ガリアには新王が立つことになった。ジョゼフ一世。無能王、狂王などという二つ名は覚えているが、今のところそこまでの評判は聞こえてこない。
これからガリア王室ではなにか色々とすれ違いによる悲劇があるはずだが、このあたりは俺もよく覚えていない。シャルル王子がなにか不正に関わっていたというのと、ジョゼフ一世の『無能』から来るコンプレックス。そして、どうにかしてシャルル王子を殺してしまったジョゼフ一世が狂い、ガリアに粛清の嵐が訪れる。俺が知っているのはこの程度だ。
最終的にジョゼフ王が指輪か香炉に何か『読み取る虚無の魔法』を使えば、兄弟のすれ違いの原因を知って心が折れ心神喪失状態になる……のではなかったかと思うが、他国、大国の国王に大して俺がどうにか出来ることはない。連絡なんて取りようがないし、取れてもその情報を今指摘したところで意味が無い可能性が高い。
ノートに書きためたことは時々読み返しているのだが、年々それらが細かい部分でぼやけていく。どうしてもっと細かく書かなかったのだろう。いや、その時は精一杯細かく書いたつもりだった。しかし今読んでも、ノートにあるのは人物たちの想いというのが伝わらない、事実? の羅列ばかりだ。ジョゼフ王やシャルル王子がどんな思いでいたのか、さっぱり分からない。
日本語で書かれたノートの文章は、今ではぽつぽつ読めない字が出てくる。断言出来ない事柄につけた『?』マークはあちこちに散らばり、一体何を信じればいいのかわからなくなる。
シャルル王子はいつ死ぬのだろうか。まだそんな話は聞かない。雪風のタバサはどこにもおらず、幸せなシャルロットだけがいるのだろう。彼女の母はまだ狂ってはおらず、きっと愛する娘を抱きしめ笑っているだろう。
……ジョゼフ王に関しては、どこか理解できるものもある。いや、ノートに書いてあるのは『コンプレックスに押し潰されシャルルを殺す』ということだけだから、これは単なる想像だ。
だがわかる。それは俺にもあるものなのだ。彼はきっと、シャルル王子が眩しかった。愛憎入り交じったそれはコンプレックスという一言では到底表現しきれない。泣いたり笑ったりするために世界を焼き尽くすというのは弟を殺してしまったからだろう。そこはわからん。だが彼の逸脱の、最初の一歩目は想像できてしまうのだ。
移ろいゆく世界
誰かがなにか行動すれば、それに応じて世界は表情を変えていく。それはごく当たり前のことだ。
例えば賭けのようなものだ。コインの表が出るか、裏が出るか。たったそれだけで勝者は変わるし、それに応じてその後起きることも変わるだろう。別に賭けじゃなくてもいい。『赤馬亭』のおっさんがほんのちょっとばかりミスをして調理をしくじる。それがたまたま俺に当たって、腹の調子を崩す。そうすれば俺は帰るだけだ。余程ひどくても家には水のメイジがいる。俺に当たらなければ、誰か他の奴が調子を悪くする。だがそいつは貴族ではないので、中毒を起こせば死ぬかも知れない。そのせいで将来、彼の子孫の偉人が生まれなくなる。そういう話だ。なんとかいう現象? として名前があったような気がするが、いまいち思い出せない。
どんな偶然や必然が働いたかはわからない。ともかく、わかるのは今回の原因が俺だということ。それだけはきっと間違いない。
冬の休日。いつもどおり平民ぽく装って町へ出たら、そいつにいきなり、本当にばったり、出くわしたのだ。とりあえず引っつかんで路地裏に引きずり込んできた一人の女。目の前で緊張した表情を浮かべているのは―――マチルダ・オブ・サウスゴータ。
「――どういうこと? なんでここにいる?」
「え、ええと……」
あまりにばったりと出会ったので相手も気が動転しているらしい。こちらも驚きから覚めると同時に慌てて引っ張ってきたのでろくに見ていなかった。とりあえず冷静さを取り戻そうと相手を観察する。
目立たない粗末ななりをしているが、改めて見ると大した美人だ。そこらの女とは出が違うのがなんとなくわかる。以前会った時とは少し違う感じもするが、おそらく纏う雰囲気のせいだろう。あのときの切羽詰ったような表情ではなく、緊張感のある顔。身のこなしや立ち方もどこか変わった。あれから一年と少ししか経っていないが、既にただの元お嬢様ではないらしい。
ひと通り眺め終わったときには、マチルダも落ち着きを取り戻していた。
