「まけちゃった! まーけちゃった!」
決闘の後に部屋に戻ったラルフのところへ現れたイェッタは俄然絶好調だった。くるくると主人の周りを飛び回りながら囃し立てる。ラルフはそれをひたすら無視していた。
「取られちゃった! また一人になっちゃった!」
無言で払いのけようとしたラルフの手をひょいとかわし、けらけらと笑う。
「教えてあげる。あんたは一人でいるのが嫌だって思ってるくせに何もしないの。何もしたくないの。あはは、変なの」
金色の髪をひるがえし、言葉の合間にはついっとラルフの視線を追って視界に入るように移動する。彼女の一挙手一投足が彼を苛立たせた。
「ほしいくせに、ほしくないの。ほんとにほしい物なんてないのよ。あんたがほんとにほしいのは、心の中に火がつくようなことだけ。だから私がいじめてあげてるんじゃない!」
「いらん世話だ。――待て、さっき『また一人』と言ったか?」
「だから何よ。あんたが一回休みになったことがあるってことくらい知ってるわ。人間のくせに変なやつ」
「なんだと……」
イェッタの言う『一回休み』とは、すなわち死だ。ほんの少し引っかかって聞いてみただけなのに、今の自分のスタート地点まで知られていることにラルフは驚愕した。そんな彼をイェッタはにやにやと笑って見ていたが、あまり長くは黙っていられなかったらしくまた得意げにしゃべり始める。
「あんたは自分で自分が大嫌い。だから他の人がうらやましいんだわ。きれいな人は特にそう」
「……チ。いい加減さえずるのを止めろ」
さっきから募るイライラは限界だ。なるべく見ないようにしていたイェッタを正面から睨みつけるが、彼女は「ふふん」の一言で済ましてしまう。
「変なやつー。ばかなやつー。火がつかないなんてあたりまえよ。あんたは、ほんとは自分で自分の心」
「黙れっつってんだろうがァ!」
「わ!」
限界を迎えたそのとき、彼の心のなかに一気に火が点いた。爆発的に燃え広がったそれは溢れ出し、火の粉をはらむ熱風の奔流となって小さな妖精を飲み込んだ。
傭兵の週末、週末の傭兵
ぼろ泣きのツェルプストーを放置し、女子寮塔を出て男子寮塔へ。ラルフは自分の部屋には上げないというようなことを言っていたが、この際だからまあいいだろうと適当に判断してクラウスは階段を登る。近頃学院七不思議などとして広まりつつある男子寮塔・魔の四階フロア。階段正面のラルフの部屋が目に入ったとき、急に魔力の風を感じてクラウスは足を止めた。
(……なんだ?)
周囲に気を向けるが、どうやらこの気配は目的地からのものだ。
『黙れっつってんだろうがァ!』
「うお!」
扉の向こうから聞こえてきたラルフの怒声に思わず小さく声を上げて身を竦める。さらにドゴンッと壁を打つような音が聞こえて、その後シンとフロアは静まり返った。扉の向こうからは、いまだ尋常ではないレベルの風の力を感じる。
(予想はしてたが荒れてんな……あれか、例の妖精とやらか?)
