六月十七日 セント・アルマーダギー学園
月日が経つのは早い。誰もが一度は言った経験があるんじゃないだろうか。
具体的に言えば、夏休みの最終日とか、冬休みの最終日とか、春休みの最終日とか。
その観点から眺めると、今回の僕の夏休みは、終始平穏なものだった。
すっきり爽やか気分爽快とは、今の僕の状況を言うんだろうな、と始業式も終わり、新学期初めてのHRに意気込んで臨んでいるのが丸わかりな担任の先生のお言葉を受け流しつつ、僕は妙に清々しい気持ちで居た。
今まで、宿題に追われたことの無い長期休暇の最終日なんてものは無かった。つまり、翌日の朝は目に隈をつくって呆けっと教師の話を聞くのが僕のスタンスだったって訳だ。
それが、まぁ余りに娯楽の少ない長期休暇のお陰でこれ以上なくサラッと終わらせられたんだから、素晴らしいことこの上ない。その対価として支払った暇な時間は余りにも無駄だったようにも思えるけど、まぁ久しぶりに父さんと母さんとダラダラ過ごせたんだ。別に良いだろう。
先生の話は、遂に夏休みの過ごし方が今後の行く末を決める云々から、二学期はいろんな行事がどうたらこうたらと言う実質的な話に移りつつあった。やけに、頭にすんなり入る。これも宿題をさっさと終わした成果なのだろうか。
ならばと思って聞き耳を立ててみる。学園祭は七月の二十日だ、と先生が丁度言った。
「今から時間がほとんどい無いように感じるかもしれんが、お前らは初等部一年生だし、出し物をやる奴も居ないだろうから、全く問題はない。また、学年に関係なくその日だけは全学園が休暇になる。まぁ、学園の人間なら基本的に出し物は全部無料だし、一年で唯一ハメを外しても怒られん日だ。楽しめ」
尤も、大分と先の話だが、と先生はニヤリと笑ってそう締めた。
そういえば、そんな行事もあったな、と今更ながらに思い出した。何でも、フランソワ二世戦争が終わって、建国以後一段落ついた頃から毎年やってる、伝統と格式高い行事らしい。
と言うか、そんな以前から学園祭やってるとか、どんな歴史辿ってんだよと思ったそこのあなた。その考えは全くもって正しい。と言うか、開校記念祭と称して、学園成立の三年後に国家予算投じてお祭り騒ぎをやらかしたとか言う記録すら残っているんだから、そう思わない方がおかしい。
まぁ、民俗研究家達にいわせれば、世界でも稀有なお祭り好き国民の帝国人らしいとでも笑いながら言うんだろう。そういえば、初代皇帝が「国が豊かになったら、毎年のように学園祭を」とか言い残したなんて話もあるらしい。流石にそれはありえないけど、それだけ騒ぐのが好きな国民性だという示唆でも含んでるんだろう。
先生が起立を促した。結構久しぶりに感じる声が聞こえる。きりーつ、れい、ありがとーございました!
途端、教室に私語が現れた。随所で、久しぶりね、だの、やっぱり家が一番だよな、だのと言う言葉が交わされる。若干興奮気味に問いただす声と、それに劣らない口調で夏休みの体験を語る奴。まさに、子供の空間だ。野暮な大人は、長年の教師生活でこういった時に静かにしろと口を酸っぱくしていう愚を悟っているらしく何も言ってこない。
さて、じゃあ僕もこの興奮を誰かと分かち合うべきか。と急に思い浮かんだ。レンスキーに……は、一昨日帰ってから暇を持て余していたレンスキーから根掘り葉掘り聞かれて、そもそも話題に上がるようなことはもう残ってなかったな。
ならば、そんな話題を交わせる人間は一人しかいない。僕は、右隣を向いた。
「マフィータは、どうだったの? 長期休暇」
「……いきなりだな」
マフィータは面食らったような反応をした。
「いきなりって……。別に、興味を持ったから話しかけただけだよ」
「……そういうものか」
「そういうものだよ。で……どうだったの?」
日本の夏休み明けにも必ずある、夏休みどうだったという話を今更している自分に少し苦笑を隠さなきゃいけなかったけど、僕はこの猫耳少女にずいと顔を近づけて反応を待った。親しい人間が夏休みに何をしているのかって興味もあったけど、それと同じくらい帝族とやらの夏休みも気になった。