「あの、失礼かとは思ったのですが、あの後あなたがどういった方だったのかを……その……調べて……」
調べた。それでこの領にいるということは、俺の身分やなんかを調べて、ここの領主の息子だと知ってやって来たということか。ここにいる時点で分かってはいたが、やはり偶然なんかではない。
彼女たちに明かしたのはゲルマニア人、ラルフという名前だけだ。ゲルマニアでは平民にもいる、そう珍しい名前じゃない。あとはせいぜい風のメイジというくらいか? アルビオンでは家の情報の手がかりになりそうなものは隠してから騎士の前に立ったのだ。貴族だという推論をしたとしても、一体どういう調べ方をしたら上級から下級まで無数にいるゲルマニア貴族の中から自分にたどり着くのか。
まさか手当たり次第にこれこれこういう貴族子女を知りませんかとやったとは思わないが、どこかに自分の情報が漏れた可能性はある。それを考えて険しい顔になっていたらしく、マチルダの言葉はどんどん尻すぼみになった。
「……妹さんは」
「アルビオンにおいています……街は移しました。おとなしい子なので、こういう」
「あの娘」
言いかける言葉をぶった切ってやると、マチルダはびくりと体をすくませた。見たところ二十歳近くに見えるのに、自分より小さな少年相手に案外臆病というかなんというか……。これが何年かすると正面突破も辞さない大胆不敵の盗賊になるというのだから驚きである。確かに身ごなしは少しそれっぽい感じもするが、まだまだ素人丸出しである。ほんとにそうなるのか? わからん。
まあとにかく、あんまりびくびくされても困る。普通に話すことにする。
「――顔を出せない事情でもあるんでしょう。一人でおいておいて大丈夫なんですか」
「え……ええ、その、自分の身の回りのことはできるので、一人で隠れられるような住処を用意して」
「ふうん。まあそれはいいですけど」
そう、別にそれはいい。むしろありがたい。問題は、
「じゃ、何しに来たんですか、あなたは」
今ここにいるこの女だ。こいつとその妹は『物語』の主要な、それもかなり重要な人物だ。いや、例の『物語』はこの際どうでもいい。ただこの姉妹、特に妹の方は、確認したわけではないがエルフの血を持ち、虚無の系統を継ぐという『この世界にとっても』途轍もなく重要な人物なのだ。それが本当なら迂闊に関わりすぎるわけには行かない。特にここ、マテウス家の人間としての立場では。
会うだけなら構わない。繋がりがあるくらいはいいだろう。だが家に来られたり、ここの領に住んだりされてはまずいのだ。こっちから接触するのはいいが寄って来られては困るという非常にアンフェアな考えだが、下手したら異端やらなんやらで家、家族まで巻き込まれる以上、ここは譲れない。
この女は間違いなく自分を頼って来た。高位の土メイジなら食うにはそう困らないはずだから、アルビオンでは居場所や頼るものがない自分と、あわよくば妹を――いや土のメイジとは限らないのか? だがそれを言ったらこれの妹も虚無とは限らない、となる。くそ、混乱してきた。
「え、その――」
こちらの冷たい態度に、言葉に詰まって視線を宙に彷徨わせるマチルダ。そんな様子を見ると、自分の頭の中の計算が馬鹿馬鹿しくなり、知らずため息が漏れた。
――ああこの人は本当に分かっていなかったのだ、と。打算や立場よりも善意を信じてやって来たのだ。
いや……彼女の視点からすれば、そう間違ってはいないのかも知れない。まさか妹が虚無の使い手だなどとは夢にも思うまい。まあエルフというだけでも十分まずいのだが、そこは後ろ暗い事は分かっていて助けてくれたこの俺だ。なんとかなるかも、何とかしてくれるかもと思ってもそうおかしくはない。
おかしくはない。だがぬるい。色々とぬるい。この調子だ、おそらくアルビオンでも付き合いのあった貴族家を頼ろうとしたのではないだろうか。当たり前だが断られまくったに違いない。年齢的には婚約だってしていたと考えるのが自然だ。破棄されただろうが。
貴族専門の盗賊、だったか……それだってその辺が影響しているのだろう。憎さ百倍という奴だ。
「――ねえ、マチルダさん」
「……はい」
さすがに返事は暗い。がりがりと頭を掻いて、なんと言ったものかを考える。
「少し話くらいはいいですから。ここだと寒いし、ちょっとお茶でも飲んでいきましょう」
日の当たらない路地では、冬の空気が体にしみる。食事とお茶を奢るくらいは良いだろう、と財布を確かめながら彼女の手を引いた。
