帝国暦615年 五月十日 帝都<リージョナ・ポリス> 自宅
前世。つまりは、今自分が生きている人生の前の人生の記憶。
もしくは、高野五十六率いる紺碧会が後世世界への反面教師として活用している……すいません、なんでもないです。
ともかく、似非オカルト番組とかで良く聞くだけであって、古くからの友人と程度の低い馬鹿騒ぎをするときに位しか話題にも上らない、そんな言葉だった。言葉だったんだけどなぁ。
僕は、目線を真正面から目の前の本に落した。子供部屋のような、いや、実際子供部屋だからこそ子供っぽい模様に覆われた壁を見続けるのは僕の感性的に無理だった。
だが、本も大体変わらない。
第一、字が面倒くさい。周囲の人たちの話を聞けば、帝国公用語とか言うらしいその文字は完全なアルファベットそのもので、言語としては英語というよりローマ字表記の日本語に近い。近いのだが、それで表音されるのは英語でも日本語でも聴いたことの無い単語ばかりだった。
何々、ベルメンツはルクセーナでヒューラをルローヌに含み、ついでに顔を洗いました。日本語訳すれば馬は泉で水を口に含んでと言う意味になる。
一々単語を覚えると言う行為は、かなりの苦痛だった。だが、それだけなら別に良い。頭がつかえるだけまだ良い。
一番の問題。それは、この本の字の面積がかなり少ないと言うことだ。それも、この本が漫画だからじゃない。絵本なんだよ、これ。
日本と言う土地で最後に覚えているのは、トラックのエンジン音と悲鳴だけだった。
順風満帆、とは絶対に言わないけど、まだ人生駆け出したばかりと言う感じしかしていなかった僕にとっては早すぎる死のはずだった。
僕、倉井卓也は二十七歳の三級海技士だった。その点で言えば極普通の男性とは言えないのかも知れないけど、特徴と言えばそれだけの、ただ海と歴史が好きな男だった。それが、ごらんの有様だよ。
ネット上に数多ある小説達。その中で、俗に憑依転生なんていうものがあるが、まさか自分がそうなるなんて夢にも思ってなかった。そして、僕がそれを受け止めるのには時間がかかった。当然だ。いきなりそんな状況に追い込まれればそうなって当たり前だと、冷静になった今では考察できる。だけど、初めは違った。
結局、混乱冷め止まぬ頃が赤ん坊に転生した当初と言うのは僥倖だったのかも知れない。
怖くなって泣き喚いてもおしめの交換か、或いは腹でも減ったのだろうと思われるだけで済んだ。現状に適応できず、ぼうっと考えていれば赤ん坊特有の生理現象、即ち睡魔が襲ってきて僕を夢の世界――本当の夢の世界へ旅立たせてくれた。
一年も強制的にそういったケアを受ければ、もはや前世、日本での僕と言うものとの踏ん切りは流石についた。
それで。おとなしく過ごしつつ僕なりにこの世界を色々調べてみたんだけど、どうやら地球とは全く異なる世界に来てしまったらしい。
まず、この世界に地球で言う大陸は存在しない。これは、「大きな陸」とか言う絵本で書かれていたことから分かったことだ。絵本の主人公が住んでいた小島の畑に市場の親父から貰った豆を植えると、天の大きな大陸に辿り着くと言う地球で言えばジャックと豆の木みたいな話だ。
ここで問題なのは、主人公が住んでいた島は小島だし、主人公が牛(というかこの世界で牛に酷似した生命体)を売りに行った市場も、船で二時間くらい掛かる比較的大きな島だったからだ。そして、天の大陸はとても広大であると言う描写がなされている。
両親――そう、この世界で僕の両親と言うことになる父キング・クレイリアと母メアリ・クレイリアにそれとなく尋ねたこともある。この絵本みたいな大きな陸地って本当にあるの?
「きっと……多分どこか遠くにはあるのかも知れないな」
父は優しい笑顔でそう言った。僕が三歳児なら、夢を持って育っていただろう。だが、生憎僕は精神年齢でもう27にはなる。父の表情と感情から全てを読み取ることが出来た。つまり、少なくとも父達は島以上の陸地を知らない。
これは衝撃だった。何故なら、この世界の技術進歩からそれは少なくとも世界の半分近くにおいての常識と考えて一向に構わなかったからだ。
この世界には、既にガレオン船が存在している。
俗に帆船と呼ばれる船は、余り知られてはいないが実に多くの種類が存在している。
そもそも帆船の勃興期は何時かと言えば、地球においてのエジプト文明で使われていたという記述もあるが、僕としてはローマ帝国時代を推したい。
当時の帆船は、大半が商船だった。と言えば多くの人は驚くかもしれない。では、当時の軍艦は一体何を使っていたんだ?