良く考えてみたら、僕はこの国の有名な避暑地とかをあまり知らない。もしかしたら、帝族御用達の観光地とかあるのかも。世界一周旅行とか言う、この技術レベルだとマゼランのそれよりかなりマシという程度の物は観光というより苦行なのだから、どんな事をしているのか、すごく気になる。
帝族が通うようなとこなんだから、さぞかし良いところなんだろうな、と僕は架空の観光地を夢見た。さんさんと振りかかる太陽光、美しい海、豊かな自然――。
うん、是非とものちのち観光業に手を出したときの為に、話を訊いておこう! ……取らぬ狸の皮算用なんて言葉は、この時点での僕の辞書からはすっかり抜け落ちていた。
「……久しぶりにな」
「え?」
そんな事を考えていると、マフィータが口を開いた。お陰で、間抜けな反応をしてしまう。マフィータは途端にムスッとした表情に変わった。本当に、よく表情の変わる子だ。
「お前がきいてきたんだろう? 休みはどうだったかと」
「え、ああ、うん。そうそう」
「……本当に聞きたいのか? そのたいどは」
「聞きたいよ、うん、どんなすごい話が来るのか考えてたら、少し周りの音が聞こえなくなっちゃっただけで」
へそを曲げられても困るから、必死に誤魔化す。
「……どこまでほんとうなのやら」
呆れたように言う彼女だった。まぁ、と言って続きを促すと、マフィータは再び口を開いた。何だかんだで、話してみたくはなっていたらしい。
「本当に久しぶりに、母上や父上、それにエレーヌ姉さま達に会えた。まぁ、クラウス兄さまは獣族辺境域のしょくみんちかんたいに行っていて会えなかったけどな」
「……エレーヌ姉さま? クラウス兄さま?」
聞き慣れない単語に、思わずオウム返しで尋ね返してしまった。父上が当代の皇帝で、母上とやらがその妃というのはすぐにわかったが、いきなりそんな固有名詞で話されても困る。
「おいおい、仮にも第一皇女と第一皇子の名前くらいわかって……って、お前はきぞくでは無かったのだったな」
ああ、と納得したようにマフィータは手を打った。
「……そうか、マフィータが言うって事は、帝族の一員か……」
「それ以外に誰かいると?」
「……いえ」
「……エレーヌ姉さまは、母上が言うには今いちばんつぎの皇帝陛下にふさわしいひとなんだそうだ。むかしは、いつもいっしょに遊んでくれていた。クラウス兄さまは、しかんがっこうをいちばんで卒業したらしくてな。それで、今回は戻ってこれなかったらしい」
そこまで聞いてやっと思い出せた。要は、エレーヌ・ダン・リージョナリアとクラウス・ダン・リージョナリアのことか。そのクラウス兄さまとやらの経歴は詳しくは知らないけど、エレーヌ殿下のほうは、帝都の経済政策を任されたときに官僚に頼らず独力でかなり効果の出る政策を纏めたって聞いたことがある。その功績もあって、非公式ながらに八公家はもう次期皇帝彼女でいいんじゃない?と言う統一見解に達しているとも。
実際、そうと見込んだ八公家やら現皇帝がいろんな事業を押し付けたら、満点とはいかなくても全てを及第点以上でクリアしたとか言う逸材で、商業への造詣も深いから、帝都の商人は、ラグナラ公チャールズの次に慕っているとか言う噂だ。
「へぇ……。でも、第一皇女殿下も忙しいんじゃないの? よく会えたね」
「……文字通り、あっただけだったからな」
なるほど、そらそうだ。
「それに父上もおしごとがいそがしい。結局、長くいたのは母上とだけだった」
「ああ、皇妃さまと……」
僕がそう確認する。けど、予想に反してマフィータは頭を振った。
「いや、母上は妃ではない。そくしつだ」
マフィータは、さらりと言った。
まずった。完全に軽率だった。下手すると、何かコンプレックスみたいなのを抱えてたかも知れないのに。
そんな僕の内心の動揺を見抜かれたらしい。マフィータは、苦笑した。
「……別に、気にするひつようはない。リージョナ族にはよくあることだ」
その口調からは無理しているとか、そんな感情は見いだせない。つまり、本当に何も思ってないわけか。
「まぁ、私のきゅうかはそんなぐあいだ。特にリージョナリア島から出るようじもなかったしな。……さて、クレイリア。今度はお前の話を聞かせてもらうぞ?」
