らるふときゅるけのぼうけん 2
ラルフたちが来た側とは建物を挟んで反対側に、その厩舎らしき構造物はあった。脇にはちょっとした泉が湧き出ており、どうやらこれがギヨームがこの場所を住処に選んだ理由らしい。
「けっこうな作りだな」とラルフは呟く。
建物全体が一体となっていて、その一部が厩舎として埋め込まれている。雑ではあるが構造自体はきちんとしていて、それなりの力量のメイジでなければ作れないものだ。少なくとも土のライン以上、おそらくはトライアングル以上の使い手でなければここまでの建物を作ることはできまい。
その厩舎に、キメラが一頭だけうずくまっている。
「小さいわね? 子ども?」
「違います、これで成体です。グリフォンのような姿をしていても、グリフォンではなくキメラなのです。獅子と風竜、鷲のキメラですが、基本的には元となった獅子の大きさなのです」
グリフォンを模したキメラの大きさは、翼をのぞけば馬より一回り大きく感じる程度。騎乗用に使われるグリフォンと比べればやや小さい。
しかし小さいとはいえ、やはりこのキメラ・グリフォンも高い領域で完成した生き物だった。鋭いくちばしを持つ頭部と、猛禽の爪は鷲のもの。みっちりと筋肉の詰まったばねのありそうな肉体は獅子のもの。そして体表を覆う鱗とみごとな翼は竜のものだった。全身を覆う鱗と翼の印象が強く、グリフォンというより新種の竜のように見える。ひとたび飛び立てば普通のグリフォンなどよりよほど速く飛びそうだ。
「まるで風竜の子どもね。でも、すごく速そう」
「実際、風竜並みに速いですよ。乗ってみますか?」
「いいの!?」
ギヨームの言葉に、キュルケはぱぁっと顔を明るくする。
「構いません。このキメラだけはきちんと……いや、我流ですのであまりたいそうなことは言えませんが、それなりに訓練をして騎乗もできるようにしてあります」
「それじゃあ、ぜひお願いしたいわ」
「かしこまりました」
キュルケは目をきらきらさせながらラルフへ向き直った。
「あたしが先でいい? それとも一緒に乗れるかしら?」
「一緒にならいいけど……。僕はいい。幻獣はあまり得意じゃないし」
ラルフは幻獣や馬を操ることを苦手としている。マテウス家にあまり騎乗用の幻獣がいなかったことと、動物にあまり好かれないのが理由である。キュルケの操る火竜にともに騎乗することはあるが、一人ではたぶん乗れない。本人も苦手意識がある。
「残念ですが、一人ずつしか乗れないでしょう。力はあるのですが、やはり体が小さいので。二人乗り用の鞍などもありませんし」
騎乗の道具を用意しながらギヨームが言う。体の小さなキメラ・グリフォンには普通の馬具を改造したらしきものが用意されていた。竜のように背にのんびり乗ることはできない。鞍や鐙がなければ振り落とされるだろう。
「そっか。それじゃ悪いけど、私だけね」
別にいい、と答えてラルフは再びキメラに目をやった。キメラ・グリフォンは、騎乗用の装備を整えてさらに勇壮な姿となっている。
「準備ができました。行きましょう」
手綱をとってギヨームがキメラを引き連れ、キュルケがそれに続く。キメラの後ろ姿を眺めながら、ラルフはこのギヨームという男が何を考えて日々を過ごしているのかを想像した。
魔法生物の研究に関してはなかなか大したものがある。しかしそれを世に出すことなく、ひたすら一人で森の中で過ごす。生計は立つのだろうか? たまにはこのキメラに乗って人里へ出るのか。土のメイジならば需要はそれなりにあるし、金銭を得るにはそう困らないだろう。
キュルケがグリフォンで遊んでいる間にいくつか訊いてみよう、と考えてから、ラルフは一つの事に思い当たる。
――そういえば、寂しくは、ないのか。
割とすぐに思いつくべき疑問に、ラルフはふと内心で自嘲的に笑った。