答えは簡単、櫂船即ちガレー船である。もちろんこちらも進歩を続けていたから一概に括ることはできないが、少なくとも大航海時代まで戦闘艦は専らガレー船が使われていた。 理由は、ガレーが人の手で漕ぐ船だということ。と言えばむしろ旧時代的だと言われるかもしれないが、実はかつての帆船はその技術的限界から操船に難があり、あまり小回りが利かなかったのだ。これでは軍艦としては採用できない。
と、そのまま欧州は所謂中世的停滞に突入し、そして大航海時代の初期に現れたのがキャラック船だ。
キャラック船は、それまで帆船が、いやすべての船が困難だった外洋航海を可能にし、更に荷物の積載量も多かった、大航海時代初期における殊勲船だった。そして、その発展形として誕生するのが更に積載量を増したガレオン船だ。
つまり、ガレオンまで登場していると言うことはこの世界の技術レベルは少なくともコロンブスの新大陸発見段階より50年ほど進んでいるってことだ。
幸運、そう言っていいのかは疑問だけど父は中小、いや零細と言っていい商会の会長だった。そこで所有している船を見させてもらったことは一度だけじゃない。
そして、父に船着場――港島に連れて行かれるたび、父所有の中規模ガレオンや大商人のガレオン船船団、果てはどうやら最新鋭らしい海軍の戦列艦まで見ることができた。
つまり、何が言いたいのかといえば、地球基準で言えばこの段階で発見されていない大陸はもうオーストラリアくらいしかないのだ。
従って、この世界は数多くの島々によって構成されている、と言うのが僕の考えで、多分それは当っているんだと思う。
まぁ、あとわかったことと言えば、この世界には人間以外の知的生命体がいるらしいと言うことも分かった。
まず、今僕が住んでいる国――リージョナによる人族帝国の支配階層、リージョナ族からしてそうだ。外見は猫耳があって尻尾があって……うん、まぁ、ネットで良く見かける猫耳っ子って奴だ。もちろん、男性も居るけれども。
と言うか、リージョナによる人族帝国と言われると、どこぞの人類帝国を思い出してしまうのは僕だけだろうか。
ともかく、そんな世界なのだけれど、そんな生命体がいるにもかかわらずこの世界で魔法の存在だけは確認できなかった。
つまり、僕が今いる世界を要約すれば、大航海時代後期に入りかけの技術力を持った似非ファンタジー世界、ってことになる。
とりあえず、僕の感性には全く合わない絵本を本棚に戻し、僕は窓から外を見た。デニム街三番通りは、デニム港の正反対に位置する通りで、港から港島や別の島にある職場に出勤するにはとても労力を要する立地だ。そんな家に生まれてしまったことを若干後悔もしている。だが。
窓の外を見て、死ぬ前の僕からすれば半分以下になってしまった身長を必死に伸ばし、僕はそれを開け放った。
外は、見渡す限りの青と、行きかう船に満ちていた。さわやかな風がそれまで密閉されていた僕の部屋にも入り込み、潮気をたっぷりともたらしてくれる。デニム街三番通りは、港が建設不能なほど傾斜のきつい、つまり切り立った崖のような地点にあった。もちろん、通りに面していない窓を開ければそこには海と島と船しかない。
その新鮮な浜の香りを、僕は胸一杯に吸い込んだ。同時に、思いを新たにする。
僕が自室のこの窓からこの風景を見た瞬間、ある野望、と言うには些か小さすぎる夢を抱いた。
この海を、あの帆船に乗って縦横無尽に駆け巡ってやる。
この時、この夢を抱かなければ。僕の人生は大きく変わっていたと思う。
いい方向なのか悪い方向なのかは分からない。ただ、それだけは分かる。
この後、帝国公用語を覚えてしまった僕は、この世界のことをもっと良く知るために父所蔵の本に手を出し、次から次へと記憶を開始した。
必死だった僕は気付いていなかった。当時五歳の子供が、計四百ページは下らない分厚い「帝国史」や、専門用語たっぷりの「世界海図」を読むと言う異常さを。
つまるところ、周辺の僕に対する認識が「神童」とか言う、僕自身としては余りに酷すぎて笑えない冗談のようになっていることに。