気にしてないなら、謝ったらむしろ機嫌を損ねるだろうし、とどう話を変えるか悩んでいると、マフィータの方からそう尋ねてきた。一瞬だけ気遣われたのかと思ったけど、ランランと目を輝かせるマフィータを見て思いすごしだと気付いた。これは、本気で聞きたがってる目だ。なんというか、かなり期待されているのが感じ取れた。
もちろん、そこまで凄い冒険譚なんて経験しているはずもない。幼児にまで戻ったというだけで混乱していたのに、そんなところでまで異世界なんて感じたくもないのだ。
けど、だからって僕のことを話さなければ、この皇女様は怒るのだろう。気に入られるかは判らないけど、とりあえず話すだけ話してみよう。
僕は、姿勢を正した。つられて、マフィータも姿勢を正す。その様子を見て苦笑しながら、僕は自身の経験を語りだした。
「うん。僕の方は、デニム島に船で戻って――」
「……と、そんな具合さ」
「……つまらん」
期待に応えようとした結果は、この一言で全てが水の泡と帰した。
「つ、つまらんってね……」
「本当につまらないのだからしょうがないだろう」
あんまりだから文句を言おうとしたけど、再びそう断言される。
「もう少し、ぼうけんとかゆめに満ちあふれた休みは過ごせんのか? 海に出たら大きな海竜にそうぐうし、命からがら逃げ延びてきたとか、みかいの島できょだいな生き物に食べられそうになったりとか」
「いやいや、小説じゃあるまいし」
余りに夢見がちな、いや夢想的な休みだ。命が幾つあっても足りやしない。ちなみに、海竜ってのは蛇みたいな巨大生物で、頭についてる角で、悪くすると小舟程度なら一瞬で沈めてしまう。漁師の話によると、「鯨肉よりは美味い」そうだ。地味に、農業に十分な土地のない島では食料供給源として重宝されていたりする。
「ふつう、商人の息子と言えば休みをおしんで海に出て、こうえきのついでにぼうけんするのがあたりまえだろう!」
あんまりな、本当にあんまりな言い草だった。思わずやり返しちゃったのは悪くないはずだ。
「だから何なんだよその範囲が凄まじく狭い当たり前は!」
「うるさい! こっちは休みの間じゅうリージョナリア島から動けんのだ! その大切な友のためにぼうけんの一つや二つ経験してこい!」
「大切な友とやらだったらそんな命令するもんか!」
「じゃあ皇女めいれいだ!」
「皇女命令はよろしいが、二人とも」
突然、横槍が入った。こういう時、もう四、五ヶ月間も結構親しく友人付き合いなんかしてると、無駄に息があってしまったりする。この時も、
「五月蝿い!!」
と、二人して声の主に怒鳴っていた。そして、冷静になった頭で声の主とやらが一体どんな人物か認識して……顔面を蒼白にした。
「……ほぅ。まだまだ休暇気分が抜け切れておりませんな、皇女殿下、それからクレイリア」
心なしか、顔が引くついた。ちらっと横を見てみると、マフィータがじりじりと、しかし確実に後退している。
そのまま時計に目を移した。うん、授業開始時間は、余裕で過ぎているなぁ……。
「廊下に立っていなさい!!」
「は、はいぃ!」
よりによってこういう事に一番小煩い国語科担当教師だった。こうして、僕とマフィータは一年どころか学園で一番初めに廊下に立たされた生徒として、学園の記録――そんな物付けているとは思えないけど――を大幅に塗り替えることに成功する。
「……そもそも、お前がきちんとぼうけんしていればこんなことには」
「そんなに冒険が好きなら自分で経験すればいいじゃないか」
「二人とも、黙れ」
「………………はい」
教室の中から、最大限抑えた笑い声が複数漏れた。マフィータなんかは屈辱的そうな顔をしてるけど、何と言うかまぁ、我がことながら仕方が無いとしか思えなかった。まぁ、自業自得だしね。はぁ……。
そしてもちろん、僕たちは廊下に立っていたので、ふたりで言い争いをしている段階から、後ろで僕たち――主に僕を恨めしそうに見ていた連中が居たことなど、わかるはずが無い。
「いや、すまんなクレイリア」
職員室で僕を出迎えたのは、学園唯一と言っていい巨体と、明らかに肉食系の顔立ち、常人には及びつかない身体能力の持ち主――つまり、グナンゼウ先生だった。
「職員会議が長引いてしまった。うん、すまん」