人間寂しい時だってあるに違いない。というか、ある。自分のような人間でさえあった。だが、だからといって何か行動するかというとそういうわけではないだろう。それはラルフも同じだった。
キュルケがグリフォンにまたがり、キメラが竜の翼を広げて空へと舞い上がる。力強い翼を備えた幻獣は風竜の速度で空を駆け上り、小柄な体を利した半径の小さな旋回をした。キュルケは手綱を引いてぐんぐん上昇していく。ラルフからはもうよく見えないが、きっと小さな歓声を上げながら目を輝かせ、上だけを見て手綱をとっているだろう。手をかざし、細めた目にもその様子ははっきりと映る気がした。
少し離れると、ラルフにはキュルケの輝きが目に痛いのだった。普段そばにいるときはそうでもないのだが、ひとたび距離をとって眺めると彼は自分とキュルケのありようの違いを意識することが多く、それが彼の心を落ち込ませる。
一途に上を見て、強い輝きを放ちながら駆けのぼっていくキュルケ。離れていくのに、その輝きは増していく。それに対し、どこを見れば良いのかも分からず、どこへゆくべきかも分からず、振り返り振り返りしながらさまよう自分。ラルフの中でそんな対比ができあがっていて、彼はそれを思う度にみじめな気分になるのだった。
「そういえば……」
ラルフが考えをやめ、ギヨームと何か話そうと考えかけたとき、先にギヨームが口を開いた。
「はい?」
「お嬢様は、今日はどうしてこちらへ?」
「ああ……いつものことですよ。その日の気分で城を抜け出して探検に出かけるんです。
今日はなんだったかな……たしか、この森に不思議な屋敷があるとかいう噂を聞いていたから行ってみようとか、そんな感じで。ただの子供の噂か遊びの話だったようですけど、結果的にはその通りでしたね。大抵は何か野獣でも出てくるまで歩きまわることになるんですが」
お嬢様、という言葉になにか違和感を感じたラルフだが、もっともな疑問であったため苦笑いで答える。
「それは……、大変なですな、はは」
「ええ、苦労してます」
苦笑するギヨームに、ラルフもそう悪くない気持ちになった。
「ではお城でも把握されていないのですか? どこへ行ったかご心配されているとか」
「さあ……」
わからない、と答えかけてラルフは違和感の原因に気づいた。ラルフはギヨームへの不信感と警戒から名乗らなかった。それに、普段はたいていキュルケがラルフの名前まで言ってしまうのだ。それが今日はなかった。そして、服装は森や廃墟を歩くためにそれなりのものを着ている。キュルケはそんなことは気にせずいつもの服装で出かけるが、ラルフはそうではない。
つまり、自分がキュルケのおつきの従者だと思われているのだ、と気づいてラルフは思わず失笑しかけた。
「くっ。……いや、まあ、心配はされているのですけどね。半ばあきらめもあるんじゃないですか。一応僕もついていますし」
ラルフはあえて否定せず、どうせツェルプストー家所属騎士の家の子どもだとでも思われているのだろう、という推論からそれらしい返事をすることにした。
「……? なるほど。というと、もう何か修めているのですね。その年で立派だ。剣術のようなものですか?」
ギヨームはラルフの長い棒状の杖を少し珍しそうに見た。
「ええまあ。それほどのものではないんですが、一応は」
ラルフは澄ました顔を作って受け答えを続ける。
彼はまだ、それほどこのギヨームという男を信用しているわけではなかった。なんといっても最初の印象が悪い。研究者としての成果は賞賛に値するが、わざわざ名を明かす必要はないと考えていた。
「……今日のことなのですが、ツェルプストー伯爵の耳に入るようなことはあるのでしょうか? 私としてはなるべくご容赦願いたいのですが」
これはラルフにはなんとも答えにくい。ラルフとしてはこのまま忘れても構わないつもりではあったが、キュルケがどうするかは予想がつかなかった。