おそらくそうだろうとは思うが、あの状態の相手にはさすがに近づきたくない。そういやツェルプストーが意外に短気だとか言ってたなと記憶を反芻し、たっぷり十分はその場で様子をうかがい、冷や汗の出るような気配が消えるのを待ってからクラウスは目的地の扉を叩いた。
「……お前か。どうした?」
ドアを開けたラルフは自分の顔を見て少し驚いた様子だったが、平静に出迎えた。緑色の瞳はなんとなく光がないように見えるが、態度そのものはごく普通。こいつのひねくれ具合も大概だなとクラウスは思う。自分だったら確実に殴りかかっているところだ。一発くらいは殴られてやってもいいかくらいに思っていたので、さっき聞こえた荒れ具合からすれば拍子抜けする。
「いや、ちょっと話をな。中いいか?」
室内をさして言うと、一瞬眼を閉じて何か考えたように見えたが、すぐに「入れ」と通された。
大して物がない割には雑然とした部屋にはあちこちに剣やら杖やらが転がっている。全て杖だ。杖の契約というのも普通はそうそうできるものではないのだが、ラルフは全てに契約しているらしい。傭兵メイジなどで複数の杖を持つものは時々いるが、これは異常なレベルだ。結局一番手になじむものを使うはずなので、珍しいがあまり意味のない才能である。しかし最近は自分もあまり人のことは言えないかも知れないな、と貴族に戻ってからは武器集めが趣味になっているクラウスは内心苦笑する。
キャビネットの上には子供の人形遊び用の玩具が色々と転がっている。おそらくあれが例の使い魔とやらのものだろう。
「あー、使い魔? は大丈夫なのか今は」
クラウス自身も一度妙な幽霊のような幻を見せられているのだが、時間が経つとあれは本当にあったことなのかとなんとなく自信がなくなってくる。妖精とはそういうものなのだろうか。
「さっき潰したからな。半日くらいは出てこれないだろ」
そのときだけぎらっと不穏なものを感じる目で返事が返ってきた。潰したとはまた物騒な……とは思ったがとりあえずふーんと納得しておく。どうやらこれは地雷だ。ラルフがあそこまで激情を表に出すのをクラウスは今まで知らなかった。目的に反する今は触れないほうが良い話題だろう。
「で、何?」
クラウスに椅子を勧めるとラルフはベッドの方へかける。赤紫の前髪の間からのぞく緑色の視線はかなり暗い。
「や、悪かったと思ってな。ちゃんとした話は聞いてないんだろ。お前に頼みたいこともあるし」
「まだ何かあるのか? さすがに今日はなるべくほっといてほしいんだけど」
「悪いとは思うけどな、まあ聞いてくれよ」
気分が悪いだろうことは十分に察しているので、なるべく下手下手に出ておいて、クラウスは昨日と今日の話をすることにした。
□
クラウス・ガーブリエル・フォン・ヴォルケンシュタインは、十二歳で侯爵家を出奔――というか家出をした。理由はまさに先日出会ったばかりのラルフに指摘されたとおりで、今では少々恥ずかしいものがある。あの頃の自分はガキだった、としか言いようがない。
それから色々――ほんとうに色々とあったのだが、結局は家に戻り、嫡子としての義務を果たすべく、また今後爵位を継いだ際のために、主に社交性とかそういったもののためにヴィンドボナ魔法学院に入学させられて今にいたっている。
魔法学院は彼にとっては退屈な場所だ。本当ならさっさと実家に帰りたいのだが、卒業するまでは長期休暇をのぞき帰ってくるなと言い含められている。うるさい幼なじみもいる。すべきことと分かってはいるが、学ぶよりも戦っていたい。そんなわけで、同じクラスのツェルプストーが始めた決闘遊びは格好の暇つぶしとなった。
ラルフと出会ったのも、そんな暇つぶしの一環で悪霊が憑いているとか言う噂になんとなく肝試しのような気分で乗っかってみたときの話だった。不機嫌そうな顔をしたそいつは剣を使うようだったが、まだ体も小さいくせに普通に一線で通用するレベルを超えていて、貴族の子供にしては珍しく、相当できる。なにやら不思議な使い魔もいるようだ。面白い奴だと思った。
そんな彼のことを幼なじみだというツェルプストーに話してみると、さらに色々と話が聞けた。驚いたことに風のトライアングルだったらしい。パーティなどで彼女に付いて来た少年貴族をすべて返り討ちにしているという話を聞いたときはなかなか笑わせてもらった。なにやら微妙に彼女に対して思うものがあるように見えたが、要するにそういう事らしい。