いえいえ気にしてませんよ、と言う笑顔を顔に張り付けつつも、僕の内心は若干いらついていた。現在の時刻は午後四時。夏休みの宿題回収という大命を仰せつかった僕は、宿題を出すのを渋る一部生徒(主にレンスキーとか、それからレンスキーとか、あとレンスキーとか)から悪徳金融業者のそれの如く宿題を取り立て、『午後三時』と指定された時間に職員室へと進入した。したのだが、職員室はもぬけの殻。唯一残っていた職員のおばさんに訊けば「ああ、今先生方は職員会議中よ」との事だった。
それでも、三十分後には終わるらしいと聞いて、一旦教室に戻る。そして、今度こそと意気込んで職員室に向かうと。
「なんだか、会議が長引いちゃってるみたいでねぇ。悪いけど、いつ終わるのかは分からないわ」
申し訳なさそうにしながら、言われた。
仕方がないからその場で待つことにした。いつ終わるのか分からないんだから仕方がない。
と言うわけで、更に三十分程度待ち、漸くぞろぞろと職員室に戻り始めた教師陣の、そのまた最後尾に居たグナンゼウ先生を見つけて今に至ったと言う次第だ。
「待たせるつもりは無かったんだがな、いや本当に」
絶対に嘘だと言う確信を持ちつつも、僕は先生に宿題を渡した。まぁ、量はそれほどでもない。所詮は初等部一年生だし。
「……なぁ、機嫌直してくれよぉ。職員会議忘れてたのは悪かったからさぁ」
遂に、先生は頭を下げて謝り始めた。小一に頭を下げる大人と言うだけでもおかしいのに、この大人は獣族と来ている。最早、不気味と言っていいレベルだ。
「分かりましたよ……。と言うか、怒ってませんから」
「ホントか!」
目を輝かせて手を取ってきた。訂正する。不気味と言って良いレベルじゃなくて、不気味だ。
「いやぁ、こうやって先生として教壇に立つのは初めてでな。おまけに、お前みたいな子供も初めてだったから」
もしかして、妙に子供らしからぬ行動とかがだろうか、と冷たい汗が背中を流れた。なるべく抑えているつもりだけど、流石に成人男性の思考を捨て去ることも出来ず、結果として中途半端な行動をしてしまってるのは一応解ってはいるのだけど。
しかし、そんな僕の焦りは一瞬で氷解した。
「全く、人族の子供と触れ合ったことがないってのは思っても見ない弱点だった。大学部に十にも満たない子供なんか居ないしな」
グナンゼウ先生は、うんうんと頷いた。ああ、そういうことね……。
「んじゃ、次回は問題集の二十枚目から三十枚目まで。きちんと集めといてくれよ!」
先生はそう言って、職員室へと戻っていった。相変わらず、マイペースと言うか。
一頻り獣族教師の生態を再確認したところで、僕は寮に帰ることにした。正直、職員室って言うのは落ち着かない。中の人はいい歳こいた大人だけど、この辺はどうにもならないらしいかった。
と言うわけで、寮に戻ろうと職員室を出て、すぐにある階段へと向かった時だった。
「おい、きみ」
いきなり呼び止められた。聞き覚えのある声だった。
恐る恐る振り返ってみると……そこにいたのは、友人らしいふたりの少年を側に従えた、クルツ・ベーリング・ダン・リッペポット君だった。心なしか声音がいじめっ子のそれである。
「ちょっと、いま時間あるだろう? ついて来い」
有無を言わさない口調で続ける。それと同時に、小一にしてはガタイが良すぎる友人――と言うよりは子分と言った方が適切か。そもそも、小一では絶対にない――が僕の両脇に素早く入り込んだ。再確認しておくと、転生してから本ばっかり読んでたお陰で、僕の身体は平均的な同年代の子供より少し小さい。
「ん? どうしたんだい? さ、はやく行こうじゃないか」
確認を求めるようなその言葉は、少なくとも僕にとっては無言の脅迫と同じ意味合いしか持ち合わせていなかった。
「さて、クレイリア」
僕が連れてこられたのは、学園の初等部用運動場の奥の方にある、植えられた木々で過ごしやすい木陰がかなりある場所だった。付け加えるなら、職員室や寮と言った教師が見て回るところからはだいぶ離れている。早い話、学園ドラマなんかでの体育館裏の立ち位置に非常に近い。
そんな場所で、木に凭れ掛かるように子分ふたりに肩を掴まれたまま立たされているって言うのは、何と言うか死亡フラグにしか思えなかった。
僕は、素早く思考を巡らせる。なんでこんな事になってるんだ?