「僕にはなんとも言えませんね。彼女次第です」
そう言って見上げると、グリフォンは相変わらず上空で旋回していた。ひょっとすれば降りてくればキメラの一頭でももらって帰ると駄々をこねるかも知れない。
「そうですか……」
ギヨームは少し不満げな顔になったが、それほど気にするでもない様子で話を続けた。
「――そういえば、幻獣が苦手で?」
「ええ、まあ。僕はあまり幻獣に騎乗するような機会も多くありませんでしたから」
「馬は?」
「まあ、不自由しない程度には」
実際のところ馬もまったく得意ではないのだが、ラルフは多少の見栄をはった。
幻獣はものによって違うが、基本的に馬のような騎乗動物は騎乗者の精神性のようなものに敏感である。騎乗者が自信のない手つきであったりすれば、それは馬にも伝播する。技術自体はそれほどまずいものではないのだが、ラルフはこの点で非常に悪い騎乗者だった。馬との折り合いが決定的に合わない。強者に従う幻獣には力で従えるという方法もあるが、これは本人にやる気が無い。
「……もう一頭、キメラのヒポグリフがいるのですが、乗ってみませんか?」
結構です、とラルフが答える前にギヨームは言葉をついだ。
「ちょっと特別なものなのです。幻獣の騎乗が苦手だというかたにも、必ず乗りこなせると思います」
「……へえ」
キメラのヒポグリフを見てみたいという気持ちはラルフにもあった。どうせ騎乗はうまくいかないだろうが、見るだけならという気分になる。
「まあ、少し見てみたいですね」
「たぶん気に入ると思いますよ。連れてまいります」
そう言うと、少し表情を変えてギヨームは建物へ向かう。
残ったラルフが見上げると、キュルケは上空でかなりアクロバティックな飛行を見せていた。急降下、急上昇に急旋回。マントを翻して曲芸を繰り返しながら、次第にこちらから離れていく。見たいような見たくないような、複雑な気分で《遠見》を使ってみれば、予想通りの眩しいほど晴れやかな笑顔が見えて、ラルフは顔をしかめた。
そうしているうちにギヨームが戻った。連れてこられたヒポグリフを見て、ラルフは目を丸くする。
「キメラ? このヒポグリフが?」
「ええ」
ギヨームはそう短く首肯したが、ラルフが驚くのも無理はなかった。連れてこられたヒポグリフは先ほどのキメラ・グリフォンとは違い、牝馬の体に鷲の上半身を持つ、ごく普通のヒポグリフにしか見えないのだ。小柄であるという点以外には、自然に生まれたものとの違いは感じられない。つまりそれだけ高い完成度をもつということでもあるのだが、
「……わざわざ本物そっくりなキメラを作ったということですか」
「まあ、そんなところです。どうぞ、乗ってみて下さい」
「いや……」
馬装は済んでいて、あとは跨るだけという状態になっているが、ラルフはごくふつうに見えるヒポグリフに乗ろうとは思わなかった。
しかし――くおん、と小さくヒポグリフが啼き、だらりと垂らされていた手綱を揺すぶってこちらへやり、更にそれをくわえて「さあ」と言わんばかりにラルフの方へ向き直るのを見て、彼は驚きで小さく声を上げた。
「いかがです?」
真面目くさった表情でギヨームが問うが、ラルフは返事ができなかった。たった今ヒポグリフが見せた動きは、よく仕込まれているという次元を超えたものがある。仕込めば同じことをできる動物はいるだろうが、何かが違う――しいていうならば、もはや人間臭いというのに近かった。
「この……ヒポグリフは、このように、――なんというか、人間がどうして欲しいのか、どうすれば乗り手が気持ちよく騎乗できるかという――そうですね、気遣いのようなものまでできるのです」
「はあ……」
