父の影響もあってか、風のメイジとしてやっていくことを内心決めた。
『火』の系統も『風』と同様に得意だが、『火』の魔法の本領とされる『破壊』や『焼き尽くす』といったイメージが、自分には合わないのだ。
こういう消極的な選択が自分らしいなと苦笑する。だが、今後を考えれば間違った選択ではないだろう。
『自分は風のメイジだ』という自覚を持って魔法の練習を始めると、しばらくしてどうも風のメイジらしく音に敏感になってきたのが自覚できた。
そして、夜、ベッドに入って静かな屋敷の物音に耳を澄ますのがちょっとした楽しみになった。
ふくろうの鳴き声、狼の遠吠えといった夜の物音が、耳を澄ますと以前よりはっきりと聞こえるのだ。
『彼』だった頃も今も、夜の葉擦れの音は、自分が一番好きな音。夜の森の葉の色は、自分が一番好きな色だ。
夜という時間には不思議な魅力がある。
が、問題もあった。数日に一度、両親がお盛んなのが聞こえて来るのだ。主に母の声が。最初の内は狼の遠吠えだなどと思っていたのだが、耳が良くなるにしたがってその出所がはっきりした。夫婦の寝室。ヒステリーでも、喧嘩でもない。……嬌声。
母はどうも大きな声が出てしまう人らしい。意外な一面だったが、どう対処したものか困る。最初から意識していなければいいのだが、一度聞こえてしまうと無視するのが難しいのだ。聞くまいと思うほどに意識がそちらへ向く。
世の風メイジの子供達はいったいどうしているのだろうか。疑問に思わざるを得ない。
そして、時にはあろうことか寝室以外からも嬌声が聞こえて来ることがあるのだ。屋敷の使用人たちである。
ふざけるなといいたいが、彼らだって人間だ。大人の度量で許してあげたい。
が、自分だって最近肉体的な成長が著しい。意味もなく高ぶってしまうことがあるのだ。あったなこんなこと……といった感じではあるが、正直困る。
夢のほころび
朝食後。
「ゆうべは おたのしみ でしたね」
言ってやった。言ってしまった。昨夜寝つきが悪くて寝覚めが悪く、イライラしていたのだ。
「な……」
父絶句。ふふん、俺の睡眠時間を削ってくれた礼だ。もういっぺん言ってやる。
「ゆうべは おたのしみ でしたね」
「あー、うん、その、すまない……」
どこでそんな言葉を、などとぶつぶつ呟いているが、知ったこっちゃないね。
「あーその、だな。ラルフ……」
「なんですか?」
言い過ぎたかしら。さすがにちょっと下世話過ぎたか。
「ちょっと話がある。ミンナ! ラルフに話がある、君も一緒に」
……しまった、やりすぎたか。性教育でもされちゃうのか?
「んな……」
半年後に弟か妹が出来る、だとお。お盛んなのは知っていたが、安定期か。今安定期だったのか。
「弟と妹、どっちがいい?」
母、ミンナがニコニコして聞いて来る。まあ、まだこの人はぎりぎり30前だし、高齢出産というほどでもないか。
穏やかでにこやか、かつ美人というこの上玉を父はなんとしても逃がしたくなかったらしく、母の魔法学校卒業と同時にひっさらうようにして結婚したらしい。中々抜け目がない。
んーしかし、弟、妹ねえ。弟のほうが気が楽でいいが・・・将来を考えれば妹だよな。弟が生まれても爵位継げないし。領地も分け与えるほどの規模ではない。この国で宮廷の法衣貴族というのも辛かろう。といって、領地で俺の下につくというのもなんだかかわいそうな気がする。といって荘園を与えるというのもあまりにあれだ。そこをいくと、妹ならどこかへ嫁いで終了だ。
「妹、ですかね。よくわかりませんが」
「水のメイジによれば、女の子の可能性が高いそうだぞ。よかったじゃないか」
おいおい、水のメイジはそんなことまで分かるのか。ちょっと怖いな。それともでまかせか?
「へえ……。母さん、お腹触っても?」
いいわよ、という返事に早速触れてみる。そういえば少し大きくなってるな。ぜんぜん気付かなかった・・・。
そして、触ってもさっぱり分からん。耳を当ててみる。
……うん、なにもわからん。水のメイジなら何か感じられるのかね?
