道を探ろうにも周辺で一番大きな島を使ったほうが色々と便利なのだから仕方がない。
魚門諸島が文字通り漁業を生業とする港町の複合体になってしまったのにはそういった必然があった。
しかしながら、住民達はその必然を受け入れていた。と言うか、別に変える必要性を見出せなかった。これまで魚門諸島は、唯一誇れる豊富な水産資源を活用して、豊かとは言えないまでも不満に思わない程度の生活は営んでこれたのだ。ならば、どうして変える必要があろうか。
一人の老人が、管煙草を吹かしながら空を見上げていた。つい二三年前までなら彼と生涯を添い遂げる誓いを交わした女性も傍にいたのだが、一年と半年ほど前に死去していた。医者の判断によれば、老衰らしいかった。
雲がまた流れて行った。老人はそれをぼうっと見ている。それが、もう生きる意味を半分以上失った彼の余生の過ごし方だった。
以前は、もう少し活力に富んでいたんだがなぁ。とは親族の言だった。老人は、若かりし頃この諸島の住民としては異常なほど血気盛んであり、身一つで皇都大安京に乗り込んだほどの男だった。
彼が目指していたのは、山師だった。つまりは鉱脈探しである。
海に満ち溢れたこの世界で、鉱石は酷く貴重な品物だった。金剛石や金・銀・銅は装飾品としてだけではなく、通貨としての機能も果たしていた(もっとも、金剛石に限ってはその勝手の悪さ、つまり加工のし難さが仇となって使われることはあまりなくなったが)。連合王国で開発された紙が通貨として広く使われるようになって、鉱物を通貨にしている国は減少の一途を辿っていたがそれでもその希少性・貴重性が損なわれたわけではない。
老人の口が小さく開き、中から紫煙が溢れて来た。今まで雲を見ていた視界が煙に覆われるが老人は気にしなかった。いや、気付かなかった。
思えば、老人のもっとも大きな失敗は鉱石発見の困難さを考慮に入れていなかった事だった。研究を積み、修行を重ね、いざ独り立ちしても、依頼はほとんど無かった。無理も無い。もはや、鉱脈探しは賭博性の高い商売と言う枠を大きく超えすぎていた。つまるところ賭博と大差なくなっていたのだ。それも、当る確立が零と小数点以下何個も零が続くくらいのそれに。
失意のうちに若かりし頃の彼が諸島に戻ってきたのは島を出てから六年ほど経った頃だった。それに対する周囲の反応は、彼の予想通りだった。つまり、誰も気に留めなかったのである。
大人たちは、話を聞くなり、ああやはりなと自らの仕事へ戻って行った。彼らは同世代の失意の帰島を見たことがあるか、悪くすれば経験した者達に満ち溢れていた。
唯一の例外は子供達だったが、その反応の仕方は彼を酷く落胆せしむに充分な威力を持っていた。彼らは無邪気な好奇心で失敗の理由を訊き、最後にこう言った。やっぱり、島から出てもろくなことは無いなぁ……。
老人が血気盛んな若者になった理由は、子供の頃に自分達を期待させておいては結局何事もなしえずに戻ってきた彼の先達たちに対する反抗心だった。結局またダメかよ。まぁ、俺が大きくなったら、その日こそは。
全てに打ちひしがれた彼が今まで生きて来れた原因は、一年半前に死去した伴侶のお陰だった。実家が隣通しであり、昔から彼の夢を聴いていた彼女は、彼を励まし続け……というわけだ。
であるからこそ、この老人に再び気力を呼び戻すのは神や海皇陛下でも不可能だろう。これが島民の一致した見解であり、彼の耳に入れば自身すら肯定したであろう。途方も無い無気力は、彼にとって忌むべきものではあったが、だからと言って抜け出す方法を知っているわけでもなかった。
「爺ちゃん! 爺ちゃん!」
主人に似たのか、こちらも無気力に門を開け放ち、来るものこばまずの姿勢を見せている家の塀を、甲高い声と共に子供達が越えて来た。近所の悪餓鬼どもだった。
「なんじゃい、騒々しい」
口で言うほど嫌がっていない様子で、老人はその悪ガキどものほうを向いた。悪ガキ二人のうち、ある漁船の船長の息子で、この小さな町で餓鬼大将として君臨している、若干丸っこい少年は興奮を隠さずに言った。
「あんな、爺ちゃん。裏山で……」
「こりゃ。裏山は危険じゃから入るなと何時も言っちょるじゃろ」
「あ、ご、ごめん。でも、すごいんだよ。ほら、これが……」
老人の静かな叱責に、一瞬震えた丸っこい少年だったが、すぐに息苦しさも忘れ、興奮しきった口調で言うなり、懐からごつごつし――妙に光り輝く石を取り出した。
老人は皇都の商人から買った老眼用の眼鏡を掛け、少年が差し出したものを手に取り――絶句した。
そこにあったのは、金剛石の原石だった。
「お、おい。お前、この石をどこで!」
「裏山、だよ、御爺ちゃん」
腕白小僧と言った印象の強い、丸っこい少年と対照的に、細く色も白いもう一人少年は、何とか腕白小僧に付いて来た為に呼吸困難に陥りかけている口を最大限稼働させて答えた。
「御爺ちゃん、とこの、あの山。その、奥の、ほうに」
「これだけじゃなかったんだぜ」
丸っこい少年が得たとばかりに後を継いだ。
「こんな大きい奴はもう無かったけど、他にも似たような石ころが一杯あってさ……爺ちゃん?」
不意に、そう腕白小僧が問いかけたのは、細身の少年が唖然として老人を見ているのと同じ疑問を抱いたからだった。
老人は、嗤っていた。
狂ったように、涙を流しつつ嗤っていた。手には金剛石の原石があった。
もはや皮肉とも思えない状況だった。彼が何も無い島と決めつけ、一人出て行ったあの大海原。あの島々には存在しなかったそれが、失意と共に暮らしていたこの島にあったのだ! 彼の全てが。彼の夢が。彼の希望が。すべて。
老人の嗤いは、気味悪がった子供達が近所の大人の下に駆けて行って尚も続いた。老人は、もう嗤うしかなかったのだ。すべては遅すぎたのだから。
序章 完
第一章 「成果とその対価」へ
あとがき
どうも。最近某都市開発シュミレーションゲームと、軍事博物館ものフリーゲームにはまってしまった作者です。
と言うわけで、物語の導入が終わり、いよいよ本編へ。
ただし、次回から始まる学園編が、作者の試算で結構な量になりそうだと言うことがわかって焦っているのは禁則事項です。
いやぁ、やはり途中で降ってきた「学園モノをねじ込め」と言う電波は無視した方が良かったかな。……そんなこんなでレス返しです。
>>t氏 ジョミニ氏
ご期待ありがとうございます。
>>アントン氏
いえ、ワット式はまだですが、コークス炉やニューコメン式蒸気機関は実用化の目処が立つか実験段階に移行しています。後は、まぁずっと内政チートのターンが続くわけです。
そんなこんなで、拙い小説ですがこれからもよろしくお願いします。