□
昼時だったこともあって赤馬亭はそれなりに盛況だった。家族と食事も取らずにふらふらしまくっているからこんな時間に来ることになる。店主夫婦はちらりとこちらへ目をやったが、忙しいらしく目で挨拶するだけだった。いつものカウンター席ではなく、隅のテーブルへ移動して腰をおろす。
「前に聞いたあなたのお名前でなんとなく事情は分かってるんですが」
事情と現状を聞く前に、とりあえずそう切りだしておく。『あなたが割と後ろめたい立場であることは理解していますよ』という確認。どこまで話してくれるかは分からないが、多少の安心は必要だ。同時に一応、自分の身分と立場、あの時は旅行中で、なにか事情はありそうだとわかった上で助けたということも説明した。
相手の話を聞いてみれば、大体想像通り――書きためた知識通りと言って良かった。モード公の直臣であったサウスゴータ家が、大公の家族をかくまったためにお取り潰し。その家族がエルフであの妹だという話は出てこなかったが、まあマチルダの態度から想像はつく。
マチルダ自身は土のトライアングル、妹は魔法は才能がないということを聞いて、ようやく俺はこの相手を『ノートに書かれている通りのマチルダ・オブ・サウスゴータ、ハーフエルフで虚無のティファニア』として扱うことにした。真偽はもうどうでもいい。とにかくそう扱う。
俺もだいぶ落ち着いたものだなあと感慨深くなる。四、五年前なら相当キてただろう。どこまでがお話でどこからが現実なんだ、とわけの分からない不安に襲われていたに違いない。
「――あの妹さんの話なんですけど」
「ええ」
マチルダは本来なら、ただ家名と領地を潰されただけの元貴族だ。ただのメイジの平民として生きるのは難しくない。彼女たちがなにやら事情を抱えているというのはひとえに例の『妹』のせいだというのは分かりきっている。
「結構難しい事情を抱えてるんでしょう。個人的にはまあ、――何かしてあげたいような気持ちもあるんですけど」
嘘だ。本当はさらさら無い。いずれ土くれのフーケになるマチルダ・サウスゴータと、虚無のティファニアとして扱うと決めた以上は、この姉妹と深い関わりを持たないことは俺の中で決定事項だ。
「こうして平民にまぎれていますけど、知ってるでしょうが僕は貴族だ。マテウス家の人間として、父や家族に迷惑を掛けるわけにはいかない」
「ええ。そう、ですよね」
返事は早かった。分かってはいたのだろう。それでも誰かに頼りたかったのかも知れない。
「あなたは、土のトライアングルでしたか。有能な人だと思うし、本来ならどこでも欲しがられる人だと思いますけど」
アルビオン以外では。そう、だから面倒なのだ。こちらで稼いで送金するとか往復するというのではかなり効率が悪いし、さすがにただの野良メイジとしては難しい。でもアルビオンではそううまくいかないだろう。
「僕は、ここではあなたに手を貸したりはできません」
「……はい」
結局、それしか提示できるものはない。沈黙が降りる。マチルダがぐっと歯を噛み締めたのがわかった。周りのテーブルの喧騒がやかましい。どうも落ち着かずコツコツとテーブルを叩いていて、ふと思いついた。
「――そういえば、マジックアイテムとかは?」
マチルダは目を丸くした。
「え、というと?」
「ほら、『フェイス・チェンジ』の魔法が常に着用者に働くようなマジックアイテムとか。探せばあるんじゃないですか」
これは本当に思いつきだったのだが、相手の反応は激烈だった。掴みかからんばかりの勢いで話に食いつく。
「そ、そ、それはどこに!?」
「え、ああ……いや、わからないけど……」
なんとなく言ったことだが、ひょっとするとこれは言うべきことではなかったのかも知れない。どうやって、という問題はあるが、彼女がそれを探して本当にそういうマジックアイテムを見つけて妹を保護したなら、『物語』は変わっていくだろうが……。
「――……別にいいのか」
「え?」
「いや」
そう、別に構わんだろう。『物語』なぞ知ったことか。
もし本当に『ゼロの使い魔』がこのハルケギニアを舞台に上演されるなら、きっとハッピーエンドが最後にやって来る。それならば過程などどうでもいいではないか。そうでないにせよ、基本的には俺の知ったことではないのだ。
「ええと、本の情報なんですがね。ガリアにはそういうものもあるという話を読んだことがあって」