「さっぱり分からない」
「うん、そうだな。だが、ちゃんと7ヶ月位したら生まれて来るんだぞ」
へえ。しかし、妹ねえ。『彼』だった頃は兄弟なんていなかったし、男女どちらが生まれるにせよ初めての経験だ。兄弟を持つというのは、どんなものなのか。10も歳が離れているし、自分の子供のような気持ちなんだろうか。
少しだけ、楽しみだ。そんなことを思いながら、朝のトレーニングへ出た。
俺が何をしようと、人は生まれて来るし、死んでいく。それはこの世界でもなんら変わりない。
それはけっして舞台のキャストのようなものではない、はずだ。
物語があり、そのなかの役割、そして演ずるべき性格が決まっていて、その通りに動く。それがキャストたち。
だが、生まれて来る赤ん坊は、決してそんなものではない。
『彼』のいた世界の、どこかの哲学者の言葉で、『人間は誰しも祝福されて生まれてこなければならない』といった内容のものがあった。その正確な文も内容も記憶から消え去ってしまっているが、その言葉だけはどこか大切なものとして覚えている。
そう、『彼』は、この言葉をとても大切にしていた。まだ若い学生であった頃、恋人が妊娠してしまい、中絶したのちに、後悔を重ねているときに友人からその言葉をきいた。
『だから、君達が祝福できないのなら、その子は生まれてきても幸せでなかったかもしれない。次があるのなら、そのときこそ誕生を祝福できるようにしておくがいい』
たしか、そんな言葉だ。20にもならないうちにそんな言葉を吐く、随分と変わり者の友人。そのあと、『彼』はその友人が紹介してくれた本をむさぼるように読んだ。その多くは記憶から抜け落ちてしまっているが、いくつかは未だに覚えている。
大切なことは、忘れてはいない。
俺の弟だか妹だかに生まれて来る子供は、きっと、祝福してやる。一人の人間として、そう、一片の翳りもなく、完璧に。その子は、物語のキャストなどではないのだから。
「―――ふっ」
ランニングとダッシュを終えて、棍を振る。身長・体重が増えたこともあり、最近剣杖でのやりあいでアルベールに負けることはなくなった。技量はともかく、速さで60越えた爺さんには負けん。
棒術は完全自己流。『彼』の記憶にも役に立ちそうなものはない。
回す・振る・前後を入れ替える・左から・右から・下から・袈裟・逆袈裟・突き・払い。
基本の動きをまずは体に染み付かせる。それがある程度済んだら、実際に手合わせの中でその動作を活かす。最後に、それを実戦で振るう。剣でもやったことだ。アルベールに錬金してもらった巨大鏡の前で型を確認する。いつかマテウス流棒術とでも名づけよう。
「どう? アルベール」
「うーん……いま一つといった感じですなあ……」
率直だな。だがわかる。これではアルベールにも勝てまい。
「まず、その棒は少し長すぎるのですよ。バランスが悪い。もう少し身長が伸びても、多分難しいでしょう」
そうそれよ。もともと槍の長さを意識していたため、棒として扱うには長すぎるのだ。もう20サントくらい短くてよかった。
「でもねえ。寸を詰めるにしても、『ブレイド』でも切れないんだよ、これ」
杖の契約を行った後店に預けて、返ってきたら無敵の硬さで硬化と固定化がかかっていた。使いにくいからと短くしようにも、俺どころか父さんや母さんの『ブレイド』でも切れないというありえない硬さ。どこのメイジが請け負ったのか知らんが、最強すぎる。手が出せないのだ。
「作り直すか……午後にでも出かけるよ」
「かしこまりました……また平民の服ですか?」
「そのつもり」
アルベールも最近はあまり文句を言わなくなってきたが、嫌な顔は相変わらず。こういうのはゲルマニア貴族としても破天荒な部類に入るんだろうか。他の貴族子女に会ったことがないから、よく分からない。
それにしてもまた杖の作り直しか。予備の棒(杖)はあるから、またもや『硬化』『固定化』の注文ということになる。どこの誰かは知らないが、ぜひ同じメイジに請け負ってもらいたいものだ。
午後。魔道具店へ足を伸ばす。