それを言う彼女も、何か彼に対して微妙に思うところがあるらしい。その辺を少し聞いてみれば、要するに『物足りない』ということらしかった。なるほどと思う。あれは結構なひねくれ者だ。滅多なことではストレートに気持ちを表すことはしないだろう。そして物足りないと思っているということは、彼女も期待しているということでもある。さっさと普通にくっつけばいいじゃねえか馬鹿らしい……と思ったが、その辺はさすがに黙っておいた。それは野暮というものだ。
さて、ラルフと出会ってから二週間ほど経った虚無の曜日――つまり昨日、クラウスはヴィンドボナの兵士や傭兵などが集まる場末の酒場でくだを巻いていた。
「つまらん。分かっちゃいるけどつまらん」
「ほんとに贅沢な野郎だな。命も賭けねえでいい、金はある、何が文句あんだよ」
ヴィンドボナの人の入れ替わりは早い。以前の彼を知っているのは既にこの店主だけだった。つまらないつまらないと連呼するクラウスに彼はそんな文句を言った。
「いやだから、分かっちゃいるのさ」
分かってはいるのだ。自分だって、傭兵時代にそんな事を言う奴がいたら全く同じことを思っただろう。しかしひとたび貴族の息子、学生としての生活を始めてみると、クラウスは自分がそれに満足しきれない人間であることに気付いたのだった。
授業は真面目にやっている。試験でもそれなりにいい成績は取れるだろう。そこそこに同級生との付き合いもしている。しかし、物足りない。自分がなんでわけありの傭兵なんてやっていたのか、今さらながらよくわかった。
つまり、自分には戦いを求める性向がある。どうしようもないなと自分でも思うが、どうにもそういうふうになっているらしい。
「じゃあ何かやってみるか?」
そう言って、店主はある近隣領でのオーク狩りの話をした。このところ大量発生してあちこちの村で被害が出ており、首単位で少額ながら賞金が出る状態になっているということ。しかし傭兵団などは効率が悪いので避けているという。
悪くない話である。別に金が欲しいわけではないが、うまくやれば小遣い稼ぎにもなる。来週末にでも行ってみようか。しかし、よく聞けばあちこちで散発的な被害が出ており、どこに現れるともわからないらしい。オーク鬼は亜人の中では極端に危険というわけではないとはいえ、油断していい存在ではない。さすがにクラウスも一人でやるのは危険かと思った。
ならばユーリウスを連れだせばと思ったが、そもそもあいつは絶対嫌がる。無理やり連れ出すこともできるが、また妙な借りが出来るだけだ。ならば他に、というとラルフが浮かんだ。考えてみれば、なかなか適任である。魔法の腕も、剣の腕もある。何より索敵に有利な風メイジ。これはいけるかも知れない。そんなことを考えながらクラウスは夜遅くに寮へ戻った。
翌日、クラウスは学院でまず顔を合わせたツェルプストーにどう思うかと軽く相談してみた。彼女は「面白そうね」というなんとなく予想できたことを言う。
「でも、ラルフはやらないんじゃないかしら」
「なんでだ?」
聞いておいてなんだが、真面目な貴族の子女ならやらないだろう。ただそのあたりに関して彼は割と柔軟な考えを持っているように見えた。それなりにいい友人としての関係も出来ているし、頼めばどうにかなるんじゃないかとクラウスは思っていた。
「うーん。なんていうかあの子、そういうの喜ばないし」
「そりゃてめーのせいだろ」
色々と二人でつるんで遊びまわっていたという話は聞いている。聞く限り、好き放題遊んでいるツェルプストーのお守りをラルフがしていたという感じである。
彼女はそんな茶々に少しむっとした様子で言い返した。
「そんなことないわよ。あの子はもともと一人で静かにしてるのが好きなの」
「それをお前が思いっきり乱してたみたいに聞こえたけどな」
「だから違うって言ってるでしょ。なんていうか……あの子は静かにしてるのは好きだけど、連れだされたりするのも好きなの。あたしは喜ばれてるわよ」
なんだそれは、一言で矛盾してるじゃねーかと突っ込むと彼女は少し難しい顔をしたが、結局返ってきたのは「とにかく実際そうなのよ」という身も蓋もない返事だった。
「つまりお前は特別扱いってことか。俺が言ってもあいつは乗らないって?」
「そうよ。ラルフが黙ってついて来るのはあたしが誘うから。多分あなたじゃダメね」
なにやら得意げな彼女にクラウスは露骨な舌打ちで返したが、それがいけなかった。