シャルロットの双子の妹がそれによって顔を変えていた。そしてどこかの修道院にいる。それだけは覚えている。そして月目のヴィンダールヴによって連れだされ、真の姿を取り戻してガリア女王シャルロットと成り代わる。そんな話だったはずだ。
「そう、ガリア、ガリアに……。えっと、お話とかではないんですね?」
「ええ。もしかしたら各国にあるのかも知れないけれど、僕は見たことがない。かなり上等なマジックアイテムなんだと思いますけど」
結構な代物なのは間違いないだろう。『フェイス・チェンジ』は水のスクウェアスペルだ。それもある程度制限がある。それを常時、半永久的もしくは最低限年単位で働かせるというのだから凄まじい。
あるならばガリアの王室か? あとはアカデミーとか。ガリアとは限らないのか。修道院というのだから、ロマリアだったかも知れない。だが、経緯から推察すればアルビオンでは王室に近いところでも存在しなかったのだろう。モード公がエルフの姿を隠すという判断もできない阿呆だったという可能性もないではないが……。
「貴族の私生児を厄介払いするための修道院などで、王族の血を引く子供なんかをそれとわからないようにするために使われることがある、という話です。もしかしたらロマリアだったかも」
これでシャルロット王女に双子の妹など存在せず、顔を変えるマジックアイテムなどなければとんでもないガセ情報を掴ませていることになるのだが、すらすらと口から出てくる。
「ロマリア……」
マチルダは露骨に嫌そうな顔をした。まあエルフを排斥する最大勢力なのだから無理もないが、顔に出すのはどうなのだろうな。
「さっきも言ったように、立場上僕はあなたのお手伝いはできません。まあ……なんだろう。応援はしています」
思ってもいないことが口からぽろぽろ出てくる。少々自分が恐ろしい。
「ありがとうございます……」
搾り出すように言うマチルダの声がひどく恨めしい。後ろめたさはさらに倍。何もしていないんだから気にしないでくれ、というのが精一杯だった。
□
……とまあ、こんなことがあった。
ぼんやりと隅のテーブルへ視線を投げているとこちらに声がかかる。
「なにを見てるのよ? 幽霊でもいるの」
まあ最近はちょっとばかり人に見えないものが見えたりはするのだが、それは今は関係ない。あのクソいまいましい役立たずの使い魔はどうでもいい。……そうだ、使い魔を喚んだのだ俺は。今じゃ召喚しなければ良かったと思っているが、まあその話は後でいい。
俺はちょっとね、と言って適当にキュルケをごまかした。
「魔法学院、かあ。あんたらも、そろそろちゃんと呼んだほうがいいかい?」
今年、俺とキュルケはヴィンドボナの魔法学院に入学する。その話が出て、『赤馬亭』の店主も話に混ざってきた。ちゃんと呼んだほうがいいかというのは、貴族として扱うかどうかということだ。
「あまり気にしないでくれたほうがいいな」
とはいえ、いつまでもこうして平民にまぎれて遊んでいるわけにもいかない。いずれは領民に会えばすぐに頭を下げられるようにならなければならないだろう。キュルケなどツェルプストー領では実際にそうだし、こういうのをあまりだらだらやるわけにもいかないのだ。
「そうかい。そんならそれでいいけどな」
その辺は店主も分かっているらしく、少しばかりつまらなそうな顔になっていた。いつまでもこういう関係ではいられない。そもそも領民が全く俺の顔を知らないというのがかなり異常な話なのだ。
再び隅のテーブルへ目を向ける。マチルダは本当にガリアに向かったのだろうか。そういう事を言っていたが、実際にそうなれば色々と話は変わってくるかも知れない。土くれのフーケなどという盗賊は生まれず、またティファニアはマジックアイテムで顔を変え、市井に混じってただの胸のでかい女としてごく普通に暮らす。となると虚無の使い手は揃わない。
「あたしは楽しいからいいけどね」
「だろーね」お前の基準はいつもそれだ。分からいでか。
「んん、まあ。学校行くってんなら、卒業するまでじゃねえかな」
「そーだね」
実際には、そう甘くもないだろうという気はする。人の口に戸は立てられず、力あるものがそれを完全に隠すことは難しい。時間はかかるだろうが、いずれティファニアはどこかの勢力に目をつけられるだろう。ロマリアか、ガリアか。あるいはエルフか。それとも『平賀才人』か?