「よう、また来たな。どうした、杖は悪くなかったんだろう?」
「そうだったんだけどね……」
例の事情を話す。槍としての使い道を意識しすぎたために長すぎて単純な『棒』として使いにくいこと。そして、硬すぎて長さが調整できないこと。
「ふうん、また随分とうまく『硬化』がかかったと見えるな。スクウェアのブレイドで切れないってのはたいしたもんだ」
「そう、だからぜひともまた同じメイジに請け負ってもらいたいんだよね。一体誰があの杖請け負ったの?」
「ああ……あれはちょっとうちでは難しい注文だったから外注したんだったな。お願いしたのは確か、シュペー卿だったか」
シュペー卿? シュペー卿ってどこかで・・・あ。『物語』序盤の宝石駄剣の。
「シュペー卿! すごいじゃないか、シュペー卿!」
「おっ、おう、評判はいいぜ。どうした、そんなに興奮して」
なんだ、駄剣製作の鍛冶騎士ってわけじゃなかったのか。メイジとしての腕はいいとか、『硬化』『固定化』については最強とかか。それともよほど念入りに硬化や固定化を重ねがけしてくれたのか。なんにせよ認識がまったく変わったぞ。『物語』の先入観で完璧にやられていた。そうか、シュペー卿、いいじゃないか。シュペー卿最高。
「あー、いや、ぜひともそのシュペー卿にもう一度お願いしたいな。
この前の杖の『硬化』と『固定化』の出来が最高に気に入ったからぜひともお願いしたい、って伝えられるなら伝えて。
こんどはこれね。見た目は一緒だけど、前のより少し短くした」
「おう、確かに」
磨き上げた予備の棒杖を渡す。今度こそ普通に使いやすい長さだ。
杖を預けた後、やたらハイな気分で店を出た。
通りを歩きながら、考える。
そういえば、宝石だらけの剣だったか、あれは普通に考えれば儀礼用の剣だ。見たわけじゃないが、普通に考えればそうなる。間違ってもゴーレム相手に振るうためのものではない。『物語』のキャストたちはそれがわかっていなかっただけで、シュペー卿の腕はいいってことでもおかしくはない。
そう考えると、今回の驚きはあくまで俺自身の先入観から来たものだ。別に大したことではなかった、のか。
「―――なんだ」
まあ、いい。
たとえシュペー卿が名剣をたたき上げる腕利きだったからといって何だというのだ。別に何もいいことがあるわけではない。へんな期待をするから、へんな落ち込み方をすることになる。ばかばかしい。
―――まったくもって、馬鹿馬鹿しい―――。
と、ボケッとしていたら、人にぶつかってひっくり返った。
やれやれ。ちょっと考え込んで周りが見えなくなるのは悪い癖だ。立ち上がってほこりを払う。ぶつかった女はこちらを見もせずに行ってしまった。
くそ。子供だからといって、―――懐が軽い?
掏り。
一気に頭に血が上った。
「な、め、や、がっ、てぇぇぇええええ!!!」
杖を取り出し、女が行った方向へ走りながら『フライ』を唱え、空中に舞い上がる。見渡すがさっきの女はいない。どこだ? 最初の角で路地へ入ったか?
右の路地か、左の路地か。
くそ、迷う時間がもったいない。とりあえず右だ。そのまま『フライ』で細い路地へ入る。―――いた!
「まてやテメェエッ!」
『フライ』で追ってきた俺を見て、声に振り返った女が青ざめる。小走りでいたのが、本気で走って逃げだした。クソ、黙って追えばよかった。が、次の角はもう少し先だ。横道へ逃げる前に吹っ飛ばしてやる。メイジに追われて足だけで逃げられると思うなよ。ブッ殺す!
追う、もう少しで射程距離。追う。ルーンを唱える、―――喰らえ。
ゴウッ!
風で女の後ろの樽やら木箱やらを吹き飛ばす。どれでもいい、あたれ!
女は飛んでいったものには何もあたらなかったが、転がってきた木箱にけつまづいて転んだ。
―――ク。まあ、大体計算どおりだ。後は、そうだな、ぺしゃんこになりやがれ。風の槌、『エア・ハンマー』を唱える。
「お願いします! お金はお返しします、どうか!」
なんか言ってやがる。やれやれ、どうしようかな。とりあえず着地。―――あれ? さっき、『フライ』使いながら『ウィンド・ブレイク』を使った?