「あたしはあまり気にしない方なんだけど、ほんと失礼よねえ……さっきからあなた、てめえだのお前だのと好き放題に言ってくれてるけど。あたしはあなたにそんなふうに呼ばれるような覚えはなくてよ」
「ぐ、そうか済まない」
確かに、これはクラウスの悪癖だった。貴族らしい話し方だってできるのだが、どうもくすぐったい上に疲れるので、ついくだけ過ぎた態度と話し方をしてしまう。他の女子に比べればツェルプストーはかなりそのあたりが緩いようでこれまで普通に話ができていたが、とうとう我慢できなくなったらしい。
しかしそこからのナメた台詞はいただけなかった。
「大体あなたがラルフのおまけになるんじゃない? ラルフがあなたの手伝いをするんじゃなくて、逆になるんじゃないの?」
ラルフの実力はある程度知っている。剣では相当できるが、第一まだ体が出来ていないし、自分にはまだ及ばない。風のトライアングルだいうことだが、それを言うなら自分だってトライアングルのメイジだ。そもそも戦いにメイジのクラスなどそれほど関係ない。なにより、今回のような仕事では経験がものをいう。
「それはない」
少々むっときてそう返すが、次に彼女が放った皮肉は彼の逆鱗に触れた。
「どうかしら。あなただって確かに強いけど、あたしにも届かないじゃない。あなたに足を引っ張られてラルフが怪我でもしないか、心配よねえ」
クラウスは額に青筋が浮くのを自分で感じた。彼女が魔法を使うところを見たことはある。確かに純粋に魔法だけで見れば彼女は図抜けたものがあるが、いくらなんでもそれは物を知らなすぎるというものだ。前から少しだけ感じていたが、ツェルプストーは自分より魔法の力の劣るものを下に見る傾向がある。そんなので見下されてはたまらない。彼は自分の磨いてきた実力というものに強い自負があった。
「ざけんな。あいつはともかく、てめえなんぞ屁でもねえよ」
「あら、いやね。相変わらず下品な呼び方、失礼しちゃうわ」
「なんならこっちでふっ飛ばしてやろうか」
こちらの言葉にさらにむっと来たらしい相手を、杖を軽く持ち上げて睨みつける。後は売り言葉に買い言葉だった。
「女性に決闘を申し込むなんて、どこまでも女の扱いが分かっていないのね」
「そんならラルフでも誰でもいいから連れてこい。ただし俺が勝ったらお前がなにか出せよ」
結局そのまま互いに火のように熱くなって、あらあなたみたいな品のない人なら体でも要求するのかしらだとか、おうそれでいいぜなどと言い合って背を向けるまですぐだった。
どっちが悪かったというのもよく分からない。なにかお互い人には言われたくない、どうにも気に入らない部分があったのだろう。
少し頭が冷えてきてからラルフのことを考えて、これは悪いことをしたかなと思ったのだが、まあ一度やってみたかった相手だし、ちょうどいいだろう。あとで詫びればよかろうとクラウスは彼らしい大雑把な判断を下した。
なんにせよ、彼が一つ決めたことがある。
――あのアマ、絶対泣かす。
これである。
□
「……聞けば聞くほど馬鹿らしいな」
ひと通り昨日と今日の経緯を説明してやると、ラルフはどうにも苦々しい顔をした。当たり前だ。要するにこいつは巻き込まれただけなので、頭には来るだろう。おまけに決闘では自分に負かされるしいいところがない。しかしこういう顔がやけに似合うなとクラウスは変なところに感心した。
「うんまあ、そういうことでな。済まなかった」
「ふうん。――それで? あとはそのオーク狩りだっけ、仕事を手伝えって言いたいのか」
「あ、ああ。まあそうだ。報酬はちゃんと分けるぜ?」
軽く言ってやるが、さすがに呆れる。ツェルプストーのことくらい聞きたいだろうに、根性曲がりもここまで来ると大したものだ。クラウスはとうとう根負けした。
「あと、ツェルプストーなら別に手を出したりはしてないからな。別にその気もない」
「……はあ? お前が?」
眉を寄せてラルフが目を上げる。まるで信じていない顔だ。一体自分をなんだと思っているのだろうか、とクラウスは苦笑する。これでもまっとうな貴族になるつもりはあるのだ。嫌々とはいえ学院に通っているのだってそのためだ。父親は結構年だし、卒業後にはそう間をおかずに侯爵位を継ぐことになるだろう。迷惑をかけた自覚もあるし、久しぶりに会ったらめっきり老けこんでいた両親を見ては、これ以上不孝な事もそうそうできない。