使い魔が運命に導かれるというのが本当ならば、案外最後かもしれない。
「うーん、楽しみだわ。どんな殿方と会えるかしら」
「そーね」あまり気持ちが入ってないセリフだな。まるでそう言うのが義務のようだ。
「好きもんだなあ嬢ちゃんは」
「ふふん、恋の家系の女ですもの」
だがさっきの仮定で行くなら、ティファニアはアルビオンで平賀才人を救わない。つまり彼は死ぬ。ルイズ・フランソワーズは新しい使い魔を喚ばなければならないが、互いにかなりの純愛だったしどうなるかは分からないところだ。召喚できなければルイズもその後の戦いで生き残れないだろう。となると、誰か他の人間が新たに虚無の力に目覚めることになり……。
「あなた聞いてるの?」
「聞いてるよ?」真面目には聞いてないけど。
まあ、世界の行く末より今は目の前の自分の行く末のほうが大事かもしれない。とりとめのない思考をやめてキュルケを見るとかなり不満そうな顔になっていた。
「なんだ、ちゃんと受け答えはしてたろ」
「ちゃんと聞いてたのかしら」
「聞いてたさ」
稚拙な嫉妬を煽るセリフまでばっちりと。どこまで本気なのかは分からないが、その程度は俺にだって分かる。恋の手管を知り尽くしているなどとはとても言えないが、ろくに男と付き合ったこともないキュルケがそれっぽいことをしても大して意味がない程度の知恵ははたらく。
そう、と言ってキュルケは少し考えるようなそぶりを見せたが、どうせろくなことは考えていないだろう。
「あなたは楽しみじゃないの?」
「前も聞かなかった、それ? 一応、少しは楽しみにしてるって」
必ずしもそうとは限らないが、普通は十五で魔法学院に入るのが一般的だ。キュルケの誘いと、多分だがうちとツェルプストーの親たちの頭越しの話で俺は一年早く入学することになった。自分たちはこの年で既にトライアングルまで伸びているので、間違ってはいないと思う。むしろキュルケにはやや遅いかも知れない。
あくまで一般論だが、魔法の実力は十代半ばから後半が最も良く伸び、それ以降はあまり伸びない。とくにクラスの成長はなかなか見込めないと言われている。感情の力が大きく左右する魔法においては割と納得のいく話だ。だからこそ、その時期にあらためて魔法教育をする。
……とまあそういう建前ではあるが、現在では貴族としての交流や社交の予備段階、そして結婚相手探しというのが一番の目的だろう。特に女子には大きな部分だ。魔法学院での恋愛やパートーナーは尊重されることが多い。
男子生徒、男の長子ならば先に挙げた今後の貴族としての交流を見越した社交の場、次男三男にとっては卒業後の進路選び……法衣貴族か軍か、やや遅いが騎士か。同時に女子と同じくパートーナー探しの場でもある。
そこで俺の話だが、貴族の長子であり、同時に婚約者もいないという立場だ。同級生たちとの交流に関してはまあ適当でいいわけだが、パートーナーとなると少々微妙である。
「……どうなるのかねえ」
何も考えてなさそうなキュルケの顔を見るとため息を吐きたくなる。分かっている。この女は俺が感じている以上に頭がいい。結構色んなことを考えているのだが、それがほとんど表に出てこないのでたちが悪い。
「なによう」
「ハァ……」
口をとがらせるキュルケを見ていると本当にため息が出た。
「ちょっ、なぁに人の顔見てため息吐いてんのよ。失礼しちゃう」
「えー、いやまあ、うん。いい女だなあと思って」
「へえ? あなたの口からそんなことを聞くなんて。まるで心がこもってないけど」
心はこもってるよ。実感という意味でな。
俺が嫡男であるにも関わらず婚約だとかそういう話と無縁なのは、キュルケとの関係があるからだ。なんかそれなりにいい雰囲気っぽいし、そのままくっついちゃえばいいなー……という両親の目はなんとなく把握している。
対してキュルケはあのツェルプストー家の人間だ。国内でも指折りの有力な貴族家だし、選択肢は多い。老公爵と結婚なんて話もあり得るわけで、政略的な方向に行くのもありだろう。恋多き家系なんて言うだけあってその辺は割と柔軟なようだが、一人娘を麾下の子爵家へ嫁に出すというのは伯爵家としては進んで取りたい選択肢ではない。