なんとか説明しようとするギヨームもうまく言い表せない様子だった。ラルフは乗ってみたい気分になりかけたが、なんとなくキュルケがグリフォンを駆っているそばでは乗りたくない。空を仰ぐと、キュルケのグリフォンはかなり遠くを飛んでいた。
「乗ってみるか……」
「ええ、どうぞ」
ラルフが近づき、手綱に手を伸ばすとヒポグリフはくわえていた手綱を手のひらへ乗せ、姿勢を低くして乗りやすいように構える。改めて驚き、鐙に足をかけながらラルフは質問した。
「この賢いのも、キメラだから? つまり、頭だけ別物だとか」
「そうですね……これに関しては――キメラだからというより――そう、魔法です」
「そんな魔法が?」
知能を上げる魔法など到底ありえない。
「いろいろと複雑な方法なのです。――杖を預かりましょうか?」
「え? ああいや、結構です」
馬ほどの大きさしかないヒポグリフの上では、ラルフの杖はなかなか邪魔な代物である。持ち方によっては翼に引っ掛けかねないが、彼は手放す気はなかった。それに、万が一落馬でもしたらたまらない。
キュルケが戻るまで待ってから出るかどうかを少し迷ったが、それほど長いこと乗るつもりもなかったのでラルフはすぐに飛び立つことにして、キメラの背にまたがった。
「それじゃ、」
言いかけて手綱を引こうとするだけで、キメラはバサリと翼を広げ、重心を低くして地を蹴る瞬間に備えた。
「すごすぎるだろ……」
「お楽しみを」
ギヨームがそう言うと同時に、ヒポグリフは大きく羽ばたき、地を離れた。
驚きさめやらぬままに、ラルフは手綱をとる。小柄な体に似合わず力強い羽ばたきでキメラは空へと舞い上がった。見渡せば、キュルケはまだかなり離れたところを舞っている。しばらくはなるべくキュルケを視界に入れたくなかったラルフは、一瞥して逆の方向へ進路をとった。
ヒポグリフはラルフがわずかに手綱を操る気配を見せるだけで彼の意に従う。
「どうなってんだ、お前は……?」
答えるはずがないとわかっていても、彼の口からは疑問の言葉が漏れる。ほとんど何もせずとも自分から乗り手との折り合いをつけ、手綱を操る前にその気配を察して要求を満たす。それだけでなく、背に乗ったラルフを気遣うようなそぶりさえあった。ここまで完璧すぎる騎乗獣としての働きなど、伝説とされる韻竜でも不可能に違いない。
当たり前だがラルフの言葉にキメラは何も答えず、代わりにくおおおぉん……と声を上げてさらに力強く羽ばたいた。
なめらかに景色が流れ、風がラルフの頬を打った。一瞬速度を落とし、ヒポグリフはちらりと背のラルフをうかがう。「大丈夫か?」という言葉をかけられたような気がして、ラルフは思わず「ああ、大丈夫だ」と口にした。
もう一度くおおぉん、と啼き、ヒポグリフは全力で加速にかかった。ラルフは小さく《風》のルーンを唱え、追い風を呼ぶ。その風に乗り、さらにその追い風よりも速くヒポグリフは飛んだ。前方から再び強い風が顔を叩く。ラルフは基本に従ってぐっと足で馬体を挟み、体をやや前傾させた。
景色が後方へすっ飛んでいく。全身で風を受け、風を切り裂いて空を駆ける。大気が圧力を増し、空が前方へ収束していく。
「……ははっ」
気がつけばラルフは笑っていた。
「ははっ! 最高だ、お前!」
硬い羽毛をなぜると、模造の幻獣は天に向かって長く啼いた。ラルフは知らないが……彼女の心もまた、空を駆け、乗り手の賞賛を受けて歓喜にうち震えていたのだった。
急速に遠ざかっていく少年を見送り、ギヨームは小さく息をついた。
ギヨーム・ド・ブラントーム――現在はただのギヨームだが――という男は、本来人嫌いな性質である。ちょっと二人の少年少女と話をしただけではあるが、彼の孤独な日常からすれば十分に喋りすぎであり、少し疲れを感じる。
はじめは、ここまで色々としてやるつもりはなかった。