正直言って、リッペポット君にこんな事をされる謂れは無かった。と言うか、ロクに話したことさえ無い。僕から見ればただの同級生だったし、向こうから見てもそうである筈だった。
駄目だ。全く理由が思い浮かばない。
もしかしたら、ただボコられて終わるとか言う最悪の可能性――正直、殴りかかられたらこの体格じゃ太刀打ちできない――を思い浮かべて蒼くなる。うわ、小学生にビビるってとか思わないでも無いけど、んな思考ができるのは自分が圧倒的優位にあるからだって事を再認識させられる。
しかし、リッペポット君は僕の顔が蒼くなったのを見て、今までとは全く違う、真剣な表情を浮かべた。その目に被虐の喜びとかは存在しない。彼は続けた。
「ああ、そんなに怖がらないでくれたまえよ。きみがわたしの言うことさえ聞いてくれるのなら、なぐったりはしない」
すると、顎で子分たちに何事かを指示する。途端に、肩に加わっていた圧力が消滅した。子分二人の手が僕から離れて行く。
それを確認したリッペポット君は、少しばかり小さく、囁くように言った。
「……きみは、わがうるわしの皇女殿下とかなりしたしいみたいじゃないか」
リッペポット君は、『皇女殿下』を力強く発音して言った。
「だから、もうわかっていると思うが……、おかわいそうなことに、皇女殿下にはあまりご友人がいないごようすなのだ」
「……うん、それはわかるけど……」
その点については僕も幾度か考えたことがあるから、素直に同意する。でも、それと僕がこんな状態なのは、どんな繋がりがあるんだろうか。
「さて、話はかわるが、皇女殿下はかんがえてみることもひつようないくらいにこうきなごみぶんだ。これも、わかるな?」
リッペポット君は捲し立てるように続けた。
「ひるがえって見てみれば、きみは帝都しゅっしんとは言っても、下町の出。とてもじゃないがつり合わないだろう?」
「……それで、僕にもうマフィータと親しく喋るのはよせって?」
憮然として聞き返した。同時に怒りもこみ上げてくる。子分の存在なんて忘れかけていた。つまり、高慢なだけの貴族のどら息子が出張ってきただけじゃないか。
感情の制御が出来ず、顔に出ていたらしい。慌てるようにして子分ふたりがリッペポット君との間に入り込み、すぐにでも掴みかかれる位置へ移動する。
だけど、リッペポット君は二人にどくように言った。子分ふたりは顔を見合わせたけど、すぐに先程までの位置に戻る。
「いや、すまない。まぁ、きみが言ったことはわたしがお願いしたいことではあるが、すこし理由がちがう」
「――理由が違うって?」
幾分闘気を抑えて訊く。すると、彼は心得たとばかりに話しだした。
「かんがえても見たまえ。今までの帝族のかたがたは、学園におられたときどんなじょうたいだったか。いつもわたしのようにこうきな貴族や、徳のあるとうたわれたひとといっしょであったそうだ」
そこまで話した後、急に声を張り上げた。
「だが、第四皇女殿下はどうだ!? あろうことか、こんなみぶんの低いものと付き合って、更になまえを呼ぶことまでおゆるしになっている」
「だったら?」
「……おや、これはおどろいた。皇女殿下のいちばん近くにいるきみがこんなうわさを知らないなんて」
「うわさ?」
何の話だ? リッペポット君は、ため息をついた。
「……『第四皇女殿下は、帝族史上屈指の変人』といううわさだ」
思わず、はぁ!?と怒鳴りかけた。何処のどいつだ、そんな馬鹿馬鹿しい噂を流してる奴は! そこまで考えて、唐突にだいぶ前、それこそあった当日かその二三日後にレンスキーから聞いた事を思い出した。
『……おまえさ、皇女殿下呼び捨てにするやつがめずらしいって言ったんだから気付けよな。いいな、帝族の、皇帝陛下かそのご家族以外で帝族を呼び捨てにする立場にお前はなっちまったんだぞ? そんなの、よほど親しい大貴族でも居ないんだ。それが、おまえはどうだ?』
そうだ、確かそんな事を言っていた。確かに、『よほど親しい大貴族』ですら許されない事を堂々とされている。
前例にないことだ。『前例至上主義だ? 馬鹿め』って日本人時代なら思ってただろう。でも、ここは常識以前に世界が、そして進んでいる文明の度合いが違いすぎる。とてもじゃないけど、そんな事は言えない。