『エア・ハンマー』も上から思い切り地面に叩きつけるつもりだったし。
まあそれはともかく。
「とりあえず、盗った金を返せ」
「はっ、ハイ!」
かわのサイフ を とりもどした!
掏り女は完全降伏。やっぱり、子供でもメイジは怖いよな。自分が持っていない強力な力を持っている人間だ。立場が逆だったら、やっぱり俺も怖いだろうと思う。
しかし、どうしてくれよう。なんか怒りが冷めてきてしまった。さっきまでは荼毘に付すところまでやってやるというくらいの勢いがあったのが。
普通に兵士に突き出すか。しかし、父さんは普段は公正だが、家族には結構甘い。晒し刑程度ですまなかったら後味が悪いな。兵士には匿名で突き出すか。
いや、匿名ってのは不可能だな。商人の息子アルフレッドとして……しかし『アルフレッド』は本来存在しない人間だ。誰だお前、なんてことになったら困る。
「あっ、あの、手持ちも全て差し上げます、どうか見逃してください!」
と、まあそうなるよなあ。デモネ、お金には困ってないのよ、僕。やっぱり魔法で一発殴って手打ちにするか。
目の前でDOGEZAスタイルでぺこぺこしている女をよく見てみる。ふむ、若奥様ぐらいの年齢か? まあまあ美人だね、位の顔立ち。ごく普通の女性だ。
あー、女が完全に平伏しているところへ魔法をぶち込むというのも、ちょっとなあ。立場的に切り捨て御免も可能とはいえ、死なれでもしたら面倒だ。
どうしよう。
「……えーとね、あんた、初犯? あまり手際がいいようには感じなかったけど。これで食ってるの?」
「はっ、初めて……っではないです、最近何度かやりました」
『初めて』といいかけたところで顔を顰めながら杖を持ち替えてみると、初犯ではなくなったようです。
うーん、なんとも『普通』な女だ。凡庸、低級という意味で。
「普段は何してるのよ、掏りをしなくちゃやってけないわけ?」
「あの……最近奉公していたお屋敷から暇を出されまして、それで」
はあ。まあ、全体の雰囲気から、屋敷の奉公人だったというのは嘘ではないだろう。うちで見たことはないから、領内の商人の家とかそのあたりか。
メイドには年齢的にもそろそろ厳しくなって、かといって使用人を取り仕切るほどの能力もないと。それで暇を出されて食うに困るってことは旦那もいないわけだ。
ずっと奉公人だったから、女郎になることも出来なかったわけね。このいかにも普通(凡庸)な女を見てると、なんだかリアルに想像できてしまう。
あー、ほんっとどうするかな。『現実』って奴は厳しい。
掏りをうちで雇う気にもなれん。といってこのまま放置するなら、一応捕まえた犯罪者を領内に解き放つことになる。突き出すのも、魔法で殴るのも後味が悪くてやる気がしない。頭に血が上ったからとはいえ、魔法で課題としていたことを一度はクリアできたし……。
「……今回は見逃す。金はいい。でも、一つ注文がある」
「ハイ! あ、ありがとうございます!」
「……あのな、すりやらの犯罪はやめろ。多分あんたには向いてない。普通の働き口を探せ。
あまり行ったこともないんだろうが、あんたなら酒場なんかがお勧めだ。そういうところで新しい仕事を覚えろ。
いいな、絶対だ。あんたの顔は覚えたから、もし次に見かけたら働き口を確認する」
「わ、わかりました。本当にありがとうございます!」
まあ、本当に酒場に勤めるようになったら、顔を見ることはないだろう。
これ以上はもう面倒だ。頭を地面にこすり付けんばかりにして礼を重ねている女に背を向けた。
……やれやれだ。現実って奴は面倒で、厳しいね。
などと思っていたのだが、この掏り女が、数週後には『赤馬亭』で紅茶を運んできて互いに驚愕することになる。ジルというらしい。
更には数ヶ月の後に男やもめだった『赤馬亭』店主の後妻におさまり再び驚愕することになった。
現実は厳しい、が、不思議なことや救いも、案外あるようだった。