「だいたい俺、一応結婚してるからな。子供もいるし」
「は?」
ラルフが思い切りなんだそれは、という顔をしているのが小気味いい。
そう、彼にはちゃんと正式な婚約者もいるし、傭兵時代に大恋愛の末くっついた平民の女もいる。その女に産ませた娘までいる。
「そういやお前、俺のこと一つしか違わないと思ってたな。なんでそういう勘違いしたのかわからんが」
クラウスはもう十八だ。卒業するときには二十になる。はっきり言って魔法学院に入学するには遅すぎた。なぜそうなったかといえば簡単で、彼が本当に出奔したきり実家に帰らなかったからだ。彼の家出期間は丸五年にも及んだ。
彼が家に戻らなかった理由は、最初はひたすら意地だった。帰りたくなかったかといえばそうではない。しかし下手に能力があったお陰で大抵のことは何とかなってしまい、色々としがらみも増えていつの間にか本当に帰れなくなっていた。たまに会っていたユーリウスには力づくで連れ戻そうとされたこともある。
しかし、右も左もわからないところから始めて、自分の力で得たものは多かった。魔法の腕も伸びた。傭兵としては若いながらにだんだん名が売れ始めている。大切な女もできた。もう、このままでもいいかもしれない。あと何年かしたらどこかで傭兵団でも立ち上げて……などと考えていたときに子供ができて、連れ合いはクラウスに侯爵家に戻るよう勧めた。そろそろ自分の名前と立場を取り戻すようにと。親になることを意識すると、自分の両親とのこともこのままではいけないと思えた。
私はどんな扱いをされても大丈夫だから、迷惑はかけないしあなたとの子供がいれば一人でもやっていける、などと今は妾として侯爵家に置いてきているそいつが健気に言ったり、自分とともに両親に必死に頭を下げたりという聞くも涙の話があったりするのだが、まあそういうのはわざわざ人に教えてやるようなことではない。
色々と思い返してしまい、クラウスはふー、と溜息をつく。
「――だから別に、愛しのツェルプストーは心配しなくてもいいってことよ。とりあえず、お前らの面白い顔も見れて十分楽しめたしな」
そう言って、未だにラルフがぽかんとしているのを見て笑った。
「いやあ見ものだったな。お前は下向いて何言っても聞かねえし。あっちはあっちで目があった瞬間逃げ出すし、部屋に行ったら泣き出すし。まあかわいいこと」
「――うるさいな。俺のことはいいよ」
だんだん話が飲み込めてきたらしいラルフが、さすがにいら立ちを隠せずに言うのが面白い。
「そうかいそうかい」
「ハア。――それで? キュルケはどうしたって?」
煽ってみるが、ラルフはすとんと肩の力を抜いた。こういう所は不思議なものだ。感情をスイッチでも切るように抑えこんでしまう。さきほど彼を切れさせていた妖精とやらはよほど人を怒らせるのが上手いと見える。
「いつも自分の盾になってた騎士様がやられてショックだったんじゃねーの。それとも俺が怖かったか。なんかぼろぼろ泣いてたけど、もうめんどくせーからほっといた。もともとそれが目的だったわけだし。あいつもちっとは堪えただろ」
別に嫌がらないならやったかもしれないけどな、というのは言わぬが花だが。ラルフは呆れたような顔をする。
「お前……」
「んだよ、勝者が景品をどうしようが勝手だろうが。お前は負けたんだし、文句言ってんじゃねえ」
巻き込んでおいて結構な暴論だとは思うが、戦って潰しておくとこういう時に微妙に反論しづらくなる。案の定ラルフは言葉に詰まった。
「……あー」
「それからさっきの話な。ツェルプストーの奴も連れてくぞ。あの女俺を舐め過ぎなんだよ。大して戦えもしないくせにちょっと魔法の才能があるからって調子に乗りやがって、オーク鬼の正面に立たせてもう一回泣かす」
ツェルプストーは、大した実戦の経験もないだろうに、すでに魔法の力自体はクラウスをも上回っている。ツェルプストー家は軍家として有名だが、本人はあの性格だから魔法の修行をみっちり真剣にやって来たというわけでもないだろう。要するに天才なのだ。その辺も彼は気に入らなかった。武器に魔法にと工夫をこらし必死に力を磨いて生き抜いてきたクラウスとしては、ああいうのに舐められるのが一番腹がたつ。その怒りは未だに冷め切ってはいなかった。
そしてツェルプストーを連れて行くなら、ラルフも確実についてくる。こっちは魔法の力自体は自分に一歩劣るが、領内の討伐などを手伝っていたこともあるということだし、実力はあるのでちゃんと戦力として数えられる。ツェルプストーだって魔力だけは馬鹿みたいにあるのだ、何かの役にくらい立つだろう。