つまり、こんな馬鹿げた、本当に馬鹿げた噂が広く蔓延ってしまうのも、当然予想しなければならなかったはずだったのに。
「うんうん、きみの気持ちもわかる。そんなふけいなことを言うやからに怒りが込み上げてくるなんて、きみもりっぱな帝国臣民だ」
リッペポット君は的はずれなことを言った。
「だが、このうわさのもつちからも分からないのだろう?」
「力って?」
もう、会話の主導権は完全に握られっぱなしだった。
「やっぱり分からないか。うん、教えてあげよう。いいか? このうわさで、ほんらいならごがくゆうとして共にあるべきものたちが、殿下をさけているのだ。『変人皇女には関わるな、後でどんな面倒に巻き込まれても知らないぞ?』ってね」
彼は、話しながら天を仰いだ。
「かわいそうな殿下! これでは、できる友人も出来ないはずだよ。じっさい、わたしもついこないだまではそう思っていた。だが、わたしは気付いたのだ。ただきみと言う存在が親しくいるせいで、皆が殿下をさけているということに!」
愕然とした。まさか、それが理由だったなんて。
今まで、原因究明と称して暇な時間に何度か考えたけど、はっきりとした理由は分からなかった。だけど、これで納得出来た。要するに、その噂と言う最大の要因を知らなかったからだ。そして、そうなのであれば、対応は簡単だ。つまり。
「……元凶の僕がマフィータに近づかなければ、そんな噂もすぐ消えるってこと?」
「しつれいなのをわかって言うと、そうなってしまうね」
リッペポット君は、「だが」と胸を叩きながら前置きして続けた。
「もしそうすれば、わたしもうわさに巻き込まれないからね。すぐにでも皇女殿下の御心を安んじたてまつろうじゃないか。何、そうすれば、そのようなうわさなんかすぐに忘れ去られるさ。そして、殿下はわたしの友人を始めとしたたくさんの人々に慕われ、好かれ、そして楽しく学園せいかつをおくったあとにそつぎょうなさることだろう」
そういった後、リッペポット君は黙った。もちろん、僕の返答を待つために。
どうする? 一体どうするべきなんだ? 自問しかけて、薄く笑った。何を考えてるんだ。マフィータが潜在的に友人を求めている。そんな事、分かりきっていた筈なのに。
それに、もう僕はその問に対しての答えを出しているじゃないか。
「……マフィータ、いや皇女殿下のこと、よろしく頼むよ」
思っていたより、遥かに落ち着いた声で僕はそう言った。
「解ってくれてありがたい。きみも、あんなうわささえなければいい奴だというのに」
彼は、気障ったらしく笑った。
「皇女殿下のことは任せたまえ。きみがすうこうなぎせいをはらってくれたんだ。ぜったいに、たくさんの友人を作れるようにしてみせるよ」
学園の人の流れは、大抵毎日同じだ。
例えば、朝のHR前には寮生がそこら中を動き回っているし、昼休みはてんでバラバラな動き方だけど、授業が終了すれば殆んどの奴が一目散に寮へと戻る。
そして、陽が傾き始めたこの時間。時刻は午後六時頃は、全ての人間の動きが一致する。人間の三大欲求の内の一つを満たすために。
「Bランチお願いします」
「あいよ」
有り体に言えば、いつもどおりの込み具合だった。取り敢えず、早く座る場所を確保しよう。
手馴れた手つきで素早く準備されたそれを受け取り、スープを零さないようにしながら席を探す。食堂が開いてからまだ十分も経っていないのに、配膳棚近辺の席はあらかた人で埋まっていた。
仕方が無いので、奥の方に視線を向けた時だった。
「クレイリア!」
マフィータだった。何やら楽しげに手すら振っている。
「席ならあいているぞ。ここの辺りが」
言った通り、何時ものようにマフィータの周囲はスッカスカだった。まぁ、と言ってもマフィータを中心に三四人分の空席が輪を描いたみたいにあるだけだったけど。
だけど、その空白地帯を見てむしろ僕の決心は硬くなった。変な噂で友達できないんなら、やっぱりここはそっと距離を置くべきだろう。本当の小一ならともかく、こちとら三十近いんだ。そのくらいの分別はついてしかるべきだ。