まして、あのヒポグリフを出してやるつもりなど全くなかった。しかし、あの二人の子供の態度――快活そうな少女は子どもらしい純粋な好奇心と驚きで目をきらめかせ、大人びた少年は自分に対する警戒心を解かないながら、それとは別のものとして自分を高く評価していた――そんな二人を見て、つい気を良くしてしまった。
彼は賞賛というものに飢えていた。
ガリアの子爵家の三男に生まれ、親から受け継ぐ爵位などは望むべくもなく、貴族としての未来は明るいものではなかった。メイジとしての才もそれほど恵まれたものではない。それでも魔法学院時代には学業で優秀な成績を修めていたし、その後アカデミーに入った頃の彼は気鋭の若者だった。誰が認めなくとも、自分は優秀な人間なのだという自負があった。
魔法大国ガリアのアカデミーは競争の厳しい場所でもある。どの部署もより多くの予算を得るべく努力しており、またそこで働くものにはより多くの努力を要求する。そんな中でも、生来の几帳面で勤勉な性質でギヨームは粛々と与えられた仕事をこなし、その脇でほそぼそと、しかしじっくりと自分の研究の構想を練り続けた。
ギヨームが魔法学院時代から温めていた合成獣研究の草案とサンプルを上司に示したとき、その案は見事に採用された。しかし、その時からその研究は彼のものではなくなった。自分の目標としたものと要求されるものの違いに憤り、手を止めた時がケチのつき始め。次第に厄介者扱いされはじめ、彼の居場所はなくなっていった。彼がアカデミーを離れるときには、彼の研究の正しさを認めてくれるものはほとんどいなかった。彼に同情するものすら少数というありさまだった。
数年後、合成獣研究は失敗し、研究所はファンガスの森ごと閉鎖となった。何があったのかは知らないが、どうせあのままふくらませた挙句に破綻したのだろう。ざまあみろと思ったが、後に元の仲間から自分の名前も責任者の一人として挙がっていることを知る。かくしてギヨームは国を捨てた。
トリステインを経由し、ガリアからすれば仮想敵国とも言えるゲルマニアへやってきたのは、そんな祖国への復讐心があったからだ。しかし、彼はその気持ちを燃え立たせるにはもう疲れすぎていたし、――なにより情熱を失っていた。
そんなものより、彼は認められたかった。賞賛を受けたかったのだ。
今となってはそれも諦めているし、二度と表へ出ていくつもりはない。この森を終の住処にするという気持ちは、数年前から変わってはいない。さきほどは適当なことを言ってしまったが、彼は決して貴族や国家に仕えるつもりはなかった。
ざわざわと風が森の木々を揺すぶる。見上げれば、竜の鱗を持つキメラの腹が見えた。
一通り遊び終えたキュルケは実に満足しており、興奮冷めやらずといった様子でギヨームに賛辞を送った。
「ほんとうに素晴らしかったわ! あんなに面白い飛び方ができるなんて! それに、すごく速いし。こんな幻獣は初めて!」
「それならばよかった」
実際、キメラ・グリフォンは素晴らしい性能の幻獣である。最も速く飛ぶ竜である風竜に迫る速度をもち、小柄で、ネコ科のしなやかさをもつ体は風竜にはない旋回性能を備えている。乗る楽しみという点ではグリフォン、風竜、どちらよりも二回りほどは上と言えるだろう。先ほどまでキュルケがやっていたようなアクロバティックな飛行というのは、どちらにも不可能である。
名残惜しげにキメラを眺めるキュルケに、ギヨームは少しばかり気後れしながらも口を開いた。
「ミス……フラウ・ツェルプストー。私がここに住んでいることなのですが」
「なに? ……あ、そういえばラルフは?」
キュルケはマイペースにギヨームの話を流した。
「お連れの方なら、今は私のヒポグリフに乗っておいでです。見えませんでしたか?」
「ああ……あれ、ラルフだったの。すごく遠かったから分からなかったわ。ちゃんと乗れてるのかしら? あの子ったら、何に乗っても下手くそなのよねえ」