となると判断は本人次第となってくるのだが、そこで本人というのがこのキュルケだ。何をするか分からない。何を選ぶか分からない。一度選んでも、いつ気が変わるかわからない。これが計算でやってるなら大した悪女だが、さすがにそうではなさそうなので(全く分かっていないとも思えないが)、まあ『いい女』とでも言うしか無い。考えてみると俺もずいぶん振り回されてるな……。
「――ハァ。まったくイイ女だよ」
「く、この……」
「まま、落ち着け」
ヤレヤレと首を横に振って言ってやると、さすがに皮肉を含んでいると気付いたらしい。少し頭に来た様子のキュルケを店主が宥めた。
皮肉の下に隠したが、本音でもある。魔法学院に入学したら彼女は多くの誘いを受けるだろう。自分より魅力的な貴族だっているに違いない。いや、いないほうがおかしい。キュルケにとっての自分がそれほど大きな比重を占めているとも思えないし、いつどこへふらりと離れていくか分からない相手に本気になって傷つきたくはない。
そもそもトリステインのジャン・コルベールは? 何か大きな役割がなかったか? だがお前は彼女をトリステインへ行かせるつもりはなかったのではないか? どうにかしてあちらへ関わらないで済むようにしてやりたいと思っていたはずだ。命の危険などないに越したことはない。そうだ、そう思っていた。そんなふうに考えること自体十分入れ込んでいる証拠のようなものじゃあないか……。
なんにせよ、魔法学院だってきちんと卒業出来たほうが良いには決まっている。
「ほら行くわよ」
気づいたら払いまで済んでいて外へ連れ出された。余程グダグダ考え込んでいたらしい。
「何を言っても上の空。今日のあなたは一段とひどいわよ。ったくもう少し気張りなさいよ。あなたにとってもチャンスでしょう。本当に張り合いの無いったらないわ」
半目で睨まれた上にがつんと頭に拳まで落とされた。何の話だ。……ああ魔法学院の恋愛の話か。そんな妙な発破をかけられてもな。
「人の気も知らないで……」
「知るわけないでしょ。ぐずぐず考えるくらいならもう少しいい男になりなさいよ」
まあそりゃそうだ。これは言うべきじゃなかった。
「――背は伸びたぜ」
「あと十サントはないとあたしに追いつかないじゃないの」
「それはそのうち伸びるって。去年は頭ひとつ以上離れてたろ」
「そういうところは妙な自信があるのねえ」
しみじみと変なものでも見るようにキュルケがこちらを眺める。頬に視線を感じながら、行こう、と促した。並んで歩きながら、ヴィンドボナの町並みや学院生活のことを考えてみる。そこをこうして歩くことを思い浮かべる。――うん。
「魔法学院、ね……」
そう、一応楽しみにはしているのだ。いつも通りキュルケが一緒なのだから。
「なにか言った?」
「別に」
ただそれは、口の中だけにとどめておいた。ふうん、だとか変なの、だとか言いながらこちらへ向けられる視線もいつも通りで心地良い。
ああ、これからもこんな時間が続けばいいな、と――心からそう思った。
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ようやくヴィンドボナ魔法学院へ。早く行かせたくてやや詰め込みすぎとか描写不足とか練り込み不足とかいろいろを感じつつもさっさとケリを付けることにしました。一人称での話と三人称での話を繰り返してますが、視点などに違和感が無いか少々不安だったりします。おかしかったら教えてください。特に三人称の方。
そして早く使い魔出したり入学させたりさせたい作者。特に前々から考えてたラルフをいじめる使い魔を喚びたい。というわけで前振り。いよいよオリキャラ乱舞がはじまってしまうか……。一気に広がる人間関係、描ききれるかと不安を感じつつも所詮は習作、なんだってやってみるのさ。
バタフライ・エフェクトという言葉が思い出せない主人公。前世は色んなことがぼやけてきた。約十年の生活、キュルケとの交流などを経てようやく自分の住むハルケギニアを現実として受け入れつつある。ただし分裂症気味になった精神はもはや戻らない。
ドライな判断で才人やルイズが死んでも別に構わないとか思いながらも、どっかで主人公なんだから死なねえだろとかどうせハッピーエンドだろうとか甘いことを考えている。きっといつかそんな半端さを後悔することになる。
あと、ラルフの認識ではジョゼフは「天才狂王」。嫉妬から弟を殺したことで心を壊した天才。兄弟のすれ違いの原因は正確には分からない。また、『記録』を使ったのは?マーク付きながらジョゼフだと思っている。