素早く辺りを見回す。確か、何時もあの辺にレンスキーがいたはず……。
と、案の定何かこだわりがあるのか、何時もと同じ空席帯から二席ほど離れたところに座っているレンスキーをすぐに見つけられた。他に人は……居ないな。
「ごめん、今日はレンスキーと食べるよ」
言いながら、突然の指名にギョッとするレンスキーの方へ歩み寄っていく。
「え? ……あ、ああ。わかった」
一瞬普段のイメージとは全く似つかない声を漏らしたのが気になったけど、とにかく了承は得た。
「あの、皇女殿下。もしよろしければ、わたしといっしょに食事でもいかがでしょうか?」
後ろから、格好を付けた声が聞こえてきた。リッペポット君だった。どうやら合わせて行動してくれたらしい。
これで、少しずつでも友人関係が出来上がってくれよ。切に思う。何だかんだでマフィータは根はいい奴なのだ。これで良いはずだ。
何か思考に親父っぽいものが混ざっていた気もするけど気にしない。そのまま、レンスキーの横の席に座った。
「……なぁ、クレイリア」
「何だい?」
「何か、悪いものでもくったのか?」
開口一番がそれですか、レンスキー君や。
「いや、何でそうなるんだよ」
「……あの帝族とか貴族とかかんけいねぇっていきおいだったおまえが、殿下のさそいを断るなんて、そう思うしかねぇだろ」
レンスキーは真に心配してくれていたのかも知れない。でも、僕の脳みそは言葉の中からわざわざ刺のある言葉だけを選別し、曲解して処理していた。
やっぱり、凝り固まった思考の立ち向かうみたいな事をしたのがそもそもの間違いだったんだ。適度に流されることも大事。何でもかんでも批判するのは容易いことだけど、じゃあ今までと正反対の事をしてみたって結局は大差ない。正直言って、前世で経験すべきだったことを今経験したような気がすごくした。
「まぁ、……色々あってね」
変な噂が立ってるらしいから、と正直に言おうかとも思ったけど、こいつに言ったって意味のないことだ。それよりだったら、援護でもしておくのが妥当かな。
「……レンスキー、少なくともマフィータは帝族って事を考えなきゃ凄く付き合いやすいよ」
「だーかーら、帝族ってことを考えないのがむずかしいんだって。って言うか、いきなりなんなんだよ」
「いや、ちょっとお節介をね」
「おせっかい?」
レンスキーは首をかしげた。
あとがき
どうも、作者です。連日の酷暑で、盆地住民としてはほんとに死にそうです。……パソコンが。
最近、熱のせいなのかそれとも接続機器がいかれたのか、ネットへの接続が遅いの何の。……とりあえず、他のアプリケーションまで変にならないように、祈るばかりです。
そして、今回の話ですが、ようやく、ようやく学園編でメインの一つに分類していたイベントに辿りつけました! うん、日常編なんて冒険しなければ、もう少し早く辿りつけていたかもというのは禁句です。
ともかく、作者のモチベーションも上がり調子。夏休みの宿題という存在を加味しなければ、すぐにでも続きを上げられそうです。……宿題………。
では、コメント返しです。
>>ハロ氏
「帝国暦~~年」などという表記がない場合、それは最も最近出てきた「帝国暦~~年」と同じ年だと判断していただければありがたいです。年が変わった場合は、きちんと何暦何年と明記するつもりですので。説明不足ですみませんでした。
>>you氏
厳しいご意見、本当にありがとうございます。どうも、やはり判断基準が作者一人だけだとすぐに妥協してしまうようです。
なのですが、秋津皇国の話はまた少し後に出てくると思います。話が飛び過ぎと言われた直後からこれで本当に申し訳ありませんが、なんというかあそこまで引っ張ってしまった手前、どうしてもそこだけは書いておかないと気が済まなくなってしまっていまして……。作者の勝手ですみませんが、なるべく後々に全部つなげられるように努力します。内容の方は、なんとか濃くなってはいると思うのですが……。
最後に、結局また更新遅れてすみませんでした。挙句、これを上げる直前に前回更新分をすっかり表記し忘れているのにも気づき、軽く自己嫌悪に陥ってます。こんな小説ですが、今後も見捨てないで見てやってください。ではでは。