「かわいそうに……」
オーク鬼の正面に立たされるツェルプストーを想像したらしいラルフが苦笑する。
「お前のせいじゃねえのかあれ。甘くし過ぎなんだよ」
「親の仕事だそれは。それに人を変えるってのは難しいことだよ」
「分かったようなこと言ってんじゃねえ。いつもつるんでたんだろうが。お前がやればできたはずだぞ」
軽く睨んで言うと、ラルフは逡巡するようだったがやがて頷いた。
「……そうだな。これからは気をつけてみる」
「そうしろ……って」
調子に乗りすぎた、とここでようやくクラウスは自分がここへ来た当初の意図を思い出した。一応経緯を説明して、詫びた上で週末のことを頼もうと思っていたのに、いつの間にか偉そうに自分が説教までしている。あんまり相手が落ち着いているのでついそうなってしまった。これでは立場がまるで逆だ。
「いや、なんて言うかラルフお前」
「うん?」
「腹は立たないのか。結構迷惑かけたと思って詫びようと思ってたんだが。週末のことはともかく、今日はな。正直いきなり殴られてもおかしくないと思ったし」
その言葉にラルフはなぜか驚いたような顔して、自分の手に目を落とした。思いつきもしなかったということだろうか。
「ん……まあ頭に来たといえば来たけど。もういい。冷めた」
「はあ。そりゃまた大したもんだな。燃え上がってもおかしくないだろうに」
これだけやられても怒りがすっと冷静になるのだから驚きだ。クラウスなら確実に本気で怒っている。ふうっと天井を見上げて感慨深く言うが、返事はなかった。目を戻すとラルフは急に何か思いついたようにして考え込んでいる。
「本当に欲しいのは心に火をつけるようなもの、ね……」
「ん?」
目を落としたままぽつりとラルフはなにか言った。
「……あんたは、ほんとは自分で自分の心に……蓋、かな。仮面か。とにかく自分で火が点かないようにしてるって言いたかったのか?」
「あー? 何言ってる? まさか何かいるのか?」
例の使い的とやらが復活でもしてきたかと思って聞くがラルフは質問に答えず、まっすぐクラウスの目を見た。珍しく強い視線だった。
「クラウス、とりあえず稽古に付き合え」
「あ? ああ、いいけど……って待てよ」
立ち上がるとラルフは立ててあった練習用の剣をざくっと引き抜き、鍵もかけずにさっさと出ていってしまうので、クラウスは慌てて後を追う。
その後の稽古でのラルフは、なんというか持ち味が死んでいた。いつもの読みづらい工夫を凝らした剣筋ではなく、攻め気が強くやることなすこと見え見え。普段よりかなり速く重くなっているのだが、クラウスとしては十分対処できてしまう。
しかし、なにか彼のいら立ちを込めたものであるように感じたので、適当なところで一本取らせてやった。するとラルフは、勝手に「終わり」と宣言し、剣を投げ出して女子寮塔の方へ行ってしまった。
クラウスは首を振って苦笑し、それを見送った。
----------------------------------------
キュルケはラルフの影響で魔法に関しては本来よりも真面目に取り組んでおり(それでもサボったりしてた)、あくまで魔法のみで語るならすでに図抜けたレベルに達してつつあるという設定。今回はそれによる慢心を思い切り叩き潰された形。性格的にはだいぶ改善されてるのにねえ……。まあこれで叩けるところは叩き尽くしたので、あとは徐々に理想化していく気がします。でも都合いいばかりの女性を書くのもつまらないのでどうかな……。
クラウスはクラウスで、ラルフとの関係について一方的にキュルケが迷惑だけかけていたような言い方をしたせいでイラつかせ、分かっちゃいながら失礼な物言いに終始して険悪な雰囲気を増してしまったという。そんなくだらない火種も、火メイジ二人にかかればあっという間にヒートアップ、大炎に!
代理戦争で巻き込まれた主人公は哀れ敗北しながらも、負けた二人はそれぞれ成長しましたとさ――という、そんなストーリーでした。ちゃんと書けたかどうか。
このところ一気に書けたのは多分まぐれ。次は少し時間がかかる気がします。
また、今回で二十話になりました。超がつく遅筆の自分が二十話も書けたのは好悪問わず読んでくださる方のおかげです。この場で感謝を。ありがとうございます。