そんなに遠くへ行っただろうか、と見上げれば、ラルフのヒポグリフは確かにかなり離れたところを飛んでいた。キュルケが戻るのを見てか、こちらへ戻って来ている。
「大丈夫でしょう。そういう点では最高のヒポグリフだと思いますので」
「ふうん。それで?」
鷹揚に促すキュルケに、決然とギヨームは言う。
「私がここで暮らしていることは、決してどなたへも伝えないでいただきたい。もちろん、ツェルプストー伯爵にもです。
私は、もうここで一生を終えようと思っています。どうか、今日のことは忘れていただきたいのです」
「そう? 勿体無いと思うけど……まあ、かまわないわよ」
あっさりと要望を飲んだキュルケは、だけど、と続け、
「だけど、あたしこの子が気に入っちゃったわ。どうにかしていただきたいわ」
笑顔でそう言ってのけた。無論「どうにかしていただきたい」とは「私によこせ」の意味である。キュルケが普段からこういう態度を取っていることを知らないギヨームにも、十分に意味は伝わった。
ギヨームは頭が痛くなった。無理に決まっている。大体、こんな明らかに自然には存在しないような幻獣を連れ帰ったら、かなりの騒ぎになるだろう。その出自も詮索されるに決まっている。
「それは無理です。そんなものを連れ帰ったら、私のことが漏れてしまう」
「ええー」
キュルケ自身それくらいのことは分かっているのだが、だからといってその事情を考慮してやる必要は彼女にはない。
「じゃあ、ラルフが乗ってるって言うヒポグリフは? そっちもこの子みたいな感じなの?」
「あれは……」
あのヒポグリフは、確かに普通のヒポグリフのような外見をしている。しかし、決して渡せない。
「あれも、お納めできません」
「そう……。じゃあ、『どうにかしてもらう』のはやめて、自分で『どうにかする』ことにするわ」
そう言い、キュルケは嗜虐的な笑顔でマントの下の杖に手を伸ばした。
あまりの横暴にギヨームは呆れながら、話の分かりそうな少年が飛んでいる方へちらりと目をやる。先ほどまでは点だったが、今はシルエットが分かる程度には近づいていた。
「言っとくけど、ラルフは私の味方よ」
ギヨームの視線を追って、キュルケはにやっと笑った。ラルフはキュルケの横暴には完全に目をつぶる。それどころか、余計な被害を出さないために自分から手を貸すことも、たまにだがある。ギヨームがラルフに説得などを期待しているのなら、それは無理な相談というものだ。
「……そうですか」
この少女はどうやらいつもこうらしい、ということにギヨームは今更気付いた。気付くのが遅すぎたとも言える。決して話さないと誓うなら、と考えていたが、そうも行きそうにない。
一人でいてもこれほどの自身を持っているからには、この領主の娘は年の割にはかなりの力を持っているのだろう。恐らくは《ライン》。先ほどまではもう一人の少年の方が力があるのかと思っていたが、案外そうでもないらしい。だが、争うのを見れば、あの少年も敵に回る。
欲しいものを奪わせない。傷つけるわけにも行かない。二人のそれなりに力を持つと思われるメイジ。無事に返して、それでいて何も話させない。
それができるという自信は、それほどではないがある。どこか投げやりな気分で、ギヨームは杖をとった。
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どうしよう、キュルケが予想以上に悪い子になっちゃった。
そしてスーパーローテンション設定の主人公がヒャッハー。
自転車に乗れるようになって間もない小学生の頃、長い下り坂を駆け下りるときの、あの気持ち。それか、初めて原付やバイクに乗ったとき。あの瞬間に全身で受ける風は、どんな無感動な人間の心も震わせると思うんですがねー。もっとうまく書けないもんか。